すりもじる

顕微鏡を出してきた。筒上下式の顕微鏡。机の上に置いて、対物レンズと接眼レンズを取り付ける。覗きながら反射鏡をいじって視野が明るくなるようにする。南の窓際の日がよく当たる場所には、一・五リットルのペットボトルが置いてある。中身は透明だけれど、薄く緑がかっている。これはメダカの餌で培養しているミドリムシで、毎日観察して日記をつけているのだ。ペットボトルの蓋を開けて、スポイトで液体を吸い込む。そして、ガラスのスライドの中央に一滴だけ落とす。緊張しているみたいに、水滴の端は張りつめている。そこにカバーガラスを乗せると、水滴はガラスとガラスの間で真四角に形を変えた。まだ六ページしか書いていない観察ノートを出してきて、顕微鏡の横に広げた。作ったばかりのプレパラートを乗せてクリップで止めて、レンズとガラスとを触れ合う寸前まで近づける。覗き込めば、むらのある灰がかった緑色だった。ねじを回してピントを合わせる。やがで、緑の点がいくつか見え始め、輪郭がはっきりする。それでも点だと分かるだけで、小器官のひとつひとつまでは見えない。点が集まっているところを中央に持ってきて、レンズを高倍率のものに変える。鞭毛が確認できた。数匹のミドリムシが、それぞれ伸び縮みを繰り返している。くねくねと反ったり丸まったり。豆粒のような形であったり、タイ米のような形であったり、その姿は変わっていく。膝を丸めて背中も丸めて、あるいはその逆。すりもじり運動だ。細胞外皮の上を螺旋状に走る帯が、ミドリムシ独特のこの運動を可能にしている。うにょうにょしている。幼い子どもなんかが、こんな動きをするかもしれない。こんなところが曲がるのか、というところが曲がって、ぐねんぐねんと柔軟に動く。洗練された競技者の柔軟性ではなく、生き物がはじめから所持している、そして成長共に忘れてしまう自由自在さ。かたちを変えていった末に、人はずっと同じかたちでしかいられなくなった。ずるずるずずず、と動く。腕の中にミドリムシを一匹抱えてみたらどうだろうか。鞭毛が首周りを撫でてくすぐったくて、うねうね動く体に腕を回せば、中にある葉緑体がクッションのビーズみたいに感じられる。枕にもミドリムシ、布団みたいにミドリムシ。彼らと一緒にすりもじる。赤い眼点を見つめた。これは光を見てはいない。本物の感光点はその横にある。皮膚がベリクルになって、橋がかかるみたいに線が走った。心臓は核に変わった。口は収縮胞になり、左目は感光点に右目は眼点になった。ぐねんぐねんと体中の筋肉をほぐすように動く。昨日までは、彼らと一緒にうにうにしようなんて思わなかったのに。尾てい骨のあたりから、細長い糸が伸びた。鞭毛だ。皮膚だったものの内側は、葉緑体とパラミロン体になった。骨と筋肉と内臓なんか全部が、三重構造の葉緑体だ。胃だけは貯蔵胞になったけれど。他のミドリムシと同じように、丸くもなれるし細長くもなれる。うねんうねんができるのだ。足も腕もなしに、全身が足でも腕でもある。うにょんうにょん。鞭毛を動かす感覚は難しい。だから、すりもじる。ぐにゃん。ずずずずずるずる。収まりが悪いからちょっと離れたい。動け鞭毛。動け。先端の方だけがぴろぴろするだけで、なかなか移動するには至らないのだ。しゅーってしたい。しゅーって、遠くに。うまくいきそう。鞭毛よ動け。 しゅーっと群れを抜け出した。