悪魔が来りて笛を吹く(1979)
これは大昔に一度テレビで見た。他の映画に比べると、テレビ放映は少ないのでは?されてれば感想書いたはず。テレビシリーズの印象がよかったので、期待して見たが結果は何じゃこりゃ。大いに失望。長編を2時間あまりにまとめるのだから、あちこちいじくるのも仕方ないが、この映画の場合芯がなくふらついた感じ。西田敏行氏の金田一もビミョー。彼の軽さと金田一の軽さは違うと思う。昭和23年、天銀堂事件の容疑者として一時疑われたことのある椿元子爵が青木ヶ原樹海で自殺。それから三ヶ月、妻の秌子ら四人が椿らしい人物を目撃。自殺を図ろうとした女性とそれを止める男性。出血(流産)と水子地蔵。見せすぎだってば~!!おまけに変な悪魔(の人形?)。もうこれだけで出来が予想つく。出演者はすごい。出てきては消え、出てきては消え・・普通なら重要な役やりそうな人達を、惜しげもなく使い捨てる。椿が仲谷昇氏・・セリフあったっけ?秌子が鰐淵晴子さん。美しくはかなげで浮世離れしたお嬢様。テレビシリーズの草笛光子さんより鰐淵さんの方が合ってる。利彦が石濱朗氏、妻の華子が村松英子さん。華子のキャラは何じゃこりゃ。息子の一彦はカット。玉虫が小沢栄太郎氏、菊江が池波志乃さん。池波さんのけたたましい笑い声がこの映画の品を一段と落とす。いや別に池波さんが悪いわけじゃなく、設定した人がアホ。信乃が原知佐子さんだが、若すぎる感じ。目賀が山本麟一氏、三島が宮内淳氏で、種が二木てるみさん。警察側は等々力が夏八木勲氏、山下が藤巻潤氏、沢村が三谷昇氏。金田一が居候しているのが梅宮辰夫氏扮する風間の家。風間の妻が浜木綿子さん。天銀堂店長が中田博之氏、須磨の三春屋のおかみが中村玉緒さん、お玉が京唄子さん、妙海尼が北林早苗さん、和尚が加藤嘉氏、闇屋が穂積隆信氏、電報局局員が秋野太作氏。他に横溝正史氏や角川春樹氏も出ているらしい。びっくりするのは中村雅俊氏の登場。彼の方が金田一似合いそう。美禰子は斉藤とも子さん。これがまたメソメソした型通りのヒロイン。美禰子は母親のような美貌ではない。また、戦争によって華族という家柄もほとんど無意味に。母や伯父のような芯のない寄生虫のような生き方ではだめなのだ。自立しなくては。原作での美禰子はそういうキャラ。斉藤さんの美禰子は可憐だが、過酷な状況から一歩を踏み出す代わりに金田一を思慕する。日本映画ってどうしてこうなるのかいな。
悪魔の手毬唄(1961)
高倉健氏が金田一・・見る前から似合わなそ~!岡山の鬼首村に流行歌手の須磨子が帰ってくるが、途中で殺される。あらまあ・・もうここで違う。その後も何じゃこりゃの展開。手毬唄とか亀の湯、毒のある花など、ところどころうっすらと原作の面影はあるものの・・。金田一はサングラスにオープンカーで颯爽としている。ダンディー(死語)、スマート(半死語)。今更ながら76年の「犬神家」で原作に近い金田一を出してきたのは画期的なことだったんだなあと思う。75年の「本陣」でもまだサングラスにジーパンだったし。さて、村の有力者仁礼剛造は評判が悪い。長女の須磨子に続き、長男の源一郎も殺され、末の里子は自分も狙われているようで不安だ。亀の湯には金田一の他、里子の大学友達遠藤も泊まっている。客は湯治目的の老人が多いが、そのうちの一人石山は謡が趣味のようで。部屋から謡が流れてくるが、この時点でもうテープレコーダーでアリバイ作りだなとわかる。捜査にしても推理にしてもまともなシーンはほとんどない。手毬唄の内容は関係なし、放庵からもお告げをするという老婆からも何も情報がない。剛造にしても辰蔵にしても何も知らん、あっちへ行け・・そればっか。金田一に対してだけでなく、警察にも話さないし、助けも求めない。要するに作り手の側に何もはっきりしたものがない。何でも脚本家は原作を読まず、あらすじを口伝えに聞いただけで書いたらしい。どうりでねえ・・。何もはっきりしたものはないのに、都会から来た探偵がいつの間にか解決して終わり。ラストで健さんの顔の下半分がひきつるけど、もしかしてあれが笑顔なんでしょうか。画面がゆがんだようで、ホラー映画かと思っちゃった。須磨子役八代万智子さんは「プレイガール」などで知られる。なかなかの美人。磯川警部は神田隆氏。悪役じゃない氏を初めて見た。いい声してる。山本麟一氏演じる栗林は、やなやつなんだけど何だかかわいい。里子役志村妙子は何と後の太地喜和子さん、遠藤役小野透は後のかとう哲也氏(美空ひばりさんの弟)だ。
悪魔の手毬唄(1977)
テレビシリーズと2時間ドラマとこれと・・三回目か。鬼首村で起きる連続殺人事件。これには20年ほど前の未解決殺人事件が関係しているようだが・・。リカ(岸恵子さん)へのほのかな思いもあって、磯川警部(若山富三郎氏)は一人でずっと捜査を続けている。それがリカにとってどんなに迷惑なことか知るよしもない。リカの息子歌名雄(北公次氏)は泰子と愛し合っているが、リカは大反対である。まあ詳しいことは(三度目でもあるし)省略。監督は市川昆氏で脚本は久里子亭・・ってクリスティーかよッ!!まあ・・何ですな、寅さん映画みたいなもんです。いつもの顔ぶれがいつもの演技していつもの笑いを取る。粉薬、おっそろしく無愛想な奥さん、地獄の底から聞こえてくるような白石加代子さんのしゃべり(いつもは嫌なんだけど、今回はなぜかよかった)。歌名雄の北氏は演技が下手とか大根とか書いている人もいるが、私はなかなかよかったと思う。原作だともっと体つきががっちりしていて、目鼻立ちもくっきりと男らしいタイプ。北氏は線が細く、都会的な感じ。でも、なぜこうもうまくいかないのか、なぜこんな目に会わなきゃならないのか的ムードはよく出ている。あと、母親に押さえつけられているような弱さも。