ソルジャー

ソルジャー

この映画は見ようと思っていたのに、いつの間にか公開が終わっていて見ることができなかった。きっとあっという間に打ち切りになったのだろう。アメリカでもヒットしなかったようだが、こんないい映画がなぜ・・?主演のカート・ラッセルは子供の頃に見たテレビの「ジェミーの冒険旅行」から知っている。カルピスのCMで人気が出たオズモンドブラザーズも出ていた。その後ディズニー映画によく出ていたが私は見ていない。一時プロの野球選手だったこともある。俳優として注目されたのはエルビス・プレスリーを演じた「ザ・シンガー」からだが、プレスリーは好きじゃないので見ていない。私が彼に注目したのはテレビムービーの「パニック・イン・テキサスタワー」からである。ここではいつもの明るく健康的な好青年とはがらりと違うライフル乱射事件の犯人を演じていた。これは実際にテキサス州立大学で起きた事件を元にしている。犯人はテキサスタワーから人々を次々に狙い撃ちし、最後は警官に射殺されてしまう。なぜ事件を起こしたのかは不明のまま。非常に緊迫感のあるいい作品だった。1981年の「ニューヨーク1997」を見に行ったのはこの時のカートが忘れられなかったからで、主人公のスネークは私の心のヒーローとなった。その後「エスケープ・フロムL.A.」も見ている。カートのコメディーものは見ようとは思わないけど、こういった孤高のヒーローものは好き。ヒーローは女性にでれでれしたり、ぺちゃくちゃしゃべったりしてはいけないのだ。さてソルジャーとして育てられたトッドは、命令とあらば女性でも子供でも殺してしまうような冷徹な兵士。しかし遺伝子段階から選ばれ、訓練された新しいソルジャーが登場する。上官同士の見栄の張り合いからそのうちの一人ケインと戦ったトッドは敗れ、死んだと思われて遠くの星に捨てられる。この星は要するにゴミ捨て場で、誰も住んでいないと思われていたが、ムーン星に行く途中墜落した船の生き残りが住んでいた。トッドは彼らに助けられ、そのうちのメイスという男のところで傷を癒すこととなる。彼は感情を全く外に出さず、ほとんどしゃべらず(映画史上最も寡黙なヒーローだと思う)、上官の命令には絶対服従。このトッドにくらべたらスネークは何と感情豊かでおしゃべりでおっちょこちょいのお人好しかと思えてくる。だっていつも警察にだまされ、仲間に裏切られ・・だもの。

ソルジャー2

髪を刈り上げ、顔は傷だらけで、鍛えられた体はがっちりしている。もう若くはないが豊富な実戦経験がある。一方のジェーソン・スコット・リー扮するケインは若々しく自信にあふれているが、経験のなさが顔にはっきりと出ているのがミソ。まあトッドだって最初はこうだったんだろうけど。傷も癒え、歩けるようになったトッドだが、戦うことだけを考えて生きてきた彼は、銃を見ると手に取ってその状態を調べずにはいられない。食事は出されたものを味わうことも会話もなしにただただ食べるだけ。クリスマスになって皆が楽しそうに浮かれ騒いでも、トッドは膝にプレゼントを置いたまま呆然とまわりを見てるだけ。周囲の喧騒が彼には銃撃の音に聞こえ、戦闘の記憶が甦ってパニックを起こしそうになる。一瞬の後には彼の姿は消え、外から天窓ごしに下の様子を見ている。この「外から」というのが暗示的だ。仲間のソルジャーとは目で意志の疎通ができる。しかし一般の人々とはどうやって意志を通じたらいいのかわからない。そういう教育・訓練は受けていないのだ。だから彼らの中にいることは苦痛であり、困惑の元である。外から窓ごしに見ることは自分と彼らとの間に距離を置くことであり、そこでは雑多な騒音に心を乱されることもない。全体を見渡し、把握することはいつだってソルジャーの取るべき行動だった。しかしその後窓から離れ一人で物思いにふける彼の心にあったのは何だったのか。周囲の静けさに安堵感を感じたのか、それとも今までは気にならなかった一人でいることに対する孤独感なのか。とにかくこの時の彼は人々からは離れ、自分の方から壁を作っている。さて彼の世話をするメイスの妻サンドラは美しく愛情豊かな女性で、トッドはどう対処していいかわからず混乱する。喜怒哀楽を出さず、無表情でいながら心はゆれ動いている・・というのは、しっかりした演技力のある役者でなければ表現できないが、その点カートはうまい。肉体的な条件、つまり筋肉美とか格闘技術だけでこのトッド役を選んでいたら、この映画はもっとうすっぺらなSFアクションで終わっていたことだろう。見終わった後頭の中に残っているのは銃撃音と爆発音だけというような。そうならなかったのはカートのおかげだ。一つのこと、つまり敵を倒すことだけを考えているトッドの頭の中は一見単純そうに思えるけど、実際には他の誰よりも複雑なんだろうな。

