Research

量子多体系の振る舞いに興味を持っています。特に、非平衡な量子多体系を理解することは、レーザーを用いた物性の実時間制御や大規模量子系を用いた量子情報処理のためには欠かせませんが、一般には非常に難しい問題です。しかし、近年の物性理論・統計力学の発展により、非平衡量子多体系のいくつかのクラスについては系統的な理解ができることが明らかになってきました。例として、

- 孤立量子系のユニタリな時間発展(クエンチ、熱化)

- 外場などにより時間周期的に駆動された量子系

- 外部環境との相互作用により散逸や測定を受ける開放量子系

などが挙げられます。さらに、これらの非平衡現象は実験的にも冷却原子気体などの制御性のよい量子多体系を用いて精力的に調べられています。

これらの理論的・実験的発展に刺激を受けながら、

- 強相関多体系

- トポロジカル相

などの物性理論のバックグラウンドを元に、非平衡状態における量子多体系で起こる新たな現象・物性を予言することを目標に研究を行っています。

これまでに次のような研究を行ってきました:

(文献番号は publication list と対応)


([2] Phys. Rev. Lett. 115, 165303 (2015) / [3] Phys. Rev. B 96, 155133 (2017) / [8] Phys. Rev. Lett. 121, 203001 (2018))

近藤効果は、金属中の電子が量子不純物との相互作用によって生み出す典型的な量子多体効果であり、強相関多体系の理解における雛形とも言える現象である。これまでに磁性不純物を含んだ金属・f 電子系化合物・量子ドットなどの系で観測されてきたが、近年冷却原子気体において近藤効果を実現しようという試みが理論・実験共に精力的に行われている。本研究では、特に Yb, Sr といったアルカリ土類型原子気体を用いた実現方法に着目し、これらの原子が持つ性質を利用することでレーザーを用いて近藤効果を光誘起・光制御できること [2]、一次元近藤格子系のトポロジカル相(SPT相)を実現できること [3] を示した。また、その後報告された冷却原子気体における近藤模型の実験的実現 [Riegger et al., PRL 120, 143601 (2018)] ではフェルミオンと不純物との間の非弾性散乱が観測されているが、その非弾性散乱を開放量子系として定式化することにより、この系の近藤効果は相互作用の係数が複素数で与えられる非エルミート近藤模型によって記述されることを示した [8]。この非エルミート近藤模型をくりこみ群と Bethe 仮設法を用いて解くことにより、エルミート系では(g-定理の存在により)現れ得ないくりこみ群フローと、非エルミート性によって誘起される量子相転移が起こることを示した。この結果は、非弾性散乱によるユニタリ性の破れがユニタリな多体系においては現れない量子多体効果を引き起こすことを明らかにした。


(日本物理学会誌「最近の研究から」に解説記事を執筆しました。)

([10] Phys. Rev. Lett. 123, 123601 (2019) / [12] Phys. Rev. Lett. 124, 147203 (2020) / [14] Phys. Rev. Lett. 126, 110404 (2021) / [16] Phys. Rev. Lett. 127, 055301 (2021) /  [19] arXiv:2103.13624 / [23] Phys. Rev. Lett. 130, 063001 (2023) )

Hubbard 模型は、相互作用する電子系を記述する基本的な模型であり、磁性・超伝導・金属絶縁体転移などの様々な現象の理解の基礎となっている。Hubbard 模型は冷却原子気体を用いて実験的に高精度で実現することが可能である。一方で、近年、非弾性散乱などの散逸を積極的に制御することにより、強相関・大自由度の量子多体系に対する散逸の効果を冷却原子系を用いて系統的に調べることが可能になった。本研究では、散逸下の Hubbard 模型を例に、開放系で起こる磁性・超流動などの量子多体現象の開拓を行った。まず、磁性の基礎であるスピン交換相互作用が2次摂動中の中間状態における散逸によって本質的に変更を受け、エネルギーの高いスピン状態が安定化するという平衡状態とは全く異なる磁性が発現することを示した [12]。さらに、Bethe 仮設法を非エルミート領域に拡張することにより、散逸下の一次元 Hubbard 模型を記述する量子マスター方程式の厳密解を導いた [14]。この厳密解の構成は量子マスター方程式の生成子であるリウビリアンの三角行列構造を利用したものであり、厳密に解ける開放量子多体系の新たなクラスを与えている。これらの研究で明らかとなった散逸による磁気相関の反転は、のちに京都大学高橋グループによって実験的に確かめられた [23]。超伝導・超流動については、散逸下の引力 Hubbard 模型を対象に、超伝導の基礎理論である BCS 理論を開放量子多体系へと拡張した [10, 16]。その結果、非エルミート性に起因した例外点による量子相転移 [10]や、散逸による集団モードの励起・Josephson 流における非平衡相転移 [16] などの興味深い現象を見出した。また、励起状態の原子から光が放出される自然放出を散逸として取り入れた Hubbard 模型においてηペアリングという超流動状態が安定化することを示し、その非平衡ペアリング機構を明らかにした [19]。


