前のページに戻るには、ブラウザの「戻る」ボタンをご使用ください。
ヴェルディ作曲 歌劇『アイーダ』
ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)は、19世紀を代表するイタリアのロマン派の作曲家で、イタリア・オペラにおける最大の作曲家の一人である。代表作には『リゴレット』、『イル・トロヴァトーレ』、『椿姫』、『アイーダ』、『オテロ』などがある。1842年にミラノ・スカラ座で初演された『ナブッコ』の第3幕の合唱、「行け我が思いよ、金色の翼に乗って」は、折から盛り上がっていたイタリア統一運動の精神に共鳴し、ヴェルディを国民的英雄にまでに高めたことで知られる。
『アイーダ』は、ヴェルディ後期に作曲された全4幕から成り、現代でも世界で最も人気の高いオペラのひとつである。オギュスト・マリエットにより原案が作成され、カミーユ・デュ・ロクルが原台本を著し、さらにアントニオ・ギスランツォーニによって台本が作成され、1871年にカイロのカイロ劇場で初演された。58歳だったヴェルディはこの「アイーダ」によって、イタリア・オペラの最高峰に位置する大作曲家としての地位を確固たるものにした。第2幕第2場での「凱旋行進曲」の旋律は単独でも有名である。
あらすじ
ファラオ時代のエジプトとエチオピア。エジプトの将軍ラダメスは、敵国エチオピアの女奴隷アイーダを愛し合っている。神託によってエチオピア征伐軍の総司令官に任命されたラダメスは、戦争に勝利し凱旋するが、その捕虜の中にはアイーダの父であり、エチオピア国王の身分を隠したアモナズロがいた。エジプト王は、戦勝の報奨としてラダメスにアムネリスとの結婚を命じる。アイーダは、アモナズロの密命によってラダメスから軍事機密を聞き出し、ラダメスは謀反人として捕らえられる。アムネリスはアイーダを捨てて、自分を愛せば命を救おうとラダメスに迫るが、彼はアムネリスの求愛を斥けて、死刑の宣告を受ける。地下牢で独り死を待つラダメスの前に牢に忍びこんでいたアイーダが現われ、二人は永遠の愛を誓いながら死を待つ。地上ではアムネリスが死者の冥福を祈り続ける。
『清きアイーダ』
「清きアイーダ」は第1幕第1場、エチオピア征討の神託が下ったことを知ったエジプトの将軍ラダメスが、「もし、自分が総司令官に選ばれたら、囚われの身になっているアイーダのために戦い、勝利の暁には恩賞として結婚の許しを得よう。」と恋の願いを込めて歌う有名なアリアである。
『やっと、あなたに逢えた、愛しいアイーダ』
「やっと、あなたに逢えた、愛しいアイーダ」を言って現れたラダメスに対して、アイーダは「あなたはアムネリスとの婚礼を控えています。お帰り下さい。」と冷淡に迎える。ラダメスは「次の勝利の契機に,国王に自分の気持ちを打ち明けて結婚の許しを得よう。」と言うが、アイーダは民衆の怒りやアムネリスの復讐からは逃れられないことを暗示し、この国から逃げることが唯一の手段であると主張する。ラダメスは国を捨て宗教を捨てることは出来ないと言い張るが、ついには愛するアイーダのために全てを捨てて逃げる決心をし、二人は愛情を確かめ合う。
『憎い恋敵は逃れていった・・・・・・あなたの運命を決する司祭達が集まっています』
アムネリスはラダメスの売国の罪を呪いながらも、まだ愛する彼を諦めることが出来ない。アムネリスは、脅し懇願し、「私の愛に生きて。」とかき口説くが、ラダメスは喜びも希望もなくなったと応じず、「アイーダを死に追いやった。」と非難する。アムネリスから父親は殺したがアイーダは逃げ失せたと聞いて喜び、祖国と名誉を売った恥辱の中で生きるつもりは無いと、アムネリスの申し出を頑なに拒否する。アムネリスはラダメスに嫉妬のため罵声を浴びせるものの、恋する人を死に追いやってしまった自分の激しい嫉妬心を呪う。
