地球の静止する日、地球が静止する日

地球の静止する日

子供の頃にテレビで見て、もう一度見たいなあとずーっと思っていたSF映画が二つあって、一つが「火星人地球大襲撃」、もう一つがこの「地球の静止する日」。DVDが発売されたので早速ゲット。「火星人」もそうだけど「地球」も今見ても全く失望させられるということがない。ホントよくできてる。監督のコメンタリーが入っているのがこれまたうれしい。この映画で一番印象に残っているのは、パトリシア・ニール扮するヘレンが、ロボットのゴートが近づいてきて、あわや・・というところで、クラトゥに教えられた言葉を言って助かるところ。ゴートの顔の目の部分がスーッと開いて、中の目がピカッと光る。そこからは何でも消してしまう光線が出るのだ。危うし、ヘレン!何で黙ってるの!やられちゃうじゃないのよ、早く言うのよ、早く!・・なーんてドキドキしながら見ていたわけよ。ところで劇場版「サンダーバード」に出てくる火星の生き物ガンジャ。普段はヘビみたいにとぐろを巻いて、全く動かないので岩にしか見えない。それが地球から来た連中がちょっかい出したものだから動き始める。顔の部分には目しかなくて、それがスーッと開くと赤いのよ。このシーンにはすごく強烈な印象を受けた。ストーリーとかは忘れても、その赤い目だけは忘れられないの。「地球」は白黒映画だからゴートの目が何色かは不明だ。当然白黒で映える色であることがまず必要で、カラーで映える色とは違っているかもしれない。でも私はゴートの目は絶対赤だ!・・って思ってる。HALの目も赤だったでしょ。こういう時(目が一つしかないという意味よ)の目は赤に限るわ!・・なんちゃって。ところでこの時のシーン(ゴートの目が現われるところ)はコメンタリーによるとアニメらしい。「火星」のイナゴの缶詰が開くところもそうだし、「禁断の惑星」のウドの大木・・じゃない、井戸の怪物が現われるところもそうなんだって!井戸はディズニーが作ったんだって!え?缶詰だの井戸だのぼけるのもいいかげんにしろ?すみません、でもここでぼけなくてどこでぼけるんですか、ねえ剛斗君・・ウヒヒ。私が子供の頃はまだアニメという言葉は一般的でなく、動画と言っていた。東映動画・・とかね。テレビで見る「アトム」にしろ「鉄人」にしろ、動きは大ざっぱで、アニメというものはこういう雑な動きをするものなのだと思っていた。ディズニー映画なんて見たこともないし。

地球の静止する日2

でもそのディズニー映画のように動きのなめらかなアニメがずっと前からあったのだから、SF映画に使ったとしても不思議ではないのよね。井戸(まだ言ってる)はどう見たってアニメだけど、「地球」での飛行物体やゴートの顔は、何かとてもよくできた特撮のように思い込ませることもできる。私自身そう思い込んでいたから、アニメと知った時には失望・・いや意外に思いましたよーん。話を戻して、ガンジャを見るとゴートを連想し、ゴートを見るとガンジャを連想してしまう私なのであった。時期的にはガンジャの方が先だろうな。劇場版「サンダーバード」は映画館で見て、「地球」の方はそれより後にテレビで見たのよ。DVDで見るまでロボットの名前がゴートだということは忘れていた。ついでに言うと火星の生き物に名前がついていたこともつい最近まで知らなかった。ロックスネーク→岩蛇→ガンジャ・・なるほどね。ゴートは・・私はゴーストを連想しちゃうけど、ホントのところはどうなんだろ。さてワシントンに現われた謎の宇宙船。中から出てきたのはクラトゥと名乗る宇宙人。つい最近「ギャラクシー・クエスト」を見ていたら、友好的な宇宙人の言葉の中に「クラトゥ」が出てきたのでびっくりした。パロっているんですか?クラトゥは英語を話すが、これはラジオ放送を聞いて覚えたという設定になっている。ラジオ放送が異文化(言語も含めて)を知るための手段として使われたのだ。これと似たようなことは「コンタクト」でもあったな。あっちはテレビ放送・・ヒトラーの演説だった。テレビ電波が26年かかってある惑星に届き、26年かかって戻ってきた。受信しましたよー、そのことを知らせるためにその電波を送り返しますねー、共通の言語はなくてもこれならわかるでしょ?知的生物があなた方の他にも存在するんですよー・・と、テレビ電波がコミュニケーションの手段として使われた。クラトゥは病院を抜け出して下宿を見つけるが、そこの大家の女性にニューイングランドなまりがあると言われ、苦笑する。ほんの数語しかしゃべっていないのにニューイングランドときっぱり言われたので苦笑したのか、あるいは突然現われたクラトゥを全く疑っておらず、興味を持ったとしてもどこの出身か・・ぐらいなのが彼にはおもしろかったのか。宇宙人逃亡のうわさで持ちきりなのに、ここの人達は怪しみもせずに仲間として受け入れてくれたぞ・・なんて。

