息帰るノガレ

息帰るノガレ
 蜃気楼のように消え去ったノガレから、ただ一人逃れた末子の苦悩は晩年まで続いた。葬列には信者五百人が並ぶほどの祈祷師だったが、ふたりの母の声も、姉妹の声も聞くことができなかった。磔刑の基督でさえ口寄せた彼女にとってそれは、死後に訪れる孤独を意味していた。かつて母たちが作り上げたノガレを再興しようと試みたこともあったが、あの場所が帰ってくることはなかった。母スヱから聞いた創設譚は、とうてい再現できるものではなかったのだ。ふたりの母も、早逝した姉も、幼気な妹も、骨を埋めた漂泊民の男も、なにもかもが記憶違いであったかのように、ノガレは遠いところに行ってしまった。 末子がノガレのはじまりを知ったのは、もうひとりの母ウイが古井戸の底に消えた前年のことだった。前身ごろを血で濡らした青年の死霊がふらりと訪ね来て、ノガレ中を徘徊するようになったのだ。不気味であるという以外は悪さをすることもなかった彼とは末子だけが会話できたので、名を修作ということ、二十歳の頃に死んだことを聞き出した。彼は死後ずっと生家に留まっていたが、空飛ぶ大魚と産み落とされた無数の燃えさかる卵に驚いて逃げてきたという。彼の話の中にウイとスヱが出てきたことで、青年の霊と母たちの関係、さらにノガレの由来をも末子は知ることになった。 ウイとスヱがまだ姓を持っていた頃、二人は同じ集落に暮らしていた。当時はまだ生きていた修作はウイと同い年で、村一番の土地持ちの瀬川本家の跡取り息子だった。横暴な修作とその取り巻きのことをウイもスヱも嫌っていたが、修作とスヱとの結婚話が持ち出されるまでは限りなく距離をとることで平穏を保っていた。 あの夏至祭りの酒宴で聞こえた修作の言葉は、ウイにとって聞き捨てならないものだった。修作はスヱを横に侍らせて「めぐりの来たら夫婦になってやる」と言ったのだ。又従兄妹にあたる二人の将来は大人たちによって決められていたが、スヱがこの結婚を嫌がっていることをウイは昔から知っていた。大勢の男たちの前で月の巡りがまだ来ていないことを明かされたスヱは、俯いてさめざめと涙をこぼした。ウイは炊事場での仕事を放り出し、スヱを連れ出すついでに「あんたのごた無神経な男に、こん子はやらん!」と言い捨てた。「行き遅れが言いよる」と修作が笑ったのに周りの若者たちも同調し、呆れたウイは声を低めた。「あんたどもに嫁がさるくらいなら一生ひとりがよかね」 しかし、直後に修作が放った「女が反駁すんな」という一言が、ウイを芯から怒らせた。炊事場にいたときから握ったままになっていた庖丁は、目の前に立っているこの男に向けるべきものだと直感した。床を蹴り上げて修作の喉元に刃を振り上げたとき、この後にとる行動が脳裏をさらさらと流れていった。ほとばしり、畳の上を這う血潮に踵を返し、誰かの腕が掴みかかってくるのを寸前のところで躱して「触んなら刺す!」と怒鳴り、スヱの手を引っ張った。裏の縁側から外へ飛び出して藪へ逃げ込み、悲鳴や怒号といった混乱した人々の声を遠くへ追いやるように、頬に当たる笹の鋭い葉なんか無視して走った。追手になんか捕まらない自信がウイにはあった。しばらく雨がなかったせいで干上がった水路に降りて、集落から少し離れた川まで駆けた。半ば泳ぐようにして対岸に渡ったところで、スヱが「それ」と指したのは修作を刺した凶器だった。固まった指を反対の手で解いて、やっとの思いで握りしめたままだった柄を放せば、血糊のついたそれは川底に沈んでいった。 人家のない方へと歩いた挙句、山中を三日三晩さまよった。やっとの思いで見つけたのは三軒ばかりの廃屋が集まった場所で、ウイとスヱはそのうち一軒に住みついて、かつて小村だったのであろう一帯をノガレと呼ぶことに決めた。見渡しても山ばかりだが、一番高い峰に昇れば凪いだ有明の海が見えた。スダジイやタブノキといった照葉樹に囲まれた豊かな土地で、畑が斜面にあることを除けば暮らしに不便はなかった。 ノガレは樵夫すら立ち入らぬ場所にあり、年に一度流れ者の一団が通りかかって、近くの川に瀬降なる簡易天幕の集落をつくる他は誰も訪ねてこない。修作がもし生者だったならノガレを見つけることすら不可能だっただろう。 末子が母たちに代わって「集落の人な達者にしとらすとですか」と訊いたところ、修作は掻き切られた喉笛からひゅうひゅう音を漏らしながら大笑いして「あの頃ば覚えとる者な誰ひとり生きとらん」と答えた。