■R.シュトラウス: 音楽のための会話劇『カプリッチョ』
第1場より二重唱「彼女は今日も魅力的だ」
第4場より朗読・第6場より三重唱
「私の心をこれほど燃え上がらせる人は,ほかにはいない」
リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)は,ドイツの後期ロマン派を代表する作曲家で,代表作には交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』や歌劇『ばらの騎士』などがあり,大規模な管弦楽を駆使した華麗なサウンドと,心情の機微を表現する描写力が魅力です。
『カプリッチョ』はその晩年に書かれた最後のオペラで,「何かふつうでないオペラ,作劇法に関する論文」を目指した作品です。「言葉が先か,音楽が先か」という,古くから論争の的で,シュトラウス自身も解決できていなかった問題をテーマとし,台本は,友人で指揮者のクレメンス・クラウスとの共同作業で執筆されました。
舞台は1775年パリ郊外の伯爵邸。伯爵令嬢の誕生日を祝って作曲家フラマンが作曲した弦楽六重奏曲で幕が開きます。リハーサルに聴き入る伯爵令嬢マドレーヌ。それを見つめる作曲家フラマンと詩人オリヴィエは,お互いが恋のライヴァルと分かり,「言葉か,音楽か」になぞらえて恋の鞘当てを始めます。(第1場)
オリヴィエは「ほかにはいない,私の心をこれほど燃え上がらせる人は」と恋人を賛美する自作のソネットを朗読してマドレーヌに聞かせます。それを聞いていたフラマンは,その詩に即興で曲を付け始めます。(第4場)
今度はフラマンが完成した歌曲を歌ってマドレーヌに聴かせます。そこに「音楽が詩の均整を破壊した」と憤るオリヴィエと,「詩が音楽を得たことで,言葉がさらに輝いている」と言葉と音楽の融合に感嘆するマドレーヌが加わって,美しい三重唱になります。(第6場)
オペラはこの後,舞台監督,俳優,バレエダンサー,歌手,プロンプターと,舞台芸術に関わる人物が登場し,「言葉か音楽か」について議論を戦わせますが,ついに,詩人と作曲家が協働でオペラを制作することになります。一方,マドレーヌは詩人と作曲家,二人からの求愛に答えを出さないまま,シュトラウスの“遺言”は静かに幕を閉じます。
■モーツァルト: 「クローエに」
「神童」ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1787年に作曲した数編の歌曲の内の一つ。この年はモーツァルトにとって特別な意味を持つ年であり、5月には父レオポルドが他界している。
四分の四拍子の快活なテンポで歌われるこの曲は、意中の女性への気持ちの高まりが表現されている。まさに人生の「春」を高らかに謳い上げられている。
■モーツァルト: 「ラウラに寄せる夕べの想い」
「クローエに」と同年1787年に作曲されたモーツァルトの歌曲の一つ。この年モーツァルトは9曲の歌曲を世に生み出し、さながらモーツァルトにとって「歌曲の年」とも言える。
K524の「クローエに」が人生の「春」ならば、このK523「夕べの祈り」はまさしく人生の「秋」。しっとりとした曲調で紡がれる本作品が歌っているのは、「人生の晩節」そして「無常」。
人生を「舞台でダンスを踊るよう」「巡礼の旅のよう」と譬えた歌詞は、同じく人生の時の積み重ねを「旅人」と譬えた松尾芭蕉を思い起こさせる。
■モーツァルト: 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』
第1幕より二重唱「手を取り合って」
第2幕より「ドン・ジョヴァンニのセレナード」
歌劇『ドン・ジョヴァンニ』は、モーツァルトによって作曲されました。舞台は17世紀のスペイン、放蕩者で好き放題のドン・ジョヴァンニですが、最後は殺害した騎士長の石像に地獄へと引きずり込まれて幕となります。
