第12回 九州人類学研究会オータム・セミナー(2013)
※オータム・セミナーを無事に終了することができました。ご参加頂いた会員の皆様ありがとうございました。
【2013年10月26日(土)~10月27日(日)1泊2日】
【場所】
※今年度は、【発表会場】と【宿泊会場】が異なります。詳しくは、下記のご案内をお読みください。
【発表会場】(1日目セッションA、2日目セッションBとも)
基山町民会館 1階会議室 (http://www.town.kiyama.lg.jp/soshiki/9/shisetsu-chominkaikan.html )
〒841-0204
佐賀県三養基郡基山町大字宮浦666番地
電話:0942-92-1211
最寄駅:JR基山駅(JR博多駅より快速列車で25分程度、九州新幹線新鳥栖駅から在来線乗り換えで15分程度)
JR基山駅から基山町民会館までは、徒歩15分程度(地域コミュニティバスあり)。
発表会場までのアクセスは、(http://www.town.kiyama.lg.jp/site/profile/kotuakusesu.html )をご参照ください。
【宿泊会場】
とりごえ温泉 栖(すみか)の宿 ( http://sumika-y.jp/index.html )
〒841-0087 佐賀県鳥栖市河内町2352番地
電話:0942-82-5005
最寄駅:JR基山駅、もしくは鳥栖駅。ただし、現地は駅から10km弱離れており、山の上にあります。
発表会場の基山町民会館まで来ていただければ、宿泊施設のバスが送迎します。
なお、2日目朝も宿泊会場から発表会場まで、宿泊施設のバスで移動します。
お車でいらっしゃる方は、( http://sumika-y.jp/access/index.html )をご参照ください。
【参加費】
学生:6,000円(宿泊費+1日目夕食+2日目朝食を含む)
一般(常勤有職者):8,000円(同上)
※会場には、フェイスタオル、丹前・ゆかたのみしかありません。
その他、部屋着、洗面用具(バブラシ等)はご用意ください。
【時間割】
10月26日(土)
13:30 現地集合、受付開始
14:00~17:00 セッションA: 「出来事と人々が織りなすもの――空間の成り立ちを巡って」
17:00~17:30 宿泊施設のバスで【宿泊会場】(栖の宿)へ
18:00~ 懇親会
10月27日(日)
07:30 朝食
08:15~08:45 宿泊施設のバスで【発表会場】(基山町民会館へ)
09:00~12:00 セッションB: 「方法としての人類学」
終了後、現地にて解散
【参加申し込みにあたってのご注意】
①会場の都合上、一泊二日の全日程にご参加いただける方のみ受付いたします。
1日のみの参加は、基本的にはできませんのでご了承ください。
②ご参加申し込みの締め切りは、2013年10月18日(金)までとさせていただきます。
③お申し込みはreligion@lit.kyushu-u.ac.jp まで「セミナー参加希望」の旨をメールにてご連絡ください。
④お申込みを頂いた方には、10月18日(金)以降ご確認のメールならびに最終のご案内をお送りいたします。
⑤万が一、申し込み後にやむを得ない事情で参加取り消しの場合は、必ず事前にご連絡ください。無断でご欠席の場合には参加費用を頂戴することになります。
⑥参加費用は現地(今年度は【宿泊会場】)にて、お預かりいたします。
⑦すべての連絡はメールにてお願いいたします。電話連絡は緊急の場合のみご利用ください。
以上
セッションA:「出来事と人々が織りなすもの――空間の成り立ちを巡って」
セッション要旨
ある種の非日常的な空間(聖地、舞台、巡礼、特殊な景観…)が成立・持続する条件はなんだろうか。柳田國男は「幻覚の実験」で、自らが少年時代に「白昼、星を見た」と言って信じてもらえなかったエピソードと、同様に不思議な体験が幸運にも周囲から信じられて御堂の建立に至るなどの事例群を並べて、「その根柢をなしたる社会的条件は、甚だしく幽玄なもの」であると述べる。この幽玄なる社会的条件を明らかにするため、このセッションでは出来事とそれに関わる人々の実践に着目し、そこに織り上げられる「歴史」や「景観」、「場(ソシアビリテ)」などを、条件次第では別なものになり得た、可塑性に富むものとして見つめ直す。
関 一敏(九州大学):「龍神の夢――新しい社をつくる人々」
後藤 晴子(福岡大学非常勤講師):「畏怖と場所を考えるための一試論――沖縄離島の事例から」
長谷千代子(九州大学):コーディネーター
:「今津人形芝居の舞台はいかに成立するか――遊び・文化・教育」
内藤 順子(早稲田大学):「聖地空間の「おもてなし」をめぐる一考察――サンチャゴ・デ・コンポステラを例に」」
川田牧人(中京大学):コメンテーター
セッションB:「方法としての人類学」
セッション要旨
「方法としての人類学」と聞けば、「目的としての人類学」のなかで人類学の再生産を自明化してきた研究者には挑発的な響きを持つかもしれない。しかし、あらゆる学問が、その学問が登場する以前の状態があるのであるから、人類学もまた後生大事にその目的と方法を規定のものとして再生産する必然性はあるまい。
だから本「方法としての人類学」が目指すのは、既定の方法としての人類学のノウ・ハウを呈示することを目指すものでは全くない。むしろこれまでの人類学の蓄積の中から使える手持ちの技芸を「部分的方法」として抱えて、目的も、対象も、文脈も、これまで人類学の領域でオーソドックスとされていたものから離れて駆動させ、その使い勝手を試してみることにある。そうすることで本のセッションでは、複数の新たな人類学anthropologisの可能性を照らすことを狙っている。
発表者は、これまでそれぞれ宗教人類学(白川琢磨)、医療人類学(池田光穂)、生態人類学(竹川大介)の領域で研究を蓄積させながら、その中で過剰で特異な動き方をしてきた研究者に集まっていただいた。またコメンテーターには、もともとこのセッションのタイトルをしばしば口にしてきた関一敏に依頼した。こうして人類学の目的を意識的に外すことで、本企画を営む場である九州人類学研究会オータムセミナーの場を後続の若手研究者に再度拓くこと、これを本セッションのもう一つの狙いとしておきたい。
飯嶋秀治(九州大学):コーディネーター
:「企画趣旨」
白川琢磨(福岡大学):「方法としての人類学-親鸞の嫌いな宗教学者・柳田の嫌いな民俗学者」
池田光穂(大阪大学):「ペダゴジー?アンドラゴジー?-自ら学ぶ技としての人類学」
竹川大介(北九州市立大学):「フィールドワークの余剰生産物―豊饒なあそび」
関 一敏(九州大学):コメンテーター