それほど長い時間が経ったということだった。 死人と話す能力があると気づいた十四の歳は、末子の人生において大きな転換点だった。翌々年に慕っていた姉が乾きの病で死んだ後、もとより各地を放浪する生活への憧れがあった末子はノガレを出た。 放浪生活を末子に示したのはナデシという男だった。毎年五月末にノガレを訪れた彼は、あちこちから仕入れてきた物語の他に多くのものをノガレにもたらした。中空の光る玉、音を奏でるよう細工した蕗の葉、枯れない麦、万能薬、年中繊維がとれる綿の木、初子と末子の姉妹に生を授けた種、そして時には人の子まで。 ある年の五月、いつもの川原に瀬降が張られていて、ノガレの一家はナデシの来訪を今か今かと待っていた。昼頃になって彼は幼児の手を引いて峠にあるノガレまで上がってきた。ナデシの子かとウイが訊けば「いらんと言うから貰った」と言う。訪れた山村で親なし子を押しつけられたものの、道なき道を歩くには足が弱いので漂泊生活は向かないと判断し、ノガレに置けないか頼みに来たのだった。「食うてよかと言われたが、俺たちは人食いなどしない」というのがナデシの言い分だった。 幼子の名はチガヤといった。襤褸を着ているが、子ども用の晴れ着を一枚携えていた。薬玉模様の美しいそれを初子が欲しがったので、二人の母親はチガヤを引き取ることを決めた。末子と初子が一度ずつ袖を通したあと、その晴れ着は行李に仕舞われた。 末子よりも年少のチガヤは面々に快く迎えられたが、誰かに懐くことも言葉を発することもなかった。食事にも手をつけず、夜は眠れずに爪を噛み、母親たちを悩ませた。ウイの方は放っておけば腹が減って何か食べるだろうと大きく構えていたが、スヱはあれこれ悩まなければ気が済まない性質で、チガヤが隠れて土壁を食べていることに気づいたのもスヱだった。幼い女の子が、補修して十年以上たった壁のヒビに短い爪をかけて剥離させた漆喰や、その奥にある藁と土が混ざった部分を口の中に詰めていく様子にスヱは底知れぬ悲しみを見た。軒先の土を食べるチガヤは青いミミズを噛み潰しさえしたので、苦土を家の周りに蒔いたり家中の壁に塗ったりした。その成果か時間が解決したのか、数ヶ月もしないうちにチガヤの異食癖は一応の収束をみせた。 しかし、農繁期が過ぎた頃になってスヱはふたりの子どもたちが寝静まってもウイが眠れずにいるのを見た。ぱっくりと開かれた眼に月光を湛えて、戸の隙間からぼんやりと井戸のあたりを眺めていた。「眠れんと」と訊けば「スヱもね?」と訊き返され、眠れぬウイを見ている自分もまた眠れなくなってしまったのだとスヱは気づいた。次の晩には初子と末子も不眠症に罹ってしまった。チガヤの不眠が伝染した一家は、暗く退屈な夜を物語でしのいだ。ルソン国のマルヤのこと、ジャガタラに行った混血娘のこと。子どもたちは同じ話を何度聞いても飽きなかった。ウイは物の名前を忘れはじめ、あちこちに〈オケ〉〈ミ〉〈ト〉〈カベ〉と書いて回った。やがて自分の名前すら忘れ、着物に〈ウイ〉と書いた端切れを縫いつけた。スヱと子どもたちも名札をつけることを余儀なくされた。一方のスヱは物の名前を忘れるどころか、ノガレに来てから起きたことを全て記憶していた。いつかウイが自分のことを忘れてしまう日が来ることを考えずにいられるほど、スヱは楽観主義者ではなかった。「おどみゃ誰ね?」「あたはウイたい」という会話を日に何度も繰り返した。「いつか文字も読めんごとなるとじゃなかね」とスヱが揶揄うと、ウイは険しい顔をして「あたは死ぬこつば忘れとる癖に」と言った。 また五月になって訪れたナデシに、スヱは助けを求めた。その頃にはウイだけでなく、末子と初子も自分の名前を忘れてしまっていた。ナデシは記憶が曖昧で意思疎通もままならない人々と半年も過ごさねばならなかったスヱがあまりに可哀想で、チガヤと一緒に不眠の薬を置いていかなかったことを後悔した。ナデシは革のトランクから瓶詰めの青い液体を出して、ウイと子どもたちも飲ませた。されるがままに薬を飲み干したウイは、霧が晴れるように鮮明になっていく頭でナデシの顔を理解して、一言「老けてしもて……」と漏らした。ウイの言う通り、九年前はまだ若者だったナデシは今では骨ばかりの老爺になっていた。