3. 水の都の大学

この日も晴天のはずであったが,蘇州の上には相変わらず白い空が広がっていた。

身支度をし,一行は初日に渡された案内に従い,隣の建物の食堂へと向かった。赤や青で装飾された鮮やかな内装である。学生向けの食堂だろうか。と思いきや,奥の個室へと案内された。ドアに掛けられたプレートを読んだところ,部屋にはそれぞれ四季にちなんだ名がついているようだ。部屋の丸い大テーブルにはすでに食事が用意されており,いいにおいが漂っていた。のみならず,大学の食堂とは思えない,ゴブラン織りのような豪華な椅子にも思わず目を見張ってしまった。教員用の食堂なのだという。

白いテーブルの上には,透明なガラスのテーブルがもう一枚載っており,その上に種々の料理が並んでいる。我々はテーブルを取り囲むように座ると,硝子のテーブルをぐるぐる回し,各々で肉まん,ザーサイ,おかゆ,ゴマ団子,ゆで卵といった食べ物をとっていった。食事はどれも本当においしかったが,とりわけ油条という細長い揚げパンが,この上なくおいしかった。手をべたべたにさせながら折ってかじると,サクッとした歯ごたえであり,塩と油と,小麦のほのかに甘い味を楽しむことができる。この名を教えてくれたのは日本に留学中の中国人のハオであり,条とは「まっすぐな」という意味をもつとのこと。日本の京都の地名も同じ意味をもつのだろう。ハオは我々に,ここ蘇州で見られる漢字がどれくらいわかるか,と逆に聞いてきた。

街中や大学構内の看板には,見慣れた漢字も確かにあった。しかし,ハオが言うには,中国では多くの漢字を”シンプルにして”使うのだそうである。所謂簡体字というやつだろうか。たとえば「原」は「厂」のように簡略化されるようだ。シンプルすぎてわからないこともあるね,と,クミと私は顔を見合わせて笑った。

レクチャーは宿舎に隣接した建物で行われた。日本の講義室に似た内装である。小ぢんまりした教室に,細いデスクが並べられている。外は暑かったが,室内は冷房が効いており,ペットボトルの水が配布された。男子学生の服装はシャツにハーフパンツやジーンズが主だったが,女子学生はカジュアルなシャツにショートパンツだったり,洒落たワンピースだったりとさまざまである。講義内容については,ここに詳細を書くことはできないが,多彩な分野の研究者がそれぞれ興味深い講義をしてくださった。学生たちはノートを広げ,あるいはノートパソコンを用いてメモを取っていた。質疑も活発であり,とくに現地の学生の熱心な様子は大いに刺激になった。

昼どきになると,我々は朝食をとった豪華なレストランで再び食事を振舞っていただいた。蘇州大学のShen先生によると,ここは教員用の食堂であり,隣接した食堂が学生用だとのことだ。

昼食も相変わらずたくさんの種類の料理が出てくる。魚の煮つけ,いくつかの野菜料理,豚と冬瓜のスープ,白米,豆料理,肉料理,卵のスープなどである。

「彼女はなんにでも挑戦しているわね。いいことだわ。」

女性教員であるXie博士が,私を見てうれしそうに仰った。ホスト側としては,私たちの箸の進み具合が気になることなのだろう。

「初めて中国に来たので,ここにあるすべてのものを試したいのです。」

私はにっこりと笑いながら答えた。

「素晴らしいこと! 楽しんでいってね。」

中国を何度も訪れており,歴史に造詣の深いS博士はホストの先生方と共に中国談議に花を咲かせていらした。中華系の移民は日本や米国,東南アジアなど様々な地に住んでいるが,キューバからの留学生であるアロンゾ曰く,キューバにも中華系移民がたくさん住んでいるとのことである。現地流のもてなしなのだろう,ホストのShen博士はにこにこしながら強いお酒をS博士にすすめ,講義を控えたS博士は気圧されながらも,最後には根負けしてグラスを傾けていた。

その後,我々はキャンパス内で集合写真を撮り,ホストの先生方や学生たちに博物館を案内していただいた。これが非常に立派な博物館だった。中国らしく,文化的なものに重きが置かれているようで,まず大学の成り立ちが説明されると共に,創設者や教育発展に貢献した学者たちの肖像が恭しく飾られていた。古い書や画,工芸品も数多く展示されており,更に国内外の提携大学から友愛のしるしに贈られたというメダルや日本人形,壺なども展示されていた。

大学内の様子。広々とした閑静な様子がうかがえるだろうか。構内も水の都である。

バスケットボールに興じる学生たち。

午後の講義の合間にはコーヒー・ブレイクがあったが,休憩時にトマトとバナナがふるまわれたのは初めてで驚いた。他にも,パンダが描かれた包装紙で小分けされた,チョコレート菓子やウェハース,ソフトクッキーのような焼き菓子もたくさん用意されていた。これらは蘇州大学の学生たちが選んでくれたとのことだ。トマトやバナナ,菓子をつまみながら,我々は互いの研究関心や出身地について歓談した。とりわけひとりの若い中国人研究者は,サルの社会の階層構造について研究しているとのことで,霊長類学に関心をもつ私は興味をそそられた。

