W.A. モーツァルト作曲 歌劇『フィガロの結婚』第1幕より
二重唱 「Cinque... dieci... 」 (5... 10...)
歌劇『フィガロの結婚』はモーツァルト3大オペラのうち最も早い1786年に初演されたオペラです。
貴族を痛烈に批判する当時としては危険な内容であったため、初演されたウィーンでの評判はいまひとつでした。しかしその後のプラハでの公演では成功を収め、後の『ドン・ジョヴァンニ』の作曲へとつながるなど、モーツァルト絶頂期に作曲された最高傑作のオペラです。
正式なタイトルである"La Folle journee, ou le Mariage de Figaro"(狂おしき一日、またはフィガロの結婚)も示すとおり、オペラの中ではすべてのストーリーが1日の出来事として歌われます。これは当時のオペラブッファの制約である三一致の法則(一日のうちに、一つの場所で、一つの出来事)に従っているためです。
今回ご紹介する二重唱「Cinque... dieci...」は、新婚の召使いフィガロが家具を運び入れるために、伯爵に与えられた部屋の寸法を計るところからはじまります。フィガロが夢中で部屋を計る一方、新婦のスザンナは式で使う手作りのヴェールをフィガロに見てもらいたくてしきりに話し掛けます。
最後はフィガロもそれに気づき、二人で結婚の喜びについて歌い合うという、オペラの幕開けにふさわしい二重唱です。
(H.A)
W.A. モーツァルト作曲 歌劇『コジ・ファン・トゥッテ(Cosi fan tutte)』より
歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』は1790年に初演されたモーツァルトのオペラ・ブッファ(喜劇オペラ)です。『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』に引き続き、ロレンツォ・ダ・ポンテの台本に作曲されました。正式名称は”Cosi fan tutte, ossia La scuola degli amanti”(女はみなこうしたもの、または恋人たちの学校)。タイトルの”Cosi fan tutte”(女はみなこうしたもの)は『フィガロの結婚』に出てきた台詞で、この歌劇の中では、老哲学者ドン・アルフォンソが恋人たちに説く台詞でもあります。
時は18世紀末、ナポリの青年士官フェッランドとグリエルモは、老哲学者ドン・アルフォンソと女性の貞操について賭けをする。戦場に旅立つふりをし、異国の貴族に変装して互いの恋人を口説き、許婚達の貞操を試す。二人が本当にナポリを発ったと信じる彼らの恋人フィオルディリージとドラベッラ姉妹。ドン・アルフォンソは姉妹の小間使いデスピーナを金で味方につけ、芝居の片棒を担がせる。異国の崇拝者達の猛烈な求愛やデスピーナの入れ知恵に、心が動揺し始める姉妹達。ついに新しい愛を受け入れてしまい…。絶望する恋人達に「女はみなこうしたもの」と老哲学者が慰め、めでたく元の鞘に納まることになる。
第1幕より 「恋人のやさしい息吹は(Un’aura amorosa)」
まだ裏切られる前の1幕12場で、青年士官の一人フェッランドが恋人ドラベッラを思って、「恋人のやさしい息吹きは、なんと心に甘い慰めを与えてくれるものか」と歌うアリアである。
第2幕より 二重唱「もう少しで抱擁のなかへ(Fra gli amplessi in pochi istanti)」
第2幕のこの場面では、既にドラベッラが陥落し、一人苦悩するフィオルディリージ。誘惑に屈すまいと思いをめぐらし、男装して許婚に会いに戦場まで行こうと決心する。そこへ崇拝者(実はドラベッラの恋人フェッランド)が現れ、適わぬ恋ならいっそ殺してほしいと剣を差し出す。その姿にとうとうフィオルディリージも陥落してしまう。
(S.M・Y.O)
