カタリナ

子よ。わたしはあなたにいい、また呼びかけます。母が子を産むのと同じように、わたしはどれほど神のみ前で絶えざる祈りと望みによってあなたを産むことでしょうか。カタリナ・ベニンカーサ『書簡集』より 陽が落ちた頃に帰宅すると、玄関にあの子の靴が無かった。いつも玄関の隅にあるレースの入った白いスニーカーが無かった。台所から母親たちの言い争う声が聞こえてくる。あの子がこんな風になってしまったのが誰のせいなのか、そんな話をしていた。感情の押し付け合いに過ぎない言葉たちに触れたくはないから、足音をひそめて自室に向かった。「ねえ」襖を開けたとき、母に後ろから声をかけられた。居心地が悪いから、音と立ててしまった紺色の指定ソックスに目を落としていた。その靴下ごしに、廊下の板の硬さがしみてくる。「なに」「朝陽、どこにいるか知らない?」やっぱり勝手どこかに行ったんだ、そう思った。「知らない。私の部屋にもいない」「あんたの部屋なんか、とっくに探してる」「そうですか」机の下に通学鞄を置いた。頭の中では、あの子が行きそうな場所を巡っていた。代母のところ、海岸線のテトラポットの上、この家のもっとどこか人目につかない所。どこにも彼女はいない気がした。この日この時間に誰も立ち寄らない場所、そしてあの子が好きな場所はひとつしかなかった。玄関に出て靴を履いた。「こんな時に、どこに行くの」母は私を引き留めようとする。台所の方からは、姉がすすり泣く声が聞こえてくる。ざらざらと鼓膜を撫でつけるように不快な声だ。「探しに行くだけだよ」磨りガラスのはまった玄関扉を閉めて、母親に追われることを拒んだ。「ジュリア!」近所にも聞こえるくらい大きな声で、母は私の洗礼名を叫んでいた。神や聖人の存在を示しながら、大人たちは子どもを叱る。でも私は幼い子どもではないから、もう母親たちの思うようには動かなかった。 私たちが生まれ育ったのは、海原に囲まれた小さな島だった。学校は小中高合わせて四校しかなくて、高校は本土にある学校の分校だ。ひとつの集落に必ずひとつ教会があり、私たちの家にほど近い岬には白亜の教会と修道院が建っていた。島民のほとんどがカトリックの信徒だった。私たち――朝陽と私は姉妹のようになもの、だった。というのも、血縁的には叔母と姪にあたるからだ。彼女の母親は私の姉で、私の母親は彼女の祖母だった。母が若くして姉を産み、姉が早くに朝陽を産んだのだ。そして私は母が四十一のときの子だった。私が生まれてから一か月もしないうちに朝陽が生まれた。同じ屋根の下に育った私たちは、母親の違う歪な双子の姉妹のようだった。記憶の中で、幼い私はいつも沈黙を強いられていた。母親たちが人差し指を口許に当てて、歯の隙間から空気の音を鳴らした。静かにするよう母親たちが示すときは、朝陽が臥せっているときだ。彼女は病気がちな子で、幼い頃は年に何度も熱を出した。頬を上気させ、息苦しそうにぐったりした彼女の布団に、母親たちは膝を寄せて離れなかった。そういう日、自分が母無し子になったような気がした。朝陽には母親が二人もいて、私にはひとりもいない。「静かにね、いい子になさい」どちらかの母親が、あるいは二人ともが私にそう言った。母親たちは朝陽のために病人食を作っては、匙を使って彼女の口まで運んだ。小さな皿にほんの少し注がれたお粥とか、すりおろしの梨や林檎とかを食べるだけで偉い偉いと褒められていた。たくさん食べれば太ると言われ、少なく食べればもったいないと怒られた私には、朝陽がうらやましくて仕方がなかった。「いいな、朝陽ちゃんは」幼稚園に入ったばかりの頃、自分の母親にそう零したことがあった。「どうして?」