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東京農工大学
コンピュータミュージアム
解説
西村恕彦・小谷善行・野瀬隆
2003年3月
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.コンピュータミュージアム解説
目次
はじめに
第1部 コンピュータ以前の計算器
1・1 そろばん
1・2 手回し計算器
1・3 虎印計算器
1・4 計算尺
1・5 電卓
1・6 電子辞書
1・7 ミニコンピュータ
1・8 電卓の電池
1・9 チャタリング
1・10 カシオ
1・11 マイクロプロセッサ
1・12 リレー(relay)
1・13 ディジタル素子とアナログ素子
1・14 トランジスタ
1・15 真空管
1・16 パラメトロン
1・17 外部プログラム
1・18 微分解析機(井上謙蔵)
第2部 パンチカードシステムとIBM社
2・1 パンチカードシステムの概要
2・2 バッチ
2・3 紙カード
2・4 検孔機
2・5 カードの穴の名称
2・6 カードの向き
2・7 スモールカードシステム
2・8 IBMシリーズ50
2・9 IBM機の番号
2・10 特許など
2・11 制御配線盤(コントロールパネル)
2・12 記憶装置
2・13 コアメモリー
2・14 世代論
2・15 フロッピーディスク
2・16 レミントンランド機の番号
第3部 コンピュータの原点
3・1 ENIAC
3・2 EDSAC
第4部 日本の初期のコンピュータ開発
4・1 ETL Markシリーズ
4・2 ETL MarkⅠ
4・3 ETL MarkⅡ
4・4 FACOM 128B
4・5 ETL Mark Ⅲ
4・6 ETL Mark Ⅳ
4・7 ETL やまと
4・8 ETL Mark Ⅴ
4・9 ETL Mark Ⅵ
4・10 ソフトウェア
4・11 アセンブラ
4・12 片仮名表記
第5部 解説補遺
5・1 2進数
5・2 プログラムの基本概念
5・3 切捨て関数の諸問題
第6部 電子計算機技術の発展
6・1 記憶容量の拡大
6・2 規模の大きな変化
6・3 寸法の縮小
6・4 高い信頼性の実現
6・5 おそるべき演算速度
6・6 驚くべき低価格化
6・7 短い時間と速い進化
6・8 大きな影響
6・9 階段状の進化
6・10 世代の雁行
6・11 思いがけない変化
6・12 初期の多様な試み
暫定カタログ
索引
英字の部
日本語の部
付録 UNIVAC コンピュータ(岡田猛弘)
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東京農工大学
コンピュータミュージアム解説
2003年3月
はじめに
東京農工大学工学部情報コミュニケーション工学科では,計算機械の技術の集約された部品を収集してきました。経済の高度成長と技術革新の時代に,多くの計算機械が更新され,廃棄されました。それによって貴重な歴史的技術の結晶が失われていきました。それを愛惜する多くの方たちの御援助によって,破壊・廃棄される寸前の計算機械や部品の幾分かを収集保存できました。今後は東京農工大学コンピュータミュージアムで保存公開展示される予定です。
ここでは,それらを計算機械の歴史の中に位置付けながら紹介していきます(# 番号は東京農工大学コンピュータミュージアム暫定カタログの品目番号)。電子計算機(コンピュータ)以前の計算機械から始めます。
この解説は西村の個人的な経歴知識にもとづいていますので,
念のために西村の経歴背景を記しておきます
1961〜1963 日本IBM社教育部(カストマー教育担当)
1963〜1978 通産省電子技術総合研究所(機械翻訳の研究)
1978〜1998 東京農工大学情報工学科教授
1998 定年退官 名誉教授
西村のメールアドレスは,
nisimurh@ya2.so-net.ne.jp
東京農工大学コンピュータミュージアムのホームページは,
http://www.cs.tuat.ac.jp/General/CSMuseum/
です。御意見や質問,情報をくださればうれしく存じます。
なお,情報処理学会にはコンピューター博物館のホームページがあります。
http://www.ipsj.or.jp/katsudou/museum/index.html
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第1部 コンピュータ以前の計算器
1・1 そろばん
そろばん(算盤)は紀元前千年ごろのローマまたは中国で発明されてシルクロードを通じて広まり,世界の各地に古くからありましたし,近年まで世界の各地で使われていました(# 408)。日本のそろばんは独特の改良が続けられ,その計算技量(教育訓練を含めて)も優れたものでした。農工大学が計算機械の収集を始めた1980年代には,もうほとんど入手できませんでした(電卓のおかげですし,骨董品扱いでたいへん高価でした)ので,ミュージアムにはそろばんはほんの数台あるだけです。なお,日本にはそろばんの専門博物館がいくつかあります。近年の四つ珠(よつだま)と呼ばれる形のそろばんは,最も合理的なものとして江戸時代の末に提案され(江戸時代の和算家は解析学・代数学などのほかにそろばんを使った長精度の数値計算でも成果を上げていました),賛否の議論がつづいてから1930年ごろに戦争体制の国策として制定されたものです。それまでは,五つ珠(いつつだま)と呼ばれる形のものが普通でした。日本のそろばんの歴史的な発展(改良)の流れは次のようです。
最初期 室町時代に日本に入ってから江戸時代まで
上段(梁上,五の珠)が2珠
もっと原始的な形式として梁上が五の珠ではなく,
四つまたは五つの一の珠のものがあった。未見不詳
下段(一の珠)が5珠
中期 五つ珠(#980,#408)
上段(五の珠)が1珠 いつごろからか未調査
下段(一の珠)が5珠——昭和まで広く実用的に使われた
昭和 四つ珠——江戸時代末に提案され1930年ごろ
文部省と陸軍等が制定し学校教育で広く採用された(#978,#979)
上段(五の珠)が1珠
下段(一の珠)が4珠
個々の珠の形状も,日本の江戸明治以降のものは二つの円錐を合わせたような形で,指の当たりが鋭角の縁になっています。正面から見ると菱形です。古い(時期は未調査)ものは円錐の斜面にふくらみがあります。さらに古いものは,珠の縁が俵形に丸くなっています(# 408)。そろばんは上位のけたが左側,下位が右側になっています。これは日本中国の文字が右書きだった点からみて不思議なことです。おそらく,右利きの人が繰り上がりの操作をするのに便利だからか,または古代ローマで左横書きが確立した以後にそろばんが作られたかでしょう。もう一つの可能性は古代インドの位取り記数法の影響です。さらに,算木の位取りは左から右でしたので,後に実用化されたそろばんがこの位取りを踏襲したという可能性もあります。しかしそういうとしたら,算木の位取りの起源が問題になります。
1945年の敗戦の後に,占領軍の電動計算器と日本のそろばんとの計算競技が行われて,そろばんが勝ったという新聞記事(1946年11月11日朝日新聞)がありました。
1978年には,そろばんの端に電卓を組み込んだ商品(シャープのソロカル)もありました。和田英一が8進法のそろばんを手作りして使っていたということだが未見。
1・2 手回し計算器
計算器(カルキュレータ)というのは,手で数字を設定して直接計算する道具を指す言葉です。これに対して,計算機は,プログラム記憶方式の電子計算機(コンピュータ)を指すようです。
手回し計算器の起源は,17世紀にフランスのパスカル(パンセ=暝想録の著者)が作った歯車式のものです(通貨が10進法ではなくて,会計計算が煩雑だったことが一つの動機です)。この形式の模型(# 325)が1980年代に学研の雑誌の付録でありました。加算の場合に,あるけたの歯車(0〜9の10歯:10 進法だからです)が一周して9から0になると繰り上がりが起こって,左隣の歯車を一歯だけ送ります。この原理は単純ですが,「9999999+1」のようなときには一歯の送りで生じた繰り上がりを,ずっと左のけたまで「伝播」させなければなりません。それは容易なことではありません。これをさらに,けた数を増やして精密にしたのが手回し計算器です。置数部(10けた)に数値を設定してハンドルを1回転すると,その数値が累算器(20けた)に加算されます。逆方向に回転すると減算です。ハンドルを何回転もすれば,その回数だけ加算されますから,乗算になります。
例えば,「123×365」を計算する場合には,累算器をゼロにしておいて,置数部に123を設定します。位取りを100にして3回転すれば,300を掛けたことになります。ついで,位取りを10にして6回転,位取りを1にして5回転すれば,365を掛けた積が累算器に得られます。累算器をゼロにしないでおけば,積和が求まります。重いハンドルを回すのに疲れますが,例えば298を掛けるときには,100の位で3回転し,1の位で逆方向に2回転するというような“わざ”を使います。回転した回数は計数部に記録表示されていますから,自分でいちいち数えて覚える必要はありません。
除算は,位取りしながら減算(逆回転)を繰り返します。回転の回数を数える計数部に商が得られます。
開平(ルート √ )もできました。これには,奇数の和(1+3+5+7+…)が平方数になる性質を利用する方法もありましたが,ニュートン法を利用するほうが速いし,間違えにくかったようです——逐次近似なので,途中で間違えてもあまり影響なく次の近似値が求まります。(A÷x+x)×0.5 → xという計算です—— 近似のけた数が倍倍に増えるのが特徴です。
加減算だけならば熟練者のそろばんのほうがずっと速いのですが,手回し計算器はそろばんほどの熟練を必要としませんし,乗除算や積和が容易です。計算器を数十台配置した部屋をコンピューター・ルーム,その操作員をコンピューターと呼んだものです。電子計算機の初期にコンピュータという言葉が避けられた(日本でもアメリカでも)のはこういう事情もあったのです。
手でハンドルを回すのが手回し計算器です。タイガー計算器(# 903)という商品が広く使われました(ほかに,日本計算器=後のビジコン社や丸善,東芝事務機などがあり,それぞれの特徴で競争していました)。重さ6キログラム,構成部品は520種,1442点もあって重いのですが,それを小型軽量にしたクルタ(# 326〜328,リヒテンシュタイン=スイスの隣の国),アルピナ(# 329,西ドイツ)などという商品(ポケット計算機という呼び名で売っていました)もありました(操作性は卓上型のほうがだんぜんよかった)。
暗号機械はいくぶん手回し計算器と似ていますが,歯の数は23,19などの素数です。暗号機械は太平洋戦争の開戦時と敗戦時に破壊破棄されたことになっていますが,何台かは秘匿保存されて残りました。西村はそのいくつか(パープル暗号機など)を見て触りました。(コンピュータミュージアムには暗号機械はまだありません。)
歯車をモーターで回すのが電動計算器です。モンロー計算器という商品がありました。除算は減算の繰返しですので,位取りを間違えたり,除数の設定を忘れてゼロで割ったりすると,減算の回転がいつまでも続きます。そういうときには,電源を切ってやりなおすしかなかったものです。モンロー社ではほとんど同じ形で手回し式のものも出しました。これはたいへん珍しいモデルです。各けた位置に0〜9のボタンのあるフルキー配置でした。(# 930)
● 手回し計算器の置き方
手回し計算器は,数が正面に見えるように横長に置きたくなりますが,それは間違いです。長手方向が机の縁に対して垂直になり回転ハンドルが手前になるように置きます。そのほうが回しやすいのです。右手は回転ハンドルに,左手は置数レバーに当てます。数を見ないで,タッチ(感触)で数をセットします。加減乗除,連乗,開平も,数値の表示を見ないで連続的に操作します。これに対して,回転ハンドルを斜めに付けた機種(パイロット万年筆)もありました。
<資料: 谷本勉之助『手回し計算器の使い方』>
1・3 虎印計算器
タイガー計算器は,当初は虎印計算器という名称でした。ミュージアムには,虎印計算器という銘板の付いた古いモデル(機械の底に木製の台が付いていた)で完全に動くものが,たった1台収集されていました(学習院大学理学部から譲っていただいたもの)。ところが,日本放送協会(NHK)のテレビ取材に応じたときに「商品名が映るのは困る」といって無断でこの貴重な銘板の部分を破壊されてしまいました。それ以来,虎印計算器はもう二度と入手できませんでした。これは大本寅治郎という人が1920年代(大正12年5月)に商品化したのですが,日本風の名前では売れないので,“舶来”風のカタカナ名前にしたのでした。日本では「タイガー」が手回し計算器の代名詞になるくらいに普及しました。第2位のメーカーが日本計算器でほかに東芝事務機,丸善,パイロット万年筆などがありました。タイガー計算器は販売店を通さない直接販売で,製造番号によって製造年を判定できます。1950年代中ごろ,大学卒の初任給が1万円以下のときに3万5千円でした。この日本経済の高度成長期にどんどん売れましたが,電卓(とても大きくて高価でした)が出現し,激しい競争で1960年代末期に電卓の値段が20万円を割ったときに競争力を失い売れなくなりました。タイガーの販売累積台数は50万台弱でした。このころ手回しハンドルの部分にモーターを付けた電動式のタイガー計算器(E64-21)も開発されましたがときすでに遅く製造会社は電機メーカーに吸収されました。タイガー計算器販売会社は,コンピュータ関連事業で2000年代まで存続し,古い型から最新型まで各種のモデルを保存しています。
<注:日本文具資料館(東京都台東区)および文具科学館(東京都港区麻布十番)にいくつかの計算器が保存展示されています。また,機械式計算機の会(東京都千代田区神田ワタナベ技研内)という会があります。>
<資料: 西村恕彦「虎よ虎よ」,『数学セミナー』1980年 月号>
● 矢頭自動算盤
日本で手回し計算器を最初に作ったのは明治時代で,矢頭(やず)自動算盤といいました。原物が残っています。ただし非常に高価だったので,商品としては売れなかったようです(約200台)。これについては内山昭先生がお詳しく,著書もあります。東京理科大学近代科学資料館には昔の計算器具や手回し計算器,アナログ計算機など1200点余の収集もあるようです。
<資料: 内山昭『計算機歴史物語』,岩波新書>
1・4 計算尺
計算尺は,2数の積の対数はそれぞれの対数の和である
log(x×y)=logx+logy
という性質を使ったアナログ式の計算器です。つまり二つの物差の目盛の長さをつなぐと足したことになります。乗除算,開平(ルート),比例には,抜群の効率でした。三角関数などの数表の換算もできます。長さ数十センチ,幅数センチ,厚さ1センチくらいの竹とセルロイド製です(# 505)。円形のもの(# 409)もありました。日本のヘンミという会社が市場をほとんど独占していました。1961年に100万本出荷。3けた程度の精度で,技術者の必携品でしたが,関数電卓の登場によってすっかり姿を消しました。
1・5 電卓
電卓というのは奇妙な名称ですね。まるで電気仕掛けのテーブルとでもいうような名称で,電動の麻雀卓みたいです。電気テーブルをポケットに入れて持ち歩くなんて! これは電子式卓上計算器の略称だったと考えられます。卓上というのは,デスクトップ(机上)の据え置き型の意味ですね。実際,昔の計算器は手回し式(タイガー計算器# 932が代表)やモーターと歯車の電動式(モンロー計算器が代表)で,いずれも数キロから数十キロの重さで,机上の据え置きでした。カシオのリレー計算器はそれ自体が事務机のようなスタイルと大きさでした。計算机と書くのがよかったかもしれません
<蛇足:計算機を中国で「計蒜机」と書くのは,機械の機の簡体字が机になったのですし,だから飛行機は飛行机です! 蒜は算と同音なので使われる俗語的な表記です。にもかかわらず,蒜という漢字には含蓄があります。示が二つ並んだ漢字は算木の意味です。蒜は算木のような草です。>
電卓という略称は不適切なものですが,今となってはもうこれで定着しているのでしょうね(JISの用語にもなっています)。テーブルコンピュータとかミニコンとか訳している人もありましたが,英語ではデスクカルキュレーター,ミニカルキュレーター,ポケットカルキュレーターというようです(単純にデンタクでも通じるようです)。初期(1960年代)には,卓電という名称も使われていました。これは卓上電子式計算器ですね。
1962年にイギリスから(真空管などの電子素子を使った)アニタが上陸しました。これにならって,1960年代には,手回し計算器に代わるものとして,半導体素子などの電子部品を使った卓上型の計算器が次々に作られました。大井電気は超小型のパラメトロン(後出,# 434。二つの鉄芯に導線を通すのではなく,2本の鉄線に導線を巻いたもの# 434)を開発して,アレフゼロという電卓(# 921,434)を製造販売しました。重さが50キロ,価格が80万円で,たいへん好評でした。アレフはヘブライ文字のαで無限集合の濃度を表すのに使われます。これは,初めてテンキーを採用した電卓といわれます。それまでの電卓は,各けた位置に0〜9のキーを配置したフルキーが普通でした(お店のレジスターがそうでしたね)。そのほうが使いやすいと信じられていたのです。このテンキーの特許を販売代理店が申請しました。大井電気は,この特許の無効を泣く泣く申し立てて無効になりました。お陰で,その後の電卓はすべてテンキーになりました。
カシオも当時大ヒットしていたリレー式の計算器をあきらめて,トランジスタなどの電子部品を使った計算器を開発しました。カシオだけでなく,ソニー,シャープ,東芝,日立なども計算器を作り,性能,小型化,価格の激しい競争が始まりました。手回し計算器でタイガー社と競争していたビジコン社(旧称は日本計算器販売)も電卓市場に参入し競争に加わりました。どの会社にとっても次々に新型の電卓を企画・設計し,生産に移すことは大変な負担でした。ビジコン社は,トランジスタの回路を全面的に一々設計し直すのではなく,汎用性の高い原型回路を一つ作っておいて部分的な修正を付け加えることで,多様なモデルをすばやく商品化できるのではないかと考えました。この汎用性の高い原型回路という要求に,4ビットの簡素なプログラム記憶式コンピュータというアイデアが生まれました。当時は千個程度のトランジスタを集積したIC(集積回路)がインテル社でようやく実現したばかりでした。こういう少ない個数のトランジスタでプログラム記憶式コンピュータを設計するには,きわめて簡素なものにするしかありません。ここで,数字1けたを単位とし,加算回路をもたないIBM 1620の方式が思い出されたのでした。最初のマイクロコンピュータintel 4004(# 626)の方式に,IBM 1620の方式がどの程度どのように影響しているかについてはまだ研究されていません。(嶋正利はビジコン社に入る前に当時のいくつかのミニコンピュータを使ってコンピュータの多様なアーキテクチャ=方式やプログラミングの知識がありました。インテル社側のエドワード=ホフはIBM 1620の使用経験がありました。)
<嶋正利『マイクロコンピューターの誕生』岩波書店,
嶋・西村「マイクロコンピュータの誕生」,『bit』 年 月号>
当時の電卓は,1けた1万円といわれていました。大きさも「卓上据え置き型」でした。しだいに小型化の方向が目指されました。手の平に乗る大きさが一応の目標でした。1972年,「とかくこの世は計算よ,足すと引くとのからみあい,答え一発カシオミニー」のコマーシャルのカシオミニ(# 324)が大ヒットしました。電卓が数万円以上の値段で電機店で売られていたときに,カシオミニは定価1万2800円で,文房具店で売られたのです。電源が電池で10時間もつ(それまでは「卓上型」で,100ボルトの電源コードをつなぐのが普通でした)というのも画期的な性能でした。といっても,単三乾電池を4本も入れるのでした。内部演算は12けた,表示は6けたずつでした。1年半で200万台を売りました。この空前の販売記録は,任天堂のファミコンまで破られませんでした。マイクロコンピュータと液晶によって,アセンブリ(組立て)だけで各種の電卓が作れるようになって,電卓の競争はますます激しくなり,毎月のように新型が発表されました。新型のたびにチラシが作られて配布されました。ミュージアムではこのチラシも収集しています。収集を始めたころには,新型競争は終息しかけていましたが,あるデパートに行ったら,売場に古いチラシが積み上げてあって大喜びでもらってきました。
シャープは液晶の実用化に成功し,1973年6月に液晶電卓エルシーメイトEL-805を出し(エルシーは液晶Liquid Crystalの頭文字ですね),その後,デジタル時計も出しました。このころは液晶の反応速度が遅く(像がぼうっと現れた)鮮鋭度もわるかったのでお化け電卓,お化け時計と冷やかされました(そのうえ劣化も激しかった)。シャープが液晶で世界市場のトップメーカーになったのはこの電卓がきっかけでした。それまでの電卓は青い蛍光表示管か赤いLED(セグメント式)でした,どちらも電力を食うのが悩みでした(LEDは液晶の1万倍ほど)。その後,カシオは電卓市場の51〜55パーセント(シャープが26パーセント)を占有するほどになり,カシオはさらにデジタル時計にも進出しました(後発でしたが,ふたたび安価な腕時計で“殴り込んだ”のです)。電卓をあきらめて多額の損失を背負って撤退したメーカーもたくさんありました。激しい競争の結果,多様性はむしろ整理されて,けた数は8けたに落ち着きました。機能も収束して,四則演算,メモリー加算,パーセント計算,関数電卓,プログラム電卓というふうに類型化されました。1980年代に1000円,1990年ごろ300円未満のもの(#990,CASIO HS-4D BK)が量販店に出ました。2000年春には単三電池付き電卓(#993)やデジタル腕時計(#992)が100円ショップに出ました。
電卓の小型化の競争は4センチ以下の程度まで行きましたが,その大きさでは操作しにくく実用的でないことが分かり,一時は薄型競争で名刺サイズ厚さ1ミリ以下を競争していましたが(# 416),これも壊れやすくて実用的でなく,ある厚さのカード電卓(# 416)に落ち着きました。このころ腕時計電卓も商品化されました。最初の商品は金メッキで200万円ほどでした(# #####)が,そのうちカシオが3000円ほどのものを出しました。1980年代にY社は関数電卓の新機種を出したときに「電卓下取りセール」をしました。西村はY社に電話して下取りした電卓をどうするのか訊ねました。単に廃棄するだけだということなので譲ってもらって,たくさんの電卓を入手しました。また,そのときY社電卓の営業用見本一式も贈呈されました。
<参考:液晶の開発についてはNHKテレビのプロジェクトXがあったようです(未見)。>
1・6 電子辞書
1980年代には外国旅行用の簡単な電訳機がいろいろ出て,1990年ごろにCD-ROMの電子ブック(電子ブックリーダー用とパソコン用とがあった)が出始めましたが,あまり売れなかったようです。CD-ROMの大型辞書をバンドルしたソニーの電子ブッ
クリーダーも出ました。(カラー図版は別冊)しかし電子ブックの出版は一向に振るいませんでした。西村はCD-ROMの保存・交換・装着が不便な点から,ハードディスク組込みになると予想しましたが,実際にはそれを飛び越えてICメモリーの電子辞書になっていきました。
1992年1月にセイコーがフルコンテンツ(既存の大型辞書を全文収録,ただし図表は省略)のICメモリー電子辞書TR700を出しました。このころから,ソニー,シャープ,カシオ,キヤノンの電子辞書が出始めました。これらは,収録辞書,操作機能,価格などで激しい競争になりました。しかしそれぞれの特徴があって,電卓のときのような低価格一辺倒の競争にはなりませんでした。それに元の書籍版へのライセンス料も負担になりました。それでも2002年ごろには1年で半額ほどにも下がりました。ICメモリーそのものの体積・質量は書籍版に比べて1万分の1ほどです。もちろん鍵盤や液晶表示画面はある程度以上小さくすることは無意味です。2001年までは,図表は別冊でした。2002年春に図版(線図形だけ)を組み込んだ機種が出ました。2002年秋にはカラー液晶が付きました(シャープ PW C-5000)。
<資料: 西村「読む楽しみのない電子ブック」『bit』2002年2月号>
1・7 ミニコンピュータ
1960年代に技術の確立されたトランジスタとコア(磁心)メモリーを使ってコンパクトな筐体にまとめたミニコンピュータ(ミニコン)が登場しました。汎用機についてはIBM社の覇権が確立していたのに対してIBM社の提供していない分野(隙間)を狙ったのです。大規模なオペレーティングシステムや多種の入出力装置,磁気テープ,磁気ディスクは提供せず,電気的な接続条件を開示し利用者に任せることにして値段を安くしました。1万ドルコンピューターと呼ばれました(1ドル=360円の固定相場でした。)。DEC社のPDPが断然人気でした。日立はHITAC 10(1969年2月発表),富士通はFACOM R(1969年3月発表)を出しました。これらは制御用の組込みコンピュータそのほかとしてよく売れました。ほかの各社もいろいろな方式の機械を出しました。個人で買う人もありました。ワードのビット幅は16ビット,18ビット,24ビットなどいろいろでした。マイクロプロセッサを作った嶋正利は,汎用機のほかにいくつかのミニコンの使用経験がありました。また,DEC社は後にボストンのコンピュータミュージアムを設立しました。
● ワープロ
東芝のJW-10はミニコンを組み込んで構成され,1978年9月発表,1979年2月発売,重量180キログラム,価格は630万円でした。これが200万円になれば売れるのだがと評されました。
1・8 電卓の電池
電卓や時計の電池はミュージアムでは頭痛の種です。電池ではアルカリ液洩れが不可避です。放置すると,周囲を腐食します。これを定期的に点検交換するのは,大変な手間です。電池が太陽電池になって,大助かりです。
太陽電池電卓(# 550)が初めて出たのは1980年(東京電気,TEC)でした。受光面は5センチ×8センチと大きなものでした。
1・9 チャタリング
初期の電卓のキーや鍵盤のキーでは,ただ1回キーを打っただけなのに同じキーを多数回打ったかのように,同じ文字が多数つづいて入力される現象が起きました。例えば,5を打つと,555となります(個数はそのときによって不定です)。これは,キーを押して接点が閉じた後,その接点が弾性で跳ねて放れてまた閉じることを繰り返すチャタリングが原因です。この対策には各メーカーとも苦労しました。ばねの弾性・材質を変えるとか,接点に電導性の軟らかいゴムを使うとかいろいろありましたが,解決できませんでした。
けっきょく,これはプログラム的に解決されました。つまり,接点が閉じたときにその文字符号をコンピュータ側に送り込むという在来の方式に代わって,プログラムで各接点が閉じているか否かを検知してチャタリングを判定するのです。チャタリングによる跳躍・振動の持続時間が0.01秒程度,人間の指の動作時間が0.1秒程度ですから,そのあたりに閾値を設定して判別します。
1・10 カシオ
カシオは最初,モーターと歯車を使った機械式の電動計算器を作るつもりでした。研究しているうちに,電磁石で鉄心を動かして数字を表現したり演算したりできることに気が付きました。この着想を追究している中で,たとえばあるけたで9から0になって繰り上がったときに左隣のけたに電気パルスを送ればよく,歯車や鉄心の位置決めが介在する意味がないことに気付いて,リレーを組み合わせてディジタル回路の論理演算によって演算制御を行うことになりました。リレーまで自社で設計製作して,リレー計算器(# 935,# 907,# 927)を次々に商品化しました(1954年)。これは事務机のような形と大きさのものでした。操作は簡単で,軽快な動作音でかなり複雑な計算を実行できました。大きいし重くてトラックでないと運べませんでした。日本経済の高度成長期に好評でよく売れました(向かうところ敵なしといっていました,競争は激しかったのですが)。パンチカードシステムやコンピュータ以外の計算器で競合する機種もあったのですが,いまのところミュージアムでは当時の競合機種の現物,カタログなどの資料が入手できていません。(当時の『ビジネスマシンダイジェスト』などのカタログで調べられます。)一連の演算操作を一々人手で設定するのではなく,あらかじめ計算計画(プログラム)を作って歯車に設定しておき,人手はデータの入力だけとして,操作を簡単・確実にする「外部」プログラム方式のリレー計算器 CASIO AL-1(# 907)も実用化されました。
真空管などの電子素子を使った,コンパクトで高速な電卓アニタを1962年にイギリスのサムロック・コンプトメーター社が開発し日本で販売しました。これは業界と市場に大きな衝撃を与えました。カシオは超小型の新しいリレーを使った小型リレー計算器と電子的な電卓とを社内で秘かに並行試作しました。試作機を販売店・ディーラーに下見してもらったところ,(もう電子の時代だよと)圧倒的に後者が支持されてリレー計算器は開発製造を打ち切りました。このとき,カシオは旧型の工場と大量の在庫を抱えていて,技術的にも経営的にも大変な危機に立ちました。このような経験がその後のカシオの強い体質に役立ったと考えられます。カシオの電卓の多くが,科学博物館に保存されています(電卓の項参照)。
<資料: カシオ社史>
関連年表
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1945年 敗戦
1946年 樫尾製作所創立——金属加工の小さい町工場
1954年 リレー計算器開発
1957年 カシオ計算機設立
1962年 サムロック社のアニタ登場
1972年 カシオミニ大ヒット
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カタログ(1966年ビジネスマシンダイジェスト)
<注:#はミュージアム所蔵)
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ブランド 型式番号 重さ 価格 (# カタログ番号) 参考事項
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■ 加算機 (26社)50機種
■ 機械式計算機 (29社)46機種
大部分は歯車式(モーター回転)らしい
その一部は次のとおり
カシオ計算機——リレー
AL-1 99万5000円 (# 927,907)
401 49万円
402 44万5000円
オリンピア計算機
RA16 29万8000円
RA20 35万円
RAS-3/15 25万5000円
クルタポケット計算機
Ⅰ 230グラム 3万5000円 (# )
Ⅱ 360グラム 4万3000円 (# )
コンテックス
10(テンキー手動) 2.7kg 3万8000円——手でレバーを押して駆動
20(テンキー電動) 2.8kg 7万3000円
30(テンキー電動) 7万9000円
ゼムトロン電動計算器——フルキーの横にテンキーを併設
SAR Ⅱc 25万8000円
SAR ⅡcK 29万2000円
タイガー計算器
電動E64-21 11.9kg 15万5000円 (# )——モーター
手動H62-20 5.3kg 3万5000円 (# )
手動H62-18 5.0kg 2万9500円 連乗機構なし
モンロー計算機
電動IQ213 58万円.
