第13回 九州人類学研究会オータム・セミナー(2014)

【2014年10月25日(土)~10月26日(日)1泊2日】

【主催】 九州人類学研究会、セッションAについては課題研究懇談会「応答の人類学」とともに主催

【場所】今年度は、2013年度と同じ会場です。昨年同様【発表会場】と【宿泊会場】が異なります。詳しくは、下記のご案内をお読みください。

【発表会場】

基山町民会館 1階会議室 ( http://www.town.kiyama.lg.jp/soshiki/9/shisetsu-chominkaikan.html )

〒841-0204

佐賀県三養基郡基山町大字宮浦666番地

電話:0942-92-1211

最寄駅:JR基山駅(JR博多駅より快速列車で25分程度、九州新幹線新鳥栖駅から在来線乗り換えで15分程度)

JR基山駅から基山町民会館までは、徒歩15分程度(地域コミュニティバスあり)。

発表会場までのアクセスは、( http://www.town.kiyama.lg.jp/site/profile/kotuakusesu.html )をご参照ください。

【宿泊会場】

とりごえ温泉 栖(すみか)の宿 ( http://sumika-y.jp/index.html )

〒841-0087 佐賀県鳥栖市河内町2352番地

電話:0942-82-5005

最寄駅:JR基山駅、もしくは鳥栖駅。ただし、現地は駅から10km弱離れており、山の中腹にあります。

発表会場の基山町民会館まで来ていただければ、宿泊施設のバスが送迎します。

なお、2日目朝も宿泊会場から発表会場まで、宿泊施設のバスで移動します。

お車でいらっしゃる方は、( http://sumika-y.jp/access/index.html )をご参照ください。

【参加費】

学生:6,000円(宿泊費+1日目夕食+2日目朝食を含む)

一般(常勤有職者):8,000円(同上)

※会場には、フェイスタオル、丹前・ゆかたのみしかありません。

その他、部屋着、洗面用具(バブラシ等)はご用意ください。

【時間割】

10月25日(土)

12:30 現地集合、受付開始

13:00~15:45 セッションA:「ホームでの/民族誌としての応答」

(第2回科研同時代の喫緊課題研究会+第16回応答の人類学研究会in 九州人類学会オータムセミナー)

16:00~18:45 セッションB:「周縁における想像力:フィールドの中のグローバリゼーションを考える」

18:50~19:15 宿泊施設のバスで【宿泊会場】(栖の宿)へ

19:20~ 懇親会

※初日に計3つのうち、2つのセッションを行いますので、開始時刻が例年より1時間早まっています。

お時間にご注意いただきますよう、お願い申し上げます。

10月26日(日)

07:30 朝食

08:15~08:45 宿泊施設のバスで【発表会場】(基山町民会館へ)

09:00~11:45 セッションC:「中国少数民族の移動と共生」

終了後、現地(基山町民会館)にて解散

【参加申し込みにあたってのご注意】

①会場の都合上、一泊二日の全日程にご参加いただける方のみ受付いたします。

1日のみの参加は、基本的にはできませんのでご了承ください。

②ご参加申し込みの締め切りは、2014年10月17日(金)までとさせていただきます。

③お申し込みはreligion@lit.kyushu-u.ac.jp まで「セミナー参加希望」の旨をメールにてご連絡ください。

④お申込みを頂いた方には、10月17日(金)以降ご確認のメールならびに最終のご案内をお送りいたします。

⑤万が一、申し込み後にやむを得ない事情で参加取り消しの場合は、必ず事前にご連絡ください。無断でご欠席の場合には参加費用を頂戴することになります。

⑥参加費用は現地(今年度は【宿泊会場】)にて、お預かりいたします。

⑦すべての連絡はメールにてお願いいたします。

セッションA:「ホームでの/民族誌としての応答」

(第2回科研同時代の喫緊課題研究懇談会+第16回応答の人類学研究会in九州人類学会オータムセミナー)

セッション要旨(企画:飯嶋秀治):

課題研究懇談会を発足させ、科研「同時代の喫緊課題に対する文化人類学の〈応答〉の可能性の検討」へと展開するにあたり、とりあえずの焦点は2つあった。ごく簡潔に言えば、1つは、フィールドにおける研究者の個々のつきあい方、アクション、技法などの可能性を収集・検討するおとであった。いま1つは、ホームでの人類学的営みとしての民族誌記述のあり方を典型として、他者表象の実践展開の仕方、人類学独自の寄与の仕方などの史的研究・可能性の検討である。

