スペースバンパイア

スペースバンパイア

さて・・これから日本で一番長い「スペースバンパイア」の感想書きます。もっと長いのがあったら教えてくださいませ・・なんちゃってウヒ。去年映画館で見た中で一番の何じゃこりゃ映画は「ザ・フィースト」だった。そのばからしさ、くだらなさには呆れ返った。でも12月に入ってテレビで見た「スペースバンパイア」にはびっくらこいた。「ザ・フィースト」なんてどこかに吹っ飛んじゃった。「スペースバンパイア」ははんぱじゃない。「何じゃこりゃ」度はダントツ。格が違う、崇高ささえ漂う。いや~久しぶりに逸品に出会いましたぜ。とは言えこの映画、すんなり見れたわけじゃない。全部見るには時間がかかった。すでに民放で何度も放映されたらしいが、この映画のことは全然知らなかった。私はエリック・ブレーデンが出ている「スペース・エイリアン」が見たくて中古ビデオ売場をさまよっているような人だから、WOWOWのガイドブック見た時にはスペースはスペースでも「バンパイア」じゃなくて「エイリアン」ならよかったのにぃ~なんて残念がってたほど。だから見る気もなかった。でもキャストを見るとスティーヴ・レイルズバック・・とある。ん?どこかで聞いたような名前だぞ。そうそう「スタントマン」に出ていたよな確か。小柄でいちおうハンサムだけど、顔立ちが濃すぎて好きになれないタイプ。出番が多くても印象に残らないタイプ。もっともあれを見に行ったのはピーター・オトゥール目当てだったからなあ。ともかくあの時の若者が出ているのなら見てあげてもいいかな~って思って。でも録画する必要はないだろう。見るからにB級だし・・なんて。そんな軽い気持ちで見始めたら・・何じゃこりゃ・・エロ、エロ、エロ。WOWOWでの放映は夜の9時から。・・と言うことは家族みんなで見始めた・・ってお宅も多いのでは?スペース→SF、バンパイア→ホラー。宇宙船を舞台にした吸血鬼退治・・こりゃおもしろそう!・・となるわな。ところがあなた、家族が揃って見るような内容じゃないんですよ。1時間半くらい、それでもがまんして(?)見ていたけど、もうやめよう・・と思ってテレビ消しちゃった。ちょっと進むとエロ、ちょっと進むとエロ・・でうんざりしちゃったのよ。寄り道ばっかりしていてちっとも進まないし、その寄り道も余計なことばっか。毒気にあてられたような、妙に疲れを覚える映画。

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で、その時はそれで終わりにしたんだけど、一日二日たつと考えが変わってきた。妙に心に引っかかるものがある。この映画の感想ってマチルダ・メイのヌードとヘンリー・マンシーニの音楽に関するものがほとんどだけど、私は他のことが頭にこびりついて離れない。レイルズバック扮するカールセン大佐の苦悩である。彼の最後を見届けてあげなかったのはまずかったかしら。あの後舞台はロンドンに移るらしい。しばらく待ってまたWOWOW見ればいいんだけど、どうにも気になって仕方がないのでDVDを調べてみると安いのが出てるじゃん!1000円くらいなら買ってもいいかな~と思ってネット通販頼んだらセール期間終了とかでキャンセルされちまったぜベイビー!と言って高いの買うのいやだしやっぱWOWOW頼みかな~。そんなこと思いつつ正月料理の買い出しに行ったら・・ショッピングセンターで見つけました中古DVD。不思議だわ~まるで私が行くのを待っていたかのよう。それでやっと全部見ることができたというわけですのウフ。まあ・・何ですな、一目ぼれして飛びつく作品もあれば、この作品のように後からじわじわくるのもある・・ってことですな。ちょっと回り道したけど出会う運命だったのよ!・・前置きが長くなったけど(前置きかよ!)、この映画の監督はトビー・フーパー。でも彼の作品は見たことないと思う。前にも書いたように音楽担当はマンシーニ。あのドラマチックなメロディーはすっかり耳について、今も頭の中で鳴り響いている。大河ドラマのテーマ曲・・と言っても十分通用するね。さて、英米混成チームによる宇宙船チャーチル号は、ハレー彗星の調査に向かう。このチャーチルってのがまず笑えるな。アメリカは承知しないと思うよ。ルーズベルトもつけろ!・・とかさ、文句言いそう。そうなったら今度はどっちを先にするかでもめたりして。彗星の近くには高さ3.2キロ(DVDの字幕では32キロとなってるが、間違いだろう)、長さ240キロというとてつもなく巨大な物体が潜んでいた。船長カールセン他数名が調査に向かう。あの~ちょっと大きすぎないか?このカールセンがレイルズバックらしい。最初は宇宙服やヘルメットのせいで誰が誰だかよくわからない。DVDはその上画面がすごく暗いのでよく見えない。見逃しているものがいっぱいあると思う。この映画を理解するにはDVDと録画したビデオ両方必要だ。

