シークレット・ウインドウ

シークレット・ウインドウ

公開終了間際に見たせいか、お客さんは少なかった。「夫婦50割引」が定着したのか、年配の夫婦連れが最近多い。それはいいのだが、エンドロールの時などよくしゃべる。夫婦の会話が多いのは喜ばしいことだが、場所をわきまえろ!うるさい!声くらい低めろ!これからの予定なんかここでしゃべるなっちゅーの!オバチャン二人はケタケタ笑いころげていたし。あっけない幕切れ(コーンをガブリ)のせいか・・。何か今日のお客さんには緊張感がなかったな。まあ確かに内容もゆるかったけどさ。私も少し前ならスティーヴン・キング原作ということで期待しただろうけど、「ドリームキャッチャー」や「キングダム・ホスピタル」を見た後ではね・・。原作はまだ読んでないけど、結末が映画とは異なるようだ。パンフレットには帯封がしてある。オチがはっきり書いてあるからだ。まあ何と言うか、オチでも書いとかなきゃ他に書くことがないのよ。あとは眉間にシワ寄せたデップの写真ばっか。どうせならタトゥーロのこともっと書け。批評ではみんなオチは早々にわかってしまうと書いていて、それは実際にそうなんだけど。「アイデンティティー」を見た後ではねえ・・。あの映画ほどの力強さはなくて、それはデップだから仕方ないんだけど(弱々しいのが魅力なんだから)。オチがわかる前もわかった後も迫力不足。評判の高いお店に行って、オススメ料理を食べて、まあおいしかったんだけど、お店を出た時にはまだ腹ペコで・・みたいな感じ。そこらの店でラーメンでも食べなきゃおなかいっぱいになった気がしない・・そんな感じ。デップファンならおなかいっぱいになっただろうけど。ミステリーファンのための映画ではなくて、デップファンのための映画。私もデップはけっこう好きですよ。「スリーピー・ホロウ」ではかわいらしかったし、「ノイズ」ではミステリアス。「ナインスゲート」では一見弱々しいけどしぶとくて・・。今回のデップはこの時のキャラに近い。メガネ、タバコ、不精ヒゲ、モジャモジャ頭。今回はさらに破れたバスローブ、乱れた食生活(ろくなもん食っとらん)、ネコみたいに寝てばかり。前はそんなことなかったのよ。回想シーンでのヒゲそりクリームだらけで奥さん追っかけてくるモートのかわいいこと!郵便局の女のコじゃないけど「キュート!」・・下半身見えないけど彼女きっと身もだえしてると思う。

シークレット・ウインドウ2

タトゥーロはもっと出番あるかと思ったんだけど残念。モートの奥さんエイミーの浮気相手役でティモシー・ハットンが出ていたのでびっくりした。奥さんが浮気するくらいだからモート以上の男のはずなのに、テッドがつまらない男なのはおかしい・・という批評もあるが、私はそうは思わない。エイミーが浮気したのはモートが自分に無関心になったからだ。ケンカよりももっと悪いのが無関心なのだ。確かにテッドは大した男ではない。さえないし、間が悪いし、こすっからいところもある。でも気はいい。何よりもエイミーの方を見、エイミーに関心を持ってくれている。ハットンは「将軍の娘」の時は太って老けたなあ・・と思ったが、今回はやせて若々しくとてもよかった。原作と違って映画ではエイミーもテッドもモートに殺されてしまう。そのせいで後味は悪い。まあラストのことはまた後で書くけど。さて何度も言うようだがこの映画、内容はうすい。怖くないし底が割れてる。でも見せ方は工夫していると思う。・・と言うか、人格の分裂を表わす映像が(親切にも)いろいろ出てくる。冒頭、妻の浮気現場を押さえようかどうしようかと迷うモート。頭の中で会話するが、これはまあ普通の人もやってる。で、踏み込んで結局協議離婚ということになったけど、なかなかモートが書類にサインしないために、エイミーとテッドは宙ぶらりんのまま。サインをして決着をつけないのはこういう終わり方は正しくない・・とモートが考えているためだと思う。おそらく離婚を積極的に進めたのはエイミーの方だろう。モートの方はまだ未練がある。いや未練ばかりではない。自由の身になってエイミーが晴れてテッドと一緒になるのが許せないのだ。「秘密の窓」の結末が許せなくてもう一つの人格シューターが変更を迫るのと同様、この結婚の結末のつけ方にも別の方法があるはずだ。それは自分を裏切ったエイミーを殺すこと。テッドももちろん一緒に・・。モーテルに踏み込んだモートは叫び続けたが、ピストルを突きつけているシーンも後で出てくる。実際に撃とうとしてモーテルの人に止められたのか、それとも二人を撃ち殺してしまいたいという願望の現われなのか。とにかく6ヵ月たった今、モートは一行も書けず別荘で寝てばかりいる。別荘の小さな窓からカメラは中へと入り込み、凝った枠のついた大きな鏡をくぐり抜け・・。ここが肝腎。