現在フィールドとホームが多種多様に常時接続し、過去の古典においてさえ、むしろ世界システムの経路と系譜から切り離されたフィールドが詩的・政治的創造であったと把握されている現在であれ、議論を深化させるための論点の立て方として、こうした区分は採用されよう。本セッション「ホームでの/民族誌としての応答」では、この2つの問題系のうち、後者に焦点をあてた発表と議論を行う。

特にこのように区分を採用したとき、フィールドにおけるよそ者としての研究者とは異なり、ホームにおける当事者としての実践者は、既に存在する諸表象への介入をするため、即座に政治経済の問題にも巻き込まれることになる。具体的には国内の医療介入現場における民族誌記述の有効性と人類学的他者表象の実践のど真ん中にあるとも言える国立民族博物館の成立を巡る詩と政治を取り上げ、民族誌的表象をめぐりホームにおいていかなる実践を積み上げてきたのか、現在国外の医療介入の現場でいかなる課題に直面し、市場経済の領域での要請がどのようにエスノグラフィーを創造しつつあるのか。そもそも今回のこの問題設定の仕方自体をも含め、今後の争点を析出して行く場にしたいと思う。

飯嶋秀治(九州大学人間環境学研究院)

:「水俣と民族誌ー石牟礼道子『苦海浄土』を中心にして」

石牟礼道子の『苦海浄土』は、多様な表象を持つ水俣病事件表象史のなかでも、最も著名な作品と言って良いだろう。殆ど孤絶と言いたくもなる水俣病被害者の苦境を描いて深く広く、その窮状を描き伝えていった。だが初版刊行本以来、まだ半世紀にも至らぬ本書でさえ、当初の経緯から学び得たはずの諸争点すでに忘却されているかのようである。

このため、本発表では、①まず当時の諸言説ー新聞、報告書、詩、小説、報道番組などーから『苦海浄土』の言説の民族誌的特徴を指摘する。『苦海浄土』は現在、公共人類学の文脈で再評価の兆しがあるが、こうした受容は、当時の文脈を検討していない事が多いためである。②次に『苦海浄土』の文学的改稿過程研究から、柳田民俗学的作品であることを明らかにする。『苦海浄土』には「奇病」「天と海のあいだに」から『苦海浄土』初版本に至り、その後も改稿されてきているためである。その事を検討すれば、本作が柳田民俗学的とされる意味が分かるはずである(水俣病事件研究では水俣病患者自身が忘却の窮状にあるので、石牟礼の研究は日本近代文学研究史で進められてきた)。③次に、同時代において、石牟礼が水俣およびその外部との間で何をしてきたのかを考察する。この考察は、作品だけを読んでいても浮上してこないためである。④最後に、民俗学および人類学が、水俣を主題にいかなる表象を描いてきたのかを検討する。

以上を通じて、『苦海浄土』が、近代的な民族誌とは異なっており、そのことが応答の人類学における「民族誌としての応答」に投げかける可能性を検討したい。

参照文献

浅野麗2013「石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』への道-「水俣湾漁民のルポルタージュ奇病」から「海と空のあいだに 坂上ゆきのきき書より」への改稿をめぐる検証と考察」『叙説』Ⅲ(10):12-38

石牟礼道子1960「奇病」『サークル村』3⑴:34-48

石牟礼道子2004(1969)『新装版 苦海浄土-わが水俣病』講談社文庫

茶園梨加2014「石牟礼道子『苦海浄土-わが水俣病』成立の過程」『戦後北部九州のサークル運動における文学-サークル村を中心として-』九州大学博士論文:93-107

山路勝彦(関西学院大学名誉教授)

:「大阪万国博と梅棹忠夫」

1 1970年、「人類の進歩と調和」をテーマにして行われた大阪万国博は、①堺屋太一の「近代化論」と、②梅棹忠夫の「文明論」との結婚だと総括できる。博覧会への準備として「テーマ委員会」「サブ・テーマ調査専門委員会」が設置され、茅誠司(東大)、桑原武夫(京大)、湯川秀樹(京大)、赤堀四郎(阪大総長)、丹下健三(東大、建築)、大来佐武郎(経済学者、元外相)、井深大(ソニー社長)、曽野綾子(作家)ら、大学、産業界、官界の代表者が参加している。なかでもサブ・テーマ調査専門委員の梅棹忠夫の存在は大きく、林雄二郎、小松左京、岡本太郎も積極的に支援していた。

