シャイニング、ドクター・スリープ

シャイニング

大学に入学して、最初の1年間は学生寮に入っていた。2年目からは下宿生活を始めたが、そこも全員同じ大学の学生が入っていた。私が入った部屋(そこしか空いてなかった)は窓を開けると目の前が隣家。手が届くほど近い。昼間でも電灯をつけなければならないような暗い部屋だった。しばらくすると、夜寝ている時に妙な状態になる。はっきり目は覚めているのに、首から下が動かない。その頃は金しばりという言葉も知らず、何でこういうふうになるのかと夜になるのがユーウツだった。体が動かないだけでなく、フトンの上に誰か乗っているような重みを感じるし、気配(例えて言えばグレーマンのようなもの)もある。すぐ近くにあるはずの入口(四畳半だからね)がえらく遠くにあって、まるで自分が浮いているようにも思える。そのうちに二階の部屋が空いたので(その部屋にいた人がノイローゼになって出てしまったのだ)、これ幸いとそっちへ移った。今度は金しばりになることもなく、普通に過ごしていたが、自分のいた部屋のことは気になってはいた。次の年、新しい人が入ったと思ったらまたすぐに空き部屋になっている。出入りが激しいのは下宿屋の常だが、それにしても・・。聞くところによると、彼女は霊感が強く、「この部屋には霊がいる」と言ってさっさと出てしまったらしい。そう言えばある日突然見知らぬオバチャンが現われて、たまたま玄関にいた私に向かって「ここに幽霊が出るってホントなのッ!?」とまくしたてたことがあったっけ。何でも夜中にオフロ場に出るらしい。女性が髪を洗っているとか何とか・・。私は初耳だったので否定したが、後でよく考えてみたらその霊感の強い人が言ったことがそんなふうなうわさとなって流れたのかも・・。その時はオバチャンの迫力にびびってあたりさわりのないことを言ってお引き取り願ったけど(最後には幽霊は出ないと知って安心したのか、機嫌よく帰って行った)、その部屋のことを言ってたらどうなったかな(もっと機嫌がよくなっていただろうな、話のタネができて・・)。そう言えばオフロ場で中毒して倒れた人もいたな・・。私が悩まされた金しばりも気のせいではなく、霊の仕業だったのかもね。結局その部屋はずっと空き部屋のままだった。私が今までに経験した妙な体験と言えばそれくらいで、それも次に入った人のことを聞かなければ自分の気のせいと思っていただろうし・・。

シャイニング2

要するに私は霊感もなく、鈍い方なのだと言うこと。でもその方が幸せかもしれない。「シャイニング」なんかない方が。さて私はキューブリック作品は「2001年宇宙の旅」と「フルメタル・ジャケット」しか見たことがなかった。「シャイニング」はずっと見たいと思っていたのだが機会にめぐまれず・・。WOWOWでやったのでやっと見ることができた。その後原作も読んだ。原作はかなり長く、映画の方は当然のことだがその多くをばっさりカットし、原作とは違うもので表現・描写をしている。ジャックの子供の頃のこと(父親もアル中だった)。うまくいったりいってなかったり(こっちの方が長い)のウェンディとの結婚生活。教師をやめた理由。自分が書こうとしている戯曲。一方のウェンディ、どちらかと言うと依存性が強く、アル中のジャックと別れようと思いつつもそのふんぎりがつかない。希望を持ったり、打ち砕かれたりのくり返し。決心の先送り。母親との確執。これらはまあ映画にはほとんど出てこない。でも取り立てて描写しなくたって想像はつく。何しろ演じているのがジャック・ニコルソンとシェリー・デュヴァルだから。彼らに劣らず息子のダニーのこともいろいろ書き込まれている。トニーとの会話。行きたくないけど行かなきゃならない展望ホテル。パパは教師をやめて作家になろうとしている。ママは今度こそパパがお酒をやめると期待している。パパとママ、どっちにとってもやり直す最後のチャンスなのだ。幼いダニーにとって一番避けたいこと、それは両親の「リコン」である。ダニー役の子はまるでビスクドールのようだ。美しい髪、白くてすべすべの肌、つぶらな瞳。だが後半になるとちょっと荷が重そうだ。原作でこと細かに書かれているダニーの心理を、子供に表現させるのは無理だ。映画では後半になるとダニーの描写はあいまいになる。恐怖のせいでダニーが内側に入ってしまい、外に出てくるのはトニーだ。それが迷路のシーンではいつの間にかダニーが外に出てきていて・・。トニーはダニーのもう一つの人格のように思えるが、原作だとトニーは未来のダニーのようで・・。過去・現在・未来がごっちゃになっているこういう描写は「ドリームキャッチャー」にもあるな。とにかく映画ではこういったことは省略するか、説明不足のままで押し切るか、そういう路線を取ることに決めたらしい。