地球の静止する日3

もうちょっと想像をたくましくすると、彼が勉強した英語は、誰かニューイングランド出身のアナウンサーがしゃべっていたもの・・と考えることもできる。そしてさらに、想像・・いや妄想をたくましくすると、ニューイングランドにはハーバード大学やエール大学があるそうだから、そういったところ出身の偉い人、政治家とか軍人とかと、どこかしゃべり方に通じるものがあって、大家さんはちょっぴり皮肉の意味も込めてニューイングランドなまりと言ったのではないかしら。クラトゥ達が地球人の行動に危惧をいだき始めたのはここ数年のことだ。原爆が製造され、ロケット実験もしている。そういうことに関するニュースはラジオでも放送されたろうし、専門家が解説することもあったかもしれない。また国際情勢が不穏だから軍人や政治家の演説も流れただろうし、そういう時の話し手は一流大学の出身者だろうしね。まあ妄想はそれくらいにしておきましょ。さてクラトゥは体の作りは地球人と全く同じである。彼が住んでいるところは地球と同じ環境に違いない。でもどこから来たの?約五ヶ月かけて4億キロを旅してきた・・ということは太陽系のどこかからね。地球から4億キロというと火星と木星の間くらい?ここには小惑星群(アステロイド)があるんでしょ?今は存在していない第五惑星が爆発してできたものだという説もあるらしい。「地球」には全然関係ないけれど、「第五惑星から来た4人」というSF小説がある。1950年代に書かれたものなので、当時の世相がわかって(もちろん誇張して書いてあるのは承知だが)、なかなか興味深い。それはまあ置いといて、クラトゥの設定にはこの4億キロという表現を始めとして、物足りない部分があるのは確かだ。ワープして来たと言ってしまえば太陽系以外から来たことにできるが、それだとラジオ電波はどうなるの?ってことになるしね。ちなみに太陽系の大きさってどれくらいなんだろう。一番はずれにある冥王星の太陽からの距離は44億キロから74億キロ、数字に幅があるのは軌道が楕円だからだ。地球は太陽から約1億5000万キロの距離にある。こういう数字を見るとクラトゥの言う4億キロという数字があんまり真実らしく聞こえないのがわかるだろう。他にも彼以外の生き物はどうなのか、どういう環境でどのように暮らしているのかなどの説明が全くない。

地球の静止する日4

それはまあ彼が大統領への贈り物として持ってきた「他の惑星を知るための道具」が、到着早々壊されてしまったからなのだが。コメンタリーを聞くと、監督達は何よりもストーリーを重視し、ささいなことにはこだわらないという考えのようだ。確かになあ・・今の映画はディテールに凝って、アッと驚くような描写をするけど、内容はカラッポだもんね。別にそういう映画があったってかまわないけど、でも数十年後まで生き残るのは、しっかりした内容の映画の方だろうなあ。クラトゥを演じているのはマイケル・レニー。テレビによくゲスト出演していて、映画の方は「地球」しか見ていない。どの番組だったかナチの将校をやってたけど、「地球」の印象が強いので、どんな役をやってもいい人に見えちゃう。61歳で亡くなってしまったのがとっても残念。早すぎるよなあ・・。この映画が成功した理由の一つは彼の起用にあると思う。地球人と見かけはそっくりだけど、でもどこか違うぞ・・というふうに見せなくちゃならない。目が光るとか空を飛べるとかそういうはっきりしたことではなくて、何となくの部分。それをレニーはうまく表現している。背が高くてやせていて、ムダなものを感じさせない。肉体的な強さではなく精神的な強さを感じさせる。そしてその土台となっているものは知性だ。でも知的には見えるけど科学者という感じでもない。ヘレンの子供のボビーがなつくぐらいだから冷たい人間ではないのだが、暖かさはさほど感じられない。どこか近づきがたいし、どこか無関心な感じがする。パトリシア・ニールのような美女が出ているのだから、使命を担ってはるばるやって来た宇宙人が地球人の女性と恋に落ちて、地球は滅ぼさなくてはならないが、恋人の命は助けたいし、どうしよーと悩むありきたりな設定になってもちっとも不思議ではないのだが、そういうのは全くなし。伝えたいことがはっきりしているので、話が横道にそれるということがないのだ。第一レニーにはセックスアピールみたいなものはいっさい感じさせないようにしているみたいだしね。ボビーとの関係もそれほど深くはならない。親友だと思い、学校なんか行くよりあの人と一緒にいた方が楽しいや・・と思っていたのに、クラトゥがゴートを動かし、宇宙船に入っていくところを見たボビーはクラトゥが怖くなってしまう。・・でそれきりボビーは映画の終わりまで出てこない。

地球の静止する日5

宇宙人と地球の子供との交流といういい題材が尻切れとんぼになってしまう。クラトゥ自身もそのことをさほど残念に思っているようにも見えないしね。まあそういう冷たさはクラトゥにはあるな。もちろん性格が冷たいってことではなくて、自分が地球に来た目的を忘れない冷静さっていうことなんだけど。さてヘレンは戦争で夫を亡くし、ボビーと暮らしている。トムという恋人ができて、結婚を申し込まれているのだが、あと一歩が踏み出せないでいる。もっともトムがどういう男か後にわかって、彼女はゲンメツするのだが。彼女のような知的な女性がトムのような男に夢中になっているのは解せないが、未亡人で子持ちなのに恋人ができたのだから、ウキウキするのもムリないか。生活に張りができて、それがまた彼女をいっそう美しく輝かせるのだ。大家の女性との対比がおもしろい。毎晩のように出かけるヘレンは、今夜もトムが迎えに来るのを待っている。宇宙人がうろついているかもしれないのによく出かけられるわね、私だったら怖くて出かけられないわ、まあどうせ相手もいないし・・。さりげなくだけど今度の戦争で多くの未亡人が誕生したことだろう・・なんて思わされてみたり。話を戻して、クラトゥは地球到着早々撃たれてケガをしてしまう。まわりを囲んでいる兵隊がみんなして銃を持っているのだから、ああやって反射的に撃ってしまうオッチョコチョイがいたとしても不思議ではない。おかしいのはあそこでの最高責任者が何の指揮も取っていないこと。と言うか、誰が責任者なんだ?「待機しろー」とか「命令するまで撃つなー」とかそういう指示が全然出てないでしょ?町内会の有志が何となく集まりましたーみたいなバラバラな雰囲気。誰がリーダーかイマイチわかりましぇーん。いちおう武器配給されたんですけど、自分の判断で撃っていいんですかー?2時間も待たされているのでいいかげん判断力鈍ってまーす。指がしびれてひとりでに動いちゃうんでーす。あっ何か出てきましたよっ、手にヘンなもの持ってますっ・・バーン!あらら、その気もないのに撃っちゃったみたいでーす。しかも当たっちゃったみたいなー。これってボクちゃんの責任ですかー?あーん、もうこれじゃあ指揮官の面目丸つぶれですわな、もしいたとしての話ですが。結局ありえないことがポコッと現実に起こっちゃったものだから、上官も下っ端もどうしていいかわからないわけよ。

