動物の行動が環境や経験によって可塑的に変化する仕組みとはどのようなものだろうか?
Movie: キイロショウジョウバエの性行動(野生型の雌と雄)
動物の行動は多くの謎に満ちています。たとえば、何千キロも離れた海から故郷の川へ産卵に戻るサケ、美しい幾何学模様の巣をつくるクモ——彼らは誰から教わったわけでもなく、生まれながらにこれらの行動を備えています。
このように、学習しなくても生まれつき備わっている行動を「生得的行動」と呼びます。人間においても、生まれたばかりの乳児が母親の声や匂いを好んだり、空腹や不快を泣き声で伝えたりするのは、生得的行動の一例と考えられています。このように生命の維持や世代交代にかかわる多くの行動は、遺伝子に刻まれた脳の「設計図」に基づいて生み出されます。
しかし、生得的な行動は遺伝的に固定されているわけではありません。同じ設計図を持っていても、育った環境や他者との関わり方、過去の経験などによって行動の現れ方は変化します。行動は、「遺伝か環境か」という二者択一ではなく、遺伝と環境の相互作用の結果として現れると考えられます。
私は、この仕組みを理解するために、ショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)の雄が示す求愛行動を研究しています。ショウジョウバエは体長わずか数ミリの昆虫ですが、遺伝子を自在に操作でき、脳の神経細胞を一つ一つ解析できることから、行動の仕組みを高い解像度で調べられる強力なモデル生物です。
雄のショウジョウバエは、雌に出会うと、決まった順序で求愛行動を示します。相手に近づき、左右の翅を交互に震わせて「求愛歌」と呼ばれる音を出し、交尾を試みます。これは典型的な生得的行動ですが、その様式や活発さは社会経験によって変化します。たとえば、野生型の雄を単独で飼育すると、他の雄と一緒に飼育した場合に比べて、雌に出会った際により活発に求愛するようになります。つまり、どのような社会環境で育ったかが、その後の行動に影響するのです。
こうした求愛行動の可塑的変化は、求愛行動の突然変異体でも見られます。fruitless(fru)遺伝子は、雄に特有の神経回路を作る上で重要な役割を持つ遺伝子です。この遺伝子に変異をもつ雄は、通常とは異なる性指向性を示し、雌ではなく雄に求愛します。
興味深いことに、この変異体の雄を集団で飼育すると活発な雄—雄間求愛行動を示すようになりますが、あらかじめ数日間単独で飼育しておくと、その後に雄同士を集団で飼育しても行動の発現は強く抑制されます。つまり、同じ遺伝子変異を持っていても、初期の社会経験によって行動が大きく変わるのです。
私はこの遺伝子―環境相互作用の神経基盤を明らかにするため、求愛行動を開始させる「司令塔」としてはたらくP1ニューロンに注目しています。P1ニューロンは、雄の脳に存在するごく少数の神経細胞群で、求愛行動のスイッチの役割を果たします。この細胞を人工的に活性化すると、相手となる雌がいなくても雄は求愛行動を示します。
生きたハエの脳から直接電気信号を測定する in vivo ホールセルパッチクランプ法という電気生理学的手法を用いて解析したところ、P1ニューロンの電気的性質が雄同士の社会的経験によって変化すること、そしてその変化がfru遺伝子変異の有無に依存することを見いだしました。これは、社会経験が神経細胞の働きそのものを変えることを示唆しています。
分子レベルでは、翻訳中のmRNA(実際にタンパク質へと変換されつつある遺伝情報)を特定の細胞から取り出す技術「Translating Ribosome Affinity Purification(TRAP)」を改良し、高感度 TRAP(STRAP)を開発しました(特許出願中)。この方法により、P1ニューロンで実際に使われている遺伝子群を高精度で特定することが可能になりました。
その中でも特に、神経活動を調節するK+チャネル遺伝子に注目しています。集団飼育条件下では、fru変異体において特定のK⁺チャネル遺伝子の発現が低下する一方、野生型では変化しないことが分かりました。K+チャネルは神経細胞の活動を抑えるブレーキのような役割を担っています。その発現が変わることで、P1ニューロンの活動のしやすさが変化し、結果として雄—雄間求愛行動の起こりやすさに影響すると考えられます。
このように、遺伝子・神経細胞・行動を階層縦断的に結びつけて解析することで、行動可塑性の背後にある遺伝子と環境の相互作用の仕組みを明らかにすることを目指しています。ショウジョウバエという小さな昆虫をモデルとした研究ですが、そこから見えてくる原理は、動物に共通する脳の基本的な働きを理解する手がかりになります。そしてそれは、私たち人間の行動や個性がどのように形作られるのか、さらには神経発達症や精神疾患の理解にもつながると考えています。