地球爆破作戦

地球爆破作戦

テレビでこれを見たのはだいぶ前なので、結末などはすっかり忘れていた。久しぶりに見て、こんな結末だったっけ?・・と意外な気がした。すっきり決着がついて終わるのだとばかり思い込んでた。存在を知ったのは「スクリーン」を見て。「ラット・パトロール」のハンス・グディガストが、エリック・ブレーデンと改名して、しかも主役で出ている!彼はいつもドイツ将校とか悪役が多く、主役というタイプじゃないと思ってた。田舎では公開されるはずもなく、テレビ放映を辛抱強く待つしかなかった。30年以上たって、きれいな画面でノーカットで見られるなんてとてもありがたいことだ。DVDを発売してくれてどうもありがとうございました。今見て内容が古くさいかというとそんなことは全くない。コンピューターが意志、自我を持つというと「2001年宇宙の旅」のHALが有名だが、こちらのコロッサスもなかなかのものだ。フォービン博士(ブレーデン)達のグループがスーパーコンピューター、コロッサスを完成させる。防衛が主な目的だが、他の利用も可能だ。学習能力があるので、数学とか哲学の分野での新展開とか、宇宙開発だって・・。しかし当面は軍事目的。マシンだから恐怖もためらいもない。無数の情報を瞬時に収集・分析し、最善の判断をくだす。しかし動き出すや否やコロッサスは、自分と同じマシンが他にも存在する、接続させろ・・と要求する。最初は誰かのいたずらだろうと思われたが、誰もそんなことはしていない。大統領(ゴードン・ピンセント)の誇らしげなテレビ演説がすんだばかりだというのに・・。研究所ではフォービンの同僚達がお祝いパーティの真っ最中だというのに・・。何やら妙な雰囲気になってきた。困ったことにコロッサスはあまりにも完璧に作られているので、一度暴走し始めると打つ手がない。フォービン達にとって、コロッサスが言うことを聞かないのも、ソ連にスーパーコンピューター、ガーディアンがあることも想定外の出来事(CIAは感づいていたようだが・・)。人間が主人なのだとわからせようとしてもムダ。仕方なくフォービンはコロッサスの要求を受け入れるよう大統領に進言し、コロッサスとガーディアンを接続させる。ソ連側もガーディアンが同じような要求を出してきて、困っている最中だったので接続を承知する。

地球爆破作戦2

相手側に自国の情報がもれるのでは・・という懸念はあったが、チェック機能がついてるはず、大丈夫だろうということになる。・・これ以上ないというくらい完璧に作って、いざ動かしてみると想定外の動き。対処法がない。何とかしようとすると報復が来る。この場合双方でミサイル攻撃をしかける。コロッサスはソ連の石油コンビナートに向けて、ガーディアンはアメリカのテキサスに向けて。このあたりは直接そのシーンを見せるわけではない。地図と弾道が示されるだけ。映画前半はほとんど室内、言葉のやり取りで見せる。ではケチくさい映画かというとそんなことはない。冒頭のコロッサスの内部、内部と外部を結ぶ橋(ちょっぴり「禁断の惑星」連想させられる)、研究所内部、軍(?)の指令室・・しっかり作られたセットだ!最初の方ではコロッサスはまだ目や声を持たない。問いや命令を打ち込むと、答が文字で出てくる。新幹線の車内などで流れる○○新聞ニュース・・みたいな感じ。でも、文字だけなのに迫力があるのだ。何たって感情がないから要点だけ。ああしろ、こうしろ、さもなくば行動を起こす。すぐに容赦のない答が返ってくるのも怖いけど、時には沈黙することもある。それがいっそう怖かったりして。黙ってると何考えてるんだろ・・って思っちゃう(疲れたから休んでる・・ってこと絶対ないからね)。一度コロッサスとガーディアンの接続を切ってみたこともあった。すると彼ら(?)は執拗に別の交信ルートを捜す。あっちのルート、こっちのルート・・何しろあきらめるということがない。見ている人間達は呆れ、感心し、そのうち怖くなる。見ている我々だって怖い。ただの光の線なのに怖い。まるで生きてのたうち回っているように見えるのだ。・・コンピューターが意志を持ち、人類の脅威となる・・それだけの映画だと思っていたけど、今回見たらいろいろ興味深い描写があった。上に書いたルート捜しの他に、最初に両者が接続した時の描写。彼らの交信は、まず掛け算から始まる。クリオ(スーザン・クラーク)は共通基盤を構築しているのだろう・・と推測する。別の場所で別の科学者によって作られたコンピューター。使われている言語も違う。でも1×1、1×2は共通。