W.A. モーツァルト作曲 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』第1幕より
アリア 「Il catalogo e questo」(カタログの歌)
モーツァルトが台本作家ダ・ポンテと組んだ、いわゆる“ダ・ポンテ三部作”の二番目にあたるオペラ『ドン・ジョヴァンニ』は、『フィガロの結婚」』の翌年1787年モーツァルト自身の指揮によりプラハで初演されました。
スペインを舞台に、稀代の女たらし、貴族のドン・ジョヴァンニが三人の女性(ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラ、ツェルリーナ)との三者三様の恋の駆け引き、そしてその顛末に訪れる身の破滅までが描かれています。
アリア「Il Catalogo e questo」は、従者であるレポレッロが、ドン・ジョヴァンニに棄てられ怒り心頭のドンナ・エルヴィラに向かい、「これぞ、ご主人の愛の遍歴を記したリストです。」と、自分のカタログの中身を披露しながら諦めるよう助言します。
レポレッロのカタログには、イタリアでは640人、ドイツでは231人、そしてなんとスペインでは1003人の女に手を出したことが記されています。女とあれば、村娘も伯爵夫人も娘も老女もお構いなし。
ドン・ジョヴァンニの好色ぶりをさんざん披露し、レポレッロは去っていくのでした。
(H.T)
W.A. モーツァルト作曲 歌劇『フィガロの結婚』より
ケルビーノのアリア「自分で自分が分からない」
ぼくはもう分からない 自分が何で、何をしてるのか
今燃え上がったと思ったら もう凍りつく
どんな婦人にも顔色を変え 胸をふるわせる・・・
と始まるこのアリアの歌い手は、ケルビーノ。14歳の小姓です。思春期真っ盛りのこの少年は、朝から晩まで寝ても醒めても女性の事で胸がいっぱい。この度も屋敷の庭師アントニオの娘バルバリーナと二人でいちゃいちゃしているのを伯爵に見つかって怒りを買い、伯爵夫人にとりなしてもらおうと、お付きの女中スザンナにお願いしに来たところです。 本来ならばもっと神妙にしているべきはずなのに、こんな状況でもケルビーノはスザンナにまとわりついたり、憧れの伯爵夫人のリボンに頬を寄せたり、反省 なんてどこ吹く風。挙句のはてに
「読んであげて 伯爵夫人に、読んであげて、君自身にも、読んであげてバルバリーナに、マルチェッリーナに、読んであげて お屋敷の全ての女性に」
と言って、冒頭のアリアを歌いだすのです。
この後フィガロにケルビーノは「non piu andrai farfallone amoroso・・・」「愛の蝶」(farfalloneamoroso)と歌われます。ケルビーノはまだ男性として目覚めたばかり。どうしたらいいか、どこへ自分の身と心を委ねてよいのか分からずに、この若くて可愛らしい蝶々はあふれ出さんばかりの衝動を何と自分の知る全ての女性へと向けるのです。
そしてこの愛の蝶はスザンナ、伯爵夫人、バルバリーナ・・・と女性から女性へひらひら飛ぶだけで収まらず、自身が(女装して)男性と女性のジェンダーをもひらりひらりと自由に行き交ってしまう、なんとも妖しくコケティッシュな魅力を鱗粉のように振りまいて、周りの人間を引っ掻き回し翻弄するのです。
(S.T)
V. ベッリーニ作曲 歌劇『ノルマ(Norma)』1幕1場より
(中止)
ポリオーネのカヴァティーナとカバレッタ「ヴィーナスの祭壇で純白の衣装をまとい(Meco all'altar di Venere)」~「敵よりまさる戦力が(Me protege, me difende)」
ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(Vincenzo Bellini, 1801- 1835年)は、シチリア島・カターニアに生れ、パリ近郊で没した、オペラ作曲家。ロッシーニやドニゼッティと共に19世紀前半のイタリアオペラ界を代表する天才である。