参考および引用
音楽之友社編 スタンダード・オペラ鑑賞ブック [2] イタリア・オペラ下 ヴェルディ
ヴェルディ作曲 歌劇『リゴレット(Rigoletto)』
ジュゼッペ・ヴェルディ(1813年-1901年)は19世紀を代表するイタリアのロマン派 音楽の作曲家であり、主にオペラを制作した。
歌劇『リゴレット』は『トロヴァトーレ』『椿姫』と並ぶヴェルディの中期の三大傑 作の一つで、心理表現に重きを置く作風を確立したと言える作品。 原作はフランスの小説家ヴィクトル・ユーゴーの戯曲『王様はお楽しみ』<Le Roi s'amuse>で、ピアーヴェの台本により登場人物名や題名を変更し『リゴレット』の題 名で3幕4場のオペラを作曲、1851年にヴェネツィアのラ・フェニーチェ歌劇場で初演 された。
舞台は16世紀の北イタリア、マントヴァ。リゴレットは好色な領主マントヴァ公に仕 える醜い道化師。愛する一人娘ジルダを世間から隠しているが、公爵の廷臣達はジル ダをリゴレットの愛人と勘違いして誘拐し、公爵にさしだしてしまう。リゴレットは 暗殺者を雇って公爵殺害を謀るが、公爵を密かに愛するジルダは身代わりとなって絶 命する。
♪第1幕より 第4曲 ジルダとリゴレットのシェーナと二重唱 「娘よ!」 「お父 さま!」 ~ 「なんて愛情!・・・なんという心くばり!でも何を心配なさいますの、父さま?向 こうのお空で、神様の もとで守護天使が見守ってくれていますわ!」
隠れ家の門を開けて庭に入ったリゴレットに嬉しそうにすがるジルダ。ジルダは父の ことも母のことも何も聞かされておらず、外出も教会だけと限られていた。父娘の情 愛に満ちた二重唱は、次の3つの部分から成っている。
①再会の喜びが終わると、ジルダは父のため息を不審がり、ため息のわけとリゴレッ トのことを尋ねるが、自らのことを語りたがらない様子を見て、せめて母のことを教 えて乞う。
②孤独で醜い自分を愛してくれたと亡き妻を偲んでリゴレットが嘆くと、ジルダは優 しく慰める。 ここへきて3カ月になるが一度も町を見ていないと不満を言う娘に、 リゴレットは絶対に町に出るなと厳命し、乳母のジョヴァンナに娘の純白を守ってく れと頼む。なおも歌い続けようとして人の気配を感じたリゴレットが慌ただしい音楽 で確かめに去った隙に、学生に変装した公爵が入りこんでしまう。
③再び乳母に娘を頼むリゴレットと、父の言葉に感激し神様のもとで守護天使に守ら れているからと答えるジルダ。二人は抱擁しあい、リゴレットは去って行く。
♪第3幕より 第12曲 公爵、マッダレーナ、ジルダ、リゴレットの四重唱 「いつ だったか、思い出せば確か」
町はずれ、殺し屋スパラフチーレが営むあいまい宿の外に現れたリゴレットは、好色 な公爵の姿を見せてジルダに恋を諦めさせようと、壁の隙間から室内を除かせる。ス パラフチーレの妹マッダレーナを情熱的に口説く公爵と、ご冗談でしょうと巧みにあ しらう妖艶なマッダレーナ。ジルダは恋する人の不実な様子に驚き苦悩する。リゴ レットは娘を苦々しい口調で慰めながらも復讐の念を強める。 舞台を二分して戸外にジルダとリゴレット、室内にマッダレーナと公爵を配し、アレ グロで公爵、マッダレーナ、ジルダ、リゴレットの順に歌い始める。後半ではアンダ ンテでより技巧的なアンサンブルが展開し、4人の人物の性格描写もあざやかに、絡 み合いながら、各自の心境が歌われる有名な四重唱である。
ヴェルディ作曲 歌劇『ドン・カルロ』(Don Carlo)
