Antitanikism

#多肉植物のある暮らし
 第五次多肉植物ブームが到来していた。 女性たちの社会進出が加速していく中で、手間のかからない多肉植物の流行は数年ごとに新種や改良種を携えてやってくる。第五次多肉ブームの中心種はハオルシア。第三次ブームで爆発的に売れた品種で、第四次ブームを経て前時代に回帰した形だ。 大学を卒業したばかりの月子は、就職と同時に一人暮らしをはじめた。SNSに溢れる都市に暮らす女たちの「丁寧な暮らし」に憧れて、色味の統一された部屋を作り、日用品にはこだわりの物たちを揃えた。どれも高価ではないが、長く使える物だ。 月子も自身の生活の一部を投稿するために、新しくInstagramのアカウントを作った。フォロワーたちと交流する中で彼女は多肉植物に魅了された。「丁寧な暮らし」を投稿する層と、多肉ブームを担う層はかなりの重なりを見せている。今度の多肉ブームの発端となったのは「丁寧な暮らし」界隈のインフルエンサーで、その人物が女性誌『Natural City』に寄稿した「多肉といっしょ」と題したエッセイでハオルシアを再評価したことから、じわじわと多肉植物の需要が増えた。今では第三次ブーム以上の盛り上がりを見せている。 月子はiPhoneのシャッターをきる。 分厚い天板のガラステーブル。その上には多肉植物専門店で購入してきたハオルシア種のオブツーサ。半透明で緑色をしたビー玉の集合体みたいな植物が、灰色の釉薬がかかったポットの中に座っている。指先でつんと触れてみると、意外にマットな表面をしていてかわいらしい。 ポートレートモードで撮影した複数枚の写真の中から一番きれいなものを選んで無加工のままInstagramに投稿した。

#多肉女子  職場のデスクに並ぶもの。USBでパソコンに繋がった加湿器、ローズヒップティーを入れた水筒、ファイルボックス、諸々の書類、多肉植物。ルテオローサという葉がギザギザした種類で、オブツーサと同じくハオルシア種に属する。 このフロアで最初に多肉植物を置いたのは月子だったが、今では女性社員の何人もがデスクに多肉を置いている。 同期の鈴佳も「えっ、かわいい。ぷくぷくしてる!」なんて多肉植物を欲しがったものだから、誕生日に小さな雫石を贈った。 鈴佳は丸っこくて表面のつるつるした多肉ばかりをデスクに並べていた。マスカット味のグミみたいな多肉たちは、彼女の風貌によく似ている。 鈴佳は一四〇センチ代で丸顔、体型もなんとなく丸っこいのに、足首だけがきゅっとくびれていた。彼女が陰で「多肉女子」言われていることを月子は知っている。肉づきの良さ、ぷっくりとした可愛らしさが、彼女の育てている多肉植物に結びつけられたのだ。 男性社員が「鈴ちゃんは、まさに多肉女子って感じ」と話しているのを聞いて、到底スリムとは言い難い体型を揶揄されているのかと思ったが、そうではなかった。小さくて愛想が良くて、どことなく家庭的な雰囲気を漂わせる鈴佳に対しての好感を含ませた「多肉女子」だった。 はじめに多肉植物を置いたのは私なのに、と月子は不満だった。多肉植物のイメージが月子より鈴佳に定着してしまったことに敗北感を覚える。この頃は垂れ目に作られた鈴佳のアイメイクすら憎たらしく見えてしまう。 いつの間にか鈴佳は「多肉女子」を自称するようになり、ご丁寧にタグまでつけてInstagramに雫石を頬に寄せたセルフィ―を投稿した。複数のアカウントからいいねだとか「めっちゃええやん」というコメントなんかが寄せられた。 大学生の頃から付き合っている彼氏と食事に行ったとき、鈴佳のことで愚痴を言った。彼は相槌すら打たずに私の話を聞いた後で、「言いづらいんだけど」と大きく溜息をついた。「多肉植物が好きならさ、月子も丸くなった方がいいよ」「それは性格がってこと?」「性格と見た目、どっちも」 あまりの腹立たしさと悔しさに、月子は会計後すぐに帰宅した。多肉植物たちに「どいつもこいつも何なの!」と訊いたが、彼らは当たり前に黙していた。 エッセイ「多肉といっしょ」から四ヶ月後、『Natural City』は鈴佳とよく似た丸顔の女が数種類の多肉が寄せ植えにされたバスケットを提げて表紙を飾っていた。特集記事には「細い女は時代遅れ?」「いま、多肉女子がキテル」といった見出しが並ぶ。 ネット上には「多肉女子の条件」だとか「時代に取り残されたスレンダーな女たち」といった記事が散見されるようになった。社内では鈴佳の株が上がり続けていたし、町中を小太りの女たちが麻布をそのまま巻きつけたような服装で歩いているのが見慣れた光景になってきた。 月子は多肉植物を愛していたが、世間の言う「多肉女子」とは服装の傾向も一八〇度違ったし、どちらかといえば細身の体型をしていた。月子のような女たちは、だんだんと多肉植物が好きなのだと公言することが難しくなった。多肉女子のタグをつけているとバッシングのコメントが来たし、季節が移り多肉女子たちが巻きつける布を麻からウールに変えた頃には、投稿画像の中に多肉植物が写っていたり過去に多肉植物についての投稿があったりするだけで叩かれるようになった。 月子の元にも大量の誹謗中傷メッセージが届き、Instagramのアカウントを削除するまで追い込まれた。