『夢遊病の女』同様、『ノルマ』(Norma)は、ベッリーニ30歳の頃作曲され、前者が1831年3月、後者は同年12月、共にミラノで初演された。全2幕からなるオペラで、ドルイド教の女祭司ノルマと、若い尼僧アダルジーザ、そしてゴール地方駐在のローマの地方総督ポリオーネの三角関係を題材とする。ポリオーネはノルマとの間に2子をもうけているが、アダルジーザに心移りをし、彼女との結婚を夢見ている。カヴァティーナ「ヴィーナスの祭壇で純白の衣装をまとい」では、アダルジーザ―との結婚式の場にノルマが現われ、恐ろしい復讐を告げる夢を見たことを物語る。続く勇壮なカバレッタは、「敵よりまさる戦力が」我らに勝利をもたらし、愛する人を奪うことになると、高らかに歌う。カヴァティーナの途中でハイCがあり、カバレッタはハイBで終える、スピント系の難曲として知られる。
(S.S)
V. ベッリーニ作曲 歌劇『夢遊病の女 (La Sonnambula)』より
アリア「親しい友よ(Care compagne)」
ヴィンツェンツォ・ベッリーニ (Vincenzo Bellini, 1801-1835) はイタリア・シチリア島生まれの早熟の天才で、その短い生涯で珠玉の名作の数々を残した。
歌劇『夢遊病の女』は、夢遊病の娘が眠ったまま他の男の寝室に入ってしまい貞操を疑われるが、最後は誤解が解けてめでたしめでたしで終わる、という田園劇。初演は1831年3月ミラノ。
アリア「親しい友よ」は主人公アミーナ(ソプラノ)のアリアで、レチタティーヴォ~カヴァティーナ~カバレッタという形式に則り、第1幕第1場で歌われる。
孤児ながら水車屋の養女として育てられ、村の皆から愛される美しく気立ての良い娘アミーナ。明日は村の若者エルヴィーノとの結婚式。アミーナは、口々に祝ってくれる村人たちと、これまで育ててくれた養母に、感謝の言葉を述べる(レチタティーヴォ「Care compagne(親しい友よ)」)。次に愛する恋人と結ばれる喜びを「今日という日はなんと澄み切っているのでしょう・・・愛が自然を彩っているのね」と歌う(カヴァティーナ「Come per me sereno(気もはればれと)」)。続いてカバレッタ「Sovra il sen la man mi posa(私の胸に手を置いて)」で喜びに弾む心を表す。
(R.F)
G. プッチーニ作曲 歌劇『つばめ(La Rondine)』より
ドレッタの夢(Sogno di Doretta)
パリに住む銀行家の愛人であるマグダは、サロンに詩人たちを集めて楽しんでいる。
詩人プルニエは、彼女が「つばめ」のようにロマンスを求めて飛び立つが、やがて巣に帰るように元の生活に戻るだろうと占う。
そこへ銀行家の旧友の息子ルッジェーロが都会パリに憧れ出てくる。
彼に惹かれたマグダは、お針子に変装し夜のパリで出会い、二人は恋に落ちる。
やがてリゾート地の別荘で数ヵ月共に暮らすことになる。
マグダは、遊びにきたプルニエと元の小間使いから、銀行家がいつでもパリに戻ってくるようにと言っていることを知る。
ルッジェーロは親元に結婚の承諾を求めていて、晴れて許しが出て、喜んでマグダに告げるが、結婚の申出を受けたマグダは、自分の身の上を語り、偽って結婚することはできないと涙ながらに別れを告げる、『椿姫』を思わせるストーリー。
「ドレッタの夢」は、詩人プルニエがピアノを前に新作の詩を歌うが完成させられず、マグダがひきとって、ドレッタの夢といいながら、本物の恋を求めるマグダ自身の憧れを歌い上げる歌。
(H.OB)
G. プッチーニ作曲 歌劇『トスカ(Tosca)』第3幕より
カヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」