二重唱「手を取り合って」では、農夫マゼットの結婚式に偶然出くわしたドン・ジョヴァンニが、花嫁のツェルリーナに目をつけ、豪華な邸宅を餌に彼女を誘惑する場面が歌われます。最初はためらうツェルリーナですが、身分の高い相手からの猛アピールに最後は思わずその気になってしまいます。
「ドン・ジョヴァンニのセレナード」は、また別の女性を誘惑する場面で歌われます。従者のレポレッロと衣装を交換することによって庶民に変装(オペラによく登場する常套手段です)したドン・ジョヴァンニが、かつての恋人ドンナ・エルヴィーラの女中を誘うため、マンドリン片手に窓の下で歌います。非常に短い曲ではありますが、テンポが遅いわりに各フレーズが長く続き、息のつなぎ方や抑揚の付け方が難しい曲です。そして何より、放蕩者の貴族に”なりきって”歌うことが、まじめな日本人男性には非常に難しいといえます。
■グノー: 歌劇『ロメオとジュリエット』第2幕より
アリア「ああ、太陽よ昇れ」
シャルル・グノー(1818~1893)はフランスの作曲家で、歌劇『ファウスト』でもよく知られています。『ロメオとジュリエット』は彼の9作目の歌劇で1867年にパリのリリック座で初演され、大成功を収めました。勿論、原作はシェークスピアによる同名の戯曲です。台本は当時著名な台本作家ジュール・バルビエとミシェル・カレのコンビによって、できるだけ原作の筋立て忠実に書かれました。
第1幕、モンタギュー家の嫡男ロメオは、犬猿の間柄のキャピュレット家の仮面舞踏会に忍び込んで当家の娘ジュリエットに出会い、若い二人は忽ち相思相愛の仲となります。
第2幕、ジュリエットに再会したくて、宵闇に紛れて再びキャピュレットの屋敷に忍び込んだロメオは、庭からジュリエットの部屋のバルコニーの下に辿り着きます。
「恋よ、恋よ、おまえの熱が私に自分の魂を見失わせてしまった・・・」と戸惑いながら、明かりの灯った窓に向かって情熱を抑えきれないように、ジュリエットを夜明けの前の星々をかき消して天高く差し昇っていく太陽にたとえて詠唱します。
このあとの成り行きは勿論ご存知の通り、この若い二人の許されぬ恋は、頑迷固陋な大人たちに翻弄されて悲劇的結末を迎えることになります。
■ビゼー: 歌劇『カルメン』
第1幕より 二重唱「母の便りは」
第2幕より 二重唱「そこに止まれ!~あたしは踊ってあげるわ~お前が俺に投げたこの花は(花の歌)」
歌劇『カルメン』はフランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)の代表作で、舞台は19世紀前半のスペイン、セビーリャ。奔放なヒロイン、カルメンとその魅力に取り憑かれた竜騎兵ホセの物語です。
タバコ工場の昼休み。女工たちの中でもひときわ魅力的なカルメンから誘惑するように一輪の花を投げつけられたホセは魔法にかかったように魅入られてしまいます。
そこへ故郷からミカエラが彼の母からの手紙を携えてやってきます。母の代理といって彼女からの口づけを受け、カルメンの魔力から解き放たれたホセは、母に感謝して長く離れている不孝を詫び、ミカエラと故郷の風景を懐かしみながら、母が望む彼女との結婚を誓います(「母の便りは」)。
工場内で喧嘩が勃発。騒ぎの張本人カルメンは連行されますが、脱走しようとホセを誘惑します。「リリャス・パスティアの酒場で待っている」との言葉にホセは縄を解いてしまい、脱走補助の罪で捕まってしまいます。