シークレット・ウインドウ3

ソファに寝ているモートは、鏡にうつっているのだから鏡の手前にいるはずである。それなのにカメラは鏡の中へ入ってしまう。乱暴にドアをたたく音で起こされたモートは、鏡の向こう側でシューターと会うのである。鏡を通り抜けるようなうつし方は後でもう一度、エイミーが別荘へ来るシーンで出てくる。今度こそ書類にサインさせ、カタをつけてしまおうと堅く決意してやってきたエイミー。彼女は現実の世界に生きている。その直前まで何人もの自分と言い合いをしていたモートはあちらの世界にいる。ところで同じ人が何人も出てくるというのは「氷の接吻」を思い出すな。あの映画で精神がおかしくなりかけていたのはユアン・マクレガーだが、私は今回「シークレット・ウインドウ」を見ながら、デップの代わりにユアンがモートを演じていたらどうなっていたかな・・などと想像して楽しんでいた。だって怖くないんだもーん。謎解きのおもしろさもないし・・。モートの人格が消滅してシューターになり、山高帽の下からうつろな目つきでエイミーを見上げるデップの顔を見た時は・・すみません、笑っちゃいました!おそらくここが一番怖いシーンだと思うんですけどぉ・・。さてモートの夢のシーン。これも何やら象徴的だ。ドアが沸騰したヤカンのフタみたいにあばれ狂っているシーン。気持ちが悪くて、私はこのシーンが一番怖かったな。次の海に落っこちる夢はいかにも合成で、これはわざとなんだろうけど。それと水を飲んだ後不安定な状態で置かれるコップ。もう少しで開きそうなドア、落っこちるということ、ふとしたはずみで落ちて割れるであろうコップ。夢の中で現実で、いかにもバランスが崩れそうだと予感させる描写が続く。シューターに盗作したなと言われ、否定したものの不安になるモート。エイミーによればこの作品を「書くのはいつも夜中」だった。エイミーはその作品を書いているモートの姿は見ていないらしい。結婚生活の最後の方は、エイミーが話しかけてもモートは「目はうつろ」だった。彼女は夫がもはや自分を見ていないのに気づき、心のすきまを埋めるためにテッドに走ったのだ。一方モートは自分がそんな状態だったことすら覚えていないようで・・。顔色が悪い、もっと睡眠を取った方がいいなどとまわりから言われるモート。うちでは寝てばかりいるというのに!これらあちこちに散りばめられたエピソードから連想されることは・・。