ソルジャー3

他の人がトッドに対していだくのは恐怖心や警戒心だが、サンドラは違う。彼女にはトッドが残酷で危険な人間には思えない。心の中に悩みをかかえているように思える。ある時彼女は指を切っても何も感じないように見えるトッドに思いきって「何を考えているの?何か感じるはずよ」と聞く。トッドはすぐには答えず、ネイサンの方をちらっと見やってから「恐怖・・恐怖と懲罰」と答える。メイスとサンドラの息子ネイサンを見た時からずっと、トッドは自分に通じるものを感じていた。蛇にかまれ、その毒で死にかけたネイサンは口がきけなくなり、笑うこともない。無表情なその顔は、感情を表わすことを禁じられた幼い頃の自分自身に重なるものがあった。「かわいそうに」と思わずトッドを抱きしめるサンドラ。彼女にとってはスキンシップが愛情の伝達手段である。トッドに対する思いは子供に対するのと同じ種類の愛情、つまり母性愛である。しかしトッドの方はサンドラに母を見ているわけではない。抱きしめられて困惑したり、彼女に見とれてナイフで指を切ったのにも気づかず野菜を切り続けるシーンは、見ていて笑えるというよりもせつなくなってくる。サンドラは一見トッドに興味を引かれているように見えるが、彼女が愛しているのはメイスである。この映画を見ていて「シェーン」が頭に浮かんだ。子供との心の交流。父親との男どうしの友情。「妻と子供のことをよろしく頼む」というのはいつの世も変わらない先に逝く男のセリフだ。そして夫に対するのとは別の感情を流れ者に対していだく妻。でも誰も人としての道を踏みはずさない。そう、これって舞台は未来の宇宙だけれど、なかみは西部劇なのよね。廃棄船が空中に数隻浮かんでゴミを落としているシーンは幻想的でなかなかいい。トッドが船をじっと見つめるのは戻って再びソルジャーとして生きたいからなのか。まあ彼が確信しているのはもし廃棄船でなく別の船だったら、それはこの星を征服するためのもので、乗っているのがソルジャーだったら人々の命はないということだ。ここでは時々凄まじい嵐が吹くが、のん気に野菜を作っているシーンも出てくる。畑のあたりは嵐が来ないのだろう。そのうちに無人監視基地を作るためにミーカム大佐が新鋭隊を連れてやってくる。彼はこんな星に人がいるはずはない、もしいたら報告するのも連れ帰るのも面倒だから殺してしまえ・・というとんでもない男。

