「都市化の夢:合成コントロール法を用いた原子力施設

の地域的影響の計量的ケーススタディ」

Dreams of Urbanization: Quantitative Case Studies on the Local Impacts of Nuclear Power Facilities using the Synthetic Control Method, Journal of Urban Economics, Volume 85, 68-85, 2015. [Paper] [Draft] [WP] [Online App.] [Slides] [スライド]

背景:福島第一原子力発電所の事故後、原子力関連施設が大規模な地域経済政策として活用されてきた点に注目が集まった一方で、その定量的検証は十分にはなされていない。原子力関連施設の地域経済政策の効果を推定し評価することは、今後の日本を含む先進国および途上国における地方自治体の政策判断にとって非常に重要である。

目的:日本の原子力施設立地自治体について、地域の課税対象所得水準に対する原子力関連施設の立地効果を個別に分析し、地域経済政策としての有効性を検証する。また、その影響の異質性(heterogeneity)やメカニズムを明らかにする。

方法:本論文では、Abadie and Gardeazabal (2003, American Economic Review)で提示され、Abadie, et al.(2010, Journal of American Statistical Association)でより詳細な統計学的議論がなされたSynthetic Control Method(以下、合成コントロール法)を用いて、日本における原子力施設立地が自治体レベルの地域所得水準に与えた影響やそのメカニズムを検証した。本論文の第一の特徴は、1970年代から2000年代に渡る長期の日本の自治体パネルデータを用いて、かつ合成コントロール法というケーススタディに活用可能な計量分析手法に依拠して、8つの原子力施設立地自治体について、それぞれのケースにおける地域の課税対象所得水準に対する原子力施設の立地効果を個別に分析し、その影響の異質性(heterogeneity)を明らかにしたことである。ケーススタディの対象としたのは、北海道泊村、青森県六ヶ所村、宮城県女川町、福島県楢葉町・富岡町、新潟県柏崎市・刈羽村、石川県志賀町の8市町村である。本論分の第二の特徴は、統計的因果推論の過程で「合成コントロールユニット(synthetic control unit)」を明示的に構築するという合成コントロール法の性質を活用して、原子力施設立地自治体と合成コントロール自治体の原子力施設立地前後の共変量の変化を比較することによって、観察された所得上昇やその異質性がどのような経路において生じているのかを検証したことである。

結果:推定結果に基づくと、2002年時点において、青森県六ヶ所村では62%、福島県富岡町では30%の課税対象所得の上昇が原子力施設立地によって引き起こされたと推定される一方、ほとんど効果が見られない自治体も存在し、原子力施設立地8自治体平均では11%の所得上昇が推定された。さらにAbadie, et al.(2010, JASA)の提案するプラシボテストやその拡張的なプラシボテストによって、それぞれの自治体において推定された立地効果の有無の確からしさを明らかにした。

追加分析:トリートメント自治体と合成コントロール自治体の共変量の比較分析によると、六ヶ所村や富岡町では原子力施設立地に伴う建設産業等への直接的な労働需要サイドのショックが特に大きく、その間接的な影響がサービス産業などのnontradableセクターにも伝播することによって、地域の所得水準の上昇が引き起こされている可能性が高いことがわかった。逆に、建設産業への労働需要ショックが正であっても、そのサイズが相対的に小さく、サービスセクターの拡大に繋がっていないような女川町や柏崎市のような自治体においては、原子力施設立地による所得上昇は観察されなかった。また、自治体歳出の拡大の所得上昇への影響は大きくないことも示唆された。

考察:本論文の分析結果は、先進国および途上国における原子力関連施設の立地による地域開発について有用な知見を提供する。第一に、原子力関連施設は、いくつかの自治体において、課税対象所得に対して明確な正の効果を有していた。その意味で、原子力関連施設の立地は地域経済政策としての有効性を持っていたといえる。一方で、いくつかの他の自治体では原子力関連施設の立地はほとんど地域所得に影響を与えていなかった。原子力関連施設の予測不可能なリスクを考慮すると、施設立地による所得上昇が立地によるコストを長期的に上回ると結論づけることは難しい。