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1月に入ってWOWOWでもう一度見てその明るさにビックリ。でも今回も録画しなかったんだよな。DVD手に入れたからもういいや・・って。あ~ん、私のバカ、バカ!・・物体の中にはひからびた数千のトリのバケモノみたいな死体があった。さらに奥深く進むと何とケース入りの三体の人体が見つかる。サンプルとしてトリの干物一ケと、ケース入りナマ物三体をお持ち帰りする。三体は女一人に男二人。全裸で、眠っているようにしか見えない。女を見た隊員達は気分がおかしくなる。テレパシーのようなものでコントロールされかかっているのだ・・と予想がつく。三体の目的は宇宙船に運び込んでもらうこと。その後は当然船内で隊員が一人また一人と犠牲になり・・。残った連中は生きのびるために必死で戦うのだ・・「スーパーノヴァ」みたいに。でもその予想はあっさりはずされる。チャーチルは地上との交信が途絶えてしまう。30日後軌道をそれ始めたチャーチルにコロンビア号が救助に向かう。中に入ってみると、船内火災が起きたらしく乗員は黒焦げ。でもケースは無傷で残っていた。脱出艇が一つなくなっている。誰が脱出したのか。記録テープは人為的に消去されている。いったいなぜ?最初わりといい感じで映画は始まる。「2001年」ほどではないが、なかなかしっかり作ってある。巨大な物体は細長いので見ようによってはディスカバリー号のようにも見える。物体の内部を行くところは「ミクロの決死圏」風味。人工物・・宇宙船の内部を行くと言うより、正体不明の巨大生物の内部を行くようにも見える。隊員の一人(女性)は「大きな生物の動脈みたい」と感想をもらすが、カールセンは「どこか懐かしい感覚だ」とつぶやく。妙な感想だが、このトンネルは見ようによっては産道のようにも見えるので、そのせいかな・・とも思う。後になって別の考えも出てくるが、それはまた後で書く。とにかく三体が出てきたところで映画は一気に落っこちる。我が道を行く格調高いSFではなく、お客へのサービス満載のB級コテコテ映画となる。ただしサービスと言っても全裸美女はたっぷり見せるが、全裸男は申し訳程度という偏ったサービスである。作り手としてはできれば三体とも女性にしたかったのでは?白人、黒人、アジア系とか。物体の方も先端のコウモリ傘みたいな部分を見せたところで、優美なディスカバリー号から一気に落っこちる。

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バンパイアだからコウモリ状にしなければならないというその短絡的思考が笑える。ちなみにこの物体、朝鮮アザミをイメージしているらしい。・・よくわからんが。三体はロンドンの欧州宇宙研究センターに運ばれる。ケースは未知の物質で作られており、バリアのような役目も果たしているらしい。開ける方法もわからない。ここで登場するのがブコフスキー(マイケル・ゴサード)とファラーダ(フランク・フィンレイ)。ゴサードはスティーブン・ヤングに似ている。・・と言っても誰も「そうだね」とは言わないだろうが。他にランベール・ウィルソンにも似ている。渋い顔立ちと深みのある声が印象的だが、どことなく暗い感じがする。エイリアンに精気を吸われる役だからかな・・とも思ったが、調べてみたら1992年に自殺しているのだった。何か精神的な苦悩でもあったのか・・。映画はこの後ブコフスキーが主人公となるのか。彼は宇宙センターの所長か何か?ファラーダの方は生化学が専門だが、実際は「死学」を研究している。・・つまり死後の世界はあるのか・・とか。だから他の人とはものの考え方が違う。人間の精気を吸い取ることによって永遠に生き続けることも可能なエイリアンの生態は、彼にとっては願ってもない研究対象だろうし、できれば自分自身にも応用したかっただろう。残念なことにそこまで行けるほど事態はゆっくりでもおだやかでも知的でもなかったけれど。三体のうちまず女が目を覚まし、全裸(ここが重要)でうろつく。圧倒的な性的魅力で男を金しばりにし、精気を吸い取る。女エイリアン役マチルダ・メイは1965年生まれだから撮影の頃は20歳前だったろう。なまめかしいと言うより、新鮮な果実のようなみずみずしさを感じさせる。「たわわ」という形容は彼女を表わすためにある。壁にシルエットがうつるシーンは、なぜかドリフターズのコントを思い出してしまった。美容整形の広告にも使えそうな美しいバストだが、ああやってうつすとギャグにしか見えない。理性も吹き飛ぶような魅力に男どもはたじたじ。でも女性だったらどう反応するのかな。映画を見る女性のことは何にも考えていないな。男性エイリアンはあ?いたの?って感じ。男エイリアンに魅了される女性・・という描写はなし。とにかくマチルダ嬢にスポットが当たっている。彼女はまだ40をいくつか過ぎた程度。IMDbでは熟女となった彼女を見ることができる。