母は指先を舐めながら、花の写真が並んだ雑誌を捲っていた。庭の手入れが好きな人で、暇さえあれば園芸の本や植物のカタログを読んでいた。「だって、お母さんたちが林檎すってくれるもん」「病気のときの話?」ひどく怖い目で、母は私を見た。眼鏡が少し下にずれているせいで、母の目と私の間には隔てるものが何も無かった。「私も食べさせてもらいたい。病気になりたい」言ってしまった瞬間、胸に冷たくなった。母の逆鱗に触れることを、幼い私は敏感に察した。ぴしゃりと音を立てて、母の雑誌が閉じられた。「なんでそんなこと言うの」「だって……」「林檎くらい自分ですって食べなさい!」私にはまだ、果物をすりおろすだけの握力が無かった。それに私が欲しかったのは病人食なんかじゃなかったから、すりおろしの林檎を自分で作るのでは意味が無かった。この何日か後、朝陽の風邪ががうつって私も熱を出した。朝陽ほどぐったりと寝込むことはなかったけれど、それでも消化は悪くなったし眠るときはうなされた。電子音を鳴らす体温計に表示された数字を見て、朝陽の母は「あら、朝陽ちゃんの真似っこ?」と言った。母は意地でも林檎をすりおろしてくれなかった。お粥でも玉子の雑炊でもなくて、普通のご飯に味噌汁をかけたものを食べさせられた。朝陽みたいに細かく注意を払われなくとも私は回復したから、わざわざ病人食を作ってもらう必要は無かったのだろう。猫まんま、猫の餌。行儀が悪いとされる食べ方のそれは、さらさらと食道を流れるようでいて、どうしてか喉につかえてしまう。つかえを取るために何度も嚥下していたときの気分を、虚しいと表現するのだと後に知った。 私たちの母親は別々だったけれど、代母は同じだった。島はカトリックの教区で、家もカトリックだったから、私たちは生後すぐに洗礼を受けた。代母は洗礼時の立会人であり、教会生活における世話役のようなものだった。代母は、私たちの面倒をよく見てくれた。そして、いつも信仰に関する話をしてくれた。私も朝陽も、彼女の話をよく聞いて覚えていた。彼女の話し方は、母親たちのそれよりずっと穏やかだった。小学校に入学して数日経った日曜日、私たちは教会でのミサが終わった後の、茶話会の席にいた。この頃、教会に来る子どもは私と朝陽、そして中学生のお姉さんが一人いるだけだった。甘いにおいのする談話室のテーブルには、代母が焼いたシフォンケーキや、朝陽の母親が作ったスノーボールが乗っていた。教会にある食器たちは、縁に植物の模様が入ったかわいらしいものばかりで、私が使うには不似合いな気がしていた。大人たちや中学生のお姉さんは、私たちに小学校のことや新しくできた友達について聞いた。こういうとき、いつも私よりも朝陽の方が大人たちを楽しませることができた。順序が逆になったり、脈絡を失ったりしながらも、どのエピソードも心底楽しそうに話すのだ。私が同じことをしようとしても表情から駄目で、子どもらしくない含みのある話し方になってしまう。朝陽が真ん中になって、私はだんだんと外側に追い出されていく気分になった。ミサのときに被るベールごしに、大人たちの真ん中の朝陽を見ていた。そんな私のことを知ってか知らずか、代母が話題を変えた。「この機会だから大事な話をしましょう」彼女がしてくれたのは、名前の話だった。名前といっても学校で呼ばれる本名のことではなく、神父様に洗礼してもらったときに付けられた洗礼名の方だ。最初に話してもらえたのは、私の名前についてだった。私の洗礼名はジュリアといった。聖ジュリア・ビリアートにちなんだものだった。ジュリア・ビリアートは幼い頃から聖女と呼ばれ、麻痺を得たものの回復し、階級制のない女子修道院を作った人だった。