ダークシティ

ダークシティ

「王様のブランチ」の映画の紹介コーナーはかかさず見ている。「ダークシティ」もここで知ったけど見には行かなかった。当時は「シティ・オブ・エンジェル」を見てニコラス・ケイジに夢中になっていたもんで。夜ばかりで昼のない都市の話ということで、ちょっと変わった映画と紹介されていた。その後WOWOWで手頃な時間にやったので見始めたが、すぐにスイッチを切って寝てしまおうかな・・と思った。毛むくじゃらの汚らしい男がバスタブで目を覚まし、素っ裸でそこらへんを歩き回っている。部屋には女性の惨殺死体があって、刑事がこの男を犯人として追いかける。これじゃあSFじゃなくて刑事ものじゃん。おもしろくなさそうだし、始まったばかりでそう思うようじゃ大した映画じゃないだろう・・なんて。でもまあせっかく見始めたんだから最後まで見るか・・と気を取り直す。見ている間中主役の知らない男優の強すぎる目にばかり神経が行って、ストーリーよりも何よりも気になって仕方がない。どんなシーンでも異様に大きく、こぼれ落ちそうな目なのだ。こんなに存在を主張する目の持ち主も珍しい。映画が終わってエンドロールを見、音楽を聞いている時になぜかこの映画に対する思いがどんどん盛り上がってきて、ビデオにとらなかったことを後悔した。一回見て終わりのはずだったのに・・。次に見るまでには何ヶ月かかかった。それからはもうこの映画に完全にはまって、何度も見返すと同時に、関連作品をいろいろ見あさった。「ブレードランナー」「KAFKA/迷宮の悪夢」は期待はずれ。「クロウ/飛翔伝説」「メトロポリス」はすばらしい作品。「クロウ」は同じ監督の作品だから類似点はいっぱいある。あっちは新鮮で粗けずり、こっちは落ち着きがあり、腕が上がったなという気がする。アニメとも関係が深いのか、宇宙空間に浮かぶ都市というのは「うる星やつら」と似ているという意見がある。今のアニメのことは何も知らないが、私が連想したのは「千年女王」である。地球から東京(?)の部分が浮き上がるシーンと、「ダーク」での都市が浮かんでるシーン。ビルなどがある表面部分だけじゃなくて、植物の根みたいな地下部分があるところなんかは特に似ていると思う。「千年」を見たのはだいぶ前だが、映像と喜多郎の音楽はすばらしかったと思う。ストーリーは信じられないくらいめちゃくちゃだったけどね。

ダークシティ2

この映画の設定はかなり変わっている。最初は何が何だかさっぱりわからない。主人公も自分が誰なのか、どうしてここにいるのか、なぜ部屋に死体がころがっているのかわからない。映画が終わってもわからないこと、解決してないことがいっぱいあってすっきりしない。公開当時はヒットしなかったんだと思うが、映画の感想を書いている人は多い。何て言うか、その方面に詳しい人なら一言言わずにはいられないような、この部分はこの映画のこのシーンの影響が・・とか自分の知識を披露したくなるような、そんな映画なんだろうと思う。さて主役のルーファス・シーウェルだが、この人のことを書いている人はあまりいない。ジェニファー・コネリーやキーファー・サザーランドのことばっか。無名だから仕方ないか。ハンサムじゃないし、声はかすれてるし、ギョロ目だし。あーでもいいの。失った記憶を何とか取り戻そうと一生懸命走り回って、そのうち自分に超能力があることに気がついてとまどって、変な男達に命を狙われて必死で逃げて、覚えのない殺人容疑で警察につかまって・・でそういうルーファスが全部すてきに見えてきちゃうの。第一印象(毛むくじゃらで汚らしい)はどこへやら。他の出演者もなかなか豪華。J・コネリーはきれいですねえ。今お風呂から上がりましたっていう感じの色気がある。彼女の今風でない古風な美しさがなかったら、つまりエマの役を別のもっとモダンな美しさの女優さんがやってたら、この映画はずいぶん違った印象になってしまっていただろう。ウィリアム・ハートには見てるだけで中年男の悲哀を感じてしまう。あの希望のなさそうな表情とけだるそうなしゃべり。彼が途中で死んじゃったのにはびっくりした。そしてキーファー。しゃべり方(言葉の区切り方)が独特で、何気なさそうでいて計算され尽くしている。そして若いんだか年寄りなんだかわからない動き。すべてが終わって、新しい記憶を持ったエマがバスに乗り込むのをそっと見つめるシーンがすばらしい。異星人が滅び、超能力を身につけたジョン(ルーファス)がこれから自分の思い通りに町を作っていくわけだが、普通ならジョンとシュレイバー(キーファー)が協力して・・となる。しかし神のような力を持ったジョンには、誰の助けも必要ではないのだ。これでよかったのだと安堵する気持ちと、取り残されたようなわびしい気持ち。