あまり大柄でたくましい感じだと、こんなふうにうじうじしてたりせず、さっさと都会へ駆け落ちしそう・・となる。泰子役は高橋洋子さんだが、里子役永島暎子さんと区別がつかない。私は高橋さんが里子役だとずっと思ってた。いつものことだが、犯人はどんなに人を殺しても悪く描かれない。残酷な運命にもてあそばれた薄幸の美女ということにされる。他に方法がなかったと弁護される。実の娘まで殺してしまった時も、この上なく美しく驚く。もちろん死ぬ時も美しくはかなく神秘的に。どうも見ていてこれはおかしいんじゃないの?・・と思いっぱなし。前にも書いたけど20年前の事件の後で村を出ればよかったのにめんどくさがって(←?)出なかった。泰子や文子との結婚を阻止するためには自分が殺人犯であることを明るみに出さなければならない。でもつかまるのは嫌だから代わりに泰子達を殺すことにした。結局は自分かわいさ。放庵が彼女の弱みにつけ込んで暴行するシーンがあるが、原作にはなし。放庵がいかに卑劣で、殺されても仕方ないような男かを強調する。まあ・・全体的には普通の出来。幼女(人形?)が毬をつくシーンはよかったし、哀愁を帯びたテーマ曲もよろしいが、それだけ。
悪霊島(1981)
横溝作品はいつもなら感想スラスラ書けるのに、今回は三度目、清書も入れれば四回目と難産。ストーリーなぞってもしょうがないし、原作と比較してもしょうがない。一番印象に残ったのはキャストなのだ。冒頭のジョン・レノン殺害のニュースで、まずずっこける。五郎の独白が入るが、古尾谷雅人氏のセリフは聞き取りにくい。後で出てくる大膳役佐分利信氏も、それ以上に不明瞭。説明役なのにまずいだろッ!鹿賀丈史氏の金田一は若すぎる。磯川警部(室田日出男氏)との出会いは昭和12年の「本陣殺人事件」。刑部(おさかべ)島での事件は1969年という設定だから、金田一はもう老人のはず。あの、まだ何も決まっていなかった、69年の自分捜しの旅。それから10年たち、レノンが殺され、青春のシンボルが消えた。日々の生活に追われ、自分にも青春があったなんて忘れていた五郎だが、ある出来事をふと思い出す。・・そういう感じで始めたかったのか。鹿賀氏は丸まって寝ているところとか、ちょっとなよっとしているところとか、なかなかいい感じ。「本陣」で金田一やってた中尾彬氏が出ているのもうれしい。巴役は岩下志麻さんで、すばらしく美しいが、双子の姉ふぶきを出してきて、原作とは一線を画そうとの試みは大失敗。大膳が巴に恋情を抱いているとか、大膳は不能だとか、何で金田一はわかるのかいな。石橋蓮司氏扮する吉太郎のキャラがあいまいなのも失敗。岸本加世子さんの片帆、真帆もミスキャスト。伊丹十三氏の越智にも魅力なし。神楽の一座の一人誠役は氏家修氏・・そうそう、昔この人いたよなあ。弟の勇が草間正吾氏・・そうそう、この人もいたいた。甘く女性的な顔立ちで・・。二人とも今はどうしているのかしら。他に猿回しの村崎太郎氏がちょこっとうつった。五郎が磯川の息子だったという衝撃的な事実はカット。彼は実の両親を捜していて事件に巻き込まれたのだが、結局うやむやのまま。とは言え、ラスト磯川と五郎が乗った車のそばを、金田一がフラフラと歩いて通り過ぎるところはよかった。1980年・・五郎は普通のサラリーマンになったけど、たぶん金田一はあのままで、今もどこかを放浪しているのだろう。瀬戸内の風景は美しく、連絡船も風情があっていい。平家の落人伝説や、島の祭りで、弓の的が「源氏の目」というのは、近藤正二著「長寿村ニッポン紀行」にも出てくる。瀬戸内海ではなく、三重県の話だけど。
犬神家の一族(1776)
金田一を主人公にした映画は全部見たわけじゃないけど、たぶんこの作品が一番出来がいいのではないか。キャストは申し分ないし、音楽もいい。セット、風景もすばらしい。暗く沈んだ感じと、明るく澄み渡った感じのバランスもいい。血なまぐさいけどコミカルなところもある。もちろんところどころやり過ぎな部分はある。菊乃の家に押しかける三姉妹の白塗りの顔、金田一の目のクローズアップ。生首の張りぼて感や、湖で逆さになって見つかる死体のそばにヒモのようなものが見えること。佐兵衛が松子を操るみたいなオカルトムードも余計だ。あと、一人いやに演技のへたくそな刑事がいたが、角川春樹氏らしい。何度見ても何で琴の師匠を原作通り菊乃にしなかったのか・・と思う。それだと菊乃と静馬の悲しい運命が強調されて、松子と佐清の感動的な対面がかすんでしまうからか。それにしても珠世の取る行動には疑問が尽きない。彼女は佐清と恋仲だったので、復員すれば結婚・・と単純に考えていたはずだ。やさしくしてくれた佐兵衛が死んだのは悲しいが、自分は犬神家とは関係ないから、相続問題に興味はない。ところが、佐清は戦争であんな顔になっちゃったし、遺言は自分に圧倒的に有利なふうになってるしで、わけがわからない。とは言え彼女がいつまでも態度をはっきりさせないせいで、次々に殺人が起きる。何もいりませんとさっさと身を引かないのは、やはり財産が欲しいからか。佐清はニセモノだと確信しているが、そのくせ黙っている。彼女が言っていれば、その後の犠牲者は出なくてすんだ。指紋のことを佐武に相談するのも変。なぜ弁護士か警察に言わないのか。松子は松子でよく考えもせず人を殺して回る。おっちょこちょいとしか言いようがない。佐清だって最初からちゃんと姿現わしていれば。・・まあそれじゃあ映画にも小説にもならないけどさ。珠世役島田陽子さんの美しさが印象に残るが、坂口良子さんのおはるもいい。かたや散歩かボート漕ぎしかやることのないお嬢様、かたやくるくると働き、フトンの打ち直しでもしたのか、大きな風呂敷包みを背負って走る、たくましくも健康的な女中さん。おはるの方が幸せに思えるのは私だけ?
