ドラキュラ

ドラキュラ(1979)

「ドラキュラ」というとコッポラの作品の方が今では知られているのかな。私は見たことないけど。クリストファー・リーのドラキュラものもテレビで何本か見ているが、遠い昔のことなのであんまりよく覚えていない。私にとってドラキュラと言えば、この作品に主演したフランク・ランジェラである。彼の魅力はいろいろあるが、その一つは声である。「グッドイブニング」という第一声を聞いたとたんノックアウトされる。テレビで放映された時は岡田真澄氏が吹き替えていたが、こちらもとてもよかった。ドラキュラは500年も生き続ける魔界の王である。洗練された物腰、あふれる教養と知性(けものへんのきょうよう・・狂養、やまいだれのちせい・・痴性にあふれたのも中にはいますが彼は違います!)、優雅でありながら強靭さも感じさせ、クモの巣だらけの廃墟の城にいても暖かい居間で知識人と交わっていても、その威厳、品格はゆるがない。「陰陽師」ではN氏の指の動きに魅了されるが、この映画でのランジェラの指の動きも美しい。まあ彼の場合指が邪悪な力を表現することもあるから、そこはN氏とは違うけど。また手の動きだけでなく、体の一部・・足を見せるとか、上体をうつしても顔のあたりははっきりさせないとか、そういうじらすようなとり方をして見ている者の注意を引こうとしているのもこの作品の特徴である。嵐の夜、積荷の木箱を海に捨てようとする水夫達。しかし木箱の中から手がのびて水夫の喉元へ・・。難破する船を窓から見ていたミーナは外へ飛び出し、洞窟の中で倒れている男を見つける。彼女の手を握りしめる男の手。ドラキュラの手は握手した相手が驚くほど冷たいはずだが(原作では氷のように冷たい・・となっている)、このシーンで伝わってくるのは暖かさ、命の力強さである。さて難破した船から伯爵の荷物を運び出すレンフィールド。城の中、木箱のフタを持ち上げる手。外に出て歩き出す足。扉を開けてレンフィールドの前に姿を現わす男・・でも顔ははっきり見えない。夕食に招かれスウォード邸に向かうドラキュラの馬車・・でも御者はいない(晴明の牛車みたいだ)。到着し、馬車から降りる力強い足。扉が開き、人々(観客も含め)の前にやっとその姿をはっきりと現わすドラキュラ。深みのある「グッドイブニング」という声。マントをさっと召使の手に渡す。「命の恩人」とじっとミーナを見つめる鋭い目。

ドラキュラ2

見ている者の視線、関心がドラキュラに集中するように考えられたうまい作りだ。ミーナがドラキュラのとりこになったように、観客もドラキュラの、あるいはランジェラのとりこになる。今まではっきりしなかったドラキュラという人物の全体像がここで明らかになる。すべてがさっそうとしていて飛び抜けた存在。夕食に招かれたのに彼は何も食べないし、何も飲まない。でも誰も気がつかない。食事をしないことをごまかすために一人でしゃべりまくっているわけでもない。他の者もいろいろしゃべっているのである。そこらへんの座の持たせ方のテクニックはちょっとやそっとでは身につかないと思う。異邦人であり、貴族でもある新しい隣人への好奇心はかなり強烈だと思うが、彼らの好奇心をほどよく満たし、普通なら妙であるはずの行為(食事をしない)にも疑念をいだかせない。だてに500年も生きているわけではないってことよね。ルーシーを城に招いた時もう一度食事のシーンが出てくるが、この時はドラキュラとルーシーは細長いテーブルの端と端に向かい合って座っている。ドラキュラの前にもルーシーの前にも料理が並んでいるのだが、二人の間には距離があるし、丈の高いキャンドルは立っているしで、手元がよく見えないようになっている。この時のルーシーはドラキュラに心を奪われ始めていて、相手が食事をしているかどうかなんて気にもとめていないだろうが、私には相手に怪しまれないよううまくカムフラージュしているなというふうに思えた。さて食事の後、病弱なミーナは気が遠くなって倒れてしまうが、ドラキュラは薬ではなく暗示を与えることによって直してしまう。この時のやわらかい指の動きがいい。万事に積極的なルーシーは、婚約者のジョナサンがいるというのにドラキュラにダンスを申し込む。ルーシーの腰にそっと当てられる手、ルーシーの手にそっと重ねられる手、この時のやわらかく優雅なドラキュラの手の動きがいい。ここでもやはりドラキュラの手は冷たくはないようだ。その晩ミーナのところへ忍び込んでくるドラキュラ。窓を引っかく獣じみた手の描写がいい。目を覚ましたミーナの方をじっと見つめる目。逆さまになっているから怖さも倍増する。屋上から壁を伝って降りてくるドラキュラのマントが下に垂れ下がっていないのはおかしい・・なんていうヤボは言いっこなしね。

