SPIRIT

SPIRIT

少しはヒマになるかと思いきや、相変わらず公開終了日との追いかけっこである。何て贅沢な話!見なきゃ命にかかわるってもんでもなし、見なきゃ見ないですむことなのよ。そう思いつつもどれを先にしようか迷う私・・。まだ「SPL/狼よ静かに死ね」の余韻が残っている中、近くのシネコンで「SPIRIT」を見た。あのさー最近映画の題名ダブってない?アニメで「スピリット」ってあったよね。他にも「クラッシュ」「ドミノ」「ファイナル・カット」などなど。近く公開される「ナイト・ウォッチ」だって前「ナイトウォッチ」があったし。題名つけるの面倒なのかね。さて「SPIRIT」・・公開一週目のレディス・デーの午前の回、お客は35人くらいですかね。女性と年配の男性がほとんど。ジェット・リーのファン?中村獅童君のファン?獅童君は大きく取り上げられているけど、冒頭チョコ、その後クライマックス近くまで全然出てきませんよ。彼のファンには辛いかも。期待はずれかも。19世紀から20世紀にかけてが舞台だから、国の内外でいろんなこと起きているはず。でも難しいことは抜きにして風雲児の短い一生を描く。どうやって暮らしているの?なんていうヤボは言いっこなし。中国らしく(?)大らかでゆったりしていて、優雅な趣きさえある。内容はわかりやすいですよ。1+1=2みたいなものです。深く探る必要なし。「SPL」みたいにやたらひねくったりよじったりもったいつけたりしてません。さて・・誰よりも強くなりたいとか、人より優位に立ちたいとかいうのは、人間なら誰でも思うこと。ただたいていの人間は「思う」だけで終わってしまうか、強くなろうと努力してもその努力が実らない。病弱だったけど、努力を重ね強くなった霍元甲。だが彼には人間としての成長が伴っていなかった。強さだけでなく精神的なものも兼ね備えていた父、常に人の道を説き、諭してくれた母。しかし元甲の目には耳には何も届いていなかった。彼の興味は勝つことだけ。天津一の武術家になってやる!おだてられ慢心し毎日のように宴会だ。幼友達にさえ見放される。競争相手の武術家を倒したものの、その報復として実母と娘を殺されてしまう。絶望し、さまよい、自殺同然に水に浮かんでいるところを引き上げられる。連れて行かれ、親切に介抱され、その農村で暮らし始める。自然を相手に暮らす人々を見て、今までの自分を反省する。

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戦いに明け暮れ、自然に目をやることも耳をすますことも風を感じることも忘れていた。田植えのシーンが印象的である。慣れないから村人よりも遅い。競争心が頭をもたげ、スピードを上げ、村人を追い抜く。でも彼が植えた苗は結局後で植え直さなくてはならなくなる。人に負けたくないという意識がまだ頭から離れない。そのうち彼にもわかってくる。相手に力をふるえば、それだけのものが自分にもはね返ってくる。誤って使われる力は平和を生み出さない。強い相手を求めて戦ってきたが、一番の敵は自分自身である。この映画は伝えたいことが明確である。「武は争いを止めること」というメッセージを発している。あとは受け取ったお客がどうするかだ。「楽しませてくれてありがとよ」で終わりかもしれないが。元甲は実在の人物だがストーリーはほとんどフィクションである。パンフによれば曾孫の一人が「事実と違う」とかみついているそうだ。伝説が一人歩きし、大作映画にまでなってしまうのだ。そりゃ迷惑なことだろう。わかりやすく、途中でだれることもなく(美しい農村風景のおかげだ)クライマックスへ突入。うまくできていると思う。余計な恋愛くっつけないからストーリーの芯がぶれない。元甲の妻は死んでいるから出てこない。村の娘月慈とも・・。何年も一緒に住んでいて普通なら結婚するとか子供ができるとか、何かあってもおかしくないけど純愛のまま?まあいいんですけどね、何もなくても。アクションシーンはさすが手慣れた感じ。目新しくもないけど迫力はあります。達人が出ているからロングでも平気。細切れなんてみみっちいことしません。ところどころワイヤー使って不自然な動きしてますが。獅童君は背中見せてる時はほとんど代役です。バレバレです。ところどころちゃんと本人がやってます。全部はムリでしょうそれはわかってる。がんばってやってるのもわかります。でもねえ・・言っときますがバレバレですぜ。世界進出なんて書かれているけど獅童君はちゃんと自分をわきまえているから浮かれたりしません。浮かれはしないけど心の中には情熱秘めてます。だって男だもん!精進すればきっと道は開けますぜ!さて・・リーも40代に突入。年輪を感じます。顔が体が歴史刻んでいる。そばへ寄ったらコチコチ音がしそう・・って時計かよ!積み重ねたものがはんぱじゃない。「少林寺」の頃の面影あんまりない。

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彼が一人で演武するシーンが二回出てくる。スローモーションでうつしてくれるから見ていてわかるが、動きがすべて曲線である。腕がらせんを描いている。終わりが始まりで始まりが終わりである。陰陽のマークが思い浮かぶ。「少林寺」では長々と演武を見せていたが、この映画ではそんなことはしない。エッセンスだけ見せて終わり。それで十分なのだ。技が完成の域にあること、精神が円熟の域にあること。いろいろ出てくるファイトシーンは言わばオマケである。この演武に至るまでの道のりであり、この演武から派生した余波である。限りなく美しく深遠なシーンだと思う。さて私がこの映画を見に行ったのは本物の武術が見たかったからである。その点では「SPL」と同じである。そして期待通りすごかったんだけど・・正直に言うと私には「SPL」のドニー・イェンの方が印象が強烈だった。他の人はどうだか知らないけど私はね。「少林寺」「少林寺2」「ドキュメント・燃えよカンフー」などでリーを見慣れているせいかもしれないけど。さて、ある太極拳の本にこんな文章がある。・・なに、若いときにはこの先生だって、「許してくれ」というのをなおも蹴ったり殴ったりしていたのである・・年を取って円満に見えるからってその武術家が若い時も円満だったとは限らない。若さにまかせてムチャもするだろう、相手をボコボコにもするだろう。でも途中で気がつくことが大切だ。このままでいいのか、強くさえあればいいのか。強さは内に向かって発せられなければならない。人を倒すより自分を律することの方がずっと難しいのだ。この映画にはもう一つのメッセージがある。元甲と獅童君扮する田中の会話。お茶を例にして話すんだけど、田中の方はお茶にはいいお茶と悪いお茶があると考えている。元甲は自然が育てたものにいいものも悪いものもないと考えている。お茶はお茶である。同様にいろんな武術があり、流派があるけど、どれがすぐれているかなんてことは問題じゃない。すべての武術はすぐれたものである。ただそれをやる人間の方に差があるだけの話。その話を聞いて共感する田中がよかった。そういう考えもある・・と受け入れる心の広さが人間には必要なのだ。自分を律し、謙虚に相手に接していればこの世はもっと住みやすくなるだろう。この映画のメッセージ、見た人にはどう届いたのかな。