犬神家の一族(2006)
30年ぶりのリメイクだけど、ヒットしたんですか?30日に行ったらガラーンとしていて、えッお客どこ?って捜してしまった。前の方に数人しかいない。・・その後少し入って、最終的には20人くらいですかね。年末は映画どころじゃなくて、お正月になってからこむんでしょうか。旧作が公開された時は私もまだ子供で・・ってウソですけど、まだ独身で、田舎に帰った時母と一緒に見に行きましたの。映画館はごちゃごちゃで、その中には電器屋のオジさんもいて、評判だからどんなものかと思って見にきたんですよ・・とか、そんなこと言ってた。そのオジさんも私の母もその時の映画館もみんななくなってしまった・・。元々私の母が小説好きで、家の中には文庫本がころがっているから、私も読んで内容はすでに知っていた。だから映画を見た時には内容が変更されているのにびっくりしたし、今回リメイクされたのを見て、やっぱりそのまんまなのにまたまたびっくりした。私だったら不自然な設定や描写は変更するけどな。琴の師匠が出てきた時には原作読んでる人全員「青沼菊乃だ!」と確信するけど、今回も別人のまま通り過ぎちゃう。松子夫人が亡父佐兵衛に精神的にあやつられているっていうふうに描写するのは、そうでもしないと佐兵衛の影響力が伝わってこないからだろう。まあ30年前はオカルトブームだったし・・。原作での松子夫人の行動はすべて息子かわいさから来ている。佐兵衛の霊に取りつかれて・・なんていうのはなし。それで十分だと思うけどなあ・・。三姉妹が菊乃を襲うところは旧作では確か白塗りで、見ていて何じゃこりゃ・・と思ったものだ。今回も似たようなもので・・。そりゃその頃は三姉妹もまだ若かったはずで、富司さん、松坂さん、萬田さんがそのまま演じるのはムリなんだけどさ。突然白塗りやらマスクやらスローモーションやらになるのは、見ていてやっぱりヘンです。犬神家の事業が生糸ではなく製薬業なのはいいとして、アヘンを栽培して大儲け・・というのは余計な設定だ。戦争・軍部・アヘン・大儲け・・とくるなら医療用モルヒネで大儲け?って思うけど、そこらへん何の説明もされない。戦略にアヘンを使うってこと?戦時中実際にそういうことあったんですか?いちおう残酷なシーンあるけど生首とか「すみませーん、30年たってるんですけどその程度?」って歎息したくなる。学芸会の小道具かよ。「陰陽師」思い出す。
犬神家の一族2
正直言って30年たってなぜ同じものを作るのか、作る必要あるのかという気はする。顔ぶれが変わり(中には同じ人もいるけど)、描写ちびっと変わり(いやらしいシーンほとんどなし)。音楽も少しは変わっているんだろうなあ。でも全体的にはほとんど前のまんま。懐かしさ、居心地のよさ・・みたいなものはある。変な言い方だけど血まみれだけどくつろげる・・みたいな。それってやっぱり大部分は石坂氏のおかげ。金田一はやっぱりこの人でなきゃ。原作では35、6という設定なので、旧作の方が年齢的にはぴったりなんだけど、でもやっぱり今の石坂氏の方がぴったりなんだよなあ。人生のあれこれ経験していて、でもまだ精神的にはみずみずしさ保っているという・・。名探偵のわりには事件は最後まで行ってしまう(未然に防げたら映画にも小説にもならないんだけどさ)。犯人無事に(?)死なせちゃう。どっちかと言うとヘボ。決して無欲でもない(美女は気になるし、お金も欲しい)。でも彼はそよ風のような人。ふらっと現われる。そよ風が吹いて事件の流れが少し変わる。決して事件を吹き飛ばしてしまうような強い風ではない。彼が現われたことで人々は多くの場合安らぎを感じる。暑い時にふと首筋に感じるそよ風は、暑さそのものを消し去ってはくれないが、いらつく気分を少し和らげてくれるかもしれない。金田一がいなかったら事件は迷宮入りになっていたかもしれないし、別の人が間違って逮捕されていたかもしれない(映画では警察は無能なものとして描かれる)。事件が解明された後も、もたらされたカゲが一気に晴れるわけではない。殺された者は生き返らないし、恨みや悲しみはいつまでも残る。事件後のことに関しては金田一は無力である。しかし人々は彼を思い出す度に心が軽くなるだろう。彼自身は、通り過ぎた風が二度と戻ってこないようにふらっと姿を消してしまう。・・メルヘンだなあ・・。そりゃあねえ、ゴローちゃんがやればもっとたくさんお客入ったと思う。こんな空席の列じゃなくて・・。若い女の子でいっぱいに・・。私もゴローちゃんの金田一スクリーンで見てみたい!年齢的にもぴったりだし。・・でもやっぱこの映画のトーンで行くと石坂金田一しか考えられない。沈んだ感じの青・・そこに赤とか白がくっきりと・・。血の赤は明るすぎてリアルに見えなかったけど。
犬神家の一族3
公開前シネコンで「犯人はあなたですね」キャンペーンみたいなのをやっていて、原作読んだ人旧作見た人は犯人全員知ってるわけで、こんなキャンペーンやるってことは、別の人犯人にするのかな・・なんて勘ぐってみたりしたけど・・同じでしたな。松子夫人役富司さんは旧作の高峰さんと違って骨と皮と筋。首の細さがやたら目立つ。しかし原作では「細いながらも竹のように強靭な体質」となっているので、富司さんの方が原作に近いのである。他にも松坂さんの竹子は「小太り」「二重あご」「精力的」だからぴったり。萬田さんの梅子は姉妹の中で一番「美しい」が、「底意地の悪そうな点でも三人のうちで一番」だからまたまたぴったり。よく考えられた配役ではあるのよ。しかし見た感じではやはり松子夫人はもっと堂々とした体格の方がよかったのではと思ってしまう。何しろ松子夫人は内に秘めているものが並たいていの量じゃないし、外からの攻撃に対してもびくともしないってふうでなければならないのだ。鳥のガラみたいな富司さんより、どでーんとかまえた高峰さんの方がやっぱり合っているんだよなあ。佐清役の尾上菊之助氏とは母子共演てわけですな。映画の前には「愛の流刑地」の予告かかったし・・一家総出ですな(お父さんは?)。菊之助氏はかなり後まで素顔見せない。静馬との二役。初めて顔見せるところでは何かぽてっとした感じで・・。私菊之助氏見るの初めてなんですよ。海老蔵氏みたいな顔なのかなあ・・ってかってに想像していたんだけど、何かぽてっとしていて。体そんなに大きくないし、顔と言うか頭でかいし・・まず思ったのは誰かに似ているなあ・・ということ。特に目のあたり・・そう、ジェームズ・スペイダーに似ているじゃん!もちろん若い時のもっとやせている時の・・だけど。何かあちこちに思いが飛ぶんだけど、何しろストーリー知ってるから頭使う必要ないわけ。セリフや描写の裏を読む必要全然なし。ギャグまで同じなんだもんドキドキのしようがない。そのぶん目の下がぽこっとふくらんでいて、唇はすねたようで、ほっぺはぷっくりしていて・・何かかわいいよなぁこの佐清クンは・・。ちょっと抜け殻になってるのもこれまたスペイダー風でいいわあ・・なんてね、暗闇でにんまりしていたわけですのウヒ。旧作ではあおい氏がやっていて、彼も体は大きくなくて童顔で・・。
