Avant-Garde

KUCの記憶
金沢アンダーグラウンダーズ・クラブ(以下KUC)、私が正式メンバーになったのは、1978年の春、高校入学の直後の事でした。その前年の秋、金沢市内のレコード店で、クラウス・シュルツェの「タイムウィンド」というLPレコードを試聴していたのを、KUCの幹部メンバー(当時、金沢大医学部の学生)に気に留められ、そのままスカウトされて市内の十三間町にあった事務所に連れていかれたのでした。古びた怪しい建物の階段から二階へ 上がると、ドイツ・ロック(当時はジャーマン・ロックとは云われていなかった)のグループ、ファウストのコロムビアから出ていた日本盤LPレコード、「廃墟と青空」の「痛みのかけら」という曲がかけられていたのを記憶しています。私は、暫くしてKUCの機関誌Avant-garde誌上で、稚拙な文章ながら記事を少し書いたり、後にはレコードレビュー、表紙グラフィックも担当しました。Avant-gardeは、KUCの代表メンバー達の指向だったフランク・ザッパやソフト・マシーンのような1970年前後のアーティストを主軸に、それらの系譜を辿り、当時金沢では得る事が難しかった欧米の音楽シーンや、リリースの情報を掲載していました。情報源としてのLPレコードや輸入盤などは、大阪のLPコーナー(最も初期にヨーロッパ・フリージャズのLPレコードの輸入を始めたお店の一つ)、プログレッシブ・ロックに強かったダウンタウン、 東京の新宿レコードなどから取り寄せ、少ない情報を集めていました。ザッパ研究で知られていた八木康夫氏や、当時、京大生であられた美川俊治氏に寄稿して戴いたり、副島輝人氏を複数回招いて、西ドイツ・メールスジャズ・フェスティバルのフィルム上映会を開いたり、またフリージャズ・サックス奏者の高木元輝氏から、氏のコンサートの金沢での主催依頼が当会にありましたが、力不足のため丁重にお断りしたという事もあったと記憶しています。KUCは、1976年に金沢大学の哲学専攻の学生や、民青に所属していた学生が中心になり、レコード鑑賞サークルとして立ち上げ、前述のように同年からコピー印刷の機関誌も発行し、全盛期には社会人や中高生も巻き込み、メンバーが百数十人にまで達していました。1979年末には 大学生の主要メンバーが就活のため活動から離れ、1980年頭に解散しました。それ以降、このような活動主体は金沢には存在していません。それらは忘れ去られてしまったのです。