シークレット・ウインドウ4

1)モートには前々からそのケがあった。窓・尼僧・・子供時代に何かあったようだが、映画でははっきり説明されない。別荘に隠された小窓があるのがわかり、それがきっかけとなり・・。2)モートははっきり自覚していないが、と言うか自覚するのを拒んでいるが(モートの人格だって消滅したくはない)、一線を越えるのは時間の問題だった。ドアが開く、海に落ちる、コップが割れる、壁に亀裂が走る、パッカーン!(エイミーはちょうどそんな時に別荘に来たのだ。殺されるために来たようなものだ)3)モートが寝ている間、シューターが起きていろいろやっていたのだ。だから疲れて顔色が悪いのはあたりまえ。4)モートとシューターの他に、両方を見ている第三の人格があると思う。ラスト、小さな庭はコーンでいっぱいになって、モートは三食(おそらく)ゆでたコーンばかり食べている。・・ってことはコーンを植えて収穫するまでの数ヶ月間、モートは逮捕もされずにいたってことだ。モートとエイミーが幸せだった頃住んでいた家は放火によって焼失。モートの証言により、シューターなるストーカーめいた人物の仕業らしいということになっている。実際その時のモートはそう思い込んでいた。エイミーやテッドが姿を消したのはその男のせいに違いない。だがいくら捜したってシューターが見つかることはない。モートがシューターなのだから。だがシューターまる出しじゃいくら何でもまわりに怪しまれる。離婚でもめていたし、ひょっとしたら・・と。だから怪しまれないよううまく立ち回る第三の人格がいるはずだ。シューターはモートに「どっちかがくたばるまで」と言っていたから、他の人格には気づいていないだろう。さてそんな安穏な日々もちょっとばかり怪しくなってきたようだ。保安官が来て「いつか尻尾をつかんでやる」なんて言う。でも大丈夫、この保安官ときたらとんでもないぼんくら。どんなこともどんな時でも(つまりモートがシューターのことで相談に行っても)最低限のことしかしないの。それでいて自分のこととなると最大限やるの。関節炎にいいからと医者に刺繍を勧められると勤務中でもするのよ、アホか全く!自分のこと以外はできるだけ何もしないでやり過ごすの。事務員までもが勤務中に私用の長電話。しかもバカ笑い。ゆるみきっていてたるみきっていて・・それでも何とかなる平和な町なのよ。少なくとも今までは。

シークレット・ウインドウ5

こんな保安官がちっとばかりやる気起こしたところで事件が解決するわけないわ。エイミーやテッドの他に、地元の住民トムやモートがボディガードを頼んだケンも殺されているわけだけど、保安官が重い腰を上げる気になったのは主にトムのせいだと思うわ。何たって地元の住民だから。ヨソ者なんかどうでもいいに決まってるわ。あのね、いいこと教えてあげるわ。森のリスに事情聴取しなさい、現場見ていたから。ただし人間の言葉ではしゃべってくれないから、ドリトル先生でも呼んでくることね。このリスのシーンはよかったな。「ぬぁにやってんだー!!」ってな顔してさ。信頼していたご主人様に殺されてしまう哀れな犬のチコ、バスタブから出られなくなっているネズミ・・この映画動物の使い方がうまい。さてラストまでずっとぴりっとしないこの映画。例えばシューターに言いがかりつけられてもモートは証拠の品を出さずにぐずぐずしている。「エラリー・クイーン・ミステリー・マガジン」なら図書館に行けばあるでしょ。犬の死体を何で早々と埋めちゃうのさ。トムやケンの死体を始末するあたりに至っては完全におかしい。誰が見たってモートの行動は異常。突然入る大きな音(免疫できてるから驚かんてば)、モートの頭でトムの死体を見えにくくするわざとらしいうつし方。こういうのはシャマラン監督にまかせとけっちゅーの!アンタまで同じテツを踏むなっちゅーの!さてラストシーンだけど(ここでやっと書くけど)モートだって小説は結末が大事だって言ってるじゃないのさ。映画だってそれは同じ。はっきりとはうつさないけどエイミーもテッドも殺されてしまって、別荘がうつるところで終わりにすればいいのよ。画面が暗くなってエンドロールに入るの。多少説明不足だけどじわっとした怖さが出るでしょ。で、エンドロールが終わったところでゆでたコーンがうつるの。書きかけの文章が表示されているパソコン(モートをうつす必要はない)、食べ散らされたコーンの芯。小さな窓からカメラが外を見下ろすとそこにはびっしりと実ったコーンが・・。カメラはさらに下へ移動し、エイミー達が埋められているであろう土の中へ・・。そこで終わりにすればいいんじゃい!「みんなが怖がるから買い物は他の町でしてくれ」なんていう保安官のアホなセリフ入れるな、ボケ!おかしいなあ、怖い思いをしたくて、秘密や謎にひたりたくて見に行ったのに・・???