#多肉至上主義  書店に平積みにされた本に月子は眉を顰めた。吐き気さえ催しそうなタイトルの書籍が、ここ最近の売れ筋本として店頭の台にPOPつきで並んでいる。大きく「著者サイン本」と書かれた付箋も見えて、和泉はこんな小規模書店に営業をかけてまで多肉の素晴らしさを宣伝して回っているのかと月子は半ば感心してしまった。 悪趣味にも『多肉至上主義』と題されたその本は、和泉芳樹というコラムニストが書いたもので、多肉女子たちを写真つきで紹介しつつぷくぷくとした女たちへのフェティシズムを語ったものだ。月子はこの本を図書館で借りて読んだ。 InstagramもTwitterも、この多肉本を称賛する投稿で溢れていた。一大ムーブメントと言うにしても、あまりに狂気的な熱量と速度で「多肉至上主義」は世の中を席捲している。この偏狂な思想に染まった女たちが、そこかしこにいる。 この書店のアルバイトにも何人か目につく。月子のすぐ近くで配架している女性店員だっていかにも多肉女子といった風貌しているし、案の定、首から下げた名札の隅に多肉植物のシールが貼ってあった。 月子の彼氏はKindleで『多肉至上主義』を読み、「いい女ばっかり登場するし、著者の考えに共感できる」なんてツイートしていた。露骨な月子への批判と、手放しに多肉本を称賛してしまう彼の浅はかさに辟易して三年の交際期間に幕を閉じた。 話題の本の著者として和泉が昼のワイドショーに登場したとき、彼は「若い女の子は多肉でなきゃね。多肉にあらずんば女にあらず、そこまで言っちゃうよ、俺は」と言ったし、他のコメンテーターたちも好意的なリアクションを取っていた。 多肉でない女たちは息を潜めなければならない時代が到来した。

#暗幕を着よ  多肉ではない女たちの身体は、不完全なものとして、もっと言えば不良品として扱われた。非多肉女子たちは、着ぶくれするような服装をすることがマナーだと言われるようになった。多肉でない身体は、不快感を呼び起こす隠すべきものだった。 多肉至上主義に反乱を起こす者を、月子は待ちわびていた。多肉でなければならないという呪縛から女たちを解き放ち、彼女たちの身体を  月子の身体を、自由にしてくれる誰かを求めていた。 ある日、ネット上の掲示板に「なかなか多肉になれません」というスレッドが立っているのを月子は見かけた。そこには、多肉になるための方法を回答する者、自身が多肉であることを自慢する者がコメントしていた。数ある書き込みの中で、ひとつだけ毛色の異なるものがあった。そこには「多肉にならなくても良いのではありませんか?」と始まり、参考サイトへのリンクが貼ってあった。URLをタップすると、個人ブログが開かれた。ブログタイトルは「暗幕を着よ」。月子はそのブログを必死になって隅から隅まで読んだ。記事にある言葉たちは、まさしく月子が求めていたものだった。 多肉になれない女たちの、あるいは多肉至上主義を打倒しようとする人々の符丁が暗幕だった。暗幕を着ることは、身体を隠せという抑圧にアイロニーをもって反抗する方法であり、多肉至上主義  のみならず、ルッキズム全体への「私たちは屈さない」という宣言だった。 ブログのコメント欄を見る限り、数百の女たちが賛同していた。程なくして、「暗幕を着よ」をスローガンとした女たちによる集会が催されることが決まった。 参加を決めた月子は、黒い遮光カーテンを窓辺から外した。

#Antitanikism
 「多肉至上主義反対!」と誰かが国会前で叫ぶ。そこに、ひとりまたひとりと女たちが加わっていった。炎天下、頭から暗幕を被った女たちがハンガーストライキを起こした。いくつものプラカードが掲げられている。私たちは多肉にならない。私たちは多肉のな損な? 違う、多肉にならないだけ。多肉でなくとも女で、そして、人間だ。多肉至上主義反対。私たちは、あらゆるルッキズムに抗議する。 嘲り半分の記者たちに彼女たちは敵意を向けたが、暗幕のおかげで警戒する必要はなかった。黒い人影をカメラのレンズが捉えているが、撮られることに一抹の不安もない。「恥知らずのデモ行進」「嫉妬に支配された女たち」なんて見出しの記事が、速報としてネットニュースに上がった。 暗幕を着た女たちは次々に増えていった。全国各地から集結した暗幕は、千人程の大きな塊となった。やがて禍々しい渦ができ、その中心でアロエベラがぐちゃぐちゃになった。 暗幕たちは反多肉主義を掲げ、閉ざされたブログからSNSに舞い戻った。私たちはAntitanikistである、そう彼女たちは名乗った。多肉至上主義は根強かった。国会前での暗幕デモは長期戦になった。 死亡者も出た。多肉至上主義者との対立は激化していた。あらゆる弾圧と排斥を受けた。暗幕を脱ぐ人も、一人や二人ではなかった。私たちは暗幕を脱いだ彼女たちを責めない。彼女たちも、私たちだから。「多肉女子」と持てはやされる彼女たちだって私たちだ。多肉であることを強く価値づけされ、従わざるを得ない私たちなのだ。 私たちは暗幕を身に纏い、アロエベラを踏み潰す。すべての女たちの身体が、彼女たちの自由になるように。