「淡水性藍藻類の鉄摂取と毒素生産機構に関する研究」
(以下の文章・図表は、建設工学研究奨励賞の受賞の言葉より抜粋、更新しています)
湖沼や貯水池などの閉鎖性水域では,夏季に水温上昇や富栄養化など藻類の生長に適した条件がそろうと,淡水性藍藻類の大量発生(いわゆるアオコ)を生じることがあ ります。これは,水 質の悪化や,浄水処理障害,やカビ臭・トリハロメタンなど副生物の発生、毒素生産による人間・野生生物への被害をもたらすため,重要な社会的問題 の一つと認識されております。アオコの中でもMicrocystisなどの藍藻類は、真核生物にとって強力な肝臓毒である藍藻毒、ミクロシスチンを産生します。
ミクロシスチンは7つのアミノ酸より構成される環状ペプチドで、部分的に修飾されたものを含めると、30年以上前に社会的被害が最初に報告されてから現在までに60 以上の 誘導体が確認されています(図1)。ミクロシスチンの N-methyldehydroalanine部位がタンパク質ホスファターゼ(PP1、PP2A)の電子授受を司るシステイン残基(チオール 基)と結合 し酵素活性を消失させるため、真核生物の肝臓機能が妨害されます。
図1. ミクロシスチンの分子構造。ミクロシスチンは、N-methyldehydroalanine 部位を介してタンパク質ホスファターゼのシステアミンと結合する。
毒素の生産は,生物の進化において獲得した生存戦略の一つと考えられます。 通常,毒素というと,特定の生理機能に障害をきたす(有害化学)物質のことを指します。 特に,生体由来自然毒の場合は,自己生存・防御のために作り出され ると信じられております。これに反して,系統発生分析か ら藍藻毒の生合成遺伝子は、藍藻よりもはる かに遅れて地球上に出現した多細胞真核生物である動物(例えば、捕食者や他の真核生物より)の生理機能に作用するものが多いと いうことが分かっています (図2) 2)。さらに、ミクロシスチンはその多くは細胞内に保持され続け、 死滅後に細胞外へ放出されると考えられています。従って、数十億年前に地球上に初めて誕生した藍藻が, 後に出現する動物をターゲットに毒素を作りだし,今日までも生成し続け ているとは考えられません。むしろ,藍藻が作り出す毒素は,彼らの生命活動に必須である,もし くは,進化上で“重要な機能”があったが,それが動物へ有害 なのは単なる偶然であるという結論を導きます。
図2. 藍藻毒の生合成遺伝子に関する系統発生分析 2)
近年の私たちの研究成果 から,鉄は藍藻の増殖や毒素生産を刺激する因子であることが分かってきました 3)。しかし,鉄制限によって藍藻毒が過剰に発現される理由や細 胞内における鉄と 藍藻毒の関わりなど,根本的な知見が乏しいのが現状です。鉄などの水質・環境因子が毒素生成を刺激するという事実はあっても,その“重要な機能”とは, 未だ何である かはよく分かっていません。一方で、は、酸化ストレス下での細胞代謝機構において重要な役割を担っているかもしれないことも推察されています 4)。
図2 培養液中の鉄濃度が低いと(鉄制限だと)、Microcystis aeruginosaのミクロシスチン生産量は増加した。6)
参考文献
1. Pouria S.; Andrade A.; Barbosa J.; Cavaclvanti R.L.; Barreto V.T.; Ward C.J.; Preiser W.; Poon G.K.; Neild G.H.; Codd G.A., Fatal Microcystin Intoxication in Haemodialysis unit in Caruaru, Brazil, Lancet, 1998, 352 (9121), 21-26,.
2. Rantala, A.; Fewer, D. P.; Hisbergues, M.; Rouhiainen, L.; Vaitomaa, J.; Borner, T.; Sivonen, K., Phylogenetic evidence for the early evolution of microcystin synthesis. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. 2004, 101 (2), 568-573.
3. Alexova, R., Fujii, M., Birch, D., Cheng, J., Waite, T. D., Ferrari B. D., Neilan, B. A.* (2011) Iron uptake and toxin synthesis in the bloom-forming Microcystis aeruginosa under iron limitation, Environmental Microbiology, Wiley Blackwell, Vol. 13, No. 4, pp1064-1077.
4. Y. Zilliges, J. C. Kehr, S. Meissner, K. Ishida, S. Mikkat, M. Hagemann, A. Kaplan, T. Bӧrner, E. Dittmann, The Cyanobacterial Hepatotoxin Microcystin Binds to Proteins and Increases the Fitness of Microcystis under Oxidative Stress Conditions” , Plos One 2011, 6 (3), e17615.
5. Sevilla, E.; Martin-Luna, B.; Vela, L.; Bes, M. T.; Fillat, M. F.; Peleato, M. L., Iron availability affects mcyD expression and microcystin-LR synthesis in Microcystis aeruginosa PCC7806. Environ. Microbiol. 2008, 10 (10), 2476-83.
6. Kehr, J. C.; Zilliges, Y.; Springer, A.; Disney, M. D.; Ratner, D. D.; Bouchier, C.; Seeberger, P. H.; de Marsac, N. T.; Dittmann, E., A mannan binding lectin is involved in cell-cell attachment in a toxic strain of Microcystis aeruginosa. Mol. Microbiol. 2006, 59 (3), 893-906.
Zilligesらの研究紹介4)
MCYについて多様な視点から研究が行われているがその生理機能は未だ十分に解明されていない。しかし、多くの研究において、栄養塩(窒素やリ ン、鉄など)が不足する環境、もしくは強い光照射環境下でMCYの発現が誘導されることが確認されており、MCYがストレス環境 で何らかの役割を果た していることが推測されている。このような背景のなか、Zilligesら5)はMCYは酸化ストレス環境において、藻類が順応するために重要な分子であ ることを提案している。本研究では、プロテオミクス分析によりMicrocystis野生株とMCY遺伝子欠損株 (ΔmcyB)のタンパク質発現を比較 し、光合成など細胞基礎代謝に関わる多種のタンパク質(RuisCOなど)において発現量が異なっていることを明らかにした。さらに、MCYに特異的な抗 体を利用したウェスタンブロット分析から、タンパク質ホスファターゼと同様のメカニズム でMCYと上記タンパク質が結合することを細胞内及び試験管内で明 らかにした。MCY結合型タンパク質は、活性酸素やプロテアーゼによる分解に対して安定構造を有し、酸化ストレスもしくは強い光照射下でこのタイプのタン パク質の割合が増加することが分かった。 以上の 結果は、基礎代謝においてMCYが酸化ストレスの制御機構に関わる分子であることを暗示 しており、この二次代謝物の機能解明に向けて重要な知見になると思われる。しかしながら、「MCY(さらに他の藍藻毒)の機能はMicrocystis以 外の他の藍藻類でも共通か?」、「毒素非 生産株にとってMCYの代替となる生分子は何か?」、「MCYの合成は生存競争に有利か?」など取り組むべき課題 は残されている。また、MCYはストレス環境下で死滅後に細胞外に放出され、コロニー形成のシグナルとして作用することも提案されており6)、多面的機能 をもつ 可能性もある。