13 火星人の来襲

さて今のところ「サンダーバード」は14話まで放送完了。15話はとても子供向けの人形劇とは思えないほど作り手のリキが入った大ワニのエピソードだし、その次はいとしのジョン様唯一の救助活動が見られるしで、期待に胸がふくらむわ・・。でもその前に13話の「火星人の来襲」。これって題名と内容の間にへだたりがあるし(絶対火星人対サンダーバード・・って思うよね)、国際救助隊が脇に回ってしまっているんで私にはあんまりいいエピソードだとは思えないのよね。こちとらフッドのファンじゃないし、スコットの手際の悪さばかりが目立つ。ジェフにしてもあの後自動カメラ探知機を壊した犯人を突きとめたとは思えない。身内に犯人がいるなんて思っていないだろうから行った先で壊されたと思っているんだろうな。どんなに性能がよくても巨大だということがネックになって、フッドをつかまえることができないというのはおもしろい。レーサーのアランを連れていけばよかったのにね。

13話に戻る前に気がついたことを少し。14話の前編でのイチゴ型通信機を食べたのは誰かというエピソード、15話でのトレーシー島の隅にある通信施設修理のエピソード。どちらも話の大筋には無関係で、エピソード全体が(時間の関係で)カットされたとしてもさして不都合はない。それなのになぜ中途はんぱな形で残されているかと言うと、これらのシーンがないとトレーシー兄弟がほとんど出ないで番組が終わってしまうからである。14話にはペネロープとブレインズが出てくるが、それだけではやはり不足なのである。話を前半と後半に分ければ、どうしたって国際救助隊の活躍は後半に偏る。15話でも救助要請がジョンに届くまでを放送できれば格好はついたが、前編の時間枠の中ではそこまで行かない。だからあの修理のシーンを入れて(あれだっていくらかカットされているのだが)アランやバージルを登場させ、番組の体裁をつくろったのだ(と私は思っている)。本来一本のものを二つに分けて放送するのは手間のかかることだと思う。ところで14話で前回のあらすじのナレーションを聞いていて「あれっ」と思った。火星ロケットに閉じ込められた二人をパイロットと言っていたからだ。あの二人はパイロットではなく、整備技師のはずである。それにしてもロケットの中に入ったのだから出入口はどこかにあるはずだ。いくら秒読みが始まったからといって、通常の出入口も非常用の出入口も調べずにいる(ように見える)二人の姿は納得できなかった。もうちょっと悪あがきするでしょ、普通は・・。

さていつもいいところで話が切れてしまうのはシャクにさわるが、二回に分けるといいこともある。放映期間が倍になるから長く楽しめる・・ということである。もちろん毎週日曜日の午後7時にテレビの前に必ずいるというのはけっこう大変なことだ。・・例え予約録画という非常手段が存在するにしてもだ。何か起きて放送時間が変更になる可能性がゼロでない限り、リアルタイムで録画スイッチを入れ、カウンターが回っていることを確認しない限り、安心はできないのだ。しかも私はすでにDVDで全話揃えているので、別にビデオに録画する必要はないのだが、それでも録画するのだ。しかも新しくていいテープに・・。さらに・・ダンナは私が「サンダーバード」のDVDのセットで○×△円使ったことを全然知らないのだ。他にもいろいろグッズを集めていることも、家事をほったらかして日記を書いていることも、11月になったら「UFO」のVol.2も買うつもりでいることも・・(おっといつの間にか話がそれたぞ)。ちょうど夕食どき・・ということでダンナは必然的に(強制的とも言う)テレビを見る(見させられる)ことになる。最初のうちは「人形の顔がいやだ」とか「アトムの方がいい(もちろん現在放映されているのではありません、昔のやつね)」だのとバチあたりなことをぬかしておりましたが、今ではちゃんと見ておりますよ、おほほ。10話のラストで「彼らが誰なのか、どこから来るのか誰も知りません」とネッドが言うと「えっ、そうなの?」とびっくりしておりました。15話の大ワニにも「よくできてるな(そりゃ本物ですから)」、「すごくでかいな(建物を小さく作ってあるのじゃ!)」などとぼけをかましておりましたが、人形の悪口を言わなくなっただけでも私はうれしい。糸であやつられていたって、研究所を覗き見していて雷にびっくりして振り向く時のカルプの表情や動きが、本物の人間に劣らずリアルだってことに気がついて欲しい。本来の形で放映されていれば30話くらいまで来ていて、もう先が見えている頃だが、ペースがゆっくりなぶんまだ少しは洗脳できそうだ。こういうていねいに作られたいい作品は一人でも多くの人に見て欲しい。