犬神家の一族4
顔も体つきも丸くて、栄養がよすぎるような・・。でもそのはちきれそうな感じが逆によかったりして・・。悲しみや後悔や絶望ではちきれそうに見えるから。変な言い方だけどなまなましくてよかった。ゴムの仮面が生気を感じさせないのと対照的で。それにくらべると今回の佐清クンにはあんまりなまなましさはない。体つきもきゃしゃで、育ちのいいお坊ちゃま風。発散するものがなくて地味。あおい氏の動物的に対して植物的。それでも私はずーっと菊之助氏ばかり見てましたけどね。遺産争いとかそういう醜さとは別のところにいるでしょ彼って。戦争終わったのに気持ちの切り替えができないバカ正直さ、不器用さ。はあ・・それにしてもねえ・・珠世役は何で松嶋さん?彼女だと演技の心配はないし知名度も十分だけどフレッシュさはゼロ。類まれな美貌のはずなのにどう見たって学校の先生か役場の事務員。深窓の令嬢には見えん。年齢いきすぎ、背高すぎ、佐清とのバランスも悪い。どう見たってしっかり者の姉さんと甘えんぼの弟。恋人どうしには見えないんだぜい。脱ぎっぷりも悪い・・と言うか全然脱がん。旧作のちらりの美学は・・ロマンは・・色っぽさはどこへ?でも原作での描写は松嶋さんの方が珠世そのまんま。少し長めにカットして先をふっさりとカールさせた髪とか、ふくよかな頬とか、のびのびした体の線とかね。それでいてちっとも原作の強調する恐ろしいほどの美しさにはならないのよ、何で?やっぱ彼女には神秘的なところがないせいかしらね。健康的であけっぴろげ。「この世の者とは思われない美女」ではなく、「隣りのきれいなお姉さん」なのよ。結婚して子供もいるって我々にはわかってる。もっと知られていない「誰?この美女は・・」って思うような女優さんの方がよかったのでは?もう一人深田嬢がホテルの女中はる役で出ている。原作だと名前すらない軽い役だが、映画では金田一の手伝いをしたりする。原作にはいつが舞台なのかはっきり書いてないが、映画は確か昭和22年になっていたと思う。原作では10月18日に金田一がホテルにやってくる。何でこんなことを書いているかと言うと、ゴローちゃん主演でテレビで放映したばかりの「悪魔が来りて笛を吹く」事件が解決したのが、原作では昭和22年10月11日なのである。
犬神家の一族5
つまり金田一は前の事件が終わってすぐこっちへ来たのだ。かなりの売れっ子で忙しいのだ。そのわりにはお金に困っていたようだが、謝礼がもらえなかったかちょっぴりだったのだ。ついでに言うと深田嬢は、昭和22年にはとてもいそうにないくらいスタイルがいい。物資が不足しているだろうに真っ白なブラウスを着ている。きっと新品だろう。毎日新聞の批評には「好演」とか「何とも言えない憩いになっている」とか書いてある。確かに彼女は演技はともかく、独特の雰囲気は持ってる。「陰陽師2」では最後にはまるで聖母マリアか菩薩のようになっていたが、特に男性にはそう見えるのでは?さて・・今回も信州の景色は美しかったな。澄んでいるから人間達の醜いドロドロが余計際立つ。別に佐兵衛の霊にあやつられなくたって(あれじゃ二重人格じゃん)、財産欲しさ子供かわいさでいいじゃんよ。エゴイストでいいじゃんよ。戦争のもたらした悲劇強調するのはいいけど、描くのにたっぷり時間割いて、そのぶん大事なこと省略している。予告で盛んに出てくる湖につかった死体。あれは何であんな格好をしているのか。原作読んでない人のために説明すると、「斧、琴、菊(よきこときく→良きこと聞く)」は犬神家の三種の家宝で、殺人事件はいずれもそれをもじって行なわれている。そのうち菊と琴は菊人形、琴糸として出てくるが、斧の方は・・。映画では斧で殺していたけど、あんなに返り血浴びて後始末どうするんだよ・・って感じ。その後で死体がああいう格好させられている理由は?原作では斧は使わない。佐清(実際は佐清ではないが・・)の体の上半分を水につけるから見えるのは下半身。つまりスケキヨの下半分でキヨ。しかも逆さになってるからヨキ・・と、こういうことですの。ちなみに斧(よき)とは古語で手斧のこと。佐清に化けた静馬が、珠世と結婚して財産一人じめにしてやるぅなんて宣言しているのも原作とは違う。最初はそのつもりだったけど、途中から結婚を渋って松子夫人を困らせる。それと言うのも静馬は佐兵衛の息子、珠世は佐兵衛の孫、つまり叔父と姪になるので、二人は結婚できないんですよ。金田一は途中で系図を書いて人物関係を整理していたから気づくはずなんだけど・・。まあとにかく普通に楽しめる映画だったけど、旧作の方が好みかも。島田さんの珠世は信州の風景に負けないくらい美しかったしね。
吸血蛾(1956)
