ドライビング Miss デイジー

ドライビング Miss デイジー

この映画を見るのは初めて。音楽はよく聞く。ジェシカ・タンディと言えば「鳥」。ロッド・テイラーの母親役だっけ?厳しい感じの人。この映画のデイジーも似たようなキャラ。元教師で頑固。目立ちたくない、人に弱味を見せたくない。ある日買い物に行こうとして車の運転を誤る。心配した息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は、運転手としてホーク(モーガン・フリーマン)を雇う。フリーマンはこの頃50過ぎだが、ずいぶん老けて見える。私は漠然と「コレクター」などのような知的で物静かなキャラだとばかり思っていたけど、違った。ホークはおしゃべりだし、ぶちぶち文句も言う。現代かと思っていたら途中で1953年とか出てくる。そのうち1966年なんてことになる。調べてみたら冒頭は1948年らしい。ずいぶん長い期間のことを描いているのだ。いい映画は最初から見る人を引きつける。殺人とか爆発とか目の引くものを出してこなくても、会話や室内の様子などで興味を繋ぐ。小さなエピソードの積み重ねは「ブロークバック・マウンテン」を思い出させる。何かあっても通り過ぎる。ホークは実は字が読めない。読めなくても車の免許は取れるのか。その後読めるようになったのか。警官二人に呼び止められ、何かあるかと思ったら何もない。キング牧師の演説を聞いてどう思ったのか。最初のうちはいいが、そのうち物足りなくなる。女中のアデラはテレビを見ながらさやから豆を出していて急死する。彼女は運がいい。ある日突然デイジーはボケの症状が出る。家は売りに出され、彼女は老人ホームへ。ホークも年なので自分で運転はしない。何ということもなく映画は終わる。ユダヤ系の裕福な老女と、貧しい黒人の老人。二人に共通しているのは、いやこの二人に限らず人間なら誰も避けて通れないのは老いと、その先の死。二人の間には友情が存在するが、距離もある。まあ日本的なべたべたした湿っぽさがないのはよかったけど、さらっと通り過ぎてばっかなので、最初感じたいい映画感はいつの間にやら失せていた。