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ついでに他の人も見てみよう。レイルズバックは60歳くらい。水分や油気が抜けシワが目立つが、髪の毛はあるし、やややせてほどよく老けていってる。ケント役ピーター・ファースはレイルズバックよりは若く55歳くらいか。この人は「エクウス」で知られているらしい。私は見たことないけど「スクリーン」を購読していたので名前だけは知ってる。「エクウス」では金髪のフワフワヘアーだが、「スペースバンパイア」では早くも額の浸食が激しい。一律に後退するのではなく、額中央にぽやぽやっとした毛が一握り元気なくしがみついている。離れ小島か半島か。今では太って顔がまんまるになっている。他にパトリック・スチュワートも出ているが、彼はいつも見てるから今更調べる必要なし。調査終わり!女エイリアンは警備員、ブコフスキーを襲った後、センターの玄関ロビーをぶっ壊し、夜のロンドンに姿を消す。精気を吸われた警備員はしわくちゃのミイラみたいになってるが、2時間後生き返り、解剖しようとしていた医師を襲う。彼らは長期間宇宙を眠った状態で漂う。獲物が近づくとテレパシーでコントロールし、自分達を収容させる。あとは少しずつ獲物から精気を吸う。吸い取られた方は2時間たつと生き返り、他の者の精気を吸う。そうやって仲間が増えていく。ただし彼らは下っ端なので、精気の補給ができないと爆発して砂だか灰だかになってしまう。吸血鬼と似ているが、血ではなく精気を吸うというのがポイント。映画の原題ライフフォースは、生命力とか精気という意味だろう。もっともエイリアンの生態は映画の中でくり返し説明され、描写されるにもかかわらず、ずさんな印象はぬぐえない。同じように精気を吸われてもブコフスキーが吸精鬼にならないのはなぜなのか。彼は気分が悪くなるだけ。後で出てくるエレンも、女エイリアンに乗り移られるが、吸精鬼にはならない。女エイリアンがカールセンに言うには、彼女の姿はカールセンが心の奥に思い描く理想の女性・・ということらしい。彼女の本当の姿は人とコウモリをミックスしたようなバケモノ(「アンダーワールド:エボリューション」に出てきた翼つきの吸血鬼に似ている)なのだろうが、自分の理想の女性を見たカールセンはメロメロになってしまう。他の男が思い描く理想の女性もだいたい似たようなものだから、カールセン以外の男がメロメロになるのもわかる。

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でもそうなると男エイリアンは?物体の内部を調査していた中には女性隊員もいた。女エイリアンの言葉通りだとすると、男エイリアンはこの女性が思い描く理想の男性の形・・ということになる(しかも二通りの)。でもそういうのは無視される。男エイリアンはどうでもいい。あくまでもターゲットは男性客だから全裸美女を強調する。男エイリアンもそのうち目を覚ますが印象はうすい。女エイリアンはああなってこうなって・・とその行動を思い出せるが、男エイリアンは?思い出せます?目を覚ましたのを見てびっくりした警備員は銃を撃ちまくる。この時びっくりするのは二人して手榴弾投げたこと。宇宙センター内で爆発させるなんて・・と言うかいつも持ってるの?とにかく男エイリアンは射殺され、ついでにこなごなになったらしい。「らしい」と言うのは、はっきりうつされないからだ。その後よくわからんが、二人とも警備員になりすましていたらしい。「らしい」と言うのはその過程がうつされないからだ。そのうち一人はファラーダに近づいたところを見破られ、始末されたらしい。「らしい」と言うのは・・ああもう!とにかく男エイリアンに関しては省略されまくりなのだ。ファラーダはなぜか鉄の剣を持っている。それでエイリアンの急所を刺したのだ。吸血鬼なら心臓にくいを打ち込めばいい・・と我々も知っている。後でファラーダはカールセンとケントに連絡してくる。スチールではなく鉄の剣が有効なこと。急所は心臓ではなくその5センチ下にあるエネルギー中枢であること。これを聞いて変だと思いませんでした?皆さん。おまえ鉄とスチール両方試したのかよ。男エイリアンの方が強いはずなのにスチールで刺して、次に鉄で刺してみたのかよ。最初心臓を刺してだめで、次に5センチ下を刺して成功したのかよ。数学の問題みたいだな・・急所は5センチ下で鉄が有効とわかるには最低何回刺せばいいでしょうか答えなさい。えーと5センチ下とわかるには・・最初は何センチかも上か下かも右か左かもわからないわけだしぃ・・(←アホ)。全裸美女は歩き回るのに全裸男が歩き回らないのは見ばえが悪いからでしょう。男性客はそんなの見たくない(監督もでしょう)。さて話を少し戻して、女エイリアンに逃げられた後のセンターに、SAS(特殊空挺部隊)のケント大佐が事情聴取にやってくる。