1ヵ月後のリリャス・パスティアの酒場。人気闘牛士エスカミーリョが来てカルメンを口説きますが、彼女は相手にしません。釈放されたホセが、店に来るのを待っていたのです。『アルカラの竜騎兵』の歌を口ずさみながらホセが店にやってきます。カルメンは彼のために踊りでもてなしますが、帰営ラッパが聞こえたとたん帰ろうとするホセに激怒します。ホセは初めて会ったときにカルメンが投げつけた花を懐から取り出してアリア『花の歌』を歌い、しぼんでしまっても牢獄でずっとその花を手にしてカルメンを想っていたことを訴えます(「そこに止まれ!~あたしは踊ってあげるわ~お前が俺に投げたこの花は(花の歌)」)。しかし、カルメンの失望と怒りを静めることはできず、ホセが諦めて店を出ようとしたそのとき、上官スニガと鉢合わせになり刃向かってしまいます。スニガはカルメンの密輸団仲間ダンカイロらに捕らえられ、ホセは密輸団に加わる決意をします。
その後、結局ホセはカルメンの魅力から逃れられず、花形闘牛士エスカミーリョに心を移した彼女を、嫉妬の余り闘牛場の門前で刺し殺してしまうのでした。
■ドニゼッティ: 歌劇『愛の妙薬』第1幕より
二重唱「よーし,思い切って~感謝します,ああ,本当に感謝します」
ガエターノ・ドノゼッティ(1797~1848)はイタリアの作曲家で、速筆多作で知られ多くの歌劇を書き残しました。『愛の妙薬』はその中でもオペラブッファ(コミカルな喜歌劇)の部類に属し、その親しみやすさから、現在も世界中で最も多く上演される歌劇の1つといえるでしょう。
物語の舞台は18世紀末のバスク地方の田園地帯。無学で純朴な村の若者ネモリーノは村一番の美人で教養の高い地主の娘アディーナに恋い焦がれていますが、全く相手にしてもらえません。おまけに、村に進駐してきた軍曹のベルコーレという強力なライバルが現れ、とても勝ち目がありません。そこに薬売りのドゥルカマーラが村にやってきて、大げさに能書きの口上をまくしたてて万能薬と称して村人たちに売りつけます。それを見ていたネモリーノが、以前アディーナが村人たちに読み聞かせていた「トリスタンとイゾルデ」の物語に出てくる惚れ薬があれば売ってくれないか、と尋ねると、ずる賢いドゥルカマーラはとっさにボルドーワインを「愛の妙薬」と称して1ゼッキーニ金貨で売りつけます。ネモリーノはひとしきり有難がったあとで、飲み方を尋ねます。ドゥルカマーラは、いろんな奴を見てきたが、こんなお目出度い男は初めてだと嘲笑いながら、効き目が出るまで丸1日かかること、口外しないことを念押しします。「その間に俺様はここをおさらばよ」と独りごちながら。
早口でコミカルな二重唱をお楽しみください。
■ベッリーニ: 歌曲集『3つのアリエッタ』より
「激しい希求」
ベッリーニは、オペラの他に、少年の頃から一貫して歌曲を作曲しています。「激しい希求」は「優雅な月よ」と共に歌われる機会の多い「3つのアリエッタ」(Tre Atiette)の1曲です。古典的で素朴な曲ですが、飛躍の大きい装飾句が印象的な美しい歌曲です。
ベッリーニらしい抒情的な旋律で「待ち望む人に再び逢う日はいつくるのだろう」と熱き願いが歌われています。
■プッチーニ: 歌劇『蝶々婦人』第2幕より
アリア「ある晴れた日に」
手紙の場面「やっと私たちだけになりました」~「きみのお父さんにこのことを知らせよう」
『蝶々夫人』(Madama Butterfly)は、プッチーニによって作曲された2幕もののオペラ。「ご当地三部作」(「西部の娘」、「トゥーランドット」)の最初の作品である。1904年、ミラノのスカラ座での初演は大失敗だった。