■ 電子式計算機
13機種(10社)
その一部は次のとおり
IME電子式卓上計算機 18kg
カシオ計算機
001 16.5kg 38万円 (# )
√001 43万5000円
キヤノン卓上電子計算機
キャノーラ130 18kg 36万円
キャノーラ161 44万5000円
シャープ電子式卓上計算機
COMPET CS-20A 16kg 37万9000円
アニタ電子式計算機 13.6kg
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<機種数や社数からみて競争の激しかったことが推察されます。>
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1・11 マイクロプロセッサ
マイクロプロセッサは1970年ごろに発明されました。当時のコンピュータ技術者たちの目は汎用計算機の大型化,高性能化に向けられていたので,4ビットの演算機構とわずか数百けたの記憶容量しかもたないマイクロプロセッサは面白いおもちゃだねというような評価しか得られませんでした(西村もストアドプログラムとしての万能性をもつことは即座に理解しましたが,おもちゃ以上のものとは思いませんでした)。それがコンピュータ技術の世界だけでなく,あらゆる機械や全産業,社会,文化,思想(ワープロやインターネット,携帯電話の影響範囲を考えてください)にまで影響を及ぼすような重大な発明であることに気付いた人はほとんどいませんでした(発明者たち自身もです。嶋正利はこれを作らなければ日本に帰れない,今年のボーナスがもらえないということしか頭になかったと述懐しています)。マイクロプロセッサはその後年々集積度が上がり,高性能になってゆきました。スイッチング速度を速めるのに電流をたくさん流します。一方で集積度が上がって配線が細くなり,電流密度が高くなります。その電流は熱に変わります。(電気機器の電力はすべて熱になります。例えば,500キロワットの計算機室ならば1キロワットの電熱器を500台置いてあるだけの熱が発生します。)その熱を逃がすべき体積・面積は小さくなって,何百度という極限の温度になります。これを熱の壁と呼びます。熱を逃がすための工夫もいろいろあります。
<蛇足:日本ではマイクロコンピュータという言葉はマイクロプロセッサとほとんど同義語ですが,アメリカではマイクロコンピュータというといわゆるパソコンを指します。これをたんにマイクロと略すこともあります。>
1・12 リレー(relay)
電磁中継器,継電器という訳語が付けられています。鉄の芯に絶縁線のコイルを巻くと,電磁石ができます。この電磁石の前に鉄片の付いたスイッチを置きます。コイルに電流(制御信号電流)を流すと,鉄片が引かれて(出力線の)スイッチが入ります。コイルの電流を切ると,ばねでスイッチが戻って切れます。信号電流は長い距離を流すと電圧が下がり,電流が弱くなり,雑音(ノイズ)が入ります。長い距離の途中に中継器を置くことによって,信号電流を強め,雑音を減らすことができます。信号をリレー(中継)するのですね。リレーは単純で便利な部品(素子)ですが,動作が遅いこと,スイッチが火花で摩耗することなどの欠点があって,最初期の計算機でしか使われませんでした。
アメリカでも最初の自動計算機はハーバード大学とIBM社とが共同で作ったリレー式の Harvard MarkⅠ(別名IBM ASCC(=Automatic Sequence Controlled Calculator=自動順序制御カルキュレーター,乗算が6秒)でした。日本ではETL MarkⅡ(別項参照)やFACOM 100がリレー式でした。初期のカシオの電卓も,リレーから始まりました。電子計算機の回路素子としては早くから真空管やトランジスタが採用されました。しかし,リレーも電源のオン・オフには永く使われました(# 216)。
真空管やトランジスタ,リレーなどはいずれも弱い信号電流を制御線に流して,強い安定した信号電流の出力線をスイッチ(オン・オフ)します。その点で,スイッチング素子とか能動素子とかと呼ばれることもあります。
1・13 ディジタル素子とアナログ素子
ディジタルな論理回路ではリレーのように,制御信号によって出力電流をオン・オフ(点滅)するのですが,ラジオや音響機器では制御信号電流の強弱に応じて出力電流が比例的(線形)に変化する線形特性が重要です。信号を歪みなく増幅したいからです。真空管もこのような特性のものが主流でしたし,トランジスタもトランジスタラジオなどへの応用が先行したので,線形特性のものが開発・生産されました。しかしこれによって速度,信頼性,価格などが改善され,計算機に多量に使えるようになりました。計算機では線形特性はむしろ邪魔になります。オン・オフのように非線形な特性が重要です。
1・14 トランジスタ
出力信号線の途中にトランジスタを入れます。これは抵抗が大きいので電流を通しません。ところが,この状態で制御信号線から電圧を加えますと抵抗が突然減って,出力信号線の電流が流れるようになります(半導体といいます)。トランジスタの“足”(配線)は3本がT字形になっています。左右に伸びる水平の線が出力信号線です。下から垂直に入って来るのが制御信号線です。後の集積回路(IC,LSI)は,こういうトランジスタ(数十万個から数百万個)と配線を写真縮小し(後には光の波長の領域より小さくなって電子線などを使いました),結晶化して焼き付けたものです。初期のトランジスタは値段が高い——2000円から8000円——し,単体のトランジスタの製造歩留りが1000分の3でもましなほうだとか,歩留りは「ゼロではない=限りなくゼロに近い」,日産数個とかいわれていました。そればかりでなく,劣化する(寿命が分単位,時間単位),動作速度が遅い,流せる電流量が少ないなどの問題があったのですが,将来性が期待されて熱心に研究され改良されました。トランジスタ化されたコンピュータでも,電源系統にはリレーや真空管が永く使われていました。これも大電流を流せるパワー(電力用)トランジスタ(# 213,418)が開発されて,しだいにトランジスタに置き換えられていきました。初期のトランジスタはゲルマニウムを使っていて熱に弱いものでした。配線やハンダ付けに特別な注意が必要で,組み立てた後も過熱しないようにしましたし,冷房が必要でした。後にはシリコン(シリコンは元素周期律表の中でゲルマニウムに近い元素です,鉛や錫のような色光沢をもつのも同じ理由からです)を使うようになって熱に強くなりました。
<資料: 相田洋『電子立国・日本の自叙伝』日本放送出版協会>
● 座席予約装置
国鉄の最初の座席予約装置Mars 1(マルス)は東京大学航空研究所の穂坂衛たちが設計し,日立が実装したトランジスタ式(# 137),記憶は磁気ドラム(# 501)のマイクロプログラム方式の機械でした(# 129参照)。方式や技術はプログラム記憶方式のコンピュータ(と実時間制御オペレーティングシステム)そのものでしたが,これが動いた1959年当時(1960年2月営業開始),コンピュータとは大量の数値計算をするものであるという認識でした(さらに電気工学科の出身ではないという偏見もあった)ので,実用的な信頼性の高いコンピュータシステムを作ったという認識・評価は得られませんでした。ミュージアムにはMars 1の基板(# 137,501),水晶発振器(# 501),Mars 101の基板(# 129,708,709)などが保存されています。
<資料: 穂坂:オンラインシステムの誕生,電子通信学会誌,1994年12月>
<資料: 穂坂:グラフィクスとCADの事始め,コンピュータソフトウェア,1985年7月>
1・15 真空管
真空管は,フィラメントから陽極(プレート)に流れる熱電子の流れの途中に,格子(グリッド)をはさんで,ここに加える電圧で熱電子の流れを制御します。電子技術の歴史の中で永い経験と広い応用があってその性質がよく分かっていましたし,動作速度も非常に速かったので,初期の電子計算機は真空管で始まりました。(リレーの計算機よりも何百倍速いという比較評価がなされました。)
アメリカ陸軍のENIAC,イギリスのEDSAC,日本で最初に動いた富士写真フイルムのFUJIC(#121,早稲田大学に移されてから科学博物館で保存),東京大学のTAC(#119,一部が科学博物館,東芝科学館で保存),最初の商用機UNIVAC,IBM社の701,702(1953年9月発表),704,709,705(# 622),650(1953年7月発表# 107,# 118)などが真空管です。真空管の問題点は発熱と寿命でした。たとえば,突然停電して換気扇が止まると,内部に蓄積されていた熱で回路が破壊されてしまうようなことがあって大変でした(大急ぎで筺体を開いて手近なもので扇ぐなどの緊急処置が決められていました)。寿命については平均寿命が1000時間とすると,真空管を1000本使った回路は1時間しか動かないことになります。寿命の問題に対処するために(動作電流を定格電流の半分以下にするなどの)さまざまな工夫がされましたが,結局は真空管は見捨てられて,トランジスタになりました。真空管と同じ外観でも真空ではないガス入り放電管などもあります(作動速度が遅い)。総称は電子管です。寸法は,ミニアチュア管(MT),サブミニアチュア管(ST)などがあります。作動速度は大きさと関係があるので電子計算機では小さいミニアチュア管などが使われました。
1・16 パラメトロン
日本では,かなり初期のころはパラメトロンの計算機が作られました。パラメトロンは東京大学物理学教室の高橋秀俊,後藤英一,和田英一たちが1950年代の終わりに発明した素子です。二つの磁心に1本の導線を通すことによって双安定の発振を起こし,波形の位相によってビットの1/0を表現するものです。複数の入力の多数決によって出力が決まるなど面白い性質があっていろいろな回路が設計され,PC-1(廃棄されてなくなった),PC-2(科学博物館で保存)などの計算機が実働しました。電電公社(後のNTT)の武蔵野通信研究所のほかに,各メーカーもパラメトロンの計算機を作りました。たとえば,日立のパラメトロン計算機はHIPACという名称(# 308,# 309,HIPAC 103,1961年8月完成)でした。それに対して,日立トランジスタ自動計算機の略称がHITACでした。PC2を富士通が商品化したのがFACOM 202(# 235)です。これはトヨタ自動車工業,東京大学物性研究所に販売設置されました。物性研究所では井上謙蔵がALGOLコンパイラを作りました。日本電気もパラメトロンの汎用小型計算機(NEAC 1201,1210)を商品化しました(# 934)。
大井電気(前出)は小型のパラメトロン(# 434)によって,アレフゼロという電卓(# 921)を作りました。
パラメトロンを作るのに,特性のそろった二つの磁心を対にすることが重要でした。二つの磁心ではなく,一つの鉄片に二つの穴を開けることによって特性をそろえたのが眼鏡形パラメトロンです(#308,#309,#235)。
パラメトロンは動作速度を上げることがむずかしく,また不連続な構造なので,小型化したり大量生産したりすることが困難でした。これに対してめっきなどによる薄膜パラメトロンが研究されたりしましたが,けっきょく電子技術は個別素子のトランジスタから集積回路へと進んで行きました。
<資料: 高橋秀俊『パラメトロン計算機』岩波書店,高橋秀俊『電子計算機の誕生』中公新書>
1・17 外部プログラム
初期の自動計算機(パンチカードシステムや計算器)では,外部プログラムが使われました。これは一定の計算手順・計算計画を紙カードや紙テープなどに穿孔記録しておいて,計算機はこれを1命令ずつ読み取りながら,その指示どおりの演算動作を行うのです。バベジの自動計算機の着想の基になったジャカードの自動織機がまさにこれでしたね。薄板にあけられた穴の指示に従って,布地の模様が織り出されました。ジャカード自動織機は東京農工大学の繊維博物館に保存されています。
UFCとUNIVAC 60/120ではプログラムボードを使いました。これは多数の端子をもった配線盤に配線するものです。
ETL MarkⅡ,FACOM 128B,Harvard MarkⅠなどのリレー計算機は,紙カードや紙テープの方式でした。必ずしも紙カードを送るのではなく,多数の接点群の間に紙カードを固定してセットして,その穴を電気的に読み取るものもありました。カシオ計算器AL-1では,歯車の歯を折り欠いてプログラムを記録し,これを回転させて読み取りました(# 907)。演算の実行速度は,紙カードなどの送りの速度で制約されました。というか両者(読取り速度と演算速度)はバランスしていました。フォンノイマンはENIACを評価検討して,プログラムを主記憶中に記憶すれば高速に呼び出せるし,プログラムをデータとして扱えるとして,プログラム記憶方式を提案しました(数学基礎論に出てくるゲーデル数がヒントかもしれません)。
1・18 微分解析機
井上謙蔵
1. 概説
1946年にENIAC,つづいてEDVAC(1950),EDSAC(1949)が現れてから,計算機の世界は計数型に傾斜し,現在,計算機といえば計数型計算機(Digital Computer)だけを意味するようになった。しかし以前には計測型計算機(アナローグコンピュータ;Analogue Computer)というものが考案されていた。
計測型計算機として,機械というレベルに達し,実用にも使用された著名な装置は,機械式微分解析機である。そこで,ここでは計測型計算機の代表として,機械式微分解析機について紹介する。その最初のものはV. Bush(MIT;マサチューセッツ工科大学)が1930年に完成し(1),さらに1935年にはBushの指導下で,ペンシルバニア大学,アメリカ陸軍弾道研究所,さらにMITなどで改良型が製作され,弾道計算などに使用された。世界的にも何か所かの研究機関で製作されており,日本では東京大学をはじめ,若干の大学で作られた。図1(#カラー写真)は物理学校(現東京理科大学)で使用されたもので,現在は東京理科大学近代科学資料館に展示されている。
計数型は数そのものを処理対象とするが,計測型は物理系によるシミュレーションを行う装置である。それは計数型が数値ばかりでなく,数形式で表現できるあらゆる情報を処理できるのに対し,計測型はその物理系独特の性質に基づく限られた範囲の計算装置となる宿命を担っていることを意味する。
微分解析機の目的は常微分方程式の解を求めること,すなわち常微分方程式を満たす関数の数値解を作り出すことである。
機械式微分解析機は,主として研究機関で実験的に作られ,実用に供されたが,市場にはほとんど出回らなかった。真空管式の微分解析機が,計数型計算機の見通しが未だ明白でなかった戦後の早い時代に,二,三の会社から販売され,機械式より計算速度は速かったが,機能が狭く,あまり普及しなかったようである。
2. 構造の概略
微分解析機の構造の中心は複数個の積分機である。図1(#カラー写真)では右上に見える3個の水平に置かれた円盤がそれぞれ積分機の主体である。
微分方程式は微分形式の項の加減算で構成されるが,それを解析機の演算対象とするためには,まず式全体を積分して,各項を積分の形式にする必要がある。そうすると各項の演算はそれぞれ積分機の演算で実現できるから,あとは式全体を構成するように,各積分機の入出力を結合する装置を付加すればよいことになる。
積分機の入出力は回転角なので,ある積分機と他の機器を連結するためには,歯車で結合された回転軸が必要である。積分機の出力は大円盤上に軸を横にして置かれた小円盤(図2#カラー写真)の回転であるが,それは大円盤と小円盤の摩擦によって,前者から後者へ伝達されるので,きわめて微弱な力しか持たない。そのままでは歯車で結合された連結機構を動かすことはできない。Bush は,Niemann の発明による,回転力(トルク)増幅機(2)を用いてこの問題を克服した。これが Bush の機械を成功させたといわれている。回転力増幅機のアイデアは船の巻揚機に基づいている。自動車のステアリングホイールにも同じアイデアが使用されているそうである。
Bush は歯車による連結を電気的な接続装置で置き換えた微分解析機を1942年に製作しているが,それにつづく計数型計算機の発達で,実質的な働きをすることはなかった。東京大学の旧航空研究所で戦時中に製作された微分解析機(後出)は,多分この系統のものであろう。以下に微分解析機の部分,それらの原理,機能の仕方についてやや詳しく説明する。
<注:Vannevar Bush は後年 hypertext を提唱する。>
3. 積分機
まず微分解析機の中心機構である積分機について説明する。積分機の基本的なアイデアは面積計(プラニメーターPlanimeter)というものからとられている。閉曲線の内部の面積を求める簡単な道具である。おおげさにいえば初歩的なアナログ計算機であろうか。その最初のものは J. H. Hermann(ドイツ)によって1814年に作られたといわれている(3)。
ここでは最も簡単な形式のプラニメータを紹介する。それは図3の上図に示すように一本の金属軸で,それが貫通する円筒状の器具と軸の一端に固定した針を持つものである。この円筒器具は,軸に沿って滑らかに動かすことができる。その下には閉曲線上を滑ってたどるため先端に小さな歯車を持つペンがついていて,その回転によって移動距離に対応する数値が,円筒器具の上の表示窓に示される。
閉曲線内の面積を求めるには次のようにする。プラニメータの一端の針を,面積を求める閉曲線の外部に固定する。表示窓の数値を0にセットして,円筒器具(のペン)を,閉曲線上の任意の一点から,線上を一方向きに出発点に戻るまで動かす。出発点に戻ったときの表示窓の数値が閉曲線内の面積を表す。
面積計算の理屈を示すのが,図3の下図である。円筒器具を閉曲線に沿って,閉曲線右側と線L1の交点から,L1と微小角dφの傾斜をなす線L2との交点まで動かしたとする。そのときの左端の針からペンまでの距離をr2とすると,ペンの動いた距離が表示窓の数値に加わる。この数値は面積r2・dφに対応する。次に,円筒器具を閉曲線に沿って左側まで動かし,線L2との交点まで来たとする。今度は針からの距離はr1である。そこでその点から線L1との交点までの移動は面積r1・dφに対応する。ただし今度はペンの歯車が閉曲線の右側のときとは逆方向に動くので,表示窓の数値は,それまでの結果からr1・dφを減算した結果を示す。閉曲線の一点から,その点まで曲線に沿って円筒器具を動かせば,閉曲線内の全面積が計算できることは明らかであろう。
図2(#963カラー写真),図4は積分機を示す。水平に置かれた大円盤の上に,小円盤が面を垂直に,縁を大円盤に接して置かれている。小円盤の軸は大円盤の中心上を通っている。積分機の入力は大円盤の軸の回転と小円盤の軸の前後移動である。出力は大円盤の回転によって引き起こされる小円盤の回転である。
小円盤の半径をDとし,大円盤の軸から小円盤の面までの距離をRとすれば,大円軸の微小角dθの回転は小円盤の角dφ=R・dθの回転を引き起こす。そこでR=R(θ)とすれば,積分∫R(θ)dθを小円盤の回転角として得ることができる。ただしR(θ)は他の装置,積分機または後に説明する図形入力機から得られる回転角であるから,それを歯車系を用いて直線運動に直し,小円盤の軸を前後に動かす必要がある。
4. 例題
微分解析機の使い方を例で示す。
まず,積分機1個ですむ簡単な例,
dy/dx=x
であるが,この式を満たすyの値は,
y=∫x dx
として,積分の下限から上限までの数値解によって求められる。図5はそのための積分機の入出力を示す。ただし複雑さを避けるため,積分機の入出力の伝達機構は省略形式にした。
被積分関数はf(x)=xであるから,小円盤には大円盤の入力と同じ回転を歯車系で直線運動に直し,軸の前後運動として与える。そのときの小円盤の回転角が変数xの数値の変化に対するyの数値の変化である。積分の下限は,大円盤の回転の初期位置である。これに対する関数値xの値を小円盤の大円盤中心からの初期位置として与えておかなければならない。機械を停止させたときのxの値が積分の上限値である。
これらの値の変化を記録するには,入力xの値に対するyの値,すなわち積分機の出力の変動を図形として表示する装置が必要である。
次に,積分機2個を必要とする例,
ddy/dxdx=−y
を考える。これは円関数の微分方程式であるが,積分機は1階の積分しかできないから,まず,与えられた式を
dy/dx=z, dz/dx=−y
と分けて,それらの連立方程式として考える必要がある。これらの積分形は
y=∫zdx, z=∫−ydx
である。それぞれの式を積分機に対応させ,連立を実現するように結合したものが図6である。適当な初期値の下で,これを駆動すれば円関数の数値解が得られる。
図の中で(反)と印された円形は符号反転の装置である。装置といっても,これは同じ歯数の歯車をかみ合わせ,回転の向きを逆方向にするだけである。
図7には図6の結合を,積分機の入出力の伝達機構も含めて少し詳しく表示した。
5. その他
複雑な方程式を扱うためには以上に述べたもののほかにも,もう少し追加的な道具が必要である。
まず変数や関数値に定数の乗算を必要とする場合がある,これは適当な歯数比の歯車の組合せで達成される。C倍にしたいときは図8のように歯数比がC:1の歯車の組合せということになるが,必要な歯車の組合せをそろえるのはなかなか大変である。
次は数値の加減算である。これは図9に示すように,差動歯車が使用される。差動歯車は自動車の動軸と動輪軸との結合に使用されているので,多くの方がご存じと思われる。
図10は,図形で表示された関数値を入力するための自動曲線追尾装置を示す。この装置のy軸には,その軸に沿って上下する箱が付いており,箱には図上の曲線を見るための拡大鏡が付随している。さらに箱中には拡大鏡の,曲線で分割されてできた,二つの視野の光量(図10下)が一致するように,y軸の駆動モータを動かす出力を発生するバランス回路が入っている。y軸の回転は,解析機へのyの値の入力になる。
図10において,y軸を,微分解析機からの出力で駆動し,バランス回路と拡大鏡の代わりにインクを含んだペンを付ければ,解析機からの出力を線図形として描く装置として使用できる。
最後に,積分機の結合に歯車系を使用しないで,発電機・電動機の組を用いる電気的結合方法を示す。これは先に引用した東京大学の旧航空研究所の微分解析機の例であるが,この発電機・電動機として動作する電気機器はセルシンモータと呼ばれている。図11に,図7をセルシンモータ結合にした場合を示す。セルシンモータは同じ回転角を,正確に,他のセルシンモータに伝える。この手段であれば反転は出力側または入力側の端子でのコードのつなぎ代えだけであるので,きわめて簡便であるし,伝達機構全体の構成も,歯車系の場合に比べて著しく単純になる。
機械式微分解析機の開発に至る詳細な歴史的経緯について興味のある方は,大変古いものではあるけれども(4)の著書を参照されたい。また,機構の概略,歴史的経緯について(5)も参考になろう。
文献
(1) V. Bush: The Differential Analyzer, A New Machine for Solving Differential Equations, J. of the Franklin Institute, Vol.212 (1931), pp.447-488. ただし機械は1930 年から使用されていた。
(2) C. W. Niemann: Bethlehem Torque Amplifier, American Machinist, Vol.66(1927), pp.895-897.
(3) Encyclopaedia Britannica (1948), mathematical instrument. 文献(5)では,この記述は欠けている。
(4) Herman H. Goldstine: The Computer from Pascal to von Neumann,1972, Princeton University Press. 末包良太,米口肇,犬伏茂之 訳:計算機の歴史(パスカルからノイマンまで),1979, 共立出版。
(5) ブリタニカ国際大百科事典 (1972), ブリタニカ社;世界大百科事典 (1988), 平凡社,いずれも計算機,面積計の項。
(6) 電子計算機ハンドブック(1966),オーム社,p8-37
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図3 プラニメータ
図4 積分計
図5 dy/dx=xの解法
図6 ddy/dxdx=−yの解法
図7 積分機の歯車系による結合
図8 回転角の定数倍
図9 差動歯車による加減算
図10 図形入力
図11 積分機のセルシン・モータによる結合
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第2部 パンチカードシステムとIBM社
2・1 パンチカードシステムの概要
電子計算機の出現する以前から,事務データ処理の機械化は穿孔紙カードシステム(パンチカードシステム,PCS)によって進められていました。
これは,鍵盤穿孔機(キーパンチ)を使って,事務帳票を紙カードに穿孔記録します。事務伝票を左手でめくりながら,その数字を右手で打鍵していきます。パソコンの鍵盤の右側に数字のキーがまとめて配置してある(テンキー)のは,このことに由来します。(穿孔と同時にその文字をカードの上縁に印字する穿孔機=プリンティングパンチもありました)。この穿孔員をキーパンチャー,キーパンチオペレータ,パンチャーなどと呼びました。鍵盤のキーを打つ(入力打鍵)のを今でもパンチと呼ぶことがあるのは,紙カードのパンチ(穿孔)から来たのでしょう。IBM社の鍵盤穿孔機は,キーを押すと即座に1けた穿孔されてカードが送られます。レミントンランド社の鍵盤穿孔機は,押されたキーがいったん記憶されます。「穿孔」キーを押すと,全けたが一気に穿孔されます。データを打鍵しているときにミスタッチにすぐに気付いた場合には訂正できます。
この紙カードの束をファイル記録媒体として,分類機で分類整列し,集計印刷(制御合計)します。必要に応じて乗算などを計算穿孔したり,マスタファイル(台帳)とトランザクションファイル(取引発生記録)との二つのファイルを混ぜ合わせたり(照合)します。このためにはそれぞれ専用の単能機を使います。機械の操作とカードの移動に相当の人手が必要です。
で,PCSの基本セットは,鍵盤穿孔機(キーパンチ),分類機(ソーター),集計印刷機(会計機,アカウンティングマシン)でした。カードの読取り機構の速度は,1分間に100枚から200枚程度でした。プリンタの速度もこの程度で,カード読取り速度とバランスしていることが合理的であり,十分だと考えたのです。
そのほかに,穿孔のパターンを読み取って,そのカードの表面に印字する機械がありました。これは印刷機,翻訳機(インタープリーターまたはインター)と呼ばれましたが,後年の電子計算機ソフトウェアのインタプリタ(解釈方式)とはまったく別のことです。
IBM社やレミントンランド社は,何万枚もの穿孔紙カードを高速にかつ誤りなく入出力する技術と経験をもっていましたから,電子計算機を始めたときに,当然のこととして穿孔紙カードの入出力を採用しました。当初のコンピュータにおいては,カードは十分な速度と信頼性をもっていました。それに対して,日本のメーカーにはこの技術と経験がなく,コンピュータの入出力装置には散々苦労しました。通信(電信)に使っていた穿孔紙テープを使ってみましたが,信頼性や操作性の点で満足できませんでした。さらに,在来の事務データ処理が記録ファイル・処理手順ともに紙カード方式で確立していて,紙テープに転換することは困難でした。科学技術計算の用途ならば入出力データが少ないので,日本でもコンピュータが作れるだろうと考えられました。そこで通産省(後の経済産業省)は,事務データ処理用のコンピュータはとにもかくにも輸入を許可しましたが(当時の日本は外貨がなくて苦労していましたから,輸入許可申請の手続きはたいへん煩雑でした),科学技術計算用の機種は原則として輸入を認めませんでした。
当時の日本IBM社は若干のPCS機械を製造して本国のIBM社に納入していましたので,輸出貢献企業として通産省から表彰されたこともあります。(輸入と輸出とのバランスではなく,輸出金額だけをみたからです。)
2・2 バッチ
パンチカードシステムでは,たとえば,月単位でまとめる月次処理をします。この場合には,1か月分の取引記録の伝票をまとめておいて,鍵盤穿孔します。この伝票の束や穿孔カードの束をバッチと呼びます。これを処理するのがバッチ処理(一括処理)です。電子計算機の場合には,同様のバッチ処理も,取引発生のたびに即座に処理する即時処理(POS,ポイントオブセールスシステム,オンライン処理など)も可能です。
2・3 紙カード
パンチカード機械はアメリカで1890年の国勢調査の集計のために開発され,使用されました。
当初,IBM社とレミントンランド社は縦12段×横45けたの位置に丸い穴をあける同じ規格の穿孔カードを使っていました。紙カードの寸法は,当時のドル紙幣の寸法に合わせたものでした。造幣局の紙幣裁断機を流用したからです。ドル紙幣は1919年(第一次世界大戦の終結した翌年)に一回り小さく(不換紙幣に)なったので,現在の80けたカードは現在のドル紙幣よりわずかに大きいのです。
当初のカードは12段45けたの穿孔位置の丸孔で数字などを表現しました。国勢調査以外の事務処理に応用しようとすると,45けたでは到底不足なので,IBM社は同じカードの孔の横幅を詰めて80けたを詰め込みました(# 402,細い長方形の角孔)。
レミントンランド社は12段を上下2組に分けて90けたを表現しました(# 534,536 )。
<蛇足: 両者の穴の位置はこのように単純な倍数関係になっていたので,後年の電子計算機では一つのカード読取り装置でどちらのカードでも読み取って,電子計算機の内部で符号変換するものがありました(例えばUNIVAC 1004)。>
両社は事務データ処理の機械化の市場で,技術・性能・価格を激しく競争しました。IBM社はリレーなどを用いる電気的な技術,レミントンランド社はカムや歯車などを用いる機械的な方式(その部品の一部は日本ユニバック社(バロース社と合併して1988年4月1日に日本ユニシス社になった)に保存されています)でした。IBM社はレンタルが原則で販売はしませんでした。レミントンランド社は販売とレンタルのどちらも可能でした。電子計算機(コンピュータ)の開発は,レミントンランド社が先んじました。ENIACを作ったエッカートとモークレーの設立した会社を買収して実用機を開発し,UNIVAC(ユニバック)という商標で発表し,大きな反響を呼びました。実際,ある時期には,アイビーエムはパンチカードシステム,ユニバックは電子計算機の代名詞だったくらいです。IBM社は電子計算機のハードウェアの開発では後れをとりましたが,ソフトウェア(プログラミングとユーザーサポート)の充実がコンピュータ応用の死命を制するかぎとなると見て,この面からユニバック社を追撃しました。
汎用コンピューターのプログラムやデータの入力媒体として紙カード(と鍵盤穿孔機)は永く使われました。その後フロッピーや端末の鍵盤に移りました。パソコンの入力ではカードはほとんど使われませんでした。
<資料: 日本ユニバック社:ユニバック30年のあゆみ>
2・4 検孔機
機械処理するデータの正確さは重要です。ごみを入れればごみが出る(GIGO=ギゴ,garbage-in garbage-out)といいます。IBMでは,鍵盤穿孔機で打ったカードの束を検孔機(verifier)に入れます。元の帳票を見ながら,同じ文字をもういちどすっかり打鍵します。すべての打鍵がカードの穿孔と一致しているとカードの右縁に刻み(ノッチ)が入ります。終わってからカードをそろえたときにこの刻みが通っていれば合格。刻みがなくて飛び出しているカードが間違いのあったものです。これを抜いて訂正カードと差し替えます。レミントンランドでは,鍵盤穿孔機のスイッチを切り替えてもう一度打鍵穿孔します。スイッチによって孔の位置が上に2ミリほどずれます。つまり正しい穿孔は長円形になります(# 536)。このカードの束を検孔機に通すと長円形でない孔が検出されます。初期の富士通の方式は後述。
穿孔カードを編集印刷した校正刷を元の帳票と読み合わせる校正も行いました。
2・5 カードの穴の名称
カードの穿孔位置には名前がついています。カードの長辺を水平に置いたとしてIBM型の80けたカードでは,いちばん上を12の段,yの段(+の段),2番目を11の段,xの段(−の段),その次を0の段,以下を1の段,2の段,…,9の段と呼びます(レミントンは別の呼び方)。1の段,2の段,…,9の段はその数字を表現するのに使い,ディジットと呼びます。その上の3段はゾーンと呼びます。英字26種は,ゾーンの一つとディジットの一つを組み合わせて(3×9=27)表現します。英字は大文字しかなく小文字は使えませんでした。(# 402)
2・6 カードの向き
穿孔カードの束を機械に入れるのに方向があります(パンチカード機械PCSでは金属のブラッシを80けたぶん並べて電気的に段方向に読みました(# 520参照))。
ナインエッジファースト・フェースダウンが普通でした。ナインエッジファーストは9の段を機械側に向けます。フェースダウンはカードの束の表てを下にして,読取り機構に置きます。これらとは逆向きの置き方もありました。間違えると読取りは進みますが,とんでもない結果が得られます。レミントンランドはゼロエッジファースト・フェースダウンでした。
また,コンピュータでは長手方向にカードを動かして,けた単位に光電的に読む読取り機構も使われました。
2・7 スモールカードシステム
●IBM System 3000
これはドイツIBMが開発した小型,簡素,安価な穿孔紙カードシステムで,1962年ごろに発表され,たいへん好評を得ましたが,すぐに販売を中止したので資料はほとんど残っていません。中止の理由は,あまりに好評で,在来機(レンタル)が大量に返品され,大きな損失(レンタル収入の減少)が予想されたからだといいます。これが開発された動機は,電子計算機の実用化にユニバック社が成功し,IBM社の将来市場(新規見込み客)がユニバック社にさらわれそうになったことです。IBM社は電子計算機開発までの当分の時間と資金を新しい穿孔紙カードシステムで稼ごうとしました。つまり,新しい顧客をIBM社に引きつけるねらいでした。ところが,IBM社の在来機の顧客のほうが敏感に反応し(在来型のPCSを返品して新しいスモールカードシステムに乗り換える動きになった),レンタル収入の減少,資金の枯渇が心配になったのです。
ミュージアムには,システム 3000のカード(# 404)が1枚だけ保存されています。縦12段×横80けたの位置に小さい丸穴をあけています。穴の縦位置が奇数けたと偶数けたで食い違わせてあるのは,左右を詰めるための面白い工夫です。
●IBM System/3
これも小型の穿孔紙カードシステムで,1960年代初めのものです。縦6ビット×96けたのカードです(# 535)。
IBM社の初期の電子計算機は6ビット1バイト(これをキャラクタと呼びました)で英字・数字などを表現していました。この6ビットは1,2,4,8,A,Bという名称です。始めの4ビットはディジット,後の2ビットはゾーンを表します。
2・8 IBMシリーズ 50
同じころに処理速度が半分,価格が半分という穿孔紙カードシステム,シリーズ50も発表されましたが,さしたる反響を呼びませんでした。技術が電子計算機になる動向がだれにも見通せる時代になっていたのです(1959年10月にIBM1401発表)。
1950年代には,事務データ処理の機械化を人手から一気にコンピュータに進めるのか,それとも,人手から過渡的にパンチカードシステムを経由・経験してコンピュータに行くかが真剣に議論比較検討されたものです。
IBM型の80けた穿孔紙カードは電子計算機の入力媒体としても広く永く使われましたが,けっきょくはオンラインのディスプレイ端末やフロッピーディスクに置き換えられていきました。パソコンのディスプレイの横幅が80けたであるのは,このカードが80けただったことに由来します。COBOLやFORTRANなどのプログラム言語の規格の中に命令文の1行を80字と定めたものがあるのも,このことに由来します。当時のプログラムがもっぱら英大文字で書かれていて読みにくいのは穿孔紙カード(とプリンタ)に小文字がなかったからです。
当時のプログラムは,カードに穿孔して計算機に読み込ませました。プログラムに間違い(バグ)があると,カードの束を繰ってその文を見つけ,穿孔し直したカードと差し替えます(穿孔紙テープの部分的な修正はほとんど不可能でした——そのための専用の装置もいろいろ作られました。テキストエディタが使えるような環境はずっと後に実用化されたものです)。プログラマがカードの束を持って右往左往しているときに,これを取り落として順序がめちゃめちゃになる悲劇は多くの人が経験しました。だから,プログラムカードに一連番号を付けておくことが推奨されました。この一連番号は,いくつかのプログラム言語の規格の中に規定されていました(BASIC や COBOLの行番号)。プログラムの入出力データ媒体も紙カードが想定されました。COBOLやFORTRAN などのプログラム言語の read 文の動作や入出力書式の指定方法の規格は,カード向きのものでした。後に実用化された磁気テープの利用方式もまたカードの概念を基にしました。このころIBM社はパンチカードシステムのことをユニットレコードシステムURSとも呼びました。1枚のカードが一つのレコード(単位記録)に対応したからです。
古いFORTRANの文字型をホレリス型と呼び,その定数を指示するのに英字Hを使ったのは,パンチカード機械を開発したホレリスの名前を記念したものです。
レミントンランド社(=ユニバック社)の丸穴のカード(# 534)は,高速道路の通行券に永く使われました。(その処理はコンピュータでした。)
カードの寸法,厚さ,表面の滑らかさ,耐久性などには厳密な規格がありました(PCS当時の日本ではこれが作れなくて,カードをアメリカから輸入していました——IBM社は,IBM社以外の紙カードを使った場合には,機械の動作を保証できないとしていて,この紙カードでも相当の利益を得ていたということです。アメリカでは独占禁止法の問題になりました)。パンチカードシステムの操作員は,カードの束をひょいと手にとって,それが何枚あるかをあてるゲームを競ったものです。多くの単能機があって,機械の間で人間がカードを移動するなど,人手のカード操作が必要でした。後年IBM社が高速の1402カード読取り装置を開発したとき,それに適応するカードの規格を変更して,非常に滑らかな紙カード(紙の素材に石鹸を入れたということです)を採用しました。このとき,在来型のカードに慣れた操作員が無意識無造作にカードの束を持つと,滑らかなカードがばらばらにすっぽ抜け落ちる悲劇がありました。
2・9 IBM機の番号
IBM社の穿孔紙カードシステム(PCS)の機械および電子計算機にはさまざまの番号がついていましたが,まったくのでたらめというわけではなく,番号の数字によって,ある程度の見当がつくようになっていました。1950年代までのIBMの機械(筐体)は角を丸めたなめらかな形でした。1958年にキュービックスタイルと称する直方体を組み合わせたような角張った形にデザインを一新しました。白地の上にアイビーエムブルーという青い彩色も使われました。ずいぶん斬新な印象でした。
[000X] 手動の穿孔機0001など,手で孔位置を設定して一つだけ孔をあけます。
[002X] 電動(真空管やトランジスタ)の鍵盤穿孔機24(真空管を使っているので電源を入れてちょっと待たなければならなかった),26,29など(24の前に31という鍵盤穿孔機があった)。プログラムドラムという付属機構があって,欄の区切り位置,欄の英字/数字の別を設定できました。(注意:手操作のこういう機械はキーパンチといい,機械からの出力穿孔機はカードパンチといいました)
[005X] 検孔機51,56など
[008X] 分類機——1けたの数字穿孔を読んで(読取りブラシは1本だけでこれを移動して設定しました),カードをその数字のポケットに落とします。下位のけたから順々に分類を繰り返すことによって整列します。
[04XX] 印刷機・会計機(集計印刷機)405(100行/分),407(150行/分)など——405は上下に往復する縦棒に付いた活字で印字しました。1行のうち左側の一部のけた位置だけが数字と英字をもっていて,残りのけた位置は数字だけでした。この外形をすこし変えたのが402です。407は活字が回転円盤(プリントホイール)の周りに配置してあり,この回転に同期して紙の裏からハンマーでたたきました。パンチカード機械として最も複雑高度なもので,よく売れました。
[06XX] 計算穿孔機601,602など——601は乗算穿孔機(Multiplier)です。602はすぐに602Aになりました。602Aは四則演算と記憶を歯車で実現しました。いずれも1枚のカードの先行する左側の欄の数値について演算して答えは同じカードの後続する右側の欄(または後続の別のカード)に穿孔します。602Aの歯車を真空管(1400本)にして計算の速度と柔軟性を向上した603を経由して604(CPC=card-programmed calculator)ができました。これは1948年8月発表当時,最強力な計算機械として5600台も売れました。数値のデータはカード,演算の指定は配線盤で与えます。日本では数値データのカード上に演算の指定も穿孔してそれを解釈して実行する「万能計算盤」(島内剛一たちが設計)も使われました。
[650] 中型の汎用計算機。回路素子は真空管(# 107,# 118),10進法,主記憶は高速磁気ドラム(記憶容量10けた×2000ワード=2万けた=10キロバイト,平均アクセス時間2.5ミリ秒),10進10けた(浮動小数点演算)で,ドラムでの記憶は0・1・2.3・6符号すなわち5C2符号だった。命令は1+1番地形式。1953年7月発表で2000台ほど売れました(日本には20台)。IBM社のT型フォード,つまり技術的に高性能ではないが,大人気で普及し,大きな利益をもたらしたといわれました。アメリカの専門学科のある大学に割引価格で多数納入されました。後に計算機科学者となった人たちにこれで勉強した人が多くいました。
[07XX] 大型汎用電子計算機701,702,704,705(# 622)など(後述)。
[1XXX] 小型の汎用計算機
[1620] 科学技術計算用の小型計算機 出力はタイプライタ(# 504)。compile-and-go のFORTRANコンパイラがあってGOTRANと呼びました。
[1401・1410] 1403高速プリンタ(600行/分,# 608)と1402高速カードリーダー(1000枚/分)を特徴とする小型計算機 基本構成の1401は4000キャラクタ(6ビットバイト)の主記憶容量でした(別項参照)。1959年10月に発表され,パンチカード機械と同じ程度の価格でずっと高速にカードを読み取り,帳票をプリントすることができましたし,パンチカード機械の単能機程度の簡単なプログラムしか実行できず(このことが逆に長所だった),コンピュータ的な統合システムはしょせん構築できないので,パンチカードシステム以上の概念を必要としませんでした。パンチカードシステムの利用者に歓迎されて12000台も売れました。他社はこれと競合する機種(たとえばハニウェル200)を出しました。市場での競争力をしだいに失っていって,IBM社は次の機械をどうするか深刻に悩みました。より高性能で磁気テープファイルを処理できる1410(1960年9月発表),安価な1440(# 735),1460(1963年2月発表)なども出しましたが暫定的な時間稼ぎにしかなりませんでした。1401の市場を守るために開発されたのがシステム/360(1964年4月発表)です。
4000キャラクタの主記憶とカード読取装置だけの構成で磁気テープや磁気ディスクを使わないという驚くべき技法のFORTRANコンパイラがありました。しかしこの小さい主記憶容量では実用的なプログラムを作ることはできませんでした。
<*注 先頭にFORTRANのカード,その後にフェーズに分けたコンパイラのカードを組んで読み込ませるのでした。>
[IBM 701] IBM社の最初のコンピュータ。2進法で36ビットのワードなどEDSACの影響がみられます。回路素子は真空管,記憶はウィリアムズ管(ブラウン管)の科学技術計算用(軍用)大型計算機。701→704→709→7090→7030→7950と発展する——調整の困難なウィリアムズ管を磁心(コア)記憶(1955年ごろ開発,24マイクロ秒/36ビット)に変えたのが704でこれは大成功しました(次項)。
[IBM 704] 回路素子は真空管,記憶素子は磁心(コア)の科学技術計算用大型計算機で日本では気象庁が設置して数値予報に使いました(加減算48マイクロ秒,初代機,1969年まで使われてHITAC 5020F(# 217)に代わりました)。気象庁は世界でも最初期のFORTRAN利用者でした。浮動小数点演算とインデックスレジスタがハードウェアで組み込まれた最初の機械です。非常によく売れた機種でFORTRANやLISPが開発される基礎になりました。初期のFORTRANの仕様はこのIBM704の構造に合わせたものでした。LISPの関数CARやCDRの名称もIBM704のビット構成に由来します。フォンノイマンが原子力委員会の予算で704の100倍の能力をもった計算機を研究開発せよと発注したのがIBM 7030 STRETCHです(これについては Bucholz:“Planning a Computer System Project STRETCH”という単行本があります,西村は7030のリファレンスマニュアルをかつて持っていましたが,失いました)。これをさらに強化しパイプライン演算機構を付けたのがIBM 7950 HARVESTでアメリカ政府の“トップシークレットエージェンシー”に納入されました。どちらも開発経費がかかりすぎて商業的には成功しませんでした。実用機としては704から709になり,これをトランジスタにしたのが7090(日本には3台入った,磁心記憶は2.18マイクロ秒)です。当初は709X,709Tなどという仮称でした。Xは拡張機または実験機によく使われる枝番です。Tはトランジスタです。HITAC 5020は704〜7090を目標として開発を進められ成功しました。
7090の増強モデルとして7092,7094がありました。7090を2台つないだのが9090です。
当時の主記憶装置はワード(語)ごとにパリティビットを付加するのが普通でしたが,7090は磁心記憶の信頼性を極度に上げることによってパリティを廃止しました。
[IBM 7040] 7090を簡素にして高速プリンタを(IBMとしては初めて)直結で備えました。それまでIBM社は事務データ処理用には10進法の機械を提供していて,プログラムはアセンブラで書いていました。科学技術計算には2進浮動小数点数をFORTRANのプログラムで使っていました。このころようやく事務データ処理用のCOBOLコンパイラが実用化されて,2進法の機械を事務データ処理に使用できる条件が整いました。1960年代初頭にNHK(日本放送協会)が初めてコンピュータを入れるときに,IBM7040とUNIVAC490が競り合って7040が入りました。視聴者の住所移動を追跡して磁気テープの視聴者台帳を更新し,視聴料の領収書を印刷することが主要な業務でした。視聴料は定額ですから計算というほどのものはありませんでした。
これ以前のIBM社の汎用計算機は,入出力は穿孔カードおよび磁気テープであって,直結のプリンタは備えていませんでした。出力は磁気テープまたは紙カードに出して,それを(オフラインの407または1401で)別途印刷しました。もちろんたいへん不便なことでした(とくにデバッグのとき)。
[IBM 702] 回路素子は真空管,記憶はウィリアムズ管(ブラウン管)で磁気テープ装置をもった事務用大型計算機。キャラクタ単位のアドレスなど,論理構造や方式は初代のUNIVACによく似ている。702→705→7080と発展する。
[IBM 705] 回路素子は真空管,記憶素子は磁心の事務用大型計算機。6ビット1バイト(これをキャラクタと呼びました)を単位とするアドレス方式でした。日本では国勢調査の集計・統計処理のために総理府統計局に設置されました。ミュージアムには真空管のパッケージ(# 622)があります。
[IBM 7070] 回路素子はトランジスタ,記憶は磁心で10けた×5000ワードの事務用大型計算機。10進10けたのワードである点では650に似ています。ワードの中の各けたに補助的なアドレスが付いていました。面白い機械でしたが,7090のような圧倒的な人気は得られませんでした。増強モデルとして7072,7074がありました。
[IBM1620] 科学技術計算用の小型計算機。通産省の規制によって,日本にはほとんど輸入されませんでした。加算回路をもたないという風変わりなコンピュータです。素子は,トランジスタと磁心です。乗算や加算の九九表を高速の主記憶中に記憶し,これを参照して四則演算を進めます。10進数字1けたを単位とするアドレスを付けていました。この計算機の方式は1970年ごろのマイクロプロセッサの発想に影響を与えました(電卓の項参照)。
[03XX] 記憶装置
[305 RAMAC,ラマック] 1956年ごろに作られた直径約60センチ,高さが1メートルほどで容量6百万キャラクタのハードディスク装置(平均アクセス時間25ミリ秒,読み書き時間10ミリ秒),Random Access Method of Accounting and Control 会計管理の即時処理方式と呼ばれ,マスターファイルを記憶し,カードからトランザクションを読んで即時処理し,印刷(またはカード穿孔)するスタンドアロン(独立単体)の専用機でした。レミントンランド社はランデックスと呼ぶ磁気ドラムを使いました。磁気ドラムの表面を読み書きヘッドが軸方向に移動する方式です。IBM社はこれ以来磁気ディスクの開発・性能向上に力を注ぎ,ハードディスク,フロッピーディスクなどの技術を確立しました。ある時期には交換可能型ディスク=ディスクパック(直径30センチ,厚さ数センチ,数キロの重さでせいぜい20メガバイト程度)を提供しました。これは交換可能媒体として国際規格も定められました。
ハードディスクの歴史は,日本IBM社に保存されています。1990年代の終わりには小型ノートパソコンに100億バイト(10ギガバイト)の小型ハードディスクが標準装備されるほどになっていました。当初のハードディスクは磁性材料を塗布したアルミニウム円盤でしたが後にはガラス円盤を使うようになりました。これらの開発はIBM社の日本研究所がリードしました。
[IBMシステム/360] 360の開発(開発中にもIBM社が新しい機種を開発中だといううわさは流れていて,7090や7040の系統の純2進機(COBOLコンパイラが実用化されていたので2進数であることは難点にはなりません)であろうとか,8000シリーズ,8700シリーズとかいううわさもありました。)は,IBM社にとって危険な賭けだったといわれますが結果は大成功で事務データ処理用汎用機の市場でのIBM社の圧倒的な支配を確立しました。パンチカードシステムの利用者(1960年ごろにはIBM社の客先・収入の大部分はパンチカードシステムでした)が容易に入ってこれるような安価,単純な機種がありました。そしていったんこれを使うと,段差なしに連続的に上位機種に誘導されてゆきます。利用者の「囲い込み」が確実です。競合する他社はこれと互換性のある機種を提供すること,または隙間つまりIBM社の提供しない別な応用分野を探ること以外に選択肢がなくなりました(IBM社自身も新しい方式を出すことができなくなりました,次の機種としてFS(Future System)シリーズを企画検討しましたが,もはや不可能であるとして開発を断念しました)。そして,汎用コンピュータの方式に関する研究開発は事実上消滅しました。これに関連して何件かの産業スパイ事件が起こりました。
<資料: ケリー/アスプレイ:コンピューター200年史,海文堂>
2・10 特許など
IBM社は日本でのレンタル収入をアメリカに送りたい希望がありましたが,日本は外貨のない時代で大蔵省,通産省の為替規制が厳しくて思うようにできませんでした。一方,通産省の側では,コンピュータに関連してIBM社の保有する多数の特許(基本特許,周辺特許)の実施を国産メーカーに許諾してほしい希望がありました。両者は手持ちの札で競り合って妥協が成立しました。
2・11 制御配線盤(コントロールパネル)
パンチカードシステム(PCS)ではカードや印刷の書式を指定し,ある種の演算を制御するのに,制御配線盤(コントロールパネル,#922,レミントンランドではワイヤリングボードと呼びました)を使いました。非常に技巧的な配線もありましたし,うかつに配線するとショートするおそれもありました。直感的に情報の流れる方向と電流の回路(双方向)とは別だからです。ミュージアムにある(# 923)のは,日本IBM社で最後まで使われてから本社の玄関に展示されていたものを寄贈してもらったものです。このIBM407会計機(集計印刷機)用の制御配線盤は,従業員の給与計算を行っていた実物で,最も複雑な制御を行っていた一例です。制御配線盤の計算計画やその配線はもちろん面倒でしたが,もっと大変だったのは,その記録,検査,確認,保存,情報交換でした。(何しろ大きくて重いし,立体的だったからです。)コンピュータのプログラムならばカードで保存・移動・複製できますし,紙に印刷して検査・保存・配布できます。
2・12 記憶装置