シラーの戯曲を題材にしたヴェルディ後期の傑作で、フランス語による5幕のグランドオペラとして1867年にパリ・オペラ座で初演され、のちにイタリア語による4幕版に改作されて1884年ミラノ・スカラ座で初演、さらに作曲家自身により改作が重ねられイタリア語による5幕版も作られた。
16世紀。広大な領土を支配する大国スペインの王室を舞台に宗教的対立を主題にした壮大な史劇的枠組みを借りながら、父と息子の対立、義母と息子の許されぬ恋、妻の不貞への猜疑心に苦しむ夫、という複雑な愛憎劇が織りなされ、重厚な音楽的表現とともにその心理描写においてヴェルディの真骨頂が発揮されている。
第1幕。スペイン王子ドン・カルロは許嫁のフランス王女エリザベッタとフォンテンブローの森で初めて出会い、互いに強く惹かれ合う歓びに浸ったのも束の間、ドン・カルロの父、国王フィリッポ2世が彼女を妃に迎えるという知らせが届き、一転失意のどん底に突き落とされる。
第2幕(4幕版では第1幕)二重唱「あの方だ、まさに!王子!」・・・「我等の胸に友情を」・・・「共に生き、共に死のう」
傷心のドン・カルロがサン・ジュスト修道院にある祖父カルロ5世の墓を訪れているところに親友の貴族でポーザ侯爵ロドリーゴがやってくる。王妃への許されぬ恋を告白され驚くロドリーゴだが、スペインの圧政に苦しむフランドルの民を救うべく今こそ彼の地に赴くときだと強く説得する。そこへ国王に伴われて現れたエリザベッタを垣間見て嘆くドン・カルロをロドリーゴが励まし、最後は二人で「自由のために共に生き、共に死のう」と誓い合う。「友情の二重唱」と呼ばれ、テノールとバリトンによるオペラ史上最も名高い男性二重唱である。
小林秀雄 作曲 歌曲
『愛のささやき』は野上彰によって1956年に詩が作られ,その後ニッポン放送で朗読されるが,野上の生前に出版はされていない。その後,未亡人が遺稿の 中に含めた一編。1972年,同じ野上による『落葉松』とともに小林秀雄により作曲され,翌年、小林秀雄夫人でソプラノの小林久美により,両曲とも初演さ れる。全曲に透明な詩情をたたえて,聴き手の心の中に深く浸透するメロディーを含む秀逸な曲である。
R. シュトラウス作曲 歌劇『アラベラ』第2幕より
アラベラとマンドリカの二重唱
「舞踏会などには興味が無いようにお見受けしますが?」
~「そして,あなたは私のだんな様になるのですね」
リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家。交響詩・オペラ・歌曲の作曲で知られ,指揮者としても活躍した。
オペラでは,ウィーンの詩人ホフマンスタールが台本を書いた『エレクトラ』『ばらの騎士』などが有名。『アラベラ』も同コンビによる作品で,「第二のばらの騎士」を意図したと言われ,随所に現れるウィンナ・ワルツのほか,シュトラウスらしい絢爛豪華なオーケストラ,また,憂いや気だるさを帯びたハーモニーが,大きな魅力となっている。
舞台は1860年のウィーン。退役軍人ヴァルトナー伯爵は,いわゆる「没落貴族」で,借金で首が回らず,娘のアラベラを玉の輿に載せるべく,スロヴェニアの裕福な戦友に彼女の写真を送る。しかし当人は他界しており,甥のマンドリカが写真を見てアラベラに一目ぼれし,ウィーンにやってくる。
♪舞踏会の場で初めて顔を合わせる二人。田舎貴族の朴訥なマンドリカと,都会育ちで気位の高いアラベラは,初めこそぎくしゃくするが,粗野ながら「自分らしさ」を持ったマンドリカに,アラベラも「この人こそ」と求婚を受け入れ,美しい二重唱となる。
オペラはこの後,アラベラの妹ズデンカが騒動を巻き起こし,一時はアラベラとマンドリカの結婚も危ぶまれるが,最後には誤解が解け,アラベラがマンドリカの故郷の風習に従い,泉の水で満たした盃をマンドリカに手渡すところで幕となる。
