たたり(1963)/ホーンティング

たたり(1963)/ホーンティング

やっと見ることができた。「たたり」は見たし、原作も読んだ。公開された時は特撮がかなり話題になり、メイキング映像もさんざん流された。「ハム2」もそうだが見る前にいろんなものを見せられすぎ・・というのが最近の傾向だ。特にくり返しうつされる子供の彫刻と言うか飾りは非常に趣味が悪く、見る者に不快感を与える。これがこの作品の目玉だと作り手が考えていたのなら、私自身に関して言えば逆効果である。カーテンがたなびいたりベッドカバーが動いたりとにかくやりすぎ。「たたり」の頃はそういう技術がなかったから、別の方面から怖さを追求していた。今は何でもできるが、やらなくていいことまでやっているという感じ。この作品の主人公は何と言っても屋敷である。一つ一つの部屋が何年もかけて織られたじゅうたん、あるいは刺繍のようにとてつもなく豪華で複雑である。管理人の妻が「そうじが大変」とつぶやくのだが、お客はあまりの豪華さにうっとりとなる。いくつ部屋があるのか、どこがどうつながっているのか探検しきれないような屋敷。登場人物のうちキャサリン・ゼタ=ジョーンズは輝くばかりに美しい。「たたり」ではクレア・ブルームが演じていてそれなりに美しかったが、キャサリンのセオは行動もさっそうとしていて、自分がレズであることを隠そうともしない。原作でも「たたり」でもレズのことはややあいまいにしてある。しかし今は表現をあいまいにする必要もない。「ホーンティング」では設定が少し変えられている。リリ・テイラー扮するヒロイン、エレノアの、教授マローへの思慕はなく、彼女はこの家の持ち主の子孫ということになっている。原作ではルークというあまり出来のよくない青年が相続人になっているが、ヒロインの設定がそうだから、この映画のルークは実験に参加するメンバーの一人ということに変わっている。だから途中で死んでしまう。犠牲者が出ないと今の時代ホラーとして成り立たないのだ。このルーク役の人もマロー役リーアム・ニーソンもテイラーも皆鼻が大きくごつくて、どうも視線がそっちへ行ってしまう。おかげでキャサリンの美しさがますます目立つというわけ。画面が美しくテイラーの演技もよいが、全体的にはやりすぎが目についてかえってウソっぽくなってしまった失敗作。ヒロインが子孫だという設定も説得力がないし。・・以上は以前WOWOWで「ホーンティング」を見て書いた感想。

たたり/ホーンティング2

2001年頃か・・かなり前だ。その後も何度か見たし最終的にはDVDを買った。残念ながらDVDは映像が暗く見えにくいが・・。名前を書いていないことでもわかるが、この頃はオーウェンのことはよく知らなかった。変な鼻をした人で、興味がなかった。今見るとリーアム・ニーソン、リリ・テイラー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、オーウェン・ウィルソン、ヴァージニア・マドセン、ブルース・ダーンと豪華な顔ぶれ。他に「ミミック2」のアリックス・コロムゼイ、「ツイスター」のトッド・フィールドも。この二人の早い退場は残念。原作「たたり」の解説でデュ・モーリアの「埋もれた青春」にちょこっと触れていたのがうれしかった。私自身は「ホーンティング」でのダドリー夫人を見ると「レベッカ」のデンヴァース夫人を連想してしまう。デンヴァース夫人にくらべればダドリー夫人には人間味があるが。夫人役の人は知らない人で、大柄でちょっとごついが品があり、若い頃は美人だったろう。料理がうまいという設定だが彼女ならそうだろう・・と思える。「たたり」でのダドリー夫人はやせて骨ばっていて品がない。彼女の作る料理はおいしくなさそう。原作でのダドリー夫人とモンタギュー(映画でのマローあるいはマークウェイにあたる)夫人との会話はなかなかおもしろい。ダドリー夫人は相手によっては愛想もよく話好きになれるのだ。さて屋敷のりっぱさは「たたり」もなかなかだが、カラーでうつされるとね・・こっちの勝ち。特撮の使いすぎ、ネグリジェで走り回るエレノアの滑稽さ、クライマックスで「かくれんぼをするのよ」となる脱力ストーリー・・「ホーンティング」にはいろんな欠点があるけど一番まずいのがエレノアの素性のあいまいさ。クレインの二番目の妻キャロリンの生んだ子供の子孫が彼女。子供を残して家を出たキャロリンのその後は不明。てっきりキャロリンは家出してから子供を産み、隠れて暮らしていたのだと私は思っていたのだが・・。エレノア達が屋敷から離れて住むようになったいきさつや、現在屋敷の持ち主が誰なのかも不明。子孫だから屋敷に引きつけられたことになってるけど、それを言うなら姉にだって同じ血が流れているわけで。どうもここらはあいまいだ。またエレノアのキャラにあまり魅力がないのも惜しい。「たたり」は最初WOWOWで見て、その後DVDを買った。コメンタリーがついているのがうれしい。

