にがうり

他のウリ科の植物をツルレイシの隣に植えると、その実は苦くなる。種や苗の入手が容易で、食卓に並ぶ頻度が高いせいか、主に被害に遭うのはキュウリだった。食べられないほどに苦くなるわけではない。しかし何となく苦い。苦いキュウリは許容し難い。ツルレイシの実が苦いのは許せるけれど、キュウリが苦いのは許せない。ゆえに箸が進まない。狭い座卓を挟んで冷麺を啜っていた。頻繁に頭がぶつかる。これは座卓と彼との不調和だ。この部屋には自分以外の何人も立ち入ることはなく、この座卓では優雅な孤食が続くはずだった。だから、これは座卓と彼との予定不調和だ。えらの筋肉を収縮弛緩させながらの「苦ない?」に、私は激しく首を縦に振った。座卓に置かれているのは、薄切りのチャーシュー、半分に切ったゆで卵二個分、細切りのキュウリ、キムチ、諸々の具材と麺と氷の浮かんだ汁。座卓横の段ボール箱の上には、余りの冷麺が入ったボウルとコンビニで買った氷。この中で苦いものはひとつしかなくて、おそらく彼の言う苦いものと私の思う苦いものは同じだ。「なんで苦いん?」「産地直送だからじゃない」「お前酔うてるやろ」この「酔うてるやろ」は「支離滅裂なこと言うてんで。あほちゃうか。まあええけど」に訳さねばならない。アルコールを摂取したか摂取していないか、酔っているか酔っていないかに言及したいわけではないのだ。ただ、産地直送とキュウリが苦いことは、それほどかけ離れていない。このキュウリは昨日か一昨日に父が捥いだものだ。私が実家にいた頃と同じなら、キュウリの隣にはツルレイシが植わっているはずだ。十を少し過ぎた頃、ツルレイシの隣で育ったキュウリが苦くなる現象を、勝手に苦味感染と名付けた。当時は、冷やし中華に乗ったキュウリを食べながら、頭の中で苦味感染と梅雨前線を交互に唱えたり、「苦味に感染していますね」「……治るんですか?」「残念ながら」「そんな……」「感染拡大防止のために胃液に浸ってください」と会話劇を繰り広げたりしていた。因みに苦味感染後のキュウリは、苦味感染胡瓜という何とも舌触りの良い六文字熟語で呼称せられた。旋毛が薄くなってしまうのではないかという程に頭と頭を衝突させて後、ボウルの冷麺は空になった。麺が無くなってもキムチを食べ続ける彼と、良いことと悪いことの話をした。彼が床に広げている道徳教材の挿絵は、頭の中で抽象画に挿しかえた。食欲が満たされて、そして暇になって、敷きっぱなしの布団の上で羽毛布団に包まった。少し寒いくらいにクーラーの効いた部屋の中で、布団に入るのは心地良かった。やがて、うつらうつらし始める。唾液腺のあたりが苦い。なぜ苦味感染胡瓜が生るのか考えたことがあった。ツルレイシの花粉とキュウリのめしべとが受粉したのだ、と仮説を立てて実験したこともあった。ツルレイシの雄花から花粉を採取して、キュウリのまだ開いていない雌花の花弁を切開し、綿棒か何かで受粉させた。ビニール袋を被せて、あとはじっと結果を待った。方法が悪いのか、異種では受粉しないのか、袋の中にはいつも萎れた花しか残らなかった。布団の中に人が入ってくるのが分かった。冷気と体温と気配とが、一緒にやって来たからだ。何か言われた気がしたけれど、あまりに眠くて「うん」と返事をした。黄色い花が咲いては枯れていった。 取り返しのつかないことをした。起き抜けはそんな思いに支配されていた。逃げるしかないと思って、もう一度眠った。次に覚醒したときは別に取り返しのつかないことはなかった。頭から布団を被っているから、時間が分からないだけだった。「ふぬ」と起き上がったなら、旋毛を硬いものにぶつけた。冷麺を食べている途中ではなかったけれど「痛った」と彼が言った。「ごめんごめん」「なんで肩甲骨にぶつけんねん」「ごめんって」なんでも何も、背中に頭を寄せる形で寝ていたからだ。でも、この「なんで」は理由が知りたいのではない。もう単に「あほ」くらいの感じだ。苦味感染胡瓜の細切りは、まだ皿の上に残っていた。仕方なくキムチと一緒にした。「アテ?」「飲む?」と疑問符に疑問符をぶつける。答えの如何に関わらず、どうせやることは決まっているから、空中に記号を浮かべたまま放置する。