ダークシティ3

真相を知っているのは彼とジョンだけなのだ。ジョンにはエマがいるが、彼には誰もいない。そんな複雑にまじり合った感情をキーファーはうまく表現していた。ラストは海辺でジョンとエマ(今はアンナ)が出会う。記憶を消されたエマにとって、ジョンは初対面の男である。これから仲良くなり結婚し、幸せになっていくというハッピーエンドなのだが、彼女が重いトランクを持っているというのに、ジョンは持ってあげない。そこが妙な気がした。ジョンは高慢というわけではないが、完全無欠の人間というわけでもない。そんな人間が神のような力を持って果たしてうまくいくのか、彼の死後はどうなるのか。意志の力で何でもできるというのは現実にはありえないことで、この映画の設定には無理矛盾がある。アニメを実写でやったという感じ。でもこの映画から受ける暖かい温もり感は、アニメでは出せないんだけど。たくさんの無理矛盾には目をつぶるとして、これだけは不満・・というのは異星人の正体である。何でどの映画も決まってドロドロ、ヌルヌル、グチャグチャなのよ。それ以外のものを考えつく人はいないのかい。そんな方程式みたいなのはいいかげんうっちゃって無視したらどうなのよ。実体のない意志のかたまりでいっこうにかまわないと私なんかは思うんだけど。何もかも目に見えるようにする必要はないのだ。セットは隅々まで気を配ってていねいに作られている。町の様子、部屋の中の家具・調度、人々の暮らしぶりがとてもよい。異星人によってセットされたものだからちょっとウソくさいのがまたいいのだ。記憶も作られたものだから人々の頭の中もさほど複雑じゃなさそうだ。でも動物の記憶はどうするのかね。それより犬とか猫っているのかしら。魚はいたけど。そう思って見ていると犬の声だけは聞こえていた。こんなに音楽がかかりっぱなしの映画も珍しいが、全体的には静かなムードが漂っている。しかしクライマックスの超能力対決シーンは凄まじい。目がくらみそう。異星人のボス(イアン・リチャードソン・・声といい姿といい申しぶんありませんわい)は貫禄があって、ルーファスの眼力(このためのキャスティング?)といい勝負だ。にらめっこなんてけなしている人もいるけど、こんなにすごい超能力バトルシーンは、アニメならともかく実写では他にないのでは?結局私がこの映画にはまったのは、このシーンが気に入ったからなんだろうな。

ダークシティ4

劇場で見るのとDVDで見るのとの違いは(画面の大きさは別として)明るさだろう。DVDは画面をかなり明るくしてある。そのため色まで違って見える。最初からビデオやDVDを見れば素直に受け入れるのだが、劇場で見ているとたいていの場合その差にがっくりさせられる。明るければいいってもんじゃない。「ダークシティ」はDVDで見てもかなり暗いが、劇場で見たらもっと暗かったのだろうか。DVDにはいろんな特典があって、そのうちの一つに予告がある。日本版予告の最後に〇〇で公開とあった。ここは先日「クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア」を見たところだ。かなりスクリーンがでかいから、もしここで見ていたらさぞ迫力のある映像に酔えたことだろう・・と後悔した。「ダークシティ」の特徴は、画面から伝わってくる雰囲気が上質なことである。犯罪映画として見るにせよSF映画として見るにせよ、他の無数のその種の作品とは明らかに違っている。普通こういうジャンルの映画を見て、思いつきはいいのに出ている俳優の演技がまずいとか、有名な人が出ているのに内容が今いちとか思うことが多い。巷で大ヒットしていても「これってそんなに内容のある映画?」と私には思えたり。技術は確かにすごいし、俳優の演技も悪いわけじゃないのに、伝わってくるものがない。「ダークシティ」だってすべてが明らかにされてるわけじゃないし、つじつまの合わないところもいっぱいある。でも、心の中にしみじみと広がる感動がある。宇宙人と戦うからって人間の側に秘密基地があって、何とか隊のコスチュームで光線銃を振り回すわけではない。ごく普通にアパートで暮らし、コートを着て、仕事をしたり歩き回ったりする。全くSF的でないその部分だけを見ても、しっとりと落ち着いたムードと俳優達の確かな演技がこちらに伝わってくる。上質、品がいい。ゴミゴミした町がうつっても、ゴキブリの這い回る汚らしいワレンスキの部屋でさえもだ。監督とか脚本家のコメントを聞いていると、かなりお金のことを言ってるのが切実な感じ。ほとんどのセットが手作りで、使い回しのセットを作って撮影して、壊してまた作って。使えるものはフルにリサイクルして。