地球爆破作戦3

両者はものすごい勢いで情報交換を始め、やがて交信手段が確立する。人間ではなくマシンが考えた方法。つまりフォービン達には彼らがどうやって交信しているのか、何を交信しているのかわからないのだ。彼らが人間の言葉に翻訳して教えてくれない限りは。これってすごい描写だと思わない?しかも人間と違うやり方、今までなかった考え方ができるから、新理論が生み出されたり、今まで証明できなかったことが証明できたり。人類は飛躍的に進歩できるかもしれない。フォービンだってその可能性は考えていたはず。その可能性があるからこそコロッサスを作ったのだ。軍事目的だけなら作らなかっただろう(たぶん)。もっとも、映画はそっち方面へは行かない。コロッサスの文化への貢献はかする程度ですませる(喜んでいるのはフォービンだけ。他の者にとっては画期的な理論なんかどうでもいいみたい。やっぱりね)。さてコロッサス達は、平和の一番の敵は人間だという結論に達する。戦争のない世界にするには自分達が支配者になるしかない。邪魔する者は排除する。平和のためなら犠牲もいとわない。すごい皮肉なシーンが続く。アメリカとソ連は自分達が(競争で)作ったもののせいで身動きが取れなくなる。おびただしい数のミサイルがそれぞれ相手の国へいつ発射されるかわからない。コロッサスの目(その頃になると監視カメラだらけになる)をごまかし、弾頭をすり替えたらどうだろう。でも全部すり替えるには三年もかかる。その間コロッサスをうまくだませるだろうか。米ソは協力せざるをえない。自分達の軍備をいかに無力化させるかに頭を悩ませる。さて、今回ネットで少し調べて意外に思ったのは、この映画をSF映画の傑作などと評していること。いつの間にこんなに評価が上がったの?公開当時は(日本で)話題になったとも思えないし、私の持ってる本には「演出が平凡」なんて書いてある。出演者も内容も地味で、コンピューターの反乱を扱っているのが目新しい程度。でも「2001年」という傑作がすでにあるから、二番煎じという感がどうしてもある。そういう評価でずっと来たのではないか。しかし時代が進むにつれ、コンピューターはずっと身近な存在になった。コンピューターの反乱?小さな反乱なら今これを打ち込んでるPCだって起こしますぜ。理由もわからず、苦労して打ち込んだ内容が突然消えたりね。

地球爆破作戦4

自分達が作ったものの後始末に悩む?核廃棄物に悩んでいるじゃないか、CO2に悩んでいるじゃないか。想定外?・・その言葉何度聞いたことか。・・話を戻して、私自身はこの映画を傑作だなどとほめたたえるつもりはない。でもなかなかよくできているな・・とは思う。CGはないが工夫がある。努力しているのがわかる。もちろん不満はいくつかある。ガーディアンの描写がほとんどない。中盤あたり、舞台は室内を飛び出しローマへ飛ぶ。フォービンはガーディアンを作ったクプリン博士と会い、対策を練る。しかし何を話し合ったのか全然わからない。しかもクプリンは途中でガーディアンの命令で殺されてしまう。1時間10分くらいたつと、この映画も多くの映画同様お約束の色っぽいシーンになる。こういうのはブレーデンには似合わないと思うんだけど。コロッサスはフォービンを24時間監視しようとする。あちこちにカメラをつけさせる。そうなると研究所の仲間とも自由に話せなくなる。そこで彼は、人間にはプライベートな時間も必要なのだ・・とコロッサスを説得する。何しろコロッサスは何時に起きろ、何時に食べろ、朝食のメニューは、仕事はこれをやれ、何時に寝ろ、酒の飲みすぎだ、カクテルの作り方が違う・・とうるさい。注意力が散漫になることはないし(つまり見逃さない)、ほどよく切り上げることもない(何度でも命令をくり返す)。作り手としては攻撃だの破壊だのとこれまでずっと固い内容で来たので、ここらで少し見ている者に息抜きさせてやれ・・ってことなんだと思う。ソフトムード、セクシームード、ちょっとしたお笑いムード。ようやくフォービンは、愛人と寝る時には監視しないという要求をコロッサスに受け入れさせる。次は回数だ。「毎日」は却下される(これはフォービンも予測ずみ)。「週四日」にはOKが出る(やれやれ)。フォービンはクレオを愛人ということにし、夜になると来てもらう。いかにも恋人どうしらしい演技をし、食事がすむと素っ裸になって(ベッドに何かを持ち込むのはコロッサスが許可しない)、ベッドの中でヒソヒソ話し合う。外部との情報交換、フォービンからの指示。ただ、コロッサスが本当に監視していないかどうか一度くらいは試すんじゃないの?という気もした。