シャイニング3

この映画を見て一番印象に残るのはジャック・ニコルソンの演技だろう。彼をキャスティングした時点で、この映画のカラーはほぼ決まったと思う。最初出てきた時から異常で、正常な時も異常で、異常になってからも異常で、死んでからも異常で・・。一見普通に見える人が実は・・という意外性が彼の場合全くない。「ウルフ」みたいに、どう見たって彼が狼男になって奥さん殺しましたーって思えるのが、いや実は若くてきれいなジェームズ・スペイダーの仕業でしたーってわかって、「ええーッ、そうだったのー!?」って驚くわけで。面接の時にある管理人の話(妻と二人の娘を殺して、自分は猟銃自殺)をされて、「ご安心を、私にそんなことは起きません」なんて自信たっぷりに言ったって、見ている者の誰が信じるってのよ。「シャイニング」にはニコルソン、キューブリック、キングという三つの強烈な個性が要素としてあるわけだが、映画ではキングは弾き飛ばされてしまっている。ニコルソンはやりすぎとも思えるくらい演技しているし、キューブリックはキングが丹念に積み重ねるように書いていることをばっさりカットし、原作とは違うものを出してくる。キングは映画に不満だったらしいが、我々は二種類の「シャイニング」を楽しめばいい。もっとも私自身は、ごく普通の人間が建物の影響で異常に・・という作り方でこの映画を見てみたかった。「2001年」には、ウィリアム・シルベスターとかケア・デュリアとか見終わってもよく顔が思い出せないような地味な人達が出ていて、それだけにまわりの状況が圧倒的な迫力を持って見る者に迫ってきた。人間はただの脇役だった。それにくらべると「シャイニング」は建物の持つ恐ろしさってあんまり伝わってこない。伝わってくるのはとにかくニコルソン演じるジャックの異常さ。雪でホテルに閉じ込められなくても、ホテルの邪悪な霊に取りつかれなくても、彼の場合そう遠くないうちに家族を殺していただろう・・って思えてしまう。出てきたとたんにこいつが犯人だ・・とわかるサスペンス映画みたいなもので、あんまり先が見えすぎのホラー映画もまずいんじゃないかとも思えるが、キューブリックはそんなことは承知の上で作っているのかな。自分には自分のやり方があってそれに絶対の自信を持っているみたいな。そのやり方というのは、終わりがないことの怖さ。

