Virginia/ヴァージニア

Virginia/ヴァージニア

この映画は劇場でも公開したようだ。監督があのフランシス・フォード・コッポラだから?スワン・バレーという田舎町に三流オカルト作家ボルティモア(ヴァル・キルマー)がやってくる。サイン会のためだが、寄ってきたのは保安官ラグレインジ(ブルース・ダーン)だけ。本屋がなく、金物屋の片隅でというのがわびしい。後でちゃんとした図書館が出てくるから、住民が何も読まないというわけでもないのだろう。でも20ドル近くするハードカバーは買わんわな。ラグレインジは一冊買ってくれたが、実は自分もホラーを書いていると言う。その次に来るのは自分の書いたものを読んでくれ。そしてその次には二人で小説を書こう・・となる。嫌ならさっさと次の町へ行けばいいのだが、ボルティモアには新作を書かないとまずいという事情がある。彼は処女作はヒットしたものの、その後は慢性的なスランプらしい。娘ヴィッキーの事故死が心に影を落としているような。おまけに酒浸り。ラグレインジの話は何かのきっかけにならないだろうか。今の状態から抜け出す・・。ラグレインジが言うには、湖に若者達が集まって何かよからぬことをやってるとか。今、安置所に若い女性の死体があるけど、そいつらの仕業に違いないとか何とか。死体にはなぜか杭が打ち込まれているが、顔を見る勇気はボルティモアにはなし。夜・・彼はヴァージニア(エル・ファニング)という不思議な少女に出会う。この町には昔エドガー・アラン・ポーが滞在したというチカリング・ホテルがある。昼間見た時は廃墟みたいだったのに営業していて。また、ここの時計台には七つの面があって、それぞれ違う時刻を示している。まああれこれあって、最初のうちはこれがこう繋がって・・と、意味を汲み取ろうとしながら見ているのだが、ほったらかしのままだったり繋がらなかったりの部分が多くなる。そうなると、ああこれは夢なのだなとわかってくる。現実と夢がまぜこぜになっているのだ。境目(目を覚ます、色彩が違う)はあるけど、現実の部分が全部真実というわけでもない。例えばフラミンゴ(オールデン・エアエンライク)の存在などは現実にはありえない。

Virginia/ヴァージニア2

WOWOWでやったのを見て感想を書いたものの、どうもうまくまとまらず、ノベライズが出ていると知って早速入手。何か助けになるかと思って。でも結局は数ヶ月たってまた映画を見て、こうやって何とか書き終えようと頭をひねっているわけ。精神分析みたいな感じで長い文章書いてる人もいるけど、私は書けば書くほどわけがわからなくなりそうで、だからあんまり深く考えるのはよそうと・・。ポーの作品はあんまり読んでない。「世にも怪奇な物語」に関連した一冊だけ短編集を持ってる。他のも読みたいと思うけど、古本屋でもなかなか見かけない(新刊買う気は元々なし)。さて、書けない時でも書くのが作家なのだそうな。我々みたいに好きな時に好きなこと書き散らすのは気が楽だが。処女作は売れたけどその後さっぱりというのは「フッテージ」もそうだった。本人もアレだけど、奥さんも大変。何でもいいから売れるものを取りあえず書いて、それから自分が本当に書きたいものを書けばいいじゃないか・・と奥さんは考える。でもダンナはそうは思わない。変にこだわりがある。ボルティモアの場合だと、もうオカルトは書かない、自分のことを自分のために自分のペースで書きたい・・となる。じゃあ何を書きたいのかとなるが、それがわからない。生活が苦しい妻は、16万ドルもするホイットマンの稀覯本を売るぞと脅かす。仕方なくボルティモアはエージェントのサム(デヴィッド・ペイマー)にテキトーなこと言って前借りを頼む。自分では何も思いつかないから、ラグレインジの話にヒントを得ようとする。ラグレインジの方は、自分が探偵で、連続殺人の犯人をつかまえるというストーリーを考えている。犯人は湖の若者達のリーダー、フラミンゴ。でもボルティモアが考えてるのはそんなことじゃない。でも何も思いつかないのだ。今の作家は原稿用紙ではなく、パソコンの前に座って頭をひねるのか。キーを打っては消し、打っては消し。誰もが目にする最初の文章が肝腎、それさえばっちり決まればあとはおのずから文章が流れ出る。でもこういうシーンを見ていて思ったことがある。

Virginia/ヴァージニア3

この時点でボルティモアはすでにヴァージニアに出会っている。営業しているチカリング・ホテルにも行った。床がお墓になってるのも聞いた。子供達や牧師の幽霊も見たし、ポー(ベン・チャップリン)にも出会った。これらは夢だが、覚めてから図書館で調べてわかったこともある。なぜそれらから先に書いてみないのだろう。月の光、星空、時計台、誰もいないのに揺れるブランコ、もや、森の中、蛙の鳴き声、赤いじゅうたん、揺れる炎。そのままさらっと書けばいいではないか、ありのままに書けばいいではないか。それが何で「霧の湖」になってしまうのか。それと、紙に書く方法だと、その後書き直しても、前に何を書いていたか残るけど(消しゴムを使わない限りはね)、パソコンだと消せばそれっきり。いちいち保存でもしない限りはね。自分の思考の流れをたどれない。私も斜線で消したり書き加えたりで紙が真っ黒になるけど、後でああやっぱりこの文章にしようと思うこともあるわけで。作家ならさっきはどう書いたか保存してなくても思い出せるのか。次に思ったことは、ポーに助けを求めていたこと。結末は、結末はと盛んに聞いていたけど。これらは夢の中の出来事だ。謎を解きたい、結末を知りたいと願っても、相手・・この場合ポー・・も自分自身である。「スフィア」もそうだったが、答が返ってきたとしたら、それは自分がそう思っているということだ。答が返ってこないなら、自分にはわからないってことだ。ポーが言うことはボルティモアがすでに知っていること、そう考えているってことだ。牧師の事件についてはすでに図書館で調べて知っている。ラストでわかるが、ボルティモアが書き上げた本は3万部売れたと。どこまでが実体験かわからないが、とにかく書き上げたと。しかしノベライズでは、さらに引っくり返る。実はボルティモアは何も書いてはいない。全部彼の頭の中での出来事・・みたいな。映画のラストも陳腐だが、ノベライズのラストはそれ以上に陳腐。最後まで見た・・読んだ人をバカにしているとしか思えない。ボルティモアは自分のことを書きたいと言っていた。でも書くとなればヴィッキーのことも正直に書かなければならない。

