ゾディアック

ゾディアック

公開二週目、平日昼間のシネコン、お客は30~35人くらいか。見る前は、こういうのは二回見たくなるかも・・なんて思って期待していたんだけど、途中から一回でいいかな・・と。この手の映画は、出来はともかく、ある程度の決着をつけて終わってくれないと困る。結局犯人はつかまりませんでしたとさ・・で終わられるとすっきりできない。このモヤモヤをどうしてくれる!これまで見てきた2時間37分を返せ!と思っちゃう。アメリカでも日本でも思ったほどヒットしていないんでしょ?それは謎を解き、鮮やかな推理で犯人を特定し、追いつめていくスリル、最後には正義が勝ち悪は倒され努力は報われるという、犯罪映画のお約束からはずれているせいだろう。見る前はそれでも暗号解読のスリルが味わえるだろうと思っていたけど、映画はあっさり通り過ぎる。容疑者は浮かぶものの決定打になるものがない。生存者・目撃者・手紙・電話・足跡など、手がかりはいっぱいあるのに犯人はいつも警察の手からするりと逃げてしまう。よっぽど運がいいのだ。捜査する側はばらばら。情報や連絡が行き違う。管轄が違う。どんな事件も最初からこれは連続殺人だとはわからない。いくつか続いてこれは・・となる。別件だと思われていたのもあるし、埋もれていたのもある。我々はすぐFBIとかプロファイリングとか思い浮かべるけどこの事件は・・。かかった労力のわりには成果は上がらず、もどかしい描写が続く。たくさんの事件がいろんな場所で起き、しかも期間も長いので、たいていの人は見ていてもよくわからないと思う。私はこういうタイプの映画は一回じゃわからないので普通二回見る。新宿まで行けば入れ替えなしでやってる。でも・・2時間37分を二回見るのはきつい。だから今回は一回でもまごつかないようあらかじめ原作を読み、概要を頭に入れとくことにした。この予習のおかげで事件の区別はついた。でも場所は・・サンフランシスコはわかるけどあとの二ヶ所(ヴァレーホとナパ)はごっちゃになった。映画では、省略されている事件もあるし、犯人も・・。何人かの容疑者を合わせたような感じで、アーサー・リー・アレンという男が出てくる。演じているのがジョン・キャロル・リンチだからいかにも怪しい。それでも映画見ている時はあれッこんな名前の人原作に出ていたっけ?と、とまどった。

ゾディアック2

いかにも怪しげに描かれるけど、結局は決めてがなくて、次に真打ちボブ・ホール・スターが出てくるんでしょ?だって原作ではスターが一番怪しいように書かれているじゃん・・あれッ!終わっちゃった!1992年に心臓発作で死亡・・って、やっぱりこの人のことじゃん。アレンがスターなのね。・・と言うわけで映画が突然終わった時には拍子抜け。あまりにも複雑だし長いし、もう疲れたからこれ以上作るのや~めたって感じ。観客は満足感もなくほっぽり出される。これじゃあヒットしませんわな。この映画のテーマは殺人事件の解明ではなく、それにのめり込み、振り回され、人生狂わされちゃった男達の哀歌。その点ではうまく描けているの。主演はジェイク・ギレンホール。彼とロバート・ダウニー・Jrが目当て。ジェイク扮するグレイスミスは何年たっても若くて不自然だけど、老けたジェイクなんか見たくないからそれでいいの。リアルでなくたっていいのウヒ。奥さんメラニーがクロエ・セヴィニー。サンフランシスコ・クロニクル紙の花形記者(←死語)エイブリーがダウニー。彼の演技はすばらしい。声・しゃべり方・しぐさ・表情・・鋭さと退廃感、のぼりつめるか落っこちるか、その紙一重感にぞくぞくさせられる。実りのない捜査に疲れ果てるのがトースキー(マーク・ラファロ)とアームストロング(アンソニー・エドワーズ)の刑事コンビ。トースキーはマックイーンの「ブリット」のモデルだそうな。ラファロはちょっと太ってきたな。エドワーズは髪があるぞ。髪があるとハンサムだな~。上司リー警部役はダーモット・マルロニー。最近よく見かけるなあ。今回はどうってことなくて、どうでもよくて、どうしようもない役。いや、ひどい演技ってことじゃないよ。ひねりようがない、演技のしがいのない、別に彼でなくてもいいような役ってこと。彼ちょっとおなかがせり出してきてない?あれは本物の肉じゃないよね、詰め物だよね、そっちの方が気になった。ブライアン・コックスがまた出ている。例によって見ている時は彼だと気がつかなかった。他にイライアス・コーティーズ。この人はこの後すぐ見た「ザ・シューター/極大射程」にも出ていた。それとクレア・デュヴァル(かなり体型がっしり)、キャンディ・クラーク(手紙係の人?)、アダム・ゴールドバーグ。

ゾディアック3

ゴールドバーグはエイブリーの後に来た記者の役だけど、何にも出番なかったな残念。きっと出演シーン全部カットされちゃったんだろうなあ。出演者は皆いい演技してるし、作りはしっかりしてるし、何かに偏りすぎてるってこともない。犯人の残忍さ、犠牲者達の無防備さ、捜査のもたつき、ゆっくり壊れていく家庭など、わりとまんべんなく描かれる。欠落しているものと言ったら犠牲者の家族の描写くらいか。それと、普通ならもっと主人公であるグレイスミスの私生活描く。メラニーとの幸せな時期描いて、その後の結婚崩壊際立たせる。見ていて感じるのは、事件は確かに残忍で異常だけど、特別なものではなく、ある日突然自分達に降りかかってくるかもしれないということ。人を皆疑ってかかるなんていやなことだけど、そうしなけりゃ自分を守れないのも確か。何たって人間は皆同じじゃない。中には壊れている人間もいる。人をメッタ刺しにすることで快感を得るなんて・・そんなに快感覚えたいのなら自分を刺せっちゅーの!見ていて頭にくるよなあ。私が一番怖かったのは湖のほとりでカップルが襲われるところ。女性が何度も刺されるところが怖かった。グレイスミスが、映画のポスターに書かれた字のことや、殺人を記録したフィルムのことでボーンという男に会いに行くエピソードは、怖いと同時に笑える。雨の夜、初対面の男と家の中で二人きり(無防備すぎる)、地下室・・。しかも今自分が話している相手がもしかしたら当のゾディアックかも・・と気づいてしまう。一度そういう疑いが起こると怖くてたまらなくなってしまう。あとはもう一刻も早くここから逃げ出すことで頭がいっぱいで・・。でもこのシーンも、マーシャルのことでボーンに話を聞け・・という、ペニーという男からの電話による密告が元なので、見ている人には状況わかりにくいと思うよ。ボーンはわかるけど、ペニーって?マーシャルって?・・となる。エイブリーにゾディアックからの脅迫状届くエピソードも尻切れとんぼ。さて犠牲者は結局殺され損。解決しないまま今に至るゾディアック事件だが、死は犯人にも平等に訪れる。こればっかりは逃れられない。もしアレン(スター)が犯人だったのなら、心臓発作で自分が死ぬって悟った時どう思ったのかしらね。原作を読み終わった時、映画を見終わった時、ふとそんな考えが頭をよぎった。