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「同じ」ということの数学と光コンピューティングの基盤

「同じ」とはいかなることか?「イコール(=)」という記号、「AはBに等しい(A = B)」、「AならばB、BならばA、ゆえにAとBは同値である」、「AさんとBさんが“同じ服”を着ている」云々、「同じ」という概念は、日常でも算数でも何の疑問もなく了解しているものだ。秤にかけたモノと分銅が釣り合う(同じになる)ことを持って重さを量る等々は習っても、わざわざ「同じ」の定義を教えられた記憶はない。あまりにも当然であるから。

しかし、この「同じ」ということの本当の意味は、「超準解析」という数学や、比較的近年に勃興した「圏論」という現代数学の先端を知れば知るほど、全くもって単純なものではないことが分かる。それどころか、「イコール」、「同値」、「必要十分」などという言葉の恐ろしさに怯え、何一つとして意味が分かっていなかったことに震える。さらには、「同じ」ということに関する「圏論的理解」に馴染むことで、光学研究を含め、様々なイノベーティブな着想や発想が誘導されてくる。本コラムでは、僭越ながらまだまだ圏論初学者・修行者レベルの筆者の雑文を失礼する次第である。またスペースの制約もあり数学そのものの記述について厳密性を犠牲にしていることを最初にお断りしたい。

同じさの措定へ

今、ここに2個のコップがあり、各々 200 ml の水が入っているとしよう。はい、これは同じ。一杯の水ということで同じです。「A = B」です。これが普通の見立てだ。しかしよく考えれば、「200 ml」がまず怪しい。「どの精度まで見て同じなのか」という問題が入り込む。ある精度で見れば確実に異なる数値となるだろう。現実にはあり得ないが、仮に無限桁まで両者とも200 ml であったとしよう。それでも「A = B」と言い切れるか?コップのなかでは水分子が激しく運動している。水分子の運動レベルまで含めて、これらのコップの水が同じということはあり得ない。すなわちこのレベルではA = Bは不可能となってしまう。どのレベルで、さらには「何のために」同じと言っているのかという視座が「同じさ」に付帯していることは重要だ。

ここで、「同じさの措定」に示唆的な数学のひとつが『超準解析』だ。超準解析では、無限の微細さ(無限小)を普通の数として扱える「超準数」を備えている。これにより、『ほんものの物理世界はこの無限小を備えた「超準世界」であるが、実際に私たちが峻別できる「同じさ」は,「超準フィルター(ウルトラフィルター)」というフィルターで「濾過」された「標準世界」でのものだけとなる』とモデル化すると、「同じ」と述べる際に、「どのレベルでそれを言っているのか」を数学的に明確にできる。

「はたらき」という考え方:圏論への入り口

今、水分子の「運動も含めた同じさ」という極端な例を持ち出したが、ものの「はたらき」という考え方の導入によって、「同じ」ということの見方が際限なく拡がる。これが『圏論』の入り口となる。全く卑近な例から入る。新宿駅から東京駅に出るには、中央線を使うのが普通と思うが、山手線、丸ノ内線などを使う経路も存在する。しかし、東京駅へ行くという意味では、中央線も山手線も「同じ」だ(「可換図式」と呼ばれる)。この議論を一般化すると「同型(Isomorphism)」という圏論の初歩概念に至る。同型の概念だけでも数学的に相当に深い内容があるのだが、恐ろしいことにこれは圏論では幕下か序の口だ。

「はたらき」の同じさ:自然変換

「昨日のあなた」と「今日のあなた」では、確かに身なりが(おそらく多少は)異なるという意味で「違う」だろうし、細胞レベルで代謝を考慮すれば「同じ」ということはあり得ない。しかし、「あなたはあなた」、「わたしはわたし」であり、よほどドラスティックな事態のない限り、自己は維持されているだろう。すなわち、「昨日のあなたのはたらき」と「今日のあなたのはたらき」については「同じ」と見なせる。これが『自然同値(Natural Equivalence)』であり、圏論の中核概念のひとつだ.「物質としてのあなたは違う」が、「はたらきとしては同じ」ということを厳密に取り扱う数学が構築されているのである。ここでは例え話に特化しているが、数学としては、圏(Category)、関手(Functor)、自然変換(Natural Transformation)などの概念によって基礎づけられる[1]。

同じさの数学から脳科学・ソフトロボットへ

このような「同じさ」に関わる現代数学の考え方は、物理や光学を含めた様々な学術や応用に重大な示唆を与える。前述の「わたしはわたし」の問題は、自己(Self)、意識(Consciousness)、双極性障害等の精神疾患などとも絡み、意識研究や脳研究における重要課題と認識されている。Saigo と Northoff らは自然変換を用いた数学的アプローチを議論している[2]。

「わたしの手」は、対象がどんな形状でもそれを掴み取ることができるが、そこでは、わたしたちの手を成している柔軟な物質(ソフトマテリアル)の膨大な自由度が、「つかむ」という機能の創出に貢献している。手のなかの「個々の分子」を個別に制御することは不可能だが、「それらの膨大な自由度あってこその手のはたらき」の議論に、圏論が躍動する。つまり、「ものをつかむ」という「はたらきが全く同じ」でも、「自由度豊かな手の内部構造」は毎回異なっている.物理の多様さと、はたらきの関係が、「自然同値」の意味での「同じさ」によって明確となる。上で議論された「同型」との際だった違いに注目されたい。SaigoとNaruseらはソフトロボットの機能の根底にある構造を、自然変換と数値実験により示している[3]。さらに「何のためにつかむのか?」という価値の基準が介入すると、「同じ」ということの様相が変わってくる。例えば、素早くつかむ、省エネでつかむ、美しくつかむ、など。「同じ」ということは、単に近似や精度ということではなくて、どのような価値基準を問題にするかに核心がある。