シャイニング4

ホテルの廊下をゴーカートで延々と走るダニー。すべすべの床だったりじゅうたんが敷いてあったり。場所によって音が違うところまでいやらしいくらい執拗に表現する。角を曲がったところには何がある?もちろん見たくないものだ。なかなか書き上がらない小説。ウェンディが調べてみると同じ文章が果てしなくタイプされている。これを打っている時のジャックの頭の中って・・。しかしこれ用意するの大変だったろうな、いちいち打ったんでしょ?そして深夜の雪の積もった迷路での追いかけっこ。逃げるダニーと追うジャック。子供ながらあっぱれ冷静なダニーと頭からっぽのジャック。斧持って追いかけ回す必要どこにあるんじゃい。ほっとけばダニーは朝までに凍死するに決まってるじゃん。それをバカみたいに追いかけて逆に自分が冷凍人間になっちゃった。迷路もいつまでたっても出られないという恐怖がある。原作では動物の形に刈り込んだ生け垣がジャックやダニーを襲う。リメイクされたらこの部分はきっとCGで映像化されるだろう。ホテルに取りついた邪悪な霊、体はジャックだが顔は絶えず変化する合成物もね。それっとばかりに大喜びで技術を駆使しておぞましいものを作り上げちゃうんだろうな。そうなるともう映画のムードはがらっと変わっちゃってじわじわと怖さが来る恐怖映画じゃなくて、特殊技術の物量作戦みたいなのになっちゃうんだろうな。エイリアンにしろ幽霊にしろ、こんなふうに作りましたーって暴露合戦みたいになっちゃって、暴露すればするほど怖さも趣きもなくなっちゃうんだけど、わかっててやめられない。だから昔のこういうの見るとかえってホッとしたりして。素朴に怖いのよ。オフロの幽霊なんかホントよくできてる。オフロから出てジャックに近づいてくるところとか、美女がいつの間にか腐乱したおばあさんになっているとか、ボカシが邪魔だとか(何のこっちゃ)そういうことではなくて、バスタブからこっちを見ている時の見えかげん。若い女性がこっちを見ていることはわかるけど、顔立ちとかはっきり見えない。顔がはっきりうつし出されれば怖さはうすれ、あんまり遠くだとやっぱり怖さはうすれ・・見えるけど現実か幻かはっきりしない絶妙の距離。にやついたニコルソンの表情なんてどうでもいいのよ。バスルームやトイレの異常なまでにくっきりした色使いも印象に残る。

シャイニング5

「2001年」の宇宙ステーションや、ボーマンが迷い込む奇妙な部屋を思い出させる。くっきりしすぎて落ち着かないあの雰囲気。逆にロビーには先住民の文化を思い出させる壁かけが下がり、じゅうたんが敷かれ、ジャックが仕事をするのは大きな木の机。管理人の部屋はこぢんまりと「コージー」だし、ダニーのセーターにはミッキーマウスやアポロロケットの図柄。見ていてもこういうところに目が行ってしまう私。幽霊さえいなければこういうところに住んでみるのも悪くない。食料はいっぱいあるし、雪に閉じ込められて誰も来なくたって平気。ラスト、ウェンディとダニーは雪上車に乗ってホテルから逃げ出す。ジャックは置いてけぼりで哀れ冷凍人間に。しかし何でこんなのうつす?コメディーになっちゃうでしょ。原作だとボイラーが爆発してホテルは炎上、こっちの方がドハデでーす。さてダニーは自分達の危機を遠く離れたフロリダにいるハロランにテレパシーで伝えたが、映画での描写はややぞんざいである。せっかくかけつけたハロランもあっさりジャックに殺されてしまう。彼の役目は雪上車をホテルに届けることのみのようだ。映画ではホテルを逃げ出したウェンディとダニーのその後は描かれないから、ハロランは生きている必要はないのだ。原作ではハロランは死なない。幼いダニーは一生この能力を背負って生きていかなければならないが、ハロランは彼のよき助けとなるだろう。ウェンディは大ケガをするが、精神的にはホテルへ行く前よりも強靭になっている。このように原作は後日談まで(親切にも)書かれている。私自身の経験(大した経験ではないが)から、この世には不思議なものが存在することは否定しない。我々は多くの場合、それを霊の仕業と呼んでいる。その方が感覚的にしっくりくるからだが、それが正しいかどうかはたぶん誰にもわからない。「プロフェシー」のところでも書いたが、何か現象が起こったとして、理解の仕方は人によって時代によって異なるということ。また霊だの残存エネルギーだの、あるいは気のせいという考え方は人間だけの考え方であって、人間以外のものからすればまた違った考え方ができるかもしれないということ(残念ながら人間はそれを知ることはできないが)。ま、要するに何でもアリってことなんだけど、映画となると何かしらもっともらしい説明をくっつけなくてはならない。

