『龍渓会語』を読むに当たって

吉田公平

 『龍渓会語』の語り手は王龍渓である。この王龍渓は、王陽明の良知心学を普及させた驍将であった。各地で開催された講学会では、銭緒山も活躍したが、王龍渓の人気は格別であった。王龍渓が講友達と討議した内容のエッセンスを集成したのが『龍渓会語』である。

 この『龍渓会語』は、莫晋編『王龍渓全集』に収録されたが、その際に白話体が文言化されている所があり、削除されている所がある。王龍渓の元々の意図を知ろうとするときには、この『龍渓会語』を見ることが肝要である。王龍渓は、王陽明の良知心学を発展させたが故に、同門内からは師意を逸脱するものと批判されたが、朱子学派からは禅学に陥ったと厳しく論難された。王龍渓は十六世紀の哲学思想界に新運を醸成した寵児であったからである。また、王門の中で最も長命であった。その意味でも、王龍渓を理解することがこの時代思潮を把握する鍵なのである。そればかりではない。性善説を人間観の基礎に置く広義の心学をとことんつきつめた、新儒教の典型ともいえる。日本における陽明学の嚆矢である中江藤樹は、王陽明を読む前に、王龍渓に啓発されており、中江藤樹の学統が王龍渓を熱読した形跡が歴然としてある。

 この『龍渓会語』は、稲葉君山が京城で発見し、昭和七年に京城で影印された。原本は、今、北京大学図書館に所蔵されている。嘗て北京日本学研究センターに客員として奉職していた際に、陳来先生の紹介で閲覧するという至福を味わっている。『龍渓会語』を丁寧に読み解くことによって、心学を再考する機縁としたい。