地球の静止する日6

で、バーンという銃声でハッと我に返る。ケガ人を病院に運ぶというのはマニュアルにあるから、てきぱきと行動できるわけ。でも宇宙人との意志の疎通まではマニュアルに載っていなかった。ふと気がつくと、いつの間にかロボットが立っている。スーッとフタが・・いや目が開いて光線が放たれ、銃や戦車を消しちゃった。薄気味悪い音楽が流れて・・私は最初は女の人の声かと思っていたんだけど、これがテルミンなのね。ゴートの不気味さを表わすのにこれほど最適な音楽はないわね。目もただ光るんじゃなくて、灯台みたいにゆっくり回っているように見えるのがいいわあ。劇的に登場するんじゃなくて、いつの間にか・・というのもいい。光線を発する時は別として、彼は全く音を立てない。病院に運ばれたクラトゥのところへ、大統領補佐官のハーリーがやって来る。地球へ来た目的を知るためだ。ぜひ大統領に会って欲しい。しかしクラトゥは断る。一国の指導者だけに会うわけにはいかない。自分は地球人に重大なことを伝えにきたのであるから、すべての国の代表を集めて欲しい。この要求は、当時の世界情勢を考えてみるとなかなか興味深いものがある。冷戦、核戦争の恐怖・・アメリカとソ連が同じテーブルにつくことはありえなかった。人々は国単位、あるいは共産主義とか資本主義といった単位でものを考えた。地球単位でものを考える政治家、軍人はいなかった。外交経験豊富で温厚そうなハーリーでさえ、(ソ連のことを)悪質な勢力と表現している。クラトゥは失望したが、少し態度を変える。地球人のことを知りたい・・しかし病室にはカギがかけられた。難なく抜け出したクラトゥは夜の町へ・・。傷は持っていた薬のおかげですでに直っている。医師達は薬の成分分析だ・・となるが、その後どうなったのかは描かれない。夜道を歩くクラトゥが持っているトランクは?着ている服は?・・どこから調達したんだろう。背広にはクリーニングの注文書がついていた。きっとPX(酒保)からくすねてきたのね。カーペンター少佐・・この名前を使わせてもらおう。日付は・・1951年7月18日?でも最初の方で「春の陽光の中で」って言ってたはずなのにな。ところでアメリカでは月・日・年の順で、イギリスでは日・月・年の順に書くんですか?ややこしー。舗道に置いたトランクを持ち上げた時、黒くて四角いアトが残っていませんでした?

地球の静止する日7

私絶対あのトランクの中には地球を破壊するようなすごい爆弾が入っているのだ・・と思っていたんだけど、下宿のじゅうたん焦がしたような形跡もなし、違ったんですね。いずれにせよ、ここらへんはカットされたシーンがあるような作りだ。次の日は日曜日なのでボビーに町を案内してもらう。おびただしい戦死者の墓にクラトゥの顔はくもるが、事前にラジオで情報を仕入れていたはずなのに戦争のこともお金のことも知らないのはどうかと思う。ここらへんはお定まりの子供との心の交流である。・・ところで何の映画見に行ったんですか?お二人さん。クラトゥはボビーから聞いたバーンハート教授に興味を持ち、訪ねてみたが留守。その夜会うことができたが、バーンハートならクラトゥに力を貸してくれそうだ。彼の使命は要するに地球人に一つの決断を迫ることである。地球の中で戦争をしているぶんにはかまわないが、原爆を作り、ロケット実験もしているとなると、次にやることは宇宙船に原爆を積むことである。しかし他の惑星を脅かすことは許されない。ただそれをわからせようにも今の地球人はそれぞれの勢力に別れて、相手をつぶすことばかり考えている。地球そのものが生き残れるかどうかの瀬戸際なのに・・。話してもわからないのなら(すでにアメリカの呼びかけは失敗していた)こちらの力を見せてやろう。「暴力なら地球人も理解する」・・この言葉には悲しいものがある。クラトゥは世界中の電力を30分間止めてしまった。もちろん人命に被害が出ないように病院や飛行機は除いたが。しかしこれは逆効果で、クラトゥはますます危険な存在と見なされ、大がかりな捜索が始まる。今までは生けどりにしろ・・だったが殺してもかまわん・・になってしまった。内容だけ見てると、世界中の電力をストップさせるような力を持った宇宙人は危険だから殺してしまえ・・と言っているように見える。ここで前にちょっと書いた「第五惑星から来た4人」をもう一度取り上げる。この小説にはこんなことが書かれている。・・1950年代は各国が死の武器で武装しており、核兵器で攻撃すれば核兵器で報復されることはお互いにわかっていた。つまり恐怖感が戦争の歯止めとなって、いちおうの平和が保たれている状態だった。そういう時に地球よりも進歩した文明が接触してきたらどうなるだろう。それも敵対している勢力の一方にだけ接触したとしたら・・。