こんな映画があるなんて全然知らなかった。以前テレビドラマでやったことがある。金田一が愛川欽也氏で、文代が大空眞(真)由美さん、徹が田村亮氏。詳しい内容は忘れたが、期待して見始めたものの肩透かしもいいとこで、がっかりさせられたのだけは覚えている。調べてみたら1977年の土曜ワイド劇場。今みたいな2時間ではなく、90分枠。「吸血蛾・美しき愛のバラード」・・題名聞いただけでウゲゲ。こちらの映画を見て驚いたのは、ほぼ原作に忠実なこと。最後の方で変わってくるけど。オープニングの音楽は、まるで怪奇映画のよう。最初にうつる東京の夜景は、今見るとずいぶん暗い。でも当時の人には明るく見えたんだろうな。ニューモード全国コンクールをやっていて、美しいモデル達が華やかなドレスをまとって歩く。伊藤絹子さんが特別出演しているらしいが、みんなきれいだ。一番前の席にいる白髪のジイサン(東野英治郎氏)は常連で、なぜかブスッとした顔をしている。浅茅文代(久慈あさみさん)の店ブーケのマネージャー徹(有島一郎氏)は、妙な男から文代にと小箱を渡される。名前は言わず、マフラーを取ってギザギザの歯を見せる。箱のなかみはリンゴで、歯形がついており、それを見た文代は失神する。金賞をとった祝いの席からも早々に退席し、変装して出かける。モデル達はあのいやなジイサンの仕業だと怒るが、新聞記者の川瀬(千秋実氏)によると、彼は江藤という昆虫学者で、特に蛾の研究をしているらしい。ある洋館に入った文代。あとをつけてきた徹が入口でウロウロしていると、声がして覗き窓からギザギザの歯が・・。びっくりする徹だが、なおも様子をうかがう。翌朝目覚めた文代に一通の手紙。彼女はパトロンの長岡に無心して10万円をもらい、手紙で指定された上野公園へ。現われた男が持っているのはデザイン画。どうやら文代は密かにこの男からデザインを買っているらしい。一方文代に妙な呼び出しがあるが、モデルの加代子が文代のフリをして出かけ、二人組の男に拉致されてしまう。その後死体となって文代の店に届けられる。モデルの和子もいなくなり、川瀬は弓子と一緒に江藤宅を訪ねることにする。弓子はモデルの中では一番若手で、川瀬に好意を抱いている。
吸血蛾2
原作だと川瀬は文代の才能や年増の色気に引かれているのだが、弓子と一緒に行動するうちにだんだん引かれ始める。しかし映画ではそういうロマンス的なものはなし。弓子が何かと川瀬と一緒にいたがるのは好きだからだが、川瀬の方は何も気づいていないようだ。洋館の近くで二人組の男とすれ違うが、弓子はオーバーや手に血がついているのに気づく。今ぶつかった男のせいだ。出てきた江藤には追い返されるが、不審に思った川瀬は警官を連れて戻る。ここの女中にも来てもらい、立ち会ってもらって家の中へ。これが・・暗くてよく見えないんだけど、レンガ造りでそっけない感じで。廊下があって横の部屋には蛾の標本がずらり。地下へ下りて奥の暖炉のある部屋を見てそのまた奥の部屋へ。ここで終わりかと思ったらさらにドアを開けて奥へ。いったいどこまで続いているのかとゾクゾクする。浴室で見つかったのは和子の死体。両足がないのはあの二人組が持ち去ったからだ。その血が弓子についたのだ。しかし江藤の姿はない。警察が駆けつけ、等々力の前にやっと金田一(池部良氏)が現われる。川瀬が呼んだのだ。90分の映画で、もう半分くらいたっている。出てくるのが遅すぎる。池部氏が金田一やってたなんて知らなかった。帽子をかぶり、コートを着ている端正な顔立ちの金田一はアラン・ラッドのように見える。白黒映画だからなおさらだ。さて近くには穴も掘ってあった。きっと和子の死体を埋めるつもりだったのだ。川瀬達が来たので中止し、逃げ出したのだ。中で見つかったデザイン画は日下(中北千枝子さん)が発表したドレスのものだ。彼女は文代が登場するまではファッション界の第一人者だった。パリ帰りで自分でもモデルをやる美しい文代を妬み、ライバル心を燃やしている。自分の弟子だった徹が文代のところへ移ったのも気に入らない。一方川瀬は電話で呼び出されて浅草へ。例によって弓子もついていく。ステージで踊っている女性は堂々としていてなかなかよろしい。ストリップかと思ったが、そこまで行かなかったな。次に数人による上半身を見せない足だけの踊り。実際にこういう踊りがあったのか。もちろん中の二本は本当に足だけ・・つまり和子の足。で、大騒ぎになる。ここまでちゃんと映像化してくれるとは・・驚いた。
吸血蛾3
その後文代が告白したのは伊吹のこと。パリで勉強中画家の伊吹と知り合い同棲を始めるが、だんだん彼の様子がおかしくなってくる。いわゆる狼憑きというやつだ。伊吹はスペインで行方不明になり、死んだものと思っていたが、突然現われて復縁を迫り出した。原作では文代はパリ帰りのデザイナーとして成功するが、実はデザインしたのは伊吹。彼女には全く才能がないが、伊吹にはなぜかその方面の才能があった。惚れた弱味で文代にせがまれるままデザインしてやっていたのだが、ある程度それがたまると、もう用なしとばかりに山から突き落とし、行方不明ということにしたのだ。デザインのストックが底をついてきたので、長岡からもらった金で男から再びデザイン画を買い始める。映画での文代は伊吹はデザインは全然やらないと断言しているがこれはウソ。長岡が複雑な表情するのはそのせい。実はデザイン画を売っているのは伊吹ではなく長岡。彼は素の文代を愛しているのだが、虚栄心の塊でもある文代はデザイナーをやめようとしない。そこで彼は伊吹からデザイン画をすべて買い、自分の金を出し、それをまた受け取るというややこしいことをやっていたのだ。彼はまた日下にもデザインを売る。すべて文代を困らせ引退させるためだ。ちなみに江藤がファッションショーに来ていやみを言ったのも、文代を引退させるため。ある晩文代は男の正体が長岡であることに気づく。その直後彼は殺され、日下も、モデルの多美子も殺される。残りの三人のモデルも失踪する。・・さてといつまでも筋を追っていてもきりがないのであとは駆け足で。ネットで調べると出来は悪いという声が多い。せっかくのハンサムな金田一も、出番は少ないし、それでいてなぜか事件の全貌をつかみ、徹を殺人鬼と断じ、追いつめる。クライマックスは原作と違い廃墟での追いかけっこ。何となく「第三の男」風味。原作では江藤も徹も死なない。ユリら三人のモデルは死ぬが、映画では死なない。と言うか、どうなったのか出てこないまま映画は終わってしまう。江藤と伊吹は双子で、江藤は殺して回っているのが弟だと思い込み、三人の命を守るため二人組に命じて監禁させる。映画ではその監禁場所を知った徹が三人を殺そうと現われたが、金田一が先回りしていた・・すでに救出したということなのか。
吸血蛾4
