「お手頃な入れ歯:患者の医療費自己負担が

義歯利用と主観的咀嚼能力に与える影響」

Affordable False Teeth: The Effects of Patient Cost-sharing on Denture Utilization and Subjective Chewing Ability (with Reo Takaku), The B.E. Journal of Economic Policy & Analysis: Contributions, Volume 16, Issue 3, 1387–1438,2016 [Paper] [Draft] [WP] [スライド(旧版)]

背景:医療保険の自己負担が変化したときに患者行動や健康アウトカムがどのように変化するかという問いは、医療経済学の重要なテーマの一つであり、アメリカの有名なRAND実験やオレゴン実験など、ベンチマークとなる実験研究も存在する。一方で、これらの実験研究では高齢者の歯科治療は対象にしておらず、関連する観察研究や自然実験・疑似実験研究も少なく、研究蓄積が少ないのが現状である。

目的:日本の医療保険制度下において、医療費自己負担が変化したときに高齢者の歯科診療(義歯の作成および利用)がどのように変化し、それが高齢者の主観的咀嚼能力にどのような影響を与えるかを検証する。

方法:日本の医療保険において大部分の人の医療費自己負担が70歳を閾値として3割から1割に不連続に変化するという特性を有していたことを利用し、回帰不連続デザイン(regression discontinuity design: RDデザイン)を用いて医療費負担の高齢者の義歯使用に対する価格弾力性を推定する。すなわち、70歳の閾値における義歯利用率のジャンプの大きさを自己負担が3割から1割に引き下げられたことによる効果と見なし、そのジャンプの大きさを推定する。また、義歯使用だけでなく、主観的な咀嚼能力に対する影響についても同様の研究デザインで検証する。なお、分析にはJSTAR(くらしと健康の調査)の個票データを用いた。

結果:ベースラインとなる分析では、医療費自己負担が3割から1割になると義歯利用率が50%から63%へと増加するとの結果を得た。これは、自己負担率に対する義歯利用率のextensive margin elasticity (義歯利用の有無についての弾力性)が-0.41程度であることを示している。また、このような70歳での閾値を超えての義歯利用率は女性のみに観察されることも明らかとなった。一方、主観的な咀嚼能力については70歳の閾値において不連続的超な変化は観察されず、義歯利用率の上昇が主観的な咀嚼能力の向上には繋がっていないことが示唆された。

追加分析:本論文ではベースライン分析の頑健性をチェックするために、共変量の追加以外の様々な追加分析を行っている。第一に、70歳の閾値前後での患者の調整行動(70歳直前の義歯作成を避け、一割負担となるまで待つなど)を考慮し、閾値の直前直後の個票を使わないでRD分析を行う「ドーナッツRD」推定を行った。第二に、閾値前後のサンプルが比較的小規模であることを考慮し、Cattaneo et al.(2014 Journal of Causal Inference)が提案するrandomization testを実施した。第三に、randomization testをプラシボの閾値を用いて実施するplacebo randomization testも提案、実施した。そして第四にJSTARがパネルデータであることを活かした差の差法(difference-in-differences method)による追加分析を行った。いずれの結果も、ベースライン分析の結果を補強するものであった。

考察:本論文の結果は、70歳の閾値における自己負担率の低下による義歯利用の増加は、女性の審美的改善や発音改善などの咀嚼能力以外の便益を得るためのものであることを示唆している。このようなジェンダー特有の効果は、男女の口腔衛生に対する社会的・個人的選好を反映していると考えられ、さらなる検証が必要である。