サスペクト・ゼロ

サスペクト・ゼロ

この映画は公開三日目に見に行った。ずいぶん早いでしょ、私としては。ろくに宣伝もされず、やってるところも少ない。でもいつだったか偶然予告を見て、これは!と思ったのよ。見ただけじゃ全然内容はわからなくて、何やらおどろおどろしいってことだけ。でもアーロン・エッカートが出てるじゃん!すべてはこれで決まりよ。出来がどうであれ、もう私にはけなすことなんて100%できないわ!見に行ったことを後悔することもありえない。だって見に行ったのは「ホレた弱み♪」だ・か・ら!え?何わけわかんないこと書いているのかって?ウフン、予告で金髪のアーロンを見たとたん「えッ、なんかジョンに似てない?」って思っちゃったわけよ。そりゃ近眼で老眼で乱視(たぶん)だけどさ、今回ばっちり気がついちゃったわけよ。金髪にするとアーロンはジョンに似てる(断言)!眉から目にかけてあのうるわしのジョンにそっくりじゃないのよ、きゃーこれは見に行かなくては!今までそんなこと全然思わなかったのよ。初めて見たのは「THURSDAY」で、えらくロディ・マクドウォールに似ているなあ・・と。その時は髪が黒だったので、その後「ペイチェック」を見ても同じ人だとは気がつきませんでしたのじゃ。他には「ザ・コア」と「抱擁」をWOWOWで見たくらい。まあ前から少し気にはなっていたんですけどね。でもって今回ズドーンとやられまして、ストーリーやら何やらは二の次で、スクリーンにうつるアーロンを見ては悦にいっておりましたの、オホホ。あごの割れてるところと、少し長いところは気にくわんけどまあいいわ。いやホント目は似てる、ムヒヒ、デレー(溶解人間状態)。公開直後なのにお客は25~30人くらいか、まあとにかくガラガラでしたな。でもちゃんとパンフあったし。ベン・キングズレーが出ていることは知っていたけど、キャリー=アン・モスのことは知らなくて、「あッ出てるんだ」とびっくり。内容は一回目を見ている時は正直言って何じゃこりゃって思ったわ。犯罪ものなのかオカルトものなのかスリラーなのか。一貫性が感じられなくて寄せ集めみたいな感じ。一人目が殺されて、二人目の死体が見つかって、チャラチャラした女の子が出てきた時には(いかにも襲ってくれと言わんばかりじゃないのよ、このコ)、本気で心配していたわけ。このままで大丈夫?ってね。

サスペクト・ゼロ2

見る側はサスペンスものという期待で見にきてるわけでしょ?謎めいた事件が起こって、怪しげなベン・キングズレーがいて、FBIのアーロンが捜査するという。ところがキングズレー扮するオライアンは何やら自動書記みたいなことをやってるし、アーロン扮するトムはダラスからニューメキシコに左遷され、鬱々としているし頭も痛い。何やら幻覚のようなものを見るし、一方は神がかり状態。えー?超能力映画?そりゃテレビでもひんぱんにやってるよなー行方不明の人を捜すとか、謎を解明するとかさ(あたしゃ見たことないけど)。この映画もそうなの?何かごたごたとまとまりがなく、ワクワクドキドキするんじゃなくて(前にも書いたけど)心配になってくるわけ。映画館の中に漂うわけよ、「ヤバイ、ハズレだ!」というムードが・・。音楽がこれまたまとまりがなくてうるさくて、騒音・雑音みたいなの。ある意図を持って印象的な旋律が流れるということがない。シーンとしていた方がよっぽどマシだよ、これじゃあ。エンドロールも「はっきりしろよッ!」って感じ。太鼓か何かがドンドン鳴るシーンはよかったけどさ。・・で、二回目。今度は挿入されるシーン(オライアンの透視、トムの幻覚)の意味が全部わかるので一回目よりも楽しめた。過去ならともかく未来のことは挿入されても意味がわからないけど、二回目ならああこれはラストのことなんだ・・ってわかる。けっこういろいろ出ているのよ。トラックなんて冒頭から出てるし。「15メートルのサメ」という言葉が出てくるけど、あのトラックのことなのね。トムにこの言葉を言う人は「隣のヒットマンズ」に出ていた「誕生美おめでとう」のおっさんだよね。さてこの映画のテーマは「選ばれた者の悲劇」だろうか。神に選ばれ、特殊な能力を持つことは、時にはとんでもない苦悩をもたらすのだ。この映画を見てまず頭に浮かんだのは「フレイルティー」。この映画の場合は悪魔を滅ぼすことが与えられた使命で、それは世間の常識から言えば殺人であるから、そこに悲劇や苦悩が生まれた。見たくないものが見えてしまうというのは「ギフト」を思い出す。望んで得た能力ではなく、いらないからと言って消えてくれるわけでもない。とにかくヒロインは自分の能力を受け入れるしかない。オライアンの場合は(神の)使命を受けたわけではないが、結果的には「フレイルティー」の父親同様自らが殺人を犯す。

