1.いざ,大地の国へ

蘇州の空はいつも白く,つかみどころのない様相で,どこまでもべったりと広がっていた。街は昼も夜も活気に満ちた人々であふれかえり,二輪自動車の排気音が絶えることはなかった。「天に極楽あり,地に杭蘇あり」なる古の言葉が示すとおり,中国の杭州と蘇州は地上の楽園とうたわれたという。蘇州はまた東洋のヴェニスとも称される,美しい水の都であった。

初夏のことだった。私はとある国際講習会に参加するため成田を発った。向かうは中国,上海に隣接する歴史都市,蘇州である。講習会は日本,中国,韓国からそれぞれ5名程度のベテラン研究者と,10名程度の学生や若手研究者が蘇州大学に集い,ベテラン研究者たちが若手に対し,まる二日間の講義をするというものだ。日程は三泊四日で組まれており,中日に当たる二日間に英語による講義が行われる。

早朝の成田空港は人影もまばらで,どこか近未来的な風格を漂わせていた。両替所には,旅行に行くらしい母娘や,中国に里帰りをするらしい中国人と日本人の合わさった大家族の姿が見えた。航空券は各自で用意する必要があったので,今回初めて,インターネット予約によるe-(電子)チケットというものを使ってみた。e-チケットでは,チケットの実体がなく,オンラインで予約を済ませ,チェックイン時に予約画面を印刷したものを空港スタッフに見せることで,その情報とコンピューターに登録された予約情報と照合され,航空機を使うことが出来る。印刷した予約画面を紛失してしまっても,予約情報を照会することが出来るので,荷物の盗難や紛失など万一のことがあっても安心とのことだ。

エア・チャイナの航空機に乗り込むと,割り当てられた席は三人掛けの座席の真ん中だった。左側に座っているのは,ヨーロッパ系の,恰幅のよい紳士である。かれは小型のコンピューターを広げて,画面に映し出された英文を読んでいた。ちらりと画面を覗いてみると,セリフがたくさんあるので,小説のようである。”Planet” という単語が見えたので,SFかもしれない。対して右側の東洋人紳士は,ワインの楽しみ方に関する気軽な日本語の新書を読んでいた。私は文庫本を読んだり,考え事をしたりして過ごしていた。

暫くすると,フライト・アテンダントが食事の希望を聞きに来た。彼女たちはきりりとした制服を纏い,赤い口紅に濃いアイライン,茶や水色のラメが効いたアイシャドウ,と,はっきりとした艶やかな化粧を施している。「牛肉と米」か,「魚と麺」を選べといわれ,中国風のラーメンが食べられることを期待して後者を選んでみた。が,焼きそばが出てきた。よく考えたら,ラーメンのように水気の多いものは揺れる機内での運搬が難しいのだろう。やや塩気が強いが,なかなかおいしかった。

手洗いに立つ折,後ろの方の座席を横目に眺めていると,乗客の大柄な西洋人男性が,ほっそりとした黒髪のフライト・アテンダントに話しかけていた。ファーストネームを聞き出そうとしているらしい。

「かわいい名前だね。じつは私の妻は中国人なんだよ。」

乗客がにっこりとほほ笑み,フライト・アテンダントの手に触れる。何ともまあ,調子のいいことだ。

数時間のフライトののち,上海に到着した。空港内は英語と中国語が主だが, ”出口” など日本語と中国語で共通する表記もあり,なかなか興味深い。勿論よく分からない漢字の方が圧倒的に多く,どうせなら中国語を少し勉強してくればこの旅を一層楽しめたと思う。

入国審査でこわばった表情の写真を撮られたのち,国際線専用ゲートを通過する。ゲートの外では搭乗客を迎えに来た人たちが大勢,それぞれに,人名の書かれた目印の札をもって押し寄せていた。欧米の人名らしい “ドクター・ナントカ” さんを探しているものや,中国人らしい何々先生を探しているもの,日本の企業の役員らしきしき人を探しているものなど,まちまちである。家族や友人を探しているのであろうか,何の肩書もつけられていない名前もたくさんあった。乗客の中に一人,いやに堂々とした,非常に優雅な所作の東洋人女性がいた。30代であろうか,彼女はグレイの高級そうなドレスを身にまとい,たっぷりとした艶やかな黒髪を靡かせていた。女優かなにか,容姿や動作を武器にする職業ではなかろうか。サングラスを身に着けてはいたが,きっと美しいのだろうと想像させるような,女王のような立ち居振る舞いであった。