1890年代の長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描く。当時の長崎では、日本に駐在する外国人の軍人や商人と婚姻し、現地妻となった女性が多く存在していた。物語は、アメリカ合衆国の弁護士ジョン・ルーサー・ロングが発表した短編小説が原作。ロングの実姉は、夫とともに長崎の東山手に住んでいた。ロングは、姉のコレル夫人から聞いた話から着想を得て、小説を執筆したとされている。幕末に活躍したイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーの妻、ツルをモデルにしたとも言われる。彼女が長崎の武士の出身であること、「蝶」の紋付をこのんで着用し「蝶々さん」と呼ばれたことに由来する。長崎の旧グラバー邸が長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にあることも、物語の設定と一致する。"
第2幕 結婚式から3年が過ぎた。ピンカートンは任務が終わり、アメリカ合衆国に帰ってしまっていた。蝶々さんは「コマドリが巣を作る頃には帰ってくる」と約束していた彼を待っていた。
そこへシャープレスがピンカートンの手紙を携えてやってくる。久しぶりの彼の訪問を子供のように喜ぶ蝶々さん。その姿に大事な用件を言い出せずにいるうちに、大金持ちのヤマドリ公爵がゴローの案内でやっきて、ゴローと共に、帰ってこないアメリカ人のことなどあきらめなさいと口説く。あくまでもピンカートンの妻であると信じ込んでいる蝶々さんは聞く耳を持たず、ヤマドリ公爵はすごすごと帰っていく。
やっと二人になったところでシャープレスはピンカートンの手紙を読みはじめる。そこにはアメリカで正式に結婚したピンカートンが近々夫人を伴って日本にやって来る旨が書かれている。しかし最後まで読まないうちにピンカートンの帰国を悟った蝶々さんのあまりの喜びように、シャープレスは真実を告げることが出来ない。
そして、シャープレスがピンカートンが帰ってこなければどうするのか、と蝶々さんに問うと、芸者に戻るか、自刃するしかないと答え、困惑したシャープレスが「ヤマドリ公の申し出を受けてはどうか」と勧めると、「あなたまでがそんなことを言うのか」と怒り、シャープレスに彼女とピンカートンとの子供を見せる。蝶々さんは子供に語りかける形で、ピンカートンに見捨てられたら今更芸者に戻るわけにもいかず死ぬしかないのだと涙ながらに胸の内を語る。(アリア「お前の母は」)、「わが夫がこの子を忘れようか」と言い放ち、「子供のために芸者に戻って恥を晒すよりは死を選ぶわ」と泣き叫ぶ。あくまでもピンカートンの妻であると信じ込んでいる蝶々さん。シャープレスはいたたまれずに去っていく。
■ベッリーニ: 歌劇『夢遊病の娘』第1幕より
二重唱「この指輪を受け取って」
ヴィンチェンツオ・ベッリーニ(1801~1835)はシチリアのカターニャが生んだ天才肌の作曲家で、その短い生涯の間に10作の歌劇を書き残しています。そのリリシズムに溢れた優雅で流麗な旋律は同時代の作曲家たちに大きな影響を及ぼし、ことにピアノの詩人ショパンが彼に強く傾倒していたことはよく知られています。
『夢遊病の女』は1831年ミラノのカルカーノ劇場で初演され大成功を収めました。当時の歌劇は歴史的悲劇に題材を取ったものが多かったなかで、スイスのチロル地方の山村を舞台にした牧歌的でハッピーエンドの筋立てが一般大衆に受け入れられました。
第1幕、村の裕福な自作農の青年エルヴィーノと水車小屋の養女アミーナが明日は教会で正式な結婚式を挙げることになっています。今日は公証人を呼んで結婚の契約を行う目出度い日、広場には二人を祝うため村人たちが集まっています。母親の墓前に結婚の報告を済ませ少し遅れてやってきたエルヴィーノが、アミーナに母の形見の指輪を贈ります。
「受け取って、この指輪を。これは昔祭壇で母に捧げられたもの、母も僕達の愛を微笑んで見守ってくれているよ」と歌いかけると、アミーナは感激に震えながらそれを受け取り、夫婦となる喜びに浸りながら永遠の愛を誓い合う二重唱へと移行します。
しかし、このあと物語は意外な波乱の展開を見せます。アミーナにあろうことか不貞の疑惑が持ち上がり、この結婚は破談となってしまうのです。紆余曲折の末、それが夢遊病という病気にアミーナが罹っていたせいだとわかり、一挙に誤解が解けて目出度く二人が結ばれて幕となります。