ドラキュラ3

降りてくる途中で一度顔を横に向けてこっち(観客の方)を見るのは、きっと女性客へのサービスね。次はお宅へお邪魔しますから・・なんちゃって。ランジェラの目の演技は印象的で、給仕をしていた召使が指を切ったのを見つめる鋭い目つきと言ったら・・。血を見たとたん彼の中で何かが変わる。上品な紳士が一瞬獣めいて見える。私が一番好きなのは戦う時の相手をきっと見すえる強くて鋭い目。でもランジェラは一点を見つめた時も瞳が左右にゆれるタチなのでそこはちょっと残念。それと鼻の下が長いことも。目立たなくするにはヒゲが一番だけどヒゲを生やしたドラキュラっていたっけ?こもったようなそれでいて深みのある声は、近作の「ナインスゲート」でも聞くことができる。ミーナの墓から戻った父親のヘルシングが鏡の前で「悪霊め」とつぶやくと、いつの間にか現われたドラキュラが「いや、それは言いすぎだ」と答えるシーンがいい。人間から見れば吸血鬼は悪魔同然だが、ドラキュラはそうは思っていない。吸血鬼だって存在する権利はあるはずだし、500年もの長い間生きるために戦ってきたという誇りも持っている。人間ほど繁栄はしていないが、時間という静かなそして力強い味方もある。相手が「ハロー」と言っても必ず「グッドイブニング」と返すところも好きだ。彼が言うように地球上の半分は常に夜である。人間だけがこの世に存在することを神に許されているなんて思い上がった認識だ。さて吸血鬼もののお約束として、ドラキュラはコウモリや狼に変身する。窓から飛び出したとたん人間の姿から狼に変わるところとか20年以上前の作品にしてはうまくできていると思う。内容は地味で吸血鬼映画につきものの「ボインの白痴美(キネ旬の記事より)」も出てこない。ヒロインのルーシーは健康的で積極的で女性も社会に出て働かなくては・・と思っている進歩的な女性。婚約者がいるのにドラキュラに引かれ、親友ミーナの急死を悲しみながらもドラキュラから招待状が来ていると知ると、断るなんて失礼よ・・とばかりにいそいそ出かけて行く。何事にも前向きなところがドラキュラに気に入られてしまうのだが、彼女の場合あのまま血を吸われて吸血鬼になっちゃったとしてもあんまり後悔はしなさそう・・。ラストで船のマストに吊り下げられ、太陽の光を浴びたドラキュラはひからびて死んでしまう。ルーシーはどうやら正気に戻ったようだ。

ドラキュラ4

そばにいるジョナサンに手をのばすと彼は喜ぶどころか触れられたくない様子。今までは危ういところを助かったルーシーはジョナサンと結婚してめでたしめでたし・・と単純に思い込んでいたのだが・・。まあジョナサンがルーシーにあいそをつかしたとしても無理のない話なんだけれど。ルーシーは家庭におさまって夫に尽くすタイプじゃないしね。その時ドラキュラのマントがマストを離れて大きなコウモリかカイトのように飛んでいってしまう。それを見たルーシーの目には安堵感が・・。ドラキュラは不死身なのだ。滅びたように見えてもどこかで必ず生きのびる。このようにラストは思わせぶりにしてある。ルーシーは正気に戻ったように見えるが実は・・とかね。ルーシーの父、精神科医のスウォードはドナルド・プレザンス。ミーナの父、ヘルシング教授はローレンス・オリビエ。何とも豪華な配役だと思う。オリビエはしゃべり方一つをとっても(この作品ではオランダなまりの英語をしゃべっているらしい)うまいなあと思う。堅物で悲劇的なヘルシングに対し、スウォードの方は、この映画での数少ない笑いの部分を一手に引き受けている。いつも紙袋を持って口に何かほうり込んでいる。よくイギリス人は始終何か甘いものを食べていると本に書いてあるがまさにそれ。ミーナが亡くなって悲しみにくれるルーシーとは対照的に汁を垂らしながら朝食(イギリス式のしっかりしたたっぷりめのおいしそうな朝食ね)を口に運ぶ。ミーナの死に疑念をいだいて徹夜で調べものをするヘルシングに声をかける。友人の体調を気遣いながらも焼きたてのトーストをほおばる。そのカリッというおいしそうな音。いつでもどこでも食欲旺盛なスウォード。何かというとアヘンチンキを使うくせに、ルーシーの時には「娘に?まさか」となるのも笑える。とにかくこの二人の名優と若くてセクシーなランジェラのおかげで、この映画はどぎつさや低俗さのない品のいい正統派吸血鬼映画に仕上がった。ランジェラのドラキュラには彼の背負っている歴史の重みというものも感じられる。それはレスタトやルイには感じられないものだ。ちなみにこの映画は来月WOWOWで放映されるらしい。さて劇場版「サンダーバード」・・明日の「サンダーバード6号」を見てから言うべきなんだろうけど・・「今まで払ってきた莫大な(?)受信料はムダじゃなかったぜ、ベイビー!ありがとうNHK!」

