九州人類学研究会に関する情報サイトです。九州人類学研究会は1972年に九州地域を中心に活動をしている研究者によって発足しました。現在では日本人類学学会の九州・沖縄地区研究懇談会も兼ねています。
日時:2026年8月22日(土) 13:30~17:45
会場:西南学院大学 コミュニティーセンター2階会議室(ハイフレックス方式)
https://www.seinan-gu.ac.jp/assets/users/7/files/12SWCC_leaf.pdf
(13:00-13:30運営委員会)
13:30-13:35 開会挨拶
13:35-16:05 佐野文哉
「 沈黙した身体から語る身体へ:フィジーのろう者の言語と身体の系譜と生成変化の民族誌に向けた試論 」
16:05-10 休憩
16:10.-17:40 小田マサノリ ※1
「人類学を"ツール"にする/寄せあつめて、ながめて、つなげて、途中でやめながら続いてゆく、人類学とはちがうなにか別のもの(だいじょうぶ、あとで、わかる。)」※2
17:40-45閉会挨拶
【お申し込み】
対面・オンラインいずれの場合も、参加をご希望の方は8月20日(木)までに以下のフォームにご記入のうえご送信ください。オンラインのURLは、このフォームに記入されたメールアドレスに、8月21日(金)までにお送りいたします。 https://forms.gle/kqETyvZKvGkGxmuT6
【お問合せ】
飯嶋秀治(地区研究懇談会担当)kyusyu.comparative.religion(@)gmail.com
伊東未来(西南学院大学会場)miku-ito(@)seinan-gu.ac.jp
※(@)は@に変更をお願いします
※1:【参考】参照
※2:早稲田人類学会講演「人類学を"ルーツ"にする」(2018年)の増補改訂版
https://drive.google.com/file/d/12r1yBS5Radnoo_YRtHv_dON9Bz5vA2XD/view
【参考】
<ネットとストリートの器用仕事人>
「ECDと並んで2000年代の「ストリートの思想家」として重要なのは、小田マサノリである。小田マサノリは、イルコモンズという名義でアクティヴィストとして活動するほか、「なりそこないの文化人類学者」「元現代美術家」を自称している。イラク戦争の反対運動の際には、「殺すな」という反戦運動を組織した。その後も多くのデモに参加するとともに、自ら運動を組織し、2000年代のパフォーマンス的な政治運動のひとつの形を作ってきた。小田マサノリを特別な存在にしているのは、そのメディアの使い方である。デモや集会、シンポジウムや反対運動があるたびに、小田マサノリはいろいろな映像をサンプリングして、時にユーモラスで、時に痛烈な批判精神溢れる映像作品を作り、YouTubeなどインターネットにアップしてきた。また世界中で起きているいろいろな運動の形式や手法をいち早く映像で紹介してきた。こうした活動に加えて「イルコモンズ・トラベリング・アカデミー」などの名称で、さまざまな場所で出張講義を行っている。反戦運動やフリーター運動など、最近の若者の文化政治活動に少しでも関心のある人であれば、誰でも彼を知っているし、彼も今どこで何をやっているかも、日々更新されるそのブログを通して知っている。活動の中で最も重要なのは、ブログを通じて継続的な情報の発信である。デジタル時代、ネット時代のアクティヴィズムのあり方を提案していると言っていい。小田のブログが興味深いのは、その大部分がネットの中にすでに散らばっているさまざまな情報のコラージュや引用で成立していることである。それは必ずしも新しい情報ではなく、その気になればすぐに探せる一般的な情報である。あるいは、自分自身が書いた文章もまたしばしば再引用されている。こうした手つきは、文化人類学者が発見した「器用仕事人」を思わせる。器用仕事人は、無から何かを作り出す存在ではない。手もとにあるものを組み合わせて、無限のヴァリエーションを作り出す職人なのだ。
<文化人類学へのポストモダン的問い>