原作はフランスの劇作家ヴィクトリアン・サルドゥーが、名女優サラ・ベルナールのために書いた戯曲『ラ・トスカ』である。プッチーニは。1895年にフィレンツェでサラ・ベルナールが演ずる『ラ・トスカ』を実際に鑑賞して、この戯曲のオペラ化への意欲を持ったと言われる。
台本はルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザによる全3幕のオペラである。初演は1900年1月14日、ローマのコスタンツィ劇場で行われた。
1800年6月、オーストリア支配下のローマ。画家カヴァラドッシは、脱獄した政治犯のアンジェロッティをかくまった罪で捕らえられる。トスカを我が物にしようと企む警視総監スカルピアは、彼女の面前で 恋人カヴァラドッシを拷問し、命を救う代償にその身体を要求する。トスカは取引に応じ、カヴァラドッシを見せかけの銃殺刑とする約束を取り付け、国外逃亡のための出国許可証を手にするが、偶然手にしたナイフでスカルピアを刺し殺す。明け方、見せかけのはずの銃殺刑が行われるが、カヴァラドッシはスカルピアの計略により処刑される。スカルピアの死に気付いた副官のスポレッタがトスカを捕えようとするが、トスカはサンタンジェロ城の屋上から投身自殺する。
“E lucevan le stele(星は光りぬ)”は第三幕で、間もなく銃殺される画家カヴァラドッシが、明け方の星に、トスカとの愛を想い、「今まで、私はこれほど命を愛おしんだことはない!」泣きながら歌うアリアである。
(H.O)
G. マーラー作曲 『リュッケルトの詩による5つの歌曲』より
V.「真夜中に」
Ⅱ.「美しさゆえに愛するなら」
作詩:フリードリヒ・リュッケルト(1788-1866)
グスタフ・マーラー(1860-1911)はオーストリアの作曲家で,ウィーンの歌劇場やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者としても活躍しました。代表作である10の交響曲と5つの歌曲集では,自然の賛美や彼岸への憧れが描かれるとともに,子どものころ親しんだ民謡や軍楽隊の音楽が混然と奏でられます。
『リュッケルト歌曲集』(1901-1902)は,シンプルな構成と抑えた表情で詩の内面を深く掘り下げた作品です。
V.「真夜中に」
真夜中の苦悩と,苦悩からの解放が語られます。
大意:
真夜中に,星空を見上げたが,星は笑いかけず,慰めも与えてくれない
真夜中に,人類の悲しみに想いを巡らせるも,自分の無力に気付くばかり
真夜中に,すべてをあなたに委ねたのです 生と死を司る主よ
あなたは寝ずの番をなさっているのです この真夜中に
Ⅱ.「美しさゆえに愛するなら」
愛する人への思いをストレートに歌います。
大意:
美しさゆえに愛するなら,私ではなく,太陽を愛して
若さゆえに愛するなら春を,富ゆえなら人魚を愛して
愛ゆえに愛するなら,どうか私を愛して
私もいつまでもあなたを愛するから
(H.S)
R.シュトラウス
(中止)
「献呈(Zueignung)」
リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864年- 1949年)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家。交響詩とオペラの作曲で知られ、また、指揮者としても活躍した。歌曲も、18歳から19歳にかけて作曲した『8つの歌曲』から、死の前年の『四つの最後の歌』に至るまで佳篇が多い。
「献呈」は『8つの歌曲』の第1曲。ヘルマン・フォン・ギルムの詩による。自由に酔いしれていた若き日の悪を、愛する人と出会って、清められたことへの感謝を歌う。R.シュトラウスの歌曲中もっともよく知られたものの1つである。
(S.S)
