研究環境

今の研究室は若いPI(研究室長)、研究員の私がいて、流動はあるが十人弱の学生がい る。一週間に一回以上個人ミーティング、一週間に一回の研究室全体ミーティング、それに加え、私がリクエストしたこともありジャーナルクラブが導入された。だいたい全て一時間で終わるようになっている。研究室の予定はGoogleカレンダーで共有され、Slackで連絡をとっている。もちろん電子メールも使う。驚いたのは、教員も大学も構成員をよく「ほめる」ことである。論文が出るとPIがシャンパンを買ってきてミーティングで開ける。大学では、誰かが研究成果をあげたり、奨学金をとったり、研究費を取ったりすると、すぐに大学広報で報道する。こういう環境にいると学生や研究者は、尊重されている、応援されていると感じて、張り切って研究や勉強に勤しむことができるのではなかろうか。


また、共同研究が盛んである。研究者たちは実際に動いているプロジェクトの数倍の共同研究の「種」を持っていて、じっくりと育てているようだ。人材が流動的で多様であるため、それぞれの構成員の「以前の所属の知り合い」などを寄せ集めると、国内外を問わずかなりの人材の宝庫となる。これは日本で学位をとってきてよかったと思う点でもある。以前のネットワークを今の場につなげることができているためだ。学内でも、最近リノベーションされたフロアに移ったため、実験室の機器類の貸し借りがしやすくなった。大学側も、研究費獲得に惜しくも敗れた研究室長に仮想的なコインを配布し、コインを持っている人同士でコンタクトを取って三人以上の研究グループを作ると、そこに研究費を投入するなどという面白い取り組みをしていた。


ところで米国の研究費は、日本と比べると「巨額だが、競争率が高い」という印象である。日本のように決まった締切がなく年に何度も受け付けており、また評価を受け取ったあとで研究申請書を書き換え、新しい結果を付け加えて再提出することもできる。長い戦いである。研究費によって大学院生を含む研究室構成員たちの給与が払われているわけなので、研究費が取れないと沢山の人の生活に影響するわけだ。


今の大学だと、ポスドク(任期付きの、おおよそ一番えらくない博士号を持つ研究員)は研究費に応募できないので、その都度大学と交渉が必要。また、外国人だと応募できない研究費がとても多い。あるいは博士号取得後何年以内という縛りがあったり、研究室を変更しないといけないなどという条件があったりもする。そんなわけだが、出せそうなものになんとか応募し続けているところである。あまりにも倍率が低いものや、例外的に高い業績がないと通らないものも多く、「通りそうか」と「書く手間」をよく考えて出すか出さないと決めないといけないわけである。