地球の静止する日8

接触された方はより優秀な武器を利用して、もう一方の勢力をつぶしにかかるだろう。一方接触されなかった方の勢力はどうするだろう。相手が優秀な武器を手に入れるのを指をくわえて見ているだろうか・・いやいやその前に相手をつぶしにかかるだろう。つまり宇宙人とか未来人とかそういう進んだ文明を持つ者との接触は、地球人を結束させることにはならず、逆に憎悪と疑惑を爆発させ、危ういバランス状態は簡単に崩れ、完全な狂乱状態を招くだろう・・とまあざっとこんなことが書いてあるのである。前にも書いたが、話をおもしろくするために誇張して書いているとは思う。しかしクラトゥを殺してもかまわないという命令の裏には、ただ危険だからということばかりではなく、ソ連側の手に渡るくらいなら・・という意味も含まれていると思う。宇宙船、ロボット、クラトゥが持っているであろう地球人よりはるかに高度な知識・・それらは自分達アメリカが手に入れるか、そうでなければ始めからなかったものとしなくてはならない。ソ連が手に入れること、あるいはみんなで分かち合うなんてことはありえないのだ。「第五惑星から来た4人」にはこんな文章もある。宇宙船が着陸して乗組員が現われたという報告に、軍の高級将校達はこう言うのだ。「ちくしょう!そいつらはどんな武器を持っとるんだ?」・・もちろん自分達が攻撃されることを懸念してそんなことを言ったのではない。自分達が他より優位に立てるような、しかも今すぐ使用可能な超兵器はないのか・・という意味だ。映画でのアメリカ軍、あるいは政府だって似たようなことを考えていたはずだ。クラトゥはバーンハートが世界中から集めた科学者の前で、使命を明らかにするはずだった。しかし追っ手が迫り、撃たれ、死んでしまう。こういうのを見ていると地球人てそこまでアホなのか・・って悲しくなるよね。いつも最後は銃で撃つ。平和を求めてやって来た使節を二度までも撃って、しかも二度目には殺してしまった・・じゃあただごとではすみませんぜ。全面戦争突入だよ、おい。案の定ゴートが動き出し、見張りの兵二人を消しちゃう。前は戦車や銃だけ消したけど今度は人間も消しちゃう。だってゴートはそうプログラムされているんだから。だからクラトゥはあらかじめヘレンにゴートを止める言葉を教えておいたのだ。このクラトゥとゴートの関係はイマイチよくわからないのだが、興味深くもある。

地球の静止する日9

我々の感覚から言うと、ゴートはクラトゥに絶対服従に思える。クラトゥが危機に陥ると助けに来る・・みたいな。それ以外はじっとしている。しかしクラトゥはヘレンに言う。ゴートは自分に万一のことがあれば何をするか・・命令なしでも作動するのだ。地球の破壊もできる。・・ゴート自身が爆弾ということではなくて、宇宙船にそういう装置があり、ゴートはそれを操作できるということなんだろうけどね。ゴートは警察署からクラトゥの死体を取り戻す。あの歩くスピードじゃ時間かかったろうけど、それはまあ置いといて・・。ともかく宇宙船に運び込まれたクラトゥはある装置のおかげで生き返る。彼らの寿命は130年くらいで、35~38に見えるクラトゥも実際の年齢は78だという。まあ日本にも脳は120年だったか125年だったかそれくらいはもつから、それまで生きるぞーなんて言ってる人もいるくらいだから、病気やケガが克服されれば130年というのは妥当なセンかも。コメンタリーによると、この生き返るシーンや「寿命を決めるのは全能の神だけ」なんていうセリフから、宗教的ななにやかやが見た人から指摘されたらしい。作っている方はどうやってクラトゥを効果的に生き返らせるか、そのことしか頭になく、宗教的なことは何も考えていなかったのだが・・。私なんか単純に「クラトゥったら生き返ったの?よかったじゃん」で終わりだけどね。宗教的な背景がないからさ。ヘレンはびっくりして「(ゴートは)生死をあやつれるの?」と聞くが、クラトゥは「死を引きのばすだけ」と答える。今度の仕事でクラトゥの寿命は確実に縮んだことだろう。何かというと銃をぶっぱなす地球人のアホどものせいでね。でも彼は怒りもしないし、死を恐れてもいない。文明の進んだ彼の星でも死は克服されていない。生きているものはいつかは死ぬ。クラトゥは集まっていたバーンハート達の前に姿を現わし、メッセージを述べる。コメンタリーの表現を借りればその内容は「強制的な平和主義」だ。ロボットに警察の役目をさせることが最良の方法だとはクラトゥ達も思ってはいない。でもそうでもしないと惑星間の平和が保たれないのも事実だ。地球に侵略はしないが、地球が他の惑星を侵略することも許さない。それ以外は地球人が地球で何をしようと自由だ。この映画が作られてから50年以上たつ。地球はますます混乱し、何でもアリの状態だ。