論理回路や演算回路は昔からの電子回路技術の延長線上で設計組立てできました。フォンノイマンは相当の記憶容量が必要であることを示しました。こういう記憶装置は従来の電子技術にはなかったものです。フォンノイマンの指針に従って作られた最初の機械EDSACは水銀遅延線(鋼鉄のパイプに水銀を詰めて超音波を通す)を用いてプログラム記憶方式を実現しました。初代UNIVACおよび日本のFUJICも水銀遅延線を使いました。IBM社の最初期の機種はウィリアムズ管(ブラウン管)を主記憶に使いました。これは十分に高速でしたが,複雑で調整が困難なものでした。日本のTACもブラウン管記憶でした。その後,中規模(つまり10キロバイト程度)の機種では磁気ドラムを使うようになりました。これはアルミニウム円柱の表面に磁性材料を塗って回転させ,固定したヘッドで読み書きするものです。IBM社のIBM 650は,平均2.5ミリ秒のアクセス速度で2万けたの容量の磁気ドラムを主記憶装置に使って大変よく売れました。日本のETL Mark Ⅳも磁気ドラムでした。これはジャイロコンパスを海軍に納入していた北辰電機(「北辰」は北極星の意味です,# 905)が作ったものです。カナダFerranti社の高速磁気ドラム200Bを輸入分解してお手本にしました。自動翻訳機械ETL やまと の磁気ドラム(富士通製)はアクセス速度20ミリ秒(ドラムの回転は交流の周波数と同期していました),80万ビット(100キロバイト)のきわめて大きな主記憶容量をもっていました,当時こういう大きな記憶容量をもった機種はほかにほとんどありませんでした。磁気ドラムの回転は演算回路の速度よりずっと遅いので機械語命令の系列をドラムの回転に合わせて飛び飛びに配置する最適配置法も研究されましたが,実際的なプログラムでは小さいループが多数回実行されます。そういう場面では最適配置は気休め程度の効果しかありませんでしたし,主記憶装置が高速のランダムアクセスになることは確実でしたから,最適配置法は将来性のない技術でした。とはいえ,ドラムの回転をパイプライン機構に活用して高速演算回路を作るような試みもありました。
2・13 コアメモリー
鉄の芯に電線を巻いて電流を流すのが電磁石です。この芯をコアと呼びます。電線に電流を流すとその電線の周囲に磁界が発生します。磁界をとらえるためにここにドーナツ形の鉄心を置きます。外径が1ミリ以下,内径が0.2ミリ程度のドーナツを平面に数千個並べておいてその穴にエナメル線を通します。線は一つの穴に縦横斜めで4本です。こういう繊細な作業は機械では不可能で,人手で行うしかありません。人手ならできるのです。なるべくならば数千個のコアを1本の線で通したいのです。こういう不連続な構造はコアの難点ですので何とか連続的な構造にできないかと,導線に鉄めっきする(織成記憶,# 703,704,807)とか,ガラス板に鉄を蒸着する(UNIVAC 1107 thin film computer(薄膜コンピュータ),# 811)とかいろいろな方式が試みられましたが,うまくいかなくて,人件費のかかる方式しかありませんでした。けっきょく人件費の問題でコアメモリーは1970年代に滅びました。コアに代わったのは,集積回路(IC)記憶です。最初はインテル社が軍の要求によって作った1024ビットのものです。当時さまざまな集積回路は作られていましたが,本格的に記憶に使おうとしたのはこれが最初です。電子計算機の主記憶はすっかり集積回路になりました。それでも主記憶をコアメモリーと呼ぶことがしばしばあります。コアは元来鉄の芯による磁心(記憶)を指しましたが,コア自体に中枢・核心という意味がありますから,一般に主記憶を指すのはその点でまんざら誤用ともいえません。歴史的には違うということです。
2・14 世代論
コンピューター技術の発展を第1世代から順次に世代分けして論じることがあります。IBM社が1960年代にシステム/360を発表するときにこれはSLT(固体論理技術Solid Logic Technology)という新しい世代を開くものだと宣伝しました。一般には,
第1世代——真空管
第2世代——個別部品のトランジスタ
第3世代——集積回路(IC)
と理解されています。これは俗耳に入りやすい表現ですが,技術的に確立された概念ではなく,電子計算機技術がこのように発展したわけでもありません。まったくのところ,システム/360のSLT回路は,1ミリ角くらいに切り取ったトランジスタほんの2,3個を1センチ角くらいの絶縁基板上の印刷配線に溶接して付けてからカーボン抵抗を削って調整したもので(# 204),その後の集積回路(IC)とはかけはなれた中途半端なものでした。IBM社の巧みな宣伝によって第3世代という言葉は一挙に流布しました。
2・15 フロッピーディスク
主記憶が磁心であった時代には主記憶の一部に初期プログラムローダーを入れっぱなしにしてありました。磁心記憶では電源を切ってもプログラムは消えません。電源を入れたときにこの初期プログラムローダーによってオペレーティングシステムなりアプリケーションプログラムなりを読ませることができます。ところが集積回路(IC)記憶の場合には電源を切ると記憶内容が消えてしまいます。この状態のコンピュータを立ち上げる(スタートさせる)にはたいへんな手間が要ります。IBM社はこの対策として,フロッピーディスクを開発しました。フロッピーディスクに初期プログラムローダー,入力システム,オペレーティングシステムの一部を記録しておいて,コンピュータの電源を入れたときにこのフロッピーを自動的に読み込むようにしました。正式の名称はフレキシブルディスクというのですが,口語的なフロッピー(だらりとした,しまりのないという,感じの悪い意味です)という言葉のほうが普及しました。初期のフロッピーは直径8インチ(20センチ)で記録密度が低く記憶容量も小さいものでした。
1970年代にパソコンが登場したとき,入力は16進数字のボタン,出力は16進数字のランプでした。補助記憶として当初はアマチュアたちが音声用のカセットテープレコーダーを接続して苦心惨憺して使っていました。速度はせいぜい100バイト/秒程度で信頼度の低いものでした。その後フロッピーディスクが接続されました。たいへん高価でしたが断然便利なので急速に普及しました。1980年ごろ西村が農工大学に赴任したときフロッピーディスクのカタログ価格は1枚3000円でした,量販店での実勢価格は200円くらいでした。大学で伝票を書いて買うときには定価で買うしかありませんでした。
2・16 レミントンランド機の番号
レミントンランド社のパンチカード機械の番号はおよそ次のようになっています。
[2××] 45けたカード時代の機種の番号。204鍵盤穿孔機,検孔機構付きなど。
[306] 90けたカード鍵盤穿孔機,検孔機構付き。
[308] 紙テープ→紙カード変換機。
[312] 印刷機(インタープリータ),カードの穿孔を読み取って,そのカードまたは後続のカードの上縁に文字を印字する。
[313] 検孔機。穿孔が丸孔か長円形かを調べる。
[315] 複製機。ロボットという通称もあった。二つの投入口から2組のカードを入れる。双方のカードの欄の条件などに従って,一方の内容を他方に複製する。314は無条件単純に複製する。
[318] 紙テープ→紙カード変換機。
[319] 照合機。2組のカードを組み合わせ混ぜ合わせる。
[320] 分類機,機械式ピン読取り。321はカウンタ付き。
[420] 分類機,光電読取り。421はカウンタ付き。
[330] 計算穿孔機。
[3100] 集計製表機。
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第3部 コンピュータの原点
現代の電子計算機(コンピュータ)の起源をどこに置くかは定説がありません。
<資料: 星野力『誰がどうやってコンピュータを創ったのか?』共立出版,モレンホフ『ENIAC神話の崩れた日』工業調査会>
ここでは,現代の計算機技術が発展してきた歴史の連続した流れの影響力の原点として,ENIACとEDSACを挙げておきましょう。
3・1 ENIAC
ENIACは第二次世界大戦の末期にアメリカで,陸軍の弾道表計算用にペンシルバニア大学ムーア工学部電気工学科で建造されました。発想は弾道計算用の機械式微分解析機(1・18参照)から来たものでしょう。1945年に完成し,10年間ほど使われ,その後,ワシントンのスミソニアン博物館に保存されました。
論理素子を単位とする論理設計,プログラム作成のための流れ図,プログラム記憶方式,記憶装置の必要性,演算操作符号と番地部からなる命令語の構成,演算操作のレパートリ,2進法の優位の確認などの重要な概念は,この経験から始まりました。概念の抽象化にあたっては,完成稼動後に参加した数学者フォンノイマンの貢献が大きかったようです。フォンノイマンの考察は非公式の覚え書き(ノート)にまとめられて,そのコピーが(本人の知らない間に)広く出まわり,以後の世界中の電子計算機の設計開発の指針となりました。
命令の系列の中で命令の番地部だけを系統的に書き換える機能(インデックスレジスタやストアアドレス命令)の必要性も認識されました。ENIACは重要な出発点でしたが,これを作った人たちの間で,着想の帰属,研究の先取権,特許権などを巡って深刻な争いや訴訟が生じて,ペンシルバニア大学での計算機技術の直接の進展はなされませんでした。しかし,ENIACの成果および完成稼動後の反省・検討評価は連合軍側に広く公開され,世界中に影響を及ぼしました。
<注: ENIAC(エニアック)という名称は
Electronic Numerical Integrator and Calculater
=電子数値積分機計算機に由来します。当時,アナログ機械式・電気式の積分機(1・18参照)はかなりよく知られていて,現に弾道研究所,ペンシルバニア大学などで弾道計算用に使われていましたので,それと対比した命名がなされました。アナログ機の経験から,今後は数値的(ディジタル)な方式に進むべきだという認識が広くありました。エニアックはアメリカ陸軍の弾道表算出だけの目的のために作られた専用の機械でした。弾道計算は要するに次のような数値積分の計算(常微分方程式の解)でした。
S+f(t)→S
という計算であって多数の変数記憶を使う必要がなかったことも,エニアックが目標どおりに完成し,稼動できた要因の一つでした。>
<資料: ゴールドスタイン『計算機の歴史』共立出版>
●ENIACの電気的規模
真空管:18000本
——この数字はよく流布して電子頭脳=真空管という常識になりました。
電力:140キロワット
リレー:1500個
抵抗:7万個
キャパシタ:1万個
入出力:IBMカード装置
印刷:別置のIBM会計機
●論理素子による設計
アンド素子やオア素子などの論理素子を組み合わせて演算や制御の回路を設計することは,今でこそとりたてていうまでもないごく常識的基本的な技術ですが,この概念が確立される以前には,すべての回路は,真空管や抵抗,コンデンサといった電気的な部品の組合せの中を電流がどう流れて,どう振る舞うかを考えて設計するしかありませんでした。論理素子の概念によって設計が抽象化され,論理設計を電気的な設計から分離することができました。もちろん,新しい素子,回路,方式を開発するときには,論理と電気的な実装,設計,製作,評価の全体を統合した洞察が必要です。
●流れ図
プログラムは,小さな機能をもった命令を多数並べて組み立てて書いていくのですが,それに先立って,プログラムで実現したい目的機能を大まかにまとめたブロックを想定し,ブロックを順序付けて見通しよく配置した流れ図を書いてから,個々のブロックの内部を命令で記述します。命令の実行される系列もまた,詳細な流れ図を書いて考察・立案します。個々の電子計算機(コンピュータ)の機能や命令のもつ特異性を流れ図によって捨象し,目的とする機能を指向した表現や解析が可能になりました。
●2進法の優位の確認
エニアックまでの計算機械は10進法を用いることが当然と考えられていました。エニアックでは10個のフリップフロップ(双安定回路)に0番から9番までの番号を付け,そのうちの一つだけをオンにすることによって1けたの数字を表しました。(つまり10進数字1けたに10ビットを使いました。)記憶や演算もすべてこれに基づいていました。一つのフリップフロップは2本の真空管からなる双安定の発振回路でした。一つの置数器(レジスタ)は10進10けたで,1けたに22本の真空管を使いました(20個のレジスタ)。だから大きな記憶容量を備えることなど考えられませんでした。当時までは,2進数とは複雑で神秘的な数であって,2進数と10進数との変換(基数変換)は手に負えないくらい複雑高度な数学的手順を必要とすると信じられていました。エニアックが動いてからの反省・検討で,2進法のほうが素子が少なくてすむ,演算回路や記憶も簡素になる,2進10進変換は簡単であるなどが確認されました(初心者のプログラム作成の練習問題程度です)。その後のコンピュータの設計開発はすべてこの結論に負うています。この時期のこの確認がなかったならば,初期のコンピュータ開発は世界中どこでも,ずっと困難なものになったに違いありません。
●プログラム記憶方式
ENIACは数値積分専用の機械として作られ成功しましたが稼動後の反省・検討の中で,汎用の計算機械としての能力があり,そのように使うことができると認識されました。ただし一つの計算手順は,置数器間を結ぶ複雑な配線によって指定され組み立てられました。計算手順の作成変更や修正,保存,記録,確認などはきわめて大変な作業でした。命令の系列を,データと同じように記憶装置に記憶させる方式(ストアドプログラム=プログラム記憶方式)は,これらを一気に解決しただけでなく,記号化されたプログラムを自動翻訳するアセンブラやコンパイラなどの自動プログラミング技術を導きました。
●記憶装置
初期の計算機械開発は,演算の回路や方式に関心が向けられていました。それに対してフォンノイマンによるENIACの評価は,大量のデータ(多数の変数)を高速記憶に格納しておくことの有利さ,相当な大きさのプログラムをも記憶させておくことの必要性などを明らかにしました。実際に,その後の計算機開発の歴史では,演算制御回路の開発以上に記憶装置の開発に苦労した例が多々ありました。演算制御回路は,真空管などを使った在来の電子回路技術の延長上にありました。それに対して大容量の記憶機構はそれまでの機械技術・電子技術の歴史の中で経験のないものだったからです。ENIACでは10進10けたの置数器(レジスタ)が20個ありました。(これだけで真空管が数千本になります。何しろ10ビットのうち1ビットをオンにすることで1けたの10進数字を表現したのです。)これをプログラムや変数の記憶場所として利用することも具体的に検討されて,もっと大容量で簡素な記憶が必要であることが確認されました。
この1950年代には,世界中でコンピュータが1台あれば世界の計算需要(科学技術用の数値計算)をまかなえるだろうといわれ,スイスにある原子物理学の共同研究施設CERNと同様に,ローマに国際計数センターを置きコンピュータを設置しようという条約が,国連ユネスコの主導で結ばれて日本もこれに加盟しました。
3・2 EDSAC
ENIACの経験は,連合軍側の研究者に公開されました。そのサマースクールに出席したウィルクス(イギリス軍で英本土防衛のためのレーダーを研究していました)は,電子計算機(コンピュータ)の面白さ(というよりプログラム作成の面白さ)に魅せられ,終戦後,ケンブリッジ大学に戻って自分の計算機EDSAC(真空管約4000本)を作り,プログラムを書き,数値計算を行いました。その経験を『電子計算機のプログラムの作成』という教科書にまとめました。この本は世界中で歓迎されました。日本でもたくさんの海賊版コピー(当時外国の本はひどく高価だったし外貨が不足していたので,大学や研究所は海賊版を買うのが普通でした,ミュージアムには,この原本と海賊版の双方があります)が作られ読まれました。この本によって,プログラムの面白さに開眼し,計算機を作ろうと決意した人も多かったといいます。<注: EDSACという名称はElectronic Delay Storage Automatic Computer=電子遅延記憶自動計算機に由来します。ENIACの経験は大容量の記憶装置が必要であることを示しました。少ない電子素子で記憶機構を実現するには遅延線記憶機構が適しているというところまで,ENIACのグループは見通しを付けて提案していました。>
EDSACは,相当の容量の記憶装置を最初から装備していました。この主記憶装置には,レーダーの波形を記憶した水銀槽の技術が転用されました(発信と受信にピエゾ効果=圧電効果を使う;ウィルクスは軍でレーダーの研究をしていました)。さらに,プログラムの作成と入力を容易にするために,ある程度の記号化を導入したイニシャルオーダーが公開されていたので,日本ではこれを模倣したシステムが普通でした。EDSACには除算命令がなくてサブルーチンで処理しました。
IBM社の最初の電子計算機の一系列IBM701〜704は1語が36ビットである点や長語と短語の構成など EDSAC(35ビット)の影響があったとみられます。日本のTACもEDSACにきわめて似ていました。初代のUNIVACは水銀遅延線を使いました。UNIVACは後に増強されてUNIVACⅡとなり(かなり共通性があった),これに伴って初代のUNIVACはUNIVACⅠと呼ばれました。
<資料:ウィルクス『自伝』,丸善>
● EDSACの累算器
EDSACの累算器(アキュムレータ)は当初は70ビットの長さでした。機械が完成稼動してどんどんプログラムを書き,使っているうちに,実は69ビットしか使われていないことに気が付いて,短縮されました。累算器の1ビットは真空管を使ったフリップフロップ(双安定回路)で,回路を少しでも節減したかったのです。それでEDSACの公表されたプログラムにはこの点に抵触して互換性のないものが入り交じっています。
一般に掛け算の積のけた数は被乗数のけた数と乗数のけた数との和になります(ためして確認してください)。EDSACの1ワードは35ビットだったので,35ビット同士の積を入れる累算器は70ビット必要だろうと考えたのです。ところが,1ワードの35ビットのうち,数字部は34ビットで,ほかに正負符号の1ビットが付きます。積の数字部は68ビットで,積の正負符号は1ビットです。いろいろな数値の場合を追跡してみますと,積の累算器は69ビットでよいことが分かります。興味のある方は,いろいろな2進数について組立て乗算(筆算)で追跡検討してみてください。
1960年ごろIBM社がシステム/360を作ったときに,いくらか似た勘違いをしました。これはけた数不足だったので,出荷して数年後に現地補修をしました。競合する他社ではこのことに気付かないで けた数不足のまま何年も納入使用していた例があります。
EDSACは1949年5月から1958年7月まで動いていました。EDSACは最後にはスクラップとして解体処分されて,回路のごく一部はロンドンの科学博物館,水銀槽の鉄パイプの一部はアメリカのスミソニアン博物館に保存されています。EDSAC が解体されたのは,EDSAC Ⅱが作られて,床面積が欲しかったからです。EDSAC Ⅱは,素子は真空管,記憶は磁心,読取り専用記憶(磁心ROM),磁気テープ装置,マイクロプログラム制御,パッケージ基板方式,アドレス空間を拡張するための間接アドレス機構などで実現して1958年初めから稼動し,1965年11月まで使われました。ROMにはシステムやサブルーチンが入っていました。その後,ケンブリッジ大学には大型機ATLAS(マンチェスター大学が設計して フェランティ社が製作しました)が1973年10月に設置されて,紙テープによるバッチジョブ処理とテレタイプによるTSS(時分割共同利用方式)との計算サービスを提供しました。このころ西村が訪問したときにウィルクスさんの研究室にもこのTSS端末がありました(# 写真)。(EDSACⅡから ATLASまでの期間にケンブリッジ大学の計算機がどうだったかは不明です。)
<注: テレタイプ(# 926)——入力は入力鍵盤と紙テープ読取り機構,出力はロール紙印字と紙テープ穿孔機構で,10字/秒程度の低速です。日本では符号は8単位JIS符号系,文字種はいわゆる半角文字=英字,数字,片仮名に相当しました。端末装置はブラウン管ディスプレイが普及するまではこういう物でした。テレタイプはテレタイプ社の登録商標ですが,広く使われてほとんど一般名称として使われました>
<注: IBMシステム360の浮動小数点数は数を16進6けた(有効数字6けた)で表現しました(最低21ビットの精度をもっています)。この二つの数の積は12けたになりますが,その上位6けたをとって積の有効数字としました。これは一見適切なように見えます。ところが数の性質によっては積の精度はわずか17ビットになります。これはいくらなんでも不十分です。まず積は7けたまで算出し,正規化してから6けたをとるべきだったのです。この余分の1けたを保護けた=ガードディジットといいます。>
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第4部 日本の初期のコンピュータ開発
4・1 ETL Markシリーズ
通商産業省工業技術院電気試験所(電試)は元来,電気標準の研究と電力計の検定を業務とした研究所でした。強電が主体でした。和田弘が今後は半導体の研究が必要だとして1954年7月に電子部を作り,弱電の研究者を集めました。そしてトランジスタの研究・応用の一環として電子計算機を作ろうと指揮しました。
ETL Markという一連の名称の計算機があります。これは電試第何号機とでもいうべき名称です。Mark は何号機という意味の普通の言葉で,何か特定の略語または頭字語というわけではありません。1950年代は,世界各地の研究所や大学が電子計算機の研究試作を行っていました。試作機はしばしば,固有名詞だったり,大学名または会社名の後にマーク1(1号機)と付けた名称だったりしました。通商産業省工業技術院電気試験所(略称ETL。後に電子技術総合研究所)電子部も電子計算機の研究試作に取り組み,日本のメーカーの開発(特にトランジスタ式)を引っ張っていました。この時期の電気試験所はコンピュータ開発にあたって,メーカーの技術者,大学の研究者を(何の手続きもなく)広く受け入れて,自由な雰囲気で成果や論文を適時早期に公開しました。このことが,人材の育成,技術移転を促進し,日本のコンピュータ開発を刺激促進しました。
<資料: 『電試ニュース』『電試研究年報』『電試彙報』など>
<資料: 遠藤諭:計算機屋かく戦えり>
ただし,電子計算機の研究試作は,東京大学工学部が先に着手していました(TAC)です。1952年に予算1000万円で開始,東芝に発注,1954年3月納入)。これがたいへん難航していました(何年もかかって稼働せず,朝日新聞などにたたかれました,1957年10月4日記事)ので,「天下の東大がやってさえできないものが,通産省の一研究所の新設電子部でできるはずがない」と大蔵省(後の財務省)から言われて,研究計画と予算の承認を得ることができなかったといいます。それで,高価なトランジスタなどの回路素子を最小個数で済ます安価な方式が目指されました。また,自前のコンピュータを動かして見せなければならないという圧力は,当時の電気試験所でのソフトウェア研究・計算機科学の発展を歪める要因になりました。外部の信頼性・操作性のよい実用機や実用的なソフトウェアを使うことはできませんでした。
<資料:高橋茂「トランジスタ計算機」,『情報処理』1976年2月号
高橋茂『コンピュータクロニクル』,オーム社
国立博物館『技術の系統化調査報告』>
4・2 ETL MarkⅠ
1952年完成というが不詳。もしこういう名称の機械があったとしたら,リレーによる演算を実証するための実験回路でしょう。1950年ごろ,電試制御部では,演算,符号系などの研究を幅広く進めていました。そのために保留された番号でしょう。ミュージアムには3進法のリレー演算回路の架が保存されています。演算や数表現の基数には,自然対数の底e=2.71828に近い3がある意味で最適であるとして試作されたものです。末包(すえかね)良太が制作し,博士論文の参考資料として東京大学で実演した後,東京大学で保存されていました。1979年ごろ西村が東京大学から東京農工大学に運びました。
4・3 ETL Mark Ⅱ
MarkⅠにつづいて1950年代に電気試験所制御部の駒宮安男・末包(すえかね)良太たちが完成させたリレー式の計算機。2万個のリレーをハンダ付け配線(80万か所)して構成した何トンもある巨大な機械でした。電気試験所が詳細設計をして,それに従って富士通が実装組立てをしました。千代田区永田町の電気試験所の一室にあり,1970年ごろにHITAC 8400(ICを使った機械)がそこに設置されるまで稼動していました。ミュージアムには,演算用の高速リレー(# 109),多接点のゲート用リレー(# 105),大型の記憶用リレーなどが保存されています。これらは予備部品,保守部品として未使用の状態で研究所にあったものです。1970年代に西村が入手。
4・4 FACOM 128B
富士通の最初の市販機。リレー計算機(# 116)。富士通は,これ以前にもFACOM 100,FACOM 128(1956年)などを作っていました。それとETL Mark Ⅱとの経験を活かして,これを作った(1958年5月完成)と考えられます。演算速度はおよそ 0.1 秒程度で,記憶容量は100語程度でした。西村は1958年ごろに,富士通のショウルームに設置されていたこれを使って60次の行列の固有ベクトルを求めました。近似式を用いて約30時間かかりました。10進浮動小数点演算(加減乗除のほかに開平(ルート √ )の命令もありました),3番地方式で,特殊なインデックスレジスタを備えていました。入出力は36単位(×2列,# 834)の幅広の紙テープでした。10進数字は2・5進符号で表現。
<資料: 矢島敬二『電子計算機のプログラミング』東洋経済新聞社>
日本大学数学科にあった128Bが1959年に移されて,1980年代まで,沼津の富士通池田記念館で稼動していました。ミュージアムには,プログラム用の穿孔紙カードやリレーによる演算音の録音などが保存されています。リレーの動作は信頼性が低かったのですが,誤り検出符号で演算を行い,誤動作があったときには自動再試行を行い,回復しないときには停止しました。人間がそのリレーの接点を軽くたたいて回復させる(たいていは一時的な接触不良でした)と,さあっと次の演算に進行しました(同期信号(クロック)のない非同期方式でした)。リレーの動作音でプログラムの進行状況を推察できました。富士通の池田敏雄の伝説はNHKテレビで2回ほど放映されました。一つはリレー計算機開発の時期,もう一つはアムダール470Vの開発(2002年4月9日プロジェクトX)です。なお2002年9月3日のプロジェクトXは日本語ワープロの開発(東芝の森健一によるJW-10)でした。
富士通の最初期のリレー計算機には2組の入力鍵盤が直結していました。2人の操作員が同じ帳票を見ながら同時に打鍵します。二つの数値が一致したときだけそれが入力されて計算に進みます。その場で計算する計算器的な使い方の機械の場合です。
4・5 ETL Mark Ⅲ
ソニー(当時は東京通信工業)の最初期の点接触トランジスタ(T1698,これがいちばん速かった)で作られた,トランジスタ式としては世界で最初のプログラム記憶式計算機(1956年7月稼働)。採用されたダイナミックフリップフロップは当時高価(3971円)だったトランジスタをただ1個だけ使って,アンド,オア,ノットのゲートを1枚の小さい回路基板中に実現したものでした。アメリカのNBSがSEAC(真空管式,1950年5月完成)に使った回路を電気試験所の高橋茂が再設計しました。ただし,経時的な波形の位相でビット1/0を表現するので,調整が困難で,かついったん障害が発生したときに,その現象を確認したり再現したりすることはさらに困難でした(基本(クロック)周波数1MHz)。規模はトランジスタ130本,ダイオード1800本という簡素なものでした。予算284万円,当時トランジスタは1本3971円,ゲルマニウムダイオード500円でした(大学卒初任給が数千円でした)。しかもトランジスタは信頼性に問題があったうえに,日々の劣化(当初の試作品は分単位・時間単位の寿命だったといいます)が激しく砂の上に城を建てるような思いだったそうです。その対策の一つが回路をパッケージ化(300枚)することでした(基本(クロック)周波数1MHz)。トランジスタの特性のばらつきを補正・調整するために可変抵抗がパッケージに付いていました。回路をパッケージにすることは当時画期的な技術でした。パッケージ基板は研究所内で自作した,いかにも手製という感じのものでした。これに対してソニーが(トランジスタを売るために)ダイナミックフリップフロップの基板を製作して市販したという話がありますが詳細不明。きわめて短時日(数か月)で完成稼働したので関係者たちが大きな自信をもつとともに,(TACの難航に対して)日本の以後の計算機開発に希望を与えました。このころ真空管式のETL RTC(Real Time Computer)という名称がありましたが詳細不詳失念。
<資料: 遠藤諭『計算機屋かく戦えり』,高橋茂『コンピュータ クロニクル』>
<資料: 和田弘「情報処理の夜明け」『コンピュータソフトウェア』,5−3,1988>
4・6 ETL Mark Ⅳ
電気試験所電子部の和田弘,高橋茂,西野博二たちが作りました(13か月)。接合型トランジスタ(日立製HJ-23,速度が点接触トランジスタよりだいぶ遅かった(基本(クロック)周波数180kHz),定価3000円を半分に負けてもらった)による計算機としては世界で最も早く(1957年11月)完成実働したものでした(#106)。トランジスタ470本,ゲルマニウムダイオード4600本(日電SD-34)でした,予算約500万円。
主記憶は小型の高速磁気ドラム(北辰電機)で,演算回路はダイナミックフリップフロップで構成されていました(10進法)。将来性のある接合型トランジスタで電子計算機を実働した(当時リレーや真空管,パラメトロンなどいろいろな素子が試用されていましたが,接合型トランジスタが本命だということは広く認識されていました)ので,広い反響を呼び,高く評価されました。メーカーが技術指導をお願いしたいといって,飛んできて十円玉を机上に置いた(真っ先に申し込んで言い値で買うという意味で)という逸話があります。メーカーでは,日本電気がNEAC2203(# 114,1958年),NEAC2206,NEAC2230(# 111)などとして商品化し,かなりの台数を販売しました(#111,# 114)。日立もパラメトロン計算機HIPACについで,この回路のトランジスタ計算機 HITAC 301(# 113,1959年)を作りました。
ETL MarkⅣは後にETL MarkⅣA(磁心記憶),ETL MarkⅣB(#128,入出力割込み方式)などに発展しました。これらは,入出力と演算とを2台の機械で分担する実験機でした。
ETL MarkⅣは,科学博物館に保存されています。その回路,試作記憶装置(多角形のガラスを使った遅延記憶)などの一部は,つくばの電子技術総合研究所に保存されています。電気試験所は1970年ごろに電子技術総合研究所(電総研)と改称しました。そして1979年11月1日までにつくば市に移転しました。工業技術院は2001年4月1日に独立行政法人産業技術総合研究所となり,電総研はその第二事業所となりました。
4・7 ETL やまと
YAMATOとも表記しました。ETL MarkⅣの技術を使って,電気試験所電子部の和田弘,高橋茂,渡辺定久たちが1959年に作った機械翻訳研究目的の専用機です。機械翻訳に必要な80万ビット(100キロバイト)という巨大な主記憶容量(20ミリ秒という低速の富士通製磁気ドラム——重さが数十キロあって,スイッチを入れて回転が稼動速度に達するまでに30分から1時間かかりました)をもった計算機は,当時ほかにはありませんでした。ただし,入出力は8字/秒という低速で,しかも誤動作の多い紙テープとテレタイプでした。光学文字読取り入力を予定していましたので,英字Oと数字0,英小文字lと数字1は同じコードで区別がありませんでした。当初は文字読取り装置が接続されていましたが,まったく別の大きな研究課題であることが認識されて,切り離されました。(当時西村は光学文字読取りの研究には20年ほど掛かるだろうと予測していました。実際には1990年代中に実用的な光学文字読取り装置が商品として販売されました。)
このころのトランジスタはゲルマニウム(後にシリコンが主力になっていきました)でできていて熱に弱く,ハンダ付けも特別な注意が必要でした。夏の暑い日はトランジスタが熱で異常発振し,使い物になりませんでした(エアコンは贅沢品で研究所にはありませんでした)。
さらに,電源系統が弱体だったので,部屋で電燈や電気器具のスイッチを入れると計算機内部にそのノイズが侵入してレジスタがクリアされるなどの誤動作が発生しました。プログラムの実行を開始する前にすべての電気器具と入出力装置の電源を入れておきました。
また電源容量も不足していて,1のビットの多いマイナスの数値や片仮名文字がレジスタに入ると電流が増え,電圧が下がって誤動作しました。当初はこの原因が不明で,特定のプログラムや特定のデータでダウンするという現象だけが経験されました。
やまとは1980年ごろに廃棄されました。
4・8 ETL Mark Ⅴ
電気試験所内部の計算需要に応える計算センター用に作られました。電気試験所の詳細設計に従って,日立が実装製作しました(HITAC 102)。10進浮動小数点方式でした。入出力は穿孔紙テープ,プログラム作成はイニシャルオーダーでした。1960年代にETL Mark ⅤはFACOM 230/50(通産省の要請で富士通・沖電気・日電が共同で開発したFONTAC)に置き換えられました。FACOMは入力は穿孔紙カード,プログラム作成はFORTRANでした。ミュージアムにはETL Mark Ⅴの回路基板や銘板などが保存されています。
4・9 ETL Mark Ⅵ
Mark 6とも表記しました。さまざまの先進的な計算機技術(素子や方式)を実験評価するための野心的な実験試作機(# 104)で,全体が組み立てられましたが主記憶装置(市販の2マイクロ秒の磁心記憶装置を購入)の調整がうまくいかず,プログラムを走らせることができませんでした。マンチェスター/フェランティATLASの階層記憶(大容量磁気ドラムとのページ交換)方式,バローズ5000のスタック演算方式,高速のキャッシュ演算回路などによる超高速機を構想していました,予算1億円。基本回路にテレビ用の電磁遅延線(同軸ケーブル)を使って,この技術は日立のHITAC 5020(# 217)に使われました。
4・10 ソフトウェア
このころ電気試験所では,ソフトウェアないしシステムプログラム,プログラム言語の研究は行われていませんでした。ハードウェアとしての計算機を作ることには熱心でしたが,ソフトウェアはないに等しく,EDSAC風のイニシャルオーダー一本でしたので,通常のプログラム作成すら困難でしたし,まして機械翻訳のような複雑なシステムの方式やモデルを評価研究することはほとんど不可能でした。当時の上司に後年うかがったところでは,プログラム言語は機械と人間との間をつなぐものだが,機械の側からのアプローチは黙っていてもメーカーがやるだろうから,研究所では人間の自然言語の側からのアプローチを進めていけば,どこかで両者がドッキングするだろうと考えたとのことでした。結果論ですが,プログラム言語はそれ自体で十分に独立した研究対象であり,自然言語からのアプローチが貢献できるようなものではありませんでした。この時期の電気試験所の誤判断によるソフトウェアの軽視は,その後何十年間も日本のソフトウェア技術(システムもアプリケーションも理論的研究も)の立ち遅れを招いたと考えられます。
4・11 アセンブラ
当時のIBMの記号変換方式(アセンブラ)を使ったプログラムの使用手順は,次のようなものでした。
①アセンブラのシステム(処理系)を読み込んで主記憶に格納する。
②記号形式で書いたプログラムを通読して記号番地を機械番地に割り付ける(第1回通読)。
③記号形式で書いたプログラムをもう一度読んで(第2回通読),記号番地,記号演算符号の参照を機械番地,機械演算符号に書き換える。誤りを指摘されれば,修正して②から繰り返す。
④機械語命令の形式になったプログラムを穿孔出力する。
⑤機械語命令のプログラムを読み込んで主記憶に格納する。
⑥こうしてプログラムを実行できるようになる。
プログラムの実行に入るまでに①〜⑤の5回も入出力装置を使わなければなりません。当時の日本のコンピュータには,このような使用形態に耐える高速・高信頼度の入出力装置はありませんでした(フロッピーやハードディスクが使われるようになるのは,この20年も後のことです)。それでどうしていたかというと,次のとおりです。
①変換システム(処理系)を主記憶装置の一部に常駐させておく。
②処理系は,記号形式のプログラムを読みながら直接に機械語形式に変換して,主記憶中の利用者領域に格納していく。
こういうやり方をone-pass-load-and-go(1回通読変換格納実行)方式といいます。難点は二つあります。一つは,直接変換できるにはかなり単純な記号形式しか許されません。もう一つは処理系が主記憶の一部を占拠してしまうので,当時のせまい主記憶で残される利用者領域がますますせまくなってしまうことです。
このような理由で当時の日本では,IBM風のプログラミング方式は実用的でないとみなされ,研究開発が進められませんでした。EDSAC風のイニシャルオーダーがあれば,とにかくプログラムが書けるのだから,後はプログラマが「頑張ればよい」という精神主義的な認識でした。
西村は,IBMの実用機を相当使ってプログラムを作った経験がありました。イニシャルオーダーでは誤りの修正が収束しない(プログラムの誤りを修正すると番地がずれて新しい誤りが発生する,砂上で城を建てるような),紙テープ読込みの途中でエラーが発生すると途中からの継続が不可能で何時間もの作業が無効になり,最初からやり直すしかないといった経験から,これでは研究開発のプログラム作成ができない,アセンブラを作ろうと提案したのですが,その作業計画は上司の承認を得られませんでした。それで許可なしで内密に短時日(コーディング,パンチ,デバッグに十数時間=二日間)でワンパスアセンブラを作成して使いました。前方参照の記号相対番地(ワンパスではむつかしい)が使えるなど,面白い工夫もしました。前述のように主記憶容量が大きかったので,常駐型とすることができました。機械語プログラムのダンプとローダーも作って(それさえもなかった),プログラム作成作業がうんと楽になりました。
紙テープの修正は依然大変でしたので,入力鍵盤からプログラムを修正する方式を検討しましたが,鍵盤入力のチャタリング(別項)が激しくて駄目でした。例えば,Aというキーを打つと,ただ1回打っただけなのに,AAAAAAAと何回も打ったかのような入力に化けるのです。この問題が解決できなくて,エディタ的なシステムを作れませんでした。
<資料: 西村「アセンブラ始末記」,『bit』 年 月号>
4・12 片仮名表記
「プログラム」はもともと分かりにくい専門的な概念ですが,外来語の片仮名表記は何とかならないかということは何十年も議論されてきました。初期には計算計画,次第書きという訳語も提案されました。1973年ごろに,島内剛一,筧捷彦,西村恕彦たちが算譜(関連して副譜,主譜など)という訳語を提案しました(同時に,入力・出力・ファイルに対して,算入・算出・算帖も提案されました)。西村は日本工業規格(JIS)の制定審議に当たって,算譜という用語を試用することを提案しました。一部の委員は賛成してくださいましたが,大多数の委員の感情的な反発が強くて採用されませんでした。1990年代にはアメリカで同義語としてスクリプト(脚本,筋書)という言葉が出てきました。
専門技術者たちは,電子計算機,計算機という言葉を使ってコンピューターという片仮名の言葉は使いませんでした(手回し計算器の項参照)。それを外部の人たちが片仮名語を使うようになって,しだいにこちらが優勢になっていきました。プリンタ(印刷機)などの言葉も似た経緯がありました。
1960年代には多くの専門用語が英単語のつづりのまま日本語の文章の中に使われていました。専門用語に限らず,lineやerrorのような普通の言葉まで英単語のままで使われる傾向がありました。それらもしだいに片仮名表記になっていきました。プログラムは片仮名で定着していきました。
statement(文)という言葉は違った歴史を経由しました。1960年代初頭には英単語のつづりのまま使われていて(たとえばREAD-statementとか宣言-statementとかいうふうでした)その後片仮名のステートメントが使われるようになりました。。1972年にFORTRANのJIS規格が作られるときに,statementに対して「文」という訳語を当てることが提案されました。一般にはstatementやステートメントが優勢で何年も経っていたので,もう手遅れではないかと思われたのですが,この訳語は広く受け入れられて,「文」が使われるようになりました。FORTRANばかりでなくほかのプログラム言語でも採用されました。先の例ではREAD文とか宣言文とかいうふうになりました。いつかは「プログラム」も適切な訳語が提案されて,日本語になるかもしれません。
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第5部 解説補遺
5・1 2進数
エニアックまでは2進数は神秘的・難解な数であり,その基数変換には複雑高度な数学的手順が必要であると信じられていました。エニアックが作られ使われてからの検討と反省で2進数の操作は簡単であることが認識されました。その後現在にいたるまで2進数は簡単なものになっています。10進数と2進数との基数変換は,プログラム作成の初心者の練習問題程度とみなされています。
非負整数の2進数の解釈
2進数は形としては,1と0の並んだ列です。
例: 0 1 10 11 100 101 1010
位取り(小数点位置)が右端にあるとしてその左のけた位置に順次に1,2,4,8,16,32,… の“重み”を付けます。そして1の“ビット”のあるけたの重みを合算します。その合計がその2進数の表す値(スカラー量)です。
例:101001という2進数は,次のとおり,41というスカラー量(数値)を表します。
重み 3216 8 4 2 1
2進数 101001 =32+8+1=41
小数
小数の解釈も簡単です。整数部の上位のけたから重みが 16,8,4,2,1,0.5,0.25,… となります。小数点のすぐ左のけたが1で,すぐ右のけたから 0.5,0.25,… となります。
例:101001.101という2進数は次のとおりで,41.625というスカラー量(数値)を表します。
重み 3216 8 4 2 1 0.5 0.125
2進数 101001.101 =32+8+1+0.625=41.625
2進変換
ある与えられた数値(スカラー量)を2進数で表現するのも容易です。
例: 53というスカラー量を2進数で表現するには,
53=32+16+4+1ですから,
重み 3216 8 4 2 1
2進数 110101 =32+16+4+1=53
2進数表記は110101となります。
つまり元のスカラー量からできるだけ大きい2のべき乗の数を順次に引いていけばよいのです。
負整数
マイナスの2進数の解釈はちょっと面倒です。
入力変換
出力変換
浮動小数点数
五十音順
かなコードで大小順に配列・整列すると,ほぼ五十音順(あいうえお順)に近い順序に並びますが,本当の辞書式の五十音順にはなりません。名簿では次のような名前の付近で順序が乱れます。
小谷後藤近藤 橋本馬場半田
鍵盤のQWERTY配列
鍵盤のキーの標準的な配列はQWERTY配列と呼ばれています。これは打鍵速度を速めるための配列だと思われるかもしれませんが,実は逆です。打鍵速度を速くできないようにするための配列です。
5・2 プログラムの基本概念
[機械語]
BASIC や COBOL,Fortran などのプログラム言語は機械を動かすための言語ですのでこれらを機械語と呼ぶ人がありますがそれは誤用です。機械語という言葉は,コンピュータの演算処理機構で直接に解釈し実行できる命令語の形式を指します。これは,16進数や2進数などの数字や符号の形式で表現されますので人間にとって暗号同然で,書くにも読むにも,検査・確認・修正にも不自由です。機械の命令語と一対一に対応する記号形式の言語(アセンブラ語)をも機械語と広義で呼ぶことがあります。
一つ一つの命令がプログラム言語よりも細密で手間が掛かり,誤りの確率が高くなります。およそ次のような水準で書きます。 let z=x+y に相当する手順です。比較して考えなさい。
LOAD 100……100番地の内容の数値(x)をレジスタ(置数器)に写す。
ADD 200……200番地の内容の数値(y)をレジスタ(置数器)に加える。
STORE 300……レジスタ(置数器)の内容を300番地(z)に保存格納する。
こういう調子でしかもその命令語を数字の符号(符丁)で書いてゆくのです。とても煩雑です。
人間に分かりやすい表記を目指して設計されたのが(高水準)プログラム言語です。プログラム言語の形式は人間に都合がよいように設計されていますので機械の演算処理機構で直接に実行することはできません。いったん機械向きの形式(つまり機械語)に変換・翻訳してやる必要があります。
[プログラム言語][(高水準)プログラム言語]
プログラムを書くのに使う言語系を,プログラム言語(programming language)といいます。プログラム言語としてはFortran ,COBOL,BASICなどが 初期からあって,国際規格が定められ多くの機種で使えるようになっています。Fortran(formula translation,数式翻訳)は数値計算,科学技術計算用の言語として設計され,機械設計などの分野で標準的な言語として広く採用されています。COBOL(common business oriented language,事務用共通言語)は事務データ処理や大規模システム構築のための言語として利用されています。世界じゅうのコンピュータの時間の大半はCOBOLのプログラムで動いているといわれます。BASIC(beginner's all-purpose symbolic instruction code,初心者向き汎用記号命令符号)は初心者の簡単な問題から熟練者の複雑高度な問題まで使えるように多くの機能が段階的に構成されています。パソコンの普及とともに汚い方言が多数流布したのは不幸なことでしたが,1980年代に国際規格,アメリカ規格,JIS(日本工業規格)が制定されました。
<資料:ケメニー,カーツ:バック・トゥ・BASIC,啓学出版>
[コンパイラ]
BASICやCOBOL,Fortran などのプログラム言語で書かれた一つのプログラム全体の命令文を一括して翻訳して機械語に変換する方式をコンパイル(編集翻訳)といいます。一つのプログラム全体を翻訳変換して,できた機械語のプログラムを一気に実行します。この処理システムがコンパイラ(翻訳系)です。わたしの使っているシステムでは,BASIC のプログラムを作成・修正した状態で「実行」キーを押しますと,その BASIC プログラムがコンパイルされ(ほんの瞬時です),つづいて,できあがった機械語のプログラムを実行します。これが終了・停止した状態でふたたび「実行」キーを押しますと,先に用意された機械語のプログラムが ただちに直接に実行されます。このコンパイル実行と直接の実行との切替えはまったく自動的ですので,利用者はほとんど意識しないで いつでも単純に「実行」キーを押すだけですみます。できあがった機械語プログラムをファイルとして保存することもできます。
[インタプリタ]
それに対して記号形式の命令文を一文ずつ解釈翻訳実行して,一文の実行が終わってから次の文の解釈翻訳に進むのがインタプリタ(解釈系)方式(解釈方式)です。
両者の得失は広く議論されていますが,実行速度は圧倒的にコンパイラ方式が有利です(なぜか考えてください)。わたしは,エラーの検査・修正(デバッグ)もコンパイラ方式のほうが早いと考えています。
BASIC言語は,ケメニー,カーツたちが最初にダートマス大学で学生教育と学内の計算サービスのために設計制作した当時から後の国際規格制定にいたるまで,一貫してコンパイラ向きに設計されましたし,コンパイラが作成提供されてきました。
不幸なことにパソコンでは,低い(拙劣な)技術水準で作られた設計のわるいインタプリタが流布して悪評を高めています。
蛇足
一文当たりの解釈翻訳時間は,インタプリタ方式では10ミリ秒程度,コンパイラ方式では100ミリ秒程度と思われます。
質問 それでは,コンパイラ方式のほうがプログラム実行速度が速いというのは,なぜでしょうか
ヒント コンピュータの演算時間の大部分はループで費やされます。
[デバッグ]
プログラム中の誤りをバグ(虫)といいます。プログラムを検査確認して誤りを検出訂正することをデバッグといいます。プログラムは何万個という小さい部品を一つ一つ人手で積み上げて作ってゆきますので,誤りは避けられません。句読記号の小さな間違いで宇宙ロケットの軌道が逸れて爆破された実例があります。誤りが発生混入しないようにプログラムを書く技術も研究されていますが,まだ実用化されていません。
[プログラム]
プログラムという言葉は,最近は同義語としてスクリプト(脚本)という言葉も使われています。一般用語としてのプログラムは予定表,計画一覧などの意味です。コンピュータ用語としては計算計画,算譜などの訳語も提案されましたが定着しませんでした。まあそんなような意味です。
[文]
文(命令文,statement)はプログラムを書く基本的な構成単位です。プログラムは文を組み合わせ積み上げて書いてゆきます。命令文は一つずつ順番に実行されます。一つの命令文の実行が完了してから次の文の実行に移ります。こういう「順次実行」の概念はすべてのコンピュータの基本原理です。
1文を1行に書く規約がしばしば採用されます。規格BASICの場合,文の右側に感嘆符(!)を書いたものは「行末注釈」で,!からその行の終端までが注釈となります。行の先頭に感嘆符(!)を書くとその1行全体が注釈行になります。他人の書いたプログラムの意味を理解するのは困難な作業ですし,自分の書いたプログラムであっても日が経つと論理を忘れてしまうものです。適切な注釈を付記しておくことはとても大切なことですし,けっきょく経済的です。
[文のブロックの類型]
[変数]
変数は数学(代数)の変数と似ていますが,実は記憶場所に名前を付けたものです。
名前→ ______________
記憶場所→[______________]
この記憶場所には一つの数値を記憶(保存)することができます。この名前を引用するとその値が出てきます。一方,let文の左辺やinput文などでこの名前を指定すると その値が上書き保存されます(以前の値は消去破壊されます)。これを「代入」といいます。ですから
n=n+1
のような表現は数学としては まったく意味をもちませんが,プログラム言語の世界では ごくありふれたもので,右辺ではn(という名前の記憶場所)の値を呼び出して それに1を加えて,その値を左辺のnの場所に上書き格納します。つまり記憶場所nの値を1だけ増やすことになります。同様に,
s=s+x
のような表現もよくあります。
英語
多くのプログラム言語は歴史的に英語の単語や文法を基礎にしています。これに対して日本ではたとえば次のように文の動詞や変数名などを漢字の日本語にしたプログラム言語もあります。
計算 金額=数量×単価
わたし自身,日本語で何千行もプログラムを書いた経験があります。なかなかよいものです。こういう日本語のプログラムは国際的な流通性や互換性はありませんが,日本の国内では,読みやすく,確認点検,保守拡張が容易だという利点があります。もっとも日本語を使ったからといって,プログラム作成の本当の困難が緩和されるわけではありません。
大文字
従来,多くのプログラムのアルファベットは大文字(キャピタルレター)で表示されました。初期のコンピュータの穿孔紙カードやプリンタではアルファベットは大文字しかありませんでしたので,プログラムを大文字で表示する習慣が広くありました。近年のパソコンなどではアルファベットの小文字が楽に使えるようになっていますので,プログラムは小文字で書くのがよいでしょうし,しだいにそうなってゆくでしょう。
[番地]
コンピュータの主記憶(main memory)領域は小さな区画(せいぜい10けた程度の数字が入る大きさ)に分けられていて,通し番号が付いています。この一つ一つの区画およびその番号を番地(address)といいます。コンピュータの内部動作はこの番地に基づいて制御されます。機械語のプログラムはこの番地を正確に意識して書かなければならず,煩雑です。
プログラム言語の命令文は,人間に理解しやすいように設計されていて,この形のまま,コンピュータが理解して実行することはできません。いったん機械語の形に「翻訳変換」しなければなりません。この翻訳変換には二つの方式があります。代表的なのがコンパイラ(編集翻訳)方式です。一つのプログラム全体を一括して翻訳して,その機械語プログラムを一気に実行します。もう一つがインタプリタ(解釈)方式です。この場合には,一つの命令文の解釈翻訳実行が終わってから次の文の解釈に移ります。インタプリタも広く使われていますが,プログラムの実行速度が遅いという欠点があります。プログラムのデバッグ(動作確認,試験)も遅いとわたしは考えています。
[算法]
プログラムで表現されている計算手順,その方針,原理のことを算法(algorithm)といいます。算法はたとい数学的には正しいものであっても良否があって,それがプログラムの効率=実行時間や記憶容量を大きく左右します。適切な算法に比べて,百万倍も何億倍も効率の悪い算法のある問題がしばしばあります。
適切な算法で1分程度で答えの得られる問題が,不適切な算法で1億倍の時間を要するとしたらどのくらいになりますか。考えてごらんなさい。
プログラムの説明(ドキュメンテーション,documentation)には算法とデータ(性質,種類,構造)との説明が必要です。算法の説明には数式や文章も使いますが,枠や矢線などの図式で表したものを流れ図(フローチャート,flowchart)といいます。
[アーキテクチャ]
プログラマから見た計算機の論理構造,論理設計をアーキテクチャarchitectureといいます。構造としては特に,ワードのビット幅,置数器(レジスタ)の機能,操作命令の種類,入出力の方式などが重要です。
5・3 切捨て関数の諸問題
********* 以下は草案 ********
年譜 下書き
1940年代(フォンノイマンのノート)
チューリング機械→ 演算命令
ゲーデル数 → 2進数
変数 → 記憶装置
ベクトル → アドレス(番地)空間
流れ図
1950年代(EDSAC,FORTRAN)
ベクトルの添字 → 指標(インデックス)レジスタ(EDSAC)
コンパイラ(FORTRAN)←アセンブラ← 機械語プログラミング
?? ← 割込み
LISP
1960年代 → スタックマシン(バローズB5000)
COBOL → バイトマシン(IBM S/360)
オペレーティングシステム(操作系)→ 磁気ディスク??