シャイニング6

霊にもいろいろあって(♪人霊いろいろ・・なんちゃって)、人やものについたり場所(建物全体、あるいは部屋)につく霊もいるだろう。あの下宿のあの部屋にあの霊がついていたように(最近WOWOWで「ドリームキャッチャー」をやったので見たが、あのグレーマンの覗き込む感じ。あんな感じなんですよ)、この展望ホテルにもついていたのだ。建てられてからそうたっていない下宿にくらべ、ホテルの方は1907年からの古い歴史がある。くらべものにならないほど多くの人が出入りし、多くの出来事があり、中にはよくないことも・・。映画では元々は先住民の墓地だった・・などと、下地は十分あったのだとほのめかす(これは余計な説明だと私は思う)。ホテルで働くハロランのように、邪悪なものの存在に気づいている者もいる。だが彼はそれを人に言って回るほどバカではない。クビになるのがオチだし、怪しいものには近づかなければいいのだ。その彼もダニーを見て心配になる。ダニーには自分と同じ能力がある。予知能力やテレパシーで、ハロランはそれを「シャイニング」と呼ぶ。ダニーはハロランよりはるかにすぐれた能力を持っているのだが、いかんせん彼はまだ5歳の幼児である。これが何なのか、どのように使ったらいいのか、どのようにまわり(両親・医師・ハロラン)に説明したらいいのかわからない。不完全ではあるがそういう時のダニーの助けとなるのがトニーの存在で・・。まあ展望ホテル(幽霊屋敷)のこと、シャイニング(超能力)のことはこのようにわかりやすく説明されてはいる。そしていちおうはホラー映画なのだから、この二つの要素が大いに恐怖感をあおってくれるはずなのだが、そこらへんはどうもねえ・・。特にシャイニングは題名にもなっているんだからもっと強調してよ。原作も怖くないけど、映画もニコルソンがやりすぎと感じた時点で(他の人はともかく私は)怖くなくなってしまった。正常なジャックがいかなる理由で、どのような過程で狂ったのかはっきりしないから怖くないんじゃなくて、ニコルソンが「まんま」だから怖くないのよ。つまり出てきた時からジャックは斧持ってるでしょ(見えないけど)。「シャイニング」なんかなくたって予想できちゃう。・・で、仕方ないからそれ以外のことで何か怖さは感じられないかと思って他をあたるわけ。ホラー映画だから怖いはずだ、キューブリックだから何かあるはずだって。

