D-TOX

D-TOX

さてと・・ここんとこ姪の結婚式のために帰省していたりして、なかなか映画館へ行ったり感想を書いたりしているヒマがない(言い訳)。でもそういう時でも本は読んでいて・・。私の場合ベストセラー本を読むことは全然なくて、それは映画でもそうなんだけど。あんまり知られていない映画を見て気に入って、何度も見に行くってのが好み。その原作を見つけたりするともううれしくて・・。今回田舎に帰って古本屋に行って「D-TOX」を見つけた時もうれしかった。帰省は疲れるけど、いつもと違う古本屋に行く楽しみがある。さてこの映画少し前にWOWOWでやった。昼間だったし、スタローンだしヒマつぶしにいいかな・・と見たのよ。実は私「D-TOX」なんていうわけのわからない題名からして、てっきりSF映画だと思っていたのよ。近未来あたりを舞台にした・・。そしたらFBIでしょ、連続殺人事件でしょ、アル中にリストカットでしょ、雪に吹雪に魚釣りでしょ(根性あるよなあ、あんな天気なのに)、何じゃこりゃって思いながら見ていたわけよ。予想と全然違う内容、スタローンの役柄なわけ。あんまり発展しない内容のまま終わって、ふーんて感じなんだけど、つまり感動も失望もないんだけど、でも何だかみょーに心に残るものがあるのよ。また見たくなるような・・。映画を見ただけじゃD-TOXって何のことだかわかんなかったけど、今回本を読んでDETOX(解毒治療)のことだってわかったわ。「D-TOX」の前は「シャイニング」の原作を読んでいたんだけど、主人公の境遇がよく似ている。父親がアル中で子供の時に虐待を受け、長じてからは自分もアル中に・・。雪の中に閉じ込められるところもね。どの一族にも一人や二人は財産をみんな飲んでしまったなんていうろくでなしがいると思う。そしてじっと耐えている妻や子供も・・。普段は大人しいのにお酒が入るとがらりと人が変わる恐ろしさは、どんなホラー映画もかなわない。もっとも映画の「D-TOX」には主人公と父親の関係は出てこない。見た人の感想を読むと期待はずれだったような・・。そりゃ主演がスタローンなら雪をも溶かす熱血アクションを期待するわな、当然。それがメソメソジメジメじゃあ・・。それと舞台となる治療施設が刑務所以上に寒々しくて癒しにも何にもならないところが不自然に思えたようで・・。

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でも私が感じたのはちょっと違う。私がこの映画で一番気に入ったのがこの殺風景でだだっぴろくて暖かみのない施設なのよ。凍死する心配がなければ住みたいくらいよ!話はそれるけど、私の母は看護婦だった。山奥の出で、その頃の女性の職業と言えば製糸工場の女工か看護婦しかなかったわけ。女工はお給料がよかったけど、必ずと言っていいほど皆胸をやられて部落へ戻ってくるわけ。・・で自分は結核になるのはいやだからと看護婦を選んだのよ。一度退職したけど私や妹の学費がかかるようになるとまた働き始めたの。看護婦は一生くいっぱぐれがないという口癖の通り、働き口はいくらでもあったの。その中では療養所が一番長かったと思う。昔は結核の療養所があちこちにあったが、だんだん患者数が減り、代わって増えてきたのがノイローゼとかアル中の患者。「○○って子が入ってきたけどおまえの同級生?」なんてこともあった。大学受験に失敗してノイローゼ・・ってわけだ。アル中患者だとどうしても飲みたいから夜とか脱走することもある。そうなると看護婦や職員が冬の寒い中あちこち捜し回るハメになる。彼らの苦労をよそに患者は酔っぱらって道路に寝ていたりする。するとドライバーが見つけて危ないからと通報してくるわけ。療養所は海のそばにある。「どうせなら酔っぱらって浜辺で寝込んでくれれば凍死して手間が省けるのに、なまじ道路で寝ているから助かるのよ。そりゃひいたら大変だから運転手だって通報してくる」・・と母は文句を言っていた。私はそれを聞いて、夜中に道路に寝ている方が安全だなんておかしな話もあるもんだ・・と思ったものだ。映画に出てくる施設が人里離れたところにあり、しかも雪に閉じ込められているというのは、アル中の治療には最適の環境なのだ。あるから飲むのであり、なければ飲むことはできない。癒しなんていう言葉に惑わされてはいけない。本当に治そうと思ったらユーワクの手の届かない、家族の手の届かない(禁断症状を見るに見かねてつい酒を与えてしまうとかさ、そういうことあるでしょ)、隠し場所のないこういう場所に行くしかないのだ。さて原作を読んでびっくりしたのは、映画とは全然内容が違うということ。原作では犠牲者達の死因がなかなかはっきりしない。施設内で死亡したり退院してから死亡したりという違いはあるけれど、せっかく治療したのになぜか死体からはアルコールが検出される。