C.F. グノー作曲 歌劇『ファウスト(Faust)』第3幕よりC.F.グノー作曲 歌劇『ファウスト(Faust)』第3幕より
ファウストのアリア「この清らかな住まい」
原作はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲『ファウスト』の第一部で、フランス語による台本はジュール・バルビエとミシェル・カレによる全5幕8場のオペラである。初演は1859年の3月19日に、パリのリリック座で行われた。1868年のパリ・オペラ座における上演に際して、台詞をレチタティーヴォに変更し、グランド・オペラの伝統に従ってバレエ音楽を追加するなどの改訂を行い、現在上演される形となっている。また、1894年11月24日に、日本で最初に上演されたオペラでもある。
16世紀ドイツ。ファウスト博士は、学問一筋の人生に嫌気がさして毒をあおろうとするが、自分に魂を売れば若さを取り戻せると囁く悪魔メフィストフェレスの誘惑に負け、悪魔と契約する。メフィストフェレスに導かれるままに、ファウストはマルグリートと恋に落ち、マルグリートは妊娠する。 怒ったマルグリートの兄ヴァレンティンはファウストに決闘を挑むが、逆に命を落としてしまう。子殺しの罪で牢獄に入れられていたマルグリートをファウストは牢から逃れさせようするが、もはや正気ではなく、メフィストフェレスが現れるとマルガリートは神に慈悲を乞い、最後は天使に守られながら昇天する。
“Salut! demeure chaste et pure(この清らかな住まい)”は第3幕で、マルグリートの家の前に、メフィストフェレスに連れて来られたファウストが歌うアリア。胸一杯に清々しい夜気を吸い込み、愛に満たされ清らかに佇むこの家、何という不安、これが恋なのか?愛に満たされ清らかに佇むこの家、静けさに精霊が宿る、慎ましく、しかし満たされた幸せ、自然は天使のような彼女を育んだ、満ち足りた大気、光、神の家だ・・・・・・と甘美に歌い上げる。
(H.O)
G.F. ヘンデル作曲 歌劇『リナルド(Rinaldo)』第2幕より
アルミレーナのアリア「私を泣かせてください(Lascia ch’io pianga)」
「私を泣かせてください」は、敵の魔術師に捕らわれたアルミレーナが、恋人リナルドを想って自分の悲運を嘆くシーンで歌われる有名なアリアで、単独で歌われることも多いようです。「涙ながれるままに(流るるままに)」と表記されることもあります。
過酷な運命に涙し、
自由に憧れることをお許しください。
私の苦しみに対する憐れみだけによって
苦悩がこの鎖を打ち毀してくれますように。
(Y.O)
A. ヴィヴァルディ作曲 歌劇『バヤゼット』より
イレーネのアリア「私は蔑ろにされた花嫁」
17世紀から18世紀にかけて活躍したヴェネツィアの作曲家アントニオ・ヴィヴァルディは 有名な『四季』に代表される協奏曲以外にも、多くのオラトリオ、宗教歌、そしてオペラを遺しております。
オペラ『バヤゼット』は当事主流であった「パスティッチョ(複数 Pasticci)」と呼ばれる複数の作曲家の作を寄せ集めた形式で成立しており、ヴィヴァルディの他にハッセ、ジャコメッリなどもアリアを作曲しておりますが、現在はオペラとして演奏されることはほとんどなく、ヴィヴァルディによる表題曲のみがイタリア古典歌曲として広く歌われております。
ユーラシア大陸の覇者タタール帝国の皇帝バヤゼットは自らが征服したオスマン帝国のスルタンであるバヤゼットの娘アステーリアを我が物にしようとし、邪魔になった婚約者イレーネを同じく自らが征服したギリシャの王子アンドローに孤と結婚させて厄介払いしようとします。 それを知ったイレーネの悲痛な気持ちを歌ったのが、アリア「私は辱められた花嫁(spoza son disprezzata)」です。 陰鬱な物悲しいメロディに乗せられて la mia speranzaと搾り出すように彼女の嘆きが歌われます。