シャイニング7

つまんない映画であるはずがない・・って捜すわけよ。で、一つは前に書いた「終わりのない怖さ」。もう一つは距離が感じさせる怖さ。こっち(自分)とあっち(霊、あるいは霊的なもの)との距離が縮まること。例えば大量の血がこちらへ押し寄せてくる。二人の女の子の幽霊がだんだん近づいてくる。最初はただ立っているだけだけど、そのうちボールがころがってくる。「遊びましょ」と言ってくる。迷路でジャックに追いかけられることもそうだ。オフロの女性の場合は前にも書いたがバスタブの中にいる時が一番怖い。こっちに近づいてくると怖さはうすれる。腐乱した笑い上戸(違うって!)のおばあさんは怖いと言うより滑稽だ。うーん全部が全部見せ方に成功しているわけではないのね。くっきりはっきり見えるバーテンやウエイターに至っては全く怖くない。何だかこちらから怖さを求めているような妙な文章になってきたな。一番最初、あの曲を聞いた時にはちょっと期待したのよ。ウヒョホ、「2001年」と同じでクラシックを持ってきたぞ!ってね。前にも書いたけど「ザ・クロウ」のテーマ曲や、ジャック・ブレルの「マイ・デス」はこの曲の応用だと私は信じている。で、映画が終わった時には「は?」というような何だかヘンな気分。落胆はしないけどはずされたような気分。ほめたくなるような映画でもないし、けなしたくなる映画でもない。何だかよくわかんないけど、でももう一度見てみたいという気にさせる映画。掘り下げればきっと深遠なものが出てくるんだろうけど、私は力尽きました、分析しようとも思いません、ただもう一度見てみたいだけです・・そんな映画。ウーム、どうもうまく感想がまとまらないな。これが最近見た「ソウ」のような映画だったら、もっとスラスラと書けるのだろうが。同じホラー映画でも「ソウ」は何もかもがシンプルでストレート。こちらが怖さを求めなくたって向こうからいやと言うほど浴びせてくれる。怖さの量も質も相当なものだが後には残らない。「シャイニング」の方はニコルソンの演技が怖くないとすれば、残るのは後ろの方でもやもやとうごめいている距離感とかエンドレスといったあいまいな恐怖だけである。CGもびっくりするようなどんでん返しもない。・・でも作り方次第でできるんですね、こういうあとひき映画。怖くないのに怖さを求めてくり返し見てしまう映画・・。

ドクター・スリープ

主演がユアン・マクレガーなのがうれしい。おや、クリフ・カーティスが出てきたぞ、ますますうれしい。ブルース・グリーンウッドは・・えッ、あれだけ?成長したダニー(ユアン)は父ジャックと同じくアルコール依存症。でもこれは自分の能力を鈍らせるためでもあるのだ。ディックの霊のアドバイスで、悪霊を封じ込める方法は会得した。フレイジャーという町でビリー(カーティス)と知り合う。彼は親切で、アパートや仕事の世話をしてくれた。断酒会にも。ダニーは以前看護助手の仕事をしていたので、ホスピスで働くようになる。彼の特殊能力は、死にかけている患者を癒す。ここで出てくる猫がかわいい。一方遠く離れた場所に住む少女アブラにも特殊能力があり、ダニーと交信する。また、ロージーという女(レベッカ・ファーガソン)をボスとする、特殊能力を餌に生き続ける一団がいる。八年後、野球少年を惨殺し、生気を取り込むが、少年の苦痛をアブラが感じ取り、そのせいでロージーに存在を知られてしまう。で、アブラを狙う一団、それを助けるダニーという流れになる。メインが子供なのはやや残念だが、子供の方が純粋なだけに能力が強烈というのはわかる。何となく頼りなさげなユアン、包容力のあるカーティス、妖しい美しさのファーガソン、いずれもはまり役。舞台が例のホテルに移ってからは、ジャックによって壊されたドア、そこだけ明るいバー、大量の血、寒そうな迷路・・と、見ている者を喜ばせる。しかし・・画面が暗い。ここに限らず全編にわたって暗く、見づらい。荘重な音楽も、突然の音も、見えないんじゃ効果なし。いつ明るくなるかと待っていたら、映画終わっちゃった。ロージー達は幽霊というわけではなさそうだ。スーパーで買い物してたし、カートの中にはトイレットペーパーあったみたいだし。不死身ではなく、生気を取り込めないと弱って死んでしまう。また、銃で撃たれても死んじゃう。白い煙が出るところは「ヴァンパイア/最期の聖戦」みたいだ。ビリーが途中で死んでしまうのは残念。アブラの父も殺されるし、後味は悪い。また、少年が殺されるところは残酷すぎて見ているのが苦痛。ダニーはホテルと運命を共にするが、以前ディックがそうだったように、霊となってアブラに寄り添うようだ。2時間半もあるが、そのわりには・・印象に残るのは猫だけだな。バーテンとジャックを演じているのはヘンリー・トーマスらしい。気がつかなかった。