さて話を13話に戻すと、このエピソードの特徴は作り手がSF映画(それもあまり内容が高度とは言えない)の撮影現場の形を借りて、楽屋オチ的なネタを楽しんでいるところにあるらしい。スポンサーにへいこらする監督、「やっぱり特殊効果の連中はうまいもんだ」というセリフ。後半は映画の永遠のテーマである追いかけっこ。いちおう救助メカとして掘削機が登場するものの、俳優達の救助後も話が続くので、印象がうすくなってしまっている。しかし私がこのエピソードで印象的だったのはこういったことではない。彼らが撮影しているSF映画のことである。今2003年時点の目で見ると、あの映画は古くさい。これが西部劇か第二次大戦ものだったら、手法はともかく内容は古くさいとは言えない。1960年代だろうと、21世紀だろうと西部劇も第二次大戦も同じく過去の出来事だ。しかし火星人や宇宙船はそうはいかない。未来の出来事であるだけに、数十年たつと古くさくなってしまう。CGとかそういうのは抜きにしても(当時の作り手にCGを予測しろなんて誰が言えるだろう)、緑色の火星人やお釜みたいな宇宙船は陳腐だ。だが実際あの頃作られていたSF映画の多くはあんな感じのものだった。今見ればお粗末なものかもしれないが、子供の目で見れば今でも十分に驚異かもしれない。13話の火星人も宇宙船も宇宙人が地球人をさらっていくことも十分信じられることかもしれない。大人の目にうつるものと、子供の目にうつるものは、形は同じものでも持つ意味が違う。また我々は年を取ったおかげで「サンダーバード」の中で描かれる未来が古くさかったり時代錯誤だと判断できるわけだが、だからと言ってそっぽを向くわけでもない。そういうのを大真面目に考え、手を抜かずに作っている当時のスタッフのことを律儀な連中だ・・と微笑ましくさえ思う。

どうもあんまりうまく自分の感じていることを表現できなくて歯がゆいのだが、13話で「火星人の来襲」という映画を作っているのは1960年代の人間ではない。2026年だか2065年だかに生きる人達である。それでいて映画の内容は1960年代に作られていたSF映画の内容そのままだった・・と言うのが私にはとても興味深かった・・と要するにそういうことが言いたかったのよ。100年たっても映画人はちっとも創造的でないマンネリネタの映画を相変わらず作り続けていると言うわけだ。その一方で誰も考えていなかったような斬新な内容の映画も、その頃作られつつあった。「2001年宇宙の旅」である。映画の方の「2001年」に関する本を読んでいると、たまに「サンダーバード」のことが出てくる。例えば1966年頃、クーブリックはシルビア・アンダーソンに昼食でもどうかと電話をかけたそうである。「喜んで、でもうちの特撮メンバーを借りたいという話ならお断りよ」「では一緒に食事をする意味はない」・・電話を切られたシルビアは何と失礼な・・と思ったとか。ディスカバリー号などの模型製作に苦労する「2001年」のスタッフ、「サンダーバード」が成功して鼻息の荒いシルビア、無駄なことはしないクーブリック、電話を切られて鼻白むシルビア・・まるでドキュメンタリーを見ているように彼らの様子が目に浮かぶ。いずれにしても「サンダーバード」陣営からは大量の模型製作者や技術者が引き抜かれたそうだ「サンダーバード」も「2001年」も、どちらもすぐれたSF作品であることに間違いはないが、「2001年」の本で「サンダーバード」について書かれた文章には、子供向けの番組だから・・ということであまり鋭く突っ込むのは控えているような印象を受ける。もちろん模型や特撮に関してではなく、話の筋書きや登場人物についてだが。~話の筋書きは便宜的な事故や天災に大きく頼っていた。しかしテクノロジーに寄せる信頼は絶対的で、微笑ましくさえある。(中略)このすばらしい機械の発明者や操縦者はヒーローであり、「善玉」であった~未来のある子供達には宇宙やテクノロジーへの夢や信頼感を与えてあげなければならない。また人間の持つ善の性質を信じて欲しいし、それをのばしていって欲しいとも思う。そのためには筋書きが少しばかりご都合主義でも、人物のキャラクターが善玉と悪玉に単純に色分けされていてもかまわない。この文章から私が受けたのはそんな印象だった。これが大人をも対象とした本格的SF映画にだったらこんな甘口の批評はされないだろう。私は映画の「2001年」も好きだ。まあ厳密に言うとHALのキャラクター、ダグラス・レインの声が好きなのだが(ウッディ・アレンの「スリーパー」も買ってしまったほどだ!)。だから「2001年」の本の中で「サンダーバード」についての悪口を目にするのはいやだ。・・だからあまり辛くない表現にとどまっている文章を読むとホッとする。

さて少し前に話題になった中国の「神舟5号」。打ち上げ成功を喜ぶ人達の中に、これで我が国も軍事的に力を持てるようになる・・みたいなことを言っている人がいて、聞いててちょっと悲しかった。「神舟5号」は有人カプセルを切り離した後はそのまま軌道を回り続ける軍事偵察衛星になった。未知への探査、地球以外の知的生命の有無なんてことよりも、まず地球の中での勢力争いに優位に立つことが重要なのね。そしてこういう考えがあるから(未来にも存在するから)国際救助隊はその機密保持に努めなくてはならないというわけね。もちろん中国は平和目的の宇宙開発を強調しているけど。ありがたいことに日本は国会で宇宙の平和利用を決議している。「火星人の来襲」みたいなのどかな映画を撮影しているくらいなのが地球にとっては平和でいいのかも。以上話がだいぶ脱線しちゃったけれど、13話の感想でした。