ターン

ターン

これを最初に見たのはWOWOWだったか・・かなり前のことだ。その後DVDも買った。私はこういう・・わりとこぢんまりしたのが好きだ。と言っても邦画はあまり見ないけど。原作を読んだ時にはとまどった。男女の会話になってる。片方は誰?映画にはこういうのはなし。真希はひとりごとは言うけれど。こういう・・性も年齢も違う想像上の存在との会話って・・。真希は子供の頃からずっと見えない友人と話をしていて。そのせいでいじめられたり。妙な世界で一人ぼっちで同じ日をくり返すことになっても、何とか正気でいられたのはこの友達のおかげでもあり。不思議なことに泉という男性と電話で繋がり、話をするようになったが、もっと不思議なのは泉が見えない友人そのものに思えること。同じことを考え、同じふうに感じる。会ったこともないのになぜ?自分が子供の頃から頭の中で会話していたのは彼だったの?でも、こういうのって映像化は難しい。レストランでの食事とか、植物園でのデートとか、見えてないけど相手を感じるシーンはあるけれど、原作にあるものとはやはりどこか違う。原作での二人は場所だけでなく、時も超えている。出会うのは運命。一方映画での二人の出会いは偶然。不可解で神秘的な面は避け、もっとわかりやすく親切にメルヘンチックに。冒険は避け、王道を行く。つまり母子の関係を強調する。原作では真希と泉の繋がりに、母親がほのかに嫉妬したりする。そりゃそうだ。夫亡き後二人で暮らしてきて、絆は誰よりも深いはず。泉が真希のことをよく知ってるのは・・真希がそんなこと(打ち明け話とか)するのは・・解せない。映画の場合は、泉は偶然巻き込まれた、人のいいアンチャンである。母親以上に強い絆なんてとんでもない。ウ~ム、安全運転。それにしてもなぜ泉の年齢をずっと引き下げたのか。いや、別に中村勘太郎君が若すぎてだめとか言ってるわけじゃないんです。1981年生まれらしいから、当時19歳くらい?DVDに付いてるエッセイには泉は18歳とか書いてある。そ・・そんなに年下なんですか?

ターン2

私自身はこちらの泉は大学か専門学校を出てすぐくらいかな・・とか思ってて(6月の設定だし)。真希の方は29歳から27歳に引き下げられている。それでなくても牧瀬里穂さんは少女のようにういういしいし・・5歳くらいの年齢差なら何とかなるのかも・・結婚も視野に入るのかもという意味ですけど。でも何となく無理を感じる。何で泉が35歳ではいけないの?29と35じゃあまりにもお似合いで、しかもずっと前から心は繋がっているとか、なまぐささを感じさせるのはまずいとか?あくまでも透明に・・姉と弟みたいに・・性は感じさせずにおきたいとか?さて、真希は版画家。メゾチントという銅版画で、手間がかかる。作品もバブルの頃と違って売れない。母親(倍賞美津子さん)は教員(原作ではスーパーなどの保安員)。ある日真希は交通事故にあい、別の世界へ飛ばされてしまう。実際は病院で昏睡状態にあり、精神だけがさまよっているのだが、後で泉に教えてもらうまで気づかない。自分は神隠しの状態なのだと・・向こうの世界から消えたことになっているのだと思っている。最初はもちろん夢なのだと。目が覚めれば元通りなのだと。でも、事故にあった午後2時15分(原作では3時15分)になると、前日の同時刻に戻ってしまう。そのくり返し。同じ場所、同じ服、同じ姿勢。買い物をしても、本を借りても、ハガキを投函しても、ケガをしても・・とにかく何をしても元に戻ってしまう。消えてしまう。まあ、戻るのがケガをした時の状態でないだけまだマシだけど。だって痛みが永遠に続くんですぜ、そんなのいやだぁ。人間も動物もいない世界。見渡す限り誰もいないシーンをとるのは大変だっただろう。これが洋画なら主人公は一人ぼっちでも犬一匹くらいはいるし、そのうち誰か(必ず異性)が現われる。人間はいなくてもゾンビはいて、こっちを狙ってわちゃわちゃ出てくる・・って「アイ・アム・レジェンド」かよッ!まあとにかく主人公は銃ぶっぱなすとか車ぶっ飛ばすとか。どこか破壊するとか、酒を飲むとか。もっと怒り、悩み、落ち込み、パニクり、そういう起伏の激しいルートをたどる。冷静になるのはその後だ。

ターン3

そりゃ真希だって泣いたりする。でも極端な行動は取らない。買い物をしたらお金を置いていく。誰もいないのだからそのまま持っていったってどうってことない。お金が足りなくなると銀行で下ろす。でも時間が来れば残高は元に戻る。服や靴を買っても、時間が来れば消える。一番辛いのは日記も作品も残せないこと。記憶は残るけど、形になるものは残せない。そんな状態に置かれたら・・普通はやる気なくす。何もかもどうでもよくなる。誰も見ていないんだし、どうせ元に戻るんだし。でも真希はいつも通りの行動を取るよう心がける。品物の代金を払う。ゴミはクズ入れに。車が来ないとわかっていても信号を守る。夜は戸締りをする。異常な世界だからこそきちんとする。元の世界に戻った時に正常な行動が取れるように。そもそも彼女はそういう性格なのだ。人がどう思おうと関係ない。自分はそうしなきゃ・・きちんとしなきゃ嫌なのだ。誰も見てないと思っても天は見ている、地は見ている、そして自分も見ている。彼女は律義さを持ち続ける。一度なくして取り戻すのではなく、ずっと持ち続ける。真希にしろ泉にしろ、お行儀がよすぎる。見ていて気恥ずかしくなる。ウソっぽい。そう感じる人もいるようだが、そういう人にだってこれだけはゆるがせにできない、これだけは譲れないってことはあると思うよ。とは言え150日以上過ぎ、時には真希だって心が折れそうになることも。そんな時にかかってきたのが泉からの電話。以前ある店に作品を売り込みに行き、運良く置いてもらえることになった。偶然それに目を止めたのが、本の装丁をやっている泉(原作ではイラストレーター)。版画を使わせてもらおうと何気なくかけた電話。見ていて感じたのは、真希の礼儀正しさが泉にも伝わったこと。彼だって友人と一緒の時は、今時の若者と変わらない。でも、電話の相手の版画家さんは、妙なことをしゃべって薄気味悪いものの、言葉遣いはていねい。相手にそうされれば、こっちだってそうなる。寝転んでいたのが正座したりする。すると真希も姿勢を正すという具合で、相手は見えないのに何かが伝わる。