地球の静止する日10

実際に宇宙人がいたとして、今の地球をどう思うだろう。核戦争の方は今のところ起こらずにすんでいる。宇宙開発の方は・・思ったほど進んではいない。探査機を飛ばすくらいがせいぜいで、地球人が他の惑星に足を踏み入れるのはいつになることやら・・。だから今は「もう少しほったらかして様子を見よう」というところだろう。クラトゥは宇宙船に乗って帰って行ったけど、あれだけの警告を受けてもその後の地球は・・まとまらないんだろうな。まとまりがなくて自分かってで、戦争やら環境破壊やらで滅亡への道まっしぐらの人類だけど、それだからこそここまで進化し、繁栄したのだ。軍や政府はクラトゥのような平和使節には対応のしようがない。平和のために武器を捨てなさいなんて言われても困る。これが服従しないと征服するぞ・・なんていう暴力的な使節だったらすぐに対応したと思う。暴力には暴力を、これが一番簡単だしわかりやすい。映画の「エイリアン」みたいなもの。エイリアンはただただ「暴力」で「悪」でしょ。ひたすら破壊し、生きのびて増えることしか考えていない。人間は戦うために団結する。その一方でエイリアンを利用しようと企むヤツもいてね。リプリーの考える平和と会社の上層部が考える平和は同じではない。・・それにしてもあの時代によくこんな映画を作ったなあ。共産、あるいは社会主義者を宇宙からの侵略者に見立てて表現したっておかしくない時代でしょ。そうではなくて核爆弾なんて作っている場合ではない、ロケットが飛ぶ時代になった今、宇宙規模で平和を考えるべきなんだよ・・って。日本も日本なりに考えて名作「ゴジラ」を作ってるしね。私は題名からして最初は地球の自転が止まるのかなって考えていた。でもここでは地球の機能の静止する日という意味なんだろうな。クラトゥは30分間だけ電力を止めたけど、あれがずっと続けば人類は原始時代に逆戻り。宇宙に飛び出す恐れもなくなる。逆にエネルギーをフル回転させたら、それこそ地球は燃えカスになるだろう。どっちも起こって欲しくはないけれど、でも今現在の地球の状態はまずいよなあ。目には見えないけれど、レーダーには探知されないけれど、宇宙のどこかからゴートは地球を監視している。ゴートでなくたって、神様の目、あるいはお天道様がいつも我々を見ている。悪いことをしていないかどうか。私達はそれを感じて謙虚に暮らさなきゃいけないと思う。

地球が静止する日

「ヒドゥン」のリメイクとこの映画と両方、ずーっと前から楽しみにしていて。「ヒドゥン」は望みなさそうだけど、こっちはめでたく完成し、公開されたので勇んで見に行ったけど・・あれれ?何でこうなっちゃったの?と残念な気持ちでいっぱい。批評を見てもけなしている人が多い。「観客が静止する日」なんて(気のきいたこと)書いてる人もいて(座布団一枚!)。見る前はだから心配していた。そんなにひどい出来なのか・・って。予告は何度も見たけど、ちょっとおかしいな・・とは思った。これくらいの大作だと予告は早い時期にかかり始める。公開日が近づくとまた別のもっと詳しいのがかかるのが普通。最初のは特報・・みたいな。まだ途中・・みたいな。だから完成したのを見ると予告ではあったシーンがなくなっていたり。でもこの映画は予告は一種類だけだったような。少なくとも私が行ってるシネコンではね。だからこの予告だけですませちゃうのかしら・・と不思議に思ったわけよ。本編を見たら・・呆れたことに予告に入ってる以上のものが何もない。CGの見せ場は破壊される大型トラックとスタジアム・・それで終わり。宇宙船は完璧な球体。従来の空飛ぶ円盤とは違う目新しさを狙っているらしいが、「スフィア」みたいで新鮮味ゼロ。ゴートは・・最初出てきた時はよかった。ゴムのスーツではなく、CGになるってわかっていたけど、登場した時には胸がドキドキした。その巨大さ、恐ろしいまでの力強さ、動きの速さ。人間にはあんなものを作る技術はまだない。ロボットや宇宙人は映画やアニメでは見慣れているけど、現実にあんなのに遭遇したら肝をつぶすだろう。思いきって大きくした(10メートル)のは正解だと思う。大きいだけで見る者に恐怖感をいだかせる。ちなみに原作では8フィート。赤い目の光もいい。やっぱりゴートの目は赤だった。地下に収容され、動かないゴートだが、国防次官ドリスコールは、いつも見つめられているようで落ち着かない。正体不明で、今は動いていないけど、目は赤く光って明らかにこっちを見ている。その不気味さ・・いいぞいいぞ!と喜んだんだけどねえ・・。そこまででした。あとは「ハムナプトラ」。何でそうなるの!