この結果、「生命の充実」「自然の利用」「生活の設計」「相互理解」が四本柱として設定された。だが議論の過程では厳しい討論が行われていた。井深が「産業(科学)主義」を推進すべきだと言うのに対し、赤堀は批判を投げかける。梅棹は文明論の立場から、「文明とは大地の利用と改造」であり、「荒れていたものをよくする」ように「調和的改造」は人類史の趨勢と発言する。反論を呼びこんだ一幕であった。

2 梅棹が1960年代に関心を寄せた課題は「未来学」、そして「情報産業論」であった。この「情報」という考えこそ、大阪万国博を特徴づけた概念であった。「光と音響」「映像」で象徴される大阪万博の企業パビリオン展示は、この梅棹理論と整合的である。

3 大阪万博では、「ハンパク運動」(べ平連、新左翼系の建築家集団)、そして東大文化人類学教室全共闘による「反万博、反民博」の運動があった。「産学共同」路線への批判は梅棹に注がれていく。これに対して梅棹忠夫は「歴史の駒を逆転させる反動ども」と厳しく対峙する。こうしたなかで万国博は6400万という人々(市民)の参加を得ている。終了後、梅棹は会場の跡地利用として「国立民族学博物館」の設立に動く。実学志向の梅棹の姿が立ち現れたのである。

4 梅棹のような人類学者は日本では稀有である。それは台湾研究での馬淵東一の学風とは真逆である。馬淵は、国家権力(そして教授会、学会)を嫌い、市場活動(印税目当ての原稿書き)を忌避し、市民活動(素人学問)を軽蔑し、徹底してフィールドワークに勤しんでいた。その馬淵の業績は果てしなく続く記述のなかにあるが、その成果は台湾で高く評価されている。

「応答の人類学」は、梅棹と馬淵との距離をいかに保つのであろうか。

参考文献

山路勝彦2014『大阪、賑わいの日々:二つの万国博覧会の解剖学』、関西学院大学出版会。

増田研(長崎大学多文化社会学部/大学院国際健康開発研究科)

:「マラリア研究という応答フィールドで民族誌を売り込む」

この発表では、国際保健という実学分野における民族誌の有効性とその限界を整理し、民族誌というアプローチを効果的に売り込む方法を考える。発表者はいわゆる開発実務者でも医療人類学者でもないが、国際保健の大学院で7年にわたって学生指導を行っており、また近年はこの分野における学会発表や研究プロジェクトへの参加も増えてきた。それはあたかも「異業種からの新規参入を果たした新人」として歓迎されているふうでもあるが、他方で学会発表においては「民族誌ってなんですか?」という根源的な質問を受けることもたびたびである。

ここで取り上げるのは、熱帯および亜熱帯に広く分布する原虫感染症、マラリアに対する民族誌の位置づけである。マラリア研究というジャンルは多様多彩である。マラリアは原虫感染症なので、マラリア原虫や、それを媒介するハマダラカなどが調査の対象となる。ほかにも予防や治療のための薬、検査のためのキットの開発、効果的な蚊帳の開発と配付、知識の普及、対策プログラムの策定と実施、住民の治療希求行動など、マラリアに関する調査課題は多岐にわたるが、民族誌的なアプローチのものはほぼ皆無である。

他方で、国際保健において人類学の必要性を主張する医療系研究者はいないわけではないが、そうした主張が人類学を理解したうえでのものかといえば、かならずしもそうではない。数値的なエビデンスを持ってくるわけではないし、むしろ主観的な記述でレポートを埋め尽くす人々くらいに思われているフシがある。言い換えれば、面白そうだけど役には立たない感じ、である。

さて、こうした状況において「人類学は必要だ」という呼びかけは、いったい何を意味するのであろうか。ここでいう人類学と民族誌は同等のものととらえて良いのだろうか。我々の営為を、いわゆる「質的研究」の一部として位置づけることは適切なのだろうか。 複雑なことを複雑なまま提示しつつ「複雑さのパターン」を提示するような答えの出し方は、分厚い民族誌を読めない医療系の人々にどれだけ訴える力があるのだろうか。そもそも人類学あるいは民族誌は、呼びかけられているのだろうか?

