チキン・リトル

チキン・リトル

とうとうこの日がやって来ましたよ!いつか来るとは思っていましたが、まさかこの映画だとは・・夢にも思いませんでしたよ。何が・・ってスクリーン一人じめですよ。平日の午前とは言え、お客が私一人だなんて・・。だって「チキン・リトル」ですよ。子供連れとかいてもおかしくないのに。経験してわかりましたけど、たった一人って落ち着かないものですな。私が来なかったら無人のまま映画だけがうつっているんだわ・・なんて余計なこと考えちゃう。シネコンだから途中で入ってくる人もいないしね。まあ映画が始まってしまうと一人なのも気になりませんけど(暗くて見えないもん)。「チキン・リトル」はだいぶ前から宣伝していて、最初見た時はウワッ!何てかわいいキャラクターなんだろう、もう絶対見に行くぞ!・・って思った。早く公開されないかなーってずーっと待ってた。ディズニーのアニメは予告ではよく見るけど、映画館では見たことがない。ディズニーに限らず他のアニメもあんまり見たことないのよ。「チキン・リトル」はだから私にとっては異例の作品なの。そして・・一回見た後また行ったんですの。その時はレディス・デーなのに八人。その後またまた見に行ってレディス・デーなのに七人。こういう映画って休日は入るけど、平日はダメなんでしょうね。きっとお客ゼロの回もあったに違いないわ。・・てなわけで三回見たのよ。まだ見たいんだけどもうムリね。それにしてもいい年こいて私ったら何やってるのかしら。自分でもバカだってわかってるんだけどだめなのよ。出かけて行っては「リトル」を見て帰ってくるの。他にも見たい映画があったのに・・。あのかわいらしさ、けなげさに胸キュン!最初のスクールバス乗り遅れるシーンでもう・・来ちゃいました。ググッとね。ビビッとね。間に合うようちゃんと待っていたのに、乗ろうとしたら他の生徒に弾き飛ばされてしまった。無情にも走り去るバスを必死で追いかけるリトル。弱い者いじめ、仲間はずれ・・でもリトルは怒ったり嘆いたりするのではなく、ただ必死に走るの。もう私これを見ただけで・・涙腺ゆるんでしまいました。別に私泣こうと思って来たわけじゃないのよ。かわいいお子様がわんさかいて、キャハハとかププッとかさ、みんなで笑うのを期待して見にきたんですのよ。でも・・ほら・・お客が私一人で・・七人や八人の時も静かでしたけど。

チキン・リトル2

走るところはおもしろおかしく描写されていて、笑うべきなのに・・私は泣けてきたんですよ。例えば「トムとジェリー」でジェリーが必死に走り回っていたり、トムにいじめられていたりしても、笑うことはあっても涙ぐんだりしないわ。それなのにリトルには何で泣けるのかしらね。走りながら何かうまくいくとニコッとしたり、イェーイとポーズ取ったり、それはもうかわいいんですの。ドジで悲惨な状態・・ガムがくっついた、ズボンが脱げた・・にもめげずに走るんです。まわりはみんなリトルより大きいし、車はビュンビュン走ってるし、パンツ姿だから隠れながら走らなきゃならないし。ところでパンツはBVDですか?ロッカーにあった答案用紙を折って即席のズボン作っちゃう。意気揚々と出ようとしたら扉を閉められてしまって出られなくなる。ああ何てドジなの!何てかわいいため息をつくの!答案用紙の方がリトルより大きいかも。とにかくリトルは名前の通り小さいんです。それはいいんだけど・・ちょっとおかしいことがあります。「空のかけらが落ちてきた」事件があってから一年たってる。「エイリアン騒ぎ」があって一年後にそれを元にしたリトルの映画ができる。つまりこの映画は最初と最後とでは二年たってるのよ。ニワトリなら二年たてば大人になってるはずだけどリトルはそのまま。大して成長していないの。それとお父さんのバック・クラック。バックはリトルと同じ学校の出身で、在学中は野球のヒーロー。リトルも父さんのように・・とドングリーズに入るんだけど、ドングリーズは20年間負け続けている。その前はバックがいたから優勝していたはずで、バックは20年前にリトルと同じくらいの年だったとしても・・。ニワトリって20年以上生きます?お子様向けアニメの感想でこんなこと書くのヤボですよね。それにしても動物主役のアニメって食事シーン困るでしょうね。牛もブタも七面鳥も魚もだめ。チキンも卵もだめよ。ハンバーガーショップもケンタッキーもだめですぅ。野菜・果物・木の実・・となるわ。肉食のヒョウとかどうするのかしらね。リトルは結局遅刻。でもめげない。「ガムのせいだ、いやんなっちゃう」とか「誰だよ、歩道にガム吐くやつは」なんて文句言ったりしない。「今日は勝ちを譲ってやった」なんてかわいらしい強がり言っておしまい。つまり毎日のようにバスに乗れず、ガムに足を取られ、遅刻しているわけだ。