(S.T)
G. ドニゼッティ作曲 歌劇『ランメルモールのルチア (Lucia di Lammermoor)』より
二重唱「こちらへおいで、ルチア (Appressati, Lucia)」
ガエターノ・ドニゼッティ (Gaetano Donizetti, 1797-1848)はイタリア・ベルガモ生まれ、ベルカントの巨匠にしてベッリーニの永遠のライヴァルである。ベッリーニとは対照的に非常に多作であり、代表作には『ランメルモールのルチア』『アンナ・ボレーナ』『ルクレツィア・ボルジア』『愛の妙薬』『連隊の娘』『ドン・パスクワーレ』などがある。
『ランメルモールのルチア』は、対立する二つの家に属する恋人たちが兄の計略によって引き裂かれ、別の男と結婚させられた花嫁は発狂して花婿を刺殺し、恋人を失った男は自殺するという、動乱期のスコットランドを舞台にした悲劇。初演は1835年9月ナポリ。
二重唱「こちらへおいで、ルチア」は兄エンリーコ(バリトン)と妹ルチア(ソプラノ)の二重唱で、第2部第1幕で歌われる。一族を救うために別の男と結婚させようとする兄が、偽の手紙を妹に渡し、妹が絶望するシーン。
曲は大きく四つの部分に分かれる。
(1)書斎にいるエンリーコに呼ばれたルチアが兄の非道を責め、自分の誓いは恋人に捧げたと言い張るが、兄はルチアの恋人エドガルドの裏切りを示す偽の手紙を妹に渡す。手紙を読んだルチアは絶望の叫びを上げる。(「Appressati, Lucia (こちらへおいで、ルチア)」)
(2)激しい音楽から一転して優しい穏やかな旋律が始まる。ルチアは悲しみを歌い、エンリーコは一族を裏切った天罰だと言う。(「Soffriva nel pianto (涙に暮れて苦しみ)」)
(3)遠くから花婿の船の到着を告げるラッパと騒音が聞こえ、ルチアは動揺する。エンリーコはこの政略結婚をしなければ一族は破滅すると説明する。ルチアはあくまで結婚を拒み「おお、天よ!」と嘆く。(「Che fia!(何の音?)」)
(4)歌詞とは対照的に軽やかで楽しげな音楽に乗って、エンリーコが歌いだす。エンリーコは激しく怒り、結婚しなければ「血まみれの斧が常にお前の目の前にあるだろう!」と呪う。ルチアは死んだほうがましだとわが身の不幸を嘆く。(「Se tradirmi tu potrai (お前が私を裏切れば)」)
(R.F)
G. ヴェルディ作曲 歌曲『リゴレット(Rigoletto)』第1幕より
第5曲 シェーナと二重唱(ジルダ、公爵):「ジョヴァンナ、私後悔しているわ」-「愛は心の太陽だ」
歌劇『リゴレット』は『トロヴァトーレ』、『椿姫』と並ぶ、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)の中期の三大傑作の一つ。心理表現に重きを置く作風を確立したと言える作品です。
原作はフランスの小説家ヴィクトル・ユーゴーの戯曲『王様はお楽しみ』<Le Roi s’amuse>で、ピアーヴェの台本により、登場人物名や題名を変更し、『リゴレット』の題名で3幕4場のオペラを作曲、1851年にベネチアのラ・フェニーチェ歌劇場で初演されました。
16世紀の北イタリア、マントヴァ。好色な領主マントヴァ公に仕える醜い道化師リゴレット。愛する一人娘を隠しているが、公爵の廷臣達はジルダをリゴレットの妾と勘違いして誘拐し、公爵にさしだしてしまう。リゴレットは暗殺者を雇って公爵殺害を謀るが、公爵への愛を断ち切れないジルダは身代わりとなって絶命する。
マントヴァ公は教会で祈る美しい娘ジルダに出会い、身分を隠して家まで追いかけてくる。ジルダはその青年が公爵とも知らず憧れている。父親のリゴレットには秘密のまま、乳母のジョヴァンナに打ち明けるが、公爵は乳母を買収して家の中に忍び込んでいる。ジルダはびっくりしたものの、憧れの人に告白されて夢見心地となり、二人は愛を誓い合う。ジョヴァンナの誰か来た!という知らせに、お父さんだったら大変、立ち去ってくださいとジルダは懇願、公爵は立ち去る。