地球が静止する日2

原作はハリイ・ベイツの中編「主人への告別」。読んでびっくりするのは映画(二作とも)と全然違うこと。書かれたのは1940年頃で、小説での時代設定は未来。具体的に何年とは書かれてないが、人類はすでに宇宙へ進出している。火星に宇宙船が到着した・・そんな時代。主人公はフリーの報道カメラマン、クリフ。三ヶ月前、ワシントンに時空航行船が出現する。宇宙から飛んできたのではなく、何もないところにいきなり出現したのだ。未来から来たのか、宇宙にしても太陽系以外のどこかとんでもなく遠いところからやってきたのだろう。二日後、一人の男クラトゥと、ロボットのヌートが現われる。親善のために来たのは明らかだが、不幸なことに一人の狂人に狙撃され、クラトゥは死んでしまう。(後のたたりが怖いので)誠意・哀悼を示すためにクラトゥの遺体を安置する霊廟が建てられる。船とヌートは、重すぎて動かすことができず(ついでに言うとあれこれ手を尽くして調べたが何にもわからず)、そっくりそのままおおうように宇宙館が建てられる。連日見物人が訪れるが、ヌートはぴくりとも動かない。しかし毎日のように観察し、写真をとっていたクリフは、ヌートの姿勢がわずかに変化していることに気づく。誰も気づいていないようだが、ヌートは確かに動いている。もしかしたら大スクープだ・・。クリフは夜を待つ。そして彼が経験したのは・・まあ詳しいことは小説を読んでもらうことにして(この文庫には「殺人ブルドーザー」とか「擬態」などがおさめられていて、SF映画ファンにはおススメである)、この小説の肝はラストのヌートの言葉である。ロボットの方が主人であるということ。夜、ヌートが密かにやっていたのは、クラトゥを生き返らせること。クラトゥは人間の形をしているから、人々は彼の方が主人だと思い込む。何をするにしても・・つまり、帰還するにしても指図してくれる主人が必要。ロボットだけで帰るわけにはいかない。いや、きっとロボットだけでは帰れないのだろう。でも・・違った。実はヌートの方が主人。しかしこのことはクリフしか知らない。ラスト、出現した時と同様船は瞬時に消えてしまう。飛んでいったのではない、消えたのだ。そしてクリフはヌートの言った去り際の一言「主人は私なのだ」を、他の人に聞かせるつもりはない。

地球が静止する日3

小説には電力を止めるとか、人類に警告しに来たとか、そういうのはいっさいなし。ヘレンもバーンハート教授も出てこない。「クラトゥ、バラダ、ニクト」もなし。話は宇宙館からほとんど広がらない。しかしクリフの心の動きがていねいに描かれ、読みごたえのある作品になっている。ヌートに対する恐怖感、ずっと見つめられているような落ち着かない感じ。クラトゥに対する好意・・クリフはクラトゥと数分間一緒にいただけで、彼のことが好きになってしまう。物静かで気高くて、クラトゥと一緒にいると気持ちが澄んでくる。おそらくそれは、クラトゥが人間の形をしているせいもあるだろう。「地球の静止する日」では、ロボット(ゴート)と人間(クラトゥ)の立場の逆転はそれほど強調されない。しかし、ロボットが宇宙から常に監視の目を光らせていること、人類が生き残るに値するかどうかの判断はロボットにまかされていることは強調される。クラトゥの任務・・人類への警告・・は、各国の科学者の前ではっきり述べられる。では「地球が静止する日」ではどうか。ロボットの方が主人であるという原作の持つ衝撃は、ほとんど生かされていない。登場した時はよかったけど、期待させたけど(大きくて強いというのは、主人そのものではないか)、虫のかたまりになってしまうと、もう主人という感じではなくなる。なぜこういうゴートにしてしまったのか理解に苦しむ。人類への脅威を効果的に見せるには、こういうゴートの方が都合がよかったのか。誰も忠告する人はいなかったのか「それじゃハムナプトラと同じじゃん」・・って。人類への警告も不十分だ。球体・・クラトゥがあのような(ハデな)現われ方をしたのは、人類にその存在を気づかせるためだ。警告しに来たぞ、破壊しに来たぞ、注目しろ。ニューヨークへ降り立ったのは国連があるからだ。世界中のリーダーと話をするため。もちろんクラトゥの要求は受け入れられない。何たって政治家や軍人は「地球人にとって」という考え方をしない。できない。アメリカなら「アメリカ人にとって」となる。話はかみ合うはずもなく、どんどんこじれて行き、人類滅亡へのカウントダウンが始まる。映画を見ていて感じるのは、歯がゆさ、物足りなさ、失望感・・その他もろもろ。この映画は一番大切なもの・・メッセージがすっぽり抜け落ちてしまっている。

地球が静止する日4

強調されるのは「我々は変われる」ということ。誰が言ってるの?ヘレンとバーンハート教授の二人(だけ)。結局人類はクラトゥの目的は知らないままだ。ついでに言うと、なぜクラトゥが考えを変え、人類が滅亡の危機を脱することができたのかも知らない。何だか知らないうちに危機は去ったのだ。もう安心、めでたしめでたし。また元の生活に戻ろう・・ってそれでいいの?もし本当に人類に警告するつもりだったのなら、クラトゥにはそれができた。世界中のリーダーの前で演説するのは無理でも、他の方法はあった。少なくとも電気の通じている地域なら。だって彼は通信衛星その他電気に関するものなら何でも自在にあやつれるのだから。人類を滅亡させるにしても、あんな虫の大群なんか必要ない。ラストで地球上の電力がストップした状態・・「地球が静止した状態」を作り出したけど、あれをやれば人類はいやでも今よりずっと数が減る。他の生物、環境への影響も減る。生かしておいても差し支えないだろう・・って程度に。あんなふうににぎにぎしく登場し、破壊する必要なんてない。そっと来てそっと処置すればいいのだ。それ以外にも首を傾げることはいっぱいある。前々から警告していたにもかかわらず反省の色が見られない、よって最後の手段に訴える・・というのならまだしも、いきなり現われて地球のために人類には滅びてもらうからね・・となるのはいかがなものか。まるで地上げ屋みたい。開発発展のためだ、地元住民は出て行け。クラトゥ達がただのお節介焼きに見えてしまうのはまずい。クラトゥやゴートを派遣したのが誰か(何か)、わからないまま終わってしまうのもまずい。まあとにかく非常に偏っていて、多くのことに目をつぶっているストーリーだと思う。パンフを読むと監督(「エミリー・ローズ」などのスコット・デリクソン)は「テストスクリーニングもやらない」と言っていて。つまり試写をしてお客の反応を調べる必要もないってくらい自信を持っているんだけど、私から見ると・・。お客はもっと別のこと期待していたと思うんだけど。くり返しになるけど、絶対に欠かせない二つのテーマをちゃんと盛り込むべきだった。主人がロボットであることは、地球人の常識が通用しない世界があることを示している。他の知的生物からの強い警告は、地球規模・宇宙規模で物事をとらえる必要があることを示している。

