動物の行動が環境や経験によって可塑的に変化する仕組みとはどのようなものだろうか?
Movie: キイロショウジョウバエの性行動(野生型の雌と雄)
動物の行動は多くの謎に満ちています。何千キロも離れた海から故郷の川へ産卵に戻るサケ、美しい幾何学模様の巣をつくるクモ——彼らは誰から教わったわけでもなく、生まれながらにしてこれらの行動を具えています。人間においても、生まれたばかりの乳児が呼吸し、泣き声をあげるのは学習の結果ではなく、生得的な行動の一例です。生命維持や世代交代にかかわる多くの行動は遺伝的にプログラムされています。
私は、ショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)の雄が示す求愛行動をモデルとして、生得的行動の神経機構を研究しています。特に、遺伝子と環境の相互作用によって脳の神経回路がどのように形成され、変化するのかに焦点を当てています。
たとえば、野生型の雄は単独で飼育されると、他の雄と一緒に飼育された場合よりも、雌に出会った際に高い求愛活性を示します。一方、fruitless(fru)遺伝子に変異をもつ雄は、雄同士の集団で飼育されると活発な雄—雄間求愛行動を示しますが、事前に単独で数日間飼育しておくと行動発現が抑制されます。このように、遺伝的背景と社会的経験(環境)の組み合わせが、行動を大きく変化させるのです。
私はこの遺伝子―環境相互作用の分子・神経基盤を明らかにするため、求愛行動を開始させる司令塔としてはたらくP1ニューロンに注目しています。P1ニューロンを強制的に活性化すると、相手となる雌がいなくても雄は求愛行動を示します。in vivo ホールセルパッチクランプ法による電気生理学的解析から、P1ニューロンの電気的性質が雄同士の社会的経験によって変化すること、さらにその変化がfru遺伝子変異の有無に依存することを見いだしました。
分子レベルでは、翻訳中のmRNAを細胞特異的に精製する技術「Translating Ribosome Affinity Purification(TRAP)」を改良し、超高感度TRAP(STRAP)を開発しました(特許出願)。STRAP解析により、社会的経験に応じて発現変化を示す遺伝子群を特定しました。その中にはP1ニューロンを含む特定の脳細胞で、社会的環境によって発現量が変化する経験依存性遺伝子が含まれていました。さらに、集団飼育によって、fru変異体では特定のK⁺チャネル遺伝子の発現が低下する一方、野生型では変化しないことを明らかにしました。この結果は、P1ニューロンの興奮性が雄との同居経験の有無によって変化し、それによって雄—雄間求愛行動を引き起こしやすくすることを示唆しています。
このように、遺伝子・神経・行動を結びつけて階層縦断的に解析することで、行動可塑性の背後にある遺伝子と環境の相互作用の仕組みを明らかにすることを目指しています。ショウジョウバエをモデルとした本研究から得られる知見は、動物に共通する脳機能の原理を理解する手がかりとなり、ヒトを含む高等動物の行動や神経疾患の理解にも貢献すると考えています。