その少し前には金田一は撃たれて死んだフリをする。わざわざ池か何かに落ちる。で、何事もなかったように徹の前に現われる。別にあんなシーン入れなくても・・。どうせ濡れて寒い思いしたのは代役だろうし。今の映画や2時間ドラマだと、最後の方でうんと時間かけてヒロインの不幸をこれでもかと描写する。そして最後は手錠をかけられるなんてことはなくて、美しく自殺する。だからこちらの文代が撃たれてあっさり・・何もしゃべらず・・死んでしまうのにはちょっとびっくりした。等々力警部役小堀明男氏や千秋氏をミスキャストと書いてる人もいる。私は別に小堀氏はあれでいいと思ってるけど、千秋氏の方は悪いけどミスキャストだと思う。金田一はなしにして、川瀬と弓子のコンビを主役にすればよかったと思っている。池部氏が川瀬なら・・彼は30歳だから池部氏だと年齢的にはちょっとアレだが、弓子役安西郷子さんはういういしいし、美男美女カップルの活躍となって、見ている方も納得したと思う。途中で恋が芽生えれば文句なしだ。原作もそうだが映画でもやたらサングラス、マフラーのコート男が出てきて何が何やらという感じになる。最初の方で出てきたのは伊吹だが、長岡、徹、さらには金田一まで同じ格好をする。伊吹に呼び出された文代は彼を殺してしまうが、それをあとをつけてきた徹に知られてしまう。二人で死体を始末し、まだ伊吹が生きていると見せかけるために徹が変装して出没する。彼がモデルを殺しまくるのは文代への復讐。せっかく日下のもとを飛び出したのに文代は何の才能もない詐欺女。それにたぶん元々彼には殺人鬼の下地があったのだろう。日下を殺したのは文代。原作を読んでいても、ここは時間的にどうなのかな?と思うところはある。また、文代まで狼男の扮装をしたりしてゴチャゴチャしている。あまりいい出来とも思えないのだが、でも私は何度も読んでいる。これからも読むだろう。映画の方は前にも書いたが評判は今いち。でも、あの時代の観客ならそれなりに楽しめたのではという意見もある。きれいな女性がたくさん出てきてのファッションショーとか、美しくも不気味な蛾の標本・・カラー映画ならさぞその色彩を楽しめたことだろう。塩沢登代路(とき)さんが加代子役で出ている。
金田一耕助の冒険(1979)
何ですか、これ。よくこんなアホな映画作りましたな。1979年というと46年前ですか。もう亡くなられた方オンパレードですな。金田一役の古谷一行氏は全く魅力ありませんな。等々力役は田中邦衛氏。この映画での等々力はいやに金田一に接近していましたな。わざとでしょうが。三船敏郎氏の金田一と、三橋達也氏の等々力もありましたな。三船氏は顔がでかいな。まだ若い樹木希林さん。あら?吸血鬼役で岸田森氏も。この二人一時結婚していましたよね。岸田氏の吸血鬼物は見たことなし。明智小十郎役が東千代之介氏、石田五右衛門役が坂上二郎氏、古垣役が仲谷昇氏。他に大泉滉氏、草野大悟氏、山本麟一氏、峰岸徹氏、小野ヤスシ氏、夏八木勲氏。高木彬光氏や横溝正史氏まで。他にもたくさん。まだ存命の方もたくさん。こういうのをパロディ映画と言うらしい。「ケンタッキー・フライド・ムービー」がヒットしたので日本でも・・ということらしい。私まだこの映画見たことないけどね。今の人が見ると、何のパロディなのかわからないこともいっぱいあるんだろうな。「今度謎解きする時、つじつま合わせんの大変ですな」という等々力の皮肉っぽいセリフが印象に残ったくらいで、あとは見ているのが苦痛なくらいひどい映画だった。皆さん映画人生に汚点残しちゃったね。
獄門島(1977)
これは確か見るのは二度目だと思うが、内容はほとんど覚えていないから初めて見るのも同然である。テレビシリーズの方は呆れるほどつまんなかったから、あれの後なら何を見てもマシに思える。石坂浩二氏の金田一を見るとホッとする。古谷氏の金田一もはまり役には違いないが、汗臭い感じだし、油っぽい髪をかき回したり、逆立ちしたり、下駄で走り回ったり、時々そういうのが鼻につく。石坂氏にはそういう鼻につくような部分はない。さらりとしている。1977年作なので、懐かしい顔ぶれが揃っている。中にはもう故人になった人もいるが、ここではみんな生き生きしている。昭和21年、岡山の獄門島へとやってきた金田一。復員船の中で病死した千万太を看取ったのは彼ではなく、雨宮という男にされている。別に変更する必要全くないが・・。邦画にしては珍しくセリフはおおむねよく聞こえる。石坂氏のしゃべりもゆっくりだ。わりといい感じで進むのだが、最後の方になって突然収拾がつかなくなる。三人娘のうち二人を殺した犯人が原作とは変えられ、その上暗い過去までくっつけたせいで、おかしなことに。だいたい推理小説は、いかに読者をだまし、ラストの謎解きで納得させられるかが大事で、作者はそれに心を砕く。犯人を変更するってことは、作者が緻密に組み立てたものとは別のことを出してこなけりゃならないってことだ。人物だけ置き換えりゃいいってもんではない。今作の場合犯人は了然(佐分利信氏)・・これは原作通り・・と、勝野(司葉子さん)の二人。この勝野が奉公先の嘉右衛門(東野英治郎氏)に手込めにされ、早苗(大原麗子さん)と一を産んだことになっている。しかも観客の涙をしぼってやれと、母子の名乗り合いのシーンが延々。しかし狭い島の中で使用人の勝野が二度までも腹ボテになって、周囲に気づかれぬわけがない。勝野は恩人で、密かに慕っている了然の負担を少しでも減らしたかったのか。しかし千万太が死んだ今、邪魔な三人娘を始末すれば自分の息子一が財産を相続できる。だから殺したのでは?それに早苗はいくら実の母でも月代や雪枝を殺したことを許せるのか。と言うわけで、何とも説得力のないラストになってしまいましたとさ。
三本指の男(1947)
片岡千恵蔵氏が金田一なので、原作とはかけ離れた感じになるのだろうなと思いながら見る。汽車の中でメガネをかけた女性と向かい合わせになった金田一。バスの中でも一緒、降りた場所も一緒、久保果樹園に入っても一緒。この女性は久保の姪春子(風見章子さん)の親友静子(原節子さん)。久保と金田一はアメリカで知り合った。明日は春子が地元の旧家一柳家の跡取り賢造(小堀明夫氏)に嫁ぐ。映画では克子を春子、賢蔵を賢造に変更してある。一柳家は本陣、春子は小作百姓と、家の釣り合いが取れない。そこへ持ってきて賢造の母、糸(杉村春子さん)には匿名の手紙、春子には田谷という男からの手紙が来る。三本指で、顔に傷のある復員兵らしい男も出没している。しかし金田一は問題にしない(あれれ?)。式の後新婚夫婦の死体が見つかる。しかも離れは密室で、外からは入れない。その解明は今まで何度も書いてるから省略。今回雪は降っておらず、凶器は日本刀ではなく刺身包丁。でもずいぶん長かったな。