おひさま

背中に太陽を飼うようになって、もう五年になる。息子が僕の背中に油性ペンで落書きをしたとき、エタノールでも使って早急に消すべきだったのだが、面倒だったのと妻が笑い転げるのが面白かったのとで翌朝まで放置してしまった。あのとき妻が「あんた後光さすんちゃうん」とか何とか言っていたのを真剣に聞いておけばよかった。いや、まさか妻も翌日になって本当に後光がさすとは思っていなかっただろうが。慌てふためく妻に起こされたとき、布団の中がいつもより温かったのを覚えている。ストーブでも電気カーペットでもなく炬燵のような温さだった。「ちょっと、起きて! 眩しいんやけど!」妻の声はぽんぽんと弾んで五月蠅い。ご近所迷惑じゃないかと考える。何となく明るい気がするから、そんなに早い時間ではないだろう。「なんやねん」「知らんけど、光ってんの!」僕が起き上がると、妻は元から細い目をさらに細めた。部屋の中は明るくて、日は昇りきっているのかと思ったが、そうでもないらしい。明るいのは窓の外でも部屋のLED照明でもなく、僕の背中だった。「なんで光ってんねん」「昨日、翔太が描いたあれ。かまぼこかと思ってんけど、お日様やったんかも」「せやからって光るか、普通」妻は石鹸と濡れたタオルとを持ってきて、ごしごしと落書きを消した。加減を知らない彼女のせいで、背中の皮膚は非常に痛かった。真皮まで剥げるかと思った。やがて油性ペンの落書きは消えたが、背中の光は消えなかった。しばらくして起床した息子は、僕の背中をカイロ代わりにした。上手い使い方だと思って僕も自分の手を温めようとしたが、肩の柔軟性が足りなかった。途方に暮れていても仕方がないので、普段通りスーツに着替えて出勤した。背広を着ると後光の量は幾分か減った。通勤電車の中では周囲の人が眩しくないように、背中を壁に預けたり席に座ったりした。出社すると仲の良い同僚に大笑いされ、部長には拝まれた。その日のうちに若い女性社員たちからは「仏像さん」と呼ばれるようになった。席は窓際に移動させられたが、別に仕事の量が減って窓際部署に配属されたわけではない。僕の後ろの人のパソコンの画面に反射してしまうのを避けるためだ。それでも、窓ガラスに反射した光が自分のモニターを明るくしてしまうので、常にブラインドは下ろすようになった。ちなみに、背中に太陽を飼うようになった翌月の電気代はかなり少額だった。暖房も照明もいらないから、当然の結果ではある。ただし冬は重宝されても夏には厄介がられるのが、若干辛いところだ。自分でも暑苦しいし、熱中症には注意せねばならない。やがて妻は僕の背中で本を読むようになった。濃い色の服を着ていれば、ちょうど良いらしい。蛍の光よりお手頃な明かりだ。僕としても近くで寛がれて悪い気はしない。背中に太陽を飼うようになって、もう五年になる。僕の背中は災害時には懐中電灯になるし、乾燥機にだってなる。息子が小学校に通い始めてからは、体操服や給食エプロンなんかを緊急で乾かしている。なかなかに有用な太陽を手に入れたものだ。