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どうも当初思い描いたような宇宙船内のあれこれではなく、地上に話が移ってこのままいきそうだ。宇宙船はいいムードだったし、隊員も多いから十分ストーリーを進めていけそうだったのに・・残念。してみるとこのキューピーさんみたいなケント大佐がこれからは中心なのかしら。こんな感じでちょっと落ち着かない雰囲気。犠牲者三人(警備員、医師、公園で見つかった女性)の末路を律儀にくり返し見せるので映画が停滞する。しかも今だったらCGだけど、この頃は人形。だからあんまり怖くない。画面に稚拙さが漂い、笑ってしまうほど。ただこれをCGでやったら怖くなるか、効果満点の出来になるか・・と言うと、そうはならないだろう。今度はウソっぽくなり、やりすぎ感が漂うだろう。三人目の犠牲者が爆発したところで、脱出艇発見のニュースが入る。着陸したのはテキサス、乗っていたのはカールセンだった。レイルズバック再登場、バンザ~イ!そりゃケント役のファースも私好みよ。小柄でほんの少しジョン・レイトンに似ているような(似ていないような)。熱血漢に見えて冷たそうなところがダニエル・クレイグ連想させるような(させないような)。ブルース・デイヴィソンにも似てるかな。レイルズバックの方はデイビー・ジョーンズに似ているな。小柄で濃い目鼻立ち。キリアン・マーフィにも似ている。十分油抜きし、瞳の色を変えるとキリアンになる。この二人が活躍してくれるなら言うことなしだ。こちとらメイ嬢の美乳なんかどうでもいいからね。それにしてもこのコンビがこれから取る行動は・・かなり妙だ。いつの間にか信頼し合ってる。心の中では別のこと考えてるけど、最後はぴたりと息の合った行動で人類を救う。さて、カールセンの登場で、チャーチル内で何があったか明らかになる・・と期待されたが、目新しい情報はなし。三体を船倉に安置したが、それ以来船内で妙なことが起き始める。無線が壊され、隊員が一人また一人と死んでいく。とうとうカールセンだけが生き残る。チャーチルを地球に戻してはならない・・と決心した彼は、火を放ち、脱出艇に乗り込む。チャーチルを自爆させるとか三体を宇宙に放り出すことは考えなかったらしい。彼の思惑ははずれ、ケースは無傷のまま。普通なら信じてもらえないような話も、今のケント達はすんなり受け入れる。何しろ自分達の目で見ているからね。

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カールセンは、他にもまだ何か隠しているように見える。しかし疲労が激しいのでひとまず眠ることにする。脱出艇に何日いたか知らんが、精神的・肉体的な疲労は相当なものと推測される。その後テキサスからロンドンへ直行。ブコフスキーの「のんびり休養中のところを」といういたわりの言葉は、皮肉としか思えん。夢に現われたのは・・。この時の夢は、男性のスケベ心にサービスしているとしか思えないが、二つのことに注意して欲しい。一つは女エイリアンが最初本来の姿で現われること。これは視覚的には効果があるが、見かけは美しいけどなかみはバケモノだというのを見せてしまっているので、それを知っててカールセンが夢中になるか?という疑問も起きる。それとも男性は見かけが美しければなかみはどうでもいいのかな?もう一つはカールセンのいる場所。彼は宇宙センターの一室で眠っているのだが、夢の中では別の場所にいる。この時点ではそれがどこなのか不明だが、クライマックスで同じ場所が出てくる。大聖堂(セントポール寺院?)の地下である。センターから逃げた女エイリアンは公園で女を襲って服を手に入れた後、エレンという女に乗り移るが、それは精神だけで、体の方は別の場所に隠す。その隠れ場所は誰も気づいていないが、カールセンの夢にはちゃんと示されていると言うわけ。ここは感心したけど、みんなメイ嬢のヌードに気を取られてまわりの様子なんか見ていないと思うな。この夢の雰囲気はドラキュラ映画お約束のものだ。ベッドで眠る美女の元を訪れるドラキュラ。美女は魅了され抵抗できず血を吸われる。映像はたいてい血の色を表わす赤のライトが使われる。「スペースバンパイア」が一般のドラキュラ映画と違うのは、男女が入れ替わっていることと吸われるのが精気・・という点である。でもやっぱり赤のライトが使われる。このシーンは官能的と言うにはフラッシュやら音楽やら効果音やらが多すぎ、うるさい。悲鳴とともに飛び起きるカールセン。どうやら彼は女エイリアンと心の一部がつながっているらしい。女エイリアンの行方がわからない今、これが唯一の手がかりだ。カールセンが、夢を思い出せない・・と知ると、ファラーダは催眠術をかけてみることにする。カールセンの心に浮かんだのは・・荒野を歩く一人の女。彼女エレンは女エイリアンに乗り移られ、エネルギーを補給するため男を捜している。