4.光コンピューティングの基盤とは

このようにして、自由度が豊かな物理系とそれを統制する何らかの外部系あるいは価値基準との「カップリング」が生じるところに、極めて興味深い機能や構造が生じる。Saigoらは「合成系」の重要性を強調している[3,4]。光は無限自由度系の権化だ[3]。物理系の側は超準世界であって、そこには無限自由度が(たとえば「コップのなかの水」や「光」として)現にそこに存在している。したがって、光との合成系をなすということは、多様な機能を創成するということとそれこそ「同じ」であって、これが、光と情報が協働する光情報研究あるいは光コンピューティングのポテンシャルであると思われる。このことが、昨今の人工知能の重要性の高まりやフォトニクスの技術革新と重ね合わされ、1980年代のフィーバーとは異なる新たなかたちで、光コンピューティングに世界的に高い関心が寄せられるようになったことの根底にあるように筆者は感じる。そして、このような合成系の多様性はつきることがないだろう。光の「素材としての良さ」に注目することや、考えたい「価値」を考慮することが何故重要なのかも、数学的な理路から自然に了解できてしまう。このようなシステムデザインのコンセプトを、我々は『自然変換デザイン(Natural Transformation Design)』と名付けている[4,5]。

光が情報機能とカップルした近年の具体的な研究としては、単一光子やレーザーカオスを用いた意思決定に関する研究(Naruse, Uchidaら[6-9])、レーザー発振の自己収束動作を応用した解探索(Inagakiら[10])、光の非線形力学を生かすリザーバコンピューティング(Fisherら[11]、Brunnerら[12]、菅野ら[13])、コロイド粒子系及び光相変化材料を用いた自然知能(斎木[14])、メタマテリアル研究における光コンピューティングへの展開(Enghataら[15])等がある。光を用いた意思決定及び解探索に関しては圏論を用いたアプローチが示されている[16,17]。各研究の詳細については引用文献を参照されたい。

以上、限られたスペースで駆け足となったが、「同じ」ということに関わる現代数学のほんの一端と、最近の新たな光コンピューティングの興隆の根底にある構造を論じた。なお、人工知能学会の会誌「人工知能」第33巻5号(2018年9月)において、特集「自然界に見いだす数物構造を利用した知的情報処理」が組まれ、圏論に関するイントロダクトリーな解説記事[4,18]及び光を用いた情報機能構築に関する解説記事[13,14,19]が特集されている。なかでも堀が指摘している価値基準の問題ならびに特異性という考え方は根本的である[18]。興味ある読者は詳しくは是非参照いただけると幸いである。本雑文が読者諸氏の何らかのインスピレーションに繋がれば幸いである。

謝辞

光を含めた物理と数学の協働についてご議論いただく堀裕和博士(山梨大)、小嶋 泉博士(元京大)、西郷甲矢人博士(長浜バイオ大)、岡村和弥博士(名大)に深く感謝申し上げる。

文献

1. S. マックレーン (著), 三好 博之, 高木 理(訳): 圏論の基礎 (丸善出版, 2012).

2. G. Northoff , H. Saigo, N. Tsuchiya, in preparation

3. H. Saigo, M. Naruse, K. Okamura, H. Hori and I. Ojima: arXiv 1805.06213

4. 西郷甲矢人: 人工知能, 33 (2018) 553–569.

5. 西郷甲矢人, 成瀬 誠, 堀 裕和, 小嶋 泉, 岡村和弥, S. Bianchini, C. Ecoffet: Discussion in École nationale supérieure des Arts Décoratifs (2018.6.18, Paris)

6. M. Naruse, M. Berthel, A. Drezet, S. Huant, M. Aono, H. Hori and S.-J. Kim: Sci. Rep., 5 (2015) 13253.

7. M. Naruse, M. Berthel, A. Drezet, S. Huant, H. Hori and S.-J. Kim: ACS Photonics, 3 (2016) 2505-2514.

8. M. Naruse, Y. Terashima, A. Uchida and S. -J. Kim: Sci. Rep., 7, (2017) 8772.

9. M. Naruse, T. Mihana, H. Hori, H. Saigo, K. Okamura, M. Hasegawa and A. Uchida: Sci. Rep., 8 (2018) 10890.

10. T. Inagaki, et al. Science, 354 (2016) 603–606.

11. D. Brunner, M.C. Soriano, C. R. Mirasso, C. R. and I. Fischer: Nat. Commun. 4 (2013) 1364.

12. J. Bueno, S. Maktoobi, L. Froehly, I. Fischer, M. Jacquot, L. Larger and D. Brunner: Optica 5 (2018) 756–760.

13. 菅野円隆, 内田淳史: 人工知能, 33 (2018) 577–585.

14. 斎木敏治:人工知能, 33 (2018) 600–607.

15. A. Silva, F. Monticone, G. Castaldi, V. Galdi, A. Alù and N. Engheta: Science, 343 (2014) 160–163.

16. M. Naruse, et al.: Int J Info Tech Decis. in press. arXiv 1602.08199

17. M. Naruse, et al.: Philosophies, 2 (2017) 16.

18. 堀 裕和:人工知能, 33 (2018) 545–552.

19. 成瀬 誠, 内田淳史, S. Huant:人工知能, 33 (2018) 592–599.