Dear フランキー

Dear フランキー

見る前の予想・・ちょっとやばいかも・・だっていかにもな内容でしょ。暴力をふるう夫から逃れ、転々とする母子と祖母。息子フランキーは夫のせいで難聴になってしまった。リジーは父親は船員だとウソをつき、フランキーが父あてに出した手紙の返事は自分が書く。フランキーは読唇や手話に頼り、自分からしゃべろうとしない。彼が何を考えているのか、彼の書く手紙は、リジーが息子の内面を知るたった一つの手がかりでもあった。そんなある日、父親が乗っていることになっている船が入港するとわかり、リジーはとほうにくれる。一日だけフランキーの父親役を演じてくれる男はいないだろうか。「過去も現在も未来もない男」・・友人マリーのおかげで「都合のいい男」が見つかる。ひとときの楽しい時間。一方本当の父親デイビーは死の床にあった。フランキーに一目会いたいと願う夫にリジーは・・。こりゃ泣いちゃうかもね、こんなストーリーじゃあさ。「マザー・テレサ」でウルウルしっぱなしだったからさ。ところが・・ぜ~んぜんなのよ。自分でもびっくりするくらい冷静だったの。何でかなーって考えたんだけど、その理由は二つあって、一つはリジーの態度。リジーは夫のせいで男が信じられなくなっている。息子を守るのは自分しかいない・・と一人で母親と父親の役両方を引き受ける。世間に対してガードが固く容易に打ち解けない。それはまあわかる。普通なら彼女に感情移入してしまうところだ。ところが・・ぜ~んぜん。彼女はタバコを買うのに列に割り込む。前に息子が買いにきたけど売ってもらえなかったから。アホ、ずうずうしい!ちゃんと並べ!とまず反感。父親役を演じてくれたストレンジャーが、情が移ったのか「もう一日」と言い出す。普通なら「本当にいいんですか?ご迷惑じゃないんですか?」となる。それがどうよ。「何様のつもり?誰がそんな権利を与えた?」とこうですよ。まーかわいげのない女・・と言うか礼儀知らず。それが自分の窮地救ってくれた相手に対する言葉かよ。もー信じらんない。そんなこと言われて相手がどんなに傷つくか。ええ私またまたここで反感持ってしまいました。涙なんかどこかへすっとんじゃいました。死の床にあるデイビーとの対立もそう。日本や韓国の映画なら思いきりジメジメジトジト、涙腺集中攻撃!となるところだが、この映画はそうならない。

Dear フランキー2

涙をはね返すというか、同情はいらないわ!・・みたいなところがある。リジーを演じているのはエミリー・モーティマー。彼女撮影中身重だったそうだが、あんなに走って大丈夫だったのかね。それと・・巨乳ですなあ・・。ああ、いえ別に見せませんけどね。セーターガール(胸のふくよかな女性)です。リジーは今回のことをビジネスだと割り切ろうとしている。夫が死なない限り逃げ続けるしかないと思っている。それでもストレンジャーの存在にはほんのちょっと心を動かされる。彼女より早く反応したのは母親のネルである。ネルはウソの手紙なんかもうやめるべきだと思っている。見も知らぬ男を父親役に仕立てると聞き、「我が娘ながら理解できない」と呆れる。それでいて男が来た日の夜、何を思ったのかマニキュアなど塗り始める。娘と孫と三人で暮らしていて、身なりに気をつかうこともなかったが、身近に若い男が現われれば何やら装う気持ちが出てくる。あまり見苦しくないようにしなくちゃという気になる。母娘で仲良くマニキュアを塗る。次の日出かける時はリジーは念入りに化粧をする。情に流されない乾いたきつい描写をする一方で、こういうフワッとしたほのかに甘いシーンも入れる。バランスの取り方がうまいと思う。ウルウルしなかった理由のもう一つは・・ジェラルド・バトラー。ええ、彼ばっかり見ていたんですの、白状しますけど。ここは入れ替え制で一回しか見られないから、彼の一挙手一投足見逃したくなかったんですの。彼が演じるストレンジャーは、いろんなものをそぎ落としたような役。背景がわからないというのは、かえって役作りが難しかったと思う。背景が不明というと記憶喪失とかそういうことになるけど、ストレンジャーは違う。名前も家族も経歴もあるけどそれを明らかにできない。リジーの方でも必要としていない。彼がリジーやフランキーと接する中で見えてくるもの・・それが(観客が)彼を知る手がかりである。素性のわからない男を夫、父親として迎え入れるにあたっては、紹介してくれた友人マリーを信用するより他にない。彼は父親の役をうまく演じきれるのだろうか。会わせることに成功したら今度は別れさせなければならない。こっちの方が難しいかも。子供になつかれれば心も動く。ちょっと態度をゆるめるとリジーに「何様のつもり?」なんて冷水浴びせられるしね。全く何てこった。最後の方で彼の正体がわかる。