ダークシティ5

もしハリウッドで作っていたらもっと余計にお金かかっていただろう。その分よくなるどころか悪く・・安っぽい映画になっていただろう。そしておそらくもっとヒットしていたことだろう。数字で見る限りアメリカではヒットしたとは言えないが、それは画面の暗さのせいもあるかもね。ボートの上で質問に答えるシュレイバー。「我々はどこから来た」とバムステッドに言われて「わからない」と。コメンタリーでもそこだけは不明のままにしたって言っていた。でも一番最初のシーンで異星人が見つけたのは地球・・と、はっきり言ってるじゃんよ。宇宙空間に浮かぶダークシティのまわりには重力で繋ぎとめている空気の層があるわけだけど、それってあんまり厚いわけじゃない。あんなに車が・・電車がひっきりなしに走っていて、空気を汚している。土地がないから森も木もなく、あったとしてもいつも夜じゃ酸素を作らない。どこかに酸素を作る装置、空気を浄化する装置があるの?ああ、そうだ。飛行機や船はないんだろうな。ジョンに注入された記憶・・よく見るとミスター・ハンドと違ってエマの浮気に怒って殺人鬼になるという部分がない。エマを愛しているというところまでだ。注射は全部シュレイバーがやってるが、エマやカールの記憶はいつ新しくしたのだろう。そんなヒマあった?拘束されているジョンのところへ来る前か?異星人はなかみを作ることはできないけど、注射もしないのはなぜなんだろう。ミスター・ブックもジョンへの注射をシュレイバーにやらせるから、すり替えができたんだけどさ。超能力に目覚めたジョンが拘束装置(言われてみればレオナルド・ダ・ヴィンチの人体図を思い出すよね)からパッと離れるところ、シュレイバーのいましめを解いてニヤリとするところがいい。コメンタリー通り、ここはジョンの方が悪役に見える。まさにサタン・・このニヤリ・・サイコー!建物がねじれたままで地上へ出ていくシーンがいい。コントロールされない強大な力。まあ最後の勝負がナイフというのはちょっとね。コメンタリーではこの戦いのシーンがうまくいったという意見と、こういうのでない方がよかったという意見に分かれていた。確かにそれまでの雰囲気とは全然別だから、最後になって急に安易な特撮物になったという不満もわかる。でも私自身は本当によくできていると感心・・いや、感動したんですけどね。