三分指の手形が残されていたが、そいつの仕業にするなら別に密室にする必要ないのにな。異常に潔癖な賢造が春子の過去を知って、彼女を道連れに自殺・・というのが本来の筋だが、映画では変更されている。春子は田谷のことなどほとんど覚えていない様子(あれれ?)。省略されることの多い次男の隆二、分家の良介と妻の秋子(賀原夏子さん)の三人が犯人ということに。動機は賢造にかけられた保険金。受取人が秋子。新婚夫婦を殺したのは良介。離れは密室ではなく、おもやとの間に秘密の通路があるという設定。良介は二人を殺した後その通路を通って糸の部屋へ。一緒に寝ていた鈴子も誰かの気配には気づいていたが、糸が口止めする。とにかく自殺ではなく殺人となってからの展開は何が何やら。かなり無理がある。東京から来たばかりと称している隆二が、実は金田一と同じ汽車に乗っていた・・というので、もう一度映画の冒頭部分を見てみる。なるほど確かに帽子をかぶった隆二が少し離れた席にいる。しかし金田一がそっちを見たようなそぶりはなし。それにしても金田一はなぜ三本指の男に化けたんだ?わからん。総じてセリフは聞き取りにくい。その中で杉村さんだけは・・口を大きく開けているわけでもないのにちゃんと聞こえる。さすがだなあと感心した。磯川警部役で宮口精二氏。
女王蜂(1978)
この「女王蜂」はヒロイン智子がキモだと思うけど、その点で失敗している。ベテランがまわりを固めて、それで何とかなっているけど、ヒロインに魅力がないのは致命的。伊豆の大道寺家で殺人事件が起きる。智子(中井貴恵さん)の求婚者の一人、遊佐(石田信之氏)が殺され、そばには智子が。後でやはり求婚者の一人、赤根崎が殺される。残りは駒井(佐々木剛氏)。ミラーマンに仮面ライダーですな。その昔銀三(仲代達矢氏)と仁志・・二人の青年が大道寺家に滞在。娘の琴絵(萩尾みどりさん)は仁志の子を宿す。仁志は母親(高峰三枝子さん)に結婚を反対され、弁解に来るが殺されてしまう。たぶん逆上した琴絵に殺されたのだろうと、琴絵の家庭教師秀子(岸恵子さん)は事故死に見せかける。銀三は琴絵と結婚するが、琴絵は自分の代わりに蔦代(司葉子さん)を差し出し、伊豆を離れることなく死ぬ。智子は19になったら銀三のいる京都へ移ることになっていた。しかし変な脅迫状は届くし、殺人は起きるし、正体不明のイケメン(沖雅也氏)が登場するし。そのうち仁志が実は東小路家の跡取りだったとわかる。と言うことは今は智子が跡取りだ。まああれこれあるが、智子のことなどどうでもよく、私自身は三人のベテラン大女優のそれぞれ違う演技、美しさを楽しんだ。画面いっぱいにうつっても映える華やかさ、貫禄。こういう人達の前では中井さんは分が悪い。演技は素人が言われた通りにやってる以上のものはないし、ヘアスタイルのせいで絶世の美女どころかイモ姉ちゃん。一方琴絵の萩尾さんはこの頃は薄幸な役が多かったが、彼女がやると説得力があった。単に弱い、悲しい、不幸せではなく、宿命とか怨念を感じさせた。それでいてドロドロせず、清らかさを保っていた。「女王蜂」は琴絵と智子を同じ女優さんがやることが多いが、この映画もそうしていればずいぶん趣きが変わったことだろう。もちろん作り手は口紅とか着物とか、コマーシャル根性丸出しで、それに乗っかってやれと言うのが見え見え。映画を自ら浅くしている。さて、犯人の動機だが、さすがに原作のような銀三の智子への抑えきれない欲情でいくわけにはいかないので、昔銀三の父が主人東小路の代わりに罪をかぶり、獄死した恨み・・東小路の血を引く智子を殺し、血筋を絶やしてやると思いつつ、それができない・・そっちの方の悶々に変えてあります。
病院坂の首縊りの家(1979)
原作はかなりの長編。入り組んだ家系だが、映画の方は人数を減らし、かなり変更してある。昭和26年吉野市(どこ?)の本庄写真館に現われた謎の女性。奇妙な婚礼写真、続いて見つかった新郎の生首。冒頭とラストに横溝氏が出てきて学芸会。おなじみの等々力警部(加藤武氏)の早とちり、三木のり平氏と奥さん役の人、マスコット的存在の妙ちゃん(中井貴恵さん)、いじくり回した画面、編集・・だって巨匠市川昆監督だも~んてか?いやつまりおなじみのもので笑わせたり安心させたり、その一方でキラッと光るもの見せなきゃという気負い。普通にやればいいのにと思うのはこちとら凡人だからか。若くて沈んでいて前に出すぎない石坂浩二氏の金田一はさすが。どろどろした描写はさほどなく、ややお行儀よすぎ。ちょっと頭打っただけで死ぬし、薬を飲めば苦しみもせず美しく死ねる。その一方で出すぎなくらい血がどぴゅー。リアルさを求めてはいけないのだろう。薄幸な中年婦人は必ずほつれ毛が二筋ほど垂れ下がっていなければならない。原作読んだ人は犯人が変更されてるのにびっくりするし、変なおばあさんが出てくるのにも首を傾げる。回想シーンはそのおばあさん(入江たか子さん)の無理な若作りのせいでだいなしになる。別に入江さんが悪いわけではない。作り手が勘違いしてるのだ。もう一人のおばあさん(白石加代子さん)は完全にバケモノ扱い。ここで語られる真相のあたりで、ほとんどの人は置いてけぼり。え~ッ、何がどうなったんだってぇ~?冬子(萩尾みどりさん)が法眼家を訪ねてきた理由は、弥生(佐久間良子さん)が実の母だと知ったからだろう。しかし弥生は不在で、応対に出た由香利(桜田淳子さん)にさんざんののしられて絶望し・・。あの時冬子は、由香利が自分の娘小雪(桜田淳子さん二役)とうりふたつなのを見てびっくりしたはずなのだが・・。敏夫(あおい輝彦氏)の生首を風鈴に見立てて吊り下げるのにこだわるのは諸般の事情から(←?)わかるけど、胴体を隠した理由は映画では不明。原作だとちゃんと理由書いてあるけど、映画はお行儀がいいから鞭打ちの変態行為はなし。由香利はあっけなく死んじゃうし、敏夫はさっさと自殺する。まあ作り手ができるだけ整理し、人間関係部分をゆっくりしゃべるなど気を使ってるのはわかる。でもやっぱり複雑だし、何となく終わっちゃう。
本陣殺人事件(1975)