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男を見つけ、車に乗せてもらうと早速誘惑し始める。車のナンバーから持ち主や場所を割り出し、カールセン、ケント、内務大臣のパーシィ卿の三人はエレンのいる病院へ。彼女はそこの看護婦だった。カールセンはエレンを詰問するが、女エイリアンはすでに別の人間に移っていた。今までほとんど宇宙センターの中での展開だったので、郊外に出てホッと一息・・という感じ。でも・・ここでも余計なサービスのしすぎ。男を誘惑するエレンをカールセンが実況中継・・しないでいい!それを額にシワを寄せたケント達が熱心に聞く。これが笑わずにいられます?さてエレンは何も知らないと言い張るが、カールセンは執拗に責め立てる。なぜかと言うとエレンはマゾなのだ。手荒なことをすれば手がかりが得られるというわけ。カールセンが「君は外に出ているかい?」と聞くと、ケントは「見るのが僕の趣味だ」と答える。すいません、これが笑わずにいられます?この二人いつから漫才コンビになったのでしょう!緊迫したセリフのやり取り、きわどいシーン、俳優達の大熱演・・それなのにおかしくておかしくて。どうしてエレンがマゾでなきゃいけないんだあ~!全然必要ないじゃないかあ~!関係ないけどエレンの部屋の壁にはデヴィッド・ボウイのポスターが貼ってある。・・と言うことはこの映画の年代設定はハレー彗星が地球に接近した1986年ってことになるのかな。エレンを演じているのはナンシー・ポールという人だが、元々はこの役オリビア・ハッセーがやることになっていたらしい。ホンマかいな。ついでに言うとケントの役は元々はマイケル・ゴサードがやるはずだったらしい。彼でもいいけど、カールセンとのコンビぶりを見ると、若いファースがケントやって正解だったね。さてこの病院の院長アームストロング役はパトリック・スチュワート。シワがないだけで今と同じ顔してる。と言うかメーキャップなしでも作り物に見えるね、あの顔は。女エイリアンはエレンから患者のサイクスに移っている・・と病室へ。しかし本当は院長に移っていた。院長をだまし、すきを突いて薬を注射。今度は院長の尋問だ。途中で院長の声が女エイリアンのに変わり、カールセンに向かって「愛してるわ」とささやく。その後はカールセンと院長のキスシーン。必死で抵抗するカールセン見て、映画見てる人全員爆笑すると思うが。でも作り手も俳優も大真面目なんだよなあ。