ダークシティ6

わざと無名の俳優を選んだというコメントがあった。記憶を失って自分の名前も思い出せないような主人公を有名スターが演じていたら・・。お客に先入観が生じてしまう。その点ルーファスなら「何、この人」「誰、この人」となる。主人公がどういう人なのかわからないのと同じくらいルーファスのことをわからない。一番最初に顔のアップがうつるが、普通こういうのはうつさない。目の大きさが違う・・まぶたが変・・と、第一印象はよくない。異星人は一つの心を共有している。だから看板のところで一人がやられると、そばにいた異星人も苦しがる。こういうところはSF小説の「呪われた村」を思い出す(「光る眼」の原作ね)。でも別のシーンではビルとビルにはさまれて一人がぺっちゃんこになっても、あるいは銃で撃たれても他のは苦しがらない。ここはおかしいな。ジョンが場所を聞く新聞売りの男の後ろにある写真か絵はどう見てもマリリン・モンローだ。ワレンスキは部屋の壁いっぱいに絵や文字を書きつけているが、その中に異星人の絵もある。普通の映画だったらその部分をクローズアップすると思う。けだるげに歌うエマと、それをじっと見つめるバムステッド。この時のウィリアム・ハートは絵になるなあ。ジェニファー・コネリーも映画の品位に大いに貢献している。他の女優さんだったらこうまでシックな画面にはならなかった。異星人と川辺で会うシーンは監督のお気に入りらしいが、私には無駄に思える。普通異星人は絶対にこのように一般の人間と会うことはないと思う。自分達の存在は絶対秘密のはずだから。ミスター・ハンドはやたらに人を殺すが、これは殺人鬼としてのマードックの記憶を入れられたからで、普通は殺したりしないだろう。眠らせたり記憶を失わせたりできるのだから。取り調べのシーンは、後から説明のために追加したのだという。確かに昼がないということがここではっきりする。それはいいが、ジョンが超能力で日記を浮かせる部分はあまりよくない。もっと他にいいやり方があったと思う。エマとの面会シーンはこの映画で最も美しいシーンだ。さえない男のはずのジョンまで美しく見える。エマを見つめる目、目を閉じてガラスに手を伸ばすところは崇高でさえある。彼の手には腕時計がはまっているが、それでいてカール叔父さんに時間を聞いていたな。彼の時計は他のと同じように12時になると止まるのだろうか。

ダークシティ7

この日記を始めたのは2002年の9月だから、もう14年もたってしまったわけだ。「ダークシティ」の感想載せたのは翌月の10月だが、実際にはもっとずっと前・・WOWOW放映後に書いてあった。今頃になってまた書き足したりするのは、それだけ内容が奥深く、魅力的だからだ。ブルーレイが出てることは知っていた。でもデッキはないし、DVD持ってるからそれでいいと思っていた。ところがブルーレイも見られるようになり、値段もいくらか安くなり、しかもDVDにはない特典がついてるとなると・・。買ってから気づいたんだけど、アマゾンのユーザーレビューが60件以上あって、あらいつの間にこんなに注目されるようになったのかしらと喜んだら・・。特典で監督のアレックス・プロヤスが編集し直したとか言っていて、びっくりしたのよ。あら、じゃあディレクターズ・カット版が見られるのかしら・・って。でもメニュー見ても入ってないし。どうも宣伝していたのとは違う・・つまりディレクターズ・カット版を注文したのに、通常版が届いたと・・。内容が違うのに発売元はちゃんとフォローしてなかったと。購入者から見れば詐欺同然ということらしい。二つのバージョンが入っていて、音声解説も五種類ついてるとなれば、ファンならぜひ見たい、聞きたいとなるわな。それが通常版だけ、解説も二種類となれば怒って当然。こういうことがあるってことは、〇〇発売決定!やった~即予約・・なんてことはしない方が無難だな。しばらく様子見てからの方がいいな。それにしてもユーザーレビュー60件以上というのは、ブルーレイへの怒りばかりなので、DVDのレビューまぜて、評価を上げる苦肉の策らしい。レビュー読むのは正確な情報知りたいからで、変な操作はしないで欲しいな。低い評価も大事な情報なのだから。まあとにかくディレクターズ・カット版は見られないってことです。見た人の情報によると、冒頭のキーファー・サザーランドのナレーションがなくなっているそう。これはプロヤスもいらないと盛んに言ってるけど、私自身はあった方がいい派。理由の半分は、しゃべっているのがキーファーだからです!削るなんてとんでもない!他に目立った違いとしては、娼婦のメイに娘がいたこと。ノベライズ・・と言うか、脚本を元にして書かれた文庫が出てるけど、それには書いてあるから、そういうエピソードがあることは知っていた。