Virginia/ヴァージニア4

正直に・・あの時自分は酒を飲みすぎていた、しかも妻ではない女性と一緒だった。それで娘の頼みを聞かなかった。自分が一緒に行っていれば、ボート事故は起きずにすんだ。自分のせいだと認めることがたぶん結末。これだってポーに言われるまでもなくすでに自分の中ではわかっていたこと。それはいいとして、その後のホラー的展開はいったい何なのか。ラグレインジが、年よりちょっと大人に見える12か13の家出娘・・と言った時点で、あの死体はヴァージニアだとわかる。ボルティモアがなかなか彼女の顔を見るところまでいかないのもそのせいだ。杭を打ち込んであるということは、吸血鬼だ。ボルティモアが抜いたことで生き返る。抜くまで生き返ることはできないから、保安官の助手を殺したのはヴァージニアではない。フラミンゴがやったと書いてる人もいるが、彼には助手を殺す理由はない。じゃあやっぱり狂ったラグレインジが殺したのか。その後首を吊って自殺したのか。”有罪”と血で書かれた新聞紙を張り付けたのは誰か。あの死体に関して言えば、ラグレインジは殺していない。だってヴァージニアはすでに死んでいるのだから。吸血鬼を殺しても殺人とは言わない。やれやれ・・わけがわからなくなってきたぞ。まあとにかく、娘の死に際しての自分の過ちを認めたことで次の段階へ進んだボルティモア。そのことと、ヴァージニアだかヴィッキーだかに噛みつかれることと、いったい何の繋がりがあるのか、それがわからないのだ。何であそこで血みどろホラーにならなければいけないのか。ああやって血を吸われなければ償いにならないってことか。あれだとポーの存在はいったい何だったんだ?ってことになる。あ~ん、だからつじつまを合わせようなんて思っちゃいけないんだってば!そのポーだけど、演じているのがチャップリンだってのは見ている間は全然気がつかなかった。いつもどっちかと言うと女性に振り回される役が多い。こういう超越したような存在を演じるのって見るの初めて。同じ頃ジョン・キューザックもポーをやってて、そっちはまだ見てないけど、チャップリンの方が似てると思う。

Virginia/ヴァージニア5

膨張し続けるキルマーとは違い、細いまま。中年太りとは無縁のようだ。同じ白塗りで生気のない顔でも、多くの人はエル・ファニングの方へ目が行くようだが、私は違う。チャップリンにとても感心した。そしてそれ以上によかったのがエアエンライク。メイクのせいで素顔はわからない。ネットで調べると、まあかわいい顔してるんですわ。まだ若くて小柄。フラミンゴは湖の対岸にいて、堕落している悪魔だと牧師はいきり立つ。子供達が悪に染まらないようにと、とうとう首をかき切って殺す。一人だけ逃れたヴァージニアは危ういところをフラミンゴに助けられるが、またつかまってしまう。50年以上たった今もフラミンゴは対岸にいて、ラグレインジをいら立たせる。ボードレールの詩を口ずさむなどインテリで、若者達を引きつけるが邪悪さはない。彼はたぶん吸血鬼で、長い間生き続けているのだ。彼に噛まれたことでヴァージニアも吸血鬼に。彼女を閉じ込めた牧師は首を吊って死ぬが、ヴァージニアは生き続ける。でもそんなことはどうでもいい。フラミンゴは時間にとらわれない。永遠に生き続けるから。場所にもとらわれない。あっという間に姿を消す。ラグレインジもつかまえることはできない。何もしなくても向こうから若者達が寄ってくる。自分からナンパすることもない。ヴァージニアもたぶん噛まれたことに気づいていない。それくらいソフト。他の吸血鬼とは違う。下品なところ、これ見よがしのところ、野獣めいたところいずれもゼロ。全くもって珍しいタイプ。若者達もメイクや衣装、焚き火に音楽程度で満足してるのが珍しい。ヘビメタガンガンでやって欲しかったと書いてる人もいるが、それじゃあ他の映画と同じになっちゃう。フラミンゴ同様静かだからこそ印象に残る。牧師にしろラグレインジにしろ彼らを目の仇にしていたけど、そういう自分の方が汚らしい欲望で頭がいっぱい。特に牧師は映画には出てこないけどヴァージニアをレイプするし、とんでもないやつ。まあとにかく映画の出来はあんまりいいとは言えない。画面はきれいだけどなかみはぐだぐだ。でもポーやフラミンゴのようなキャラを出してきてくれたので、私的にはオッケーです。