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その後はポルターガイスト。いろんなものが乱れ飛ぶ。ここは「火星人地球大襲撃」を思い出す。あっちはものを吊っている糸がよく見えたけど、こっちもよく見れば見えるかも。混乱の中で大臣は首の骨を折って死亡。運が悪いね。カールセンとケントは、薬で眠らせた院長と大臣の死体をヘリに積んでロンドンへ向かう。なぜかケントには自分達がここへおびき出されたのだとわかる。自分達が女エイリアンを追ってウロウロしている間に、ロンドンでは増えた犠牲者のせいで騒ぎが持ち上がっていた。その頃にはあの巨大な物体も地球に近づいていた。人類滅亡の危機だ。・・そのわりにはどこの国も手を打たないようで・・。攻撃するにはまだ遠すぎるのかな。ヘリの中で院長(の人形)の口から、大臣(の人形)の口から血のようなものが流れ出し、空中で固まって女エイリアンになる・・という特撮がある。かなり気持ち悪くてショッキングでよくできているが、人形じゃなくてもできたんじゃないの?という気もした。二人の顔が人形とモロバレなのが惜しい!それと院長はともかく、死因がエイリアンとは無関係な大臣の口から何で血が流れ出たのかな。・・薬を打ったにもかかわらず、女エイリアンは院長の体から出て行ってしまい、手がかりはなくなってしまった。ケントはカールセンに事実を話せ・・と迫る。カールセンは、チャーチルの中でケースを開けたのは自分だ・・と告白する。おそらく無線を壊したのも彼だろう。彼は後悔し、苦悩の日々を送っている。なぜ自分が選ばれたのか、なぜ自分が生き残ったのか。・・ちなみにカールセンは、ドラキュラに対するレンフィールドのような存在にあたるのではないか・・というとらえ方もあるようだ。それもなかなか興味深い考え方だと思う。冒頭の宇宙部分が第一部、宇宙センターでのあれこれが第二部、郊外でのあれこれが第三部・・と、私はこの映画をかってに区切って考えている。この後地獄のロンドンへ戻ってのあれこれが第四部だが、そこへ行く前に書いておくことがある。私はこのヘリでの告白シーンのあたりで見るのをやめてしまったのだ。チャーチルの中で、ケースを開けて・・のシーンで、おいおいまたかよ~とうんざりしたのだ。この映画は117分くらいあるけど、B級SFホラーとしては長すぎると思う。見ながらここはいらない、あれもいらない・・と思いっぱなしだった。

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肝腎な部分はいいかげんなくせに、何かと言うと話がいやらしい方向へ流れる。とにかくスケベな映画。そのスケベと言うのは、寄り道をせずにいられない、サービスしないではいられない・・という意味でのスケベ心も含む。これで通すぞ!という禁欲的な信念がない。それでげんなりしてスイッチを切ったのだが、今では別のことにも目が行くようになってる。片方では省略しまくりなくせに、もう片方ではささいなことまで凝っているのだ。前に書いた悪夢のシーンの他に、エレンが登場する時の背後の鳥の群れ(これがうつったのは偶然だろうけどなぜか気になる)。院長を責め立てている時のゆれる電灯。最初は何も起こらない。天井から吊るされた電灯は静止している。しかし女エイリアンが表に出てくると(目を開けると)、電灯は激しくゆれ始める。邪悪で異様なエネルギーが室内に充満しているのが感じられ、ぞっとする。それとこの映画は広角レンズを使っているのか、常に窓や壁の線がふくらみ、ゆがんで見える。これも落ち着かない気分にさせられる。ケントが宇宙センターに戻った時うつる建物の描写も心憎い気配りがされている。一面が応急処置という感じで何かでおおわれているのだ。女エイリアンは逃走する時玄関ロビーのガラスを吹っ飛ばしてしまう。あれからまだいくらもたっていないので、修理もされず・・と言ってそのままにしておくわけにもいかず、ああやって一時的におおってあるのだ。ウーム(感心!)。だってあんなのうつさなくたってストーリーには全然関係ない。見てる方はそんなことがあったなんてもう忘れてるし、うつしたって気づいてもらえるかどうか。それでもわざわざ見せる律儀さ!人間の霊魂が青白い光で表現されるのもいい。今だったらもっと複雑に表現されるだろう(人の形してるとか)。でも私にはこれで十分だ。美しいし神秘的だし。さて、ほめたりけなしたり忙しいが、話を進める。ヘリは首相のいる核防空壕へ着くが、そこでも感染(?)は始まっていた。首相自身がすでに・・というのがブラックでいい。ここは手遅れ・・と判断した二人は再びヘリに乗り、今度はNATOの基地(?)へ。3時間後には核による殺菌・・という手段が取られるらしい・・おいおいまたかよ、安易な・・。それを聞いたカールセンは、かってに車で出て行ってしまう。行先は宇宙センターとまわりには思わせておいて、向かったのは別の場所。