ターン4

対極にいるのが、真希と同じような境遇にいる柿崎。私はこの作品で初めて北村一輝氏を見たのだが、印象強烈と言うか。ちょっと濃いけどハンサムで好青年風。ところが・・一転するんですよ。ものすご~く邪悪で気持ちの悪い変質者に。その表情を見たとたん、言葉を聞いたとたん思うわけ。あ、この人のそばにいちゃいけない、危険だ、できる限り離れろ・・と、頭の中で警鐘が鳴る。最初は、同じ境遇の人がいる、しかも同じくらいの年齢でイケメン・・と真希は喜ぶ。そりゃ泉と会話できるのはうれしいけど、顔が見えないと言うのは・・。一方泉は、真希の心が他に向いてるようなのが気になる。電話しながらおでこをコツンと電灯に当てる。あれが嫉妬なら何とかわいい・・。相手が悪人だったら・・と心配になって調べてみたら案の定・・5歳の女の子を誘拐し、車でひいたという新聞記事。でもそれを伝える前に、訪ねてきていた先輩(柄本明氏)が電話を切っちゃう。さあ大変・・でも、泉が真希に伝える時間はあったぞ!もっとも、柿崎が危険だというのは、すぐ真希にもわかり始める。いつものように目覚めると、そばに柿崎がいて・・でも、このシーンはちょっと安易。原作だと彼は真希の運転免許証を盗み見て住所を知る。でも映画では「こっちの世界ではすぐわかる」というセリフでかたづけていて。真希は自己紹介の時、名字しか言ってない。最初に二人が会うのは代々木あたりである。それでどうして世田谷の真希の自宅を突き止められるのか。もう一つアレなのは時間軸。これはもう原作でも説明と言うか、言い訳らしきものが巻末に付いている。それに元々これは夢の中の話なんだから、少しくらいつじつまが合わなくたって・・。とは言え眠れない夜なんかには格好の材料ですぜ、ますます眠れなくなるけど。映画だと真希は午後2時15分になると、きのうの午後2時15分に戻ってしまう。それのくり返し。一方柿崎は午後2時20分になると、きのうの同時刻に戻る。ずれは5分。あとは同年同月同日に交通事故にあったことになってる。

ターン5

正体をあらわした柿崎は、2時15分に戻ってくる真希を待ち伏せしている。でも20分になると、今度は彼がきのうに戻ってしまう。だから真希はその間5分を何とかしのげばいい。読んでいる間、見ている間はなるほど・・と思うが、そのうちあれ?おかしいぞ・・となる。真希がきのうに戻った時点では柿崎はまだ今日にいる。彼は20分にならないときのうに戻れない。しかもきのうに戻った彼がいるのは大磯の海なので、すぐには真希のところへは来られない。だから真希の自宅で待ち伏せすることはできないし、5分後に現われることもできない。待ち伏せできるのはきのうの柿崎だが、その彼が5分後に戻るのはさらにその前日だ。二人のサイクルが一日ずれていればいいんだろうけど、最初に同日って宣言しちゃってるしねえ。さて、ピンチに陥った真希だが、都合よく柿崎は苦しみ出し、やがて消えてしまう。たぶん昏睡状態だったのが、死んでしまったのだろう。このシーンは予告編にも入っている。東宝の「〇〇人間」シリーズみたいな・・「ウルトラQ」みたいな。せっかく北村氏の気持ちの悪い目つきで、ヒロインの危機を予感させたのに、こんなのを見せたのでは・・ああ、大丈夫なんだ・・ってことになっちゃうじゃないのよ。何でこんなネタバレシーン入れるのかね。まあ何度も気持ち悪いを連発していますけど、これってほめ言葉ですからね!お行儀のいい人ばっか出てくるけど、彼は違う。気に入った車を乗り回し、欲しいものは何でもいただく。向こうの世界のことなんか知りたくない。真希に正体がばれたって平気。自分より弱い者を支配し、従わせるのが好き。こういう手強い相手が出てきて、真希はどうするのか・・と期待したのもつかの間、あっさり退場。そう、この作品はそういうのが目的じゃないんです。真希は日々が永遠にくり返されるわけではないことに気づく。自分だっていつ死ぬかわからない、そう思うと一日が大切に思われてくる。やめていたメゾチントに久しぶりに取り組む。結局そういう心の変化が、昏睡状態の真希を目覚めさせることになったのだろうが、映画を見ていてもはっきりしないのが残念。車椅子を押している泉が、どう見ても目覚めた真希の結婚相手には思えないのが残念。まああまりにも人のいいアンチャン風で微笑ましいけどね。