地球が静止する日5

大事なこと抜かしてるくせに、一方では筋が通るようあれこれ気を配っている。例えば冒頭のインドのカラコルム山脈でのシーン。クラトゥが人間の形してるのは、過去人間のDNAを採取したからであ~る。・・って、わざわざ見せなくても説明のセリフだけで十分だと思うが。クラトゥが撃たれ、手術を受ける時の、体をおおうグチョグチョもそれなりの説明される。地球の環境で生存するには地球人として生まれなければならない。グチョグチョはそのための胎盤代わりであ~る。このグチョグチョは小ビンにサンプルが採取され、後で数回出てくるが、この映画を見ている時にはよくわからなかった。例えばヘレンがその小ビンやH₂Oの入った小ビンを手に入れるシーン。自白剤の代わりにH₂Oを注射し、クラトゥを逃がそうとするヘレンの意図はわかるけど、もう一つの小ビンのなかみがあのグチョグチョだってすぐわかりました?皆さん。それと逃げる途中車の中でクラトゥが傷を治すために塗ったのがこのグチョグチョだってのもすぐわかりました?私はわかりませんでしたよ。あのビンは何?なかみは何?って不思議に思ってましたよ。ゴートに関しても何かの略語ってことにしていましたな。この映画ではロボットには名前がついてなくて、軍の方でかってにつける。でもその後虫になってしまうから「ロボットのゴート」という印象はうすい。大事なキャラなのに扱いが軽率だろこら!キアヌ・リーブスのクラトゥと、ジェニファー・コネリーのヘレンというキャスティングには文句のつけようがない。これ以上の適役はいない。キアヌにはクラトゥを演じるのに必要な知性、気高さ、純粋さ、意志の強さ、孤独のカゲがある。これはそのままコネリーにもあてはまる。クラトゥにはそれ以外に、この世の者ではないような神秘さが必要だが、キアヌにはそれがある。一方ヘレンには強い母性が必要だが、コネリーにはそれがある。だから私も公開前から期待していたのだ。そしてほぼ期待通りだったのだが・・。二人が好演しただけではだめなのだ。キアヌには、表情が乏しすぎるという批評もあるようだ。確かにマイケル・レニーのクラトゥの方が人間的な暖かみがあった。ちょっとした微笑、やれやれといった感じの表情、かすかにいたずらっぽさの感じられる表情。それにくらべるとキアヌのクラトゥは表情が一本調子だ。

地球が静止する日6

もっとも彼は「警告」ではなく、もっと深刻な任務を担っているのだから、表情が硬くなるのも無理ないが。ヘレンの方はやや複雑な事情をかかえている。「地球の」と同じ子供をかかえた未亡人だが、あっちでは新しい恋人ができてプロポーズもされていて幸福な状態。恋人と子供の関係もうまくいってる。息子のことはもちろん愛しているけど、自分の幸せも大事にしたい。こっちでは義理の息子にてこずっている。ジェイコブが3歳の時、母親が死んでしまう。その後父親はヘレンと再婚するが、今度は彼が死んでしまう。残されたのは血のつながりのない母子。予告などでジェイデン・スミスを見た時はおかしいな・・と思った。ジェイデンは黒人だから、コネリーと親子はおかしい。映画を見てジェイコブは夫の連れ子とわかって、それはそれでいいんだけど、何でこんな設定をくっつけるのか。血のつながらない親子でも、ヘレンはジェイコブのためなら命も投げ出す用意がある。そういう人間の愛情深さを見れば、クラトゥが心変わりして当然・・そういうふうに持って行きたいのか。確かにヘレンに接すれば決心を翻してもおかしくないけど、肝腎のジェイコブがねえ・・。彼は幼くして二度も辛い別れを経験したわけで、本来ならその境遇に大いに同情するところだけど・・これが全然そんな気になれんのですわ。憎たらしいクソガキ。私は彼を見ている間中うずうず、いらいらしてました。まずヘアスタイル。子供のくせに何であんなすかしたヘアスタイル?おまえはラッパーか!カリスマ美容師か!床屋に行ってちゃんとさっぱりきれいに子供らしいスタイルにしろ!ヘレンに対する態度は何だ!それ以外の大人(例えばクラトゥ)に対する態度も悪い。口のきき方が悪い。大人に対し「あんた」「あいつ」。生意気で無礼。自分ではクールだと思っているのだ。子供だから何やっても許されると踏んでいるのだ。世の中には怖いものがある。思い通りにならないものがある。それをもう経験しているはずなのに(両親・・とりわけ父親の死)。代わりに与えられたものを大事にしなくちゃいけないのに・・つまりヘレンがいてくれることを感謝しなくちゃいけないのにそれをしない。わざと反抗的な態度を取る。自分が今屋根のあるところに住めるのは・・時間になれば食べるものが出てくるのは・・一日中ピコピコゲームをしていられるのは・・誰のおかげだと思ってるんだあ~!!