たたり/ホーンティング3

「ホーンティング」より「たたり」の方が原作に忠実。マークウェイ博士役はリチャード・ジョンソン。キム・ノヴァクの元夫としてしか知られていないかも。コメンタリーによればボンド役が来たこともあったそうで、実現していれば彼の人生も・・。エレノア役は「エデンの東」のジュリー・ハリス。セオがクレア・ブルームでルークがラス・タンブリン。ルークは原作通り屋敷の相続人で、オーウェンとは違い生き残る。この映画から伝わってくるのは、他にどこにも行く当てのない孤独な女性の悲哀。エレノアは11年も母親の世話をした。母親が死んで重荷からは解放されたが、気づいてみればお金もないし住むところもない。今いるところだって姉夫婦に取られ、売られてしまうだろう。恋人も友達もいない。もう若くないし美人でもなく手に職もない。苦労したせいで精神的にもやや不安定。今度のことは初めての休暇・・と心がはずむ。屋敷を前にすると気持ちが悪くなるが、マークウェイの親切な態度には心がときめく。セオやルークも来て自分が仲間入りできたのがうれしい。彼女にとって一番恐ろしいのは「君はもう必要ない、帰りなさい」と言われること。だって帰るところなんてないんだもの。マークウェイの妻グレースが現われた時はショックだった。そしていよいよ「今すぐ帰りなさい」だ。マークウェイにそう言われたエレノアにはもう何の希望もなくなってしまった。テイラーだとこういう悲しい境遇なんです・・となっても、彼女なら大丈夫と思ってしまう。ネグリジェで走り回るし怪物と戦うし何かを投げていたし・・まるで陸上競技の選手みたいに力強い。こちらのハリスのエレノアは世間知らずでうぶであぶなっかしい。独白が多いが長年そうやって頭の中で自問自答していたのだろう。そういう精神状態がこの屋敷の波長とぴったり合ってしまったのだ。どちらもよくないエネルギーのかたまりどうし。「たたり」は幽霊屋敷を描いた映画に見えて、実は精神を病んだ女性が自滅していく物語である。すべてはヒロインの妄想かもしれない。もちろん多少のことは現実に起こっている。グレースがいなくなったり(突然夢遊病になったのかも)、マークウェイやルークにいるはずのない犬の声が聞こえたり(人里離れているから野犬がいたとしてもおかしくないが)。セオはESPなので人より感覚が鋭い。エレノアの心理もずばずば読み取る。

たたり/ホーンティング4

しかし彼女の興味は常に人間や着るものなど現実に向いており、エレノアのように内にこもる性格でもない。ここでちょっと書いておくと、「たたり」でのマークウェイは原作通り本当に幽霊屋敷なんてものがあるのかを明らかにしようとしている。そのため特殊な能力のある者を集めようとする。同じ心霊現象でも感覚の鋭い者に経験させた方がよりはっきりした結果が出るだろう。しかしマークウェイの招待に応じてくれたのはカード当てに特殊な能力を発揮したセオと、ポルターガイストを起こしたことのあるエレノアの二人だけだった。このように「たたり」はいちおう筋の通った説明がされている。しかし「ホーンティング」の方は、マローが実験の意義を力説するわりにはその設定が映画の中で生かされていない。セオやルークは単に重度の不眠症というだけで選ばれたように見える。マローの提唱する恐怖の克服とどうつながるのか。マークウェイと違いマローは幽霊屋敷や心霊現象を信じていないようだ。屋敷にまつわるいろんなうわさをエレノア達に吹き込み怖がらせ、その恐怖心の形態を調べ、その中から克服法を探り出したいのか。その程度の設定では弱すぎると思うが。登場人物にしてもメアリーがマローの助手なのはわかるが、トッドは助手なのか被験者なのか。どうも説明不足が目立つ映画だ。それでいて「すべてのものをあるべき場所に」なんていうもっともらしい文出してくる。この場合エレノアには屋敷に行って、煉獄にとらわれたままの子供達を成仏させる使命があったってこと。エレノアのいるべき場所は屋敷。「たたり」の方は「旅は愛するものとの出逢いで終わる」・・こちらは原作通りだ。エレノアは屋敷を愛している。出て行きたくない。旅はここで終わりなのだ。原作にしろ「たたり」にしろ精神が不安定になっている女性を夜中に一人で追い出すなんてひどいよね。エレノアの言動が彼らにとって厄介なのはわかるけど、せめて朝まで待ってやればいいのにね。・・シカゴの家から車で屋敷に向かうエレノアを見て私は「サイコ」のマリオン連想した。どちらも若さを失いつつある女性。心はあせりと不安が渦巻いている。一方でこれが新しい人生への第一歩なのだという期待もある。頭の中での自問自答。そして結局はマリオンもエレノアも幸せをつかめず命を落とす。途中で逃げることも引き返すこともできたのに。私は「たたり」からは怖さよりも悲哀を感じた。