([22] arXiv:2205.07235 )

冷却原子気体においては、原子のスピンは 1/2 に制限される必要はないため、3成分以上の Hubbard 模型も実現が可能である。このような多成分 Hubbard 模型は、SU(N) の量子磁性や、QCD とも類似した多成分間の超流動ペアリングの舞台として注目されている。本研究では、このような N 成分の Hubbard 模型について、任意の空間次元における厳密な固有状態を構成した [22]。これは2成分の場合のηペアリング状態の一般化であるが、興味深いことに SU(N) の量子磁性と超流動の非対角長距離秩序が共存する振る舞いを示す。さらに、こうして構成された厳密な固有状態は、孤立量子系の熱平衡化の十分条件である固有状態熱化仮説を破る量子多体傷跡状態とみなすことができる。この結果は、3成分以上の Hubbard 模型においてエルゴード性が弱く破れていることを示している。さらに、多成分 Hubbard 模型に非弾性散乱などの散逸を加えることにより、このようなエルゴード性の破れに起因した熱平衡化しないダイナミクスが実験的に観測できることを示した。


([15] Phys. Rev. Lett. 127, 070402 (2021) / [20] arXiv:2111.07771  / [21] Phys. Rev. B 105, 205125 (2022) / [24] arXiv:2206.02984 / [26] Phys. Rev. Research 5, 043225 (2023) / [28] Phys. Rev. A 108, 013306 (2023) / [31] arXiv:2404.14067 / [32] arXiv:2406.08868 )

冷却原子系などの実験技術の発展により、散逸の存在する開放量子多体系を実験的に制御可能な形で調べることができるようになった。このような開放量子系の時間発展は非ユニタリとなるため、その生成子である非エルミートな演算子の性質が重要となる。我々は、このような非ユニタリ・非エルミートな演算子が中心的な役割を担う多体物理の新たな枠組みを開拓することを目指している。例として、非弾性散乱による散逸下の2成分冷却原子系で実現する非エルミート一次元 XXZ 模型の厳密解を Bethe 仮設法を用いて導き、場の理論による解析や DMRG による数値計算と比較することでこの系の量子臨界現象が複素朝永-Luttinger パラメータを持つ c = 1 共形場理論の複素拡張によって記述されることを示した [21]。また、定常状態が系の端に局在する表皮効果が起こる系において、量子マスター方程式の生成子であるリウビリアンの非エルミート性に起因してリウビリアンのスペクトルギャップだけでは決まらない異常な緩和が起こることを示した [15]。さらに、リウビリアンの固有値問題を非エルミートな多体問題と対応させることにより、量子多体系のデコヒーレンス過程を記述する準粒子の存在を見出した [26]。これは散逸項が密度行列のケット自由度とブラ自由度の間の(非エルミートな)相互作用項として働くことに起因した束縛状態であるが、Bethe 仮設による厳密解からそのような束縛状態の存在と束縛・非束縛転移を厳密に示した。


([17] Phys. Rev. Research 4, 033250 (2022) / [25] Phys. Rev. Lett. 131, 216001 (2023) / [29] Phys. Rev. Lett. 132, 176601 (2024) )

Yang-Lee zero とは、ハミルトニアンのパラメータを複素数に拡張した際に現れる分配関数の零点であり、相転移に伴う自由エネルギーの解析性の破れを数学的に特徴づける概念である。このように分配関数を複素関数として解析接続した際にはハミルトニアンは必然的に非エルミートとなるため、平衡相転移の Yang-Lee zero は開放量子系の非エルミート物理と密接な関連をもつことが期待される。このような観点から、開放量子系の研究で培われた考え方を用いて Yang-Lee zero をより深く理解することを目指している。これまでに、1次元古典 Ising 模型を量子古典対応を用いて (0+1) 次元量子スピン系にマップすることにより、Ising 模型の Yang-Lee zero に伴う非ユニタリ臨界現象である Yang-Lee edge singularity が開放量子系において観測可能であることを示した [17]。この理論提案に基づいた実験グループとの共同研究によって、ロスのある単一光子の非ユニタリ時間発展を用いて Yang-Lee edge singularity の直接観測に成功した [29]。また、開放量子系の研究で構成した非エルミート BCS 理論 [10] を Yang-Lee zero の観点から再検討し、非エルミート BCS 模型の量子相転移点が BCS 模型の相互作用係数の複素平面における Yang-Lee zero にほかならないことを示した [25]。加えて、BCS 模型における Yang-Lee edge singularity に対応する非ユニタリ量子臨界現象も見出した。Ising 模型における Lee-Yang 円定理とは対照的に、BCS 模型においては Yang-Lee zero は半円上に分布する。くりこみ群による解析から、このような Yang-Lee zero の分布は普遍的であることが期待される。