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女エイリアンが潜んでいる大聖堂だ。ケントの方はバカ正直に宇宙センターへ。それから大聖堂へ向かう。つまり寄り道をするわけだが、多くの映画同様その時間差は無視される。ロンドン市内は阿鼻叫喚の地獄だが、宇宙センター内は静まり返っている。ファラーダの顔をなかなか見せないのはうまいやり方だ。そのうちカゲから出てくる。別に変わったところはなさそうだ。でも汗をかいてる。首相と同じだ。ファラーダも・・と、段階を追って見せるのがいい。いかにもファラーダらしく、最後まで冷静だ。ケントが鉄の剣を手に、センターを出ようとすると吸精鬼の一団が現われる。そのうちの一人はブコフスキーのようだ。他の連中は警備員か。ここも怖いと言うより、最後に特別出演、ゾンビ風メーキャップしたところ見せますねウフ・・とサービスされているようでくすぐったい気分。しかしケントはそれどころではなく大聖堂へと急ぐ。パニックシーンは大がかりだがあまり怖くない。ここも「火星人」思い出す。爆発音とか今の映画と違って軽い。DVDだと画面が暗くてよくわからないが、テレビ放映だとエスカレーターみたいなのがうつって人が大勢倒れていて、地下鉄の駅らしい・・とかわかる。青白い光がきらめき、大聖堂に集まり、そこの地下から夜空に立ち上る。上空には巨大な物体が静止し、人間の霊魂を吸い上げている。ここらへんは壮観だが、たどり着いたケントが下を見ると女エイリアンとカールセンが全裸で・・となるので、あちゃ~またかよ~と落っこちてしまう。最後の最後までこの路線で行くつもりらしい。そのちょっと前、入口でケントの前に立ちふさがったのは男エイリアン。一人はファラーダに始末されたけど、もう一人はこんなところにいたのだ。いちおう女エイリアンを守っているのか。「君にこの私が倒せるか」なんてサイコーにカッコいいセリフと、美しくも邪悪な顔に浮かべた不敵な微笑で、ウヒョホと期待させてくれるが、何もできずに剣でやられちゃう。何だよぉ~弱いじゃん。一瞬本来のバケモノの形になってハッとさせられるけど、それだけ。結局比重がかかっているのは女エイリアンの方。ケントは取り込み中(?)のカールセンに必死に呼びかける。剣を渡す。カールセンは女エイリアンと自分を串刺しにする。二人は天に上って行き・・何がどうなったのかよくわからないまま巨大物体は去っていく。

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取り残され一人たたずむケント。結局彼、女エイリアンのありがたいお姿ほとんど見ていない。女エイリアンを前にした彼がどんな反応示すのか見てみたかった。どんなに誘惑されてもやっぱり「見てる」だけ?・・で、映画は終わるけど・・マンシーニの音楽が鳴り響くけど・・感想はもう少し続きます。この映画には原作がある。コリン・ウィルソンの「宇宙バンパイア」で、邦訳も出ている。でも今はもう入手できない。去年の今頃なら、早速古書店めぐりを始めただろうが、田舎に越した今はムリ。だから読む機会はないだろう。それはともかく一番の疑問は、なぜカールセンが・・ということ。映画では女エイリアンが彼に話す言葉が手がかりになる。その一方でファラーダはケントにカールセンの言うことは信用するな・・とも言っている。彼は彼なりに研究し、推理している。誰の言うことが正しいのか我々にはわからない。女エイリアンはカールセンをあやつっている。あやつるためにはウソもつくだろう。彼の心に侵入し、彼が思い描く理想の女性に変身し、言葉も学ぶ。彼が何を望んでいるかわかる。都合のいいことしか言わない。一方、エイリアンが過去人類に接触していたこともにおわせる。吸血鬼伝説の一部には彼らも関係しているのだ。とにかくエイリアン達は互いに食い合った結果、とうとう三体だけが残り、ケースの中で眠りにつく。次の獲物が近づくのを待つ。あれ?今でこそ人類は宇宙に進出したけど、前はできなかったよな。ってことは以前はエイリアンの方から地球に出向いていたの?お互いを食い合ったという言葉もなあ・・食い合ったにしては物体の中に数千の死体が残ってるじゃん(食べ残しかよ)。何か次から次へとボロが出てくるぞ・・これ以上追究するのやめとこ。私が思うに、カールセンは地球に残ったエイリアンの末裔なのでは?長い年月のうちに人間化し、本人は全く気づいていないけど体の奥深くDNAの部分では・・という。エイリアンに選ばれたのはそのせいなのでは?巨大物体の中を進む時、どこか懐かしい・・とつぶやいたのはそのせいなのでは?女エイリアンも「私達は仲間なのよ」と言っていたではないか。でもカールセンはそんなこと気づいてないから、ケースを開けてしまったことや、人類滅亡の危機を招いてしまったことを後悔するのだ。彼が苦しむのは人間だからだとも言える。エイリアン達は全く苦悩しない。