TSS(時分割共同利用方式)→ 磁気ディスク
?? ← 非同期処理,並列処理(CDC6600,ILLIAC Ⅳ)
パソコン
データベース
9PAC(ナインパック)
IBM社のコンピュータ
時期
方式
2進法 701 704 709 7090
キャラクタ 702 705 7080
(UNIVAC)
10進法 650 7070
素子 真空管 トランジスタ
主記憶 ウィリアムズ管 磁気ドラム 磁心
1970年代
集積回路記憶,パイプライン
?? ← マイクロプログラミング
インタプリタ → マイクロプロセッサ(i4004)
TSS(時分割共同利用方式)→ ディスプレイ(表示)端末,LAN
エディタ ← ディスプレイ(表示)端末,磁気ディスク
ストリート BASIC ← パソコン
UNIX
1980年代
パッケージソフト← パソコン,フロッピー
電子通信 ← パソコン,ディスク,電話,LAN
← 日本語ワープロ
1990年代
DTP(机上出版) ← レーザービームプリンタ
光ディスク
プログラム言語の運命 機械語
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第6部 電子計算機技術の発展
電子計算機技術の歴史は1940年代に始まるから決して短いものではない。1台1台が個体名をもっていた時代から,大量生産,大量販売の時代を経た。
電子計算機(コンピューター)は,すぐ身近なものになってきた。パソコン(パーソナルコンピューター)を見たり聞いたりしたことのない人のほうが少ないだろう。ワープロ(ワードプロセッサー)や携帯電話,電卓,ファミコン(ファミリーコンピューター),キャッシュレジスターは,マイクロコンピューターを組み込んでいて,電子計算機そのものといってもおかしくはない。ただ,汎用ではなく単能,専用の電子計算機なのである。専用といえば自動車のエンジンやカメラ,家電製品,テレビ,ビデオなどもマイクロコンピューターを組み込んでいる。電気,ガス,水道などの公共料金の領収書は,大型汎用計算機から発行される。
電子計算機技術にはほかの工学技術の発展過程にはみられない,いくつかの特徴が観察される。それを,西村の個人的な体験とコンピューターミュージアムの収集品との裏付けをできるだけ与えながら概観しておこう。
6・1 記憶容量の拡大
電子計算機の技術には非常に大きな発展と変化があった。まず第一に規模がある。特に記憶容量の発展はすさまじい。個人的な一例として,筆者が1958年ごろに使ったFACOM 128B は,120語,1200けたの記憶容量をもっていた。それを使って60次の正方行列の固有ベクトルを求めた。
1980年ごろ東京農工大学数理情報工学科が使った大型汎用機は100万字(1メガバイト)の主記憶容量と4億字(400メガバイト)の外部記憶装置(ハードディスク)を備えていた。1989年には64メガバイトの主記憶と10ギガバイトのハードディスクをもったFACOM M 360になっていた。単純にいって5万倍である。ほかの工学技術で,これほど大きな発展のあったものがあるであろうか。しかも,まったく同一の概念が維持されたままである。
*同一の概念として,
プログラム記憶方式における番地付け,番地空間,語,ビットによる符号化,
演算制御方式,記憶素子の概念などがある。
いま一つの例を示そう。1970年にインテル社が軍の依頼によって研究開発した集積回路(IC)記憶(i 1103)は1024ビット(128バイト)だった。1980年代には単一の集積回路(石)で400万ビット(50万バイト)のものの生産が始まった。単体での集積度にして5千倍である。ここでも概念の同一性が維持されている。
*ビットは情報の量の基本単位として広く用いられている。
4ビット=10進数字1けた
8ビット=英字・数字1字(これをバイトと呼ぶ)
16ビット=漢字1字
と換算できる。通信はバイトに制御ビットを付加して10ビットを単位として行われる。記憶装置にも似た事情がある。磁気ディスク(フロッピー)では
実質データのほかに制御や書式化のために記録領域の何割かが予約される。
1960年代中ごろに,小規模の集積回路ICが作られ始めた。そして,1970年にインテル社が軍の要求による集積回路記憶装置(1024ビット)の開発に成功したときに,集積度がどんどん向上していこうとは,開発者自身も含めてだれも考えなかった。集積度,性能,価格,適用範囲,生産量の際限のない発展が予測されるようになったのは,かなり後である。その後,東芝が256キロビット(32キロバイト)のICメモリーを開発したとき,アメリカとの半導体摩擦の時期であまりに刺激的であるとして通産省が介入して報道発表を抑え,カタログのそのページを削除して発行するということがあった。1970年代に西村が最初期の漢字プリンタを使ったとき,それは大きなキャビネットくらいの寸法だった。その大きさは磁心記憶で漢字のドットパターンを記憶するのに必要だった。1990年代には漢字ドットパターンが携帯電話に入った。
6・2 規模の大きな変化
電子計算機に接続される周辺装置の台数や距離の規模も,けた違いである。たとえば,西村が1958年ごろに使ったもう一つの電子計算機IBM 650は,一つの部屋の中で中央処理装置(演算装置,制御装置,記憶装置)に1台の紙カード読取り穿孔装置を入出力装置として接続していた。この構成は当時のIBM機として普通のものだった。他社の機種では,紙テープ読取り穿孔装置や低速の行印刷機を備えたものもあった。
1980年代末に東京農工大学情報処理センターに設置されたACOS S1000は,電子計算機室の中に中央処理装置があり,それに磁気テープ装置,多数大容量の磁気ディスク装置,通信制御装置が設置されていた。そして,4キロ離れた小金井キャンパスと府中キャンパスにわたって,70台のパソコン端末,図形入出力端末,専用端末,レーザービームプリンタ,補助的な磁気ディスク装置があった。両キャンパス内に光ファイバー網が張り巡らされ,研究室の140台のパソコン端末がつながった。高速回線,電話回線,東京大学などへのネットワークも接続されていた。
*1990年ごろの情報工学科(FACOM M 360)および東京農工大学情報処理センター(ACOS S 1000)の規模を示しておこう。これらは学科および大学の情報処理センターの機械としてはそれぞれ国内で唯一最大のものだった。
M 360 S 1000
小金井 府中
登録利用者人数 235 1631 645
演算速度(MIPS) 4.1 15 1
主記憶(メガバイト) 64 32 4
ハードディスク(ギガバイト) 10 8 0.2
レーザープリンタ 2 1 1
磁気テープ装置 2 2
ワークステーション 7
端末 42 48 24
イーサネット端子 94
LAN端末 97 41
この時期における規模のこのような変化は,電子計算機が単体の計算“機械”から情報処理“システム”へと進化した道筋の一点を示す。
*4キロは至近距離である。
キャッシュカードによる銀行預金の出し入れは全国規模である。東京青山にある銀行センターの大型機が全国の現金支払機を接続し制御する。こういうことは1950年代後半に小野田セメントが全国の工場のデータを毎日テレタイプで本社に送信し,紙テープ,紙カードと変換してUNIVAC File Computer(UFC)と IBM 650で処理したのが,際立って先見的,先駆的な業績である。
西村が1980年5月にサウジアラビアに行ったとき,国立科学技術センターの端末室は人工衛星回線を介してアメリカの大型機を使っていた。日本でも同様な例があった。
時差によって安い夜間料金で利用できる。人工衛星を経由する距離は数十万キロである。
6・3 寸法の縮小
電子計算機システムの大規模化は物理的な寸法の縮小を伴った。
1958年のFACOM 128Bの素子は約100グラムのリレーだった。同じときのIBM 650の素子は数十グラムの真空管だった。1980年代の集積回路は100分の1ミリ角以下のトランジスタを集積して結晶させたものである。素子はおよそ1000億分の1程度である。電子計算機本体として評価すると1950年代の機械は部屋一杯の大きさで1〜10トンだった。1980年代のマイクロプロセッサは親指くらいの大きさで15グラムである。数万分の1ということになる。能動素子(後述)の個数は1960年ごろのごく簡素な機種で1000素子,普通は1万素子を超える程度だった。
*簡素なものの例:
FUJIC 真空管1700本
ETL Mark Ⅳ トランジスタ470,ゲルマニウムダイオード4600,
Bendix G15 トランジスタ450,ゲルマニウムダイオード300
大規模なものの例:
ENIAC 真空管18000
EDSAC 真空管4500,,ゲルマニウムダイオード3600
ETL Mark Ⅱ リレー22253
TAC 真空管7000,ゲルマニウムダイオード3000
これらの対比は必ずしも記憶容量や演算速度などの性能に関連しない。集積回路によるマイクロプロセッサは数十万個,大規模集積回路記憶は数百万個を超えるトランジスタを集積している。しかも初期の電子計算機と比較してあらゆる点(速度,信頼性,接続条件,使用条件,ソフトウェア)ではるかに高性能である。
その結果,強力な制御機能と大きな記憶容量をもったマイクロコンピュータを,家電製品,携帯電話,カメラ,テレビ,自動車,音響機器,事務機器などに搭載することがなんでもなくできるようになった。ゲーム機,電卓,ICカードなどもいうに及ばない。われわれの身の回りにマイクロプロセッサがいくつぐらい使われているものか数えることさえ困難である。
*演算制御機能をIC(集積回路)化したものをマイクロプロセッサ,
それに記憶装置をつないだものをマイクロコンピュータと呼ぶことがある。
アメリカでマイクロコンピュータというとパーソナルコンピュータを指す。
大型計算機でも寸法の縮小は進んでいる。いくつかの筐体に分けられていた演算制御装置,電源,冷却装置が一つの筐体に収められたりする。東京農工大学でも情報工学科や情報処理センターで数年使った電子計算機を次の機種に置き換えると,性能ははるかに向上しているにもかかわらず,本体用の電子計算機室の床面積が空いてしまうというようなことになる。
ハードディスクは1956年にIBM社が初めて実用化した。これは直径60センチ,高さ1メートルほどで容量300万バイトだった(IBM 305 RAMAC)。2000年ごろには直径5センチのハードディスクで容量100億バイトのものが大量に販売されていた。
6・4 高い信頼性の実現
初期の電子計算機はハードウェアの故障が多かった。いや,そういう以前に,組立てはしても動かない時代がつづいた。電子計算機を作り始めたところを見学に行って完成予定時期を訊ねると,6か月先という答えがいつでも返ってくるといわれた。つまりいつまでたっても動かなかった。いまとなればその根本的な原因が分かっている。“規模の困難”である。当時の電子機器は真空管をせいぜい数本から数十本使ったものしかなかった。ところが電子計算機は真空管を数千本も使って,しかもそのすべてが正常に動かなければ全体が動きえなかった。部分的に動くということは意味をもたない。そのような“システム”は,それまでの工学技術の中で経験されたことがなかった。たとえば素子の信頼度が99.99%であるとしよう。これは十分高い値のように思われる。ところがこの素子が1000個集まるとそのシステムの信頼度は90%である。これをさらに10倍の規模にすると信頼度は37%になってしまう。つまり動かないということで
ある。これが“規模の困難”である。素子だけではない。素子同士の結合も問題になる。たとえば端子が1万点あるとすると,それらの相互結合の組合せは5千万通りあることになる——そしてハンダ付けなどの接続の信頼度はかなり低かったし経時劣化も大きかった。
*たとえばETL Mark Ⅱは2万個のリレー(継電器)を80万か所のハンダ付けで接続して作った。
そういう規模の困難への直感的・論理的な理解,感覚をもたないままにシステムを作り始めたのだった。実用機が使われるようになってからも,保守(というより調整)は毎日毎週行うのが通例だった。1週間保守を怠ると,回復に2週間かかるといわれた。新鋭機の稼動状況を見学に行くとたまたま今日は修理中ということも多かった。プログラムが思うように(意図したように)動かないあるいは計算結果がどうもおかしい,その原因はたいていはプログラムのバグである。にもかかわらずハードウェアの故障または誤設計の可能性を除外することもまた決してできなかった。
1980年ごろには状況はすっかり変わった。1日24時間1週7日間の連続運転を
数千人の利用者に提供している大型システムがまれではない。保守は1か月に1回以下,それもほんの形式的な点検を短時間するだけである。
*ハードウェアの信頼性を改善するために多大な努力と創意が投入された。そのいくつかの要点は次のとおりである。
素子そのものの信頼度を上げる。(これが本筋)
一つの素子に担わせる機能・性能を分解し,専用化する。
機能そして素子を複合化し
(信頼度の低い)接続点を減らす。(集積回路がその例)
システムを多段階のサブシステムに分け,パッケージ化する。
ランダムな構造を抽象化し,一様・連続な繰返し構造を導入する。
理論的に抽象化する。
多重化などの冗長性を導入し,誤りを検出訂正する。
安い腕時計や電卓でも数千〜数万個の素子で構成されているが,演算部の故障は,まず経験しない。
*とはいえ,シャープPC-1480U(大学生協との共同開発ポケコン)は,
負数のINT関数,指数付き定数などの設計に誤りがあり,
固定記憶(ROM)を1989年9月に交換するむねの文書が
2月に発行された。
故障や誤動作が実用的なレベルでは無視できるという前提で構成された社会システムや機械システムが,われわれの日常生活に浸透している。電話網や交通運輸(道路,鉄道,航空)管制,自動車エンジンの制御,銀行,自動販売機,衛星放送,カーナビなどである。故障がニュースになり,深刻な社会問題になりかねないほどに信頼度が上がっている。
ただし,利用者や操作員などとの接点における悪意のない誤操作(や意図的な不適切操作)などに対して,信頼性を確保し,向上させることは,いまだに懸案である。さらにソフトウェアにおける“規模の困難”は,ますます重大になってきている。
*人間の操作やソフトウェアに由来する信頼性の問題の例を示す。
銀行システムや電話交換機についてときおり報道される障害,
みずほ銀行発足時のコンピュータシステム統合の失敗,
計算機犯罪のいくつか,電話回線からの電子計算機システムへの侵入,
パソコンのウィールス伝染
日本語ワープロやゲームソフトの不具合(バグ)と発売延期・交換,中止,
大規模なオペレーティングシステム(操作系)の開発の困難
6・5 おそるべき演算速度
1980年代にACOS S1000を用いてベクトルの内積(積和)を求めたところ,単位演算あたり0.2マイクロ秒(毎秒500万回の積和)だった。1958年のFACOM 128Bでは200ミリ秒(毎秒5回)だった。100万倍の速さである。大規模な数値計算用のコンピュータは,そのさらに100倍から1000倍速い。
*ACOS S1000では,ベクトル演算の初期設定に2マイクロ秒,単位演算に0.15マイクロ秒で,通算しておよそ0.2マイクロ秒である。
これと比較すると,飛行機の性能向上でさえも,たかだか100倍の高速化しか実現していない。宇宙ロケットでも,音速機の30〜50倍にすぎない。
*ウィルバーライトの初飛行は時速16キロ,
ジェット旅客機は900キロ,コンコルドは2200キロ,
人工衛星は28000キロ,木星ロケットは51000キロである。
6・6 驚くべき低価格化
1958年のFACOM 128Bは6000万円だった。1990年の貨幣価値で10倍,数億円というところだろうか。ポケットコンピューターを1万円とすると数万分の1に安くなっている。単体のマイクロプロセッサにいたっては,数百円(8ビット)から数千円(16ビット)である。これも1970年代初頭の登場時期には十数万円(大学卒初任給よりずっと高い)だった。
*1989年5月の秋葉原価格:
Z80 300〜800円
68000 2000〜1万円
68020 3万円
80286 8000〜2万円
80386 8〜11万円
1950年代の終わりごろ,真空管,ゲルマニウムトランジスタは数千円,ゲルマニウムダイオードは数百円(# 412)だった。こういう単体の電子素子の利用形態は当時とはまったく別なので,比較は意味をなさないであろうが,念のために書けば,
1989年の値段はトランジスタ10円,抵抗2円といったところである。
記憶素子も安くなっている。実用化当初の磁心記憶は1ビット97セント(1ドル=360円)で売られていた。1990年のLSI記憶は25万ビットで1200円だから,これも数万分の1の価格である。一つの石(回路)が1000円だと1970年代前半からいわれつづけてきた。
*1989年5月の秋葉原価格:
16kb DRAM 350円;SRAM 600円
64kb DRAM 500円;SRAM 1200円
256kb DRAM 1200円;SRAM 3000円
1Mb DRAM 4000円
これらには微妙な問題がある。アメリカとの半導体摩擦によって
生産を調整し,やや値上がりした価格である。
このような低価格化があればこそ,家庭電化製品などへの組込みが可能になった。寸法の小型化だけが搭載を推し進めたのではない。
集積回路は,1960年ごろトランジスタの実用化のころにすでに予想・構想されていた。そんなに小さくてはどうやって修理するのか,故障したら捨てればよい。それは夢物語であり,冗談だといわれた。しかし,数年にして実用化が始まり,1970年には集積回路の記憶とマイクロプロセッサが作られた。1980年には,パーソナルコンピュータが数十万台も売れていた。
6・7 短い時間と速い進化
電子計算機の歴史は1940年代から始まったから,短いものだとはいえない。
しかし,ほかの機械技術と比べれば,きわめて短い時間であり,かつ大きな変化,速い進化・革新である。ほかの機械技術のいくつかの例を示しておこう。(電気・通信に関するものが多い,また19世紀のものが多い。)
顕微鏡 1600年ごろ(分解能で100万倍程度の進化)
望遠鏡 1608年
自動車 1769年
都市ガス 1812年
モータ 1821年
カメラ 1826年(感材の感光度は数十万倍の進化)
電話 1876年
電気の実用化,たとえば電燈 1879年
ガソリンエンジン たとえば 1883年
無線通信 1895年
飛行機 1903年(5.参照)
ラジオ放送 1920年
テレビ撮像管の実験 たとえば 1927年
しかも電子計算機技術では演算速度,記憶容量,素子の集積度などについて,数年間で数倍の改善・向上が実現されてきたし,21世紀にもそのような変化が予測されている。
*たとえば集積度は3年で4倍といわれた。
そのために,電子計算機の応用現場では,旧式の機種を廃棄し,更新することがきわめて速く行われた。こうして失われてしまった機種も多い。
*プログラム記憶方式で最初に安定して動いて大きな影響を広めたEDSAC(イギリス)は,1949年5月7日から運転を開始して,1958年7月に10ポンド(1ポンド=1000円)で廃品回収業者に払い下げられて,なくなってしまった。記憶装置に使った鉄パイプの水銀槽がアメリカのスミソニアン博物館に保存された。
6・8 大きな影響
電子計算機の開発は軍事目的の数値計算から始まって,初期の応用は数値計算と事務データ処理がほとんどだった。そこから,科学技術,産業,工業,社会技術,娯楽などへの適用に発展していった。
1980年代には,電子計算機による情報処理の技術が,科学技術,工業に大きな影響を及ぼし始めた。たんに表層的な効果を与えるばかりではない。さらに,(たとえば電気のように)基幹技術として,多くの果実を生み出し,支えてきた。その後(たとえば通信,ワープロのように)われわれの日常生活,社会生活の姿,仕組みにも変化をもたらしつづけた。2002年4月に合併によってみずほ銀行が発足したとき,コンピュータシステムの障害が起こって社会的政治的に大きな問題になった。
*電子計算機による情報処理技術なしには考えられないような
科学技術の例を思い付くままに挙げておこう。
人工衛星の打ち上げ・運行制御,衛星放送,衛星通信,カーナビ,ワープロ,インターネット,電卓,電子辞書,電子翻訳機,画像処理,計算機断層撮影(CT),コンピューターグラフィックス(計算機画像作成),ディジタル音響機器,ディジタル放送,携帯電話,ワープロ,公衆電話網の各種サービス,座席予約,金融システム,プリペイドカード,光学レンズや高層ビルの設計,シミュレーションによる機械設計,工作機械・ロボットの制御,天気予報,化学薬品の開発,各種ゲーム機
人々の世界観,思考様式,行動様式にも徐々に影響,衝撃を与え続けてきた。その影響は,まだ始まったばかりである。しかし,これを詳しく検討し,議論することは,この文章の限界を越える。
*1989年に日本国内におそらく数十万台の汎用機と1000万台前後のパーソナルコンピュータがあると考えられる。(金額としては汎用機のほうが大きい。)これはワープロや携帯電話などに埋め込まれたマイクロプロセッサを除いた数字である。
6・9 階段状の進化
電子計算機のハードウェア技術について世代論がとなえられることがある。論理素子の発展が階段状だったからである。それに従うとおよそ次のようになる。開発時期はほんの目安である。
第1世代 第2世代 第3世代 第4世代
開発時期 〜1955 1955〜1965 1965〜1975 1975〜
論理素子 真空管 個別部品の 集積回路 LSI
パラメトロン トランジスタ
主記憶 磁気ドラム 磁心 集積回路 LSI
補助記憶 紙カード 磁気テープ 磁気ディスク 磁気ディスク
入力媒体 紙カード 紙カード 端末
ソフトウェア アセンブラ コンパイラ OS
真空管以前には,リレー(継電器)も使われた。1960年代にはトンネルダイオードや極低温素子クライオトロンなども熱心に研究された。
これらの素子や装置の発展には漸進的な改良進化による性能向上・価格低下もある。その場合には,連続的な改善や小規模な技術突破による小さな階段状の改善が観察される。技術に競争相手があるときに,それによって競争相手に対する優位を保つ時間を稼げることがある。
普通は,一つの新しい着想から,永い研究開発期間の後,実用の一部に新技術が進出して競争が始まる。競争は,速度や容量などの性能,寸法,消費電力,周辺技術との整合性,信頼性,保守の容易さ,将来性,価格と営業戦略,など,あらゆる面からなされる。その結果,勝者と敗者がしだいに明らかになり,市場の占有,交代という形をとる。この時期には,技術の変化は,はっきりした階段状になる。
*実用化されはじめたころのトランジスタは,速度,信頼性,価格のどの点でも真空管に劣っていた。
6・10 世代の雁行
電子計算機技術の世代論をみると,あたかも技術がきれいに移り変わり,退場と登場がすぱっと交代したかのような印象を受ける。それは歴史の実像に反する。たとえば,ALGOLの設計は1958年と1960年である。最初に実用的に大成功した翻訳系(compiler)であるFORTRANは,1954年から1957年までのあいだに設計,製作,納入された。COBOLの設計は1960年だった。たしかにこれらは高く評価され,集中的に利用された。それにもかかわらず,ずっと原始的で低水準な言語である記号直訳系(assembler)は,同じ時期に並行して進化していた。記号直訳系の技術がほぼまとまったのは,1960年ごろだった。記号直訳系は1960年代の前半には広く一般的に使われていた。後になって振り返れば,時間的にちぐはぐな進化だったと思われよう。
電子技術総合研究所のETL Mark Ⅱは,リレー計算機であるから第1世代以前であるが,1955年に完成してから10年ほどの永いあいだ安定に稼動し,1970年ごろに,第3世代の計算機HITAC 8400に置き換えられた。二つの世代を飛び越したといえよう。一般に,研究開発から製品としての製造設置,それから利用の終了までには,永い移行期間がある。その結果,世代の大幅な飛越しが起こる。
1959年に小野田セメントに入ったUNIVAC File Computer(UFC)は,真空管,トランジスタ,磁気ドラム,磁心,外部プログラム,内部プログラムなどを混用した構成である。UFCはさまざまな点で過渡的な機械である。ミュージアムの収集の中にアルミニウム円筒に磁気テープをねじ留めした構造の磁気ドラムを主記憶装置とし,周辺の回路素子は集積回路で作られているものがある(# 913,JAC-10,日本無線)。これらは一つの機械の中で世代が混用されている。
*普通,磁気ドラムは,アルミニウム円柱の表面に磁性材料を塗布して作られる。
1960年に日本国内には国産機31台,外国機25台があった。それですべてである。外国機は間違いなく実用機であって,そのほとんどが真空管であった。国産機は実用というには,性能や信頼性,入出力装置,ソフトウェアに難点が多く見劣りした。素子はトランジスタのダイナミックフリップフロップ,トランジスタのスタティックフリップフロップが使われていた。主記憶は,中型機は磁気ドラム,大型機は磁心だった。このように,1960年の時点では,素子や方式,用途の多様な機種が並存していたし,そこに国による相違もあった。
IBM System/360は,あたかも集積回路であるかのような宣伝(IBMは集積回路とは呼ばなかったが)とともに1960年代初頭に発表された。これが集積回路であったと信じた人たちが後々までいた。実態は,個別部品のトランジスタ2〜3個を1センチ角くらいのチップの上に溶接して付けたものである。その時点では歩留まり,経済性,保守性,技術的実現性などの点で,最適な戦略だったし,事実,IBM社はこれで大いに儲けたばかりか市場を独占し,以後永い期間にわたって市場での優位を確立した。が,技術的には中途半端なものであった。後の集積回路を思い描いてはならない。
やや遅れてこれと競争して発表されたHITAC 8400は,確かに集積回路を使ってはいた。しかし,後年,西村が解体して調べたところでは,ほんの数個の素子を集積しただけの集積回路を搭載した基板が,基板全数のうちの1割も使われていなかった。新しい技術は一気に全面的に採用されるのではない,徐々に現れ,併用され,しだいに置き換えてゆく。雁行するといえよう。決して,線を引いて区切ったように入れ替わるのではない。
1981年に中国北京を訪問したとき,16000ビット,400ナノ秒の集積回路記憶とともに,120万ビットの磁気ドラム,スタック構成の磁心が製品として販売されていた。磁心は,日本ではその数年前に製造されなくなっていた。中国では人件費が安くて生き残った。これは人件費という社会的な条件にもとづく時間のずれである。
雁行は,技術力,経済性(製造,運用),保守性,信頼性,性能,互換性などの評価とそれらの間の困難な妥協の結果である。
6・11 思いがけない変化
予測され,期待され,登場し,永い時間掛かって成長してくる技術もある。時分割共同利用方式(TSS),マイクロプログラミング技術,アセンブラ〜コンパイラ技術などの高水準記号化プログラム作成,オペレーティングシステム(操作系),集積回路,図形処理,安価で手軽なパーソナルコンピューティング環境(パソコン),電子メール,インターネット,ファイル転送,データベースなどが,その例である。
しかし,ほとんどだれも予測しなかった技術が,突然出現し,短い時間で卓越する例も観察される。
いちばん著しい例は記憶である。磁心記憶は,1960年代を通じて使われつづけた。速度,容量,必要電力,不連続な素子であることからくる製造技術上の困難と人件費などから,すぐ近い将来に新しい技術で置き換えられるであろうと,広く論じられ信じられていた。磁心記憶の性能と製造実装技術は予想を裏切って向上しつづけたが,それに並行して,蒸着磁性薄膜(# 811 UNIVAC thin film computer)や織成メッキ線(# 703,704,807)などが研究・試作・試用されつづけた。目標の視界は磁性材料,受動素子,連続構造であった。1960年代の末にいたるまで技術開発動向の大勢は変わらなかった。
ところが,どの技術予測にも登場しなかった新しい記憶素子が,1970年になって出現した。アメリカの軍の要求によってインテル社が開発した集積回路(IC)記憶である。それは,贅沢にも能動素子を利用するうえに,電源を切ると瞬時に記憶内容が失われるし,そうでなくてもごく短時間のうちに電荷を失うので,頻繁な再生動作を必要とした。電子計算機技術の歴史を20年以上前の黎明期に引き戻すものだった。人々,というよりも,専門家たちの意表をつくものだった。にもかかわらず,集積回路記憶は,2,3年のうちに磁心記憶を圧倒し,その製造を終息させた。おもな理由は,なんといっても価格であり,それは,連続構造と大量生産,大量使用(消費)からもたらされた。
*能動素子とは,増幅や発振の機能をもつ素子である。
リレー(継電器),真空管,パラメトロン,トランジスタなどがある。
1950年ごろまでには,これは,演算や制御などに用いるべきもので,
記憶に使うというのは非常識な贅沢だと考えられるようになっていた。
記憶には,磁心や遅延線などの受動素子が採用されていた。
とはいえ,1964年のTOSBAC 3400が,
数千個のトランジスタを用いたフリップフロップでラインプリンタの
バッファ記憶(# 633)を構成したような例も
ないではない。
もう一つの例はマイクロプロセッサである。日本のビジコン社が発注しインテル社と共同で開発した4ビットのマイクロプロセッサi 4004が集積回路記憶と同じころにすぐ引き続いて現れた。プログラム記憶方式であるゆえの万能性は即座に理解できた。しかし,わずか4ビットのデータ幅では,大型機,汎用機を評価し,見慣れた目からは,おもちゃとしか思えなかった,西村ばかりではない,電子計算機の専門家たちの反応は,がいして冷淡なものだった,が,それは大型汎用のコンピュータの市場を揺るがせたばかりか,電卓やオフィスコンピュータから制御,計測,一般機械などに道を見いだし,ついには技術の世界だけではなく,人間の社会や文化をも変えてしまった。
ソフトウェアの例もある。データベースの歴史は1960年代の初めにさかのぼるが,「関係モデル」はずっと遅れて現れた。関係モデルの最初の論文(1970年)は,データベースという名称をそもそも使っていなかったし,学術雑誌ではデータベースの部門ではなく情報検索の部門に掲載された。当時はCODASYLのデータベース技術が全盛で,近いうちに標準化され,すべてのデータベース応用を支配するだろうと,考えられていた。しかし,そうはならなかった。近接領域から現れた関係モデルが,洗練され,実現性能を改善され,適用範囲を広げ,市場を支配していった。
テレビジョンおよび画面表示装置(ディスプレイ)に使われていたブラウン管は,自
明な短所・欠点が指摘されて次期の技術が広く期待されながら,20年以上にわたって生き残った。2000年にはプラズマ表示と液晶がかなりよいところまでいったが,これもいつかは,予測されなかった新技術が登場するかもしれない。
6・12 初期の多様な試み
興味のあることに,初期には多様な試みがなされる。それが技術の競争と発展,年月の経過につれて,急速に淘汰され,一つの方式に収束してゆく。
たとえば記憶素子の発展がある。ざっとみるだけで,リレー(ETL Mark Ⅱ),真空管(ENIAC),水銀遅延線(EDSAC,FUJIC,UNIVAC),ガラス遅延線(ETL Mark Ⅲ)ウィリアムズ管(IBM 701,TAC),磁気ドラム(IBM 650),磁歪遅延線,電磁遅延線(HITAC 5020),磁心,棒形磁心(NCR CENTURY),蒸着磁性薄膜(UNIVAC 1107 thin film computer,# 811),織成めっき線(ETL Mark Ⅵ,# 703,704,807),トンネルダイオード,磁気バブル,電荷結合素子CCD,集積回路ICと研究されてきた。ずいぶん大きな努力を傾注されたものもあり,ほとんど無名のものもあり,ごく一部でだけ使われたものもある。
*磁心は直径1ミリくらいのドーナツ形の酸化鉄に,4本の銅線を
人手で通したものが,最初から最後まで主流だった。その人件費が,
けっきょく磁心記憶にとどめを刺した。
1950年代に2000台ほど設置されたベストセラー機IBM 650は,記憶容量2000語=2万けた,平均呼出し時間2.5ミリ秒の磁気ドラムを主記憶装置としていた。当時の中型機はこれにならっていっせいに磁気ドラムを採用した。事実,磁気ドラムは,記憶容量,速度,価格,技術的実現性,信頼性などの点で満足すべき成績を示した。1960年ごろから比較的高価であったにもかかわらず,磁心記憶が採用され始めた。そして,1970年代の初頭に,集積回路記憶にとってかわられた。
固定記憶=読出し専用記憶(ROM)は,切り欠いた歯車(CASIO AL-1),穿孔カードによる電気接点群(FACOM 128B),電気容量形の穿孔カード(IBM System/360-30),人手配線による変成器磁心,機械穿孔による変成器磁心(HITAC 8400),人手配線によるダイオード行列(TOSBAC 3400,ETL Mark Ⅵ,MAC 16)などがミュージアムにある。ハンダ付けの配線,光ディスク,磁気ドラムも使われた。しかしそれも集積回路一本にしぼられた。
ソフトウェアの発展にも類似の現象があった。たとえば,演算コード,演算修飾,番地引用,番地宣言,番地修飾,動的なプログラムポイントなどを記号化する多様な試みが1950年代にあった。それが1960年代初頭に,いったん記号直訳系(アセンブラ),に収束する。そして,それがさらに翻訳系(コンパイラ)に移行する。翻訳系自体の領域内での変異および翻訳系から次の自動プログラミング方式への発展の探索もまた,さまざまなものがあった。にもかかわらず,自動プログラミングの方式の本質的な発展と変貌は,現れなかった。
オペレーティングシステム(操作系)の諸機能は,初期にはまったく発散した状態だった。その後しだいに収束していった。それにも関係があるが,入出力や割込みの方式のハードウェアやソフトウェアでの表現においても,多彩な変異から単純さへの統一収束の動きをみることができる。
ワードプロセッサにおける日本語入力は,1970年代の多様な方式,たとえば,ペンタッチ,全文字鍵盤,多段シフト,コード入力,仮名漢字変換などがほとんど仮名漢字変換一本に整理された。ただし,これが最終解決であるかどうか,いつか思いがけない新しい技術によって,いつかは置き換えられないとは断言できない。
*付記 科学や技術の歴史の中には,偶然のできごとが,発展を推し進めたり,ある一つの選択を定めたりしたような逸話がしばしば報告されている。コンピュータの発展の史には,そのような「歴史の偶然」はほとんど観察されない。おそらく軍事上の要求や経済的な利益の見込みがたいへん強く働いて,実験←→理論,論理→設計→実装→製作→評価といった循環が間断なく働き,必然的,網羅的な研究,開発を進めたのであろう。あえて探せば,ENIACが完成したときに,その建設を指揮したゴールドスタインが鉄道の駅でフォンノイマンと出会って立ち話をしたことや,ENIACについての軍のサマースクールにウィルクスが出席したことが,その時点でのプログラム記憶式コンピュータへの動きを加速したことくらいであろう。しかしこれらもその偶然がなくても,いずれはあまり遅れずに同じ結果になったであろう。
(発展 1989年初稿,2002年5月改稿)
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東京農工大学コンピュータミュージアム
暫定カタログ
西村恕彦・小谷善行・野瀬隆
ミュージアムの収集件数
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片手で持てるハード部品 3000点
手回し計算器 200台
電動式の電卓,パソコンなどの重さが10kg程度あるもの
100台
リレー計算機など重さが100kgを超えるもの
30台
マニュアルなどの書籍 1500冊
1カタログなど 2000枚
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# 番号,年代,会社名,計算機名,説明,種別——説明
# 101,1973,東芝,?,集団ディスク装置読取りアンプ,IC基板
——20.7MB/パック,平均アクセス時間40ミリ秒,ディスクパック関連だろう。
# 102,?,TOAMCO,TAKACHIHO T4100,磁気テープ装置回路,IC基板
——T4100は磁気テープ入力の漢字プリンタ。昭和情報機器製,TAKACHIHOというブランド名は高千穂商事または高千穂精機製作所が関係していたのだろう,これは電子技術総合研究所にあって,1975年〜1976年ごろ西村,荻野綱男が『日本語品詞列集成』(2000ページ余り)を作るのに使った。1980年代に廃棄された。出力は普通紙ではなく特殊な表面加工をした紙が溶媒で濡れて出てきた,入力は磁気テープだった,漢字ROMはなくて磁気テープから漢字ドットパターンをロードする。(# 136参照)
# 103,1962,日立,HITAC 3010,,トランジスタ基板
——普通の基板の上に垂直に補助基板を立てて実装密度を上げた。このころ日立がRCAと提携してRCA301を国産化したもの(1962年6月発表),おそらく事務データ処理の分野に進出するための提携だったろう。
# 104,1963,電気試験所,ETL Mark Ⅵ,ダイオードマトリックス,ダイオード基板
——ETL Mk-6と書いてある。ダイオードマトリックスはデコーダやROMなどに広く用いられた。横方向の導線群と縦方向の導線群とを2層に配置して,交点にダイオードをハンダ付け(手作業)で接続する。この方式はICのROMでも広く使われた(# 333と同じもの)
# 105,1955,電気試験所,ETL Mark Ⅱ,,リレー
——ゲート用(G型,多接点)リレー。ETL Mark Ⅱは駒宮安男,末包良太たちが詳細設計し,富士通が実装した。1970年代まで研究所の片隅にあった未使用のリレーを西村が収集保存。
# 106,1957,電気試験所,ETL Mark Ⅳ,,,トランジスタ基板
——ダイナミックフリップフロップ基板,黒い3本足は日立の接合型トランジスタHJ-23(日立3000円),これを470本,ダイオードはSD-34(日電)を4600本,パッケージは松下通信工業製作,丸い部品にねじみぞがあるのはトランジスタの特性のばらつきを補正するための可変抵抗,小さな四角はファンアウト†を増やすためのパルス変成器(変圧器),最初の点接触型トランジスタ実働機,これは1959年中にMark ⅣAに発展した。1960年代中ごろに使用を停止して科学博物館に入った。渡辺定久寄贈 (# 128参照)
<†注:ファンアウト:一つの信号を多数の宛て先に送りたいことがある。信号線を単に分岐して接続するだけでは,電圧が下がり電流が減って信号が働かなくなる。この分岐の個数または有効な上限個数をファンアウトという。>
<資料:高橋茂:「トランジスタ計算機」『情報処理』1976年2月号>
# 107,1954,IBM,IBM 650,,真空管
——真空管1本ごとに1パッケージになっていた。この真空管は甲南大学からもらったものだろう(# 118参照)
# 108,1961,電気試験所,ETL Mark ⅣB,,ダイオード基板
——ゲルマニウムダイオードゲート。(# 203参照)
# 109,1955,電気試験所,ETL Mark Ⅱ,計算用(C型)リレー(小型高速),リレー
——記憶用(S型)1151個,計算用(C型;高速)703個,ゲート用(G型;多接点)289個,全部で22253個のリレー,<この個数は資料があったはずだが失念>
# 110,1969,電総研,?,ECL 回路,,IC基板
——連想処理の高度並列演算装置,棟上昭男 1969(1968〜1970)AIPU-CELLと書いてある。1969年に研究中の回路。棟上昭男寄贈
# 111,1962,日電,NEAC 2230,ダイナミックフリップフロップ,東京電機大学の初代機,1964-2〜1974,加減算100マイクロ秒,トランジスタ基板,
——このころにはトランジスタ(黒い丸)の特性が安定していたので,抵抗を人手で調整するためのねじがない。 四角はパルス変成器(変圧器)。NEAC2203(# 114)参照。萩原洋一寄贈
# 112,?,中央電子(CEC),BENDIX G20,,IC基板
——初期の集積回路フリップフロップ,丸いのが集積回路。基板にCEC G-J-K FLIP-FLOP C41-40-04Sと銘がある。G20(# 133,234,427,727,415参照)は法政大学にあったもの。法政大学のG20に日電製の磁気ドラム装置を接続するための制御装置を中央電子(CEC)が作った,G20は鉄道研究所にあったものを法政大学に移した。法政大学工学部は小金井の農工大学の近くにあったのでお訪ねしてお話をうかがった。
113,1959,日立,HITAC 301,,,トランジスタ基板