([27] arXiv:2303.08326 / [30] arXiv:2403.08406 )

測定結果に応じた操作を表すフィードバック制御は物理系の基本的な制御手法の一つであり、系の安定化や状態準備などの広範な応用をもつのみならず、Maxwell のデーモンの思考実験に端を発する情報処理を用いた熱機関の研究(情報熱力学)という基礎的な観点からも重要な対象である。本研究では、古典系における Maxwell デーモンの実験 [Toyabe et al., Nat. Phys. 6, 988 (2010)] の設定を量子系に拡張し、量子ゆらぎを測定とフィードバックで整流し粒子を輸送する Maxwell デーモンのモデルを構成した [27]。さらに、量子フィードバック制御を記述する量子チャンネルにトポロジーによる特徴づけを導入することで、フィードバック制御によって実現される非平衡トポロジカル相の新たなクラスを提案し、それを記述する一般的な枠組みを構築した [30]。そのような非平衡トポロジカル相の例として、フィードバック制御によってカイラル・ヘリカルな量子輸送を引き起こすトポロジカル Maxwell デーモンを構成した。


([1] Phys. Rev. A 89, 013627 (2014) / [5] Phys. Rev. B 96, 115120 (2017) / [7] Phys. Rev. Lett. 121, 093001 (2018) / [9] Phys. Rev. Lett. 123, 066403 (2019) / [11] Phys. Rev. B 101, 075108 (2020))

非平衡オンライン若手の会で行ったレビュートークで使用したスライド

ハミルトニアンが時間に関して周期的な依存性を持つ系には、離散的な時間並進対称性が存在するという大きな特徴があり、その数学的表現として Floquet の定理と呼ばれる Bloch の定理の「時間版」が成立する。その結果、理論的に取り扱いやすくなるのみに留まらず、非平衡現象としても様々な興味深い性質が現れる。冷却原子系における非平衡現象や、レーザーに照射された固体電子系などを念頭に置き、いくつかの結果を得た。特に、自由フェルミオンの Floquet 系における時間発展演算子をトポロジカルに分類し、静的な格子系ではトポロジカルな制限により通常は実現できないバンド構造が Floquet 系のエネルギーバンドでは広く実現できることを示した [9]。例として、3次元格子系において Nielsen-Ninomiya 定理によって禁止されている単一の Weyl フェルミオンが、Floquet 系においては実現可能であることを示した。さらに、これらを含む様々なクラスの Floquet トポロジカル相について、断熱・非断熱幾何学的位相を用いた特徴づけを与え、「原子極限に断熱接続できない」という通常のトポロジカル絶縁体の性質が時空間に依存した波動関数である Floquet 状態に対しどのように拡張されるかを議論した [11]。


([4] Phys. Rev. B 95, 165116 (2017) / [6] Phys. Rev. B 98, 115147 (2018))

トポロジカルポンプ(Thoulessポンプ)は、断熱ダイナミクス中におけるポンプ量がトポロジカルな理由により量子化されるという、量子 Hall 効果の動的対応物とでも見なせる現象である。冷却原子系でトポロジカルポンプが実験的に実現された [Nakajima et al., Nat. Phys. 12, 296 (2016) / Lohse et al., ibid. 12, 350 (2016)] ことを受けて、トポロジカルポンプにおける相互作用の効果について、次の2つの観点から調べた。[4]では、Laughlin の flux insertion argument とトポロジカルポンプの類似性に着目することで、分数量子 Hall 効果・ボソンの整数量子 Hall 効果といった相互作用系の量子 Hall 効果に対応する、自由フェルミオンでは実現できないトポロジカルポンプの系統的な構成法を与えた。また、[6] では、自由フェルミオン系の Thouless ポンプの相互作用に対する安定性について調べ、トポロジカルポンプは相互作用が弱い領域では安定だという通常よく使われる議論とは対照的に、強相関領域では対称性による制限からトポロジカルポンプが必ず破綻する場合があることを示した。このことは、相互作用の増大と共にフェルミオン SPT 相がボソン SPT 相にクロスオーバーする結果として理解できる。[6] の理論予言は、その後 Esslinger グループによって実験的に検証された [A. Walter et al., Nat. Phys. 19, 1471 (2023)]。