サスペクト・ゼロ3

題名の「サスペクト・ゼロ」とは捜査線上に決して浮かび上がらない犯罪者のことらしい。欲望のためでも利害のためでもなく、ただ殺人を重ねる。手がかり(犯行パターン・動機)がつかめず、その存在すら気づかれずにいる連続殺人犯。警察やFBIに代わって追跡し、犯人を始末しているのがオライアン。始末したからって感謝されるわけでも、報酬が出るわけでもない。でもそうでもしなければ犠牲者達が浮かばれない。いくら犠牲者に感情移入するなと言われたって、元々それくらい繊細だからこういう能力が授かったわけで・・。自分とは全く関係のない人々だけど、彼らの悲劇的な最後を見てしまった以上、感じてしまった以上、そのままにしておくのはムリ。それでも最初の頃はきっと正義感に燃えて追跡に取り組んでいたんだろうな。自分を全能の神のように感じていたのだろうな。・・でももう疲れた。夜も眠れない。誰かにこの重荷を移したい。自分は死んで楽になりたい。でもクリスチャンだから自殺はできないしぃ・・。ウーム、熱心なクリスチャンなら人殺しはしないと思うが・・。たれこみとか別の方法あると思うが・・。トムを自分と同じ苦悩の世界に引きずり込まないと思うが・・。ここらへん「悪霊喰」を思い出す。悩み苦しんだあげく自分を殺してくれる者を見つけ、楽にしてくれと懇願するところは「ゴッド」を思い出す。こういう苦悩を描いた作品ってあんまりないのでは?作りようによっては深みのあるいい作品になっていたと思うのだが・・。連続殺人ということで、そっちの部分を強調すればいくらでもおどろおどろしいものができたと思う。現に見にきた人の多くはそっちを期待していたみたいだし。「ソウ」とか「SEVEN」とかさ。でも前に書いたように「サスペクト・ゼロ」は表面には出ないのよ。サスペクト(容疑者)にはならない。ハロルドみたいなごく普通のセールスマン。妻を愛する物静かで平凡な男性。あのトラックの運ちゃんだって何の特徴もない普通の人でしょ?そういう描き方はよかったと思う。ヘンに猟奇的なムードにならなくてさ。この映画の目指しているものって違うことなんだもの。キングズレーは善と悪、苦悩と歓喜の入りまじった複雑な役柄をうまくこなしていたと思う。まあところどころフッドに見えたけどさ(あっちは超能力を悪用し、しかも楽しんでいる)。