R. シュトラウス作曲 歌曲
『6つの歌』Op.17より「セレナード」
『8つの歌』Op.10より「献呈」
「セレナード」は,愛する人のために,夕方おもに屋外で演奏される音楽だが,この曲では,夜中,ひそやかに,恋人のもとに忍び込む熱い想いが,美しい伴奏に乗せて,軽やかに歌われる。少年のようなさわやかな恋心のイメージの中にも,最後の節の,夜明けの薔薇がより赤く燃える風景は官能的。
「献呈」は,リヒャルト・シュトラウス21歳のとき,ヘルマン・フォン・ギルムの詩による『最後の葉(Letzte Blatter)』に作曲された初期の歌曲の1曲。恋人への想いと感謝を捧げた歌であり,3つの節の最後には全て「Habe Dank.(我が感謝を受けておくれ。)」と歌われている。特に最後の節で,愛する人によって清らかに生まれ変わった「私」から愛する人への感謝が溢れ出るような旋律で歌われる。
中田喜直 作曲 歌曲
昭和37年発表の『マチネ・ポエティクによる四つの歌曲』の二曲目で,加藤周一の詩による。日本歌曲としては非常にモダンな雰囲気の歌。同じ詩に は別宮貞雄(べっく・さだお,1922-)の曲による昭和26年発表の歌があるが,この中田作品の方が声楽的に歌いやすく出来ている。
「マチネ・ポエティク」は第二次大戦中,日本語による定型押韻詩を試みた加藤周一,福永武彦,原條あき子らによる文学運動の集団で,戦後間もない昭和23年に「マチネ・ポエティク詩集」を発表。既成詩壇からは強い批判を浴び,文学的影響を残すには至らなかった。
プーランク作曲 「愛の小径」
フランシス・ジャン・マルセル・プーランク(1899-1963)は、フランスの作曲家。 20世紀前半フランスで活躍した「フランス6人組」と呼ばれる作曲家集団の一人。声 楽、室内音楽、宗教的楽劇、オペラ、バレエ音楽、オーケストラ音楽を含むあらゆる 主要な音楽ジャンルの楽曲を作曲している。その作風から、「ガキ大将と聖職者が同 居している」と評された。
「愛の小径」はプーランクの数多い歌曲の1つで、第二次大戦下ドイツ軍によってパ リが侵攻された1940年、ジャン・アヌイの芝居「レオカディア」の付随音楽として作 曲された。副題として『イヴォンヌ・プランタンのためのワルツの調べ』と書かれて いる。 イヴォンヌ・プランタンは1910~20年代フランスの花形歌手であり女優。 初演でプランタンによって歌われたシャンソン風のこの佳曲は多くの歌手に歌われる 他、ピアノで独奏されることも多い。
(歌詞) 海へと続く小径には われらの歩みに散った花々が 木々の下にはわれら二人の明るい笑いのこだまが残っているのに ああ!幸せな日々も 輝きに満ちた喜びも飛び去り そのあとを心に見出せぬまま 私はたどる *わが愛の小径よ 私はお前を探し求める 失われた小径よ、お前はもういない お前たちのこだまは聞こえない 絶望の小径 思い出の小径 初めての日の小径 素晴らしき愛の小径よ* いつかそのことを忘れねばならぬ日がきても 人生はすべてを消し去るものだから 私の心には かつての愛よりももっと強い 一つの小径の思い出が残って欲しい いつかわが身の上にあなたの燃える手を感じ ふるえ我を忘れた その道の思い出が *部分 繰り返し
ベッリーニ作曲 「Per pieta, bell’idol mio (お願いだ 私の美しき理想の人)」
『ノルマ』『夢遊病の女』などのオペラで知られるベッリーニは、ドニゼッティ、ロッシー二と並んで19世紀のオペラシーンをリードしたイタリアオペラを代表する作曲家です。その抒情的で美しい音楽は、ほぼ同時代に活躍したロマン派を代表する作曲家のショパンや、先年生誕200年を迎えたドイツオペラ界の巨人ワーグナーにも影響を与えたと言われております。