こうしたさまざまに問いに対する答えを結いするプロセスを通して、民族誌を売り込む方策を考えるのがこの発表の目的だが、その前に「そもそも民族誌のマーケット開拓は可能なのか」という、人類学の市場生命の存続を巡る問いも重要なトピックとして浮上してくるであろう。

伊藤泰信(北陸先端科学技術大学院大学[JAIST])

:「民族誌なしの民族誌的実践──産業界における非人類学的エスノグラフィの事例から」

産業界におけるサービスとしてのエスノグラフィを本発表では事例として扱う。

エスノグラフィには二重の意味があることはすでに幾度となく指摘されいるところである。すなわち、質的調査のプロセスとしてのエスノグラフィと、プロダクトとしてのエスノグラフィである(Sanjek2002)。

前者は、エスノグラフィする(doing ethnography)といった語法で用いられるが、日本の人類学者の語感から言えば、この意味でのエスノグラフィは人類学的なフィールドワークとほぼ互換可能な語彙と言えよう。産業界でエスノグラフィと言えば、もっぱらこの質的調査プロセスとしてのエスノグラフィを意味し、それが流通している。産業系エスノグラフィの国際会議の名前もEthnographic praxis(エスノグラフィ的実践ないし民族誌的実践)と命名されている。

産業界で、分厚いモノグラフ(プロダクトとしてのエスノグラフィ)を作成するような機会はほとんどないと言って良い。「納品」されるのは、もっぱら公開を前提としないレポート(やそのエクゼクティヴサマリー)であり、時にはビデオ作品の形で納品される場合もある。エスノグラフィを実践し、エスノグラフィ(民族誌)を書く、という人類学の学的営為(さらには、エスノグラフィ(民族誌)群を読むことが人類学徒としての訓練でもあるアカデミックな人類学教育)と比して言えるのは、プロダクトとしてのエスノグラフィ(民族誌)が切り離されて、質的調査の技法の一部だけが、エスノグラフィとして流通しているということである。

プロダクトとしてのエスノグラフィ(民族誌)が作成されることはないのであれば、では、記述はどのような意味を持つのであろうか。プロセスとしてのエスノグラフィックな実践、具体的にはビジネスインサイトや気づきを得るための、網羅的な観察の項目にそれは還元(矮小化)されていると言いうるだろう。

これらを念頭に置きつつ、アカデミックなディシプリンとしての人類学の外部におけるエスノグラフィの実践のされ方と、エスノグラフィックな記述の持つ意味について考えてみたい。

コメンテーター:宮岡真央子(福岡大学)

セッションB:「周縁における想像力:フィールドの中のグローバリゼーションを考える」

セッション要旨:

グローバリゼーションはすでに長い間議論されてきた、かなり大きな広がりを持つ概念である。定義も様々であり、関係する学問分野も多岐に渡る。議論の方向性は大別して二つある。一つはいわゆる「西欧近代」を中心とし、その他地域を周縁と捉え二項対立形式で現象を捉えようとする立場である。もう一つは、先述の立場を批判し、欧米だけを中心と看做さず、それぞれの現象をそれぞれの中心を以て分析する多中心的な立場、あるいは中心を持たないと看做す脱中心的な立場である。いずれにせよ、グローバリゼーションとは、グローバル/越境的なフローがローカルな社会に何らかの影響を及ぼしたとする考え方だと言える。つまり、現象は日々の生活の中では不可知的な領域と可知的な領域とで同時に生起するが、グローバリゼーションの拡張とは、この不可知的な領域の拡大だと言えないだろうか。もしそのように言えるとすれば、コマロフ夫妻は千年紀資本主義論を巡る議論の中で、可知的な領域で人びとが用いていた想像力がいかにして不可知的な領域に対する想像力に伸展していったかを説明していると言える。こうした視点を踏まえ、我々がフィールドの中で出会う出来事がフィールドの外側の出来事とどのように繋がり、人びとがそれをどのように捉えているのかを検討してみたい。そのことによって、「周縁」の側が「中心」あるいはグローバルな水準をどのような想像力でもって捉えているか、ということを考え得るのではないだろうか。このような観点から、本セッションでは、紛争解決、平和構築(藤井)、村落開発(木下)、妖術(岡本)、亡命(室越)と様々な出来事について、それぞれのフィールドから報告を行う。

室越 龍之介 (九州大学大学院 博士後期課程)