夜は地元のレストランで食事を楽しめるとのことで,蘇州大学の教員や秘書,学生たちが先頭に立って案内してくれた。ここに来てからの食事は本当においしく,種類も多いので,毎度心底楽しみであった。大学を出ると蘇州の街は非常ににぎやかで,自動車や原動機付き自転車が途切れることなく走り回っていた。街にやたらと「酒家」の看板があるので,そんなにも酒屋が多いのはなぜだろうと訝しんでいたが,酒家とはこちらでは食堂を意味するとのことだった。街には食堂のほか,雑貨屋や衣類屋,茶を売る店などが立ち並び,にぎわっていた。大きなショーウィンドウに豪華な色とりどりのケーキが並ぶ菓子屋があり,韓国グループの女子学生たちと我々は指差してはしゃいだ。

レストランでの食事は相変わらず豪華だった。内装についても,漢字をデザインに取り入れた壁の装飾や,獅子をあしらった閂が中国らしさを感じさせた。20皿ほどの料理があっただろうか。大鍋の煮込み料理を中心に,えび,野菜,卵料理,フルーツ,麺,肉料理がそれぞれ何種類もふるまわれていた。なぜか,飲み物は2Lペットボトルのコカ・コーラである。料理は皆おいしかったが,ひとつ驚いてしまったのは,どう見ても生肉にしか見えない赤紫色の塊を食べてみたら,それはゴマ団子に似た味の甘い餅であった。

この時は,受講者でもあるひとりの中国人の女子学生が我々の案内を取り仕切ってくれていた。彼女ははきはきした性格で,受講者や日本人講師陣ともよく言葉を交わしていた。色白の小作りな顔に,細長い手足。レースや刺繍の飾りがついたワンピースを着て,きらきら光る耳飾りをつけている。育ちのよいお嬢さんなのだろう。探偵小説が好きで,東野圭吾が好きなのだという。

食事を終えた我々は中国人学生たちにガイドしてもらいながら夜の街へと繰り出した。レストラン,衣類を売る店,雑貨屋,駄菓子屋や茶屋が並んでいる。中国のお茶を土産に買いたいという声が受講者人から上がったが,現地の女子学生に,

「本当にいいお茶はとんでもなく高いのよ!」

と,牽制されてしまった。

菓子屋と寿司屋。

裏路地には小さな土産物屋が軒を連ねていた。ポストカードや雑貨,衣服が売られている。日本の女優のカードもあった。私は蘇州の美しい運河や町並みのポストカードを手に取った。店主の中年女性が身振りで価格を示す。それを見た蘇州大学の男子学生がにんまりと笑い,

「いやいや,それはほんとの値段じゃないよ。」

と,慣れた様子でポストカードを値切ってくれた。

その後我々日本グループだけで,町を散策することとなった。街の明かりをキラキラと反射した黒い河にかかる石造りの橋。水辺の夜景は余りにも美しかった。港があるのか,船がいくつも停泊している。我々は広場のようなところで,子供に写真を撮ってもらった。イヌが彼女に付きまとっていた。よく懐いた飼い犬なのだろう。なお歩いていくと,屋台がたくさん立ち並んだ場所に出た。人がたくさんおり,相変わらず蒸し暑い。ランニングシャツにショートパンツを履いた人がくつろぎながら,所々で何か食べながらおしゃべりをしている。ヒロコとオーウェンは屋台でアイスクリームを買い求めていた。

屋台に集まる人々。

さて,宿舎への帰り道である。ところが,すぐそこに見えている歩道橋を渡りたかったのだが,道路が入り組んでいるせいでなかなかそこに辿り着くことができず,オーウェンの判断で,7人まとまって車道を突っ切ることとなった。蘇州の交通量は尋常ではなく,実にスリリングな体験であった。

真夜中の蘇州大学の広大な敷地は真っ暗な闇に沈んでいたが,大勢の学生たちが息づいている気配が感じられた。共用浴場付近を通ると,ボイラーの音が響いていた。何人かの女子学生がタオルを出てきたところに遭遇した。学内の店は夜中だというのに開店していて,学用品・食料品からシャンプーなどの日用雑貨までが売られていた。敷地内には巨大な学生寮があり,一つ一つの狭い部屋の窓が,暑さを少しでも和らげようとしてか,開け放されていた。中に,所狭しと並べられた二段ベッドが見えた。後で聞いたところによると学生寮は一部屋八人とのことである。こんな時間になっても図書館の明かりがつき,勉強している学生の姿が見えるのは,寮の部屋が少々過密状態だからかもしれない。一人っ子としてのびのびと育ってきた学生たちもいるだろう。かれらは突然8人部屋で暮らすこととなり,戸惑うこともあるのではないかと想像された。