GODZILLA、ゴジラ

GODZILLA(1998)

子供の頃映画館でゴジラ映画を見た。モスラの出てくるやつ。ザ・ピーナッツが「モスラ~やッモスラ~」って歌うやつ。見ている時はそんなでもなかったけど、夜フトンに入ってから急に怖くなってきた。隣りの町でゴジラがあばれているような気がした。聞こえるはずないのに逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえるような気がして、いつまでも眠れなかった。ゴジラは基本的に怖かった。一作目と二作目のビデオは持ってる。白黒だし特撮も(今見れば)稚拙だが、私にはこれで十分。おどけた仕草のゴジラなんか見たくない。・・てなわけで初期の数作以外は全く興味もなく、見る気もしないゴジラだが、ハリウッド版はテレビで二回ほど見た。なかなかおもしろかった。日本で公開されたのは・・1998年の夏ですか?じゃ一足違いでしたな。私がせっせと映画館に通うようになったのは1998年の秋からなんですの。「シティ・オブ・エンジェル」がきっかけ。「ゴジラ」は話題になっていたから日本版ゴジラとは似ても似つかぬ形だってのは何となく知っていた。確かにトカゲゴジラだけど・・私はあんまりこだわらないな。今回DVDをレンタルしてじっくり鑑賞してびっくりしたことがある。主人公の名前がニック・タトポロス?・・ってあのタトポロス?今まで全然気がつかなかったわ。恋人オードリーは、最初テレビで見た時、今時こんなフワフワヘアスタイルの女性をヒロインに持ってくるか?と疑問に思った。どう見たってお飾り的カワイコちゃん。オードリーは一流のニュースキャスターを目指しているのだが、あのヘアスタイルじゃ説得力ゼロ。演じているマリア・ピティロはこの役で見事ラジー賞を獲得。フワフワヘアのせいでしょう、きっと。ところで彼女「ぼくの美しい人だから」でジェイニー役やっているのね。実は今回「ぼく美」もレンタルして初めて見たのよ。「ゴジラ」のコメンタリー聞いていたら主演のマシュー・ブロデリックについて「スターゲイト」のダニエル役の第一候補だった・・と言っていて、またまたびっくりよ。確かに今回のニックと「スタゲ」のダニエルには似たところがある。有能だけどまわりにはなかなか認めてもらえないところ。本人も露骨に自分を売り込むようなタイプではなく、めぐまれない状況にいるんだけどヤケになったり反社会的になったりしない。

GODZILLA2

無欲で春風駘蕩、バカにされても受け流す。女性にフラレても「まあ仕方ないかな・・」とあっさり。未練がましくあとを追ったり怒ったり恨んだりしない。弱腰の平和主義者だけど、いざとなれば芯の強さを発揮する。・・てなわけでダニエル役がマシューでもさほど違和感なかったと思う。でも・・「スタゲ」に横溢している「変に美しい雅の世界」は生まれなかったと思う。前にも書いたけど「スタゲ」の魅力はSF的要素ではなくて別のところにあるのよ。スペイダー様の透明な美と、ジェイ・デヴィッドソンの白濁したような美。外見は若くてみずみずしいんだけど、内部では腐敗が始まっているようなラー。マシューがダニエルやっても透明な美は出ない。マシューは「普通にかわいい」でしょ。・・あらやだ、私ったら何検証しているのかしら。・・でもスペイダー様が「ゴジラ」に出ていたら・・えッ出演の話もあったんですか?惜しいことしました。でもミミズいじくるスペイダー様は見たくない!(←マシューならいいのか)まあとにかく童顔で人のよさそうなニックと、フワフワヘアのオードリーのカップルは、この映画には合ってると・・そういうことよ。エリート科学者とキャリアウーマンのカップルじゃぴんとこない。さて映画を引き締めているのがジャン・レノ。ガムとかコーヒーとか、アメリカ人とフランス人との違いが一つの笑わせポイント。ラスト、ゴジラが倒されお祭り騒ぎのニューヨークっ子達。中でもキモノを引っかけ狂喜するルーシーの軽さ!対照的に雨の中一人たたずむロシェ。極秘任務はやり遂げたものの、部下を全員失い・・この哀愁はレノでなければ出ないでしょう!ニックにも一抹の感傷はあるけれど、まわりの者がひたらせてくれない。彼ら(人類と言うべきか)は楽天的だ。放射能による環境汚染、地球の未来への不安なんて感じやしない。ニックの主張・警告・地道な努力なんてこれからも(今まで同様)見向きもされないんだろう。ゴジラは倒された。また繁栄の日々に戻ればいい。なぜゴジラが現われなければならなかったのか、そんなことに思いをはせる者がニックやロシェ以外に果たしてどれだけいるか。私なんかはどうしてもそっちの方に思いが行ってしまうな。強くて巨大な異形のものを、強力(だけど無能)な軍隊と一介の(でも有能な)民間人とが力を合わせて撃退する。災いは取り除かれ平和と繁栄が再び訪れる。