■ベッリーニ: 歌劇『清教徒』第1幕より
アリア「愛らしい乙女よ」
『清教徒』はベッリーニが作曲した最後のオペラです。舞台はクロムウェル率いる清教徒・議会派とステュワート王党派とが対立していた17世紀半ばのイギリスです。王党派の騎士アルトゥーロに恋するエルヴィーラは、清教徒軍の首領である父親ヴァルトンの意向で大佐リッカルドと結婚することになっていましたが、伯父ジョルジョの説得によって、アルトゥーロとの結婚が許されます。しかしながら、アルトゥーロは結婚式当日、使命感から、ヴァルトン卿の城に拘束されている先の王妃エンリケッタを救出し、逃走します。それを知ったエルヴィーラは正気を失い、狂乱します。王妃を無事に逃したアルトゥーロは、密かに舞い戻り、エルヴィーラに事情を話します。誤解が解けたエルヴィーラは正気を取り戻します。しかし兵士の足音が迫ると、エルヴィーラは再び狂乱してしまいます。兵士たちがアルトゥーロを取り囲み、謀反の罪で極刑が宣告されます。刑が執行されようとする寸前、ステュアート王朝崩壊によりすべての政治犯に恩赦を与える旨が宣言され、アルトゥーロも赦免され、晴れて二人は結ばれます。
アリア「愛らしい乙女よ」は、第1幕で、エルヴィーラと結婚することになったアルトゥーロが、エルヴィーラへの愛を込めて歌う、美しい旋律のアリアです。オペラでは合唱を伴う四重唱ですが、しばしばテノールのソロ曲としても歌われます。
■プッチーニ: 歌劇『ラ・ボエーム』第1幕より
アリア「冷たい手を」
アリア「私の名はミミ」
二重唱「麗しい乙女よ」
ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)は,ヴェルディと並ぶイタリア・オペラの代表的作曲家です。『ラ・ボエーム』は『トスカ』,『蝶々夫人』などとともに,今日でも最も多く上演されています。
初演は1896年,舞台は1830年代のパリ。第1幕はボヘミアン仲間が暮らす屋根裏部屋。クリスマス・イヴなので,若者たちは外に食事に出ますが,詩人のロドルフォだけやりかけの仕事を終えてから,と一人残っています。そこへ,屋根裏部屋に住むお針子のミミがローソクの火を借りに来ます。胸を病むミミが咳きこんでしまい,介抱するロドルフォ。ミミは礼を言っていったん立ち去りますが,鍵を落としたといって戻ってきます。戸口の風で二人の燭台の火が消えてしまい,二人は月明りのなか鍵を探します。
ロドルフォが先に鍵を見つけますが,彼はそれを隠してミミに近寄り,彼女の手を取ります。はっとするミミに,≪貴女の冷たい手を温めさせてください,僕は夢という宝を生む詩人で,心は億万長者です,今その宝を,美しい瞳という盗人が盗んでいきました。でも気落ちしていません。代わりに甘い希望を与えられたから≫と彼女に一目で惹かれたことを語り,彼女にも自己紹介をするよう促します(「冷たい手を」)。
それに応えてミミも,≪私の名はルチア,でもみんな私をミミと呼びます。≫とひとりぼっちのお針子の暮らしについて語り始めます。小さな私の屋根裏部屋には太陽や春が最初にやって来てくれる。甘い魔力で愛や春,夢や幻を語ってくれる詩のような花は大好きだけど,私が作る花には香りがないの≫と。(「私の名はミミ」)。
クリスマス・イヴの街に繰り出す前に,ロドルフォは,≪おお,麗しい乙女よ,輝きはじめた月の光に優しく包まれた優しい面影,貴女の中に僕がいつも夢見ていたかった夢がある! ≫と歌い,ミミは≪ああ!愛よ,おまえだけがそうさせるのね!おお!なんと甘く愛の喜びが心にしみるのでしょう≫と和し,ふたりは腕を組んで仲間の元へ出かけていくところで第1幕の幕が下ります(「麗しい乙女よ」)。