Dear フランキー3

マリーの弟である。リジーの考えていたことはわかる。マリーの昔の恋人だと思っていたのだ。ストレンジャーに心が動いたのは確かだが、友人の昔の恋人かもしれない男に近づく気にはなれない。だが弟なら話は別だ。ここで見ている者はあることに気づく。マリーは友人を助けるのにいいかげんな男を紹介したわけではないということ。身元が確かで信用のおける者を紹介したということである。知り合って日は浅いが、マリーの友情は本物なのだ。それともう一つ、男はもうストレンジャーではないということ。デイビーは病気で死んだ。リジーはもう逃げ回る必要はない。彼女は自由だ。フランキーには父親は病気だと伝えてあった。この場合の父親はストレンジャーのことだ。ほどなく新聞の死亡欄にデイビーの記事が載る。父親は死んだ。もう手紙のやり取りもしなくていい。フランキーの心にはストレンジャーとの楽しい記憶だけ残ればいい。リジーは手紙のやり取りに使っていた私書箱の契約を解除するため郵便局へ・・。ところが書かれるはずのないフランキーの手紙が届いていた。・・フランキーは真の父親のことをちゃんと知っていたのだ!まあここらへんのことはあんまりはっきりしない。フランキーはいつから本当の父親のことを知っていたのか。ストレンジャーのことは「父のような人」と認識していたのか。「父に代わるもの」あてに手紙を書いていたのか。あるいは相手が母親と知ってて書いていたのか。あの年頃なら手紙の筆跡と母親の筆跡が同じことに気づいてもおかしくない。リジーは筆跡を変える努力全然していないし。だがまあ・・彼は「父のような人」にあてて書いていたんだろうなあ、やっぱ。相手が母親だとは気づいていないんだろうなあ。リジーはフランキーが本当の父親の存在を知っていたことを知り驚くが、まあ子供は大人の思っている以上にいろんなことを知っているものだ。子供を驚かせちゃいけない・・と事実を隠すわけだが、子供にとってはさほどショックでもないのだ。「ふうん」と自分なりの解釈をしてそれで終わりなのである。大人が気を回しすぎるのである。・・で話を戻すとフランキーの気持ちには何も問題はない。本当の父親の死に対するショックもないし(多少しょんぼりはしていたが)、ストレンジャーを父・友人として受け入れる気持ちは大いにある。フランキーに問題がない以上、リジーは自分の気持ちに素直になればいい。

Dear フランキー4

男の素性を知らなかった時は、彼が去ってしまえばそれきりだった。自分の気持ち、自由になった立場を伝えるすべはなかった。だがマリーの弟となれば話は別だ。マリーを通じて連絡の手段はある。映画では彼らのその後はわからない。どっちとも想像できる。かなり楽観的な見方もできる。リジーは何とかしてフランキーの手紙を届けようとするだろう。父親あてではない「友達」あての手紙を。ここらへんのフランキーの心配りは泣かせるぜ!しかし私はあんまりねぇ・・。ストレンジャーは実際はどんな男なのだろう。私が想像したのは、彼は刑務所から出てきたばかりなのでは?・・ということ。髪を短く刈ってるし自分のこと何も話さないし用心深いし。ほんの出来心か誰かにだまされたかで罪をくらって、何とか勤め上げて出てきたばかりなのでは?さしあたって何もすることないし、姉貴の頼みだから仕方ない、聞いてやるか。お金も欲しいし。仕事だと割り切って心を開く気もなかったけど・・子供に抱きつかれた時の妙な気持ち。どうしていいかわからなくて固まってしまったけど、この小さな生き物はなぜか自分になついて離れようとしない。悪い気はしないしそのうちこれが仕事なのだという気も失せて・・。元々彼は気のいい性格なのだと思う。心がほぐれて親切心が出てきたり、リジーに冷たい言葉浴びせられてひるんだり。普通の男ならあんなこと言われりゃ怒り出すけど、彼は怒らなかった。彼もリジーと同じ「過去に何かあった」男だと私は思うんですけどどうですか?・・って誰に聞いてる。いやとにかくストレンジャーの過去はいろんな妄想をする余地があるってことです。彼はいいことをして(結局謝礼も受け取らなかったし←遠くへは行けん、リジー、チャンス!)、その思い出を大切に、フランキー達の前から姿を消し、二度と現われないのであります。この方がロマンチック~!リジーさん、これが現実よ、他の人捜しな。結局ジェラルド・バトラー目当てで見に行ったわけだが、満足して帰ってまいりました。髪短いのでいつものようなワイルドさ、セクシーさが半減しているけど、そのぶん素朴さ、純情さ、人のよさが強まっています。お客は12~13人で、何で?・・と思うくらい少なかったけど、多くの人に見てもらいたい、また見た人は必ず満足できる映画だと思う。地味で小規模だけどなかみのぎっしり詰まった上質な映画。音楽もいいです。