——,ダイナミックフリップフロップ基板,黒い3本足が日立のトランジスタ,白いのがダイオード,HITAC 301はHITAC名の最初の機種(1959年5月発表),加減算が0.3ミリ秒,ETL MarkⅣ(# 106)の技術を使った。その1号機は虎ノ門の日本電子工業振興協会(JEIDA)にデモ機JEIDAC 102という名称で設置された,その基板。当時,国産各社が計算機を作り始めていた。日本電子工業振興協会(JEIDA)は,和田弘が提唱して電気試験所の技術指導の場として設立され,国産機のショウルームとして各社の機械を一堂に集めて運用してデモしようとした。樋口守寄贈
# 114,1959,日電,NEAC 2203,,,トランジスタ基板
——ダイナミックフリップフロップ,2203の1号機は虎ノ門の日本電子工業振興協会(JEIDA,#113)にデモ機JEIDAC 101という名称で設置された(1959年5月),その基板。2203はETL MarkⅣ(#106)の技術を使ったトランジスタ1700本,ダイオード5800本で加減算0.34ミリ秒 樋口守寄贈
# 115,1956,UNIVAC,UNIVAC File Computer Model-1,?,トランジスタ基板
UNIVAC File Computer(UFC)は,真空管(# 212参照),トランジスタなどいろいろの技術が混用されていた。過渡期の機械として興味深い。
# 116,1958,富士通,FACOM 128B,リレー
——ゲート用リレーか,日本大学数学教室(数値解析で業績を上げていた)にあった,FACOM 128B(1958年5月完成)は約5000万円で7台(有隣電気(富士通の子会社か,ショウルーム的に使われていた)3台,富士通1台,文部省統計数理研究所1台,日本大学1台(1959年9月設置),キヤノン1台)設置された。
——日大はほとんど最後まで使っていた機械で故障の保守もできなくなって,沼津の富士通池田敏雄記念館に移されてデモ機として(1980年代まで)稼働していた。 永坂秀子寄贈(# 105,# 109,# 218 参照)
# 117,1976,東芝,TOSBAC3400-Model40,ディスク制御,IC基板
——型番銘34M776333 -B,東京女子大学に設置された機械で1981年3月25日廃棄,水谷静夫教授から知らされて部品を外しに行った。(# 135 参照)
# 118,1954,IBM,IBM650,,真空管
——真空管2本で1パッケージ(# 107 参照),この寸法はミニアチュア管,真空管を4000本ほど使った。
# 119,1959,東京大学,TAC,,真空管
——TACは3極管は真空管,2極管はゲルマニウムダイオードを使った(# 928)。
——この真空管の寸法はミニアチュア管であると思われる。これはTACの現物ではなく,同型品である。
# 120,?,IBM,,サイラトロン,,,電子管
——thyratron=ガス入り放電管(用途・機種は不明)型番2D21
サイラトロンはスイッチング,記憶保持などの機能をもっている,作動速度が遅いので計算回路ではなく電源などに使われたほかに20〜30ミリ秒の遅れを作るのに使った。
# 121,1956,?,FUJIC,同型品,真空管
——ミニアチュア管,FUJICは富士写真フイルムで岡崎文次がレンズ計算のために片手間で作った。岡崎はその後,日本電気に入ってソフトウェア開発に当たる。
# 122,1960,CDC,CDC 1604,,トランジスタ基板
——1958〜1963。当時の他社のものに比べて基板が小さい。丸い二つのトランジスタの足が基板から浮かせてあるのはハンダ付けの熱がトランジスタに伝わらないようにした工夫。CDC 1604は,CDCの初期の小型高速計算機。160→160A→1604→3600→6600→6800→7600と進んだ。160という番号は当時のCDC社の所在地の番地からきた。(# 213,528)石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 123,1959,電気試験所,やまと,,トランジスタ基板
——ダイナミックフリップフロップ基板。やまとは機械翻訳研究用に作った機械でETL Mark Ⅳの技術を使った。パッケージは松下通信工業に作らせた。パッケージ基板の多数のピンと架側のソケットとの間の接触不良も故障の原因だった,一本一本のピンを手で曲げるなど苦労した。精密に工作精度を上げるだけでは解決できなくて,逆にがたがたソケットを用いた(この問題については# 330参照)。
高橋茂,渡辺定久たちが作って蓼沼良一・西村恕彦たちが機械翻訳の研究に使った。西村はアセンブラも作った。白い3本足が(松下の提携していた)フィリップスのトランジスタ。同じ基板1枚を和田弘が保存していて,それが高橋茂の手で科学博物館に入った。
——トランジスタ600個,ゲルマニウムダイオード700個,主記憶は富士通製の磁気ドラム80万ビット,演算速度は20ミリ秒程度(ドラムの回転待ちで遅くなった)。
# 124,1958,UNIVAC,USSC,,RCA製の真空管
——ラインプリンタの電源用のとても大きい真空管(直径6センチ,高さ20センチ),ラインプリンタは大きくて重く,往復運動・回転運動部分の質量が大きくて,振動・騒音が激しく,大電力を使っていた,USSCの本体はトランジスタと磁心記憶だった。(# 423参照)。
# 125,1972,日立,HITAC 8250,,IC基板
——HITAC 8000シリーズ(IBM360に対抗するシリーズ)中の下位機種,,初期の集積度の低いIC。
# 126,1966,日立,HITAC 8410,三菱?,グラフィックディスプレイ制御部,トランジスタ基板
——電子技術総合研究所計算機室にあったもの。主計算機8410のために特注して作ったものか。グラフィックディスプレイは三菱が軍事用などに作っていた。
# 127,1962,沖電気,OKITAC 5090,オア回路,トランジスタ基板
——沖電気は後発だったが確立された技術を使って成功した。東京大学教育用計算機センターにあった,加算時間400マイクロ秒,(# 205)清水留三郎寄贈
トランジスタの足が長くてぐにゃぐにゃしているのはハンダ付けの熱を避けるため,白いのはゲルマニウムダイオード,これも足が丸めてある。もう一種の部品は抵抗,1号機は虎ノ門の日本電子工業振興協会の電子計算機センターに設置された。(# 205参照)
# 128,1961,電気試験所,ETL Mark ⅣB,,トランジスタ基板
——ダイナミックフリップフロップ。Mark ⅣBは西野博二,淵一博たちが作った,入出力用の機種,演算用のMark ⅣAと接続されて日電の磁気テープ装置4台(# 815)を制御した。白い3本足がトランジスタ,渡辺定久寄贈
# 129,1959,日立,Mars 1国鉄座席予約装置,トランジスタ基板
——東京大学航空研究所の穂坂衛たちが詳細設計とプログラム作成を行った(穂坂は海軍航空隊→鉄道技術研究所→航空研究所という経歴)。鉄道技術研究所でBendix G-15(マイクロプログラム方式)を買って勉強した。ハードウェアは日立が実装した。接合型トランジスタが登場したばかりだったが,いろいろと検討評価して,最良・十分な素子であると確信して採用した。同様の評価によってスタティックフリップを使った。スタティックフリップフロップとしては最初のもの,黒い3本足が日立のトランジスタ,この基板には4本のトランジスタが使われている。本体は,FF(フリップフロップ),EFR(エミッタフォロワ),BI(バッファインバータ),D1,D2,D3(ゲート)の6種類の基板で構成した。Mars 1 は1959年11月完成で1964年1月まで稼働して,Mars 101が1964年1月から1971年まで稼働した。(# 137,302参照)これはたぶん保守用の予備基板で,座席予約用電子計算装置予備品収納箱という木箱もろとも,1980年ごろ穂坂衛寄贈。Mars 1 は鉄道博物館,Mars 101は科学博物館に保存されている。
<資料:穂坂:オンラインシステムの誕生,電子通信学会誌,1994年12月>
<資料:穂坂:グラフィクスとCADの事始め,コンピュータソフトウェア,1985年7月>
# 130,1968,日立,HITAC 8410,中央処理装置内部の回路,トランジスタ基板
——電子技術総合研究所計算機室。8410はIC回路と宣伝したが基板の9割ほどがトランジスタ基板だった。四角い平たいのがIC(#134,201,429参照)
——8410はIBM360と競合する集積回路のバイトマシン。
# 131,1969,東芝,,,IC基板
——磁心の次の技術,(鉄めっきした導線とエナメル線を織った)織成記憶(ワイヤメモリ# 703)(東光)の制御回路試作品(# 635),通産省の超高性能電子計算機研究開発(大型プロジェクト)で東芝が作った回路,初期の混成集積回路が9個使われているうち
2個はパッケージが外してあって,モノリシック(単一の結晶)ではないことが分かる,青山宏寄贈
# 132,1970,IBM,IBM 370,MST回路,モノリシックチップ,IC基板
——1センチ角くらいの白いセラミック基板に印刷配線し,その上に1ミリ角ほどの小規模ICを溶接,基板の構造と組立て工程は360と同じ,(# 204参照)
# 133,?,,BENDIX G 20,,トランジスタ基板
——丸いトランジスタ(ICか?)にはIBMの銘,法政大学のG20のカード読取り装置(IBM製かもしれない),G20は鉄道研究所にあったものを法政大学に移した(# 112,427,727,415参照)
# 134,1968,日立,HITAC 8410,ラインプリンタバッファ記憶,10×8×18ビット,磁心記憶板
——ラインプリンタの1行分として180バイトのコアプレーンが2枚の板にはさんである。FUJI ELECTROCHEMICAL CO,LTD 1968年4月の銘がある。この記憶は富士電気化学(FDK;磁心記憶を各社に納入していた。磁心記憶が滅んだ後にこの会社がどうなったかは不明,生き延びたかどうかも不明)が作って日立に納入したものだろう。日立は磁心記憶の大部分は自社生産していた,一部は富士電気化学から買ったし,組立てを依頼することもあった,セカンドソース(別供給源)を確保するのが日立の方針だった。この場合は,小規模なものだったので買ったのだろう。電子技術総合研究所計算機室にあったものを1980年ごろ西村が解体した。(# 201,130参照)
# 135,1972?,東芝,TOSBAC 3400-Model40,CPU,IC基板
——1976年東京女子大学に設置,1981年3月に廃棄(# 117 参照),CPU M772036G2 9708と書いてある。慶応義塾大学にはTOSBAC 3400-Model30(個別部品トランジスタ)の2号機(# 631,633,830)があった。水谷静夫寄贈
# 136,?,TOAMCO,TAKACHIHO T4100,磁気テープ装置回路,トランジスタ基板
——16個のトランジスタがある。
——T4100は漢字プリンタ(# 102,503参照)
# 137,1959,日立,国鉄座席予約装置1号機Mars 1,,基板(水晶発振器)
——入出力ドライバ用発振器,3.2キロヘルツ(接合型トランジスタでずいぶん遅い),水晶(クォーツ)の振動板をガラス管に封じてある。この構造はデジタル時計のものと同じである。時計では3万2768ヘルツのものが使われる。発振周波数は寸法で決まる。(# 129,708参照)穂坂衛寄贈
# 201,1968,日立,HITAC 8410,128×128ビット,磁心記憶,コアプレーン
——通産省電子技術総合研究所の計算機室にあった。わりに小さい磁心をゆったりと組んである。磁心そのものはかなり小さい。エナメル線のところどころに白いものが見えるのは,多数の磁心に人手で線を通してゆく過程で線を切ってつないだのだろう(# 134,130,233,306参照)。8410はIBM360と競合する集積回路のバイトマシン。
# 202,1961,三菱,MELCOM 1101,フリップフロップ,トランジスタ基板
——三菱のマークとFFという銘がある,白い3本足がトランジスタ。ハンダがぼってりしている。三菱電機伊丹研究所がBENDIX G15を手本にしてプロトタイプLD-1を作り,それを製品化したのが1101.首藤勝,吉江,豊田(甲南大学),管忠義(学習院大学)たちが関係した。この機械は学習院大学に設置されたもので後に科学博物館に移った。管忠義寄贈
# 203,1957,電気試験所,ETL Mark Ⅳ,,ゲルマニウムダイオード基板
——ゲルマニウムダイオードゲート。# 108 と似ているが基板の反りを抑える金属板の方式が違う。
# 204,1965,IBM,IBM システム/360,?,SLT基板
——1センチ角くらいの白いセラミック板に印刷配線し,その上に1ミリ角ほどに切り取ったトランジスタを(3本の配線が集まった箇所に)溶接し,その後,黒いカーボン抵抗の部分を削って(くぼんだところ)特性を調整した。その上をべたべたしたシリコンゼリーで覆って気密にして蓋をかぶせる,後のICと比べると実に中途半端なものであるが,この後のICの進歩を視野に入れた構造と組立工程であって,基板の構造と組立て工程はずっと後まで変更なしで応用された(つまり組立て工場設備はそのまま流用できた)。映画「ターミネーター」のマイクロチップ回路がこれらしく見えた(# 132 参照)。マイクロチップという言葉は集積回路(IC)とほとんど同義です。
# 205,1962,沖電気,OKITAC 5090,フリップフロップ,トランジスタ基板
——トランジスタの足が長くてぐにゃぐにゃしているのはハンダ付けの熱を避けるため,FF-2と書いてある。沖電気は後発だったが確立された技術を使って成功した。これは1号機で虎ノ門の日本電子工業振興協会(JEIDA)の電子計算機センターに設置された。加算時間400マイクロ秒。東京大学教育用計算機センターにも入った。(# 127参照)
# 206,?,沖電気,?,SSI(小規模集積回路),基板(SSI)
——初期集積回路ICの基板,小規模集積回路SSI,沖電気で機種は不明。3LP-20001という銘がある。
# 207,1965,日立,HITAC 5020,遅延回路,トランジスタ基板
——TOKO DELAY LINE 208TA0505という銘あり,TOKOは東光であろう(# 208,217,221参照),トランジスタ基板の遅延回路であるが,中央の長方形の遅延線の正体は不明。5020はETL Mark Ⅵの電磁遅延線(同軸ケーブル,# 217参照)を使った。
# 208,1965,日立,HITAC 5020,トランジスタ基板,
——18MHzというきわめて速い基本(クロック)周波数を採用した。(当初は20MHzで開発を開始して,後にマージンをとるために18MHzに下げた。# 217参照)気象庁のIBM704(加減算48マイクロ秒)が入れ替えの時期にきていたのでそれをねらって,5020F(1マイクロ秒)がIBM7090(4.4マイクロ秒)を上回る性能で受注に成功した。FORTRANの規格はまだできていなかったので,HARPという日立独特のFORTRANコンパイラを提供した。ついで東京大学大型計算機センターをねらった。IBM社はIBM7094を提案してきたので、4ビット並列にして5020E(加減算0.75マイクロ秒)を開発した。IBM機と激しくせりあって受注し,東京大学大型計算機センターに設置された。オペレーティングシステム,FORTRANコンパイラとともに安定してすばらしい性能を発揮し大勢の研究者に歓迎された。(# 207,217,221参照)石田晴久寄贈
<資料:東京大学大型計算機センター記念誌>
# 209,1963,電気試験所,ETL MarkⅥ,印刷基板,基板
——実験機ETL MarkⅥの印刷基板,部品を付ける前の未使用品。藤井けん介寄贈
# 210,1977,東芝,ACOS 600,,換気扇
——東京農工大学数理情報工学科創設当初の端末室RT-80端末用換気扇,当初は東芝のACOS 600のレンタルだったが,東芝が大型機から撤退し日電が引き継いだ,この端末は性能がわるく順次交換していった,これはごみ箱から拾った。
# 211,1961,日立,HITAC 201,,トランジスタ基板
——初期の小型計算機,丸い3本足はトランジスタ,10本か20本ほどある。基板の縁が金属板で囲んであるのは,絶縁基板が反るのを抑えるため,基板の反りにはずいぶん苦労したそうである。主記憶は磁気ドラム4000語,加算4ミリ秒
# 212,1956,UNIVAC,UNIVAC File Computer,磁心記憶駆動回路,真空管
——真空管の型番は6146,後には東芝4B16を使った。前田英明寄贈(# 115,818参照)
# 213,1960,CDC,CDC 1604,電力トランジスタ(放熱フィン),トランジスタ基板
CDC 1604は,CDCの初期の小型高速計算機。このころようやく大電流を流せるトランジスタが開発されて電源制御に使えるようになった。相当な熱が発生するので大きい放熱ひれが立っている。銘はDELCO GM 7292901 66450,CDCの基板は寸法の小さいものが多かった。高速演算のためには,実装密度を上げて全体を小さくする必要があった。(# 122,528)石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 214,1957,UNIVAC,UNIVAC Ⅰ/Ⅱ,,真空管
——標準寸法の真空管,この形はだるま管と俗称された。型番は6AS7,前田英明寄贈
# 215,1954,UNIVAC,UNIVAC 120,,真空管(回路)
——真空管と付属回路をパッケージにした。UNIVAC120は真空管612本,後に科学博物館に入った。(# 822)犬伏茂之寄贈
# 216,?,Burroughs,?,電源リレー,リレー
——電源用リレー,接触不良を起こすほこりを防ぐために透明容器に封じてある。機種不明
# 217,1969,日立,HITAC 5020F,遅延線アキュムレータ,トランジスタ基板
——日立中央研究所で計算機を作ろうとした。できるだけ安く作る→素子の個数を減らす→ビット直列にする→速度を上げる→20MHz(後に18MHz)というきわめて速い基本(クロック)周波数を採用する,という発想があった,主記憶は64キロ語×32ビットであって,ビット単位のアドレスだった。当時のIBM機や磁気テープなどは6ビットバイトだったので,これと32ビット語とを調和させるにはビットアドレスが必要だった。アキュムレーターなどのレジスタはENIACがそうであったように電子回路で組み立てるのが普通だったが,テレビ用の電磁遅延線(同軸ケーブル)を使って素子を減らした(この技術はETL Mark Ⅵから来た)。開発の村田健郎・中沢喜三郎は東京大学でTACの建設に当たった経験があった。(ほかに開発に関係したのは堤正義,安楽,島内剛一など)。純2進法の汎用機としてIBM704(加減算48マイクロ秒)が念頭にあった。加減算の速度が5020は8マイクロ秒,5020Fは1マイクロ秒,5020Eは0.75マイクロ秒だった。5020FはIBM704の後継機として1969年に気象庁に入った(# 208参照)。1973年に芙蓉情報センター(# 525,527,831参照)に1億7千万円で入った。このときは中央研究所の高橋延匡(後年の東京農工大学工学部長)が売込みに行った。これは1980年4月に廃品業者に100万円で払い下げられて解体された。(解体の情報を聞いて西村が部品をもらいに行った。)芙蓉情報センターにはHITAC M 170が入った。これでエアコンの電力が4分の1になった。(# 221参照)
# 218,1958,富士通,FACOM 128B,,リレー
——詳細は# 116をみよ。# 116と一緒に日本大学の永坂秀子からもらったもの。
# 219,1962,京大,KT-Pilot,フリップフロップ,トランジスタ基板
——CML回路の一つのフリップフロップ,KT-Pilotは京都大学の(萩原宏たちが作ったトランジスタコンピュータ,基本(クロック)周波数は5MHz,マイクロプログラム制御,これにもとづいて東芝はTOSBAC 3400を作り,東京女子大学(# 117,135,310参照),慶応義塾大学に納入した。萩原宏寄贈
# 220,?,,?,デカトロン(10進計数管),電子管
——ガス入り放電管で,円形に配置された10本の陽極の一つが放電を維持する。パルスが入ると放電位置が隣に移る。これ自体が10進演算の機能をもつが,作動速度が遅く信頼度が低くて計算回路には使えなかった。表示灯に使われた。計算機で使われた例は知らない。
# 221,1969,日立,HITAC 5020F,フリップフロップ,トランジスタ基板
——5020の増強機,芙蓉情報センターに1973年設置,1980年4月解体された。1980年7月4日入手。YはF用のパッケージ,詳細は# 217をみよ。
# 222,?,IBM,,,リレー
——duo(2重)relay,接点が二重になっているらしい。機種用途など詳細不明。
# 223,?,富士通,?,?,EPROM
富士通の集積回路IC記憶,1980年ごろ東京農工大学の計算機室(データステーション,# 832)にあったもの,詳細不明。
# 224,1978,テキサスインスツルメンツ社,?,デジタル腕時計
——# 720と同じときのもの,黒ベルト。西村が1978年5月アメリカで10ドル(1ドル360円だったか)で買った,10ドル,15ドル,20ドルといろいろあって見かけは同じ,どう違うのかと訊ねたら,トメイトウと答えた,え?と言ったら,見かけは同じでも食べてみれば違いはすぐ分かると,非常に早い時期のデジタル時計で珍しかったので10個買っておみやげにした(黒ベルトと赤ベルトとがあった)。表示は赤いLEDでボタンを押したときだけ出る(LEDの消費電力は液晶の1万倍ほどだった),銀電池の寿命が1年,翌々年 銀電池の値段が上がって1600円になったので放棄した。シャープやカシオの時計はいつだったか。
# 225,1967,日立,?,(超LSI)HLSI-UV,LSI
——通産省の超高性能電子計算機研究開発計画(大型プロジェクト)によって日立が作った超LSI,日立のマークとHLSI-UVと書いてある,残念ながら詳細不明(# 227,230参照),(この大型プロジェクトのとき西村は電気試験所から通産省の研究開発官室という担当部局に出向させられたが仕事はなくてぶらぶらしていた。),このとき某社の納めた試作品は,パッケージを開いてみたら,モノリシックではなく,小さいICを寄せ集めてハンダ付けしたものだった,残念ながらその見本はとってない。渡辺定久寄贈
# 226,1969,CDC,?,磁気テープ装置回路,IC基板
CDCの磁気テープ装置の回路——部品伝票付き,1970年代のIC基板,詳細不明。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 227,1967,日立,?,(超LSI)CKO-149,LSI
——通産省の超高性能電子計算機研究開発計画(大型プロジェクト)によって日立が作った超LSI,残念ながら詳細不明(# 225,230参照),熱を逃がすために上面が凹凸になっている。渡辺定久寄贈
# 228,?,富士通,?,,トランジスタ基板
——FACOMの基板,1960年代くらいの感じ,通産省の外郭団体情報処理研修センターにあったもの,詳細不明。樋口守寄贈
# 229,1971,CDC,?,ディスク記憶装置,IC基板
——CDCの基板,磁気ディスクの周辺回路らしい,部品伝票付き,基板全面がアース金属板で覆われている。詳細不明。(# 421,307参照)石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 230,1967,日電,?,試作LSI,144ビット MOSD メモリー,MOS
——通産省の超高性能電子計算機研究開発計画(大型プロジェクト)によって日電が作った試作LSI,144ビット100ナノ秒のMOSメモリー,1967年当時としてはずいぶん優秀なものだった(# 225,227,712参照),渡辺定久寄贈
# 231,1980,日電,?,,ウェハー
——マイクロプロセッサのウェハーと4ビットCPU,4ビットマイクロプロセッサNEC D552C(家電製品,音響機器,エアコンなどに}使った)のウェハーとそのプロセッサ,4.4ミクロンルールの設計,nMOS,ウエハは直径8センチ(3インチ),ウエハのような半製品はめったに社外に出ない。プロセッサはエポキシ樹脂の外装。篠宮寄贈
# 232,1976,DEC,PDP 12,?,IC基板
——DEC のミニコンPDP 12の故障IC基板,故障部品伝票に東京がんセンターと書いてある。
# 233,1968,三菱,HITAC 8410,グラフィックディスプレイ制御部,トランジスタ基板
——電子技術総合研究所計算機室(# 126,134,130,201,401参照)
# 234,1961,IBM,G20,,リレー
——法政大学のBENDIX G20(# 112,427,727,415参照)の出力カード穿孔装置(IBM)のワイヤーコンタクトリレーwire contact relay。(# 133参照)
# 235,1959,富士通,FACOM 212,眼鏡形パラメトロン,パラメトロン
——パラメトロンを作るのに,特性のそろった二つの磁心を対にすることが重要だった。二つの磁心ではなく,一つの鉄片に二つの穴を開けることによって特性をそろえたのが眼鏡形パラメトロン(#308,#309)である。FACOM212は虎ノ門の日本電子工業振興協会(JEIDA,#113)電子計算機センターにデモ機JEIDAC 201という名称で設置された。加算速度3ミリ秒,10進12けた×32語(これはあまりに小さい数字だが記憶容量だろう),パラメトロン8000個,樋口守寄贈
# 236,?,東芝(マツダ),?,真空管ケース,ケース(真空管)
——真空管は高価なものであって1本ずつこういうケースに入れて販売された,ミニアチュア管の寸法らしい
# 301,1966,日電,?,サブミニチュア管とケース,サブミニチュア管(小さい真空管)
——1966年5月,G977という型番らしい。サブミニチュア管は速度,電力消費,発熱などの点で有利だったと思われるが,計算機に使われた例を知らない。
# 302,1963,日立?,,,トランジスタ基板
——トランジスタ基板——ずいぶん詰まっている。数値微分解析機DDAの1号機,東京大学航空研究所には電気機械式の微分解析機があった(1・18参照)。MITでブッシュ式の微分解析機を見た。航空研究所の機械はまったく知らなかった。通信の実時間制御,図形の実時間入出力などをやりたかったが,汎用機を買って手を入れるにはお金がなくて自分で作った。この基板は国鉄の座席予約装置Mars 101(1964年〜1971)の回線制御にも使った。(# 129参照)穂坂衛寄贈
# 303,?,日電?,?,,活字
——日電のシリアルプリンタ(ニアックライタNEACWriter)の円筒形印字ヘッド部分,上下移動と回転によって文字を選択してハンマでたたく。1982年3月寄贈,(# 334のオキタイパと比較)
# 304,?,CDC,?,印字ハンマ,印字ハンマ
——ラインプリンタの印字ハンマ,紙の裏面からたたく。石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 305,1975,DEC,PDP 11/45,?,IC基板
——故障伝票付きの故障基板,伝票は1979年4月18日,PDP1145,
# 306,1968,富士電気化学,HITAC 8410,,磁心
——記憶保護機構の磁心記憶。10ビット×128ページというメモ,主記憶の128ページのそれぞれに10ビットのキーを付けたものか,よく分からない。8410は電総研にあった機械,富士電気化学製,銘はFUJI PROTECT MEMORY ASSY BS11-2H FUJIELECTROCHEMICAL CO.,LTD.
# 307,1971,CDC,?,ディスク記憶装置周辺回路,トランジスタ基板(# 229参照)
——ディスク記憶装置周辺回路(# 229参照),実装密度が高いうえに大きい基板 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 308,1961,日立,HIPAC 103,,パラメトロン回路基板
——眼鏡形パラメトロン回路基板,名古屋工業大学に1968年1月設置,加減算650マイクロ秒,HIPAC 103(1961年8月完成)は高橋延匡が日立入社当時,毎日毎日,配線の検査をやらされた,大きい部品はコンデンサ,その横の半円形で孔のあいているのが磁心。(# 309) HIPACは日立として最初に稼働した実用機で,送電線や送電鉄塔の力学計算によって日立電線の販売営業に貢献した。
# 309,1961,日立,HIPAC 103,,パラメトロン回路基板
——眼鏡形パラメトロン基板,名古屋工業大学に1968年1月設置,加減算650マイクロ秒,HIPAC 103は高橋延匡が日立入社当時,毎日毎日,配線の検査をやらされた。(# 308)
# 310,1976,東芝,TOSBAC 3400/40,?,磁気ディスクヘッド
——3400は東京女子大学にあったもの(# 219,135)。水谷静夫寄贈
# 311,1975,CDC,?,カートリッジディスクドライブ,磁気ディスクヘッド
——詳細不明 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 312,1964,日電,NEAC2200,?,トランジスタ基板
——IBM1401と競争して好評でよく売れた機種。金井久雄寄贈
# 313,1963,電気試験所,ETL MarkⅥ,?,トランジスタ基板
——細長い円柱は何か不明。青山宏寄贈
# 314,?,NCR,,磁気テープ装置,磁気テープヘッド
——9トラックの磁気テープヘッド,磁気テープの走行によって金属が研磨されて剃刀の刃のように鋭利で危険。
# 315,?,沖電気,?,シリコン トランジスタ.,メモリリードアンプ,トランジスタ基板
——詳細不明
# 316,1963,電気試験所,ETL Mark Ⅵ,フリップフロップ,トランジスタ基板
——銘はETLMk-6,手で2FFと書いてある。電総研では他の素子(たとえば江崎ダイオード)も比較評価してトランジスタは十分高速であり,今後も性能向上が見込めるとして実験機ETL Mark Ⅵはトランジスタで進めた。
# 317,1966,北辰電機,HOC 10,,トランジスタ基板
——銘は—EJ2—ONE-SHOT,3本足はトランジスタ,丸くてねじがあるのは可変抵抗,1966年4月
# 318,?,日電,?,メモリ?,IC基板
——ICメモリ基板,詳細不明。
# 319,1963,CDC,CDC 3000,?,トランジスタ基板
——小さい基板 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 320,?,CDC,?,,焼けた抵抗,トランジスタ基板
——電源系統の基板,抵抗が焼けて交換したもの。3000はCDCとしては小型の高速演算機。大きい電力トランジスタ(Mのようなマークはモトローラ 2NI529 7-24),この故障は,CDCらしいというべきか(作動速度のために大電流を使い,小さい部品を高い密度で実装するので体積が小さく高温になる)。(# 418参照) 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 321,1981,三菱,MSC 2716K,2キロバイト,EPROM
——数理情報工学科の学生実験で使用中に壊したもの,
# 322,1981,インテル,D 2716,2キロバイト,EPROM
——EPROM(C)intel 1977,1981年10月現在いちばん広く使われていた。来年あたりから次の2732になりそう。
# 323,?,NCR,?,256バイト,PROM
——松浦剛寄贈
# 324,1972,カシオ,カシオミニ,?,電卓
——空前の大ヒットした電卓(本文参照)。定価1万2800円は競合機種のおよそ半額だった。銘はCASIO MINI ELECTRONIC CALCULATOR。演算結果は上位6けたが表示され,矢印(⇒)を押すと下位6けたが表示される。電源が電池で10時間もつ(それまでは「卓上型」で,100ボルトの電源コードをつなぐのが普通だった)というのも画期的な性能だった。といっても,単三乾電池を4本も入れるのだった。1年で200万台も売れた。とはいえ学生に手が出せる値段ではなかった。桑原悟寄贈(親の会社ホシノで使っていた。)
# 325,?,学研,パスカル模型,,その他(計算器具)
——1980年ごろの学研の雑誌付録,パスカルの計算器の模型,操作ペン付き,たいへんよくできていて歯車式計算器の原理方式がよく分かる。惜しいことにプラスチック歯車がすぐ磨耗した。説明文:このたしかめ計算きは,たくさんのギアをかみ合わせて 作ってあります。強く たたいたり 落としたりすると,こわれることが あります。ちゅういして ください。この教材のねらいと特色●算数 ■ ねらい●算数の基礎となる計算では何よりも反復練習が大切です。たし算やひき算の問題をたくさんやったとき, 自分一人で答え合わせができる,たしかめ計算機です。 特色●くり上がりやくり下がりのとき,音が出ますので,計算のしくみを理解することができます。 ■ 協力●東京都足立区千寿第四小学校校長/北原福武 ■ 製作所●興化工業(株)
# 326,1967,CURTA,CURTAⅠ,?,手回し計算器
——230グラム,3万5000円 (# 327参照,# 328)
# 327,1967,CURTA,CURTAⅡ,?,手回し計算器
——カタログにはポケット計算機とある。スイスの隣のリヒテンシュタイン製。工芸品のような美しい製品,金属ケースが付いている,このケースは不思議なことに逆ねじ(右に回すと開く)である。(# 326と同じもの,# 328)
# 328,1967,CURTA,CURTAⅡ,,手回し計算器
——英文マニュアル付き,クルタポケット計算機,英文ではカルキュレーティングマシンとある。英文・和文説明書付き。(# 326,327)
# 329,1969,ALPINA,アルピナ,?,手回し計算器
——タイガーとほとんど同じ配置組合せのポケット計算器(西ドイツ製),550グラム,4万2000円,#3103というメモが付いているが不明(製造番号か),手持ちで使うと操作性がわるくタイガーのような速度は出ない。机上に置くための重い鉛の台が付いているがそれは携帯性と矛盾する便宜。
# 330,1968,CDC,CDC 7600,8層基板,トランジスタ基板(多層)
——当時トップのスーパーコンピュータ,個別部品での最終的な機種,多層の基板の間に人手で小さいトランジスタをハンダ付けした。この多層の基板は がっしりしていなくて むしろ ふにゃふにゃしている。それはピンの接触不良を防ぐための積極的な方策だろう(# 123 やまと参照)。実装密度を上げるのはCDCの特色。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 331,1964,CDC,CDC 6000,?,トランジスタ基板(2層)
——当時のスーパーコンピュータ,60ビット,いろいろ話題になった機種,CDC社はCDC1604以来IBMの市場(事務データ処理)を避け科学技術計算用の高速計算機に特化して業績を上げた。(# 335参照),2層のトランジスタ基板は# 332ではずっと薄くなっている。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
浮動小数点演算 6600 6800
加算 0.4 0.1 マイクロ秒
乗算 1.0 0.25
除算 2.9 0.73
# 332,?,CDC,?,磁気テープコントローラー,トランジスタ基板(2層)
——2層のトランジスタ基板は# 331よりずっと薄いことに注意,その意義は不明。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 333,1963,電気試験所,ETL MarkⅥ,ダイオードマトリックス,——ダイオード基板,照井武彦(岩手大学)寄贈 (104の写真と同一物)
# 334,1965,沖電気,オキタイパー6000,活字シリンダ,活字シリンダ
——金属活字が円筒形に配置されている。これを選択してハンマーで打つ,(# 303の日電製品と比較)
# 335,1964,CDC,CDC 6000,?,トランジスタ基板(2層)
——(# 331参照) 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 336,?,CDC,CDC 6000,トランジスタ基板(2層)
——CDC 6000(1964年発表)シリーズとCYBER70(1971年発表)シリーズ,2枚の基板の間に小さいトランジスタを入れて人手でハンダ付け(# 331)。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 337,1974,CDC,CYBER 170,?,トランジスタ基板(2層)
——CYBER 170(1971年発表)はCDC7600の後のスーパーコンピュータ,あまり聞かなかった。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 401,1968,日立,HITAC 8410,,ラインプリンタ活字ドラムデコーダ
——ラインプリンタは,横長の活字ドラム(円柱)を使う。横方向に百数十字(1行の幅),回転方向に数十種の文字種が配置してある,行送りは紙に任せて,活字ドラムは常時回転している(フライングドラム)。このデコーダによって回転位置つまり文字種を選択指定して,紙の裏からハンマでたたく。この円盤に細い透明窓が空いているのを読み取って回転位置を決定する。(# 711)こういうデコーダはハミング距離を1とする巡回2進符号(Gray code)を使うのが定石であるが,未確認(# 518参照)。電子技術総合研究所計算機室にあったHITAC 8410(# 126,134,130,201,429参照)のもの。この円盤は# 711と同じもの。
# 402,?,,?,紙カード3種,紙カード
——IBMの80けたカードの穿孔符号を示すために作ったカード。規則的に斜めに孔が空いているのは,上の3段がゾーン(+,—,0),下の1〜9がディジット,その組合せでA〜Z,数字を表現する。カードの上縁の印字はプリンティングパンチで印字したもの,不規則なのは実際的な文の穿孔,全面に孔があるのは,すべての穿孔位置を示したもの。こういう全面穿孔のカードは,機械に入れると強度不足でぐちゃぐちゃになることがある。(# 534)
# 403,?,セイコー,?,,紙カード
——不明のカード,SEIKO,1 2 3 4 5などの文字があるので,セイコーの計算器の外部プログラムカードかもしれない。
# 404,1962,IBM,IBMシステム 3000,,紙カード
——名刺くらいの小さいカード,縦12段×横80けたの位置に小さい丸穴。穴の縦位置を奇数けたと偶数けたで食い違わせて,左右を詰めた。IBM社が在来型のパンチカードシステムの延命のために作ったスモールカードシステムSystem 3000のカード(# 535参照),1962年ごろ発表後すぐに引っ込めたのでほとんど知られていない珍しいカード。当時日本IBM社にいた西村が記念品としてたった1枚保存した。# 404は未穿孔だが,穿孔されたカードもあったはず。
# 405,1978,日電,ACOS 600,,マイラーテープ,紙テープ
——東京農工大学数理情報工学科創立時のACOS 600の通信制御装置DN330を立ち上げるのに1978年3月〜1981年2月に使った初期プログラムのプラスチック(マイラー)テープ。テープの穿孔符号を読めば何か分かるかもしれない。
# 406,?,,?,,磁気ディスクヘッド
——磁気ディスクとぶつかってこすった読み書きヘッド,ヘッドの表面に傷が付いている。トキコと書いてあるが不明。
# 407,1981,日電,?,,IC
—— ICの文字はNEC D3720 KY044。1981年7月1日 日電三宅康次寄贈
# 408,1980,中国,?,,,そろばん
——1980年に小谷善行が中国に行ったときに現用品として売っていたそろばん。上段2珠,下段5珠は原始的な形式で日本では江戸時代(?)に改良された,個々の珠が(菱形でなく)俵形であるのも古い形,室町時代に日本に渡来したのもこの形式だったと思われる。
# 409,1972,?,,丸形計算尺,計算尺
——説明書付き。円周は直径の3.14倍だから直径10センチは30センチの直線形計算尺(# 505,601)に相当する。小さくて携帯しやすいし,直線形のように演算結果が目盛の範囲から外れて位取りをやり直すことがない。便利なわけだが,直線形のような精度はなかった。阿刀田央一が1972年から1980年ごろまで使っていたもの 外径9センチ。説明書の文面:教材計算尺研究会の一般用丸型計算尺 品番 No.120 使用法(実用新案出願中) 教材計算尺研究会 代表者 杉浦次郎 No.120の特長 ......