そのうち霧散するだろう。冷蔵庫からロング缶の氷結とさけるチーズを取り出す。製氷スペースの捻じ込んでいたアイスボックスも持ってくる。「チャーシュー切ろか」「頼んだ」氷結を注ぎ分けてチーズをつまんだところで、チャーシューがあまりに遅いので台所を覗いたなら、左利きが悪戦苦闘しているところだった。つい先週くらいに丁寧に丁寧に砥いだ包丁を、彼がぎこちなく使っていた。鈍い刃物よりも鋭い刃物の方が危なくない。不格好ごろごろのチャーシューを並べると、割かし豪華な酒席になった。苦味感染胡瓜のキムチ和えも悪くない。苦味は乳酸菌発酵と唐辛子の味に消されてしまっている。ただ、もう苦くないと思うと同時に、なぜ苦くてはいけないのかと自問した。ツルレイシの実は苦くても許せる。ニガウリと呼ばれるくらいだ。そもそも苦いものなのだ。しかし、それなら苦味感染胡瓜だってニガウリだ。苦い瓜ならニガウリだ。でも、きっと苦い瓜である以前にキュウリだから駄目なのだ。キュウリだから苦くあることは許されない。彼はぶどう味のアイスボックスにぶどう味の氷結を入れた。紫色には無数の気泡と氷がぷかぷかして、囁き声が聞こえ、やがて止んだ。「アイスボックスそんまま食べたらあかんねんで。酒入れて飲むねんで。美味いもんに美味いもん入れたら美味いやろ」確かに美味しかった。この氷菓は氷結を入れて飲むために開発されたのではないだろうか。そう思うほどに。そしてアルコールには若干の苦味があった。糖分と果汁にもみくちゃにされても微かに苦味は感ぜられた。座卓の上、さけるチーズの横に、知らない赤のマルボロが置かれていた。彼のポケットの角張った膨らみの正体を知った。私は箱自体に触れようとも、箱の存在にも理由にも触れなかった。黄色の花が咲いて枯れたビニール袋の中に、虚しいタバコ畑を思い描いた。しなしなの黄ない葉が並んでいる。畦道には間引きされた葉が横たわっていて、畑の地面には所々に泥濘が見える。タバコ畑の奥には葬儀場があった。故人の前、漢字と片仮名が組み合わさった墨書の前をトラクターが過ぎていく。タイヤは土塊を置いていく。鈍足の農機具が通過していった。牛歩のようなトラクターの歩みに合わせ、私はできるだけ細くチーズを裂き、舌で巻き取った。苦味感染胡瓜のキムチ和えを奥歯に置いて噛んだ。キュウリの触感がする、キュウリの水分量の、ただのキュウリがキムチに味つけされているだけだ。もう完全にキュウリであってニガウリでなかった。苦味感染胡瓜は病没し、できそこないのニガウリにもなれなかった。故郷、宇土のおばあたちはツルレイシの草本自体をレイシと呼び、実の方はニガウリと呼んだ。聞いた通りに表記するなら、ニガウッのような感じだ。ニガウの後ろにハングルのリウルがついたような発音だ。ちょっと違うような気もするけれど。ふやけた全身は再び布団に投げて、ふやけた指先で手遊みにマルボロの箱を開けたり閉じたりした。内側の薄い紙も開けたり閉じたりした。私はお前を害するけれどお前は私を愛せ、との灰色の文字が読める。鼻先を近づけてにおいを嗅いだ。苦い味のにおいだった。誰が常識人で、誰が普通で、誰が変人で、誰が正しくて、誰が間違っていいるのか、誰にどんな付箋をするのかを話した。凡庸と言われるのも嫌で、集団に適さぬほど突飛と言われるのも嫌だった。許容される苦いキュウリが良かった。称賛される他の種類の瓜たちを羨んだ。「そんなんやから、あかんねんで」寝たふりをしながら泣いた。彼がどんな瓜を捥いでも食んでもいい。でも、苦いキュウリだからと堆肥の上に捨てられるのは嫌だった。後に、キュウリの苦味感染に際して、異種交配が起きているわけではないと知った。宇土のおばあたちは、生育に適する環境が違うことが関係しているとも、キュウリは根や葉がツルレイシよりも弱いから負けてしまうのだとも言った。何が起きているかはともかく、それがキュウリ栽培の失敗であることに変わりはなかった。 彼は帰り際の階段下で、ときおり咳き込みながら煙草をふかした。先端が橙色に呼吸しているのを、間近で観察するのは初めてだった。日付が変わる前の外界はしとどの雨だった。いっそのこと、彼の吐く副流煙の苦味に侵されてしまいたかった。