ダークシティ8

前はノベライズは単純にでき上がった映画を元に書いてあるのだと思ってたけど、実際はもっと早い段階・・脚本の段階で書かれていることもあるのだと知った。だから書かれたけど撮影されなかったとか、脚本にあった通り撮影したけど編集の段階でカットされたとか、いろんな場合があるのだと知った。メイの件は後者だろう。殺されたメイに幼い娘がいたこと、娘はストレンジャーの絵を描いていて、それで彼らの存在がはっきりしたとか、監督としてはそういう流れを考えていたのだと思う。でもこの部分は読んでいてもいらないと思える。映画になくて正解だと私は思っている。エマと娘が心を通わせたとしても、そのことは別に後のことに影響してこない。なぜならエマはこの後ストレンジャーによって記憶を失わされ、別のアンナという人格になってしまうのだから。てなわけで私はこのシーンは見られなくても平気です。理由の半分はルーファスが出てない(たぶん)からです!ところでマードック役にはトム・クルーズとかジョニー・デップという話もあったんだそうな。ホントかいな。この二人は当時すでにイメージが確立していたから、マードック役には合いませんてば。自分が誰だかわからないなんて、そんな役は無理。特にトムは記憶を失ったイーサンでしょ・・としか思えない。それに大スターだから製作費の半分持ってかれちゃう。あまり知られていない、安い(←?)ルーファスで正解だったのよ。インタビューでのルーファスは、まだ若くて元気がよくて明るい。当時この「ダークシティ」と「娼婦ベロニカ」が公開されたけど、自分に近づいてくる様子で、どちらの映画のファンなのかすぐわかったなど楽しい話をしてくれる。こういうルーファス見られただけでも幸せ。さて、ブルーレイには映画評論家のロジャー・エバートのコメンタリーも入っている。彼は2013年に亡くなったが、批評が厳しいことで知られていたらしい。その彼が「ダークシティ」のことは高く評価していて。言ってることのいくつかは私にも共感できるものだ。一つは街が宇宙空間に浮いていることがわかった時にびっくりしたということ。夜がないとか妙なところはあるにしても、ここは地球のどこかだと思って見ていたからだ。もう一つはクライマックスの特殊効果いっぱいのバトルシーン。

ダークシティ9

他のたいていの映画では、特殊効果そのものがメインになってしまうことが多いと。そうなるとかえって退屈になるし、腕自慢になってしまうし、うるさいだけで意味がないし。私自身このクライマックスシーンは、何度見てもすばらしい、よくできていると感動する。だからそういう感想を聞くととてもうれしい。ここでは特殊効果の前にまず人間・・俳優がいる。人並みはずれた眼ヂカラの持ち主であるルーファスと、圧倒的な存在感を持つイアン・リチャードソンがいる。関係ないけどリチャードソンを見る度に私はジョーン・ヒクソン連想する(似てません?)。話を戻して、この二人がまずいて、そのまわりでキーファーとかストレンジャー達が逃げ惑ったり吹っ飛んだりしてるわけ。こっちをうつして、あっちをうつしてという、その配し具合が絶妙なわけ。精神の力を表わす鋭い光線、地面から飛び出す刃のようなもの、そして一番すごいのがねじ曲がったまま生えてくる建物。メチャクチャなようでいて計算されつくしている。メインキャラとサブキャラ、俳優の演技と特殊効果のバランスが取れていて、どちらかに偏るということがない。こんなすばらしいシーンはめったにない。またエバートはストレンジャー達は侵略が目的ではなく、自分達が生き残る方法を人間を実験台にして見つけようとしているのだとも言っている。生きている人間を乗っ取るとか、エサにするとか、そういうのは今までたくさんあったけど。侵略者ではなくストレンジャー。使っているのも・・器にしているのも生身の人間ではなく死体だし。一方的な敵、悪の存在ではないのよね。そのことに改めて気づかされた。あと、監督はシュレイバー役はベン・キングズレーを考えていたそうな。キングズレーには悪いけど、キーファーでよかった。若いんだか年寄りなんだか、敵なのか味方なのかわからないその複雑なところがいいのよ。キングズレーだと明らかに年寄りだし・・新しい世界は若い者の手で作らなきゃ!・・と言うわけで、これからも続く(かもしれない)「ダークシティ」の感想。1~3はWOWOWで見て、4~6はDVDで見て書いたもの。「クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア」を見に行った直後というと2002年か。書いてから10年以上もほったらかしていたことになる。そして7~9はブルーレイを見て書いたものです。