チキン・リトル3

何で父さんが学校まで車で送らないのかしらね(スクールバスの停留所まで送るくらいならさ!)。2時間目はドッジボール。組み分けは人気者とそうでないチーム。ウーム、何とあからさまな・・。ここでもリトルはドジをやって(彼のせいではないのだが)父さんが学校に呼び出され・・。父さんはリトルには目立たずにいて欲しい。大それた夢なんて持たなくていい。いや自分だって持っていたはずなのよね。野球のヒーローとして輝いていた時期はあったはず。バックの職業は不明だが、パッとしないものであることは明らか。その上妻に死なれてやもめだし、太りすぎだし・・。家へ帰る途中の車の中、後部座席にシートベルトしめてチョコンと座って父さんに気に入られようとしゃべりまくるリトル。ぼくも父さんみたいに野球をやる。でも父さんはちっともわかってくれなくて・・。落胆するリトル。「わかった・・」と言うその声・・。いや~もういけません、およしになって。あまりにもかわいそうで涙が出てしまいました。今こうやって書いていても・・グス。は~ホントにねえ、何をやってもうまくいかない、何のとりえもない、何も期待されていない・・そんな人間ているよなあ(リトルはニワトリだけど)、私みたいにさ。今までずーっとそうだったし、これからもそうだろう。リトルには将来があるし、友達もいるし、映画だからここぞという時にはヒーローになれる。は~でも現実はね、浮かび上がることもなく人生は続き、そして終わるのです。「チキン・リトル」のテーマは意思の疎通だと思うけど、見に来ているお子様達にはそんなことわからないだろうな。つき添いの大人の方がぐっと来ちゃったりして。つき添いでなくたってさ。そうなんだよな~何で大人ってわかってくれないんだろうって思ったことあるよな~。そして大人になった自分のことをふと考える。親として子供のことわかっているかな、わかろうと努力しているかな。あるいはバックに共感したりしてさ。そうなのよ、別に大それたことしてくれなくたっていいのよ。丈夫に育ってくれさえしたら、人様に迷惑さえかけないでいてくれたら。あるいは自分の親のこと・・かまってくれなかったけど、ちっともわかってくれなかったけどそれもムリないよな~生活費稼ぐのってホント大変だもん。自分が働く身になって、育てる側になってやっとわかったよ・・とかさ。

チキン・リトル4

笑わせたりホロリとさせたりするだけでなく、いろいろ考えさせられるのよ。毎日新聞の批評には「ピクサー作品の、大人も楽しめる域には及ばなかった」なんて書いてあったけど、そんなことありませんてば。まあ確かにラストの和解とかはありきたりでしたけど。バックの悩みや改心(?)は見ていてもおもしろくなく、こんなのいいからリトルうつせーって思っちゃう。和解シーンは本来なら一番の感動の涙滂沱シーンなんだろうけど、私はぜ~んぜん。だって和解なんてありえないもんねー。完全にわかり合えるなんてありっこないもん。あったとしても長続きしないもん。でも人間は錯覚できる(この場合ニワトリですけど)。自分で自分にそう思い込ませることができる。だから生きていけるのよ~。何度も言うけどリトルはドジばっかりやっていて、世界一運が悪くて、はたから見ると悲惨な毎日だけど、本人は別に悲観したりひねくれたりもせず、元気に暮らしている。三人(?)の友達もそれぞれはみ出し者。魚のフィッシュは何言ってるかわからない。落ち着きがなくてフラフラしていてまわりのことが全然気にならない。人間の子供なら適応障害とか情緒障害とか言われるところだ。ブタのラントは臆病で全く自主性がない。何でも賛成しちゃう。常にまわりを気遣い、気持ちがゆれ動く。アヒルのアビーは「醜いアヒルの子」などとからかわれても気にしない。外見よりなかみが大事だとわかっている。頭がよく気持ちがやさしく・・そんな彼女のよさをリトルはちゃんと見抜いていて・・。このはみ出し四人(?)組の結束がいい。彼らはいじめられてもいじめられっぱなしだ。仕返ししてやろうとか自分達よりもさらに弱い者をいじめてやろうとか、そういうことにはならない。連鎖・拡散がない。いじめは彼らのところで止まっており、彼らは受け流すことによって自分達を守っている。自分達の品格が落ちることを防いでいる。こういうのってえがたい「強さ」だ!エイリアンの子供カービーがまた超かわいい。何言ってるかわからないその声、しゃべり方がとほうもなくかわいいの!ところで私が見に行ったのは吹き替え版。リトルのような小さな男の子をあてる場合、日本だと女性がやるのが普通。聞く方も子供の頃から女性の声に慣れている。アメリカではそういう伝統(?)・習慣がないのか、普通に男の人があてる。

