明治大学が運営する『マンガ専門の図書館」です。
内記稔夫(ないき としお)
日本のマンガは、幅広い世代に受け入れられ、暮らしと産業に多くの創造性と表現力をもたらし、
アニメやゲームと共に世界中にファンをもつ強力な情報発信型の文化として世界の注目を集めています。
神田生まれの故・内記稔夫氏 が1955年に開業した貸本屋「山吹文庫」の蔵書を基に、大衆文化を支えたマンガ本が散逸することを惜しんだことにより、1978年に日本初となる「マンガ専門図書館」を設立されました。
氏は館長として私財を投じ図書館の運営と漫画蒐集に努め、1997年、その業績に対し朝日新聞社主催の第一回手塚治虫文化賞特別賞を受賞しました。
2009年にコレクションを明治大学に寄贈。2010年に「明治大学現代マンガ図書館」となった後も館の運営に当たり、国際マンガ図書館の設立にむけた議論が続く中、2012年に亡くなりました。
その後も当館は、新宿区早稲田鶴巻町で継続・開館してきましたが、明治大学の駿河台キャンパスにて、
明治大学米沢嘉博(よねざわよしひろ)記念図書館との複合運用を目指し、18万冊にのぼる 蔵書の引越しと整備のために2020年は休館。
2021年3月より、千代田区神田猿楽町にて、数年にわたり作成に取り組んでいる蔵書目録をもって
閉架型図書館として再開しました。
氏が50年以上にわたり収集した単行本や雑誌など、未整理を含めるとおよそ27万点を保有。現在も雑誌を中心に収集を続けています。
特に昭和30~40年代に発行された貸本マンガの蔵書は充実しており、第一線で活躍するマンガ家のデビュー作や初期作品が収録された本も所蔵。マンガ雑誌の栄枯盛衰や分岐、展開をトレースすることも可能です。
併設の米沢嘉博記念図書館の14万冊と合わせて、日本最大級の蔵書をもって、大学の研究に寄与するとともに、一般利用者への閲覧を提供します。
内記 稔夫 (ないき としお)氏
1937年 東京神田に生まれる
1955年 貸本屋「山吹文庫」を新宿区山吹町にて開業
1956年 都立戸山高等学校卒業
1962年 早稲田鶴巻町に移転
1969年 豊島区南長崎に移転し、貸本と新刊販売の「ナイキ書房」を開店
1978年 『現代マンガ図書館<内記コレクション>』を設立
1995年 全国貸本組合連合会理事長就任
1997年 現代マンガ図書館の設立と運営に対して、第一回手塚治虫文化賞特別賞を受賞
2001年 日本マンガ学会理事就任
2012年 永眠(享年74)
鳥取県「まんが王国とっとり」のイベント「まんが博・乙」にて、企画展「内記稔夫-日本初のマンガ図書館をつくった男-」が開催されました。
倉吉会場「エキパル倉吉」:2013年7月13日(土)~8月25日(日)
鳥取会場「ギャラリーそら」:2013年9月11日(水)~29日(日)
明治大学米沢嘉博記念図書館にて、企画展「内記稔夫-日本初のマンガ図書館をつくった男-」が催されました。:2012年10月5日(金)~2013年1月27日(日)
明治大学米沢嘉博記念図書館にて、企画展「現代マンガ図書館資料から生まれた書籍たち」が催されました。:2021年3月19日(金)~5月30日(日)
早稲田大学オー プン教育センターにて講演会を行いました。
テーマは「マンガをすてるな!―マンガ収集の文化的意義―」(2007.12.03)
文京ふるさと歴史館にて講演会を行いました。
テーマは「『漫画少年』が後のマンガ文化に与えたもの
―読者投稿欄が輩出した漫画家たち―」(2009.12.16)
戦後大衆文化の一つに「マンガブーム」が挙げられ、その普及の一役を、30,000軒を超える「貸本屋」が担っていた。
昭和30年・40年代に、地域の図書館の役割を果たし、読書の普及にも貢献した「貸本」を取り巻く諸相を余すところなく伝え、出版物の ベストセラーとは異なる「貸本ベストテン」「漫画ベストテン」などの記事から、一般庶民の読書を捉える材料として、またマンガ文化の実態を掌握する稀覯資料として復活!
・収録 1957(昭和32)年9月~1973(昭和48)年1月
・B5判・上製・総770ページ
・解説(梶井純)・回想(大竹正春)・年表(三宅秀典)付き
・付録「新貸本開業の手引」
・推薦 浅井邦雄・出久根達郎・内記稔夫