:「趣旨説明」「“反体制的”をグローバリゼーションの文脈で問い直す」

キューバは1959年に達成されたキューバ革命以降、フィデル・カストロ率いる革命政権によって統治されて来た。革命の前後から主に米国へ向けてキュー人の亡命/国外脱出が発生し、90年代をピークに現在まで続いている。これらの亡命/国外脱出を扱った研究は大別して二つの立場に整理できる。一つは主な原因を、革命期の混乱や社会主義陣営の崩壊による経済的な困窮に求めるもの。もう一つは、革命政権の社会主義化や独裁のような政治的な原因に求めるものである。現在のキューバは、改革開放の兆しを見せ、経済も順調に回復していると言えるが、国を去る、あるいは去ることを求める若者は依然多い。従って、従来の二つの要因に加えて新しい要因が現れていると考えることができる。

発表者は2012〜2013年の調査を踏まえ、これを「グローバルな価値」の受容と捉えながら、事例を検討して行きたい。

岡本 圭史 (九州大学大学院 博士後期課程)

:「オカルト的生活世界と貨幣経済――ケニア海岸地方ドゥルマの事例から」

人類学者がフィールドからグローバリゼーションを捉えることは、確かに容易ではない。しかしながら、調査地に住む人々の多くもまた、特定の地域における限られた経験を通じて同時代の世界に接している。従って、生活世界の中のグローバリゼーションの経験とも言うべきものに、人類学者はフィールドから迫り得るはずである。本発表では、ケニア海岸地方に住むドゥルマ(Duruma)の人々の間の悪魔崇拝者(devil worshippers)をめぐる語りに注目する。悪魔崇拝者とは妖術使いの亜型ともいうべき想像上の存在であり、都市部に住む富裕層や政治家、ミュージシャン等が悪魔崇拝者であるとドゥルマは語る。本発表の目的は、悪魔崇拝者や妖術使いをめぐるドゥルマの想像力が、人々にはその全貌を到底把握し得ない貨幣経済を身近な経験へと変換する様子を示すことである。

木下 靖子 (北九州市立大学大学院 非常勤講師)

:「機会への対等という再分配―バヌアツ共和国フツナ島における村落開発の事例より」

発表者は、2007~2010年、JICA(国際協力機構)提携の村落開発事業において、現地調整員として、南太平洋に位置するバヌアツ共和国フツナ島(人口約500人)に滞在した。事業内容は、伝統的な調理法による魚の加工品を商品化し都市部で販売、村落に現金収入をもたらすことが目的である。島には伝統的な資源の分配方法がある。事業によって得られる利益についても、同様に人びとに分配されることが望まれていた。分配の特徴として、資源や利益へのアクセスの機会を、参加者であるひとびとが対等に持つ状態を常につくりだすということが挙げられる。その具体的な事例について報告をおこないたい。

藤井 真一 (大阪大学大学院 博士後期課程)

:「周縁の外側における紛争と平和—ソロモン諸島の「民族紛争」から見るグローバリゼーション」

グローバリゼーションとは、冷戦崩壊後に顕著となった国境を越えた人、もの、情報のフローによって形成される地球規模の一体化現象と、それをめぐる地球大の多様な言説の双方によって形成される複合的現象である[湖中 2010: 51]。この現象をめぐるさまざまな論争(肯定論/否定論、急進論/懐疑論など)は、世界の頂点層と底辺層(あるいは中心と周辺)にとっての世界の在り方の違いに由来する。周縁世界の人々の立場に寄り添って世界の現状を捉えようとする現代人類学は、否定論や懐疑論の立場に立たざるを得ない[湖中 2012: 263]。

本報告で注意を喚起したいことは、人文社会科学において喧しく戦わされるグローバリゼーションをめぐる議論が従属理論に依拠していること、そしてこと紛争と平和といった現代世界における喫緊の課題のひとつをめぐっては主として中東やアフリカを中心に注意が向けられる傾向にあることである。本報告では、グローバリゼーション論からも紛争・平和研究からも周縁の外側に追いやられる傾向が強いオセアニア地域の事例を取り上げる。

南西太平洋(メラネシア)に浮かぶソロモン諸島国は1998年末から2003年7月にかけて首都ホニアラが位置するガダルカナル島を主要な舞台として死者数200名、国内避難者数35,000名に上る武力衝突を経験した。「民族紛争(ethnic tension)」と呼ばれる一連の暴力的衝突とそれに伴う社会不安に対して、紛争渦中から紛争終結後の現在に至るまで、さまざまな次元での紛争解決・平和構築の試みがなされてきた。