(Y.O)
G. ヴェルディ作曲 歌劇『アイーダ(Aida)』4幕より
アイーダとラダメスの死の二重唱「さらば、この世(O terra addio)」
ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi、1813年 - 1901年)は、19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽の作曲家であり、主にオペラを作曲した。代表作には『ナブッコ』、『リゴレット』、『椿姫』、『アイーダ』、『オテロ』等がある。
『アイーダ』 は、その67歳の円熟期の作品である。ヴェルディはこの後『オテロ』初演まで16年間の沈黙に入るが、『アイーダ』では絢爛たる旋律美とグランド・オペラとしての魅力が依然健在である。ファラオ時代のエジプトとエチオピア、2つの国に引裂かれた男女の悲恋を描き、ドラマティックな声を必要とするため、そうしばしば上演されないが、現代でも最も人気の高いオペラのひとつである。
エジプトの将軍ラダメスは、敵国エチオピアの女奴隷アイーダを愛し、その愛を貫徹するため、エジプトの王女アムネリスの求愛を斥けて、地下牢に赴く。そこにはアイーダが共に死のうと身をひそめていた。2人は涙に満ちたこの世との別れを告げ、新しい天地が開け、永遠の世界へと旅立つことを歌い合う。
(S.S)
G. プッチーニ作曲 歌劇『ラ・ボエーム』第3幕より
歌劇『ラ・ボエーム』はイタリアの偉大なオペラ作曲家ジャコモ・プッチーニ(1857~1924)の代表作で、19世紀初頭のパリを舞台にして詩人ロドルフォとお針子ミミの悲恋物語を軸に、貧しいながらも自由奔放な芸術家の卵たちの青春群像が生き生きと描かれ、1896年トリノで初演以来、世界中のオペラハウスで常に上演回数トップの人気作品である。
冬も終わりの頃、夜明け前のパリ郊外アンフェール門付近。雪の中をミミが一人とぼとぼとやってくる。
(1)マルチェッロとミミの2重唱「ミミ!」
ミミは、一緒に暮し始めた恋人ロドルフォが、最近嫉妬深くなって怒鳴ってばかりいるのをとりなしてほしいと、訪ねあてた彼の友人マルチェッロに懇願する。疲れ切った様子のミミに、これ以上二人が一緒にいるのはよくないと諭すマルチェッロ。そこへ昨夜遅く来ていたロドルフォが現れ、ミミは物陰に隠れて二人の会話を窺う。
(2)ロドルフォ、マルチェッロ、ミミの3重唱「マルチェッロ、今なら誰にも聞かれないで済む」
初めは、あんな浮気女とは別れることにしたというロドルフォだが、気を許した友マルチェッロにやがて、ミミは不治の肺病に冒されて日々弱っていく、自分の貧しさがあの娘を死に追いやってしまう、と苦しい真情を吐き出す。初めて自分の運命を知って泣き崩れるように出てきたミミを落ち着かせようとするロドルフォ。酒場で客と戯れる恋人ムゼッタの嬌声に怒ったマルチェッロが扉の中に飛び込んでいく。
(3)ミミのアリア「あなたの愛の呼び声に」
二人きりになり、もう別れましょうと切り出すミミ。出会った日に買ってくれたあのピンクのボンネット、もしよかったら二人の愛の思い出にとっておいてね。さようなら、恨みっこなしよ。「じゃあ、僕達本当におしまいなんだね。」とロドルフォ。
(4)ミミ、ロドルフォ、マルチェッロ、ムゼッタの4重唱「さようなら、朝の甘い目覚めよ」
でも冬に一人ぼっちは死ぬより辛い。春がきて花が咲き始める頃に別れましょう。離れがたいミミとロドルフォの一方でマルチェッロとムゼッタは罵り合いの末に派手な愛想づかし。2組のカップルのそれぞれの別れ。数あるオペラの重唱の中でも最高傑作の誉れ高いドラマチックな4重唱である。
(S.M)