長壽寺由緒

 長壽寺の創立時期について当山に古文書が残っておらず、詳しいことがわかりません。しかし、郷土読本などに長壽寺の記載が見受けられます。

 当山について『大正版 矢作町誌 覆影版』によれば、八幡領の内に御堂が建立され、阿弥陀の木像を安置されたとあります。当初、天台宗の僧がこの本尊を守っておりましたが、その後に禅宗の僧が本尊を守るようになると記載が見受けられます。 また、町内の古老のお話によれば、長瀬八幡宮境内北部に土が盛られた箇所があり、この箇所にお堂があったと伺っております。

 さて、郷土資料などによれば慶長6年に伊奈備前守より由緒のお尋ねがあり、寺領、黒印を被ったとあります。寛永元(1624)年、長瀬八幡宮の神主である板倉内蔵助吉次の代に大樹寺の末寺となり、浄土宗に属することとなりました。明治6(1873)年7月4日、長寿寺に森越義校がたてられたと伝えられております。森越義校とは、この学区の学校の前身にあたります。

以下出典

・『長瀬今昔』矢作北郷土研究会 平成2年3月31日

・『矢作の里』矢作地区小中学校合同研究会 昭和48年3月31日

・『大正版 矢作町誌 覆影版』岡崎地方史研究会 平成9年12月1日