次に代母は、朝陽の洗礼名について語った。「朝陽ちゃんの名前は、カタリナっていうの」スノーボールを口の中でもごもごさせながら、朝陽は話を聞いていた。私が同じことをすれば母親たちに行儀が悪いと怒られるのに、朝陽がやっても誰も注意しなかった。朝陽の洗礼名は、シエナの聖カタリナに由来した。幼い頃から修道生活に憧れたカタリナは、厳しい修道生活を自らに強い、長い絶食の末に亡くなったそうだ。代母の話が終盤にさしかかるにつれて、朝陽の目が潤んでいった。「食べずに、死んじゃったの?」「そうよ。そのくらい、神様を愛した人だったの」朝陽はカタリナの生涯に涙した。私には出来ないことだった。代わりに、私はジュリアのことを覚えていた。作文ができるようになってからは、ノートに記録を残した。きっと朝陽はカタリナの話を覚えていないと思っていた。 あの子を探しに家を出て、すぐに斜向かいのお宅に行った。そこには代母がひとりで暮らしている。彼女はもう七十になり、夫は二年前に天へ召されてしまった。チャイムを鳴らすと代母が出てきた。夕飯時だからか、花柄のブラウスの上から割烹着を着ていた。「あら、いらっしゃい」「すみません、朝陽が来ていないかと思って」「いいえ、うちには見えていないわ」「そう、ですか」踵を返そうとすると、彼女は私の手を掴んだ。「探しているのね」頷く。彼女の後ろには丸い額縁に入った聖家族の絵画が飾られていて、聖母の眼差しは幼いキリストに温かく落とされていた。「大丈夫よ、見つかるわ」「たぶん教会にいるんです」集落は岬のつけ根にあって、教会は集落から少し外れている。急勾配の坂道をのぼったら、百年も前に建てられた真っ白な教会がある。 小学校は人数が少なくて、一学年にひとクラスしか無かったから、私と朝陽は四六時中一緒にいた。いつだって朝陽は人気者で、私は添え物に過ぎなかった。でも、中学に上がると少しだけ状況が変わった。中学校は二クラスあって、中学二年生にして私たちは初めて別のクラスになった。私は地味な女の子たち何人かで集まって、平和なコミュニティを築いた。みんな本を読むのが好きで、休み時間に一緒に図書館へ行くのが日課だった。こうして朝陽の友達が私の友達、というような状況からは簡単に脱け出すことができた。他方、朝陽の状況は良いものとは言い難かった。委員会活動を終えて家に帰ると、既に朝陽が帰宅していた。朝陽じゃ遅くまで部活動をしているから、私の方が遅いのは珍しい。私たちの寝室になっている畳敷の部屋に行けば、朝陽は机に伏せていた。「朝陽、早いんだね」ぽん、と丸まった背中を叩いた。朝陽の肩がぴくりと動く。でも、彼女は顔を上げない。机の上に投げ出された三つ編みが解けかけている。「どうか、した?」様子が変だった。「何かあった?」そっとしておくのが賢明か、それとも何事か聞き出す方が賢明か迷った。迷ってもどうしようも無い気がして、朝陽の隣に椅子を持ってきて静かに座っていた。沈黙しているのは得意だった。「もう、学校行けない」喉から絞り出すように、朝陽が言った。話を聞けば、どうやら朝陽は気の強い女の子たちから吊るし上げられているようだった。ある男子生徒の告白に対し、是とも否ともつかない反応をしたところ、その男子生徒に好意を寄せる女子生徒の反感を買ったらしい。 「私、嫌われてしまったみたい」朝陽は病弱だったせいか抱きすくめれば折れてしまいそうな儚さがあり、乾燥がちな肌も幼い頃から手入れを欠かさないから私よりずっと綺麗だ。身長が低くて天真爛漫で、中学に上がったあたりから男子生徒が彼女の噂をするようになっていた。向けられた視線に、朝陽自身は気づかない。