講習会のホストは蘇州大学のグループであった。蘇州大学の秘書さん数名が行程のコーディネイトをしてくれており,我々日本グループを空港まで迎えに来てくれることになっていた。待ち合わせまでにはまだ大分時間があったので,空港をうろついて過ごした。空港内は清潔で,手入れが行き届いており,数々の店が軒を連ねていた。絹や茶,パンダのぬいぐるみを売る土産物屋に免税店,カフェ。高級店らしき立派な店構えの中華料理店もみられた。レストランから少し離れたところには厨房があり,まるで十代のようにさえ見える若い従業員たちが,食物を運搬していた。厨房のすぐそばには従業員の居室があり,開け放されたドアの内側では十人程度の従業員たちが,丸いテーブルを囲んで休んでいた。すぐにでも本場の中華料理を食べてみたかったが,先ほど食事をとったばかりなので叶わず,コンビニエンス・ストアのようなショップに入って飲料水を買うことにした。

(左)小ぎれいな空港の様子。

店内には飲料や菓子,軽食類が並んでいた。飲料コーナーの棚を見てみると,日本のものと同じようなペットボトル入りの水が20元で売られている。しかし,その隣にある緑茶は5元である。1元は16円程度のこと,空港の中の店であることも相俟ってか,水が割高なようだ。では緑茶にしようかと緑茶のボトルを手に取ってよく見てみると,黄色いハチのイラストが描かれている。これはもしや……蜂蜜入りのお茶だ。先年アメリカに行ったとき,同行した中国系の物理学徒が,蜂蜜の入った甘い緑茶の話をしていたことを思い出した。蜂蜜入りの緑茶の味……想像もつかない。そしてそれを500ml飲みおおせることが出来るだろうか? しかしここで挑戦しなければ,いったい何のために中国に来たのかわからない! ……といったことを数分考えたのち,私は緑茶入りのペットボトルを取ってレジへと向かった。

レジの表示を見て支払いをすると,若い女性店員は何事かを話しかけてきた。当たり前のように中国語で,である。情けないことながら,一言もわからず,まごまごしていると,”一元ありますか”という流暢な日本語に切り替えてくれた。釣り銭が足りなくなりやすいのだろう。だがまだ日本円と交換したての紙幣しか持っておらず,咄嗟のことで,私はなぜか反射的に英語で ”すみません,ありません” と答えてしまった。後で見ると,銀色の一元硬貨は日本の百円玉によく似ていた。

待ち合わせ場所となっていた第一ターミナルでは,若い女性が数名集まり,英語の書かれたプレートを掲げていた。講習会のホスト達に違いない。取りまとめ役らしきそのうちの一人に話しかけてみると,事前に何度かメールでやり取りをしていた,蘇州大学の秘書の勤文さんであった。かっちりとした字面のお名前を見て,男性か女性かはかりかねていたのであったが,果たして若い女性であった。長い髪をやや明るく染めており,人懐っこそうな笑顔を見せている。英語も堪能で,親しみやすい態度で私を迎えてくれた。彼女に案内され,少し離れたところのベンチへ向かうと,日本グループのメンバーが何人か固まっていた。中に一人,見覚えのある研究者の姿があった。進化学の大御所であるS博士だ。かれは,女子学生たちに取り囲まれ,その豊かな造詣で以て中国の地理や歴史について語っていた。

「折角だから,観光を楽しむといいですよ……おや,君たちは講義を聞かなきゃいけないから,遊びに行くわけにはいかないね。」

S博士は,そう仰ると不敵な笑い声を立てた。日本からの学生は女子学生が私を含めて四人,男子学生が三人の計七人で構成されていた。学生たちはみな全国各地の大学に所属している大学院生や学部生で,女子学生は私の他, ”数えきれないほど中国を旅した” という飄々とした博士課程院生のヒロコさん,闊達な修士課程院生のクミ,そして可愛らしい学部生のサヤカと,みな日本人だった。しかし男子学生は全て,それぞれ中国,キューバ,マレーシア出身で,日本で研究生活を送っている留学生だった。したがって我々日本グループの構成蓮で非国際色豊かで刺激的なものとなり,特に中国出身のハオと中国系マレーシア人のオーウェンは中国語を解するため,今回の度で私たちを大いに助けてくれた。キューバ出身のアロンゾは大変陽気な性格で,グループのムードメーカーになった。だが,偶然かもしれないが,少なくともこの年に限っては日本人の男子学生がひとりもアプライしなかったのを,すこし寂しく感じる。

小ぎれいな空港の様子。