本報告では、ソロモン諸島の「民族紛争」を紹介しつつ、当該紛争に対して試みられてきたグローバル/リージョナル/ナショナル/ローカルな紛争解決と平和構築に焦点を当てる。これにより、可知的領域と不可知的領域の双方を含み持つ複雑な社会現象たる紛争と平和とをできるかぎり包括的に捉え、その動態を考察することができるような視座を提示したい。

キーワード ソロモン諸島、グローバリゼーション、「民族紛争」、紛争解決、平和構築

コメンテーター: 村上 辰雄 (上智大学)

白石 壮一郎 (弘前大学)

セッションC:「中国少数民族の移動と共生」

セッション要旨:

中国では1990年代後半以降、経済の影響によって生活環境が変化したことにより、多くの少数民族地域で人口移動が顕著にみられるようになった。移動の背景には、国家政策によるもの、自主選択によるものがあり、移動のスタイルについても、移動先に定住する人、近隣の都市を往復する人、一定の期間を経て故郷に帰る人、各地域に移動を繰りかえす人といったように多様である。中国をフィールドとした研究においても、1990年代後半から移動や移住に焦点を当てた論考が多く見られるようになり、研究対象は漢族、華人及び少数民族、研究地域は北から南、そして国境地域と広範囲にわたっている。

人々の移動が拡大し、中国における移動研究が活発におこなわれるようになって約15年が経過した。本セッションではこれまで蓄積されてきた研究を視野に入れ、時間の経緯による世代間の相違に注目し、流動的な移動の実態を明らかにしたい。主に教育、就労、通婚に焦点を当て、2000年に深圳市に設立された「新疆高校クラス」の実態、朝鮮族の19世紀から現在までの歴史的視点も包括した移動の状況、モソ人の婚姻形態の変化による移動という3事例を通じて、中国少数民族の移動の実態とアイデンティティの変化、及び共生への模索のあり方と課題について検討する。

アイネル バラティ(西南学院大学大学院)

:「中国漢民族居住地における「新疆高校クラス」の実態―深圳市松崗中学校の実例通して―」

中国政府の少数民族に対する「双語教育政策」の新たな一歩として、2000年9月から漢民族地域で「新疆高校クラス」が設置された。本発表では深圳市松崗中学校の「新疆高校クラス」の実例通して、生徒たち学校生活、言語使用状況と民族アイデンティティの維持と継承などを把握し、「新疆高校クラス」の実態を考えることにする。

玄 龍雲 (西南学院大学大学院)

:「中国朝鮮族の移動と共生」

中国朝鮮族(以下、朝鮮族と記す)は朝鮮半島から移住した朝鮮民族の一つの支流であり、中国近代歴史に登場した新たなエスニック・グループである。彼(彼女)らの移住初期から今までの足跡を簡単に整理すると、朝鮮半島から中国への移住―開拓―定着―世界各国への移住(移動)四段階に分けることが出来る。いわば朝鮮族歴史の半分以上の紙幅を移住(移動)が占めていると言っても過言ではない。したがって朝鮮族の移住(移動)の歴史が、東北アジアの近代史の縮小図にも充分なり得るのでないかと考え、朝鮮族を選んだ。

本発表では、移住初期である18世紀後半から現在までの間の移住(移動)過程で、どのように自らを変えてきたのかに焦点を当て、エスニック・マイノリティとしての共生への模索を検討する。なお検討の範囲を、移住(移動)先として彼(彼女)らに選ばれる上位の三か国である中国、韓国、日本に限定した。

金縄 初美 (西南学院大学)

:「中国雲南省摩梭(モソ)人の婚姻変化と移動」

中国の少数民族である摩梭(モソ)人は長期にわたって母系社会を基盤とし、「通い婚」を行ってきた。しかし1990年代から進められた観光開発を機に、人と物の移動が急激に増加し、彼等の婚姻形態も大きく変化した。本発表では、人の移動が増加し始めた2000年以降を中心に、雲南省に居住する摩梭(モソ)人の婚姻による移動の実態を通じて、「共生」の在り方を考えたい。

コメンテーター:長谷 千代子 (九州大学)