4. 川沿いで男は針金を編む

いよいよ最終日である。この日は講義途中での昼食を,蘇州大学の秘書の勤文さんを含むグループでとることができた。彼女はこのワークショップの事務的な手続きを取り仕切ってくれていたが,恐らく私と同じくらいの年回りの,若い女性であった。有能な方なのだろうが,喋ったところでは大変陽気で気さくな人で,カラオケが好きだとか,日本のアイドルグループの嵐が好きなのだとか,いろいろと楽しげに話してくれた。また,中国は国土が広大なためか方言の分化がはなはだしい。そこで北京出身者である彼女と,場に居合わせた上海出身者が,同じ言葉をちがう発音で表す方言をそれぞれ実演つきで教えてくれた。

ところで勤文さんしばしば英語の「彼」と「彼女」を混同していたのだが,後で調べたところによると,中国語では「彼」と「彼女」の発音が同じ「ター」という音で表されるらしい。つまり,彼女が発音するとき,対象となる「その人」が男性か女性かを区別する習慣をもっていないのかもしれない。今やさまざまな母語を持つ人が英語を話すようになっているが,母語を習得するときに形作られた思考体系・価値観が,外国語を話すときに表出するようで,興味深いものがある。

昼は蘇州大学の二人の男子学生に構内を案内してもらった。かれらはあまり英語が得意ではない様だったが,英語と漢字交じりの筆談でコミュニケーションをとることができた。「科学」という語が日本語でも中国語でも共通の語であることがわかり,かれらが非常に喜んでいるさまが伝わってきた。

それにしても,外見では中国人とアジア系外国人の区別がつかないためか,空港でも店でも大学でも中国語で話しかけられるのには時折困ってしまった。首からカメラをぶら下げていても,言葉が全く分からずにぼんやりしていても,当たり前のように中国語で話しかけられ続ける。

そして,中国ではしばしば英語が通じなかった。

何故だろう。学校では習ったが,話し慣れていないのだろうか。さて,一方で日本ではどれほど英語が通じるのだろうか,と,それからずっと気になっている。

その日の夜は地下鉄に乗り「タイムズ・スクウェア」と呼ばれるショッピングモールへと観光に出かけた。地下鉄は新しいのか,日本の一般的な車両や駅より小ぎれいで,銀色や白を基調とした近未来的なデザインであった。

タイムズ・スクウェアは色とりどりのネオンで彩られた華やかな広場だった。店の名前には,漢字だけでなく英語や平仮名も散見された。「優の良品」という店があったので目をひかれたが,クミいわく中国では,「之」などと表記されるべきところに日本語の「の」をつけるのが洒落ているのだそうだ。そういえばこちらの地下鉄の駅に,bye2というユニットのポスターが貼られていたのだが,後で調べたところによると,彼女たちは台湾で結成された,MikoとYumiという双子の姉妹のアイドルユニットのようだった。台湾では日本風の人名を名乗るのが洒落ていて,流行っているようだ。

一向は次々と目についた店に入って回った。まずは,ゲームセンター。店内は広く賑やかで,様々なゲーム機が置かれていた。ヒロコさんはワニを叩くのに熱中していた。工作スペースもあり,そこでは母親と男の子が,紙粘土で作られたと思しき人形に絵の具で色を塗っていた。父が子供のころにそういった紙粘土の型を売る行商人がいたことを思い出し,懐かしいような気持になった。

それから装飾品や衣料品を見た。アロンゾは日本で待つ妻のためにと,スカーフを買い求めた。サヤカは衣料品店をくるくると歩き回った。レースやフリルで装飾された,パステル・カラーのひらひらした洋服は,可憐なサヤカによく似合う。

ひとしきり都会のにぎやかさを楽しむと,我々は大学方面へと戻り,そして古都の情緒溢れる川沿いを歩くことにした。

ああ,これこそ私が求めていた中国である!

川沿いには暗闇の中に明かりがともり,漢字の書かれた旗を垂らした,雑貨や饅頭を売る店が並び,そこここに木製の机と椅子が設置されていた。テーブルの上にビニールのシートを敷き,チェスをする女性がいた。その隣では真剣な表情の男性が,針金細工で自転車を作っていた。人々は川辺で煙草を吸い,夏の夜を楽しんでいた。

クミが,並んでいる店の一つで足を止めた。彼女はそこで,大好きなのだという菓子を買い,一口食べさせてくれた。豆腐花というその食べ物は,温かい豆腐に甘いシロップが掛けられたようなもので,やさしい味わいだった。

そうこうしていると,向こうから歩いてくるS教授に出くわした。金色のシャツがよく似あっている。かれはホストの中国人研究者や,他の日本人・韓国人の講師陣と宴会をした後だという。S教授と我々は,教授たちが宿泊しているホテルへ戻り,ラウンジのバーでアルコールを飲むことになった。バーの内装は豪華で,眩いほどに金色の装飾がなされていた。S教授は深々とソファに腰掛け,グラスを傾けながら,打ち解けた様子で様々な話をしてくださった。

「私はadmixtureが好きなんですよ。みなさんどんどん国際結婚をしてください。」

かれは一行を見まわしながら上機嫌で仰った。そこには我々受講者で日本グループのマレーシア人,中国人,キューバ人,日本人,そして,ウェイトレスのインドネシア人がいたのである。

翌朝早く,私は空港行きのバスに乗るため,メンバーに別れを告げると宿舎を出た。教授陣が宿泊しているホテルへと向かう。道中では行商と思しき女性が荷物を運んでいた。彼女の姿を眺めながら,私はこの大地が古来もつ,「人の力強さ」というものを改めて感じた。

ホテルにつくと,秘書の勤文さんがいた。彼女と私は事務上の話をしたが,それから彼女はコーヒー・ブレイクの際に配られていたお菓子の残りを私にくれた。手配してくれたバスはもう,すぐに出るのだという。同じく空港に向かう韓国グループが外で待機していた。

「いろいろありがとう。また今度。」

私は一礼して去りかけた。けれど,彼女が日本の文化やカラオケが好きだと話してくれたことを思い出し,暫し考えてから足を止めた。

「今度,一緒にカラオケに行きましょう!」

振り返ると私は彼女にそう言い,そして,手を振った。勤文さんは笑顔を見せ,手を振りかえしてくれた。