本作は1829年、27歳の時に出版された『6つのアリエッタ』の中の一曲で、翌年にオペラ『カプレッティとモンテッキ』そしてその翌々年には『夢遊病の女』『ノルマ』を発表していることから、ベッリーニの最も作曲家としての脂が乗った時期の作品であることが分かります。愛する人への切ない気持ちを激しい曲調に乗せて同じ歌詞が二度繰り返し歌われ、最初は短調で、そして二度目の”se fedele~”以降は長調へと曲が転じ、一気に頂点へと盛り上がりを見せる、小品ながらオペラのアリアを思わせるドラマティックな作品となっております。
ベッリーニ作曲 歌劇『清教徒』第1幕より
リッカルドのアリア「ああ,永遠に君を失ってしまった」
ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801-1835)は,ロッシーニ,ドニゼッティと並び,19世紀前半を代表するイタリアのオペラ作曲家である。特にこの時代のオペラはベルカントオペラとも呼ばれ,甘美で繊細な旋律が大きな特徴となっている。その抒情的で美しい音楽は,ほぼ同時代に活躍したロマン派を代表する作曲家のショパンや,先年生誕200年を迎えたドイツオペラ界の巨人ワーグナーにも影響を与えたと言われている。
歌劇『清教徒』は,ベッリーニの生涯で最後に作曲されたオペラであり,全編にわたる美しい旋律で彩られたベルカントオペラの傑作である。その一方で,テノールでは他に類を見ないハイFが登場するなど,歌手にとっては非常に難易度の高い曲となっている。
舞台は17世紀のスコットランド,王党派の騎士アルトゥーロと議会派城主の娘エルヴィーラとの結婚式当日である。当初,エルヴィーラは議会派のリッカルドとの結婚を約束されていたが,叔父ジョルジョの計らいで,思いを寄せるアルトゥーロとの結婚が実現したのであった。しかしアルトゥーロは,幽閉されていた貴婦人が,処刑間近の王妃エンリケッタであると知り,王妃を救うため共に逃亡してしまう。それを知ったエルヴィーラは,悲しみのあまりに発狂する。エンリケッタを逃がし,無事にエルヴィーラとの再会を果たしたアルトゥーロであったが,議会派に捕らえられ,死刑を宣告されてしまう。そのとき,角笛が鳴り響き,議会派の勝利が伝えられる。アルトゥーロも放免され,正気に戻ったエルヴィーラと喜びを分かち合う。
♪このアリアは,結婚が破談となったことで,もはや永遠に手に入れることができなくなってしまったエルヴィーラへの強い憧れの気持ちを,甘い旋律に乗せてリッカルドが歌う。ベッリーニらしい優美な旋律の中には,アジリタが多用されており,滑らかでありながら小回りの効いた歌唱が要求される難曲である。
マスカーニ作曲 歌劇『友人フリッツ (L’amico Fritz)』
マスカーニ(1863~1945)はイタリアの作曲家で、『友人フリッツ』は『カヴァレリア・ルスティカーノ』に次ぐ彼の二作目のオペラとして1891年にローマで初演された。
19世紀のアルザス地方を舞台にした田園劇。農園の地主で女性不信のため独身のままでいるフリッツを結婚させようと、村の祭司ダヴィッドやフリッツの友人たちが説得に当るが全く相手にされない。しかし、やがて農園の管理人の娘スゼルの純粋な愛に目覚めたフリッツは彼女との結婚を決意する。
第2幕 「スゼル、おはよう」<さくらんぼの二重唱>