ドラキュラ5

いつまでたってもDVD出ないし、ブルーレイが見られるようになったので、思いきって購入。監督ジョン・バダムのコメンタリーついてるのと、テレビ放映時の岡田真澄氏らの吹き替えが入ってるのが売り。高いんだから他にもいろいろついてるかと思ったけどこれだけ。しかも・・何だか画面が暗くて見えにくい。こんなにはっきりしない画面だったっけ?DVDやブルーレイなら画質ははっきりくっきりするはずというのは私の思い込みか。HDニューリマスター版とか宣伝してるけど、何のことやら。この映画は映画館で見た。たぶん相鉄ムービルあたりだろう。あまりにも昔のことなので記憶はおぼろ。客の入りも覚えていない。どうも不入りで、早々に打ち切られたらしいが、多くの人・・特に女性はセクシーなドラキュラを大スクリーンで見るチャンス失ったんですぜ!私が感想にも書いたランジェラの指の動きとか、プレザンスの袋ゴソゴソカリカリポリポリはコメンタリーにもあったな。それにしてもこうやって久しぶりに若い頃のランジェラ見ると、その細さに驚く。顔の形だって「ナインスゲート」の時のような長方形のがっしりした顔の印象が強いせいで、こんなに顔が小さくて丸かったっけ?となる。30年以上たって、オリヴィエもプレザンスも故人に。この頃のオリヴィエは病気がちで、走るなど動きの激しいシーンでは代役を使っているとのこと。この頃は新人だったジョナサン役トレヴァー・イヴは「ウェイキング・ザ・デッド 迷宮事件特捜班」というテレビシリーズに出ているらしい。病院の職員でメガネをかけている男性・・シルヴェスター・マッコイは「ドクター・フー」で七代目フーを演じたとか。あと、有名な赤い光線の中でのラブシーンは、レーザー装置とスモークを使ったもの。レーザーは高いので、ザ・フーから公演のない時に借りたそうな。監督はこのシーンの出来に満足そうだが、観客から見れば余計なことしやがって・・としか思わない。何が何だかわからないシーンを見せられるこっちの身にもなってちょ。赤い目と牙はランジェラはやらなくて正解だったけど、女優陣はおもしろがってやりたがったそうだ。今ならCGで簡単にできることも当時は手作り。ドラキュラが一瞬で消えるシーンは、ドラキュラの形をした風船の空気を抜いたとか。他にも時代設定は20世紀初めで、1913年製の車とか電話が出てくるとか、ここは意外だった。てっきり19世紀末だと思ってたもんで・・。

ドラキュラ(1992コッポラ版)

バダム版とくらべてみたかったのと、キアヌを見たくてDVDをレンタル。キアヌはジョナサン・ハーカー役。若くてすべすべで白(肌)と黒(髪・目)のコントラストが美しい。婚約者ミナ役ウィノナ・ライダーもそうだけど、どうしても彼に目が行く。ストーリーはかなり原作に近く、年取ったドラキュラ伯爵のかぎ爪のような指とか念入りにうつす。長く引きずる衣装が印象的で、「ザ・セル」を思い出したがおんなじ人が担当しているのね。テーブルの支度をドラキュラ自らやるのも、ハーカーがドラキュラ城に閉じ込められてひどい目に会うのも原作通り。バダム版ではルーマニアの部分はすっぱり省略され、ハーカーの扱いも軽い。三人の女吸血鬼の一人は何とモニカ・ベルッチ。ヘルシング教授はアンソニー・ホプキンス。あぶらぎっていて精力的でよく通るいい声でしゃべり、腹が減っては戦はできぬとばかりにがつがつ食べる。何事にも前向き。ミナの親友でドラキュラの餌食になるルーシーがサディ・フロスト。ジュード・ロウの奥さんだった人かな。裸になったり大奮闘しているが、印象は今いち。ルーシーの婚約者がケイリー・エルウィズだが、顔がよく見えない(ヒゲ・うつし方のせいで)のでエンドロール見るまで彼だと気づかなかった。彼とアーサーとの区別もつきにくい。ドラキュラに血を吸われたルーシーに、医者のスウォードが輸血するシーンも出てくるが、血液型を調べずいきなりやってるのも原作通り(運が悪けりゃ死にますぜ)。ドラキュラ役はゲイリー・オールドマン。彼の愛と苦悩を強調する作りになっている。みんなが彼に同情するように、ミナがハーカーを愛しながらもドラキュラに引かれてしまうのも当然・・というふうに持っていこうとしている。でも私はねえ・・メソメソするな!と思ってましたぜ。クライマックスはルーマニアに戻ってとか、ジプシーを利用するとか(村人はもちろんドラキュラ城には近づかない)、そういうのも原作通り。構成には感心したけど全体的にはCG使いまくりで軽い。特撮ほとんどなしでもバダム版は圧倒されるような重厚感にあふれていた。フランク・ランジェラのドラキュラを見た後ではオールドマンはしょぼくれて見える(彼なりによくやってるけどね)。てなわけで私としてはバダム版の方が断然お勧めです!