気づかないから底抜けに明るくいられるし、思わせぶりな態度にも見えてしまう。「男の子たちを誑かしてる、って言われたの。身に覚えがない。そんなことしてない」 ひどく気落ちした朝陽は、夕食に出てこなかった。母親たちは大騒ぎした。何があったのか聞かれたから、「学校で何かあったみたい」と答えた。朝陽の母は二十時過ぎにもかかわらず、学校に電話をかけた。担任は不在だった。勝手に担任を悪人に仕立て上げたり、クラスメイトが何を言ったのかを想像たりして、母親たちは怒りを溜めていった。 翌日、朝陽の母親が学校に出向いた。家庭訪問もあって、家の中の雰囲気は張り詰めていた。母親たちの機嫌は悪く、皮肉を言われることも叱られることも増えた。家事を手伝っても、手順や手際のことで嫌味を言われた。正直、面倒だった。朝陽が巻き込まれたいざこざのせいで、私まで渦中に引きずりこまれてしまった気がした。しかし、事態は想像以上に醜悪だったようで、朝陽は学校に行かなくなった。母親たちは過敏になって、私と朝陽の部屋を別にした。朝陽は頭が痛いと言って欠席を続けた。見かねた母親たちが病院に連れて行っても、しばらく休ませるように、としか言われなかったらい。島外の市民病院まで朝陽は連れて行かれたが、そこでも痛み止めの薬が処方されただけだった。学年が変わるまで、朝陽は教室に入ることができなかった。三年生になって私と同じクラスになってからは、私がずっと傍にいた。朝陽の机や荷物棚を勝手に使う人がいれば、やめるように言った。朝陽が、自分の席がなくなるのではないかと不安を口にしたからだ。高校へ進学した頃から、朝陽は自らに苦しいことを強いるようになった。食べないことや一睡もせずに夜を過ごすことに固執した。どうして彼女がそんな事をするのかわからなくて、私は首を捻ったし母親たちはいっそう過敏になった。どうにか朝陽と一緒に学校に行きたかった。だから通学のことも課題のことも、受験に向けた勉強も、自分の時間を削ってでも支えた。朝陽の学校に行く足取りは重かったけれど、安息日には欠かすことなく教会に通っていた。普通、子どもたちは、高校生にもなれば教会に顔を出さなくなる。以前まで礼拝や茶話会に来ていたお姉さんも、高校受験を境に姿を見せなくなった。半分、朝陽の付き添いのような気持ちで、私も教会に通った。朝陽は聖書の勉強会にも顔を出し、よく懺悔室に入って告解していた。誰かに自分の話を聞いてもらいたいのだろう、単純にそう考えていた。朝陽はずっと、何かに追い立てられているように見えた。どこか遠いところに行ってしまいそうな危うさに、黙っていられなかった。「高校卒業したら、朝陽はどうするの?」梅雨入りしたばかりの日曜日、教会からの帰り道のこと。ひとつの傘の下で肩を寄せ合っているとき、朝陽にそう訊ねた。近づいてくる大学入試の足音が、耳につくようになった時分だった。「修道院に入る」きっぱりと、迷いのない返事だった。ビニール傘を滑った水滴が、朝陽の背景で落ちていくのがゆっくりに見えた。坂道を下る雨水も、流れる音を失った。「苦しいとき、神様は私を救ってくださったの。手を差し伸べてくださるの。だから私は、主に仕える身になりたい。そして聖カタリナのように、みんなのお母さんになるの」神や聖カタリナのことを語る朝陽は、恍惚の表情をしていた。朝陽を支えたのは私のはずだった。それでも神の恩寵の前には、人間の微々たる力なんて無駄なものだったのだろう。「朝陽はそれで、神様のところに、男の人のところに行っちゃうんだ」「そうじゃないの。わかって。神様に仕えるの」馬鹿みたいだった。朝陽のせいで母は離れていったのに、朝陽まで私から離れてしまう。