A.I.

A.I.

失った子供の代わりに子供のロボットを・・というのは「鉄腕アトム」もそうで、最初は喜んでいてもそのうち気が変わるのが人間の常。冒頭黒人の女性が「人間を愛し続けるようにロボットを作るのなら、人間の方にもロボットを愛し続ける責任があるのでは」というようなことを言う。この映画の主題はこれだと思う。母親モニカへの愛情をインプットされたデイビッドは、人間側の変化などおかまいなしに母親を愛し続ける。前半はお茶の水博士に救われるまでのアトムみたいな感じ。親に捨てられ、ジュード・ロウのジゴロ・ジョーと放浪するところは「ブレードランナー」みたい。自然破壊・環境の変化で、デイビッドがもらわれていった先のようにまともな家庭もあるが、一方では暴力・破壊・退廃の世界が広がっている。ジョーが出てきた時には正直あららと心配した。だって子供のロボットが主人公のファンタジーだと思って家族連れで見にきた人にあのセリフ・・。まああまり妙なシーンはなかったとはいえ、ジョーの言動はね。中盤は子供には見せたくない残酷なシーンが続く。この映画はアメリカでは思ったほどヒットしなかったようだが、それもムリないかも・・と見ながら思った。日本だとアメリカほど規制がやかましくないから、子供も大人も見にきて、それで大ヒットになったのだろうけど。だってオスメント君とテディベアの組み合わせだもんねー。家族そろって見にくるわさ。いろいろ出てくるポンコツロボットはアトムに出てくるようなのばかり。「ピノキオ」に出てくるブルーフェアリーならボクをきっと人間にしてくれる・・と信じるデイビッドは、ドクターノウ(KNOW)に聞くためにルージュ・シティへ行く。ここでもあららと心配した。だってオスメント君はまだ子供ですよ。歓楽郷なんかに連れて行かれて、こっちだって心配しますがな・・。まあ出てきたドクターノウは「たけしの万物創世記」に出ていたキャラクター(名前忘れた)に似ていて、危ないシーンはなく、こっちもホッとしましたけど。さて温暖化による海面の水位上昇で水没した都市でデイビッドが見つけたものは・・。ここで彼の素性がわかる。彼ができるまでにはいろんな段階があった。ここらへんは「エイリアン3」でリプリーが自分のクローンを見てショックを受けるシーンを思い出させる。ウィリアム・ハート扮する作り主ホビーの亡くなった子供はデイビッドそっくり。

A.I.2

デイビッドは彼を元に作られたのだ。でも自分の子供そっくりに作った精巧なロボットをなぜ他人の家庭に送り込むのかな。ホビーのところにもデイビッドと同じロボットがいて、動揺したデイビッドは彼を壊してしまうのだが、ホビーは顔色一つ変えない。このロボットはデイビッドと同じくホビーを父親として愛し続けるように作ってあるはず。壊されても何も感じないのかな。モニカがデイビッドを捨てたのは会社に返すと廃棄処分にされてしまうからだ。でもホビーはデイビッドの帰りを待っていたみたいだし、ここらへんは今いちよくわからん。水没した遊園地でデイビッドはとうとうブルーフェアリー(ファイナルファンタジーのヒロインふう)を見つける。必死でお願いしたって相手は人形なんだから願いがかなうわけもなく、水底に閉じ込められたまま2000年の時がすぎる。地球は氷河期に入り、人類は滅亡。宇宙人(「ミッション・トゥ・マーズ」に出ていたのと似ているなあ。結局こういう形になるのね。英語しゃべるのもヘン)がやってきて、凍っているデイビッドを見つける。地上に引き上げられたデイビッドの目の前で、同じく引き上げられたブルーフェアリーの像はバラバラに壊れる。そりゃ2000年もたてばねえ・・。でもデイビッドの願いは聞き届けられた。テディベアが持っていた髪の毛を元にモニカが復元され、たった一日だけれど二人は幸せな時をすごす。誰もいない家の中をモニカを捜し回るシーンは「2001年宇宙の旅」を思い出させる。見慣れた家の中の風景、でも誰もいなくて自分だけ・・というところが。永遠の眠りにつくモニカをやさしく見守りそばに寄り添って(ここらへんのオスメント君の演技は子供というより大人の男性みたいでやや不自然)デイビッドにも初めての眠りが訪れる。何だかホッとさせられる結末で、エンドロールで流れる女性のやさしくつつみ込むような歌声が心に残った。モニカの子供が回復せず、あのままの状態で暮らしていたとしても、年を取らず、成長もしないデイビッドに両親はいつかいらだちをつのらせたことだろう。天馬博士がそうだったようにね。ロボットに愛という感情を持たせるのなら、人間にもそれに答える義務があるはずだ。自分の一時の感情をまぎらわすためにロボットに感情をインプットするのは自分かってな発想だ。でも人間って自分がかわいいからそれをやってしまうのよね。