小田マサノリが文化人類学者としてのそのキャリアを始め、今でも「なりそこないの文化人類学者」を自称していることを想起しておくべきだろう。90年代なかばまで、小田マサノリの小田昌教の本名でアフリカ、ケニアをフィールドとする文化人類学者だった。90年代なかばは、文化人類学が一種の認識論的転回を迫られる時期だった。文化人類学のポストコロニアル的な状況は、民族誌的記述はどのようにして可能なのかという問いが浮上したことだった。文化人類学者の小田昌教が、こうした問いに90年代に真摯に向かい合ったのは、まちがいない。そしてそれに対する回答が、フィールドを東京に移しつつ、アクティヴィストになるという選択だったのだ。
<「なりそこないの文化人類学者」の試み>
小田マサノリの「文化人類学解放講座」というレクチャーシリーズでは、その冒頭に「リクレイム・ザ・アンソロポロジクス」と題された映像が用いられている。小田マサノリ自身の手になるこの6分の映像は、エドワード・カーティス、ゾラ・ニール・ハーストン、そして、マヤ・デーレンという、何らかのかたちで文化人類学とかかわりがあるものの、人類学者にはならずに表現者になった3人の映像をサンプリングしリミックスしたものである。こうした映像は、文化人類学がはらんでいた植民地主義的な編成を批判的に捉えながら、それを解きほぐし、新しい未来の「人間学」として人類学を構想しようという試みである。つまり文化人類学を既存のアカデミアの枠組みから解放し、より自由で創造的な文化実践へと変容されようという試みなのである。このように考えると、小田マサノリは、文化人類学者からアクティヴィストに転向したのではなく、オルタナティヴな、けれども未来に開かれた文化人類学者になるためにアクティヴィストになったというべきなのだ。それはフィールドを日常生活の場に移し、政治的な実践という形でフィールドワークを行う新しい人類学者の姿である。小田マサノリのフィールドは組み換え可能なものとして存在している。変化は、いま目の前にある出来事を器用仕事人として組み換えることによって現れる。小田マサノリが雑誌『オルタ』に連載しているエッセイのタイトルではないが、もうひとつの世界はいつでもどっくに可能」なのである。小田マサノリを「ストリートの思想家」だという時、それは彼がストリートをフィールドとして選んでいるということにほかならない。通常、フィールドとは囲われた面でとらえられれるのに対し、ストリートは線で示される。そこにはとどまるべき場所はなく、常に移動が要請される。ストリートとは「家を持たない人、ホームレス」のものである。フィールドワーカーとは、ホームレスという例外状態を自らの常態として引き受ける存在を指すのだ。」
<ストリート以降/都市>
江上:『ストリートの思想』の第4章では、ECDさんであったり、イルコモンズさんも大きくとりあげられている。
毛利:僕もあらためて読み直したら、イルコモンズの記述が多いなと。あの当時、すごく良いと思ったんだよね。もちろん今も重要だと思ってるけど、あの時期は圧倒的だった。
江上:僕もやっぱり2000年代の海外の抵抗文化や、デイヴィッド・グレーバーをはじめて知ったのもやっぱりブログ「イルコモンズのふた。」だったので、やっぱり影響を受けています。オルタナティヴな運動とは文化のチャンネルを日本に紹介した先駆者のひとりですね。
毛利:今でもこそ文化人類学とアナキズムとは近いものだと思われているし、文化人類学者の仕事を読むようになってるけど、少なくとも『ストリートの思想』を書いているときは、まだそんなに文化人類学とアナキズムの関係ははっきりしてないんですよ。グレーバーはいたにしても、イルコモンズぐらいで。彼自身もアフリカでフィールドワークをやっていた文化人類学者でもあるし、映像や作品を作ったアーティストだったけど、なによりもアクティヴィストとして重要な役割を果たしたと思うんですよね。」
・毛利嘉孝『ストリートの思想』2009年 NHK出版
・毛利嘉孝『ストリートの思想 増補新版』 2024年 ちくま書房
・佐藤正樹『本のコミューン』2025年 文借社 より抜粋