早朝、スゼルは庭の桜の樹に実ったさくらんぼをフリッツに食べてもらおうと準備している。フリッツはスゼルから彼女が摘んだ花で作った花束を受け取り喜ぶが、スゼルはもっと良い贈り物があると言って桜の樹に立てかけた梯子を登り、真っ赤に熟れたさくらんぼを摘んではフリッツに投げ落とす。その愛らしい様子に強く惹かれたフリッツはまた、明け方に聞こえる鳥のさえずりの意味をスゼルが理解していることに感動する。フリッツが思わず、「何もかも静かだ。なのにあらゆるものが私の心に語りかけてくる。この安らかさはここより他に何処にあるだろうか。ああ春よ、お前は美しい」「新たにしてくれる、花と愛とをこの甘い四月が!」と歌えば、スゼルが「笑いも涙もみな愛の鼓動なのです」「得も言えぬ喜びが、どの花の目覚めにも!」と応じ、次第に互いの思いの高まりを抑え切れなくなる。それはやがて幸福感に満ちた甘いヴォカリーズとなって一つに溶け合っていく。
現在オペラ全曲が舞台で演奏されることは多くないが、出だしのいわば月並みな朝の挨拶から、無条件に惹かれ合っていく恋人同士の様子を9分という時間のなかに瑞々しく描き出したこの「さくらんぼの二重唱」は、ラヴ・デュエットの定番として愛され続けている。
モーツァルト作曲 歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』第1幕より
フィオルディリージ,ドラベッラ,ドン・アルフォンソの三重唱 「風よ穏やかなれ」
舞台は18世紀ナポリ。二人の青年士官が,老哲学者ドンアルフォンソの「女には 貞節がない」という言葉に反発して,彼らの恋人である姉妹の貞節を 試す賭け をし,トルコ貴公子に変装して互いの相手を誘惑する。 「風よ穏やかなれ」は、戦場に赴くために船出する青年士官たちを、航海の無事 を祈りながら見送る三重唱。
♪風は穏やかに 波は静かに そして自然の万物が慈愛にみちてわたしたちの祈りを聞き届け給え。
モーツァルト作曲 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』第2幕より
ドンナ・アンナのアリア「酷い人ですって?」
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は,ハイドン(1732-1809)やベートーヴェン(1770-1827)と並ぶ,ウィーン古典派の代表的な作曲家であるとともに,今日に至るまで,最高の天才であり,最大の人気を獲得した作曲家。35年という短い生涯に,管弦楽,室内楽,オペラといったすべてのジャンルに,600を超える作品を残した。作風は優雅で快活。時折見せる哀しみも,たいへん魅力的である。
『ドン・ジョヴァンニ』は,モーツァルトが台本作家ダ・ポンテと組んだ,いわゆる“ダ・ポンテ三部作”の二番目にあたるオペラ。『フィガロの結婚」』の翌年1787年モーツァルト自身の指揮によりプラハで初演された。スペインを舞台に,稀代の女たらし,貴族のドン・ジョヴァンニが三人の女性(ドンナ・アンナ,ドンナ・エルヴィラ,ツェルリーナ)との三者三様の恋の駆け引き,そしてその顛末に訪れる身の破滅までが描かれている。
♪ドンナ・アンナは,父をドン・ジョヴァンニに殺され,許婚のドン・オッターヴィオとともに復讐を望んでいる。そんな中,オッターヴィオはアンナと早く結ばれたいと願うが,アンナは父を殺された悲しみのため,それを拒む。「そうして私を苦しませるのですか,酷い人だ」と言うオッターヴィオに,アンナは「私がどれだけあなたを愛しているか,お分かりのはず」と切々とこのアリアを歌う。
モーツァルト作曲 歌劇『フィガロの結婚』
『フィガロの結婚』が初演されたのは,“ダ・ポンテ三部作”の中で最も早く,1786年のことである。初演時の台本は『フィガロの結婚,あるいは,狂おしき一日』と題されていた。