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自分達が生き残り、繁栄することしか考えていない。メイ嬢はほとんどのシーンスッポンポンなので、そっちの方に気を取られがちだが、顔の表情だけで演技しているのは偉いと思う。根底にあるのは人間に対する優越感。見せかけの美しさとテレパシーによるコントロールでほぼ何でもできる。人間なんか自分達にかなうはずはないと確信している。普通こういう設定だと女エイリアンとカールセンの関係は、許されない恋、悲劇的な恋・・という感じになるが、この映画はそうならない。苦悩しているのはカールセンだけ。女エイリアンの方は計算ずくだ。言葉にも行動にも心がこもっていない。激しく苦悩するカールセン、あるいはレイルズバックのオーバーな演技は滑稽ですらある。自分で自分をしばっている。ケースを開けたのは彼かもしれないが、それをさせたのは女エイリアンである。彼は利用されただけ。彼が開けなくても遅かれ早かれ他の誰かが開けていたはず。悩む必要はないのだ。でも苦しむ。他の隊員が次々死んでいくのを見るのは船長として辛かっただろうし、船を捨てた時には地上の連中にどう説明しようかと悩んだことだろう。地上に着いてみればケースは無傷で女エイリアンは逃走した後。悪夢はどこまでもついて回り、安らぐヒマもない。女エイリアンは彼に無上の快楽を与えてくれるが、奪うものもまた大きい。カールセンは真面目で、何かあっても内にためこむタイプ。だから時々感情が爆発してしまう。狂人めいた激しさ。彼が大聖堂の地下で何をする気だったかはあいまい。何とか決着をつけようと意気込んでいたはずだが、またしても女エイリアンの魅力に負けてしまう。彼はなぜ宇宙センターへ行き、鉄の剣を持って大聖堂へ乗り込まなかったのか。ケントがセンターへ行き、剣を持ってきてくれると確信していたのか。自分が女エイリアンと抱き合って注意をそらしている間にケントが来てくれれば・・。そして結局は彼が思った通りになった。タイミングはばっちり、あうんの呼吸。ラストの自分を女エイリアンもろとも串刺しにするシーンは「ドラゴンvs7人の吸血鬼」を思い出す。あの映画では吸血鬼になりかけの女性にかまれた青年(デヴィッド・チャン)は、自分を女性もろともくいに刺し、死んでいく。このままでは自分も女性も吸血鬼になってしまう。その前に・・という悲しくも潔いシーン。

スペースバンパイア15

今回はカールセンも女エイリアンも全裸なので、ぐっと品は落っこちるが、それでもこの結着のつけ方しかないのだ・・という悲哀は漂う。二人が天に上っていく時は、青白い光ではなく赤い光である。天空の巨大物体(今ではそれがエイリアンの宇宙船だとわかっている)に吸い込まれる。物体はゆっくり動き始める。今回の目的を果たしたので・・つまりエネルギー補給を終えたので発進したのだ。再びハレー彗星の近くに潜み、76年後に接近するまでじっとしているのか。私は最初見た時てっきり物体は爆発するのだと思い込んでいた。だって女エイリアンは串刺しになったし、カールセンは物体にとっては異物。だからどっかーんとなって、彼の自己犠牲もむくわれました・・となるのだと思っていたら・・そのまんま。何事もなく去っていきましたとさ。二回目見ていたらあのケースがまた出てきて・・中に人がいるらしいのに気がついた。あら?じゃあ鉄の剣は効果なし?このシーンはもうちょっとはっきり見せた方がいい。女エイリアンはわかるけど他のケースは?男が何人か入っているような・・。一つのケースに女エイリアンとカールセン二人が寄り添って・・ならロマンチックでステキなラストシーンになると思うが。女エイリアンが元の形に戻っていてもいいな。バケモノに寄り添う人間の男性なんて怪談風でいいじゃん。私がこの映画で連想したのは「牡丹燈籠」。魔性のものに取りつかれ、逃げられない男。快楽を味わいつつも精気を吸い取られていく男。女エイリアンにはお露のような悲しさもいじらしさもないけど、カールセンの方には何もかもありすぎるほど。気の毒で手を差しのべたくなる。結局私がこの映画に引かれたのはレイルズバックの迫真の演技に心をゆさぶられたからだろうな。ヌードや音楽だけでなくレイルズバックの演技にも少しは目を向けて欲しい・・これを言いたくてこんなに長い感想書いたのよ。何だか「スタントマン」、もう一度見たくなってきたな。映画館で見た時にはさっぱり意味がわからず、おもしろくもなかったんだけどね。最後に・・とんでもなくばからしい映画も、そのばからしさが一線を越えると一種の名作になるということ、崇高さが漂い、品格さえ感じられるということが今回わかりました。私の頭が(毒気にあてられて)マヒしてるのかもしれませんけど、この映画を見ることができて幸せです。ありがとうございました。