11. 三月十五日,十六日 Bye for now.

飛ぶような日々が過ぎ,ホームシックにかかる暇もなく,ついに帰国の日がやってきた。土産物で膨らんだスーツケースをガラガラと引きながら,一行はホテルでのチェックアウトを済ませる。甘い芳香を放つ,ホテル備え付けのボディクリームを,私は思い出にとそっと持ち帰ることにした。ホテルからコロンバス・サークル駅へと向かう途中の道には,滞在中の行き来で段々と見慣れてきた様々な店,建造物があった。ホテルの隣のブラジル風教会では,古着や古本のバザーが行われていた。いつだったかレナと二人でこの教会の前を通ると,一人の大柄な女性が,突如美しいソプラノで歌を歌い始めたことがあった。また,料理教室の広い部屋では,しばしばエプロン姿の若い男女が洒落た料理を作っているのが,ガラス張りの窓越しに見えた。その隣には食器店があった。ペット用品やレストラン,青果店にファーマシイも並ぶ。もちろん,屋台もそこここに建っている。時折,観光用だろうか,鮮やかな布で飾り立てた馬車が通っていた。

地下鉄で空港に向かう。空港へと接続する駅からは,ハクチョウが泳ぐ川が見えた。道中,雑談をする中で,荒川と鵜川の出身地が非常に近いことが今更わかり,そんなことも知らずに今まで外国で共に旅をしていたのだ,と,一行は笑った。やがて空港へと到着し,航空券を発行する。パスポートを機械に挿入し,予め五所さんが手配して下さった予約情報を入力すると,すぐに航空券を手に入れることができた。その時である。

「スミマセン。」

と,大柄な西欧系の男性が,片言の日本語で話しかけてきた。彼は機械の使い方について尋ねており,その場にいた谷口と私は,拙いものの,恐らくは渡米前よりはごく自然に,躊躇うことなく英語で返事をした。つまりは,パスポートの顔写真が貼られた面を機械に読ませるのだということを。その後手荷物検査場では生まれて初めてMiss.”などと呼びかけられ,揚句,ランダムな抽出検査の対象に選ばれたらしく,アフリカ系のグラマーな女性従業員に全身を撫でまわされて気恥ずかしい思いをした。

機内の座席は窓側だった。三人掛けで,隣にレナ,その隣に五所女史である。半日のフライトの間,レナは本を読み,或いは眠り,五所女史はこれまでの昼食やディナー代のうち,一人一人の支払い分を計算していた。というのも,食事を共にしたときの支払いは今まですべて彼女が立て替えて下さっていたのである。アメリカは日本よりもクレジットカードが浸透しており,彼女は会計のたびに,颯爽とカードを示しては一瞬で十数人分の支払いを済ませていた。

機内では往路と同様,クラッカーやフルーツといった軽食や機内食が,予め時間を知らされることなく運ばれてきた。どういうわけか,毎度毎度,人の間をすり抜けて洗面所にたどりつき,貴重な水の使用量を気にしながら歯を磨いた直後に必ず食事が運ばれてきた。

到着も間近になったころ,黒髪をまとめた,ほっそりした中年の美しいフライト・アテンダントがやってきて,親密そうな笑顔を向けるとこう言った。

「ハイスクールの生徒たちですか?」

……やはり,東洋人は少し若く見えるものだろうか。私たちは顔を見合わせて苦笑いした。

「いいえ,未来の科学者たちです。」

五所女史がそう言い,我々の旅の目的を説明する。フライト・アテンダントは目を丸くして私たちを見つめた。

「まあ! ……男の子たちばかり? 女性もいるの?」

レナは待っていましたとばかりに,目をキラキラさせながら手を挙げた。私もその陰の窓際から,身をよじるようにしてそっと手を挙げた。

「まあ! 素敵なこと!」

彼女は白い歯を見せて笑い,我々と握手を交わした。

「科学者になっても,デルタ航空を使ってくださいね。」

そして,デルタ航空の羽のデザインのピンバッヂを人数分,私たちにくれたのである。

成田に着いたのは三月十六日の夕刻だった。空港のそこここに,見慣れた懐かしい表意文字が目につき始める。五所女史に感謝しつつ,私たちは眠い体をほぐし,旅の無事と実りを喜び合った。そして巨大なスーツケースを転がしながら,ロビーの隅に輪を作ると,長い間話し合ってプログラム報告書の分担を決めた。これが,前年の冬から始まった一連の渡航プログラムの,最期の共同作業となるはずだった。十日の旅を共にした十人の学生は,名残を惜しみながら別れを告げ,やがてそれぞれの帰路へと発っていった。私はスーツケースを手に,駅へと歩いていく。周囲にはまだ英語の案内表示が多く,他国の人も多かった。けれど,駅に到着し,電車に乗るころには次第に周囲の英語が減り,外国人も段々と少なくなり,やがて,路線を乗り換えるころには日本人だらけになってしまっていた。それはまるで旅の残照が,花火の光のように消えるのにも似て。