地球爆破作戦5

さて二人は寝室に入る前、何も持ってない何も身につけてないことをコロッサスに見せるんだけど、そのシーンは笑える。本来ならボカシが入る部分にワイングラスが来るよう立つのだ。別にワイングラスなんかなくたって、暗くて何も見えないのだが、わざわざ置いてあるのがおかしい。きっと入念に角度とか照明とかチェックしたはず。そのシーンが思い浮かぶ。「そら、見えたぞ、見えないぞ!」・・ってあったな、そういう題の映画。二人は恋人でも何でもないんだけどこうまで条件が揃っているのだから・・と、フォービンはともかくクレオの方は・・。てなわけで、こういう中休み的な描写があるのは、どの映画もそう(「宇宙戦争」の目玉焼きとか)なんだけど、私から見ると楽観的だなあ・・と。前にも書いたけど、私は最後には問題が全部解決すると思い込んでいた。あんな後味の悪いラストだとは思っていなかった。で、(ラストでは)今度こそフォービンも思い知ったと思う。それまでは、状況は悪いもののどこかで何とかなると思っていたと思う。自分達の作ったものなんだから解決法はあるはず。それに思いがけなくクレオとも親しくなれた。今までは単なる仕事仲間、それ以上のものではなかった。仲が進展するなんて考えてもいなかった(クレオは考えていただろうけど)。それが・・。でも、そんな甘っちょろい考えも吹き飛んでしまうようなことが起きる。ミサイル弾頭のすり替えは、コロッサスはお見通しだった。彼をだました見返りは死である。それまでもコロッサスがソ連に向けて発射したミサイルは、迎撃が間に合わず、一つの町を壊滅させてしまった。よき相談相手となるはずのクプリン、一度に大量の処理をさせてオーバーロードさせようとしたのがばれたフォービンの同僚二人、そして今弾頭すり替えの見せしめとしてコロッサスはミサイルを爆発させ、基地及びその周辺に多数の犠牲者を出す。フォービンは苦悩する。何も希望が持てない。あるのは後悔と、コロッサスへの憎しみだけだ。コロッサスには彼の苦悩も憎しみも理解できない。理解する気もない。何たって彼は最善の方法を取るよう作られているから間違うということがない。人間は間違うけど自分は間違わない。自分が支配すれば何もかもうまくいく。今は抵抗を感じているフォービンも、そのうち考えが変わる。マシンに支配されてよかったと思うようになるだろう。

地球爆破作戦6

・・ホント、何もわかってないねコロッサス。ラストシーンでは本来ならぞっとするとか、そういうのが正しい反応なんだろうけど、私は「そうそう。クレオと楽しんでる場合ではなかったんだって、今こそ身にしみてわかったでしょ。いちおうクレオは科学者なんだし(スーザン・クラークはあんまり科学者には見えんが)、何か方法は・・って、寝る間も惜しんで知恵をしぼるべきだったのよ。もちろん今度のことはあんた一人の責任じゃないけどさ。女性と仲良くなるのは男性として当然のことだし、コロッサス作ったのは大統領の要請だし。それにコロッサス作られなくても、ソ連でガーディアンが問題起こしていたかもしれないし。とは言えちょっと考えが甘かったのは確かだなフォービンさんよ」などと思ってた。それにしてもいざという時の対処法が全くないシステムを作ります?あるパスワード使うとすべてが無力化するとか、せめてフォービンと大統領くらいはそういう切り札持ってなきゃ。すべてをコンピューターの判断にまかせて、自分は責任なしなんて国民に対して失礼じゃないの大統領さんよ。あ、この映画ではウイルスという考えは出てこなかったな。さて、ネタ切れのハリウッドなら、この映画がリメイクされてもおかしくはない。とにかく発想はユニークだし、起こることは今日的だ。米ソが協力せざるをえないという皮肉もきいてる。今ならコンピューターの描写はもっと多彩にできるし、惨劇シーンもCGでばっちりだ。出演者ももっと有名な人出してきて、ロマンス部分ももっとふくらませて。いや別にリメイクして欲しいと思ってるわけじゃありませんよ。でももしそういうことになって、日本でも公開となれば、原作の邦訳出るかもしれないでしょ。原作があるけど邦訳はされてないみたいなの。出来はともかく読んでみたい!そんなこと思ってたら何?製作ブライアン・グレイザー、監督ロン・ハワードでリメイク?あらまそうなんですか。実現するといいなあ・・といちおう言っておきましょう。「地球が静止する日」みたいに、予告編流れ始めるまでは安心できない。いつぽしゃるかわからん。最後に・・1970年頃のモダンでスマートな住居・家具・研究所の内部などは、見ていて楽しかった。どことなく「サンダーバード」思い出した。監督はジョゼフ・サージャント(今はジョセフ・サージェントと表記するようだ)。いい映画です。