ナデシは漂泊民の一団から外れ、ノガレに居残った。ナデシは子どもたちに物語をせがまれても以前のような御伽噺でなく、戦争の話ばかりを聞かせた。日本は露西亜との戦争の最中だったが、子どもたちはおろかウイもスヱも戦争が何か知らなかったから、軍記物語の一種だと理解した。翌年にはナデシの歯はすべて抜け、戦争の話をすることもなくなり、二年後には息を引き取った。ウイたちは初夏になれば瀬降が見下ろせる場所にナデシの遺骸を埋め、小さな墓石を立ててやった。 ノガレの子どもたちにとって、ナデシは第三の親ともいえる存在だった。ウイとスヱがノガレで暮らしはじめて二度目の夏、ナデシは舶来品のオブラートを買いつけてきた。この薄緑色をした半透明のオブラートは、なんでも西洋のウィッカで作ったものだそうで、唾を吐いた脱脂綿を包んで軒先に植えておけば赤子が生るという。ただし、土の栄養を吸いきってしまうから五枚一組すべてを植えても葉が五枚六枚になった頃には一本を残して間引く必要があるそうで、初子のときは二本、末子のときは一本が間引かれた。秋になり酸漿のような実から孵れば、あとは歯が生えるまで米のとぎ汁や重湯で育つ優れものだった。この年子の姉妹は体格も顔も性格もまるで似ていないが、同じ土に育まれたせいか仲が良かった。眠るときには陰陽魚のように丸まっていたし、チガヤが来るまでは起きている間もべったりだった。 子どもたちが順調に育っていく一方、スヱはノガレに来た日のままだった。貧相な十七の体のまま、熟すことも衰えることもなかったが、肉付きが悪いと揶揄たり乳が垂れたと眉を顰めたりする男たちは誰ひとりいないから別段気にすることもなかった。強いて言えば、ウイと子どもたちを見送らなければならないことだけが憂鬱だった。 しかし、不幸なことにスヱの憂鬱はあまりに早く、そして最もスヱを苦しめる形で実現されてしまった。 修作の霊がノガレから姿を消した翌年、ウイは長い時間を盥の中で過ごすようになった。皮膚が水を吸ってぶよぶよになり、水母のような質感で血管が透けて見えた。井戸に入りたいと駄々をこねる彼女を、スヱはノガレの外れにある古井戸に浸けた。井戸水の中は地上よりずっと楽に息ができ、深く潜ればそれだけ肺呼吸を忘れていられた。より奥底へ潜りたがるウイのために末子が藁縄を綯って胴に括ってやった。「かっか、何に話かけられても応えたらいかんよ」と古井戸の底を透かし見た末子は忠告した。「何ば言いよるかわかっても、わかるごと聞こゆるだけで、地上のどこにもなか言葉だけん」 ウイは日が昇って暮れるまで潜っていた。上澄みを過ぎれば井戸の中は不安になるほど暗く、その孤独を耐えれば埃のような光が見えてくる。それらが水中の小さな生き物だとわかった頃には、不格好な小魚や脚のない蛙のような生物たちが現れ、さらに深く潜れば硬い殻で覆われた虫や身の丈ほどもある魚に囲まれる。やがて彼女は夜も寝所に戻らなくなり、浮上する頻度が三日に一度、十日に一度と間遠になった。 スヱは南瓜や唐芋を蒸かしては頃合いをみて古井戸を訪ね、水面から突き出た伴侶のハモのような口に放り込んで食事をさせた。ウイが手間をかけさせまいと「あっちにも食ぶるもんはあるとよ」と言ったところ、スヱは今まで誰にもみせたことのないような険相をして「拾い食いのごたことばしたらいかん」と金切声で叱って、泣いた。少女に特有の隙間風のような泣き声に、娘たちも集まってきてスヱの味方をした。「かかあば泣かせらした」「むごかことば言わしたとだろ」自分が悪者になったことが面白くなくて、ウイは尾鰭をひるがえした。視界が真っ暗になった頃にやっと年甲斐もなく拗ねてしまったことが恥ずかしくなった。引き返そうかとも考えたけれど、それはそれで癪に障るのでやめた。 やがて遠くから青い光源が近づいて来た。それは古井戸では眩しすぎてウイは目蓋を閉じようと思ったけれど、薄透明の膜しか降ろすことができなかった。光を提げているのが自分と似たような姿形をした生き物だとわかって、尾鰭に力を込めた。間近で目を合わせれば相手はひどく優しい表情をして、水掻きのついた両手でウイの頬を挟んだ。「見つけた、ウイちゃ見つけた」紛れもなくスヱの声音で、スヱの言葉遣いだった。「おってきたとね」「そうよ、おったとよ」井戸底のスヱは「これの無かならよかね」とウイの腹に巻きつけてあった縄を解いた。 