ソルジャー4

どうも訓練する側の人間には問題があるようで・・。さて話は少し戻ってクリスマスのパーティでトッドにプレゼントを渡しそびれたジミーが、渡そうとして危うく殺されそうになったことから皆はトッドを怖がり始め、彼を追放することにする。パーティの後、トッドの頭の中では悪夢のような戦闘の記憶が甦って彼を苦しめていたのだが、そんな言い訳もいっさいせず出ていく。ジミーにもらったマフラーを首に巻いているのがいじらしい。ひとりぼっちになったトッドの目からは涙がこぼれ落ち、手でさわっていったい何が起きたのか・・といぶかしげに眉をひそめるシーンが泣かせる。翌朝自分が間違っていたと気づいたメイスはトッドを捜しに行くが、そこへ降り立ったのがミーカム達の船。逃げる途中でメイスは命を落とす。トッドに家族のことを頼んで・・。住んでいる者を殺すのは部下にとっていい訓練になる・・と言うミーカム。部下の中には先のトッドとの戦いで片目をなくしたケインもいた。以前トッドが所属していた旧の部隊も来ていて、彼らはこの星へ来た本来の目的である無人監視装置設置の任務につく。攻撃されて次々に命を落とす村人達。立ち上がるトッド。というわけで後半は「ランボー」みたいになる。一人対大勢という図式。武器を点検するトッドに「何か手伝うかい」と声をかけるとゆっくりとその男の方を向く。このゆっくり・・というのがミソだ。その眼光を見ただけでもう彼には誰のどんな助けも必要ないのだということがはっきりわかる。男は黙って引き下がるしかない。今の時代にはもうほとんどいないけれど、昔はこういう胆力のある人間が確かに存在していたのだろうな。騎士、ガンマン、日本だったら剣客。サンドラはメイスが死んだことを悲しみながらも気丈に「指示を出して。皆も一緒に戦うわ」とトッドに頼む。しかしトッドは「ソルジャーと戦えるのはソルジャーだけ」ときっぱり断る。ところで敵の攻撃はソルジャーとしての彼の能力を発揮するまたとない機会なのであるが、たった一つ前とは違っていることがある。それは上官の命令ではない・・ということである。誰に命令されたのでもない。自分の意志で行動を起こしたのはおそらくこれが初めてなのでは?村人を助けるために立ち上がったトッドの心の中には彼らとの間に置いていた距離も壁ももはや存在しない。彼は村人の側で、心理的には村人の一人として戦っている。

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トッドよりも優秀なはずの新鋭隊が、ばたばたと簡単にやられてしまうのはちょっと拍子抜けだが、まあいいか。一人の方が有利な場合だってある。ケインとの死闘はなかなか迫力があった。トッドはあんまり足を使わないね。上半身を使う昔風の戦い方。体力や敏捷性ではケインの方がまさっているが、最後はやっぱりオツムの差でしたね。部下を全滅させられたミーカムは、そんならいっそ核爆弾でこの星ごとぶっ飛ばしてやる・・と旧部隊のライリー達に爆弾の設置を命じる。その前に村人達と一緒に現われたのは死んだはずのトッド。何も言わなくてもすぐさま心は通じ、ライリー達はトッドの指示に従う。ミーカム達は船から放り出され、船は離陸。ミーカム達は自分のしかけた爆弾で星もろともこっぱみじん。ご愁傷さま。さて行く先をムーン星と定めたトッド。爆発で星はなくなっちゃったし、ミーカムの部隊は全滅と見なされ、追ってくる者もいないだろうから、彼らはムーン星で生きてゆくことになるのだろう。ネイサンを抱き上げるトッドを不思議そうに見るライリー達。しかし何も言わず、顔を見合わせただけで仕事に戻るシーンが印象的だ。ネイサンを抱き、窓から無限の宇宙を見つめるトッド。普通の映画ならここでサンドラが二人のそばに寄り添うところだがそれはなし。ネイサンが口をきけるようになるといった奇跡も起こらない。いちおうハッピーエンドなのだが、苦いものは苦いままで終わる。安易に甘ったるくしないところが非常に私好み。さっきのライリー達もそうだが、無表情で何も言わないと、逆に心の中では何を考えているのだろうといろいろ想像することになる。たいていの映画はしゃべりすぎ。人に自分の意志を伝えたくてたまらない、あるいは押しつけようとする人々ばかり出てくる。しゃべらないのは無能だからではなく、賢いからなのだ・・そういうヒーローがいたっていいと思う。さて先週は「スズメバチ」を、今週は「プロフェシー」と「サイン」を見てきた。本当は今日も行くつもりだったけどさすがに・・。お正月映画の前だからあんまり力を入れてないのか、皆短期間で公開が終わってしまう。「~日まで」の「まで」との競争なわけだが、けっこう皆いい作品なのだ。テレビでも「グリマーマン」「ソルジャー」「ボーン・コレクター」と続いたし。夫「何を見るの?」妻「ボーン・コレクター」夫「犬の話か」妻「・・・・」