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治療の成果はいったいどこに?と言って致命的な量でもないし。自殺らしかったり毒殺らしかったり・・。ところがある日主人公は治療に使う嫌酒剤のことに気づく。「害もなく血流に入って体内をめぐる」が、「アルコールと出会えば」「反応を起こして殺鼠剤と同等の科学物質を生じさせる」という薬。やはり母が「抗酒剤を飲んでいるのにお酒なんか飲んだら大変なことになる」と話していたことがあって、そういうお酒を飲めなくする薬があることに驚いたことがある。抗酒剤にしろ嫌酒剤にしろ危険な薬であることに変わりはないが、そういうものを使わなきゃならないような病気に人間はなぜなるのかね。なぜそこまでお酒を飲むのかな。話を戻すと薬じゃ地味すぎるとでも考えたのか、映画の方は血みどろモードに変更してある。主人公の名前もクインリンではなくてマロイに、職業はダラス市警刑事からFBI捜査官に、治療施設の場所はワイオミングに、とにかくアル中以外は何から何まで変更してあるのよ。だから原作を読みながら「あらら」って思ったの。映画はわりとシンプルで省略されている部分も多いから、原作を読めばはっきりするかも・・と思ったのに当てがはずれたわけ。まあちょっと読みにくいけど、原作は原作でけっこうおもしろかった。この内容のまま映画化すればいつも通りのスタローン映画になったと思うけど、何でこんなに変更したのかな。さて雪に閉ざされた空軍の司令センターを利用した治療施設。登場人物が少ないからこの中の誰が犯人かという謎解きも楽しめる。犯人でありえないのはマロイだけで、まあ女性二人も問題外。他の男性陣は・・クリス・クリストファーソンにトム・べレンジャー、ロバート・パトリックですからねえ・・みんな怪しい、怪しすぎる。へんぴな場所でも気候のいい春~秋ならそれでもまだ救いはあるけど、大雪・吹雪・電話が不通・ボイラーも故障・・ですからねえ。おまけに次々に人が死ぬ。何で?さて奥さんと別れて新しい恋人とラブラブ中のマロイ君。その恋人を殺されて幸せの絶頂からどん底に突き落とされる。ボロボロになってヤケになってお酒に溺れ手首を切り・・メソメソジメジメ、キノコが生えてきそう。あれで犯人が逃亡中ならまだ生きる目標もあったんだけど、とらえる寸前に自殺しちゃったのよ。でもあれも犯人の仕組んだことで・・。