中尾彬氏が金田一ということで、公開当時から興味は持っていた。角川映画と違って、こちらはテレビ放映もあまりない。一回か二回見たが、見事なくらい何も覚えていない。よくできているわけでも、出来損ないでもない。もしそうなら何かしら印象に残るはずで。何もかも普通すぎて、見終わると何も覚えていない・・そんな映画。今回はちゃんと見た。いや、いつもちゃんと見てるけどさ。中尾氏ははまり役だと思う。映画の「ザ・ウーマン」とか「必殺」のゲスト出演でねっちょりした悪役やっていて、そういうイメージが強いが、その前にはこういう好青年役もやっていて。「残像」でのヒロイン(望月真理子さん)の恋人役とか。製作は1975年・・と言うことは「犬神家の一族」で大ブームが起きる直前か。「本陣」は原作では昭和12年の設定。しかしこちらは1975年か。金田一は袴でも下駄でもオカマ帽でもない。頭もスズメの巣ではない。こざっぱりとしていて、服装も現代の普通の若者風。時にはサングラスもかける(とたんに日活映画になる)。現代的すぎてイメージが違うと不評のようだが、私は別にいいと思う。大人しくて謙虚。ひょうひょうとした感じ出すため、古谷氏の金田一は時にわざとらしいが、こちらはそういうのなし。だから・・見終わると思い出せないんだろうけど。冒頭鈴子に会いにきた金田一は、お葬式の列に出くわす。鈴子が死んだのだ。そこから一年前の事件を思い出すという流れ。最後にまた回想から戻り、棺の上にぬいぐるみを置く。お土産に持ってきたのだ。やさしいなあ・・。テレビの「本陣」と違い、こちらは余計なもの・・糸子がよろめくとか・・くっつけず、シンプル。賢蔵役は田村高廣氏。原作読んでなくても彼が怪しいって見え見えだな。事件を起こした動機を、恋愛に関しては子供だったとか弁護してたけど、そんな必要ないと思うな。まわりがみんなバカに見えて仕方ない自己チュー男でいいじゃん。克子役は水原ゆう紀さん。鈴子役高沢順子さんはビミョー。テレビの西崎みどりさんのはかなそうなイメージとはえらい違いだ。三本指の男役は常田富士男氏。死ぬところは大熱演。全然関係ないけど、金田一が三郎と話すシーンで時計がうつる。あれと同じものが実家にある。足の部分は取れちゃって、丸い時計部分しか残っていないが、40年以上たった今もちゃんと動いてる。
八つ墓村(1977)
これは前に一、二度見ている。最初の30分くらいはCMもなく、こりゃいいぞ・・と思っていたら、その後は10分おきに大量のCM。録画しといてよかった、CMの度にすっ飛ばせる。こちらの金田一は渥美清氏である。前に見た時は違和感しか感じなかったが、今回はそうでもなかった。ストーリーはかなり変更してある。時代設定も昭和52年。主人公辰弥(萩原健一氏)が八つ墓村へ来たのは、祖父の葬式と、亡き母の生まれ故郷を一目見たかったからだ。いくら多治見家は財産家だと言われても、今更溶け込めるとは思えない。すぐにまた東京へ帰るつもりでいた。ところが迎える方はすっかり彼を跡取り扱い。その後いろいろあるのだが、この作品にも典子は出て来ない。慎太郎も出て来ない。久野の作ったリストもなし。大判小判がざっくざくもなし。しかも辰弥が多治見の血を引いていないことが途中で明らかになる。原作では美也子の動機ははっきりしているが、こちらは何しろ慎太郎が出て来ないのだから、彼に多治見の財産を継がせるため・・とはならない。彼女の会社が破産しそうだからという薄弱な理由がくっつけられる。でも実は彼女も気づいていないことがあって。400年くらい前の、殺された尼子の落ち武者達の復讐の念が彼女を動かしていたと。それだけではない。辰弥の実父、亀井も元をたどれば美也子と同じ尼子の一族で。多治見は落ち武者達をだまし討ちにした村のリーダーの子孫。美也子と辰弥によって多治見家は滅亡。焼け落ちる屋敷を見て満足げな落ち武者達(の亡霊?)のシーンがいい。それと要蔵(山﨑努氏)が走り、殺戮をくり広げるシーンの迫力もすごい。舞い落ちる桜の花びらが効果的で。それにしてもどの「八つ墓村」も辰弥と美也子(小川真由美さん)をくっつける。なぜなんだろう。また、春代(山本陽子さん)の辰弥への密かな恋心を描かないのはなぜなんだろう。どんなことがあっても私はあなたの味方・・という、温かく感動的なシーンをなぜ入れない?山本さんが春代役にぴったりなだけに、扱いが軽いのは残念だった。
八つ墓村(1996)
こちらは1996年物(←?)。ネットで酷評されてるので、そんなにひどいのかと見る前から心構え。「天河伝説殺人事件パート2」と書いてる人がいて、その通り。現実的でない青白い顔。眉は黒く、唇は赤く、女性の髪はまっすぐ。無表情でセリフ棒読み。必要もないのにお面かぶる。画面が止まったり血がどぴゅー。今回の辰弥は高橋和也氏、金田一は豊川悦司氏、美也子が浅野ゆう子さん。豊川氏や浅野さんけなしている人は多いが、高橋氏は無視されてる。確かに印象薄い。美也子と慎太郎(宅麻伸氏)に時間が割かれ、辰弥はほったらかし。珍しく典子(喜多嶋舞さん)が出てくるが、ロマンスは花咲かない。美也子への思いもなし、再会するはずの実父は病死ですってよ。犠牲者も違う。梅幸尼は出てこず、洪禅(石橋蓮司氏)は死なない。通夜のシーンでは見てる人全員洪禅がいつ苦しみ出すかと注目してたはず。でも何事もなく食べ終える。代わりに小梅、小竹(岸田今日子さん二役)両方死亡。特撮はとてもよくできてる。同じ画面に二人いるだけでなく、片方が片方の膝に手を置いたり、一人がもう一人の後ろを通ったり、手が込んでる。それでいて尼子の武士の生首など張りぼてもいいとこ。浅野さんはミスキャストだ。もっとおしろいや口紅、香水の感じられる人でないと。春代役萬田久子さんもだめ。背が高すぎるし、冷たすぎる。もっと暖かみのある素朴な感じでないと。全体的にみんなよそよそしい感じで、血が通ってない。豊川氏は確かにオカマみたいだし、時には気持ち悪いし、一番よくないのは村に来ても何をするわけでもなく、無能に見えること。ただ、いいところもある。郵便局が宿屋を兼ねていて、お使いに来た男の子にやさしく接するところ。村の大人はひどくよそ者を嫌うが、男の子は無関心。そこが印象的。金田一が宿屋の夫婦のケンカに巻き込まれているのも微笑ましかった。辰弥に届く脅迫状は美也子の草木染めとすぐ結びつき、犯人ばればれ。それでいて典子の子供っぽさは例の事件で月足らずで生まれたせいという説明は省かれる。尼子の財宝も、大事な小道具である九能医師のメモもなし。美也子の慎太郎への思いは長々とこれでもかと描写され、はいはいもうわかったってば!