# 410,1961,BENDIX,G20,,,ブラッシ
——g20は法政大学(# 112,427,727,415)にあったもの。磁気テープ装置の駆動モータのブラシ
# 411,196X,?,G20,,ダイオードと紙ケース
——(# 413参照)1960年代初頭の点接触型ゲルマニウムダイオード,一つ一つをこういう手間のかかる紙ケースに入れて売っていた,数百円だった,それでも真空管よりは安かった。印刷はTransitron semiconductors。法政大学(# 112,427,727,415)のBENDIX G20の周辺にあったもの。# 413と同一物か。
# 412,195X,松下,?,,ゲルマニウムダイオードと紙ケース
——1950年代の点接触型ゲルマニウムダイオード(0A85),ていねいな二重の紙箱に説明書付きで入れてある,470円,説明書:ナショナル ナショナルゲルマニウムダイオード 特徴 完全防湿が保証されています。 ナショナル ゲルマニウム ダイオードは独特の完全ガラス封止機構を採用して居りますので、湿度の為に特性が変化することは全くありません。 例えば沸騰水中に数10時間つけた強制テストに於いても何ら特性の変化がなく,これはガラス封止方式によってのみ......云々。品種—型番 0A70 0A79 2-0A79 0A81 0A85 規格表 最大定格(25℃) 定格(25℃).......
# 413,196X,?,G20,,ダイオード
——(# 411参照)1960年代初頭の点接触型ゲルマニウムダイオード,一つ一つをこういう手間のかかる紙ケースに入れて売っていた,数百円だった,それでも真空管よりは安かった。印刷はTransitron T7G 7.20。法政大学(# 111,112,427,727,415)のBENDIX G20の周辺にあったもの。# 411と同一物か。
# 414,196X,日電,?,マイクロディスクトランジスタ,トランジスタ
——1960年代後半のトランジスタの一例,普通は金属缶に封入されているが,一回り小さく厚みも薄くしてある,わざわざマイクロディスクトランジスタという名称を誇示している——日電固有の名称であって一般的な名称ではない。生産・流通・販売・使用の便宜のために25ミリの標準幅紙テープに接着してある(穿孔は特製の送り孔であって標準的な穿孔とは別のもの)。紙テープにはNECの表示。渡辺定久寄贈
# 415,1961,BENDIX,G20,,トランジスタ基板
——磁心記憶のセンスアンプリファイヤ(読取り信号増幅回路),法政大学(# 111,112,427,727)のBENDIX G20のもの,3本足の二つは小さめのトランジスタ,二つの丸い部品が目立つが不詳。
# 416,?,キヤノン,,,電卓
——薄型カード電卓,保証書・使用説明書(CanonカードLC)付き,CanonカードLC,液晶表示のガラスが壊れている。
# 417,1970,沖電気,?,磁歪遅延線基板
——磁歪遅延線記憶,790ビット ラインプリンタバッファ記憶,1970年7月,ニッケルなどの磁性材料の線を丸めて支えてある,線の一端にねじり波を与えて伝播させる。他端で磁性変化を検出増幅整形して循環させる。ねじりのためのピンが見える(電子計算機ハンドブックp2-185〜186に解説と図解がある。)。1ビット/1μ秒,790ビット。Type TDLO 2 Delay 790.85μs Freg 1000 Date 1970.7 # 708では1MHzで1ビットあたり2mmと書いてある。輪の中央にあるのがトランジスタ基板,外側にIC基板,ラインプリンタは主記憶とは別に1行分のバッファ記憶をもつのが普通だった。それはCPUが待たなくてすむようにする目的と,作動速度の不調和を調整することが目的だった。数千個のトランジスタのフリップフロップ(# 633,1964年)や磁心記憶(# 134,1968年)を使う例もあったが不釣合いに高価だった。(# 709参照)
# 418,1965,東芝,TOSBAC 3300,,トランジスタ
——電源用の電力トランジスタ,銘はToshiba 2SB237,大きいトランジスタを金属基板に密着させて放熱する,放熱用の金属板が立ててある。(# 320参照)
# 419,?,日立,?,混成技術IC,IC
——HybridIC(混成集積回路),本格的なICは monolithic(単石)であるが,これは小規模なICやトランジスタを絶縁基板の印刷配線の上に溶接してある,こういうものを混成集積回路といって,過渡的な技術である。過渡期に中途半端な技術が採用されるの
は,技術上,性能,時間かせぎ,市場での競争そして結局は経済的な理由による。
# 420,1969,東芝,TOSBAC 5100/Model20,入出力チャネル,トランジスタ基板
——部品が基板に垂直に取り付けられて実装密度が高い。白くて丸いのは放熱ひれの付いたトランジスタ,電総研にあった機械。(# 431,433)舟久保登寄贈
# 421,1968,CDC,CDC200,,IC基板
——トランジスタと集積回路とが付けてある。基板全面がアース金属板で覆われている。詳細不明。(# 229,307参照) 利用者端末コントローラ,1968年4月。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 422,1970,沖電気,?,,トランジスタ基板
——クラッチ磁石駆動回路,クラッチ磁石はラインプリンタの印字ハンマまたは紙送り用だろう,沖電気はプリンタを作っていた。大きいのは大電流を制御する電力トランジスタ,基板の銘は3LP-16264
# 423,1958,UNIVAC,USSC,?,トランジスタ基板
——トランジスタ四つの足が浮いているのはハンダ付けの熱がゲルマニウムトランジスタに伝わらないためだろう,大きい二つはパルス変成器らしい。基板の銘はD3815396(A) PDR X,トランジスタの実用機として最初のもの,ユニバックソリッドステートコンピュータUSSCという名前でアッピールした。加減算90マイクロ秒(# 124,424参照)。この時期にIBM社のベストセラー機650は真空管と磁気ドラムだった(平均演算速度は5ミリ秒程度)。IBM社の1401はこの翌年。日本では1956年〜1959年に,ETL Mark Ⅲ,Ⅳ,NEAC 2203,HITAC 301が相次いで作られた。犬伏茂之寄贈
# 424,1958,UNIVAC,USSC,?,トランジスタ基板
——(# 423参照)基板の銘 AR-1S DX805,186(A)とあるのは算術演算回路だろう。黒い丸い部品(1020)は不明。犬伏茂之寄贈
# 425,1972,日電,NEAC 2200/500,,トランジスタ基板
——磁心記憶コントロールセレクタ,トランジスタに放熱ひれが付いている。この機械は国立市の国鉄貨物DACSに1972年〜1981年春にあったもの,IBM社の360シリーズに対抗して各社ともシリーズ化し始めた,日電はIBM1401に対抗してよく売れていた2200をシリーズ名とした。ハニウェルと提携した機種かもしれない。1982年6月2日三宅寄贈
# 426,1968,富士通,FACOM 230/25,?,IC基板
——ICがぎっしり並んでいるほかに小さい部品が数個付いている,斜めに走っているのはジャンパー線といって,設計・製作上の不具合を補正する普通の手段(これを見て,なんだ不良品を売り付けやがってと怒られることもある),通産省の外郭団体情報処理研修センターにあった機械,230は富士通のシリーズ名,モデル番号25は比較的小型のモデルを意味する。樋口守寄贈
# 427,1961,BENDIX,G20,印字ハンマドライバ,トランジスタ基板
——プリンタの印字ハンマ駆動回路,大きいのは電力トランジスタで,銘はCRT 609 CT。G20は法政大学(# 111,112,727,415)にあったものだろう。
# 428,?,沖電気,?,,,ランプ
——80けたカード光電読取り用ランプ,高輝度長寿命,100ボルト30ワット(この寸法で30ワットはかなりの輝度),21センチという長さは,ちょうどカードと同じ。つまり段方向に光電的に読む読取装置用。IBM社のカード読取りは伝統的に80本の鋼鉄ブラシを並べて段方向に読むものだった,
# 429,1968,日立,HITAC 8410,,リレー
——電総研にあった機械(# 126,130,201,306,401)の磁気テープ装置のthermal relay。時間遅れを作るためのもの(# 823参照)。
# 430,1973,東芝,?,,IC基板
——集団ディスク記憶装置のDifferential Decoder(微分デコーダ),おそらく磁気記録の磁気の変化にともなう電流変化の微分を求める回路だろう。銘は34M722213-A M72221101A K3Y3699,ICにはtoshiba T と書いてあるらしい。集団ディスクは,IBM社が開発したディスクパックと呼ばれる交換可能なハードディスクで,広く使われ,国際規格,JIS規格も制定された。20.7メガバイト/パック,平均アクセス時間40ミリ秒
# 431,1969,東芝,TOSBAC 5100/20,,トランジスタ基板(# 420,433)
——記憶まわりの回路,トランジスタほかの部品を垂直に取り付けて実装密度を上げている。電総研にあった機械(# 420,431)
# 432,1979,DEC,PDP 8L,?,IC基板
——故障IC基板,故障伝票付き,基板の銘はFLIP CHIP,トランジスタとICを使った#フリップフロップだろう,伝票は……1979年4月9日 三井記念病院 PDP 8L 9 MODULE P/N G228 OIKAWA Read/Write不能
433,1969,東芝,TOSBAC 5100/20,CPU,トランジスタ基板
——CPUの回路,トランジスタほかの部品を垂直に取り付けて実装密度を上げている,電総研にあった機械(# 420,431)を西村が解体した。
# 434,1967,大井電気,アレフゼロ 201,小形パラメトロン,パラメトロン
——2本の磁性線にエナメル線を巻いて作った小型パラメトロン,蓋の文字はPARAMET(下請けの業者かもしれない),普通のパラメトロンは二つの鉄芯に導線を巻いて作る。1967年電子式計算器の競争が激しくなった時期(アニタが1962年)に,大井電気はアレフゼロという電卓(# 921参照)を製造販売した。これは,初めてテンキーを採用した電卓である。東京大学高橋秀俊研究室に内地留学してパラメトロンコンピュータの開発を見ていた。開発経過は青木康次主任,神田(三菱)が知っている。1981年5月27日伊藤登常務寄贈
# 435,1979,DEC,PDP 11/44,,IC基板
——基板の銘はFLIP CHIP,札の印刷は Rev,B MODULE ID TAG DATE 22,MAR 79 CUSTOMER 日本分析
# 436,1967,日本無線,JAC-110,,トランジスタ基板
——日本無線(JRC)の機械。基板は製造番号GB10089 基板の銘はIS-PC200-NOR JAC-110と書いてある。JAC-110はトランジスタ1400個,ダイオード9000個,IC10個,抵抗・コンデンサ7300個,基板202枚(実装したのは171枚?),加減算10ミリ秒,乗算50ミリ秒,除算200ミリ秒,主記憶はドラムで40ミリ秒/回転。1970年に盛岡サービス連盟に本体650万円で3台目の機械として入った。その後工業高校を経て,1979年に岩手大学照井武彦のところに来て上野博物館に入った。(# 701)1980年11月7日照井武彦寄贈
# 501,1959,日立,Mars 1,,真空管回路パッケージ
——国鉄の座席予約装置Mars 1のドラム書込み回路,真空管回路(3本足のトランジスタが二つ見える。本体はトランジスタ回路)。四角いのはパルス変成器。穂坂衛寄贈
# 502,1966,IBM,IBM 360/30,カード ROM,カード(ROM)
——80けたカードと同じ標準形のプラスチックカードに印刷配線している。標準の孔の位置に導体がある,これを穿孔によって除去するとコンデンサの容量結合が生ずる。孔の有無によって1/0を表現する。電子計算機ハンドブックp2-191に説明がある。このカードに読出し線のカードを重ねて空気袋で押す。360の下位モデルはROM(読取り専用固定記憶)によるマイクロプログラム制御を用いた。マイクロプログラム制御は,EDSAC Ⅱで提案され,比較的安価で融通性のある方式を実現できた。日立は電磁誘導結合によるROMを使った(# 610)。本体は西ドイツIBM製造の日本に輸入された1号機で,毎日新聞社に入った,空気袋の空気漏れで修理交換してごみ箱に捨てたものを拾った。伊東律夫寄贈
# 503,?,TOAMCO,TAKACHIHO 4100,,,磁気テープヘッド
——漢字プリンタTAKACHIHO T4100の磁気テープヘッド(# 136,102 参照)。
# 504,?,IBM,IBM SELECTRIC 72,,活字(ゴルフボール)
IBM社は電動タイプライタも販売していた。セレクトリック72は交換可能なtype element(ゴルフボールと通称された)が特色,英数字だけでなく,片仮名や平仮名のものもあった。プログラム言語APL用のセットもあった。硬いプラスチックの表面に金属めっきで,文字が欠けることがあった。ワードプロセッサで印字の途中に書体に応じて活字を取り替えるように指示の出るものがあった。コンピュータの制御卓にも使われたし,出力装置(IBM1620)にもあったかもしれない。15字/秒の速度。1950年代末ごろに出たと思う。(# 514)
# 505,?,,?,計算尺,計算尺
——昭和初期,15センチはわりに短い(# 601),朝鮮総督府鉄道局技師清水幸次が使った。革ケース付き。清水敬子寄贈
# 506,1981,東芝,ACOS 77,,磁気ディスクヘッド
——東京農工大学数理情報工学科創立 間もない1981年1月4日朝,学科共用の大型コンピュータのハードディスクがクラッシュした(# 611)。読み書きヘッド先端の白い部分に黒くこすった跡が見える。(# 507)
# 507,1979,CDC,?,ヘッドクラッシュ,磁気ディスクヘッド
——CDCのクラッシュした磁気ディスクヘッド,由来など詳細は不明(#506) 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 508,?,CDC,,,活字
——(# 516)トレインプリンタ活字。CDCはラインプリンタにトレインプリンタという方式を開発した。フライングベルトといって水平方向に(循環的に)走るベルトにこの活字4文字組を装着しておき(この活字の並びを列車に見立ててトレインという),タイミングで文字種を選択して,紙の裏からハンマでたたく。フライングドラムについては# 401,518参照。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 509,1961,沖電気,OKITYPER 4500,,活字ボックス
——沖電気のテレタイプ印字部,四角い枠の中に活字が配置してあり,全体が上下左右に動いて文字種を選択し活字の後ろからハンマでたたく。(# 511参照)
# 510,?,IBM,IBM 405,,活字ハンマ
——会計機(印刷集計機)のハンマ,紙の裏からたたく。(# 513)
# 511,1961,沖電気,OKITYPER,?,活字ボックス
——沖電気のテレタイプ印字部,四角い枠の中に活字が配置してあり,全体が上下左右に動いて文字種を選択し活字の後ろからハンマでたたく。(# 509参照)
# 512,?,IBM,IBM 407,,活字輪
——この円盤が1行の文字数(120字)分だけあって円柱状になる。数十種の活字が回転円盤(プリントホイール)の周りに配置してあり,常時回転している(フライングホイール)。この回転に同期して紙の裏からハンマーでたたく。活字,インクリボン,紙,ハンマの順に配置する。インクリボンは紙の幅分ある広いもの。407はIBM社の最後の会計機(集計印刷機)で,パンチカードシステムの中枢として使われコンピュータのプリンタ(直結でも別置でも)としても使われた(150行/分)。円盤に丸穴があけてあるのは回転部分の質量を減らすため。
# 513,?,IBM,IBM 405,,活字棒
——数十種の文字の付いた棒(type bar),この縦棒が上下に往復して文字を選択する。405会計機は1行のうち左側の一部のけた位置だけが数字と英字をもっていて,残りのけた位置は数字だけだった(100行/分)。(# 510)
# 514,?,IBM,IBM 1052,,活字(ゴルフボール)
——# 504参照,1052というのがIBM社の型番らしい(# 504)。
# 515,?,沖電気,?,,印字ヘッド
——1文字分=縦に7ドットのピンがあって,それを電磁石で押して印字する。(# 724参照)
# 516,?,CDC,,,活字
——(# 508)トレインプリンタ活字。CDCはラインプリンタにトレインプリンタという方式を開発した。フライングベルトといって水平方向に(循環して)走るベルトにこの活字4文字組を装着しておき,タイミングで文字種を選択して,紙の裏からハンマでたたく。フライングドラムについては# 401,518参照,チェーンについて# 608参照。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 517,1975,CDC,,,磁気ディスクヘッド
——磁気ディスクヘッドの頭部,ただし,つけてあるタグは磁気テープヘッドのデュアルギャップヘッドの図解。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 518,1968,日立,HITAC 8410,,印字装置関連
——活字ドラムのタイミング検出部,中央の丸い透明円柱が円柱レンズ。このレンズを挟んで両側に電球とセンサー窓がある。レンズとセンサとの間をフライングドラムのデコーダ円盤(# 401,711)が通る。8410は電総研(# 126,130,201,306,401)にあったもの。
# 519,1961,BENDIX,G20,印字ハンマ,印字ハンマ
——法政大学(# 111,112,427,727,415,520)にあったG 20のラインプリンタの印字ハンマ。
# 520,1961,BENDIX,G20,,,ブラシ
——法政大学(# 111,112,427,727,415,519)にあったG 20のカード読取装置(IBM059)カード読取りブラシ,カードの80けた分に対応して80本の鋼鉄線が並んでいる。線の先はカードで研磨されて剃刀のように鋭い。(# 522)
# 521,1966,新興製作所,,,漢テレ活字
——漢字テレタイプ活字。金属の円筒にこの活字を装着する,円筒を動かして文字位置を選択し内側からハンマでたたく,インクリボンはなくインクスポンジが活字表面にインクを塗る。文字種2000弱,印字速度2字/秒。鍵盤には百数十のキーがあり,キートップに全漢字が示してある。1キーに12漢字あり,それを別の1〜12のキーで選択する(12段シフトという),紙テープ読取り穿孔機構が付いている。6孔2列で1漢字になる。新興の商品名は漢字テレプリンタ,沖電気の漢字テレタイプとともに新聞社などで使われた(略称は漢テレ)。西村が電総研で機械翻訳実験に使ったもの。
# 522,?,IBM,IBM 513,,ブラシ
——IBM 513カード読取装置の読取りブラシ(1本)。非常に鋭い鋼鉄の針。(# 520)
# 523,?,沖電気,?,,フォトセル
——紙テープ読取り装置の受光部photo cell。
# 524,?,IBM,MSS,,磁気テープ
——IBM社がMass Storage System(MSS)という名称で発表してずいぶん宣伝したがさっぱり売れなかった。この砲弾形のカートリッジ多数が大きい棚に格納されていて,それがアクセスされて読取装置に送り込まれ装着されて,中の磁気テープが引き出されて読まれる。磁気テープは幅68.6mm×厚さ0.041mm×長さ20.2m。たぶんこれ一つで50メガバイト。棚,アクセス装置,読取装置はとても大掛かりなものだった。このカートリッジは日立中央研究所が買って研究し御用ずみになったもの。高橋延匡寄贈
# 525,1969,日立,,,トランジスタ
——気象庁や芙蓉情報センター(# 217,527,831参照)に入ったHITAC 5020Fのトランジスタ,モトローラM3966H-1 6916。1980年9月4日入手
# 526,?,IBM,IBM 029,カード読取り装置?,グラスファイバー光源
——IBM029鍵盤穿孔機のカード読取機構に使った光源の光を導くグラスファイバ。029は鍵盤穿孔だけでなく先行のカードの穿孔を読み取って後続のカードに複製する機能ももっていた。
# 527,1969,日立,HITAC 5020F,コンソールランプ,ランプ
——気象庁や芙蓉情報センター(# 217,525,831参照)に入ったHITAC 5020Fのコンソール(制御卓)のランプ。1980年9月4日入手
# 528,1960,CDC,CDC 1604,,リレー基板
——水銀リレーは詳細不明。銘は159-117M00,基板の銘は65172100 E00HSZ。CDC 1604については# 122,213参照。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 529,1957,UNIVAC,UNIVAC Ⅰ/Ⅱ,,真空管
——UNIVAC Ⅰ/Ⅱは東京電力にあった,加減算200マイクロ秒,太平洋戦争中の軍用のRCA製真空管を使った。型式は28D8(7),6S47,6SN7 前田英明寄贈
# 530,1955?,ソニー,?,,ダイオード
——点接触型ダイオードIT22 IN34A 1955年ごろ気密シール不良で劣化しソニーが回収したことがあった。大岸洋寄贈
# 531,?,Burroughs,,,トランジスタ回路
——バローズのトランジスタパッケージ,ランダムジオメトリ方式といって,部品の形・寸法を統一しないで空間にできるだけ詰め込んで実装密度を上げる。平面形の基板との優劣については不詳。
# 532,?,IBM,IBM 80,,回転接点
——分類機(ソータ)の回転接点(エミッタ)。12,11,0〜9の各段に対応する接点がある。
# 533,?,,,,ソケット
——トランジスタを挿し替えるためのトランジスタソケット。高価なトランジスタのためにこういうことをした。ハンダ付けの熱を避けるためや故障したトランジスタを交換するためである。
# 534,?,日本ユニバック,,,紙カード
——90けたカード,当初,IBM社とレミントンランド社は縦12段×横45けたの位置に丸い穴をあける同じ規格の穿孔カードを使っていた。レミントンランドは縦12段を上下に分けて6段×90けたにした。6段の中に数字は一つ孔または二つ孔,英字は三つ孔にした。このカードは英字の穿孔の見本として作ったもの,対応する文字が上縁2段に印字してある。(# 402,536)
# 535,196x?,IBM,System/3,96けたカード,紙カード
——スモールカードシステムのとても小さいカード,小さい丸孔,縦6ビット×32けた×3段=96けた,IBM社の初期の電子計算機は6ビット1バイト(これをキャラクタと呼んだ)で英字・数字などを表現していた。このカードの6ビットは1,2,4,8,A,Bという名称で,始めの4ビットはディジット,後の2ビットはゾーンを表す。1960年代初めのもの。(システム3000 # 404参照)
# 536,?,日本ユニバック,,,紙カード
——#534とは別の90けたカード,実際の事務用に設計穿孔されている。下段の穿孔は,検孔されて長円形になっている。
# 537,?,日電,ACOS 600,,リング
——磁気テープ用書込み許可リング,磁気テープではテープリール(巻き枠)の芯にこのリング(柔らかいプラスチック製)をはめ込んでおく,これがはめてあればそのテープは読み書き自由である。消されては困る重要なテープの場合には,このリングを外す。リングのない磁気テープは書込み不能となり,保護される。その辺に転がっていたテープを雑用に使おうとリングをはめると,実は重要な親テープだったというような悲劇(笑劇)も起こった。東京農工大学数理情報工学科の初代の機械(東芝 ACOS 77,1978年3月納入設置)で使われていた記念すべき一品。IBM社は書込み許可リングだったが,ユニバック社は書込み禁止リングと書込み許可リングとを併用した。
# 550,,1980,東京電気(TEC),TEC EC201,,電卓
——最初の太陽電池電卓,太陽電池電卓が初めて出たのは1980年秋(東京電気,TEC)で,受光面は5センチ×8センチと大きなものだった。このとき西村は就職担当として東京電気と会って話を聞い(てこれをもらっ)た。こののち受光面はどんどん小さくなった。
# 601,?,,?,,計算尺
——計算尺は,2数の積の対数はそれぞれの対数の和である
log(x×y)=logx+logy
という性質を使ったアナログ式の計算器である。上下に固定された目盛り尺,その間に左右に動く滑尺があり,上下にわたってカーソルがある。乗除算,開平(ルート √ ),比例には,抜群の効率だった。三角関数などの数表の換算もできた。長さ数十センチ,幅数センチ,厚さ1センチくらいの竹とセルロイド製。円形のもの(# 409)もあった。日本のヘンミが市場をほとんど独占していた。3けた程度の精度で,技術者の必携品だったが,関数電卓の登場によってすっかり姿を消した。ヘンミは一時 関数電卓も作ったが早々に手を引いた。#601と#602は50数センチの長さで,これは精度を上げるためのごく長いものの例で,あまり普通ではない。普通にはもっと短いものを使った(# 505,409)。精度を1けた上げるには,10倍の長さが必要で,このことがアナログ方式の泣き所である。
# 602,?,,?,,計算尺
——# 601参照。
# 603,1972,東芝,TOSBAC 3400/40,ダイオードマトリックス(ROM),ダイオード基板
ダイオードマトリックスは下面に横方向の導線,上面に縦方向の導線があって両者の交点に一方向の半導体=ダイオードを人手でハンダ付けして縦横を接続する。周囲にトランジスタ回路,これはデコーダー(符号解号器,ROM=読取り専用記憶)として使われた。集積回路ICではまったく同じ原理が縮小して使われている。萩原宏(京都大学)がマイクロプログラム(ROMに記憶)方式のKT-PILOTを設計した。当初は個別部品を使っていた。これは後にModel 30という名称になった。慶応大学に2号機が入った。Model 40は集積回路だが,このROM周辺は元のままらしい。水谷静夫寄贈 (# 104,333,135,219,310,502,603,633,701参照)
# 604,1969,日立,HITAC 5020F,遅延線レジスタ,33ビット基板,遅延線
日立の5020(# 217,208)はテレビ用の電磁遅延線を応用してレジスタ(置数器)を作った。レジスタ(置数器)は演算のための一つの数値を保持する高速回路で,通常は多数のトランジスタや真空管を組み合わせて作るので費用が掛かる。遅延線を使うことで安価で高速の回路を実現した。5020の基本回路は同じような電磁遅延線を使う(# 207)。ぐるぐる巻いてあるのが電磁遅延線で中のトランジスタ回路が発振検出増幅整形する。
# 605,1972,日立,HITAC 8800,CPU,6層基板,LSI基板,H8800と書いてある。黒い長方形がLSIで放熱のための凹凸がある。東京大学大型計算機センターで使われていた8800の論理回路,これ1枚でおよそ1000万円相当。東京大学大型計算機センターは1972年12月〜1980年8月に450万件のジョブを処理した。6億6000万円/年=8800*2+8700*2 H8800は14万ゲート,30ゲート,MSI,16MSI,板 500枚/CPU 1980年9月29日石田晴久寄贈
# 606,?,テキサスインスツルメント,TI 990,IC記憶,IC基板
最初期の1024ビットIC記憶MF1103,136個あるのでこれで0.1メガバイト強
,MF1103というメモが付けてあるが不詳。インテル社が開発して商品化した最初の1024ビットICの型番が1103だった。それと規格が同等のICらしい。17ビット×8kというメモが付いている。(990は# 634参照)
# 607,?,UNIVAC,UNIVACⅢ,磁気テープ記録の転写,その他(磁気テープの転写)
——磁気テープの記録面に鉄粉を掛けて磁気記録を浮き出させて粘着テープに転写する。7トラック(200BPI)と9トラック(800BPI)との見本。BPI=ビット(列)/インチ 犬伏茂之寄贈
# 608,?,IBM,IBM 1403,印字チェーン
——1403高速プリンタの活字チェーン,このチェーンが循環的に水平方向に走行回転して,そのタイミングによって文字種を選択して紙の裏からハンマでたたく。なお# 508参照,印字速度600行/分,透明ケースは保管輸送のためのものだろう。プリンタに装着するのはチェーンの部分だけ。ではケースの丸孔は何だろう。
# 609,19??,TI,サイレント700モデル733,,,電話端末印字ヘッド
——携帯用の電話端末,重さ7キロくらい,出力は感熱ロール紙,スーツケースかラップトップパソコンのような外装だった。パソコンが実用化されるまでは,自宅で計算機を使うにはこういう端末が唯一の手段だった。電話の受話器を音声カプラにはめ込んで遠隔地のTSSシステムに接続する。伝送速度は300ビット/秒,印字は横5ドット,縦7ドットで,テレタイプ打字の騒音に比べて感熱印字はサイレントの名称どおり静かだった。印字ヘッドが故障して交換したもの。
# 610,19??,日立,HITAC8410,,,読取り専用記憶(ROM)
変成器方式の固定記憶装置(ROM),印刷された導線の一部を切ることによって,線が磁心(四角い孔に磁心を通す)の中を通るか,外を通るかで電磁結合によって1ビットの1,0を表す。個別の人手(# 603をみよ)によらないで機械的に穿孔で銅線を切ることができ,かつ薄い短冊形なので実装密度が高い。8000シリーズ中の下位機種でマイクロプログラム制御を用いて費用を下げた,そのマイクロプログラムを記憶する。12段×54ビット×16語×16枚
# 611,1981,東芝,ACOS 77,,磁気ディスク
——ヘッドとぶつかって大破壊を起こしたハードディスク。磁性面がすっかり削れてアルミニウムの板まで削られている。東京農工大学数理情報工学科創立 間もない1981年,卒業論文研究の期限間近の1月4日朝(とても寒い朝だった),共用の大型コンピュータのハードディスクが破損して大騒ぎになった,ディスク表面と読み書きヘッドとの間に微小なごみが入ったことが原因(だろうとしかいえない)で,ヘッドとディスクが衝突して削られ大破壊になった(# 506)。主記憶は1メガバイト,ハードディスクは400メガバイト,ディスプレイ端末十数台,価格はおよそ10億円だった。これを学科の教職員,学生全員で共用していた。フロッピーディスク,パソコン,ワープロのどれもなかった。ハードディスクはこれ1枚で40メガバイトくらいか(#4上というメモが書いてある)。
# 612,19?? ,,Mac16,固定記憶装置(ROM),
——# 603,#333,#104のダイオードマトリックスと同じ原理のもの。基板が2層ではなく1枚に印刷配線してある。
# 613,,,,変成器式読取り専用記憶(ROM)
——変成器方式のROM,外径1センチほどの大きい磁心とエナメル線,線が磁心の中を通るか,外を通るかで1/0を表す(人手で通す)。何に使ったものか不明,秋葉原のジャンク屋で1980年ごろ買った。# 610をみよ。阿刀田央一寄贈
# 614,,,,,,IC基板
——古い型のIC論理回路,(工業用?)小型オフラインマシンDN520,秋葉原で買った。
# 615,,INTEL,i4003,,IC基板
——10ビットのシフトレジスタ,最初のマイクロプロセッサシステムのもの,NCRのレジスタに使われたものかもしれない(# 626参照)。
# 616,1970,富士通,,,,マガジンファイルカートリッジ
——磁気テープの装着を容易にするためにいろいろの工夫がされた。これは東京農工大学の電子計算機室で1970〜1977年に使われたもの,130キロバイト。NO.45というラベルが付いている。
# 617,,,,,パラメトロンパッケージ
——眼鏡形パラメトロン,東京大学のPC-2と酷似しているがわずかに違う。鉄心の部分にワックスが掛けてある。パルス電流の磁界によって鉄心が振動してノイズが発生する。振動を防ぐために鉄心を基板に固定すると全部の鉄心が同期して振動するのでかえってノイズが増える。ワックスによって振動を吸収する。富士電機のマークがある。大井電気で1960〜1961年に作ってポケットベルの親機に使った。大井電気にたった一つあったものを1981年5月27日寄贈。青木康次,三笠,神田
# 618,1961,東大,PC-2,,パラメトロンパッケージ
——厚幕集積。
# 619,1960,富士通,FACOM202,パラメトロン(箱入り)
——紙箱に入ったパラメトロン,箱はTDK Paramistor TOKYO DENKI KAGAKU KOGYO CO LTD TYPE PM-6V 1954,トヨタ自工で1963年8月〜1966年10月に使われたFACOM202の保守部品,本体は富士通で解体された。1号機は東京大学のPC-2である。あと2台は同時に作ってトヨタ自工と東京大学物性研(ISSP)に納めた。トヨタのは動いていない時間が多かった。ニッケルメッキの足のハンダ付けがうまくなかった。物性研のはよく動いて井上謙蔵がALGOLコンパイラを作り,このコンパイラがトヨタに行った。大原正志寄贈
# 620,1966,日立,HITAC 8700,8800,,基板(磁性線)
——磁心記憶の次の技術として作られた磁性線記憶,銅の導線の表面に鉄(パーマロイ)めっきした薄膜磁性線とエナメル線を織って作る(織成記憶,ワイヤメモリ# 131)。上の表面の黒いのはフェライト。HITAC8700,8800,Mars105などの初期のバッファ(キャッシュ)記憶に使った。72ビット。神奈川工場にいた斎藤延男寄贈
# 621,1979,日電,SYSTEM 100/40,,IC基板
——16キロビット/チップ,MOS IC DRAM,SYSTEM 100モデル40は1200万円のオフコン,1978年10月発売。CPUは7〜8枚の板で16キロバイト,すぐモデル45になった。ダイナミックRAMは4ビットモジュールの16キロビット/チップ(# 623参照)。三宅康次寄贈
# 622,1955,IBM,IBM 705,,真空管パッケージ
# ——IBM 705はキャラクタ単位のアドレス方式(おそらくUNIVACの影響),真空管,磁心記憶,磁気テープ装置の事務データ処理向き大型計算機,総理府統計局に設置。1961年3月1日〜1967年5月20日稼働,73か月×381時間≒28484時間,このパッケージの真空管にマーカーで色がつけてあるのは,真空管が寿命で断線する前に定期的に交換する便宜のためである。1967年廃棄破壊されるのを惜しんで部品を統計局の関係者に配った。それを記念品として保存していたものを譲ってもらった。片岡省吾寄贈
# 623,1979,日電,NEC SYSTEM 100/40,MOS IC,IC基板
——小さい黒いのは普通のIC,大きいのはマイクロプロセッサだろう(# 621参照)。三宅康次寄贈
# 624,1965,東芝,TOSBAC 3300,,トランジスタ基板
——オア回路
# 625,1965,東芝,TOSBAC 3300,フリップフロップ,トランジスタ基板
——5ビットフリップフロップ。3300は東京大学数学教室にあったもので,一松信,米田信夫たちが設計した(# 706)。米田信夫は数学者だが,電気や実験にやたら強かった。米田信夫寄贈
# 626,197?,NCR,,,i 4004,,IC基板
——最初のマイクロプロセッサであるインテル4004(4ビットCPU)はほとんど残っていない。これはNCRのキャッシュレジスタか印刷計算器の基板。白い長方形が4004で銘はC4004 0131R。たぶん秋葉原のジャンク屋で1000円/枚で買ったもの,2048ビットマスクPROM,320ビットRAM。(# 615参照)阿刀田央一寄贈
# 627,?,CDC,?,ディスク回路,中央に アワーメータ,IC基板
——トランジスタとICの基板,中央に1万時間のアワーメーターがある。これは通電によって電解で解けて通電時間の積算を示す。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 628,1961,BENDIX,G 20,磁気テープ装置のアンプ,トランジスタ基板
——法政大学(# 111,112,427,727,415,519,727)にあったG 20の磁気テープ装置アンプ
# 629,?,DEC,PDP 11/40,,磁心記憶板
—— 16ビット×8キロワードの磁心記憶,スタックではなく語配列(ワード配置)という平面形の記憶,磁心記憶として最終期のもの。周囲は集積回路
# 630,1965,東芝,TOSBAC 4300,?,トランジスタ基板
——1965年10月〜1981年6月浜松市役所,1981年に西村が訪問して寄贈してもらった。
# 631,1964,東芝,TOSBAC 3400/30,,トランジスタ基板
——1965年〜1976年,慶応大学のTOSBAC 3400/30の2号機(# 633,830)の割込み制御回路,3本足がトランジスタ。(# 633,603,310,135,219,117参照)。 中西正和寄贈
# 632,?,,6単位紙テープ,?,紙テープ
——6単位紙テープ リール(巻き枠)付き,初期の符号系はパンチカードシステム,電子計算機,通信,情報交換用符号系,すべて6単位系だった。それが しだいに7単位,8単位,と拡張されていった。いずれにせよ紙テープは扱いにくい媒体だった。符号のビットとは別に特定のトラックが決まっていて1符号ごとにパリティビットが付いていた。照井武彦寄贈
# 633,1964,東芝,TOSBAC 3400/30,,トランジスタ基板
——フリップフロップ,ラインプリンタのバッファ記憶は当時適当な技術がなくてトランジスタのフリップフロップという贅沢(高価)なものを使った。後には磁心記憶(# 719,134,# 917),遅延線(# 417)などになってゆき(いずれもミュージアムにある),結局はIC記憶になった。これは慶応義塾大学の3400(1語は24ビット)のもの(# 830)。中西正和寄贈
# 634,?,テキサスインスツルメンツ,TI 990,,IC基板
——演算ユニットArithmetic unit,# 606参照。
# 635,1969,東芝,,,IC基板
——超高性能電子計算機研究開発計画(1968年〜1970年)によって東光が作った織成記憶(ワイヤメモリ# 131)用のセンスアンプ,初期のICを使っている。青山宏寄贈
# 701,1967,日本無線,JAC 110,,,ダイオード基板
——デコーダ,ダイオードマトリックスのデコーダ(# 603,612,333,104)JAC 110については# 436をみよ。照井武彦寄贈
# 702,1971,三菱,?,,磁心記憶
——電子レジスター用記憶を三菱電機が作ったもの,φ1.25mm,工場渡し価格が1万数千円だった。比較的初期のもので構造がよく分かる。1979年に秋葉原のジャンク屋で400円で買った。鵜澤繁行寄贈
# 703,196?,東光,?,織成記憶,,織成記憶基板
——織成記憶(ワイヤメモリ),65ビット×64語,銘はMODEL MX-W64D50- TOKO INC.,TOKYO JAPAN,,1960年代の通産省の超高性能電子計算機研究開発計画(大型プロジェクト)で磁心の次の技術として東光が開発した(# 131,227),ETL MarkⅥ(# 704)にも使われた。CODASYL COBOL,Edition 1965の表紙に磁心の拡大写真があったので,翻訳した COBOL 1965年版 の表紙は職成記憶の拡大写真にした。1980年ごろ秋葉原のジャンク屋で300円で買った。鵜澤繁行寄贈
# 704,1964,電気試験所,ETL Mark Ⅵ,織成薄膜記憶,,基板(織成記憶)
——織成薄膜記憶の試作(東光製)初期の試供品(# 703をみよ,131参照),50ビット×50?語。渡辺定久寄贈
# 705,197?,沖電気,OKITAC 4300S,,IC基板
——小規模集積回路SSI,MSI。銘は3LH31220 53C3501
# 706,1968?,東芝,TOSBAC 3000,,IC基板
——最初期の多層配線基板,3000の第0号機,一松信,細井勉,米田信夫(# 625)たちが設計した。東京大学数学教室に1年間あって(# 914),津田塾大学に移動してそこに5年間あった。第1号機はNHK技研に1971年3月入った。細井勉寄贈
# 707,1975,CDC,?,,IC基板
——IC基板,小さいスイッチがたくさんある。カートリッジディスク駆動回路,部品伝票付き。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 708,1964,日立,Mars 101,磁歪遅延線,遅延線基板
——国鉄座席予約装置 Mars 101 の磁歪遅延線(# 709)。磁歪遅延線については# 417をみよ。これは1MHz 2mm×560ビット,つまり1メートルほど(直径9センチ×3.14×4周)になる。多数の回線入力の実時間制御バッファ。アメリカから買って研究室で実験して微分解析器(DDA)にも使ってみてMars 101に使った。穂坂衛寄贈
# 709,1964,日立,Mars 101,磁歪遅延線,遅延線基板
——国鉄座席予約装置 Mars 101 の磁歪遅延線(# 708)の周辺回路。これはトランジスタを使っている。磁歪遅延線については# 417をみよ。穂坂衛寄贈
# 710,?,,超LSI研究組合,,ウエハー
——超LSI研究組合(垂井が電総研から行ってこの後 農工大に行った)で作ったウエハーの試作品,シリコンの単結晶,数十センチ長の円柱を薄くスライスしたもの,直径10センチ(4インチ)は大きい 篠宮寄贈
# 711,1968,日立,HITAC 8410,,デコーダ
ラインプリンタ活字ドラムのデコーダ。これは# 401と同じもの。8410は電総研(# 126,130,201,306,401)にあったもの。