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あの後犯人にされた男について何の説明もないのが見ていて不満だった。何人も警官を殺し、マロイに対してはストーカー的な行動を取っていた犯人(I SEE YOUのメッセージ)。どう見ても自殺したようにしか見えなくても、まわりに証拠となる品物がいっぱいあっても、それだけじゃ事件解決とはならないでしょ?動機を調べるはずでしょ?自分で言っていた通りに病気か何かで余命いくばくもなかったの?そうやってうまくFBIをだまくらかして死んだように思わせておきながら、なぜまたゲームを再開したの?マロイはやっと決心して再生クリニックに来たんだけど、犯人は先回りしてすでにここに来ている。ここに来るはずだった警官を殺して本人になりすましたのだ。でも別荘に来るわけじゃなし、病院だから当然医者の検査を受けるはずで・・。うんとお酒飲んで急いでアル中患者になったわけ?それと引っかかったのが「長くて一週間」というスレイターの言葉。原作だと28日間、サンドラ・ブロックの映画にも「28DAYS(デイズ)」というのがある。一週間じゃ短すぎるんじゃないの?アル中は一週間じゃ治らないでしょう!そんなふうにつじつまの合わないことはいっぱいある。それと一回見ただけでは名の知られた俳優以外は誰が誰やら区別がつきにくい。特に外に出る時など帽子をかぶっているからますますわからん。まあDVDを買って(だってあれっきりWOWOWでやってくれないんだもーん)何度も見るうちに区別がつくようになったが・・。精神科担当医のジェニー役はポリー・ウォーカー。彼女きれいだよなあ、知的で好感が持てる。マロイがデレデレしていたメアリーはねえ・・、軽いよなあ、フワフワヒラヒラ・・。マロイ君うまくいきませんてば。ジェニーみたいなしっかりした人の方がうまくいきますってば。原作だとクインリンは奥さんのサラとは離婚寸前。上司とサラはデキていて、クインリンは離婚だけでなくクビにもされかかっている。治療中知り合ったのがマデライン。彼女も離婚寸前で美人で大金持ちでクインリン君メロメロ。まだいちおう妻帯者なのに、マデラインは(犯人ではないとしても)事件の関係者なのにクインリンは・・。そりゃ誘ってきたのはマデラインだけど、彼女の住居に24時間態勢の保護監視をつけといて、自分は中で何やってるんですか。

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クインリンもメソメソするけど、原因はもっぱらアル中の父親によるトラウマ、ベトナム戦争時のトラウマ。サラが殺された時はショックを受けたが、まあ元々うまくいってなかったしぃ・・。映画の方はメアリーのことを忘れられなくてメソメソしていて父親もベトナムもなし。犯人との死闘を乗り切って、マロイもやっと立ち直るきっかけがつかめたようで・・。メアリーにプレゼントし損なったままずっと身につけていたダイヤの指輪。それを近くの枝に引っかけ、その後はもう振り向きもせずに立ち去る(もったいない)。過去との訣別、未来への前進を表わすラストシーン(でももったいない)。映画の方はジェニーとのはっきりとしたロマンスムードがあるわけでもなく、物足りないと言うかさっぱりしていると言うか。女性患者ロペスも出てくるけど、マデラインと違って誰に対してもつんけんしていて・・そりゃ禁断症状が出ているだろうし当然なのだが。演じているアンジェラ・アルヴァラードは「刑事ジョン・ケイン/影なき殺人者」に出ていた。WOWOWで見たけどわけのわからん妙ちきりんな映画。・・てなわけでここがこういうふうにすばらしいとか、ばかばかしくもくだらないとかそういうはっきりとした判定のできる映画ではなくて、何だか知らないけど心に引っかかる映画なのよ。なぜかって考えてみるとそれってやっぱりあの建物のせいだと思うの。最初の方でFBIだのSWATだのがドヤドヤ出てきて、一見エネルギッシュで広がりのある世界での話に思える。それが途中でがらっと変わって場所も人数も限られた閉塞状態で話が進行する。一見マロイが主人公に見えるけどそのうちにあの建物が主人公のように思えてくる。「シャイニング」みたいに建物が人間をあやつるわけではないけれど、でも動き回っている人間よりも灰色の壁や廊下や通路や扉に目が行ってしまうの。DVDの特典にはそれを強調したようなフィルムもあるしね。クライマックスのマロイと犯人との死闘は機材置き場みたいなところでやるけど、それだって施設の一部であることに変わりはないしね。まあ普段ものに囲まれて生活しているからああいう何もない空間にあこがれるんだろうなあ。それにしても犯人はマロイを殺すつもりだったのかな。殺しちゃうとその時点でゲームオーバー、自分の生きる目標がなくなっちゃうけど、死期も近いし(?)もうどうでもいいやってことなのかな。