地球が静止する日7

ヘレンはまだ若い。しかも大変な美女。そして有能。今より幸せになれる可能性大。再婚も、自分の子供を産むことも可能。ジェイコブはいつおっぽり出されたっておかしくない。ヘレンの再婚先で隅っこにでも置いてもらえれば、養ってもらえれば、それだけでも幸運。元々頭の回る彼だからそんなことくらいわかっているはず。そんな目に会いたくなければもっとヘレンの言うことを聞き、気に入ってもらえるよう努力しなくちゃ。そうなりゃこっちもけなげな子よのう・・と、気もほぐれるけど、ジェイコブはそうじゃない。ヘレンの親切心、責任感、母性愛につけ込んでやりたい放題。何でこんな観客の共感を得られないキャラにしたのかしら。それとも私以外の人はジェイコブかわいい、助けてあげたい・・となるのですか?クラトゥの居場所警察に知らせたり、父親を生き返らせろと迫ったり邪魔ばっかする。それでいて都合悪くなると自分が子供であること強調する。ヘレンがいなくなってクラトゥと二人きりになると「家に連れて帰って」と要求する。お願いするのではなく要求するのだ。普段はヘレンのこと「あんた」と言うくせに虫にやられて心細くなると「ママ」と甘ったれる。何か・・ジェイコブの悪口をおかずにごはん何杯でもいけますぜ・・って感じで自分でもいやなんですけど、これが正直な気持ち。もちろんジェイコブというキャラが嫌いなのであって、ジェイデン君がどうのってことじゃないですよ。彼は演技が達者だし自然。顔立ちも悪くないし、将来はいい俳優になるだろう。でも私はジェイコブは嫌いだし、こんなの出してくる必要もないと思う。ちゃんと普通にヘレンの息子でいいじゃんよ。クラトゥがジェイコブ見たら人類助けようって気にはならないと思うんだけど。うん、やっぱり人類は滅ぼさなきゃだめだ・・って決意すると思うんだけど。「地球の」では子供が途中から出なくなって物足りなかったけど、あれでよかったのね。「地球が」を見て痛感したわ。子供が出しゃばるとろくなことはないのよ。他の出演者は国防長官レジーナ役でキャシー・ベイツ。あたしゃてっきり下宿の大家さん役だと思ったんですけど。世情に通じていて、ヘレンのこと気の毒に思っていて、クラトゥが現われるとこりゃお似合いだわ・・と二人が結ばれるよう画策したりね。でも違いましたわ。下宿なんていうのどかなもの出てきやしません。

地球が静止する日8

何かうるおいがないんですよこの映画。グレイナーというヘレンの知り合いの科学者が出てきて、わりといい人なの。ヘレンとクラトゥはくっつくわけにはいかないけど(クラトゥの本体はどうせイカタコエイリアンだろうから)、グレイナーとなら幸せになれそう。もうそろそろ夫の死という不幸から抜け出る気配が見えてもいい頃だ。でも彼はあっけなく死んじゃう。それもほとんど無駄死に近い。映画が終わってもヘレンの境遇はちっともよくなっていない。ジェイコブというお荷物がくっついてる。彼女自身はお荷物だなんて思ってないし、もっと別の生き方があるとも思っていない。このまま老いていくのだろう。彼女が運命を疑いもせず受け入れてしまっているのが痛々しくてねえ。えッ、これからはジェイコブもいい子になるから少しは楽になる?いやいや、少したてばまた元のクソガキに戻りますってば。彼だけでなく人類みんなもね。クラトゥの死も無駄死さッ!それが人間というもの。地球に送り込まれたウー老人は失望をいやというほど経験している。だから人類が変わることはありえないと思ってる。それでいて、そんな人類に愛着を感じている。この、クラトゥとウー老人との対話くらいだな、しみじみとうるおいのあるシーンてのは。湯気の立つお茶みたいなあったかいシーン。ウー役はジェームズ・ホン。この人も古いな。「ブレードランナー」で知られているけど、そのずっと前「サタンバグ」にも出ている。この人自身宇宙人か妖怪みたい。バーンハート役は誰だったかな。何のために出てきたのかわかりゃしない。顔も覚えていない。さて私がこれを見に行ったのは公開してすぐ。お客は14人だった。一回で終わらせるつもりはなくて、公開も終わりに近づいた頃再び見に行った。お客は12人。二回も行ったのはキアヌが好きだから。キアヌのクラトゥは考えられうる最高の配役。しばらくはこの世界にひたっていたかった。彼にとっては代表作、傑作になるはずだったんだよな。メッセージがはっきりしているから、リメイクされてもさほど質は落ちないはずだと思っていたんだよな。そしたら見事に抜け落ちていて。何だかはっきりしない、クライマックスや見せ場のない映画ができちゃった。それでいて悪意とかも別に感じない。わりと良心的に作られている。でも完全に失敗作。書きにくいですよ感想も。こんなに遅くなったのはそのせいです(←言い訳)。