# 712,1967,富士通,?,試作LSI,9ビットレジスタ,LSI
——9ビットレジスタの試作LSI,通産省の超高性能電子計算機研究開発計画(大型プロジェクト)によって富士通が作った,1967年当時としては優れた成果。なお日電(# 230),日立(# 227,225)の試作LSIもある。
# 713,1959,日立,ETL MarkⅤ,光電式テープリーダ,銘板
——電気試験所内部の計算需要に応える計算センター用に作られた。電気試験所の詳細設計に従って,日立が実装製作した(これが後にHITAC 102となった)。10進浮動小数点方式,入出力は穿孔紙テープ,プログラム作成はイニシャルオーダー,MarkⅤの記念はこの銘板だけらしい。銘は ディジタル型電子計算機 型式 ETL MK-5 光電式テープリーダー 製造番号 137 製造年月 昭和35年3月 日立製作所 MarkⅤは1960年代にETL Mark ⅤはFACOM 230/50(通産省の要請で富士通・沖電気・日電が共同で開発したFONTAC)に置き換えられた。FACOMは入力は穿孔紙カード,プログラム作成はFORTRANだった。斎藤延男寄贈
# 714,?,日電,?,デジタル腕時計のIC(分周回路),腕時計
——日付,液晶のデコーダ,駆動回路,200円〜500円。分周回路は1段ごとに周波数を半分にする,32768ヘルツの水晶発振器であれば15段で1秒周期を作れる。1980年篠宮寄贈
# 715,,UNIVAC,UNISERVO Ⅲ,,磁気テープヘッド,
——9トラック磁気テープの読み書きヘッド。UNISERVO Ⅲはユニバックの磁気テープ装置の名称。読込みのときは二つのギャップで2度読んで照合する。書出しのときは書いた結果を読んで確認する。 犬伏茂之寄贈
# 716,,UNIVAC,UNISERVO Ⅲ,,磁気テープヘッド,
——7トラック磁気テープのデュアルギャップ読み書きヘッド。UNISERVO Ⅲはユニバックの磁気テープ装置の名称。読込みのときは二つのギャップで2度読んで照合する。誤りになればテープを後退させて20回まで読み直す。書出しのときは先行のギャップで書いた結果を後続のギャップで読んで確認する。誤りになればテープを後退させて消去し20回まで書き直すという方式もあったがこれはとんでもない誤設計(なぜか)。 犬伏茂之寄贈
——誤りを起こしたテープはできるだけ早く廃棄すべきである。何とかしてそこに書き込むという考え方は間違い,誤りを検出したら後退して消去し何十センチか先に進んで書く。(読出しのときには,その場所をなんとかして読まなければならない。)
# 717,沖電気,,,活字バー
# 718,1977,日電,フロッピーディスク装置,,銘板
——N7701 フロッピディスク装置 管理番号 133-403018-060 製造番号 115101931 号 1977年7月製 定格 AC100V 60Hz NEC 日本電気株式会社
# 719,日立,HITAC 8410,,磁心記憶
——カード出力穿孔装置バッファ記憶の磁心記憶10×8×9ビット,8410は,8410は電総研(# 126,130,201,306,401)にあったもの。
# 720,1978,テキサスインスツルメンツ社,,腕時計
——# 224と同じときのもの、赤ベルト。# 224をみよ。西村が1978年5月アメリカで15ドルか20ドル(1ドル360円だったか)で買ったもの。
# 721,富士通,FACOM,,磁気テープヘッド
——7トラック磁気テープヘッド,情報処理研修センターにあったもの。
# 722,東芝,TOSBAC 4300,,磁気テープヘッド
——TOSBAC 4300は浜松市役所で1965年12月〜1981年6月運用。銘はREAD ASSEMBLY TYPE OB-1427B SERIAL NO.151-1117 TOSHDIBA TOKYO SHIBAURA ELECTRIC CO.LTD
# 723,,,,印字ドラム
——ラインプリンタの活字ドラム,フライングドラム20けた分。IBM 407かもしれない。407ならば横幅120字,150行/分。
# 724,?,Burroughs,?,ピン印字ヘッド,印字ヘッド
——ピン印字ヘッド,,,1文字分=縦に7ドットのピンがあって,それを電磁石で押して印字する。(# 515参照)
# 725,1979,,,,ハンダ
——IC用のリング形ハンダ,外径約2ミリ,おそらくICを基板にハンダ付けするときのハンダの量を調節するためのもの。
# 726,1982,テレタイプ,NEACライター,,紙テープヘッド
——紙テープ読取りヘッド。1982年3月15日入手
# 727,1961,BENDIX,BENDIX G20,,磁気テープヘッド
——1インチテープ磁気テープキャプスタン,たぶん法政大学にあったもの,1インチというのは例外的に幅の広いテープ(標準的には半インチ=12.7mm幅)。
# 728,1968,日立,HITAC 8410,磁気テープヘッド,磁気テープヘッド
——電総研にあったもの。ソケットに1968年9月20日と書いてある。榊原寄贈
# 729,?,,?,磁気テープヘッド,磁気テープヘッド
——詳細不明。
# 730,1973,沖電気,?,,IC基板
——ラインプリンタハンマ駆動回路,トランジスタとICを使った基板らしい,1973年〜1977年。
# 731,1971,?,,,磁気テープ
——磁気テープのケース。TRICON MJB 1971年9月30日
# 732,1971,?,,,磁気テープ
——磁気テープのケース。# 731と同じもの,朱色は書込み許可リング
# 733,?,住友スリーエム スコッチ,?,,磁気テープ
——軽金属の巻き枠,銘はSCOTCH。
# 734,1976,?,,?,磁気テープ
——磁気テープ TAPE CLEANING LABEL 1976年2月12日 大栄テープセンター 手書きで 不合格R/C使用 76012より作成
# 735,?,IBM,IBM 1443,,デコーダ
——印字バーのデコーダ部分(# 735,736,835〜838の写真は同一物,1443はIBM1401の廉価版である1440のプリンタ,活字が軽金属の水平のバーに並んでいて,水平方向に動く,文字位置を階段形のデコーダで検出してハンマでたたく。
# 736,?,IBM,IBM 1443,,活字バー
——# 736の1443の活字部分,櫛の歯状の舌に活字が付いている。交換が容易なように作るのはIBMの方針。茶色のテープのようなものは多分振動を吸収するためのダンパー。
# 801,1963,電気試験所,ETL MarkⅥ,,磁心記憶
——50ビット×64ワード(64枚)の磁心記憶基板,ちょっと変わった形式,つまり線形選択(語配列)という方式で,基板に磁心(TDK,外径1.27mm,2.5マイクロ秒)を寝かせて埋め込み,そこにエナメル線をじぐざぐに通してある。つまり斜めの線がない。 加藤雄士製作。渡辺定久寄贈
# 802,?,日電,?,,LSI 半製品
——LSI 半製品,4ビットCPU,電子レンジLSI,マスクROM,KOVAR合金,2μm厚金めっき,nMOS,4.4μmルール,こういう半製品はめったに工場の外に出ない,米田信夫に一つ分を切り取って謹呈した。篠宮(通産省)寄贈
# 803,1956,UNIVAC,UFC,,磁心
——外径2.1mm,最初期の磁心記憶,永年みなが触ってぼろぼろになっていたので透明のプラスチック板をかぶせて保護した。14×10×6ビット×7枚。黒い塗料が塗ってあるのは,パルス電流によって振動が生じノイズが発生するのをダンパーで防ぐため(これも非常に初期の方式でフォンノイマンたちの時期の技術)である。UFCは真空管の機械(# 818)。小野田セメントなどに設置された。犬伏茂之寄贈
# 804,?,富士通,,,磁心
——FACOM 222,231,241の磁心記憶。外径1.3mm,80×50ビット,情報処理研修センターにあったもの。ずいぶん隙間の多い組み方である。樋口守寄贈
# 805,?,電総研,?,ロボットの手,その他(ロボット)
——研究中のロボットの手試作品。# 806参照。千代田区永田町にあった電子技術総合研究所はつくば市に移転した(1979年11月1日に移転完了)。それに先立つ数年間,ごみ置き場にたくさんの試作品,研究資料などが捨てられていて,西村はそれに留意していた。これはそこで拾った。(跡地には2002年に首相官邸が建った。)
# 806,?,電総研,?,ロボットの触覚,その他(ロボット)
——研究中のロボットの手の触覚センサ。手は# 805参照
# 807,1969,東光,ETL Mark Ⅵ,,基板(織成記憶)
——東光製,磁心の次の技術として実験機Mark Ⅵのキャッシュメモリに用意した織成薄膜記憶,鉄めっきした導線とエナメル線を(京都の)織機で織った。128語,144?ビット,銘はMX-W130-D300-12/12L No.5757。(# 131,227,620,703,704参照)
# 808,1969,?,CEC1051,磁心記憶模型,磁心記憶模型
——磁心記憶の教育用説明教材。一つのドーナツ形磁心に4本の絶縁線を通してあることがよく分かる。縦横が位置(アドレス)を指定する選択線と書込み用の抑止線,斜めが読出し用検出線。地方自治情報センターにあったもの,1983年3月14日興津勝寄贈
# 809,1972,日立,HITAC 8800,,磁心記憶
——これで32キロバイト。磁心は外径0.4mm,内径0.2mm,人手でエナメル線を4本通す(白いのは線をつないだところ)。こういう繊細な作業は機械ではできない。この寸法では手で触っただけでつぶれるので,保護用に透明アクリル板を野瀬隆が付けた。この板256枚で8メガバイトになる,世界最大の磁心記憶(最終期)である。東京大学大型計算機センターの主力機(1972年12月〜1980年8月,東大から日立に引き取られてスクラップにされ,部品が東大に戻され,それが寄贈された),これ1枚で約1000万円相当,石田晴久寄贈
# 810,1962,IBM,IBM 7040,,配線盤
——紙テープからIBM7040の80けたカード(またはプリンタ)への符号変換用の配線盤。IBM社はカード主力で紙テープには冷淡だった。東洋レーヨンはUNIVAC120→USSC→IBM7040→IBM360と使ってきた。7040はレンタルで返却された後,慶応義塾大学に行った。この配線盤は東洋レーヨンの三浦代亮が情報処理研修センターの南波に貸与したものを1987年7月30日に再貸与された。
# 811,1962,UNIVAC,UNIVAC 1107 thin film(薄膜)computer,,基板(薄膜記憶)
——36ビット×4×32語,0.6マイクロ秒。ガラス板に磁性線,導線を蒸着したもの,磁心記憶は遠からずおしまいになるとの認識が1962年にはあったことを示す。UNIVAC 1107 はスィン フィルム(薄膜)コンピュータと宣伝した,犬伏茂之寄贈
# 812,1975,沖電気,OKITAC 4300C,,IC基板
——CPUの基板,4300は5千〜7千台売れた。
# 813,1977,東芝,TOSBAC 5600,,IC基板
——こういう基板では,ICは足を板側に向けて挿すなどするのが定石。ここではICを裏返して付けた。そのほうが手数が少ないし,実装密度も上がる。TOSBAC 5600のCPU(数理情報工学科は当初TOSBAC 5600を設置した。東芝が汎用機から撤退してレンタル機は日電が引き取った。日電は機械を同等のACOS 77に入れ替えた),学科の機械(ACOS 77,約10億円)はこの板を146枚使っていた。1枚が数百万円の計算になる。加減算1マイクロ秒。
ACOS 77 116枚=記憶30+CPU36+システムコントロール5+入出力マルチプレクサ25+磁気ディスク装置レコード14+システムコンソール6
回線制御DN330 30枚
# 814,1977,東芝,TOSBAC 5600,,IC基板
——TOSBAC 5600 CPUの基板(# 813の写真の裏面)。ワイヤーラッピングボードと呼ぶ。このくらいになると完全に機械で配線することはできなくなる。検査して手直しする。初期の基板配線はハンダ付けだったが,ハンダ付けは案外に信頼性が低かった。見かけは付いているようで実は付いていないとか,経年変化によって劣化するとか,間欠的な接触不良を起こすとか,いろいろあった。銅線を巻き付けるラッピングのほうがずっとよいことがしだいに分かった。それにしてもスパゲッティ配線である。
# 815,196X,?,,,磁気テープヘッド
——7トラック磁気テープヘッドの試作品。1960年代初頭にソニーまたは日電あたりが試作して電気試験所のETL Mark ⅣB(# 128,入出力用機で磁気テープ装置4台を制御した)でテストして使った。渡辺定久寄贈
# 816,?,IBM,,ワイヤコンタクトリレーwire contact relay,リレー
——細いワイヤをそのまま接点およびばねとしたもの,詳細不詳。
# 817,1955,電気試験所,ETL Mark Ⅱ,,リレー
——1ビット記憶用リレー,動作速度10マイクロ秒程度(ずいぶん速い,レジスタ用か)。
# 818,1956,UNIVAC,UFC,,真空管
——UNIVAC File Computer Model-1(UFC),磁気テープ装置のサーボアンプの真空管(型式5932),UFCは10進法,3番地方式,1960年ごろ小野田セメントに入った。アセンブラさえなくて数字でプログラムを書いた。わりに遅い機械だった(# 803)。磁気テープ装置6台,磁気ドラム(移動ヘッド,17ミリ秒),80けたカード装置,紙テープ装置,高速プリンタ(600行/分 # )があった(このころIBMの会計機407は150行/分で,大量の帳票を印刷する業務では競争にならなかった)。600行/分の高速プリントでは印字用紙がちぎれてしまった。製紙会社と共同で新しい紙を開発した。当時小野田セメントには,和田英一,大駒誠一がいた。全国のセメント工場とセメントデータ,給与明細などを電話回線で通信した,
回線から来たデータを紙テープで受信し,それを80けたカードに変換してコンピュータ(UFC,IBM650)に入力した。前田英明寄贈
UFCには次の二つのモデルがあった。合わせて180台ほど製造販売された。
Model-0(1955年):配線盤による外部プログラム
Model-1(1957年):配線盤による外部プログラムと磁心記憶による内部プログラムとの双方が可能。
# 819,?,UNIVAC,,サイラトロン,電子管
——高速プリンタのハンマドライバのサイラトロンthyratron(ガス入り放電管,# 821),交流から直流への整流に使った。前田英明寄贈
# 820,?,CDC,,リードスイッチ群基板(スイッチ),リレー
——管楽器の吹き口の舌(リードreed)のような動きをする構造のリレー(ガラス管に封じてある,# 827,829)。基板の上に放射状に配置してあり,多分この基板の上面に回転する磁石が来る。用途不詳。石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 821,,IBM,,電子管ユニット
——ガス入り放電管(サイラトロンthyratron,819),用途など詳細不明。
# 822,1954,ユニバック,UNIVAC 120,,電子管ユニット
——冷陰極放電管の1ビット記憶(カバーをとると紫色の放電が見えた),放電管は動作速度はあまり速くない。UNIVAC 60/120はパンチカード機械で記憶容量は60けた/120けた,加減算10ミリ秒,乗除算50ミリ秒。プログラムは40ステップの配線盤(約53センチ×38センチ,3.5kg)で与える。<犬伏茂之:UNIVAC120のプログラミング,『bit』1989年1月号>
# 823,,,,,リレー
——thermal relay(熱リレー)を電子管のガラスに封じたもの。バイメタルに制御電流を通すと熱で変形湾曲して信号電流の接点を開閉する。時間遅れを作るためのもの(# 429)。
# 824,,IBM,IBM407,,,リレー
——IBM407会計機(集計印刷機)はパンチカードシステムの中枢機であって,甲南大学のIBM650電子計算機(1953年発表)のプリンタ(150行/分)として使われていた。辻田忠弘寄贈
# 825,,,,,,マイクロスイッチ
——マイクロ(ごく小さい)スイッチ,法政大学(# 111,112,727,415)のBENDIX G20にあったもの,詳細不明。
# 826,,東芝,TOSBAC 5100,,,リレー
——多重の接点をもったリレー。電総研にあった機械(# 420,431,433)。
# 827,,IBM,,,,リレー
——リード(reed)リレー。管楽器吹き口の舌(リードreed)のような動きをする構造のリレー(# 820,829参照)。
# 828,1981,,,,,集積回路
——1キロバイト×8ビットのEPROM。日立HN4E 2708,電源が+5V,+12V,—5Vの3種類必要だった(当時はこういうICがままあった)。すぐに使われなくなった。
# 829,,IBM,,,,リレー
——リード(reed)リレー。管楽器吹き口の舌(リードreed)のような動きをする構造のリレー(# 820,827参照)で,これは接点を保持するための磁石が付いている。
# 830,1964,東芝,TOSBAC 3400,,,磁心記憶
——磁心記憶の板(コアプレーン)。磁心は外径0.8ミリ,0.8マイクロ秒,64×64ビットの小正方形が,4面ある(これで合わせて16キロビット=2キロバイト)。3400(1語は24ビット)の2号機で慶応義塾大学に入った。中西正和寄贈
# 831,,日立,HITAC 5020F,,,磁心記憶板
——磁心記憶の板(コアプレーン)。磁心は外径0.8ミリ。5020F(加減算1マイクロ秒)は芙蓉情報センター(# 217,525,527参照)にあったもの。
# 832,1967,富士通,FACOM 270/20,,磁心記憶板
——磁心は外径30mil(つまり0.8ミリ,1mil=1/1000インチ)。4096ビット,これと同じ磁心記憶は270/30,230/50,230/30,230/20,230/10などに使われた。270/20は東京農工大学の(大学全体の)計算機室(データステーション)に(1967年8月〜1977年3月)あった初代のもの,主記憶は2.4マイクロ秒,18ビット×16キロ語=36キロバイト,1980年ごろ工学部の中を探しまわって西村が見付けた。(コアスタック# 906,925)
# 833,?,日立,HITAC 8000,,文鎮(プラスチック製)
——日立が8000シリーズの発表に当たって,関係者に配ったプラスチック製文鎮(HITAC 8000と書いてある),IC化された新しい機械であると宣伝したが,後に西村がHITAC 8400(# 134,126,130,201,306,401,711)を解体して調べたところ,確かに集積回路を使ってはいた。しかし,数個の素子を集積した程度の集積回路(この文鎮のICパターンをみても分かるだろう)を搭載した基板が,基板全数のうちの1割も使われていなかった。とはいえ新しい技術を1割も使うということは大変な進歩なのである。
# 834,1955,電気試験所,ETL Mark Ⅱリレー計算機,,紙テープ
——30孔(紙またはプラスチック)テープ,30孔を2列ずつ読む,列の配置は,
1#21324354
というふうになる。同じ番号の二つの列を a,b と名付けると,1aと1bの合わせて60孔を一度に読み取って入力する(入力というより停止した紙テープの読取りピンを直接に置数器の数値として処理する)。次にテープは2列分送られる。読取りピンは2a2bの位置になる。この二つ60孔を読み取る。以下同様,……,紙テープ送りは毎回2列分ずつで一様であることに注意,読取りピンaとbは機械的なものなので,3列分の距離が開けてあってこれ以上接近させることはできない。FACOM 128Bも同様で36孔×2列=72ビットだった。10進10けたで2・5進表現だった。浮動小数点演算で,加減乗除のほかに開平の命令があった。
# 835,?,IBM,IBM 1443プリンタ,印字バー(# 735,736,835〜838の写真は同一物),活字バー
——軽金属のバーが左右に往復して印字する。階段状の部分がデコーダであって,この段を読んで左右の位置決めが行われる。IBM1440はベストセラー機IBM1401の廉価版であって,1401のプリンタ1403はチェーン式だった,詳細不明。1443は管状のバーに櫛の歯のような形の活字が植えてある。この活字の部分は簡単に交換できる。保守交換が容易なように作るのがIBMの一貫した方針である。
# 836,?,IBM,IBM 1443,印字バー,活字(バー)
——# 835をみよ。
# 837,?,IBM,IBM 1443,印字バー,活字(バー)
——# 835をみよ。
# 838,?,IBM,IBM 1443,印字バー,活字(バー)
——# 835をみよ。
# 901,1978,?,,,印字ヘッド
——印字ヘッド(# 901,902の写真は同一物)。詳細不明。
# 902,1978,?,,,印字ヘッド
——# 901と同じもの。
# 903,?,タイガー,,,手回し計算器
——手回し計算器の内部機構が見えるようにカバーを取り外したもの。
# 904,1962,沖電気,?,,紙テープリーダ
——光電式紙テープリーダ。銘は光電式テープリーダー,詳細不明。
# 905,1958,北辰電機,,,磁気ドラム
——主記憶用磁気ドラムの実用品製作前の試作品,16トラック,1000ビット/トラック,つまり全体で2キロバイト,アクセス時間は数ミリ秒。ドラムの表面に接近してピンがあるのが読み書きヘッド。銘は磁気ドラム記憶装置 もっと早い時期の試作品がつくばの電総研に保存されている。詳細不明。本文参照。ジャイロコンパスを海軍に納入していた北辰電機がETL Mark Ⅳの主記憶用にカナダFerranti社の高速磁気ドラム200Bを輸入分解してお手本にして作った。こういう透明の半球形カバーを掛けて組み込むのが普通だった。
906,1967,富士通,FACOM 270/20,,磁心記憶
——コアスタック,2.4マイクロ秒。コアを正方形に配置したのがコアプレーン(# 832),コアプレーンをこのように重ねたものをコアスタックと呼ぶ,コアプレーンは4096ビットでこれがアドレスに対応する。つまり,0番地から4095番地(4キロ語)である。18枚重ねてあるのが1語18ビットである。このスタックが4スタックあって,16キロ語(約9キロバイト)。270/20については# 832,925をみよ。
# 907,1962,カシオ,CASIO AL-1,,その他(外部記憶)
——カシオのリレー計算器としてほとんど最後のAL-1(# 927)の外部プログラム用歯車。一般に電卓は演算の手順は数値データの入力とともに人手で定めてゆく。演算の手順をプログラムで与えて人手は数値データの入力だけにする方式は速度と確実性の点で優れている。プログラム記憶方式ではなく外部プログラムで設定することが多い。AL-1はこのプラスチック歯車の歯を折り取ることでプログラムを設定する。歯車が回転しながら命令が読み取られる。歯車は簡単に装着できるし,保存も容易である。詳細不明。
# 908,1970,日立,HITAC 8210,,磁心記憶
——コアスタック。詳細不明。8210は8000シリーズ中の下位機種
# 909,1968,日立,HITAC 8410,,磁心記憶
——コアスタック,8キロバイト,1.44マイクロ秒/2B。銘はCORE MEMORY TYPE—HFSQ4DA SER.NO—079 DWG.NO—5294167-1 DATE—1968-1 HITACHI。榊原寄贈
# 910,1973,CDC,,磁心記憶
——コアスタック,部品伝票付き,12ビット×4096語。センチュリーリサーチセンターの機械。CDC6000シリーズとCYBER70シリーズのもの。 石黒邦宏・京田紀男寄贈
# 911,?,日電,?,,フロッピードライブ
——カバーを外して内部を見せた。回転軸,読み書きヘッドを出し入れする電磁石などが見える,詳細不明。
# 912,1959,東大,PC-2,,磁心記憶
——2周波磁心記憶,パラメトロン回路と相性のよい磁心。交流磁心ともいう。52ビット×64×8枚,512語。TDKという銘が入っている。PC-2を商品化したFACOM202のものかもしれない。ずいぶんゆるい作りである。<資料:本文中のパラメトロン計算機の項をみよ>
# 913,1967,日本無線,JAC 110,,磁気ドラム
——主記憶ドラム,19200ビット。一般に磁気ドラムは軽金属の円柱の表面に磁性材料たとえば酸化鉄の塗料を塗布して作る。これは軽金属の円柱に既存の磁気テープをねじ留めして作ってある。とても珍しい作りである。クロック1トラック,レジスタ1トラック,主記憶18トラック,合計20トラック×20語×12けた×4ビット,3ドラムで1000語。40ミリ秒/回転,加減算10ミリ秒,1970年盛岡サービス連盟(本体650万円)→1979年岩手大学(照井武彦)→1980年5月科学博物館。1980年11月7日照井武彦寄贈
# 914,1965,東芝,TOSBAC 3300,,磁心記憶
——コアスタック,25×1024ビット,つまり25ビット語×1024語。3300は東京大学数学教室にあったもの(# 625)。米田信夫寄贈
# 915,1970,PLUS,?,,パンチ
——手動パンチ,紙カードを1枚挿入し,下側のダイヤルでカードを送ってけた位置を設定し,上側のダイヤルで文字を設定し,手前のPUNCHレバーを押す。手の力で孔を開ける。計算機室の近くに鍵盤穿孔機が不足しているときに,これを肩掛けかばんに入れて持ち運んで使っている人がいた。PUNCH & PRINTERとあるので印字もされたのだろう。このような手動パンチはIBMなどにもあった。これはPLUS CO LTD
# 916,?,,?,,磁気ディスク
——ディスクカートリッジ(1パック),ディスクパックともいう。詳細不明だがこれ一組で100または200メガバイトだろう。国際規格,JIS規格がある。JIS X 6155-1982 12枚形磁気ディスクパック(100Mバイト)——カバーをかぶせた状態で直径381mm,高さ180mm。
# 917,1967,沖電気,?,,磁心
——ラインプリンタのバッファ記憶磁心。詳細不明
# 918,1978,?,,印字ヘッド,印字ヘッド
——# 919と同じ物。ELITE 12 と書いてあるのはエリート活字の意味か。
# 919,1978,?,,印字ヘッド,印字ヘッド
——# 918と同じ物。放射状の棒の先に活字が付いている。回転によって文字を選択して活字の背をハンマでたたく。
# 920,1968,NCR,CENTURY 615-100,,磁心
——磁心記憶筐体,0.8μ秒,8キロバイト×2 松浦剛寄贈
# 921,1964,大井電気,アレフゼロ,,電卓(パラメトロン)
——パラメトロン電卓アレフゼロの蓋を外して内部が見えるようにしたもの,この機械は東京農工大学西門付近のごみ箱で拾った,50キログラム,80万円
大井電気は小型パラメトロン(# 434。二つの鉄芯に導線を通すのではなく,2本の鉄線に導線を巻いたもの)を開発して,アレフゼロ(# 921)を製造販売した。たいへん好評だった。これは,初めてテンキーを採用した電卓という。それまでの電卓は,各けた位置に0〜9のキーを配置したフルキーが普通だった(お店のレジスターのように)。そのほうが使いやすいと信じられていた。このテンキーの特許を販売代理店が申請した。大井電気は,この特許の無効を泣く泣く申し立てて無効にした。そのお陰で,その後の電卓はすべてテンキーになった、,本文参照,1981年伊藤登寄贈
# 922,?,IBM,IBM 407,,配線盤
——これは,日本IBM社で最後まで使われてから本社の玄関に展示されていたものを寄贈してもらった。このIBM407会計機(集計印刷機)用の制御配線盤(コントロールパネル)は,従業員の給与計算を行っていた実物で,最も複雑な制御を行っていた一例。制御配線盤の計算計画やその配線はもちろん面倒だったが,もっと大変だったのは,その記録,検査,確認,保存,情報交換だった。(何しろ大きくて重いし,立体的だったから。)コンピュータのプログラムならばカードで保存・移動できるし,紙に印刷して検査・保存・配布できる。(922,923の写真は同一物)
本文参照
# 923,?,IBM,IBM 407,,配線盤
——# 922をみよ。
# 924,?,中央電子(CEC),CEC 555,?,CPU筐体
——正面は制御卓,詳細不明。奥にC-500 IOC(入出力制御)。
# 925,1968,富士通,FACOM 270/20,,磁気ドラム
——262キロバイトの磁気ドラムFACOM 623A。1バイトは9ビット+パリティビット,クロック2トラック,データ256トラック,1500回転/分(40ミリ秒/回転),平均アクセスタイム20ミリ秒,記録密度約300ビット/インチ(約12ビット/mm),約10ビット/平方mm,下部がモータ,その上にアルミニウム円柱と磁性体の茶色い表面が見える。黄色い線がたくさん見えるのは読み書きヘッドに対応。ドラムの表面と読み書きヘッドとの空隙の距離をねじで調節するようになっている。詰めすぎるとぶつかってこすってしまう。270/20は東京農工大学の(大学全体の)電子計算機室(データステーション)に(1967年8月〜1977年3月)あった初代のもの,主記憶は2.4マイクロ秒,18ビット×16キロ語=36キロバイト,永い間事務棟廊下の片隅にほこりをかぶって放置されていたものを1980年ごろ西村が探し回って見つけ出した(# 906,832)。
# 926,1960,新興製作所,HOC 200,?,テレタイプ
——HOC 200は不詳(北辰電機だろう,#317参照),。テレタイプは,入力は入力鍵盤と紙テープ読取り機構,出力はロール紙印字と紙テープ穿孔機構で,10字/秒程度の低速。日本では符号は8単位JIS符号系,文字種はいわゆる半角文字=英字,数字,片仮名に相当した。端末装置はブラウン管ディスプレイが普及するまではこういう物だった。左上の四角い板は,文書や伝票を置く台。テレタイプはテレタイプ社の登録商標だが,広く使われてほとんど一般名称として使われた。
# 927,1962,カシオ,カシオ AL-1,?,電卓(リレー)
——カシオのリレー計算器としてほとんど最後のもので外部プログラム方式,1960年代中ごろ,99万5000円。一般に電卓は演算の手順は数値データの入力とともに人手で定めてゆく。演算の手順をプログラム歯車(# 907の歯車)で与えて人手は数値データの入力だけにする方式。手前の机のようなものの上が入力鍵盤。鍵盤の位置と向きは多少調節できる。奥はリレー演算部本体,カバーを外し,透明プラスチック板を張って内部のリレーと配線が見えるようにした。演算結果は上の表示灯に出る。上左の表示灯は入力数値の表示か。これが立教大学赤摂也研究室の廊下に永らく放置されていたもののリレー一組を高田正之が外して持ってきた。この機械は入手経過失念。完全ではないが多少動いた。使用解説書付き。
# 928,1959,東大,TAC,,(928,929の写真は同一物),ブラウン管記憶装置回路
——ウィリアムズ管(ブラウン管)記憶装置,約1000ビット=35ビット×32語,TACはEDSACにもとづいて作られたが,記憶装置は遅延線ではなく高速のウィリアムズ管(ブラウン管,筒形の部分)を16本(512語)使った,TACでいちばん苦労した部分。(IBM701,702もウィリアムズ管だった。両者とも後継機は磁心記憶になった。)
TACは東京大学工学部が1952年に予算1000万円で開始,東芝に発注,1954年3月納入)これがたいへん難航した(何年もかかって稼働せず,朝日新聞などにたたかれた,1957年10月4日記事)。東芝から納入されたものをほとんど無視して大学院生の村田健郎・中沢喜三郎(二人は卒業後日立に行った)たちが一から作り直し(第2期TAC),けっきょく動かした。動いてからはその高速演算で相当の計算を行って各種の学術分野で貢献した。計算そのものばかりでなく,電子計算機というものの面白さ・意義をアピールした。1962年にTACが運用を停止して翌年解体された後,永い間,これだけが東京大学工学部金属工学科に保存されていたのを1980年ごろ(探し回り,うわさをたどって)もらってきた。(記憶装置の一部は東芝科学館に保存されている。ただし,東大TACとは別の東芝TACかもしれない,未確認) 白いのはゲルマニウムダイオード,TACは3極管は真空管(# 119)7000本,2極管はゲルマニウムダイオード(たぶん真空管より安かったのだろう)3000本を使った。ブラウン管の表面は電荷を放電するための金網が張ってありそこからシールド線を出してある。劣化が激しくて,何度もあった貸出しの依頼を断ってきた。
# 929,1959,東大,TAC,,ブラウン管記憶装置回路
——# 928と同じ物。
# 930,MONROE,MONROE,,,手回し計算器
——モンロー手回し計算器。電動モンローと同じスタイル。フルキーである。上部に結果が表示される。除算は減算の繰返しなので,電動で位取りを間違えたり,除数の設定を忘れてゼロで割ったりすると,減算の回転がいつまでも続く。そういうときには,電源を切ってやりなおすしかなかった。ずいぶん手擦れしている。価格は数十万円。手動はたいへん珍しい。1980年五十嵐智寄贈
# 931,?,タイガー,電動式タイガー,電動式タイガー計算器,電動計算器
——タイガー手回し計算器にモータを付けて,電動にしたもの。十数万円,手前に演算指定ボタンがある。右横に出ているのはクリアレバー。右上は置数レバー,左にも置数レバーがあるが不詳。10キログラム強のコンパクトな作りだが1960年代初めで もう歯車の時代ではなかった。
# 932,?,タイガー,タイガー計算器,?,手回し計算器
——1960年以前か,タイガー手回し計算器,数万円,使用法解説書付き,一連番号が刻印してあり,代理店を通さない直接販売によって,顧客名簿を管理した(無料のアフターサービス完備を謳った),また番号によって各年の製造台数も分かる。ミュージアムには数十台あって,入手経路はさまざまである,譲ってもらったものが多い。利用者から処分品として某社が引き取って,保管してあったものを屑鉄の簿値で買い取ったこともある。
# 933,?,タイガー,タイガー計算器,,手回し計算器
——1960年ごろほとんど最後のタイガー手回し計算器,カバーが鉄からプラスチックに替わった。このころのものは若干故障が多いといわれた。数万円。
# 934,1964,日電,NEAC 1210,,CPU筐体
——日本電気がSENAC(東北大学)→(NEAC1102)→NEAC1103→NEAC1201→NEAC1210と商品化したパラメトロン方式汎用小型計算機NEAC 1210。1201と1210は安価な超小型汎用機として800台以上売れた。主記憶は磁気ドラム,このころ筐体が折れるように作ることが多かった。中にずらっと並んでいるのがパラメトロンパッケージ,銘板はNEC NEAC-1210,10進法,詳細不明。西村は一時これのアセンブラを作ることを考えたが,着手にもいたらなかった。# 935,1959,カシオ,CASIO 14-B,?,電卓(リレー)
——カシオリレー計算器,机のような体裁,奥下にリレーが詰まっている。手前右は定数設定ダイヤル,左上は入力鍵盤その右側は演算指定スイッチ,左上はすりガラスに透明に数字がフルキーのように並ぶ。つまり十数けたのけた位置ごとに0〜9の数字が下から上に並び,その一つの中に電燈が点く。乗除算のときには演算経過が表示された。70万円だった,1970年代終わりに入手したがそのいきさつは失念,不完全にではあるがまだ動いたのでカセットに音をとった。
番号,年代,会社名,計算機名,説明,種別
# 601,?? ,会社,機種,,基板
(ミュージアム解説 2002年6月)
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.カタログ追加 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
仮番号#951〜#995
#951 活字バー
左右に水平に往復して往復で2行印刷,OUK9000の高速プリンタ活字,英数字用,片仮名(「日」「区」なども含まれる)用などがあった。金属板のバーに活字がねじ留めしてある。それまでは活字ホイールだった。交換が容易。発泡スチロールのパッキングに納め,塩化ビニールのパイプに入れて輸送保管。 犬伏茂之寄贈
#952 活字ホイール
1枚のホイールが2けた分,つまり130字/行ならホイール65枚で1行分。600行/分の高速プリンタ,当初は回転ドラムだったのが,ホイールになった。重い。 犬伏茂之寄贈
#953 片仮名印刷見本(源泉徴収票)
1959年,小野田セメントのIBM650+407,当時のラインプリンタは英数字だった。客先名などはローマ字というわけにはいかないので,何とかして片仮名を入れることを考えた。ユニバックの活字ホイールは64文字前提だった。1行の中の左側1〜40けたの奇数位置は英数字,偶数位置は片仮名数字(第,区,日などの漢字も入れた)とした。これで名前などを打つと1文字おきになる。IBMも同様の対応をしたらしい,この見本で空白の2文字空いている箇所の理由は不明(片仮名のセットを2けたに分けて収めたのかもしれない)。下部の行で数字が連続して印字されていることに注意。ラインプリンタの活字はそう簡単には取り替えられない。プログラムなど英単語も奇数位置でとびとびに印字する。入力カードは英数字欄,片仮名欄などを決めておいて,プリントは配線盤で1文字おきに配線する。IBM社ではIBM407の活字ホイール(#512,723)は47文字だったので,片仮名(濁点,半濁点,長音記号)だけでさえ入り切らなかった。各社とも当初はこういうやり方で対処したが,後に交換容易で横方向に動くチェーン(#608,516),バー(#835),トレイン(# 508)などで文字種を大幅に増やした。アメリカ本国では英字の大文字,小文字を納めて,マニュアルや規格書などをラインプリンタで印字してオフセット印刷するようになった。 大駒誠一寄贈
#954 配線盤
1004をOUK1050/1040のプリンタとして使うときの配線盤(プログラムボード),プリンタ以外にもカード入出力,紙テープ入出力にも使った。 犬伏茂之寄贈
#955 1970,SONY,SOBAX ICC-2700,プログラムノート
——西村和夫ノート,印字見本付き,かなり詳しい説明が書いてある。西村和夫寄贈
本体は大駒誠一研究室にあったもの。
#956 1970,SONY,SOBAX ICC-2700,ちらし
——プログラム電卓(本体は大駒誠一研究室で買ったもの,その後,廃棄されてなくなった。西村和夫が使ったときのプログラムノートがある),ちらしの文言の一部:高性能磁気カードリーダー内蔵,12メモリー15桁・253ステップのプログラミング可能,ソニーマイクロコンピューターSOBAX,
レジスター類:メモリー用12本,プログラム用16本,演算用3本
演算素子:磁歪遅延線 1,バイポーラーIC 192,MOS IC 2,トランジスター 150
消費電力:AC 30W
大きさ:(幅)320×(高さ)150×(奥行き)440mm
重量:約10kg
#957 1984,SHARPポケットコンピュータPC1260取扱説明書
——大部分はBASICの解説。
——SHARPポケットコンピュータPC1260周辺装置一式
——CE-1258 PRINTER AND MICROCASSETTE RECORDER
——本体なし,ポケットコンピュータをはめ込んで使う,プリンタとマイクロカセットレコーダ一式がA5版のファイルバインダのようなコンパクトなセットになっている。西村真寄贈
#958 FORTRAN解説書
——朱色の美しい本。当時FORTRANのコンパイラは提供されたが,正式の言語仕様書はなかった(それをどう記述するか書き方が分からなかった)。こういう漠然とした解説書を読んで当て推量でプログラムを書いて試してゆくしかなかった。(正式の言語仕様の書き方は1966年のアメリカ規格などの標準化作業によって次第に明らかになってゆく。)この本は西村が日本アイビーエム社教育部の新人だったときに課長が屑箱に捨てたのを拾った。
<資料:西村:デバッグ体験すなわちプログラミング体験,『bit』1997年1月号>
#959 擬似60進計算器
——タイガー計算器の数値表示部に2けたずつの区切り(時分秒)を入れ,60を超える数は色を変えて70→10,80→20というふうに示す。時分秒の換算をしやすくするためである。1980年ごろ自動車のラリーが盛んだった。そのとき車中で時速の計算を行う。日本自動車連盟JAFの事務局のあるビルのごみ捨て場で拾った。
#960 磁気ディスク
ユニバックとしては最初の磁気ディスク。詳細不明 犬伏茂之寄贈
#961 上前淳一郎:読むクスリ
——日電のマイクロプロセッサとパソコンの話
#962 パソコン端末利用マニュアル
——1986年に東京農工大学情報処理センターが設置されたときにその操作手引きとして急遽用意した本。大型汎用機によるTSS(時分割共同利用方式)の周辺にパソコン端末を配置した,こういう構成は当時は比較的斬新なもので解説書なども乏しかった。複雑なシステムの中で自分の位置・見当識を見失ったときの回復の仕方,中止・中断・終了法に念を入れて入れて書いた。
#963 カラー写真 機械式微分解析機
——カラー写真3枚,本文1・18参照(東京理科大学近代科学資料館),図1〜図3
#964 プログラムカードの束
——FORTRANプログラムのカード,186枚=186行=約10キロバイト,490グラム,プログラムやデータの入力媒体としてはこういうカードが普通だった。西村和夫が学生時代に作った固有ベクトル解析のプログラム,印刷リスト付き。西村和夫寄贈
#965 5インチフロッピー
——1980年代に西村が使っていたシステムフロッピー多数。フロッピーは最初8インチ(128キロバイト程度)だったので,5インチはミニフロッピー,3.5インチはマイクロフロッピーと呼ばれた。西村がパソコンを買った1980年代にはソフトウェアパッケージはシステムフロッピーとして流通していた。ワープロ文書も5インチフロッピーだった。
#966 ノートパソコンカシオペアファイバの包装ボール箱,2001年9月
#967 マイクロソフトオフィスの包装箱,2002年7月
——中身はCDROM1枚,説明書など,領収書あり,4万円弱。
#968 携帯電話(au)一式,説明書付き
#969 ソニーバイオ