18世紀半ばのスペインはセビリャ近郊,アルマヴィーヴァ伯爵邸の一室。伯爵に仕えるフィガロと,伯爵夫人に仕えるスザンナの結婚式当日,伯爵は 自ら廃止した初夜権を復活させ,スザンナを自分のものしようと考える。ところが,それに気がついたフィガロは伯爵夫人の協力のもと,偽の手紙を送ったり, スザンナの代わりに小姓のケルビーノを女装させて,伯爵との逢引に向かわせることを計画したりと,さまざまな作戦に打って出る。途中,セビリャの医師バル トロや,女中頭マルチェリーナの妨害を受けるが,最後は伯爵夫人自らがスザンナに変装し,伯爵との逢引の場所に向かう。一方の伯爵も,逢引の場所にこっそ りと向かうが,そこで伯爵夫人に変装したスザンナとフィガロが一緒にいるところを目撃する。伯爵夫人の裏切りだと怒った伯爵は,自らのことは棚に上げて勢 い良く飛び出すが,フィガロたちは東屋に逃げ込んでしまう。さあ出て来いと威勢よく扉を開ける伯爵。しかし,フィガロとスザンナに続いて最後に出てきたの は,スザンナに変装していた伯爵夫人であった。すべてが伯爵夫人の策略だったことに気がついた伯爵は,浮気な自らの罪を認め,伯爵夫人に許しを請う。伯爵 夫人は,広い心で伯爵の謝罪を受け入れ,めでたく幕となる。
♪第2幕より 伯爵・伯爵夫人・スザンナの三重唱「異常はないな」
この曲は,伯爵と伯爵夫人が夫人の部屋に戻ってきたところから始まる。夫人の部屋を訪れた伯爵は,伯爵夫人の態度がおかしいことと,衣裳部屋から 物音がしたことから,中に情夫がいるのだろうと問い詰めたのだった。衣裳部屋の鍵を開けようとしない伯爵夫人を伴い,部屋に鍵を閉めた後,衣裳部屋の鍵を 持って再び部屋に戻ってきたのである。部屋の中に変わりがないことを確認し,伯爵夫人に鍵を開けるように促す伯爵。それでもなかなか鍵を開けようとしない 伯爵夫人に,情夫がいることを確信した伯爵は,怒り心頭で中の男を殺してやると怒鳴りちらす。それに驚いた伯爵夫人は,やむなく中にいるのが小姓のケル ビーノであることを明かす。夜の余興のために,ケルビーノを女装させようとしたと白状するが,女という女に手を出した罰として,出征を命じたはずのケル ビーノがまだ出発していないばかりか,伯爵夫人にまで手を出そうとしていると考えた伯爵はそれまで以上に怒りをあらわにする。出て来い小僧と衣裳部屋に飛 び込もうとする伯爵であるが,そこから出てきたのはなんとスザンナであった。呆然とする伯爵と,驚きを隠せない伯爵夫人。実は二人が出て行った後,ケル ビーノはバルコニーから庭に飛び降り,かわりにスザンナが衣裳部屋に隠れていたのであった。それを知らない伯爵は半ばパニック状態で衣裳部屋を探し回るが 誰もいない。その間に,スザンナはもう大丈夫と伯爵夫人を安心させる。伯爵夫人に向き直った伯爵は,自らの過ちを謝罪するが,立場が逆転した伯爵夫人はス ザンナと共に伯爵の乱暴な行いを責めるのであった。
伯爵の立場が逆転した後は,伯爵と伯爵夫人とのやり取りにあわせて,下降音で合いの手が入れられ,あたかもオーケストラまでもが笑っているかのように錯覚させる。歌い手とオーケストラが見事に調和したモーツァルトらしい一曲である。
♪第4幕より「みなの者,武器もて集まれ」~「ああ,これでだれもが満足」
伯爵を懲らしめるため,屋敷の庭園で「伯爵夫人と愛人の密会の場」を演じるスザンナとフィガロは,伯爵に現場を押さえられたふりをする。騒ぎをきいた屋敷の人々が集まるが,そこに本当の伯爵夫人が現れ,伯爵は自分の過ちに気付く。夫人は伯爵を赦し,全員で「ああ,これでだれもが満足」と天上的なコラールを歌って,「狂おしき一日」を終わらせるための祝宴に向かう。