GODZILLA3

主人公カップルはラブラブで(それが永遠に続くかは疑問だが・・。オードリーがミミズに興味を示すとは思えん)、軍隊は面目をほどこし(それにしては損害大きすぎるが・・。原潜破壊されいったい何人死んだ?ゴジラ以上にニューヨーク壊したの誰だ?)ハッピーエンド。お客はドキドキワクワクを楽しめばいい。映画はヒットすりゃそれでいい。こんなふうに単純に考えればいいことなんだろう。あたしゃそれほど楽天的にはなれないけどね。さてゴジラ、最初はなかなか姿を現わさない。気を持たせるけどでもうまい作り。高層ビルが建て込んでいたら全身が見えないのはあたりまえ。最初の頭を旋回させながら現われるところが好き。ただヌッと現われたのでは芸がない。尻尾がこすれてビルの表面傷つけるところも好き。ただでは通り過ぎない、必ずお土産残します。圧巻は・・ブルックリン橋の吊りワイヤーに引っかかるところ。ゴシック調の橋塔が美しい。何とか抜け出そうともがくゴジラを戦闘機が攻撃。苦痛に身をよじらせ咆哮する。・・何か思い出しません?私は「ドラキュラ」を思い出しました。大きな鉤に釣り上げられ、昇ってくる太陽の光を浴び、苦悶し咆哮するドラキュラ・・似てますぜ。自分の意志でこうなったわけでもないのに、存在自体が悪とされてしまう。生まれ出た瞬間もう滅ぼされる運命にある。生物が誕生してから今までの間に絶滅してしまった種は無数にあるのだろうな。でもその絶滅に人間ほど加担している種もいないんだろうな。ああ何を書いてもそっちの方へ思いが行ってしまうわ。ゴジラって人間に「このままでいいのか?」って自問させるために存在するのよ。人類への警告なの。ゴジラが人類を滅ぼすんじゃないのよ。人類が人類を滅ぼすのよ。他の種も巻き込んでね。それがわかっていて目をそらし、きのうと同じ暮らしじゃ満足できないでもっと快適な暮らしを!と突き進む。頂点を過ぎればあとは下り坂に決まってる。我々はもしかしたらもうとっくに頂点を過ぎているのかもしれないわ。・・てなわけでよくできているし、途中ちょっとだれるけど(ベビーゴジラのあたりでね)全体的にはいい映画だと思った。評価低いみたいだけど私は好きです。ただ一つ、ゴジラが「怖い」ではなく、「よくできている」で終わっているのが残念。夜怖くて眠れないほどのゴジラを見せて欲しいです。

ゴジラ(2014)