彼女を憎く思っていながらも、手を差し伸べてきたのに。「そっか、神様に誑かされたんだね。それとも反対に、誑かしたの?」「どうしてそんな言い方をするの」「朝陽は、私なんかいらないんだね」「違うよ。そんなことない」「嘘つき」傘を投げ出して坂道を駆けた。自分が吐いたひどい言葉を、雨で洗い流すように全身に雨粒を受けた。朝陽が自らを苦しめるように絶食や断眠をしているのは、聖カタリナの模倣だった。彼女は自分の洗礼名の由来となった聖女に、自らを重ねていた。厳しく自分を律し、神に仕える身となることを望んでいた。でも朝陽はカタリナにはなれない。私たちは真っすぐ慈しむような母親の愛し方を知らないから、お母さんにはなれない。教会で祈る朝陽は美しかった。彼女より白いベールの似合う女性に、他に出会ったことがなかった。私がベールを被っても、頬被りをした農作業中のおばさんのようにしか見えないから、朝陽と並ぶのが嫌になった。華奢になっていく朝陽は綺麗だった。 白い壁も夜になれば紺色に変色してしまう。特にこんな新月の晩になれば白亜の教会は身を潜め、代わりに星々が輝きを持つ。星たちは囁くとも瞬くとも言われているけれど、私には海鳴りのせいで声なんか聞こえないし、光の加減はいつも同じに見える。並外れた感受性、あるいは聖性を持つ者にしか、神秘を受け取ることはできない。Ave Maris Stellaが聴こえる。聖母マリアを讃える歌をあの子が歌っている。大人たちが天使のようだと形容する声も、私にはただあの子の声でしかない。教会までの坂道をのぼる。ローファーの先が声に引かれるように早足になっていく。何度も何度も冒頭の「Ave, Maris stella Déi mater alma」が繰り返される。めでたし海の星、とても優しい神の母。とても優しい神の母。彼女の歌は先に進まない。その先の歌詞を忘れたわけではないことは、私がよく知っている。彼女は教会の前にある段差に座って、空を見上げていた。「朝陽」そう呼んだなら、彼女は歌うのをやめてしまった。キャンドルの灯を吹き消してしまったような心地になった。彼女の声は大人たちの言うように純粋で無邪気なものではなくて、そうあろうとするばかりに弱々しくなってしまっただけのものだった。透明さは危うさだった。「ねえ、見て」朝陽は屋根の十字架を指した。「あの星はきっとマリア様よ」「へえ、わかるの?」「だって十字架の先が向いているでしょう。それに海に囲まれているもの」「……うん」Maris Stella、海の星は聖母マリアのことだ。一説には金星のことだと言われているけれど、いま十字架の先にあるのは金星ではない。「いつも見ていらっしゃるの」「そっか」坂を見下ろせば幾つかの電灯が、右に行ったり左に行ったりしていた。母親たちの明かりだった。ふたつの懐中電灯は寄ったり離れたりもする。「お母さんたちが探してるよ、朝陽のこと」「見つかりたくないな」「そう言われると、私は困っちゃうな」動く気配を見せない朝陽が、このまま教会みたいに夜と同化してしまうことを想像した。例えマリア様が彼女を連れ去ったとしても、それは仕方のないことかもしれない。海の星を追いかけて海に落ちないことがあるだろうか。再び小さな声で「Ave, Maris Stella」と歌いはじめた朝陽の隣に腰をおろした。朝陽は幼い子どものように、ぱたんぱたんと足を動かす。歌の調子と微妙にずれていることに嫌な予感を覚えた。「Déi mater alma」とても優しい神の母。神の母はとても優しいのだ。 高校卒業後、私は島外の大学に進学した。朝陽は修道院に入ること無く、閉鎖病棟への入院が決まった。