——SONY VAIO NOTE PCG 505EX
西村恕彦が1998年4月に定年退官の記念品として買って2001年10月まで使ったもの。
ソニーバイオ——1997年7月発売
PCG505EX——1998年2月発売 オープン価格
CPU: ペンティアム 133MHz
メモリー: 32MB
ハードディスク: 2.1GB
EXは発売間もない人気機種で1998年4月に新宿ソフマップで1日10台入荷予約不可というものを22万円で買った。3年使って2001年9月蝶番部接触不良で液晶ディスプレイが縦縞に消える——外部ディスプレイにつなぐと大丈夫。交換修理が98700円ということで放棄した。ソニータイマー(保障期限が切れたところで故障する)という悪評があった。カシオペアファイバに買い換えた。
# カシオペアファイバ MPC-206VL
CPU: トランスメタ クルーソー 600MHz
メモリー: 128MB
ハードディスク: 30GB
重量 990グラム
価格 119,800円
#970 入門COBOL
西村恕彦・植村俊亮共著,オーム社刊,1969年初版,
——この本は的確なプログラム例と分かりやすい解説があり,国際規格・JIS規格の改正に合わせて適時に改訂を行って,30年余のあいだに30万部を売る大ロングセラーになったが,コンピュータ応用が汎用機からパソコンに移り,プログラム作成からパッケージソフトに移って,プログラミング教科書の需要が減り,この本の売行きも落ちて商品としての寿命が尽きた。当時二人の共著者は電子技術総合研究所の同僚だった,後年,二人は東京農工大学数理情報工学科に赴任した。
#971 韓国語訳:入門COBOL,大光書林刊,1992年初版,
——日本語版のプログラム例ではデータ名等はローマ字日本語だったのに対応して,データ名等は,ローマ字韓国語にしてある。
#972 JIS COBOL全釈
西村恕彦,オーム社刊,19 年
——JIS FORTRAN全釈に続いて書いた。プログラム言語の仕様について徹底的に解釈批評した。言語仕様・コンパイラの実装・応用プログラムの書き方の三者を厳密に区別した。非常な努力を傾注して満足のゆくできばえだった(やっぱりJIS FORTRAN全釈より大変だった)。西村の本のうちで最良のもの,しかし売れなかった。あまりに専門的だったのだろう。(絶版品切れ)
#973 JIS FORTRAN全釈
西村恕彦,オーム社刊,19 年
——プログラム言語の仕様について徹底的に解釈批評した。言語仕様・コンパイラの実装・応用プログラムの書き方の三者を厳密に区別した。FORTRANは広く知られ使われていて,この点の誤解のある議論がままあった。こういう本がほしいとながらく考えていたものを書いた。いわば手慣らしのつもりがあった。(絶版品切れ)
#974 岩波FORTRAN辞典
西村恕彦ほか,岩波書店刊,1986年
——最初のFORTRANからFORTRAN77までの言語仕様と歴史を批評的に解説した。
#975 基本 JIS BASIC
西村恕彦ほか,オーム社刊,1982年
——東京農工大学数理情報工学科のプログラミング序論の教科書として書いたもの,具体的なプログラム例,文法解説,規格の通釈,端末の操作法など。国際規格,JIS規格のBASIC基本水準が制定されたのに合わせた。しかしパソコンが強力になったのでこの規格はあまり有用ではなくなって,Full BASICの規格が制定された。
#976 COBOL Class Notes UNIVAC System
犬伏がユニバック社で最初に講義をしたときに,自ら作成したテキスト。
1960年代初頭にCOBOLが日本で紹介されるとその期待と評価が急速に高まった。日本ユニバック社で犬伏茂之が,日本IBM社で西村がほとんど同時にCOBOLの講義をした。当時日本IBM社教育部ではCOBOLはとても複雑な言語だからアセンブラでのプログラミング技能を有する者を対象として6週間のコースが必要であるという意見が有力だった。西村はそれに反対して1週間のコースを開講した。
COBOLの日本での最初の実行は,犬伏茂之が東京電力に設置されていたUNIVAC Ⅱで行ったものだった。高価な磁気テープ装置が11台必要だったが,東京電力に10台しかなく,その10台をやりくり(9台の番号は固定的に設定しておき,後1台はアクセスされるたびに装置番号を設定してテープリールを交換装着)して,コンパイルをした。このCOBOLコンパイラは,RCA501との間で(COBOLプログラムの)「互換」(これが国防総省によるCOBOL開発の目的の一つだった)を実証したコンパイラだった。
#977 人文科学のFORTRAN 77
西村恕彦,東大出版会,1978,,
——東京大学での講義の教科書として執筆したもの,制定手続き中の国際規格を先取りして厳密に規格に合わせた。多数の実用的なプログラム印字と簡潔な文法解説があり,単価も安くした。専門家の評判・批評はきわめてよかったが,あまり売れなかった。教科書が出た途端に講義の出席者が半減した。
# 梁万昌:日漢計算技術詞彙/日中計算技術用語集,科学出版社,1982,6.10元
——西村が漢字符号系のJISについて講演するために北京に行ったときに買った(1元=140円)。片仮名の用語が多いことに驚くとともに片仮名の用語が多くの外国人にとって理解が困難であることを考えた。
#978 そろばん
——四つ珠そろばん,1973年,練馬区立豊玉第二小学校4年生(西村望)の教材,赤いケース,手引き付き,かなりの上製品,23桁,手引きは『小学生のしゅざん』,社団法人全国珠算教育連盟東京支部1970年3月発行,
#979 そろばん
——四つ珠そろばん,1970年,練馬区立豊玉第二小学校4年生(西村真)の教材,27桁,4桁ごとに位取りの白星がある,裏に漢字が彫ってあるが読めない。
#980 そろばん
——五つ珠そろばん,箱形,15桁,梁に位取りの漢字が次のように彫って朱を差してある。
「 千百十円 万千百十円十銭」
こういう箱形の重い五つ珠そろばんは商店などが使っていた。箱は鉄釘を使っているのでそれほど上製品ではない。これはおそらく1900年ごろのもので1950年代まで使われていた。樫村梅子寄贈
#981 ファミコン
——任天堂ファミリーコンピューター=家庭用カセット式ビデオゲームMODEL HVC-001,化粧箱入り,本体,コントローラ2,電源,一式,ただしカセットはない。爆発的に売れてゲーム機市場を開拓した。西村裕が使ったもの。
#982 情報処理学会会員名簿(昭和46年度),1971年
——この会員数は6000人弱,初期の会員番号は入会順に通し番号だった。特に小さい番号は次のとおりでこれがステータスシンボルだった。
1 永井健三
2 山下英男
3 和田弘
西村は775(つまり会員数775人)だった。後年 番号をYYnnnnXの7けたに改めたとき、若い番号の人たちから不満が出た。
#983 理工系情報学科・専攻要覧 平成7年7月(第10版),1995年
——各学科の学生人数,教職員氏名,講座名称など
#984 一太郎解説編
——ジャストシステムの日本語ワードプロセッサ一太郎の公式仕様書,パソコンワープロは株式会社管理工学研究所が社内使用で作ったワープロを商品化して管理工学研究所日本語ワードプロセッサという名称(後に松と命名=上定食の意味で松竹梅の松とした)で売り出してよく売れたのが最初だったらしいが,ジャストシステムがやはり社内使用していたものを商品化したJWORD太郎→一太郎が追っかけた。管理工学研究所がコピー禁止を技術的にも法的にも徹底しようとしたのに対し,ジャストシステムはほとんどコピーを黙認して自由にした。その結果,一太郎は有償の正当なシステムの10倍以上の違法コピーが使われているだろうと言われた,そして正当な仕様書に代わる解説入門書が多数商業出版された。その結果,一太郎は広く流布し,事実上の標準のようになった。しかし,それもマイクロソフトウインドウズの抱き合わせ販売によって排除された。西村は当初,一太郎を買って使ったが,機能上不満があって飽きたりして松に切り替えた。松にはほぼ満足した。これについては「ワープロ雑記」(『機械の言葉 人間の言葉』)にも書いた。
#985 機械の言葉 人間の言葉 藍綬褒章受賞記念文集,2000年
——西村の書いたあまり専門的ではない文章を集めたもの。
#986 BASIC上位水準 日本工業規格原案,1984年ごろ
——JIS原案作成の中間資料、タイプオフセットの簡易印刷。
#987 アメリカ規格Full BASIC——全訳と解説,『bit別冊』,1990年
——カーツが東京に来たときのサイン入りの本,JIS原案作成途中のタイプオフセット簡易印刷資料を酒井俊夫(管理工学研究所)がワープロ入力してそれに基づいて審議を進めた。最終段階の文書はフロッピー1枚ちょうどになった。これをレーザープリンタで印刷した。組み版ソフトがまだ実用化されていなかったので,印刷の上に色鉛筆で各種の指定を入れた。これとフロッピーをbitに渡した。最終的には写真植字を人手で貼り込むなどした。この別冊がJIS原案として提出され,日本規格協会に渡された。——この経過は西村:ワープロ雑記(3)に記録した。
#988 True BASICマニュアル資料いろいろ
——BASICの創始者カーツたちが作ったコンパイラがTrue BASICであり,それが規格の基礎になった。このマニュアル資料の大部分は西村がダートマス大学の書店で買った。中にはカーツのサイン入りのものもあったはず。
#989 テレホンカード各種
——大日本マイクロソフトシステム株式会社カード=ホログラムデザイン,1990年代にテレホンカードに限らずこういうホログラムのデザインが流行った。
——電電公社(NTT)は当初500円,1000円,5000円のカードを出したが,変造カードが多く使われたので,とうとう5000円の取扱いを廃止した。ミュージアムには変造カードが2枚ほど所蔵されている。拾うなどして偶然入手した貴重品である。西村は1980年代に新宿の人ごみでたくさんのテレホンカードを手に持ってうろうろ歩いている不審な男を見かけたことがある。たぶん変造グループの一員だったと思う。変造グループはカードの資源リサイクルと称していた。
——西村が2000年の藍綬褒章受賞記念で作ったカードが含まれている。
#990 電卓
——カシオHS-4D BK,1999年10月21日に量販店コジマで280円で買った。太陽電池
#991 流れ図定規
——IBM社の流れ図定規(テンプレート),図記号の枠のほかに,ラインプリンタの文字幅,行幅,紙カード枚数の目盛,インチ目盛などがある。
#992 腕時計
——2000年5月に百円ショップで買った液晶デジタル。メーカー不明,残念ながら電池式,保証書,説明書付き。
#993 電卓
——2001年に百円ショップで買った電卓,韓国または中国製#9607 GROUP OF WHKL KEY STATION 25DX,残念ながら電池式(単三電池1本込みで105円),電池は広東南海市三力電池庁 YONGDA(永達) ,,加減乗除%メモリー加算平方根。紙箱,保証書,説明書付き。
#994 テレビカード
——病院ではベッドサイドに百円玉の有料テレビが設置されていた。2000年ごろ西村の入院中に百円玉からカード方式に切り替わった。900分/1000円。
#995
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
.
索引
------------------------------------
英字の部
A
ALPINA⇒アルピナ
ASCC ……… 1・12
B
BASIC ………… 2・8,5・2,#957,#975,#986,#987,#988
BENDIX G15 … 6・3,#202
BENDIX G20 ……………#112,#133,#234,#410,#411,#413,#415,#426,#519,#520,#825
Bush ……………………… 1・18
C
CD-ROM ……………… 1・6
CDC 1604 … #122,#213,#331,#528
CDC 6600 …………… #331
CDC 7600 …………… #330
CPC ……………………… 2・9
COBOL … 2・8,2・9,6・10,#703,#970,#971,#972,#976
CURTA⇒クルタ
CYBER …………… #336,#337
D
DEC ……………………… 1・7,#232,#305,#432,#629
E
ECL …………………… #110
EDSAC ……………………………
3・2,1・15,2・9,3・2,4・10,#928
ENIAC … 1・15,1・17,2・3,3・1,3・2,6・12
ETL ……………………… 1・12,2・12,4・1
ETL Mark ……………… 4・1
ETL Mark Ⅱ ………………………
4・3,4・4,#105,#109
ETL Mark Ⅳ …………… 4・6,
#104,#106,#203,#209,#313,#905
ETL Mark ⅣB ……………………
#108,#128,#815
ETL Mark Ⅴ ………………………
4・8,#713
ETL Mark Ⅵ …………… 4・9,
#104,#207,#209,#217,#313,#316,#333,#403,#703,#704,#801,#807
ETL やまと⇒やまと
F
FACOM 100 …… 1・12,4・4
FACOM 128B ………4・4,
1・17,4・4,6・16・3,
6・5,6・6,#116,#218,#834
FACOM 230/50 …………
4・8,#713
FONTAC …… 4・8,#713
FORTRAN …………… 2・9,#958,#964,#973,#974,#977
G
GOTRAN …………… 2・9
H
HARVEST ………… 2・9
Harvard Mark Ⅰ ……… 1・12
HIPAC …………… 1・16,
#103,#308,#309
HITAC …… 1・16,#113
HITAC 10 ……… 1・7
HITAC 102 … 4・8,#713
HITAC 201 …………#211
HITAC 301 …………………
4・8,#113,#102
HITAC 3010 ……… #103
HITAC 5020 ………………
4・9,6・12,#207,#217,#221,#525,#527,#831,#610,#604,#208
HITAC 8400 ……………………………… 1・7,6・12,#126,#130,#134,#201,#233,#306,#401,#429,#833,#909,#518,#206,#711,#518
HITAC 8800 … #605,#620,#809
HITAC M170 … #217,#221
HOC ……………… #317,#926
I
IBM … 1・7,2・1,2・9
IBM ASCC ……… 1・12
IBM 001 ………… 2・9
IBM 080 ………… 2・9
IBM 405 … 2・9,#510,#513
IBM 407 ………………………
2・9,2・11,#510,#512,#513,#522,#723,#812,#824,#922,#923,#957
IBM 650 ………………………
1・12,1・15,2・9,6・2,#107,#118,#423,#818,#953
IBM 700 … 2・9,6・12
IBM 705 … 2・9,#622
IBM 1620 ……………………
1・5,1・11,2・9,#504
IBM 7030 ……… 2・9
IBM 7070 ……… 2・9
IBM 7090 … 2・9,#208
IBM 7950 ……… 2・9
IBM System/3 …………… 2・7, #404,#535
IBM System/360 ……………………………… 2・9,2・14,3・2,6・10,#125,#130,#201,#204,#205,#425,#502,#312,#730,#810,#502
IBM System/370 …#132
IBM システム 3000 …………
2・7,#404,#535
IBMシリーズ 50 ………………
2・8
IC …… 1・5,1・6,1・14,2・13,2・14,2・15,4・3,#101,#110,#112,#117,#125,#130,#131,#132,#135,#204,#206,#223,#225,#226,#229,#232,#305,#318,#407,#417,#419,#421,#623,#625,#627,#633,#634,#635,#705,#707,#714,#725,#730,#812,#813,#814,#828,#833,#956,
IC辞書 ………… 1・6
INTEL ………… 1・5,#322,#606,#626
INTEL 1103 ……………
6・1,#606
J
JAC…#436,#610,#701,
#910,#913
JEIDA ……………………………
#113,#114,#205,#235
JEIDAC … #113,#114,#235
K
L
LED ……………… 1・5,#224
M
Mark …………………… 4・1
Mars⇒国鉄座席予約装置
MIT …………………… 1・18,#302
mil⇒#832
MELCOM 1101 …… #202
MT管⇒ミニアチュア管
N
NEC⇒日本電気
NEAC 2200 … #312,#425
NEAC 2203 …………………
4・6,#111,#114,#423
NEAC 2230 …………………
4・6,#111,#114,#423
O
OKITAC 4300 ……………
#705,#812
OKITAC 5090 ……………
#127,#205
OKITYPER … ,#509,#511
P
PC-1 ………………………………
1・16
PC-2 ………………………………
1・16,#617,#618,#912
PC1260 ……………… ,#957,PC-1480 ……………… 6・4,PCS⇒パンチカードシステム
PDP ……………………… 1・7,#232,#305,#432,#435,#629
Q
R
RCA … #103,#124,#529,#976
S
SLT …………………… 2・14,#132,#204
SSI ………… #125,#206,#705
STRETCH ………… 2・9
ST管⇒サブミニアチュア管
T
TAC ……………………
1・15,1・16,2・12,
3・2,4・1,4・5,6・3,
6・12,#119,#217,#928,#929
TAKACHIHO 4100 ……… #102,#136,#503
thin film⇒薄膜(はくまく)
thyratron⇒サイラトロン
TOSBAC 3400 ………………………… 6・11,6・12,#117,#135,#219,#310,#603,#631,#633
TOSBAC 3300 ……………… #418,#624,#625,#914,
TOSBAC 5100 ……………… #420,#431,#433,#826
U
UFC ……………………………… #803,#818
UNIVAC ……………………………… 1・15,2・9,2・12,3・2,6・12,#202,#,#214,#176,#215,#715,#976,#810,#822,#,#,#,#,付録
UNIVAC Ⅰ/Ⅱ ……………………………… ,#214,#529,#976
UNIVACⅢ ……………………………… #607
UNIVAC 60/120 ……………………………… 1・17,3・2,6・12,#214,#176,#215,#715,#976
UNIVAC 1004 …… 2・3,#213,#954
UNIVAC 1107 … 2・13,6・12,#811,付録
UNIX
URS⇒ユニットレコードシステム
USSC …………………………#124,#423,#424,#810
V W X Y Z
XEROX
日本語の部
あ
アーキテクチャ ………… 5・2
アイシー⇒IC
アセンブラ ………… 4・11
アナログ計算機 ………………………… 1・18,1・13,1・4,#601
アナログ素子 ………… 1・13
アニタ ………… 1・5,1・10
アルピナ …………… 1・2,#329
アレフゼロ ………………… 1・5,暗号 ………………………… 1・2
一太郎 ………………………… #984
#,#,
1万ドルコンピュータ …… 1・7
#,#,
五つ珠そろばん …… 1・1,#980
インタプリタ …… 2・1,5・2
インテル⇒INTEL
ウェハー ……………………… #231
薄膜⇒薄膜(はくまく)
腕時計 ……………………… 1・5, 6・4,#224,#714,#720,#992
腕時計電卓 ……………………………… 1・5,#
液晶 ………………………… 1・5, #416,#714,#909,#992
エルシーメイト …… 1・5,#
演算速度 ……… 1・17,6・5
大井電気 …………………… 1・5,
#434,#617,#921
大型プロジェクト⇒超高性能電子計算機研究開発
沖電気 ……………………… 4・8,
#127,#205,#206,#315,#334,#417,
#422,#428,#509,#511,#515,#523,
#713,#717,#730,#812,#904,#917,
#921
小野田セメント …………… 6・2,
6・10,#803,#818,#953
オペレーティングシステム …………………… 1・7,1・14,1・15,
2・15,#208
か
カード ……………………… 2・1
カード電卓 ……… 1・5,#416
カード … 1・17,2・12・8,
#402,#403,#964,#989,#994
会計機 … 2・1,2・9,2・11, 3・1,#510,#512,#513,#818, #824,#922
外部プログラム ………… 1・17, 1・10,#403,#907,#927
開平 ………………………… 1・2, 1・4,4・4,,#601,#834
科学博物館 … 1・10,1・15,1・16,4・6,#106,#123,#129,#215
カシオ ………… 1・5,1・10,1・12,
#224,#907,#927,#935,#966,#990
カシオミニ ………………… #324
ガス入り放電管 ………… 1・15, #120,#220,#819,#821
片仮名表記 …………… 4・12
カタログ ……………………………… 1・10,2・15,6・1,#327
活字 ………………………… 2・9,#303,#334,#401,#504,#508,#509,#510,#511,#512,#513,#514,#516,#518,#521,#608,#711,#717,#723,#735,#736,#835,#836,#837,#838,#907,#918,#919,#927,#932,#933,#935,#951,#966,#990
雁行 ……………………… 6・10
漢字プリンタ ………………………
6・1,#102,#136,#503
記憶装置 ………………… ,2・9,2・12,3・1,4・9,4・11,6・1,6・2,#229,#307,#430,
#610,#612,#905,#928,#929
機械式計算機の会 ……… 1・3
擬似60進タイガー ……… #959
規模 ………………………… 6・2
キャラクタ ……… 2・7,2・9,#622
90けたカード ……………………………… 2・3,2・16,#534,#536,#,#,
96けたカード … 2・7,#535
切捨て …………………… 5・3
クルタ ……………………… 1・2, #326,#327,#328
グレイコード ………………#401
携帯電話 ……………… 1・11,
6・1,6・3,#968
計算機 … 1・2,1・3,1・5
計算器 … 1・1,1・2,1・3, 4・12
計算競技 …………………… 1・1
計数型 …………………… 1・18
計測型 …………………… 1・18
計算尺 ……… 1・4,#409,#505, #601
継電器⇒リレー
ゲルマニウム …………… 1・14,4・6,6・3,#108,#119,#123,
#127,#203,#412,#413,#423,#912
検孔機 ………………………………
2・4,2・9,2・16,4・4
コア ……………………… 2・13
コアメモリー …… 1・7,2・9,2・13,#134,#201,#830,#831,
#832,#906,#908,#909,#910,#914
国鉄座席予約装置 …………………
1・14,#129,#137,#302,#425,#501,#708,#709
国鉄鉄道技術研究所⇒鉄道技術研究所
5C2符号 ……………… 2・9
固体論理技術⇒SLT
語配列 ………………… #629,#801,
コントロールパネル⇒配線盤
コンピュータ … 1・2,1・5,
1・7,1.11
さ
サイラトロン … #120,#819,#820
サイレント …………………… #609
座席予約装置⇒国鉄座席予約装置
サブミニアチュア管 …… 1・15, #301
産業技術総合研究所 …… 4・6
磁気ディスク …… 1・7,2・9,6・1,6・2,
#229,#310,#311,#406,#506,#507,#517,#611,#813,#916,#960
磁気ドラム …………………………
1・14,1・15,2・9,4・6,4・9,6・12,#112,#123,#211,#423,#818,#905,#913,#925,#934,#,#,
磁心 ………………………… 1・7,1・16,2・9,2・13,
2・15,3・2,4・6,4・9,
6・1,6・6,6・11,6・12,#124,#131,#134,#201,#212,#235,#305,#306,##308,#309,#415,
#417,#425,#610,#613,#620,#622,#629,#633,#702,#703,#719,#801,#803,#804,#807,#808,#809,#830,#831,#832,#906,#908,#909,#912,#914,#917,#920,#928
磁心記憶模型 ……………… #808
10進計数管⇒デカトロン
嶋正利 ………………
1・5,1・7,1・11
シャープ …………………… 1・1,1・2,1・6,6・4,#224
集積回路⇒IC
小規模集積回路⇒SSI
常微分方程式 … 1・18,3・1
職成記憶⇒ワイヤメモリ
シリコン … 1・14,#204,#315
磁歪遅延線 ……………… 6・12, #417,#708,#709,#956
進化 ……………… 6・7,6・9, 6・10
真空管 ………
1・5,1・12,1・13,
1・14,1・15,1・18,
2・14,3・1,3・2,
4・5,6・3,6・4,6・6,
6・9,6・10,6・11,
6・12, #107,#115,#118,#119,#121,#124,#212,#214,#215,#219,#236,#411,#413,#423,#501,#529,#604,#622,#803,#818
信号電流 ……… 1・12,1・13, #823
信頼性 ……………………
1・13,1・14,2・1,4・5,6・3,6・4,6・10,#814
水晶発振器 ……………… 1・14,#129,#137,#501,#708,#714
スイッチング … 1・11,1・12, #112
数値積分 ……… 1・18,3・1,ステートメント ………… 4・12
ストアドプログラム⇒プログラム記憶方式
スモールカードシステム … 2・7,#535
寸法 ……………………… 1・15,2・3,6・3,6・9,#113,#119,#137,#213,#214,#236,#428,#531,#808
制御信号 …… 1・12,1・13,1・14
制御配線盤⇒配線盤
積分機 ……… 1・18,3・1,#963
世代 … 2・14,6・9,6・10
線形特性 ……………… 1・13
線形選択 …………………… #801
ソータ⇒分類機
ソケット … ,#123,#533,#728
ソフトウェア ……………… 2・3,4・1,4・10,6・4,
6・10,6・11,
6・12,#121,#965
ソロカル ………………… 1・1
そろばん …………………… 1・1,1・2,#408,#978,#979,#980,
た
ダイオード ……… 4・5,4・6,6・3,6・6,6・8,6・12,
#104,#106,#108,#113,#114,#119,#123,#127,#203,#316,#333,#411,#412,#413,#436,#530,#603,#701,#928
タイガー計算器 ……………………………… 1・2,1・3,1・5,#329,#903,#931,#932,#933,#959,
対数 …… 1・4,4・2,#601
ダイナミックフリップフロップ ……………………………… 4・5,4・6,6・10,,#106,#111,#113,#114,#123,#128
太陽電池 … 1・8,#550,#990
卓電 ……………………… 1・5
タック⇒TAC
逐次近似 ………………… 1・2
遅延線 …………………… 2・12,3・2,4・9,6・11,6・12,#217,#417,#604,#708,#709,#917,#928,#929,#956
チャタリング … 1・9,4・11
中国そろばん …… 1・1,#408
超高性能電子計算機研究開発(大型プロジェクト) …………………… #131,#225,#227,#230,#703,#712
ディジタル ……………… 1・10,3・1,6・8,#713
ディジタル素子 ……… 1・13
ディスクパック ………… ,2・9, #430,#916
ディスケット …………………
デカトロン ………………… #220
鉄道技術研究所 ………… ,#129
手回し計算器 …… 1・2,#326,
#327,#328,#329,#903,#930,
#931,#932,#933,
テレビカード ……………… #994
テレホンカード …………… #989
デバッグ … 2・9,4・11,5・2
テンキー ………… 1・5,2・1, #434,#921
電気試験所 ……… 4・1,4・3,4・5,4・6,4・7,4・8,
4・10,#104,#105,#108,#109,
#113,#123,#128,#203,#209,
#225,#313,#316,#333,#704,
#713,#801,#815,#817,#834
電源 …………… 1・12,2・9,2・15,4・7,6・3,6・11,#120,#124,#213,#216,#320,#324,#418,#828,#930,#981
電子管 …………………… 1・15,#120,#220,#819,#821,#822,#823
電子辞書 ……… 1・6,6・8
電磁遅延線 ………………… 4・9,6・12,#207,#217,#604
電磁中継器⇒リレー
電子ブック ……………… 1・6
電卓 …… 1・1,1・3,1・4,
1・5,1・6,1・8,1・9,
1・10,1・11,2・9,6・3,
6・8,6・11,
#324,#416,#434,#550,#601,#907,#921,#927,#935,#956,#990,#993
電池 ……………… 1・5,1・8,#224,#324,#550,#990,#992,#993
電動計算器 ……………………………… 1・2,#,#,#,#,
テンプレート⇒流れ図定規
電力 …………… 1・5,1・11,
1・14,3・1,4・1,6・9,
6・11,#124,#301,#320,#418,
#422,#427,#529,#956,#976
電話端末 ……………………………… #609,#,#,#,
東京大学 …… 1・14,1・15,1・16,1・18,4・1,4・2,6・2,#119,#127,#129,#205,
#208,#217,#302,#434,#605,
#625,#706,#809,#914,#928,#977
東京理科大学近代科学資料館 ………
1・3,1・18,#963
東芝 ……………… 1・2,1・3,1・5,4・1,4・4,6・1,
#101,#117,#131,#135,#210,#212,#219,#236,#310,#418,#420,#430,#431,#433,#506,#537,#603,#611,#624,#625,#630,#631,#633,#635,#706,#722,#813,#814,#826,#830,#914,#928
東芝科学館 …… 1・3,1・18,#963,#928
特許 … 1・5,2・10,3・1,#921
虎印計算器 ……………… 1・3
ドラム⇒磁気ドラム
トランジスタ …… 1・5,1・7,1・13,1・14,1・16,
2・9,2・14,4・1,4・5,
6・3,6・6,6・10,
6・11,#103,#106,#111,#113,
#114,#122,#123,#124,,#137,
#213,#418,#113,#115,#126,
#127,#128,#129,#130,#133,
#136,#137,#202,#204,#205,
#207,#208,#211,#213,#217,
#219,#221,#228,#233,#302,
#307,#312,#313,#315,#316,
#317,#319,#320,#330,#331,
#332,#335,#336,#337,#414,
#415,#47,#418,#419,#420,#421,
#422,#423,#424,#425,#427,#431,#432,#433,#436,#501,#525,#531,#533,#603,#604,#624,#625,#627,#628,#630,#631,#633,#709,#738,#956
トランジスタソケット …… #533
トルク増幅器 ………… 1・18
な
流れ図 …………… 3・1,#991
流れ図定規 ………………… #991
2・5進符号 …… 4・4,#834
2進法 ……………………… 2・9,3・1,5・1,5・2,#217,#401
日電⇒日本電気
日本電気 ……… 1・16,4・6,#121,#718,#934,
日本電子工業振興協会(JEIDA) …………………… #113,#114,#205,#235
日本文具資料館 ………… 1.3
日本無線 ………………… 6・10,#436,#701,#913
ニュートン法 …………… 1・2
熱 ………………………… 1.11,#122,#1127,#205,#213
熱の壁 ………………… 1.11
能動素子 ………………… 1・12,6・3,6・11
は
配線盤 …………………… 1・17,2・9,2・11,#810,#822,#922,#923,#954
パープル暗号機 ………… 1・2
バイト ………… 2・9,2・12,4・7,6・1,6・3,6・11,
#130,#134,#201,#217,#221,
#321,#322,#323,#430,#524,#535,#606,#611,#809,#828,#830,#832,
パイロット万年筆 ……… 1・2
バグ …… 2・8,5・2,6・4
薄膜 ……… 1・16,2・13,6・11,6・12,#131,#620,#703,#703,#704,#807,#811
歯車 ………………………… 1・2,1・5,1・10,1・18,2・3,2・9,#325,#907,#927,#931
パスカル ………… 1・2,#325
パソコン ……… 1・6,1・11,2・1,2・3,2・8,2・9,
2・15,5・2,6・4,6・11,#966,#965,#970,#975,#984
80けたカード … 2・3,2・5,2・6,2・7,2・8,#402,#404,#428,#502,#520,#522,#810,#818
発光ダイオード⇒LED
バッチ …………… 2・2,3・2
ハミング距離 …………… #401
パラメトロン …………… 1・16,1・5,6・11,#113,#235,#308,#309,#434,#617,#618,#619,#912,#921,#934
パリティ ………… 2・9,#632
パワートランジスタ …… 1・14,#213,#418
ハンダ ………… 1・14,4・3,4・7,6・12,#104,#122,#127,#201,#205,#225,#330,#336,#331,#423,#533,#603,#725,#814
パンチカード ……………………………… 2・1,1・17,2・1,2・2,2・3,2・6,#,#,#,#,#,#,#,#,#,#,#,
パンチカードシステム … 1・10,
1・17,2・1,2・2,2・3,
2・6,2・7,2・8,2・9,
2・11,#403,#404,#512,#632,
#822 ,#824
半導体 ………… 1・5,1・14,4・1,6・1,6・6,#603
万能計算盤 ……………… 2・9
ビジコン社 ………………… 1・2,1・5,6・11
ビジネスマシンダイジェスト ………
1・10
日立製作所 …… 1・5,4・16,4・6,1・7,1・14,4・8,
4・9,#103,#106,#113,,#125,
#129,#130,#134,,#137,#207,
#208,#211,,#217,#221,#225,
#227,#302,#308,#309,#401,
#429,#501,#518,#524,#525,
#527,#604,#605,#610,#619,
#708,#709,#711,#713,#719,
#728,#831,#833,#908,#909
微分解析機 …… 1・18,3・1,#302,#963
微分方程式 …… 1・18,3・1
100円ショップ ……… 1・5,
#992,#993
ファミコン ………………… 1・5,6・1,#981
ファンアウト ……………… #106
フォンノイマン ………… 1・17,1・18,2・9,2・12,3・1,#803
富士通 ………… ,1・7,3・4,2・12,4・3,4・4,4・7,
#105,#116,#123,#223,#222,#228,#235,#426,#712,#713,#721,#804,#832,#906,#925
歩留まり … 1・14,6・10
プラニメータ ………… 1・18
フルキー ………………… 1・5
プログラム …… 5・2,1・17
プログラム記憶方式 ……… 1・11,1・15
フロッピーディスク ……… 2・3,2・8,2・9,2・15,4・11, #718,#911,#965
文具科学館 ……………… 1・3
分類機 …………………… 2・1,
2・9,2・16,#532
ペンシルバニア大学 …… 1.18,3・1
ヘンミ ……………………… 1・4,#601
北辰電機 ……………………………… 2・12,4・6,#317,#905,#926
ポケット計算器 … 1・2,1・10,
#327,#328,#329,#957
ホログラム ………………… #989
ホフ(エドワード) ……… 1・5
ま や ら わ
マイクロ …………………………
マイクロカセット ………… #957
マイクロコンピュータ …… 1・5,1・11,6・1,6・3,#956
マイクロスイッチ ………… #825
マイクロソフト ……………………
マイクロチップ ……………… #125,#204,#206,#705
マイクロディスクトランジスタ ……… #414
マイクロプログラム …… 1・14,3・2,
#129,#219,#502,#603,#610
マイクロプロセッサ ……… 1・7,1・11,6・3,6・6,6・8,
6・11,#231,#623,#626,#961
マイクロフロッピー ……… #965
マイクロコンピュータ …… 1・5,1.11
マイクロプログラム ……………………………… 1・11,#,#,#,#,
マイクロプロセッサ ……………………………… 1・7,1・11,,#,#,#,
マサチューセッツ工科大学(MIT) ……………………………… 1・18,#302
松下 ………… #106,#123,#412
マツダ ……………………… #236
マルス⇒国鉄座席予約装置
三菱電機 ……………………………… ,#126,#202,#233,#321,#434,#702
ミニアチュア管 …………………………… 1・15,#119,#121,#236,
ミニコン …………………… 1・5,1・7,#232
ミル⇒mil
眼鏡形パラメトロン …………………………… 1・16,#235,#308,#309,#618,
面積計 ……………………………… 1・18
モンロー …………………… 1・2,1・5,1・10,#930
矢頭自動算盤 …………… 1・3
やまと …………………… 2・12,4・7,#123
ユニットレコードシステム(URS) ……………… 2・8
ユニバック ……… 2・3,2・7,#423,#534,#536,#537,#715,#716,#822,#953,#960,#976
四つ珠そろばん …………… 1・1,リレー ……………………………… 1・12,1・13,4・6,6・3,6・11,6・12,#216,#222,#234,#429,#528,#816,#820,#823,#824,#826,#827,#829
リレー計算器 ……………… 1・5,
1・10,1・14,3・1,
#907,#927,#935
リレー計算機 …………… 1・12,1・15,4・2,4・3,4・4,
6・10,#105,#109,#116,#218,
#817,#834
冷陰極放電管 ……………… #822
レミントンランド …… 2・1,
2・3,2・4,2・6,2・9,
2・11,2・16,#534,#536
連想処理 …………………… #110
ロム⇒ROM
60進タイガー⇒擬似60進タイガー
ワード配置⇒語配列
ワープロ …………………… 1・7,1・11,4・4,6・1,6・4,
6・8,#611,#965,#984,#987
ワイヤメモリ…#131,#620,#635,#703
------------------------------------
. 付録
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