ウ~ム、何じゃこりゃ。見ている人に恨みでもあるんですか?何でこんな意地悪するの?肝腎なシーン、全然見えないんですけど。実は見る前にノベライズを読んだ。見る楽しみが半減するじゃないかと言う人がいるかもしれないが、私は気にしない。ある程度流れ知っといた方が展開についていける。1999年のフィリピンの鉱山で起きた大規模な陥没と、日本の原発で起きた大事故。途中のネバダでの出来事あたりで、わけがわからなくなるが、整理しておこう。フィリピンで発見された二つの嚢のうち、カラになっていたのが、日本に来て原発事故を起こし、そのまま2014年まで芹沢博士達の研究対象になっていたオス。もう片方が・・なかみが入っているけど全く反応しないので死んでいるとみなされ、ネバダに捨てられたところが、やはり2014年になって行動し始めたのがメス。そういうことでよろしかったでしょうか?結局このムートーとやらは、どういう形してるのか私には最後までわかりませんでしたとさ。この二匹の愛のささやき(←?)を聞きつけて行動起こしたのがゴジラ。オレには嫁さんいないのに・・ってか?これにブロディ家のあれこれが絡む。それはいいとして・・壮大なオーケストラ演奏で気分あおっても・・暗くて何も見えん。何かが起きるのは決まって夜。明るいシーンは何かが起き終わったとこばかり。ジャングルにロシアの原潜!・・見えん。核ミサイル輸送の列車が~!・・見えん。とうとうゴジラとムートーの決戦だ~!・・見えん。核ミサイル爆発の期限が迫る~!・・見えん。ほとんど何も見えないうちにすべてが終わっちゃった。すばらしい!とかほめたたえている人達・・見えたんですか?うちのテレビの故障じゃないよね?主演のフォード役アーロン・テイラー=ジョンソンはきれいな卵型の顔に太い首。奥さんエルがエリザベス・オルセン、フォードの母親が(なぜか)ジュリエット・ビノシュ。芹沢が渡辺謙氏で、助手のグレアムがサリー・ホーキンス。航空母艦サラトガのステンツ提督がデヴィッド・ストラザーン。例によってムートー退治に使われるはずの核ミサイルが、サンフランシスコ市民への脅威となる。いつもそうだよな。核しか方法はないと採用するけど、それが逆に脅威となる。結局沖合で爆発させ、海洋汚染。フォード達が、ムートーに奪われた核ミサイル奪還のためパラシュート降下する時の音楽は、「2001年宇宙の旅」の音楽(コーラス)に似ていたな。

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

2014年のサンフランシスコ、息子を失ったマーク(カイル・チャンドラー)とエマ(ヴェラ・ファーミガ)。そのせいでマークは酒びたり、夫婦仲は壊れる。今、娘のマディはエマと一緒に雲南省にいる。ここではモスラが誕生しようとしていた。エマはオルカという装置を使い、怪獣達を操ろうとしている。あの後、モナークには非難が集中したが、芹沢博士らは人類は怪獣と共存すべきだと思っている。次々発見された怪獣達は世界各地に隔離され、冬眠状態にしてある。コロラドにいたマークは、エマとマディが環境テロリスト、ジョナ(チャールズ・ダンス)一味に拉致されたと知らされる。一味は南極で氷漬けにされているモンスター・ゼロ・・ギドラ・・を目覚めさせようとする。しかもエマは救出に駆けつけたマークを拒み、マディまで。ギドラが目覚め大混乱、そこへゴジラまで現われる。今回はゴジラ、ギドラ、モスラの他にラドンまで現われる。ラドンが現われるとは知らなかったので、びっくりした。怪獣達によって引き起こされる大混乱、破壊の他に、マーク一家の複雑な関係も描かれる。特にエマは自分から進んでジョナと手を結んだことが明らかになり、マークは呆然とする。エマの言い分は一見筋が通っているように見えて、恐ろしく自分勝手。しかも自分の都合で・・マディが母親の考えについていけなくなってオルカと共に姿を消すと、とたんに考えを変える。この・・マディがいとも簡単にオルカを持ち出し、いとも簡単に外へ出るシーンにはびっくりさせられる。いきなり展開が雑になってくる。南極でグレアムが死亡、新兵器オキシジェン・デストロイヤーが突然出てきて、見ている人はエッ、それ芹沢の発明でしょ・・とびっくり。しかも効果なし。海底で体力回復に努めるゴジラにエネルギーを注入するのに使われるのが核兵器。うわッ、毎度のことながらやってくれるぜ!困った時の核兵器。しかも誰も放射能汚染気にしてない。あんたら全員近いうちに死にますぜ!何て無神経なんだ!しかもいざという時故障→手動でないとだめ→誰かが犠牲にの方程式は今回も。一番核兵器に否定的な芹沢に犠牲を申し出させる。あと、クライマックスではエマも自ら犠牲に。改心したとこ見せないとね。てなわけで人間部分には腹の立つこと多いけど、怪獣達のシーンに関しては文句なし。相変わらず暗いシーンが多いけど、よく見えたし。ギドラがすごくよかったし。逆にゴジラは筋肉バカみたいで、あまりよくなかった。