数日後、軽くなった縄の先にウイがいないことを知ったスヱは古井戸に向かって「待っとるけんね、待っとるけんね」と嘆き続けた。 その頃には既にスヱと同い年になっていた初子は、ひとりになった母の気の落とし様をみてウイの代わりになろうとするあまり、彼女と同じ病を得てしまった。母ウイのような経過を辿ることを拒否した初子は、盥に入ることも古井戸に潜ることもなかった。日に三升もの水を飲み、全身に油を塗っていたが、病状は悪くなるばかりだった。乾燥した皮膚は剥がれて黄色くなり、風が吹けば花びらのように辺りを舞った。死を控えた初子の布団は常に菜花のにおいがしていたから、あの皮膚片は本当に風に散った花だったのかもしれない。 末子は姉の枕辺で、死んだら霊になってノガレに居ればいいと説得した。そうすれば今と何ら違わない暮らしができると考えた。しかし、初子は小さく首を振るばかりだった。 ノガレを出たいと末子が申し出たとき、スヱは「子を産まんうちな、どこん土地の者でもなかとよ」とその旅立ちを承諾した。末子には母が優しさで嘘を吐いたことがわかっていた。ノガレの土から生まれた人間が、ノガレの人間でないことがあるだろうか。ノガレに育まれた者には、他所の土地で人並みに生きることなんかできない。 それでも末子はノガレを出たかった。姉のいなくなった部屋で寝起きするなんて、もう耐えられなかった。「かかあもチガヤも、どこへでん行けるね」優しい嘘に嘘を重ねた。「かかは行かれん」「なして」「あん人ば待っとるけ」 スヱは地下水脈のどこかにウイがいて、いつか地上に帰ってくるのだと信じていた。子どもたちには母のその妄信が不憫でならなかった。ウイは自ら水底にいることに同意してしまったから、スヱがノガレに居続ける限り再会することはできない。姉の遺骸を埋めることができた末子は、スヱよりも少しだけ恵まれていたのかもしれない。 出立の日、麓まで見送りに出たチガヤは「あたしがかかあと一緒におるけ、ナデシのおいちゃんのごと一年にいっぺんは戻ってきて」と姉を送り出した。末子は強く深く頷いてノガレを去った。 末子は国中を旅した。ときには物乞いになり、ときには売春婦にもなった。旅の間、世の中は好景気に沸いていた。天上を道が走り、街は高層ビルで埋め尽くされ、排気が空をヘドロが海を覆った。列島中の喧騒を逃れるように南の果てでは御嶽に、北の果てでは恐山に身を置いた。そして、チガヤとの約束どおり五年後の夏至、末子はノガレのあった山に帰った。 しかし、どれだけ山を歩こうとノガレには辿り着かなかった。あらゆる道を試したがノガレはどこにも無かった。 途方に暮れかけたとき、川原に瀬降が張られているのを遠目に見つけた。幼少期の記憶にある瀬降より規模は小さいが、漂泊民らしい簡素な天幕が三つあった。末子は一縷の望みに向かって駆け、天幕から少し離れたところにいた見張りの少年に声をかけた。「ねえ、あの峠の村を知らない?」 少年は末子を鋭く睨むばかりだった。「あなたたちの仲間のナデシという人の墓もあったの」彼はやっと口を開いて「ナデシはそいつの名じゃないさ。自分だけの名前なんて余計なものは持ち合わせていない。俺たち全員、名無しのナデシだ」 そして、もう十数年でナデシは消えると少年は言った。平たい石が彼の手から滑り出て、川面を数回跳ね、呆気なく沈んでしまった。「役所の帳面に書かれたら俺たちは終わりなんだ」 末子の口から「ああ」と虚しい音が出た。 ナデシが消えるのと同じ理由で、ノガレも消えたのだ。御一新のときには国の目から逃れたノガレの地も、ついに誰かの土地として帳面の上に切り取られてしまった。 それから末子は長く生きた、生き過ぎた。ノガレを失った末子はどれだけ信者が増えようと生涯孤独で、それは死の先も続くだろうと怖れていた。息を引きとる間際、屋外スピーカーの時報が鳴った。五時を知らせる音の中で、末子は枕の下に敷いていた菜花が風に舞うのを見た。黄色い花弁の向こうで、姉の乾いた唇が動いていた。 ひゃ、く、ねん、たっ、たら。 息が終わるとき、初子は確かに言った。ずっと末子が忘れていただけで、彼女は確かに言ったのだ。百年経ったらまた会える、百年経ったらノガレは帰ってくる。逃れ者たちのノガレが、その息がまた、帰ってくる。