チキン・リトル5

でもリトルのようなかわいらしいキャラはやっぱり女性の方が合っていると思うんですけど。今回字幕版を見なかったのは、やってるところが少ないせいもあるけど、WOWOWで見た時、リトルの声に違和感を感じたせいなの。男の人の声じゃイメージ違う・・って思ったのよ。まあ実際に映画館で聞いて、けっこう合ってるじゃん・・となるかもしれないんだけどさ。さてリトルの声は山本圭子さんという人だが、パンフやら宣伝やらはバック役の中村雅俊氏のことばっか話題にしている。そりゃ別に中村氏も悪くはないけどさ、何でパンフに山本さんやその他の声優さん達の紹介載っていないの?テレビ局のアナウンサーもいろいろ声で参加しているって?それがどうした!顔写真まで入れなくったっていいじゃんよ。本職の声優さん達にもっと紙面を割けこら。は~話は戻るけどリトルのマイクを突きつけられた時のしどろもどろの答。せっぱつまってごまかす時のお決まりのセリフ「誰の話?」・・あ~もうたまらなくかわいい!そしておかしい!しょんぼりして言う「わかった・・」あ~(ジタバタ)!階段上がるにしてもリトルは小さいからはずみをつけてぴょんぴょんと両足で一段ずつ飛び上がるの。うなだれてため息つくように両肩を一度落としてから飛び上がるの。「はずみ」が「ため息」に見えるのよ。ああそのはかなげな肩のあたりに胸キュン。屋根の上で隣りの犬の親子をうらやましそうに見るの。一緒に遊んでもらっている。頭をなでてもらっている。リトルはお月様に「一度でいいからボクにもチャンスを」とお願いするの。画面いっぱいに顔がうつって、日本のアニメならここで目に涙がふき上がってくるところだけど(みるみる大きな涙の粒が・・ってお約束ですな)、リトルは泣かないの。私の見たところこの映画でリトルは一度も泣いていないようでしたが・・。代わりに私が泣きましたの。何かそれらしい涙腺を刺激する歌が流れて・・ふぇーん、もういけませんわ、およしになって。三度見に行って三度とも涙が・・。作り手の思うツボにいいようにはまっていますわ、私。映画だからリトルは野球の試合でヒーローになる。バックも大喜びで浮かれる。もうみんなも「空のかけら事件」のことは忘れてくれるだろう。そんな父さんの言葉にちょっと引っかかるリトル。落ちてきたドングリを空のかけらと勘違いしたのだとかたづけられてしまったけど・・。

チキン・リトル6

ドングリでないことはリトルが一番よく知っている。でも父さんも含め、誰も空のかけらのことは信じていない。釈然としないけど・・父さんは喜んでいるし失望させたくないし、あれはあれでなかったことにしてもいいや。そんなふうにムリに自分を納得させたリトルだが、今度は部屋の中に空のかけらが落ちてきて・・。エイリアン騒動が起きてリトルの言ったことが本当だということがみんなにもわかる。さてこの映画、いろんな映画のパロディが出てきてとっても楽しいの。みんなが見ている映画が「レイダース 失われたアーク」。有名な岩か何かがころがるシーンで、スクリーンから給水タンクが飛び出す。フィッシュが紙でビルを作り、紙ヒコーキを飛ばして騒ぐのが「キング・コング」。現われたタコ宇宙人は「宇宙戦争」。この宇宙人とてもよくできていて怖いのよ。笑わせつつも手を抜かずしっかり不気味。ついでに・・宇宙人の目はやっぱり赤でしたな、お約束。コーン畑に隠れたリトル達を捜すシーンでは・・なかなか上からうつしてくれないけど・・よしッ!やっぱり「サイン」だわ・・とニンマリ。「見つかりましたか」というセリフのシーンでは・・操縦席・ノリノリの音楽ということで「ステルス」、宇宙船の中は臓器とか気持ちの悪いものがいっぱいあって「モンキーボーン」風味、一つ目の生き物(カービー)にリトルがウインクするところは「アイ,ロボット」、カービーがバックの服にもぐり込むところは「ハムナプトラ」、入口と間違えてダチョウ(?)がガラスに何度も激突するのは「チョコレート工場」、ビッグボイスマシーンで脅される地獄みたいなシーンは「悪いことしましョ!」。まあ「ステルス」以降は私のかってな連想ですけど。ラストはいやらしいくらいに「Mr.インクレディブル」。リトルは父さんと気持ちが通じ合い、町のヒーローになって映画にまでなってしまった。だからハッピーエンドなんだけど、私はドジなリトルの方が好きです。リトルはヒーローになんかなる必要ないの。バックが平凡な大人になったように、ヒーローは一時的なものなんです。でもヒーローになりたいという夢があるから生きていけるんだし、夢がなくてもけっこう生きていけるんです。それにしても信じられないくらいリトルはかわいいです。抱きしめられて目をつぶってるところ、誰かの話を聞いている時のくるくる変わる表情。は~かわいい~(ジタバタ)。