サスペクト・ゼロ4

とは言え前にも書いたようにこの映画はごたついている。内容も俳優も悪くないのに作り方がまずい。例えば雨にぬれてトムがフラン(キャリー=アン・モス)を訪ねるシーン。おやおやフランはえらく態度が違うじゃない。前は恋人どうしだったけどうまくいかなくなって、再会した時には冷たかったのに何で軟化したの?一度こりてるとは言え本当にトムのこと思っているなら、冷静に状況を分析し、力強くトムをはげまし、彼の苦悩に自分も向き合うはずでしょ?キャリー=アン・モスのキャラだってそういう時の強さに威力を発揮するんでしょ?だからこの役にキャスティングされたんでしょ?それなのに・・あらら、何もしないで帰っちゃったよトム。何のためにここへ来たのさ。フラン止めないよ、行かせちゃった。どう見たってメロドラマのヒロインじゃん。別になくてもいいじゃん、このシーン。こういうふにゃっとしたあいまいなシーンがいくつかある。シーンを積み重ねることでサスペンス感が盛り上がるはずなのに、それらのシーンがムダなものに見えてしまうのだ。あの電話番号は何だったの?加入者調べて結局誰だったの?かけてみたの?トムのところへ送られてくる大量のファクス。ファクスって送信場所わかるでしょ?どうせコンビニとかだろうけど調べた様子なし。女の人が二人犠牲になったというのはオライアンが追っている犯人の仕業ではないのでしょ?こういう事件に他の事件がまじってしまって、それで事実がわかりにくくなってしまうというのは確かにありそうなことだ(今回はゼロ、オライアン、そして全然無関係の犯人による犯行の三つが入りまじっているのだ)。でもこの映画の場合火傷のあとのある犠牲者が見つかるのはおかしいのよ。だって犯人は犠牲者をみんな埋めてしまっていたんだからさ。でも火傷に見えたのが実は凍傷で、そこから犯人は冷凍トラックの運転手だ・・っていうふうにストーリーは展開していくのよね、まあいいけどさ。さて苦悩という点ではトムも同じ。殺人犯を追いつめて、石を振りかぶって、普通ならあそこで思いとどまる。私も見ていて当然あそこでやめると思っていたら・・あらら、殺しちゃったよトム。今までの犠牲者達の顔が一瞬のうちに目の前に浮かんで・・。だから殺したのはトムと言うより犠牲者達の怨念なのよね。でもトムはいちおうFBI捜査官なんだからさ。こんなことやってしまってこれからどうするのさ。

サスペクト・ゼロ5

結局彼はオライアンを殺さなかった。オライアンはフランに撃たれて死ぬ。映画は実はオライアンは自分の死の状況を正確に透視していたってことを示して終わる。トムのその後は不明。エンドロールの後で何かあるかな・・と期待したけど何もなし。ともかく今度のことで今まであいまいだった能力が花開いちゃって、オライアンの仕事を引き継ぐのかしら。それとも超能力捜査官としてFBIの仕事を?どちらにしてもサスペクト・ゼロは罪を犯しても全く苦悩を感じないけど、トムは苦悩を背負って生きていくのだろうな。・・この映画を見てほめる人ってあんまりいないと思う。けなす人はいっぱいいるだろうけど。トムがハロルドの家を訪ねて、わざとカギをはずしておき、奥さんが出かけた後こっそり忍び込むところなど、どう考えてもおかしい。いくらそこで証拠が見つかって、ハロルドの数々の殺人が明らかになっても、トムの行為は違法だから法的には無効なんでしょ?しかも忍び込む時に近所の人に見られてしまうという迂闊さ。・・でもまあ私はね、最初に書いたように内容以前のことに興味持って見に行きましたから。見てよかった!とホクホクして帰ってきましたの。アーロンを見ることができて幸せ!いくつかの疑問点はパンフにみんな書いてある。アメリカとソ連で競争してこんなばかなことやってたの?・・って思うかもしれないけど、これと似たようなことはSF小説にも出てくる。全く根拠のないことではないと思う。ただ映画としては超能力が出てきた時点で引いてしまうお客もいるわけで・・よっぽどのことがない限りもう戻ってきてはくれない。この映画にはもう一度引き戻すくらいの力強さはないと思うよ。・・とは言え私にとっては(アーロンの存在以外にも)何やら引きつけられるもののある映画ではありましたな。さて毎日新聞の映画批評は私も参考にすることが多いのだが、「悪の概念について問題提起する重い人間ドラマでもある。一度ではすべてをのみ込みづらい複雑な作品だが、決して凡庸なサイコ・サスペンスではない」と書いてあって、これを読んだ時にはとてもうれしかったよーん。そうなのよ、二回見るとけっこうおもしろいのよ。つけ足し→その後また見に行って合計四回、どんなもんだいッ!見れば見るほど新しい発見があるじゃないのよッ!いつの間にか忘れられない映画になってるじゃないのよッ!よーしあとはDVDだわッ!